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始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) - (2007/09/27 (木) 23:45:18) のソース
**始まりの場所、見上げた月に落ちていく(前編) ◆TFNAWZdzjA 「はっ……はっ……はっ……!」 校舎内の廊下を二人の影が疾走する。 ハクオロと衛はそれぞれの不安と焦りを押し殺しながら、とにかく背後から迫る脅威から逃げ回っていた。 後ろから響く駆動音、学校中に響く高笑い、暴力的な全身凶器が暴風となって襲い掛かってくる。 そんな危険な状況下でも、二人の思考は別のところにあった。 あんな大きな物体が狭い教室や廊下に入ってこれるはずがない。そんな余裕があったから、二人は別のことに思考を巡らせていた。 (どうすればいいのだ……) ハクオロは苦悩する。 仲間を募るために人手を割いて、こうして危険を冒しながらも保護をしてきたというのに。 少女、ことみはハクオロを誤解していた。仲間を殺した犯人なのだ、と。殺し合いに乗った男なのだ、と誤解されていた。 唯一、無実を証明してくれる観鈴はもうこの世にはいない。 大石に渡した銃も、暴発するなんて考えもしなかった。そもそも、銃というものが暴発する、ということすら知らなかった。 そしてハクオロが殺した、とされる仲間は衛の姉妹だと言うのだ。これでは、衛にまで疑いの目を向けられてしまう。 何度考えても、どんな言葉を捜そうとも、誤解を解く方法はなかった。分からないまま、ただ走ることしか出来なかった。 (どうすればいいんだろ……?) 先ほどのことみの言葉を思い出し、衛は苦悩する。 四葉をハクオロが殺した、という青天の霹靂のような言葉に衛の心は散り散りになりかけている。 ハクオロのことは信頼できる。観鈴さんや瑛理子さんが信頼していた。人となりも分かっているつもりだった。 だけど、衛は心のどこかで湧き上がった疑心を持て余していた。 ことみのあの表情を思い出した。 泣き出しそうな、今まで腹の中に溜めていた憎悪を吐き出すような剣幕。あれが演技にはとても見えなかった。 初めて出逢ったことみと、今まで衛を慰めてくれたリーダーのハクオロ。どちらが信頼に値するなんて、考えるまでもない。 だから、ハクオロには違うと言って欲しかった。たとえ証拠がなくても、ただ必死に違うんだ、と否定してくれれば衛もそれを信じられた。 結局、まだその願いは果たされない。ハクオロに手を引かれるまま、衛は廊下を延々と走り続けた。 「よし……ここまでくれば大丈夫だろうっ……」 「そうだね……さ、さすがにここまでは……」 二人して立ち止まる。機械の駆動音はまだ外から聞こえている。 きっと、どこか入れる場所はないかと捜しているのだろう。そんな場所はない、と知っているからこそハクオロは足を止めていた。 「衛……あれは何なんだ……? 私の世界には、あんなものはなかったのだが……」 「えっと……ショベルカーって名前で……あまり詳しいことは分からないけど、地面を掘ったりする車のことだよ」 「クルマ……?」 「……ごめん、それが分からないって言われたら、ちょっと説明できないかも」 時代の違いならぬ、世界の違いを思い知った瞬間だった。 呆れとも諦めとも取れる衛のため息に、ハクオロは申し訳ない気持ちになった。とはいえ、分からないものは分からない。 何気なく、廊下からグラウンドを見る。 月光が校舎を照らし、大きな機械がこちらに向けて魔手を伸ばそうとしていた。 「見ぃ~つけた……」 背筋が凍った。 凄惨に見開かれた両の瞳。振り上げられる鉄の牙。 それが何をしようとしているかに気づいた刹那、ハクオロは衛の身体を抱えると横っ飛びに飛んだ。 「死んじゃえぇぇえええええええええっ!!!!」 「衛、危ないっ……!!」 「えっ、えっ……?」 ゴォォオオオオオオオオン――――!! ここならショベルカーは入れない。だから安全だ――――否。 地面を掘る機械なら殺傷能力はない。だから安全だ――――否。 