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神聖ゲルマニア連合帝國 - (2007/09/26 (水) 22:50:47) のソース
*神聖ゲルマニア連合帝國 (旧神聖ノイ・ゲルマニア連合帝國・旧大ゲルマニア連邦共和国) **詳細データ ---- &bold(){【正式国名】} 神聖ゲルマニア連合帝國 &bold(){【国旗】} #ref(http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/48/0000378848/02/img2e93f8a5s1kq63.jpeg) > &bold(){【国章】} #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=a.jpg.png) > &bold(){【体制】} 立憲君主制(実質的には絶対君主制との声もある) &bold(){【国家元首】} ヴィルヘルムⅥ世 &bold(){【通貨】} ライヒマルク &bold(){【首都】} 大ベルリン &bold(){【公用語】} ゲルマニア中央語(ドイツ語と各諸語が融合して出来た言語) &bold(){【人口】} 約9億2千万人(本国,直轄地,属州,植民州,海外の邦人,海外の国籍取得者の総計) &bold(){【宗教】} ゲルマニア神教(50%),キリスト教(30%),イスラム教(18%),その他(2%) &bold(){【総兵力】} 陸海空総勢約620万 &bold(){【領土】} ドイツ←(エルザス・ロートリンゲン含む),オーストリア,リヒテンシュタイン,チェコ,スロヴァキア,ポーランド,南極,ベネルクス,デンマーク,フランス←(ドンオーク領を除く),ハンガリー,ルーマニア,スウェーデン,フィンランド,アイスランド,バルト三国地域,スペイン北西部(ガリシア州,アストゥリアス州),南アフリカ,セントポール,マーシャル諸島,カロリン諸島,マリアナ諸島,琉球諸島,北米大陸の一部(地図参照のこと)、ココス諸島,ハード島,アムステルダム島,モルディブ諸島,東ケープ・ナタール,スワジランド,ボツワナ,ナミビア,南スーダン,北コンゴ,ケニア,ウガンダ,ブルンジ,ルワンダ,赤道ギニア,スマトラ島,スイス,バレアレス諸島,ビルマ南部 &bold(){【保護国】} グルジア帝國 アンゴラ連合帝國 ササン朝ペルシア帝國 山背朝新瑞穂王国 ジハード帝國 オーブ自治共和国 &bold(){【属国】} 大エチオピア帝國 ライヒュン連合帝國 ザンジバル帝國 ---- **外交 &bold(){帝國外交政策方針} イデオロギーに左右されない国益のみを純粋に追求した損得外交.Ⅴ世皇帝陛下の「国益の為なら例え悪魔とて手を結ぼう」に由来する. &bold(){締結している同盟及び条約.以下一覧} ・「同盟」 世界枢軸同盟(ギリシャ=トラキア二重帝國,ガンダカール連合帝國) ・「軍事条約」 ベルリン協定(ロシア・ウクライナ共和国,中華人民共和国) ミュンヘン軍事協定(イスラエル共和国) ルックナー協定(インド連邦共和国) 世界枢軸連合条約(アラヴィア同盟共和国,ガンダカール連合帝國) ノイ・ベルリン条約機構(サモア共和国) 北大西洋条約機構(フランク王国) 神聖ベルリン条約機構(ドンオーク軍統帝國,イスパニア帝國,新生メキシコ統一連合共和国,ユーゴスラヴィア帝國,アールディオン帝國) 相互防衛条約(カシュウ国) ・「友好条約」 国際領土協定(国際条約) ハンブルグ条約(コサック独立連邦) ・「保護条約」 神聖ゲルマニア連邦(グルジア帝國,ジハード帝國,アンゴラ連合帝國,ササン朝ペルシア帝國,山背中朝新瑞穂王国) ---- **内政 &bold(){帝國内政政策方針} 帝國の内政政策方針は,ゲルマニア民族主義と能力主義の狭間で動いていると言って良い.全体的な面から言って,ゲルマニア民族のものが優遇されがちではあるが,非常に優秀な者は例えゲルマニア民族でなくとも重要なスポットにつける場合がある.