【新女大学・20】
教育の進歩に伴って婦人が自分が実際に見たり聞いたりしていないことまでも喋り、ひどいときには奇怪千万な言葉を使って平気でいるのは、浅見を自覚していない罪であってただあわれむべきものである。
その原因は様々であるが、中でも幼いときから教育の方針を誤って自尊自重の徳義を軽んじ、万有自然の数理をなおざりにし、いたずらに浮華に流れて虚文をもてあそぶようなのは、自分から災いを引き起すようなものといってよい。
たとえば、学校の女生徒が少々字を知り、また洋書などを理解できるようになるのと同時に、いわゆる詠歌や国文に力を注ぎ、または小説や戯作などを読んで余念がない者もいる。
文を学ぶには国文学や小説なども非常に有意義だが、年齢が小さいときには他に勉強すべきもののほうが多い。
詠歌には巧みだが自分が独立するということについて将来を思い描いたこともなく、数十百部の小説本を読みながら一冊の生理学の本も見たこともない女性が多いのだ。
小説や戯作は往々にして人の情を刺激することが多く、血気盛んな春ともいうべき妙年の女子のためにはまず有害であるから、文学を学ぶということの必要性からこれを読もうとするならば、その内容を考えて何を読むべきか選ぶことが大切であろう。
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新女大学-21
最終更新:2007年11月06日 21:42