いくら何でも、学校を破壊できるはずがない――――否、否、否! かの武装は時速55kmで疾走する鉄の獣。 木々を薙ぎ倒し、コンクリートの壁など軽々と葬り去る圧倒的な力。地面はおろか、破壊できないものなど存在しない。 そして搭乗している少女は、もはや理性も道徳も理論も常識も、その一切のものを無くした殺戮の申し子。 目から血を流し、頭に包帯を巻いたボロボロの少女。片目しかない瞳が、ようやく発見した獲物に歓喜を称えていた。 「莫迦なっ……こんなことがっ……!」 かろうじて破壊されたコンクリートの破片から逃れたハクオロたちは、その機械を見て硬直する。 それは悪魔にしか見えなかった。高い位置から見下ろす少女、名雪はすべてを制する優越感に身体を震わせている。 衛はその異様な光景に恐怖した。あのショベルカーは確実に人の命を奪える。 そして説得など皆無、どう考えても殺し合いに乗ったとしか思えない。 何も行動することなく、この少女は敵なのだと直感した。もはやどうにもならない、狂気に触れた人間の末路なのだ、と。 「あはははははははは、皆殺しぃぃぃぃぃぃいいいいいっ!!!!」 鋼鉄の牙が振り上げられる。 ハクオロはそれが攻撃の合図だと気づき、衛の手を引いて逃走を図る。 いくら建物を破壊しながら追ってくるとしても、生身の人間を追う速力など持っていないはずなのだから。 だが、それすらも名雪は覆す。 時速55kmの脚力を存分に生かし、ショベルを振り回して追撃を仕掛けてきた。 確かに全力で走行は出来ないが、破壊されるたびに飛んでくるコンクリートの破片が襲い掛かってくる。 「化け物めっ……衛、ここから二手に別れて逃げるぞっ……!」 「どうするのっ……!?」 「二人より一人ずつのほうが逃げやすい! 私が少しの間だけ食い止めるから、その間にっ!」 「だ、ダメだよ、そんなのは……!」 あんな怪物のような敵を相手に、ハクオロを一人だけ残すなんて容認できなかった。 四葉を殺した犯人かも知れない。だけど、そんなのとは別のところで仲間を足止めに使うようなことはしたくなかった。 悠人なら、ここでハクオロを見捨てる衛のことをどう思うか。そんな、今は関係ないことを漠然と考えた。 「私は千影と約束したっ……衛はこの身に代えても護るのだ、と……約束は果たさないといけないっ!」 「でもっ……でも!」 「私が稼げる時間はあまりない! 頼む、聞き分けてくれ、衛!」 ギリ、と衛の歯が鳴った。 この身に代えても護る、と言ってくれた。千影との約束を決して破ろうとしなかった。 そんな人を一瞬でも疑っていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。今のハクオロは仲間なのだ、と……それを思い出した。 「絶対だよっ……後で、四葉ちゃんのことを聞きたいんだからっ……死んじゃダメだよ、絶対にっ!」 「ああ、約束だっ!」 その言葉を最後にして、ハクオロと衛は道を分けた。 ハクオロは立ち止まり、衛はそのまま真っ直ぐに走り去るように。 決死の表情で武器を構えるハクオロを、名雪は歓喜の表情で迎え入れるのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ 私は改めて自分の武装を確認する。 一丁の銃と、今は亡きオボロの双剣。私に扱えるのはこの二つだけだ。 敵は圧倒的に巨大な機械に乗った、狂ってしまった少女。説得などはもはや無意味、ここで引導を渡す必要があるだろう。 狂う、とは現実を受け入れられなくなった悲しい結末。ここで殺してしまうのが、一番の情けかも知れない。 「このカトンボぉぉぉぉぉお、まずはお前からだぁぁああああああっ!!!」 「なんのっ……」 鉄の牙が振り下ろされる。当然、受け止めるなんて選択肢は存在しない。 障害物を利用して攻撃を避けながら、私は思考を巡らせる。このショベルカーというのは、おそらく少女が動かして初めて意味を持つもの。 その破壊力、圧巻という他はない。だが、搭乗者さえ倒してしまえばいい。 幸い、こちらには飛び道具がある。そして、敵は操縦に夢中で丸腰だ。