(例:日本民族の藤堂五郎.彼はノイ・リューゲン植民州においての司法副長官である.)ただ治安維持においては,余剰な労働力を吸収するという面から,差別的な違いはあまり存在しない.(しかし,本国での治安維持は,ゲルマニア民族の者でしか行なえないように編成されている.)本国,属州,植民州の垣根は,其の州でのゲルマニア民族の構成率や経済,開発状況によって区別される.近年では,帝國中央政府主導による同化政策やインフラ整備によって本国の条件を満たす属州が増えた.また,本国編入の一定の条件を満たしていても,本国から遠くはなれる為に本国へ編入する事が困難な地域は,特別州制度が設けられる予定である. &bold(){「統治体制」} 我が帝國の統治体制は,本国,直轄地,属州,植民州の四つに分類される.国際領土協定上の登記では,本国は本国,直轄地及び属州や植民州は外地領土として記載される.直轄領地に関しては本国と同様の政治が行われる.また,本国において永住資格や選挙権,被選挙権などの一般的な権利の他に特別な権利を有する貴族等を本国特別市民,本国に永住資格や選挙権,被選挙権などを有する一般の市民を本国一般市民,直轄地に永住資格などを有する市民を直轄市民,属州に永住資格や選挙権,被選挙権などを有する市民を外地一等市民,植民州に永住資格や選挙権,被選挙権などを有する市民を外地二等市民と言う.帝國国籍を取得する全ての人間を包括して呼ぶ場合は,帝國臣民と呼ばれる.徴兵制に関しては本国特別市民には適用されず,本国一般市民は最短は10ヶ月で最長は2年,外地一等市民は最短1年と3ヶ月で最長3年と2ヶ月,外地二等市民は最短2年で最長4年である.徴兵期間は,其の時々の世界情勢によって調整される.また,帝國国籍を持たない外国人が,外人部隊に入隊し,4年の軍役を全うすると,全うした時点で直轄市民権が与えられる. ・参政権一覧 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E5%8F%82%E6%94%BF.JPG) &bold(){「経済体制」} 我が帝國の経済体制は,市場経済,伝統経済,指令経済の融合であり,世界でまれに見る独特な形での経済体制である.管区によって其々区別される為に地方によっての経済格差が大きいのが難点であるが,帝國中央からの供給や事業によってバランスが取れている.広大な領土と大量の労働力を有する我が帝國だからこそ出来る体制である. &bold(){「治安体制」} 我が帝國の治安体制は,大量の労働力を使用する事によって,非常に良くなっている.治安維持を担当する組織は,帝國内務省管轄警視庁,帝國内務省管轄の内務省軍,帝國内務省管轄の特別高等警察,帝國州管轄の州軍,帝國中央政府管轄の帝都特別警備隊などがある.他にも管区ごとに自治警備隊などが存在し,余剰の労働力を全て吸収している形となっている.また近年,内務省は,余剰労働力の吸収の為に市民権の種類に問わず,内務省軍兵士を採用している為に内務省軍の兵力は,約80万と一国の軍事力を遥かに凌駕するものになっている. &bold(){「政治体制」} 我が帝國の政治体制は,限定的政党政治である.絶対的な神である偉大なる皇帝陛下の承認を受けた政党のみが国政に参加することが出来る.帝國議会で過半数を獲得した政党が与党となり,与党が帝國中央政府を組織し,首相または各大臣を推薦または任命する. ---- **国防 &bold(){帝國国防政策方針} 我が帝國の国防政策方針は,帝國中央政府管轄下の中央情報局との綿密な連携によって成されている.世界中から集められた情報を元に今年度の国防方針を決定する. &bold(){我が帝國は,広大な領土を統治,防衛する為に,世界で一番強大な軍隊を保持している.其の強さは大陸を沈め,大海をも埋める.} 正規軍は,陸海空総計で約620万程 外人編成軍は,約10万程 予備役は,約1000万程 内務省軍は,約200万程 民兵は,約180万程 民間企業軍は,約300万程(企業の権益保持,警備を主任務とする.