グラツィア事件

【用語名】 グラツィア事件
【読み方】 ぐらつぃあじけん

【詳細】

1600年に発生した事件。
夫である長岡・忠興会津征伐で留守にしている間に、石田・三成が忠興の妻である玉を人質にしようと大阪の屋敷に向かうも彼女がそれを拒否したため、翌日手勢で屋敷を囲い込み実力行使に打って出ようとする。
だが、捕まる前に玉は屋敷内の人間を全て外に出した後、長岡家家老が介錯し、屋敷に爆薬を仕掛け火をつけて自刃する。

要するに夫がいない間に敵が攻め込んできたため、妻が爆死したというもの。

この事件の発生は紛れもない日本であるが、グラツィアというカタカナが用いられているのは、長岡・玉の洗礼名である「Gratia」をローマやラテン語読みしたものが由来。
このグラツィアとはラテン語で恩寵・神の恵みの意味がある。
日本語的に発音するとガラシャになり、「細川ガラシャ」という名前で知っている人も多いのではないだろうか。

クリスティーナこと長岡・玉最期の事件であり、ネルトリンゲンの戦いと共に再現されることになっていた。
だが長岡忠興を襲名していた少年が、彼女を救いたいと願い、それを交渉カードと捉えた羽柴はこれを匂わせつつ、ネルトリンゲンの戦いへの武蔵の参加を求める。

この事件の歴史再現は完遂され、戦力的に大きく削られた状態での関東解放は困難…であったはずが、
関東解放は成し遂げられ、さらにはグラツィア事件で亡くなるはずの長岡・玉は救出、という羽柴勢にとって大きな痛手となってしまった。
ついでに大罪武装も奪還している。

ちなみに、夫である長岡忠興、史実の細川忠興はこの事件の際には不在であり、本来ならば長太は歴史再現に関われないのだが、
その場にいながら逃げ出したという稲富祐直の名を二重襲名することでこの問題をクリアしている。
普通に考えれば認められないようにも思うが、ある意味不名誉な名前であるため襲名希望者がいなかったのだろうか?
まあさすがに中等部の生徒が一大勢力である武蔵に助力を求めた上、武蔵がこれを承諾、六護式仏蘭西の助けを得た上で関東開放しさらに爆死の再現を未然に防ぐ…
という流れになるのは如何なる人間でも無理だろう。

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最終更新:2017年10月19日 02:59