二撃目を避け、照準を少女に合わせて三発発砲した。 だが。 私の放った全ての銃弾はむなしく、透明な何かで弾き飛ばされた。 「なにっ……!?」 「無駄無駄無駄無駄ぁぁーーーー、けろぴーにそんなのは通じないんだよぉぉおおおっ!!?」 初めてだった、銃弾を防がれたというのは。 これは魔法なのか、と思った。あの少女を護るかのように透明な何かが張り巡らされている。 続いてもう二発、銃を撃つ。だが、結果は変わらなかった。私の弾丸は少女に届くことはない。これはどういうことだろうか。 (どういうことだ……ウルトリィやカミュのように、あの少女は魔法を使えるというのか……?) とにかく、銃が通じない。これ以上は弾の無駄になるだろう。 続いて投げナイフを取り出し、投擲する。狙いは正確に、少女の胸元に目掛けて飛んでいった。 (ぐっ……これもダメなのかっ……) それすらも弾かれる。投げナイフは明後日の方向……グラウンドへと飛んでいった。 こうなれば、仕方がない。飛び道具の類は通じないと見るべきだろう。 銃をデイパックに直し、オボロの双剣のうちの一本を取り出した。危険だが、あれの正体を突き止めなければならない。 「はぁぁああああっ!!!」 「潰れろぉぉおおおおっ!!!!」 迫るショベルを跳躍して避ける。このショベルカーの攻撃方法は、あの鉄の牙にだけ気をつけていればいい。 激しく動き回る暴風の中を、私は掻い潜りながら少女へと近づく。 そして乾坤一擲、機械を足場にして登り詰め、直接オボロの剣で敵を切りつけようと、刃を振り下ろした。 だが、それでも結果は同じ。 刃は弾かれ、手が痺れた。近距離で少女の禍々しい笑顔を見た。 酷い有様だった。何よりもその瞳が、完全に死んでいた。狂ってしまっていて、もう二度と元の目には戻らないのだろう。 (そうか……これは魔法じゃないっ……) そこまで至ってようやく気がついた。 今までこれと同じものを何度も見たはずだった。それなのに、どうしてそれに気づかなかったのか。 この学校で何度も目にした『それ』の正体。銃弾も剣も弾いたその絶対防壁の名前は、学校の教室にも廊下にもあるガラス。 私の世界にもあったはずのものを、どうして気づくことができなかったのか。 固定概念だ。 銃弾も剣を弾くことができるガラス。そんなものが存在するはずがない――――そんな甘い考えが、私の思考に皹を入れたのだ。 「あっははははははははっ!!すごいすごい、けろぴーは凄いよぉぉぉぉおおおおっ!!!」 「がっ……はっ……」 その隙に頭を殴打された。 無様に地面に転がり込む私。そのまま轢き殺そうとする少女から逃げるため、私は起き上がった。 幸い、頭を殴打したのはコンクリートの破片。軽傷だ、何の問題もない。 もう衛も逃げ切ってくれただろうか。今の私にはこの少女を倒す手段が思いつかない。こうなれば退くしか方法がないのだが…… 「逃がさないよぉぉおおおっ!!!」 そのときだった。 私の行動を敏感に察知した少女による、鉄の牙の一撃。 十分に警戒していた。いつでも避ける自信があった……だが、それは今まで以上の速度で振り回され、ただ反応することができなかった。 たった一撃で、私の身体は宙を舞った。 グラウンドまで跳ね飛ばされ、そのまま少し動けない。その隙を見逃すはずがない。 勝敗はここに決した。 少女は勝利を宣言するように歓喜の笑い声をあげながら、私を殺すために進軍してきた。 ◇ ◇ ◇ ◇ (あった……中庭の抜け穴……!) ことみは目当てのそれを見つけて、心の中で喜んだ。 これすえあれば学校から抜け出せる。あのショベルカーの少女も標的を変更してくれたから、後はここから逃げるだけで危機から脱せる。 もう、疲労は極限の状態。本来デスクワーク派な彼女は、良くここまで走ってこれたものだ、と自分に感心した。 これで逃げられる。まずはここから逃げて、そして。 (ここから逃げて……どうするの?) ふと、そんなことを考える。 仲間はすべて失った。恋太郎、亜沙、四葉……対主催を目的とするパーティは完全に崩壊し、生き残ったのは自分だけ。 誤解もされた。大空寺あゆ……よりによって恋太郎を殺した犯人と言われた。