戒厳令発令時は,正規軍のサポートとして徴用される事が有る.) ---- **帝室 &bold(){我が帝國は,絶対的な神である偉大なる皇帝陛下によって統治されている.} 現皇帝:ヴィルヘルムⅥ世陛下(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ハインリッヒ・ヴィクトル・ホーエンツォレルン・ゲルマニア) 現皇后:ヴィクトリア陛下 現皇太子:フリードリッヒ・ヴィルヘルム皇太子殿下(フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ルートヴィッヒ・ヴィクトル・ホーエンツォレルン・ゲルマニア) &bold(){絶対的な神である偉大なる皇帝陛下の臣下国.以下一覧} グルジア帝國 アンゴラ連合帝國 ササン朝ペルシア帝國 ジハード帝國 山背朝新瑞穂王国 ザンジバル帝國 ライヒュン連合帝國 ザンジバル帝國 &bold(){絶対的な神である偉大なる皇帝陛下の形式的,儀礼的臣下国.以下一覧} ドンオーク軍統帝國 イスパニア帝國 新生メキシコ統一連合共和国 ユーゴスラヴィア帝國 アールディオン帝國 サモア共和国 &bold(){我が帝國のゲルマニア帝室は,世界最大の影響力を有し,世界各地に支流のゲルマニア朝が存在する.以下一覧} グラフス・ゲルマニア分家(ドンオーク系ゲルマニア支流帝國:ドンオーク軍統帝國) ホーエンツォレルン・ゲルマニア分家(イスパニア系ゲルマニア支流帝國:イスパニア帝國,イスパニア皇帝がヴィルヘルムⅥ世の四男) カラジョルジェビッチ・ゲルマニア分家(ユーゴスラヴィア系ゲルマニア支流帝國:ユーゴスラヴィア帝國) ムサン・ゲルマニア分家(ジハード系ゲルマニア支流帝國:ジハード帝國) &bold(){ホーエンツォレルン・ゲルマニア本家が直接統治する地域.以下一覧} 神聖ノイ・ゲルマニア連合帝國 グルジア帝國 アンゴラ連合帝國 ライヒュン連合帝國 大エチオピア帝國 ザンジバル帝國 &bold(){ホーエンツォレルン・ゲルマニア本家と対等姻戚関係にある王家,皇帝家.以下一覧} ドラガセス家(ギリシャ=トラキア二重帝國のトラキア王家) テオドシウス家(ギリシャ=トラキア二重帝國のローマ皇帝家) ビュールステン家(カルタゴ及び北アフリカ統一連邦国の王族) &bold(){歴代ゲルマニア皇帝.以下一覧(ドイツ帝國としての皇帝も含む)} 「ドイツ帝國時代」 ・ヴィルヘルムⅠ世 (初代ドイツ皇帝.ドイツを強国にのし上げる.一時期,社会主義者の反乱によって退位に追い込まれるが,後にヒトラー大総統と共に協力して復位する) ・フリードリッヒⅢ世 (二代目ドイツ皇帝.病弱であったが自由主義的な思想もあって,臣民から幅広い支持を受ける.在位期間は最も短い三ヶ月) 「旧帝國時代」 ・ヴィルヘルムⅡ世 (三代目ドイツ皇帝.初代ゲルマニア朝皇帝.旧帝國時代において帝國の最大版図を築くが,悪の連合軍の卑劣な攻撃によって受けた傷が元で崩御) ・ヴィルヘルムⅢ世 (二代目ゲルマニア朝皇帝.Ⅱ世の死後,即位するが奸臣ヒンデンブルグのクーデターによってカルタゴに亡命する.後に現地で熱病に係り崩御) ・ヴィルヘルムⅣ世 (三代目ゲルマニア朝皇帝.Ⅲ世の死後,亡命貴族達の承認の下,皇帝に即位する.世界中に散らばった神帝軍を再編成し,祖国奪還に貢献する.) 「新帝國時代」 ・ヴィルヘルムⅤ世 (四代目ゲルマニア朝皇帝.Ⅳ世の退位後に即位する.カリスマ性の固まりで軍人,平民,貴族などの全ての身分からの熱狂的な支持を受ける.祖国奪還に成功し,新帝國時代の礎を建設した.) ・ヴィルヘルムⅥ世 (五代目ゲルマニア朝皇帝.Ⅴ世の退位を受けて即位する.民主化を先駆け,帝國臣民の政治参加意欲を上昇させた.帝國の最大版図を築く.) &bold(){皇帝家の皇祖} 現在のゲルマニア皇帝家であるホーエンツォレルン・ゲルマニア家の皇祖は,天界から舞い降りたゲルマニア女神とゲルマニア民族の長ヘルマンとの間に出来た子ヴィルヘルムである.