関ヶ原の戦い

【用語名】 関ヶ原の戦い
【読み方】 せきがはらのたたかい

【詳細】

豊臣・秀吉の死後、その後継者を巡って徳川・家康総大将の東軍と
石田・三成を中心とする毛利・輝元総大将の西軍が現岐阜県の関ヶ原で激突した戦い。

織田・信長から羽柴・秀吉への権力移動が起こる本能寺の変豊臣・秀吉の死という二つのイベントが発生条件のイベントである。

歴史再現どおりにいけば東軍である徳川方=武蔵(極東)が勝ち暫定支配は解かれ、極東神州の支配者に返り咲くはずだった。
しかし現状は末世なので歴史再現がどのような解釈で行われるかは不明であり、そもそも力を削がれまくった極東の面々が管理できるのかという問題もあり、おそらくはヴェストファーレン会議で末世の解決とともに議題となるであろうとされている。

11巻上で行われ、いわゆる学校行事の体育祭とか運動会とかそんな風に呼ばれているイベントとして描写されている。
これはヴェストファーレン会議に向けて出来るだけ損失を抑えた状態でなおかつ、他国の介入を避けるため。
当初はじゃんけんですませようとして実際に正純はそうしたのだが、これをやると六護式仏蘭西的に力を見せられなくて危険であるため、
三征西班牙の歴史再現でよく使われている運動種目をベースに競技を増やし関ヶ原の戦いとした。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2018年07月23日 04:36