なんて、悲しいことなのだろうか。 敵に襲われた。佐藤良美やショベルカーに乗った少女。 そして誰だか分からないが、頭を殴られて支給品をすべて失った。ほんとに転がり落ちるだけだった、と独白する。 このまま逃げて、何が変わるというのだろう。 また、何の装備もなしにこの島を歩き回るというのか。それでは、いつか殺されてしまう。 いや、そもそもとして。 ―――――また、逃げるのか? 恋太郎が殺されたときと同じように。 また、自分の安全だけを考えるのか。また、怖いものから目を背けようというのか。 ハクオロの元には、四葉の姉妹がまだ残っているというのに。 (っ……!) また、見殺しにするというのか。 このままでは確実に衛の命はない。ハクオロのこと、衛を盾にしてあのショベルカーの少女から逃げ出そうとするかもしれない。 今この場に、四葉の姉妹を救えるのは自分しかいない。なのに、また逃げ出すことを是としていいのか。 (違うっ……違うの……) 過ちを繰り返してはいけないのだ。 四葉のためにも、恋太郎のためにも、どんな危険を冒してでも衛を救い出さなければいけない。 多分、今までで一番危険なことをしようとしているのだと思う。敵はマーダー二人、その中で衛を救い出すのは至難の業。 (だけど……それでも、やらなければいけないことがあるのっ……!!) 勇気を出せ、一ノ瀬ことみ。 恐れるな、臆せば死ぬ。衛をハクオロの魔の手から救い出すのが、ことみの残された贖罪の行為。 心の中で覚悟を決めて……亜沙に少しばかりの感謝をして、ことみは学校のグラウンドへと舞い戻った。 だが、ことみはこのとき、ひとつだけ読み違えた。 ことみが指したマーダーはハクオロと名雪の二人のこと。だが、校門の前にもう一人。 現在、生存するマーダーの中でも屈指の実力と実績を誇る男が迫っていることを、ことみは想像することすらできなかった。 ◇ ◇ ◇ ◇ (これは……機械の動く音、か?) 倉成武。 現在は妻である小町つぐみに、キュレイウィルスをワクチンとして投与された青年。 テロメアの無限回復、不老不死、代謝機能の著しい上昇、DNAの書き換え、あらゆる病気・ウィルスに対する抗生。 小町つぐみほどでないにしても、武の身体能力は大きく向上している。その力を発揮して、これまで戦い抜いてきた。 この島にかけられた制限のおかげで、全力を発揮することはできない。 だが、それを差し置いても武の実力は身体能力的な見地において、マーダーの中でもトップクラスの実力を誇るのだ。 そして武装は永遠神剣第四位『求め』……これまた、現在の刀剣類の支給品において、最強クラス。 (つまり……この先に殺し合いに乗った奴らがいるってことか) 身体中に刻まれた激戦を思わせる傷跡。 そう、傷跡だ。よほど深い傷でない限り、浅い傷はすでに出血が止まり、瘡蓋を残す程度となっている。 これすらも驚くに値しない。 制限のない小町つぐみなら、命に関わる傷も数時間程度で癒され、傷跡が残るだけ。 彼女ほどではないにしても、武の治癒能力は一般人のそれをはるかに超えている。だからこそ、武はキュレイウィルスを信じて疑わなかった。 (この先にいるのは圭一か、それとも他の誰かか……とにかく、善人ぶって俺を騙そうとする奴は、全員殺してやる) 得物である『求め』を握り締める武。その体内ではキュレイとL5、ふたつのウィルスが互いに鬩ぎあっている。 本来ならキュレイのほうが圧倒的に強い。だが、この島の制限によってその力は半減させられているため、排除することはできなかった。 キュレイにできることは侵攻を食い止めることだけ。もはやキュレイだけでは、L5を駆逐することはできないのだ。 『あはははははははは、皆殺しぃぃぃぃぃぃいいいいいっ!!!!』 武の思考が硬直する。 拡声器から響く狂った少女の皆殺し宣言。武の中で警戒心が一気に増加した。 間違いない、殺し合いに乗った人間がいる。良識のない狂った女の声だった。こいつらを殺すのが自分の使命だ。 「圭一、佐藤、美凪、瑞穂、春原……他の奴らもだ。どいつもこいつも、殺し合いに乗りやがるっ……」 誰も信じられない。皆、自分を利用して殺し合いに勝とうとする奴らなのだ、と。 