ゲルマニア女神は,はるか昔の未だ国家という概念が形成されていなかった頃に人間界に現れ,ゲルマニア民族の長であるヘルマンと恋に落ちた.二人は結ばれ,人間と神の子であるヴィルヘルムが誕生した.其の後,ヴィルヘルムは成長し,ゲルマニア女神から継承した神の力を以てして世界各地に王国を建設し,世界の帝王となった.世界の帝王として地球に君臨したヴィルヘルムは,世界各地に自らの種をばら撒いた.やがて種は成長し,世界各地の王や貴族となって民を統治した.モンゴルのチンギスハーンや,エチオピアのシバの女王,ロシアのロマノフ朝などは皆ヴィルヘルムの種を祖としている. ---- **歴史 此処では簡略近代史,即ちゲルマニア朝の成立から現代までを扱う.※注:この歴史は客観的視点に基づいて書かれています.帝國の国定教科書の内容とは大きく異なりますのでご了承下さい. &bold(){ゲルマニア朝の成立} ゲルマニア朝の成立は,第三代ドイツ皇帝のヴィルヘルムⅡ世陛下によって行なわれた.成立の目的として諸説が存在するが,一番有力視されているのが,ドイツからポーランド,チェコ,ハンガリー,ルーマニアなどの領有を完全に正当化する事が目的だったという「領土拡大説」である.其れの根拠は,成立以前までは※1控えめだった海外進出が,ゲルマニア朝の成立以降から格段に増えている事が挙げられる.ヴィルヘルムⅡ世陛下は,ゲルマニア朝成立時において,ドイツ帝國の皇帝の時と同様な「Ⅱ世」と名乗った.通常では新たに王朝などを起こした者は,初代建国者という意味を込めて「Ⅰ世」と名乗る.しかし,ヴィルヘルムⅡ世陛下は,祖父であるドイツ初代皇帝のヴィルヘルムⅠ世陛下の事を畏敬と呼べる程までに尊敬していた.その様な事から※2「Ⅱ世」と名乗り続けた様である.次期皇帝からは此れに習い,Ⅲ世,Ⅳ世と名を受け継いでいる.但し,ヴィルヘルムⅡ世陛下は,ゲルマニア朝の成立に伴い,ドイツ帝國とは異なった暦の※3「帝國歴」を設定するなど,国家として一線をしいた事もしている. ・初代ゲルマニア皇帝ヴィルヘルムⅡ世 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=wilhelm2.JPG)> ※1 あくまでも帝國の歴史上で控えめだったと言う意味.世界史を客観的に見ての控えめと言う意味ではない. ※2 この事から実質的なゲルマニア朝の初代皇帝は,ヴィルヘルムⅡ世陛下ではなく,ヴィルヘルムⅠ世陛下とする説が存在する.その説でいくと現皇帝であるヴィルヘルムⅥ世陛下は,第七代目ゲルマニア朝皇帝と言う事になる.帝室では,現在は初代皇帝はヴィルヘルムⅡ世陛下とする説を取っている.学説では,ほぼ二分されている. ※3 帝國歴は,初代皇帝はヴィルヘルムⅠ世陛下ではないとする説の根拠として挙げられる.但し,ゲルマニア朝の成立以降においても,ライヒュン歴やセルザス歴などの皇帝の変化によって暦が変わる事から,根拠としては成り立たないとする指摘もある.また,こういった近代暦の他にも皇歴と言うものが存在するが,歴史的理由から年数を判断するのは難しいとしてあまり使用されていない.ちなみに皇歴を使用すると現在は2720年. &bold(){海外進出} 初代ゲルマニア皇帝のヴィルヘルムⅡ世陛下は,海外進出に反対的立場を取ってきたビスマルク首相を辞任させ,親政的な政治を行なう為にレオ・フォン・カプリヴィ海軍元帥を新たに首相として任命する.同時にフランスやハンガリー,ルーマニア,※4北アラヴィアに対しても軍を進め,併合政策を推し進める.此れによって,帝國の領土は大幅に拡大され,国際的威信や地位が格段に上昇した.領土の拡大によって,併合先の属州民や植民州民という安価な労働力が帝國に流入し,帝國の経済は,旧帝國時代における「黄金期」と言われるほどの潤いを見せた.しかし,属州や植民州における※5強硬的な同化政策は,現地民や国際社会からの強い反発を招き,反帝國の息吹を強める原因にもなった.