一部、引用
本書の一番の問題は,ド素人が法律解釈論に手を出した点だ。解釈論というのは,論理的思考力や創造性が要求される知的作業だが,すべてを明文化できない「暗黙知」にも従わざるをえないという点で,職人的な技術も要求される。この点で,建築や外科手術に近い営為といえるだろう。本書の著者は,専門用語も理解していないばかりか,判例と裁判例の違い,立法論と解釈論,実体法と手続法の区別すら理解しておらず,しかも日本語で書かれた条文すら読めていない。要はただのジャーナリストだ。たとえば,医療ジャーナリストが,「私も長年取材を続けてきたから,外科手術だってできる筈だ」と言い出したら,こいつ馬鹿じゃないかと思われるだろう。本書は,それと同じことをやっているのである。
一部、引用
当たり前なことと,間違ったことしか書いていない駄本である。
他の項目も似たり寄ったりだ。おマセな小学生の作文みたいな,誰も異論を挟まない(が具体的な解決策を提示できない,切れ味の鈍い)主張(第2話など)や,そもそも何が言いたいのか分からない主張(第11話など),言いたいことは分かるが説得力に欠ける主張(第7話など),そしてド下手くそな日本語(全仏,もとい全部)。
一部、引用
『世間のウソ』と同趣旨の本である。今回はマスコミの取材・編集・報道・経営がテーマだが,中身がないのは同じ。議論が浅いのに論証は不透明。論理的な思考・叙述に至っては,もはや放棄しているとしか思えない。
私がこんな些末なことをうだうだと説明しているのは,本書のこの部分が,取りわけ分かりにくく書かれているからだ。この著者の書く文章では,悪文が論理の不明確さを覆い隠しているのである。
たぶん,「熱心な」読者は,このような文章に快感を覚えるのだろう。しかし,飛躍した論理に真実を見出すのは,目撃した奇跡に神の存在を見出すのと同様の思考停止だ。内面的な信仰の場では許されても,公共的な言論の場では受け入れられる態度ではない。
最終更新:2011年09月03日 15:55