膨れ上がった疑心暗鬼。そいつらに復讐してやる。そして、つぐみと共にこの島から脱出するのだ。それが武の最終目標。 主催者も自分とつぐみの二人だけで打倒してやる。 (俺たちならできる……そうだろ、つぐみ?) 学校へと足を踏み入れる。向こうからは工事現場のような、破砕音。 さて、殺し合いに乗っている人間がいる。つまり、襲われている人間はどんな奴なのだろう。 そんなことを考えていると、向こう側からローラースケートで走ってくる少女の姿を発見した。かなり焦っているようにも見えた。 (よし……) 明らかにつぐみではない。つまり、自分とつぐみ以外の参加者だ。 向こうも武を見つけて、何か希望を見つけたかのような表情で近寄ってくる。そんな少女を迎え入れて…… (まずはあいつから殺してやる) 利用できる駒を見つけたと喜ぶ、善人面した少女を最初の殺害目標に定めた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 「はっ……はっ……はっ……」 ローラースケートで学校のグラウンドを横断する衛。 ハクオロの提案に反発はしたが、それでも自分が早く逃げ出さないと、ハクオロが逃げる時間すら無くなってしまう。 この学校で生じた疑心よりも、たったひとつのことが衛の心を深く縛り上げていた。 (また……僕は護られたっ……) 悠人の言葉を思い出しながら、それでも悔しくて唇を噛んだ。 結局、衛に戦う術はない。あんなショベルカーなんて反則だと思うのだが、そんなことを言っている場合ではない。 いつも、護られるだけ。こんな悔しいことはなかった。結局、ハクオロにも悠人にも迷惑をかけているだけなのか、と。 「はっ……はっ……あ、あれ……?」 真っ直ぐ、校門を目指していた衛は人影を見つけた。 青年だった。年の程は二十歳前後、向こうもこちらに気づいたらしく、目が合った。右手には無骨そうな剣が握られている。 無我夢中で衛は青年の元へと走る。 「お、お願いっ……助けて! ハクオロさんを助けてあげてっ!」 遠くから大声で呼んだ。僅か数十メートルの距離が煩わしい。 すぐに接近して、詳しい事情を話すつもりだった。青年―――武が殺し合いに乗っているかも、なんて考えもしなかった。 だから、武と衛の距離がボーダーライン。 これがまだ離れていた。それが、衛の命をこの瞬間は救った。 「おおおぉおおおおっ!!!」 「えっ……くっ……!?」 武の足は地面を強く蹴って踏み込まれ、剣は衛の身体を両断しようと雄叫びをあげて振り下ろされる。 衛の反応は僅かに早かった。距離を詰められたと思った瞬間、進路を変更した。 結果的に武の『求め』は空を切り、衛はかろうじて死の一撃を避けた。慌てて距離をとり、武と相対することになる。 「ど、どうして……? 貴方も、この殺し合いに乗ってるの……!?」 「殺し合いに乗っているのはそっちだろう。助けを求める振りをして、俺を殺すつもりじゃないのか?」 「ちっ……違うよ! 僕はハクオロさんを助けてほしいだけだよ!」 「嘘をつけっ!! お前も俺を利用するつもりなんだろう!? その手にはもう乗らねえぞっ!!」 仲間だと思っていた。仲間だと信じていた圭一の裏切り。 脅されたとはいえ、つぐみを引き合いに出して俺を利用しようとしていた佐藤良美。 仲間、なんて信じない。この少女も、きっと俺を利用しようとしているんだ。そして用済みになったら、圭一のように捨てるんだ。 そんな疑心暗鬼が、常日頃の武なら絶対に思わない言葉の羅列で事態を重くしていく。 さらに、武もハクオロの名前を知っていたことが拍車をかけた。 それは警戒していた危険人物の名前。 殺し合いに乗っていると言われたハクオロを助けろ、ということは……そう、ハクオロと少女は仲間で、二人で人を殺して回っているのだ、と。 「ハクオロを助けろ、だと……? お前たちはそうやって、何人も殺してきたんだろう!?」 「違うよぉ……信じてよおっ!!」 「誰も信じない……善人ぶった顔しやがって……覚悟しろっ、この人でなしがっ!!」 武の一喝、衛の身体がびくりと震える。 この人はダメだ、と衛は思った。