また,この頃に条約を基とする陣営と言う概念が芽生え,※6世界は巨大陣営同士による冷戦時代に突入していった. ・当時の欧州での領土(ルーマニアは,未だ占領扱いだった) #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E7%84%A1%E9%A1%8C.JPG)> ※4 帝國は,サウジアラヴィア王国の崩壊に伴い,北アラヴィアに「自由アラヴィア師団」と言う義勇軍を派遣した.自由アラヴィア師団は,南アラヴィア連合共和国軍(後のアラヴィア同盟共和国)と交戦しつつ,北アラヴィア一帯を占領し,本国の命令に従って親ゲルマニア的王朝だったハーシム家を擁立した.停戦後には,アブドッラービンフセインを初代国王とする北アラヴィア・ハーシム王国が建国された.ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下は,アブドッラービンフセイン国王の第一皇女であるハヤ王女とご子息である第二皇子のアイテル・フリードリヒ皇子殿下を政略結婚させた.此れによって実質的に北アラヴィアはゲルマニア朝の支配下に置かれる事と成った.北アラヴィア・ハーシム王国は,戦後に北アラヴィア王国として,アラヴィア同盟共和国に吸収されたが,アイテル・フリードリヒ皇子殿下の一族は,同盟共和国政府に立太子と名誉知事の地位を与えられ,現在に亘って北アラヴィアに,王族として残存している. ・北アラヴィア・ハーシム王国の領土 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=2102a251-s.gif)> ※5 強硬な同化政策の一例として,ルーマニア人奴隷の売買が挙げられる.当時の帝國憲法では,敵国民に対する基本的人権は保障されておらず,人身売買が合法であった.このような奴隷売買や強制移住によって,現地民の出生率は著しく下がっていった.逆に移住してきたゲルマニア人の出生率は,政府の支援もあって右肩上がりだった. ※6 当時の主な陣営として,ベルリン条約機構やAOF(大西洋連邦),大洋共栄圏機構などが発足していた. &bold(){旧帝國の衰退} 一連の軍事行動によって帝國は潤った反面,内外に敵を多く作っていった.政府内においても慢心的な意見が増え,帝國の並外れた威信と,強大な軍事力のみを頼りとする強圧的で単純な外交政策が進められていった.内部においては,属州や植民州などの現地民による独立運動に悩まされた.デンマーク属州やアイスランド属州では,自爆テロや要人暗殺が立て続けに起るなど,治安が非常に不安定なものとなっていった.外部においては,スイス,エンパイア国,インド帝國,ガストラ連合帝國を初めとする新興勢力との※7対立が年々激しさを増していった.政府は,此れに対応する手段として,相手を萎縮させる為に軍事演習を繰り返したが,あまり効果はなく,逆に対立陣営の恨みや怒りを買い,敵の結束を深める結果になってしまった.この頃の帝國内部においては,完全に※8大ゲルマニア主義が蔓延し,柔軟で臨機応変的な対応が取れなくなってしまっていた.自らの強大な軍事力と工業力に酔いしれ,絶大な威信に慢心してしまっていたのである.崩壊の足跡は直ぐ其処まで迫っていた. ※7 スイス軍のイタリア進駐問題や,インド帝國やザンジバル公国と争ったモルティヴ諸島領有問題などがある.代理戦争の模様を見せた対立はアンゴラ内戦.政府軍を我が帝國が支援し,反政府軍をインド帝國が支援した. ・アンゴラ内戦の戦況図 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E3%81%AF%E3%81%AA.JPG) ※8 大ゲルマニア主義とは,世界の中心地はゲルマニアであり,ゲルマニア民族こそが世界を先導する為に選ばれた人種であり,帝國に組しない国家は,文明国家ではないとする極右的な思想の事である.現在でも受け継がれているが,国益最優先主義が台等している為に表立って見えていない. &bold(){世界大戦と旧帝國の崩壊} 帝國は完全なる慢心の基に全ての作業を怠っていた.中央情報局によって,※9敵の一斉蜂起が近いという情報を入手したのにも関わらず,其れについて真剣に検討しようとしなかった.