三方ヶ原の戦い

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三方ヶ原の戦い - (2012/07/29 (日) 13:31:26) の編集履歴(バックアップ)


【用語名】 三方ヶ原の戦い
【読み方】 みかたがはらのたたかい

【詳細】

武田家と松平家の合戦。
神代においては、1573年1月25日に行われた。
松平家は国力で圧倒的に勝る武田家相手に窮地に陥るが、この戦いの最中に武田信玄が病死したことで勝利することが出来た。
武田家が没落する要因となった出来事である。

もともと西に向かおうとする武田を相手にするため松平は戦闘準備をしていたが、武田はそれを無視して通り過ぎ、よせばいいのにその反応に怒って追撃したら5倍返しを食らった。
逸話も多くあり、浜松城に逃げ帰る途中で元信が恐怖のあまり脱糞し、その憤りの表情を自戒のために書かせたなどが有名。

3巻・下にて、この戦いを歴史再現
武田・信玄こと源・九郎・義経は、この戦いを利用して松平たる武蔵を逃がすつもりだったが、聖連を手に収めたM.H.R.R.によって阻止される。
正純が交渉で何とかしようとしたが逆に危機になり、トーリシロジロが介入。
交渉役を務めていた前田・利家は武蔵の外道っぷりに触れることになる。

その隙に義経は利家を雇い、「武蔵が江戸に入れば終了」という終着点を定める案を持ち出し、
窮地を逸することが出来た。