きっと仲間に裏切られて疑心暗鬼になってしまった人なんだ、と助けを求めるのを諦めた。 だが、このままでは逃げられない。校門は武が占拠している。無理やりに横を抜けることなんて、絶対にできない。 そして衛が知る限り、学校を抜け出す方法はこの正門を通る他はない。どこか、別の出入り口を探さないといけない。 (きっと……裏口があるはずっ……危険だけど、そこから逃げるしか……!) 踵を返して学校へと戻る。 もちろん、それを見送る武ではない。瞳には憎悪と疑心を称えて『求め』を構えたまま後を追った。 (やっぱりっ……あいつは俺を騙そうとした!) 騙しきれないと思ったから、逃げようとしている。 逃がさない、お前のような化けの皮が剥がれた人でなしは……全員、殺してやるのだと息巻いた。 ローラースケートを履いた衛と、キュレイの身体能力で追いかける武の速度は互角。 かくして、学園の戦いに五人の参加者が舞い戻る。 始まりの場所、ここから皇の物語が始まった。 戦いは激化の一途をたどり、混戦と化す僅かな時間。見上げた先には参加者を称えるように月が映える。 月光が惨劇の舞台を眩く照らしていた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 「ぐっ……」 「あははははははははははははははははっ!!!!!」 ハクオロはグラウンドに倒れこんでいた。 少し遠くからは機械音が聞こえる。どんどん、どんどん近づいてくるようだった。 轢き殺すのではなく、動けない相手はあくまで鉄の腕で潰してやろうということだろう。ゆっくりと、勝利を噛み締めるように接近してくる。 一撃でも食らえば大きなダメージだった。 衝撃としては軽車両と交通事故を起こしたぐらいの衝撃だ。身体のあちこちが汚れ、そして出血もある。 衛はうまく逃げられただろうか。このままでは自分は為す術もなく殺される。 両足を確認した。大丈夫、骨も折れていない。まだ動く、まだ立つことができる、まだ諦めるには値しない。 「痛っ……やってくれたな……」 「あはっ、まだ立ち上がるんだカトンボぉぉぉおおおおっ!!!」 シャベルが大きく上に上がる。このまま下に振り下ろせば、それだけで常人は死んでしまう。 頭を打ったのか、少し目の前がぼやける。このままでは攻撃に反応することはできない。 ハクオロには名雪の一撃を正確に判断することができない。 それはまさに絶好の隙、せめて反応さえできれば避けられる無骨な一撃だというのに。視界が歪むハクオロに、自力で避けることはできなかった。 「死んじゃええぇぇぇえええええっ!!!」 「ハクオロさんっ!!!!」 まるで濁流のような名雪の叫び声。その中を一条の光のように切り裂いていく凛とした声色。 誰かに突き飛ばされ、その人物と一緒に再び地面を転がった。それと同時に地震でも起きたかのような、地面を割る爆砕音。 ハクオロはその声の主に心当たりがある。咄嗟に腕で庇いながら、そのまま立ち上がる。 「助かったっ……だが衛、何故戻ってきたっ!?」 「ごめんハクオロさん、だけど説明してる時間はないんだよっ……今は逃げないと! 早くしないとあの人がやってくる!」 「あの人……? 何を言って……」 言葉にできたのはそれだけだ。 ハクオロは神がかり的な反射速度で、オボロの剣を構える。衛の背後から迫る凶刃を、火花を散らして防ぎきる。 倉成武。今までの男のマーダーの中でも随一の実力を誇る、キュレイウィルスのキャリアだ。 一撃を受け止めただけで手が痺れた。この男の膂力、その力は本気を出せば出すほどに、凄まじい威力を生み出せる。 「貴様っ、何者だ……!」 「お前がハクオロか……殺し合いに乗った奴は俺が殺す!」 「違うっ……私は殺し合いになど」 「騙されるかっ!!! ここで、その女と一緒に死にやがれっ!!!」 一撃、二撃と刃が宙で弾かれる。 衛を庇いながら、慣れない剣で戦うハクオロでは勝てない。武は容赦ない斬撃でハクオロを攻め立てる。 このままではハクオロに勝機はなかった。そう、この場にはもう一人のマーダーがいなければ。 「私を無視しないでほしいなぁぁああああああああっ!!!!」 