唯一,当時の国防大臣であったパウル・フォン・ヒンデンブルグ陸軍元帥だけが,※10「世界大戦近し」と訴え続けていたが,誰も取り合おうとしなかった.帝國は慢心という病魔に侵され,既に身動きが取れない状態だったのである.大戦勃発の一年前に漸くヒンデンブルグ国防大臣の訴えが聞き入れられたが,そう全ては,もう何もかも遅かったのである.帝國歴××年,世界暦××××年,×月×日,敵ロンギヌス陣営は,一斉に我が帝國に対して宣戦を布告した.遂に※11世界大戦が勃発したのである.敵陣営は20ヶ国以上,対する帝國陣営は7ヶ国程度.同盟国であるグリーク・トルメキア王国は敵との単独講和を行い,中立姿勢の構えに出たが,講和反対派によるクーデターによって国家崩壊,当時のもう一つの同盟国であった大アメリカ統一帝國は,※12裏切りによって中立姿勢を貫いた.準備不足で兵力不足の帝國陣営に対し,敵陣営は充分な準備と豊富な兵力,最早戦いは始まる前から決まっていた.我が帝國は,中央情報局特別執行部による活躍で,スイス政府に対して※13揺さぶる事が出来たが,成功には至らず参戦の姿勢を崩す事は出来なかった.この戦いの中盤,敵ロンギヌス陣営軍の爆撃機による攻撃で,※14ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下が負傷した.後に傷が元で崩御された.「皇帝陛下崩御」この報は,帝國各地に瞬く間に広まった.この報により戦意が著しく低下した帝國軍は,各戦線で次々に撃破され,敵の本国侵入を許してしまった.ヴィルヘルムⅡ世皇帝陛下崩御後,すぐさまフリードリッヒ・ヴィルヘルム皇太子殿下がヴィルヘルムⅢ世として皇帝に即位したが,親政的な政治を支持していた※15カプリヴィ首相も,敵の精密ミサイル攻撃によって死亡し,実権は既に,軍部の支持を集めていたヒンデンブルグ国防大臣が実質握っていた.ヒンデンブルグ国防大臣は,臨時首相を兼任し,これ以上の交戦は不可能と判断,亡命を決意する.※16残存する兵力を全て国外に脱出させ,ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下と皇族と共に,友好国で中立を維持していたカルタゴ及び北アフリカ統一連邦国へ亡命した.此れによって,長らく繁栄していた旧帝國時代におけるゲルマニア朝の世界支配は幕を閉じた. ・大祖国防衛戦争勃発時の欧州 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E6%94%BB%E6%92%83.JPG) ※9 中央情報局が敵性国家に潜入させた工作員からの情報によって,一斉蜂起が近いと判明した.政府はこの報告を受けたが対策を取ろうとしなかった. ※10 「世界大戦近し」と国防会議にて発言したが,カプリヴィ首相の否定によって有耶無耶になった. ※11 帝國の呼び名は大祖国防衛戦争.世界的な呼び名は第一次世界大戦. ※12 米帝情報部の誤りで,ロンギヌス陣営宛に送った電子文が我が帝國の情報部に送られた.此れがきっかけで米帝には重要な情報は一切送らなくなったが,裏切りと考えるのは早しと考えた政府が真剣な対策を練らなかった. ※13 敵スイス軍の過度的な速度の戦線の拡大によって,スイス側の戦線に薄い部分が出てきた.政府は,スイス政府の中立を条件に其処を攻撃しないという交渉を行ったが,交渉が成立する前に帝國は崩壊した. ※14 爆撃による負傷ではなく,軍部の過激派による犯行によって負傷したと言う「軍部犯行説」が存在する. ※15 通説ではカプリヴィ首相は,敵の精密ミサイル攻撃によって死亡した事になっているが,近年ではヒンデンブルグ国防大臣による暗殺説が有力になっている. ※16 帝國の残存部隊は,中立国もしくは他国の主権の及ばぬ空白地域に脱出した. &bold(){共和国の樹立} 帝國の崩壊から5年後,帝國の残党勢力は祖国解放軍を組織して,エンパイア国支配下の祖国を解放すべく,遂に反抗作戦を開始した.