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新女大学-17

【新女大学・17】
 下男下女を召し使うのは随分骨の折れることである。使われる者は力を労し、使う者は心を労する。主人のほうこそかえって苦労が多いであろう。
 下男下女にもいろいろな人物がいる。ときには忠実ですばらしい人物がいないこともないが、これは特別なことであり、そもそも彼らは資産もなく教育もないがゆえに人の家に雇われるのだから、主人である者はその人物いかんにかかわらず、よく教えてならし、とにかく親切にしてそれぞれの家事に当たらせるのと同時に到底自分の思い通りにはならないものと最初から胸中に覚悟して多くを望んではならない。
 下女の不行き届きや下男のいい加減さなど、いちいち気にしていたずらに心配や苦労をして無駄な癇癪を起すのは、ただ愚かなことであるといえるだろう。

 現在の下男下女をよくないと思うならば、ここ数年のことを思い出すことだ。
 その数年の間にいかなる男女が果たして最高の人物で自分の意に適した者であったか、それは誰かと指を折ってみたならば、彼らの中でもそれぞれ長所も短所もあり、十分であった者は非常に少なかったのではないだろうか。

 ここ数年が既にそういう状態であったなら、現在もその通りであたりまえである。また、将来も同様であろうと勘弁したほうがよい。
 下の者の過誤、失策を叱るのは叱られる者よりも叱る者のほうが見苦しい。主人は慎むべきものだ。

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新女大学-18

最終更新:2007年11月06日 21:38
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