鉄の牙がハクオロと武の間に振り下ろされる。 咄嗟に距離をとるハクオロと武。地面が完全に穿たれ、陥没してしまっている。空に舞い上がる土が視界を埋める。 ハクオロと衛は十分に距離をとって警戒する。この場において、ハクオロたちは絶望的な状況下にいた。 ショベルカーを操る名雪だけでも歯が立たないのに、やはり殺し合いに乗っていると誤解している青年まで登場した。 どんな経緯かはわからないが、やはり大石の件やことみの件などを聞いて勘違いしているのだろう。 分割作戦がまるで役に立たない。ハクオロはさっきまでの苦悩していた事柄をもう一度思い出した。 自分がいるから仲間を募ることすらできない。これは自分たちのチームだけでなく、他のチームでも影響していることだろう。 どうすればいいのか、その答えは出そうになかった。今はこの場を衛と共に逃げ切ること。それだけだった。 (どうする……? 敵は二人、衛を庇いながら戦うことなどできない……二人が相手では時間稼ぎも……?) ふと、そこで気がついた。 こうして考えをまとめている間に、あの二人からの攻撃がない。それは何故だろう。 答えは簡単だった。 確かに殺し合いに乗った参加者は二人だ。だが、その二人が敵か味方かというと、それは考えるまでもない。 武はハクオロだけでなく、名雪までを殺害標的として判断し。 名雪は新しく現れたゴミ虫を迎え入れ、この場にいる全員の殺害を決定していた。 「邪魔をするな」 「あはっ、あははは、また一匹出てきたよぉぉ?」 「あの時、美凪たちと戦った女だな。焦らなくてもお前も一緒に殺してやる」 「うふ、ふふふ、ふふふふふふっ……皆、みーんな、皆殺しだぁぁあああああっ!!!!!」 振り上げられる鉄の牙を、武は絶妙なタイミングと身体能力で避ける。 そのままシャベルの上に乗り、再び稼動する前に一気に跳躍。名雪の身体に目掛けて『求め』を一気に振り下ろした。 最高クラスの刀剣類と呼ばれる『求め』の一撃はしかし、無常にも弾かれる。防弾ガラスを破壊することはできなかった。 このショベルカーの防弾ガラスの質は最高と言っていい。武と再び大地に足を踏み入れたとき、傷ひとつ付かないガラスがそこにあった。 「ハクオロさん、今のうちに……!」 「ああ……ぐっ」 「ハクオロさん!」 ハクオロは衛に手を引かれながら逃げようとするが、左肩を痛めたらしく激痛が走る。 このまま学校から逃げ出すなんて出来そうにない。このまま無理に逃げても、進軍してくる名雪たちから逃れられるはずがない。 (まずは身を隠さなきゃ……それに) まずは治療をしなければ。衛はローラースケートを直すと、すぐに行動に移った。 幸い、医療品はたくさん揃えている。ここが学校なら、保健室か救護室だってあるはずだ。 後ろから高笑いと機械音が響く中、衛はハクオロの右手を掴むと、そのまま校舎の中へと避難していった。 |162:[[邂逅(後編)]]|投下順に読む|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |161:[[Don't be afraid./散りゆくものへの子守唄(後編)]]|時系列順に読む|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |157:[[決断の代償]]|ハクオロ|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |157:[[決断の代償]]|衛|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |157:[[決断の代償]]|一ノ瀬ことみ|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |157:[[決断の代償]]|水瀬名雪|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| |153:[[歯車二つ(後編)]]|倉成武|163:[[始まりの場所、見上げた月に落ちていく(中編)]]| ----