奇襲攻撃が功を制し,祖国解放軍は瞬く間に帝都ベルリンを含めた西ゲルマニアの大半の解放に成功した.ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下とヒンデンブルグ臨時首相兼国防大臣は,反抗作戦を指揮すべく,帝都ベルリンへ向かった.だが此処で思わぬ事件がおきる.ヒンデンブルグ臨時首相兼国防大臣が,※17突如ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下を拘束し,帝政の廃止と大ゲルマニア連邦共和国の建国,その最高権力者としての大総統への就任を宣言したのだ.ヴィルヘルムⅢ世皇帝陛下は一部の共を連れ,再びカルタゴへ亡命,ヒンデンブルグ大総統は,西ゲルマニアで勢力を伸ばしていた※18社会党と手を組んだ.共和国は,残る東ゲルマニアを解放する為に老若男女問わず兵士を徴収し,猛突撃を繰り返した.しかし,対するエンパイア国軍も果敢に交戦し,戦線は次第に停滞していった.戦線が停滞すると,共和国は資源不足に悩まされる事になった.ヒンデンブルグ大総統は,資源不足を解決する為に隣国の大ウクライナと同盟を締結し,予備兵力を投入して北欧方面とトルコ方面への共同進撃を開始した.だが,共和国の国土は殆ど焦土と化しており,度重なる連戦に国民と兵士は疲れ果てていた.このような状況下では長期に亘る軍事行動は不可能であり,共和国軍は,各戦線で停滞状態に陥ってしまった. ・大ゲルマニア連邦共和国の領土と進撃図 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E5%A4%A7%E5%85%B1%E5%92%8C.JPG) ※17 クーデター.皇帝陛下及び皇族一族は国外追放とされた. ※18 ゲルマニア社会党.社会主義化を目指す政党.当時社会党は,労働者階級を中心に根強く支持されていた.よって,国政をスムーズに行なうには社会党と手を組む必要性があった. &bold(){大総統独裁} 共和国軍は,進撃が停滞したものの,必要最低限の資源の獲得には成功した.※19皮肉にも戦線が停滞しているお陰で,悪戯に国力を消失する事がなくなり,占領地からの資源の供給もあって,次第に国力が回復していった.国力の回復によって,一時的ではあるが共和国は政治的,経済的,治安的に安定した.全てが安定した事によって,共和国内部の地盤を固める余裕が出来たヒンデンブルグ大総統は,社会党の一掃を決意する.※20社会党が議席の過半数を占めていた連邦議会を停止し,社会党本部を軍の特殊部隊によって制圧,即日に社会主義系政党の非合法化と,※21戒厳令の発令を宣言した.この瞬間から,ヒンデンブルグ大総統による軍部独裁体制が成立したのである.ヒンデンブルグ大総統は,社会主義勢力を共和国の中枢から排除した後,自らの側近や軍部出身者で政府を構築した.国防大臣と財務大臣には,旧帝國時代からの盟友であったエーリッヒ・ルーデンドルフ陸軍元帥とヴィルヘルム・シュマイザー陸軍主計中将を,内務大臣には息子であるオスカー・フォン・ヒンデンブルク陸軍中将を就任させた.この体制は旧帝國時代のゲルマニア朝を比喩して,ヒンデンブルグ王朝と呼ばれた. ※19 この時期は<静かなる戦争>と呼ばれている.均衡した状態が続き,双方共に容易には手が出せない状況であった.皮肉にも此れが休憩期間となり,ヒンデンブルグ大総統に共和国を再編する時間を与えた. ※20 社会党幹部の多くは逮捕され,後に国家反逆罪で絞首刑にされた. ※21 戒厳令の発令に反対する国民と,軍部の間で流血事件が数十件起きた.これ等の一連の流血事件を<流血のクリスマス事件>と呼ぶ. ・戒厳令発令時のベルリン #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=%E6%88%92%E5%8E%B3%E4%BB%A4.JPG) &bold(){共和国の反抗} ヒンデンブルグ大総統が共和国での独裁体制を確立し,国力の増強を図っていた頃,東南アジアで着々と勢力を伸ばしつつあったエレミア共和国連邦から,「打倒印帝」の助力を願う旨の特使が,共和国政府に派遣されてきた.インド帝國は前大戦においての旧敵国であり,ヒンデンブルグ大総統としても,ゲルマニア民族の復活の為には,報復攻撃が必要と考えていた.共和国政府は,エレミア政府に対して「了承,共に剣を抜かん.我,西から行かん.貴国は東から参られよ.」と打電し,インド討伐に参加する旨を明らかにした.ヒンデンブルグ大総統は,すぐさま全世界に共和国軍に合流するよう激を飛ばした.旧友邦国は此れに応じ,続々と共和国に軍団が集結した.しかし,此処で一つのハプニングが発生する.共和国軍参謀本部の当初の計画では,※22完全なる奇襲攻撃による電撃作戦によって,敵国土を破壊するといったものであったが,※23エレミア外交部のミスによって,情報が漏洩し,敵方に攻撃計画が悟られてしまったのだ.共和国軍参謀本部は急遽作戦の早期開始をヒンデンブルグ大総統に提言し,ヒンデンブルグ大総統は此れを了承し,作戦の開始を全軍に通達した.共和国暦××年,世界暦××××年,×月×日,第二次世界大戦が勃発した.なお,戦争を円滑に進める為にエンパイア国とは一時的に休戦協定を締結した.共和国軍を主力とした第一次攻撃部隊は,またも敵方の陣営についた前世界大戦時からの旧敵バローダ社会主義共和国に対して,空軍と戦略ミサイル軍を主体とした電撃作戦を敢行,※24わずか3日でバローダの全国土制圧に成功する.共和国軍は,バローダ制圧後,インド戦線に転戦し,主要都市の爆撃を開始する.※25ルクセンジオ・グラフス陸軍中将を司令官とするインド西方攻略軍が,1週間でカルカッタを占領するなど,共和国軍は各戦線で快進撃を続けた.友邦軍も各戦線で敵方の軍勢を撃破し,全体的に我が方は優勢であった.共和国暦××年,世界暦××××年,×月×日,インド帝國を主力とする敵方の軍勢を全て撃破し,我が共和国は戦争に勝利した. ・第二次世界大戦インド戦線図 #ref(http://www13.atwiki.jp/gai-hako/?cmd=upload&act=open&page=%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%80%A3%E5%90%88%E5%B8%9D%E5%9C%8B&file=jpg.JPG) ※22 我が共和国と前世界大戦時の旧敵国とは,国際法上の交戦状態にあり,宣戦布告の必要がなかった. ※23 エレミア外交部は不必要に援軍派遣を各国へ要請した.エレミア外交部が援軍派遣を要請した国家の中には敵方へ通じる国家が多数存在した. ※24 最初の空爆でバローダ首都機能を完全に麻痺させた.共和国空軍の優秀性を世界に知らしめた瞬間だった. ※25 ドンオーク軍統共和国の建国の父.ゲルマニア人で大祖国防衛戦争,大祖国報復戦争の両方に参加していた. &bold(){共和国の消滅の序章} 対印戦争に勝利した共和国は,※1西インドを共和国政府直轄の植民地としておいた.西インドの獲得もあって,この次期の共和国の経済状況は,旧帝國時代を思い出させる程の右肩上がりだった.しかし,この好景気を他所に,国際社会は非常に殺伐とした空気に包まれていた.我が共和国側について参戦したユーゴスラヴィア連邦共和国が,国際法に違反する攻撃を行なったと,インド亡命政府代表者が国連に訴え出たのだ.其れを材料に先の大戦で敗戦した国々は「先の戦争は国際法に違反する攻撃が行なわれた不当なものであり,共和国陣営側は即時に我らに謝罪及び賠償を行なわなければ成らない.」と主張し,戦後処理を戦前の状態に戻すようにと要求し始めた.これ等の一連の訴えには確固たる証拠が存在せず,当然国連は訴えを退けたが,共和国の転覆を狙うエンパイア国は,此れを武器にプロパガンダ攻勢へと打って出た.ヒンデンブルグ大総統に弾圧されていた社会党は,このプロパガンダ攻勢を利用し,大総統批判と政府批判を繰り返し行なった.資本家に支配され,苦しい生活を強いられていた労働者階級は,このプロパガンダを真に受け,憎しみの対象を大総統と政府に向けて社会党を支持し始めた.