アットウィキロゴ

世界で一番、近くにいるのに/牙真SS(3)


其の十一『蟲サムライ』

 蒼牙の斬撃が俺の左肩から入り、右脇腹に抜けた。
同時に、俺の剣先も蒼牙の左胸を貫いていた。
残された体力のすべてを振り絞り、
蒼牙の胸に突き立ったままの刀身に全身全霊の“気”を叩き込む。
「…甘利(あまり)流操気術・奥の伝“逆津波(さかつなみ)”」
 全身の孔(あな)という孔から鮮血を噴き散らせ、
かつて兄と呼んだ男は、俺の眼前で物言わぬ骸(むくろ)へと化していった。


 全身を駆け回る耐えがたい怖気(おぞけ)に、否応もなく目を醒ました。
急な覚醒に朦朧とする意識の中、この痛みとも痒みとも違う
――できうる限り柔らかな物言いをすれば“異物感”が、
叶うことなら悪夢の続きであって欲しい。
サムライ打ちの激痛にも耐え切った俺ですら、そう思わずにはいられなかった。

 しかし、それは紛れもなく現実の感覚であるようだ。
意を決して視線を向けた先には…
思わず目を背けたくなるような凄絶な光景が広がっていた。
 右肩から左脇腹にかけて、おそらくは内腑にまで達していたであろう刀傷が
ぱっくりと口をあけている。
そして、その傷口にびっしりと張り付き、蠢(うごめ)いている無数の“蛆(うじ)”。
 悲鳴を上げるという失態を演じずに済んだのは、その“蛆”に酷似した怪虫に
見覚えがあったという、その一点に尽きる。
「再生…蟲…?」
「き、気がつかれたのですか、牙真様!」
 顔を上げると、そこには黄色い乱杭歯を剥き出しにして笑う、異相の男。
「あぁ、良かった。私はもう、このまま目を醒まされないものと……」
「お前は…有馬利平、だったか」

 数年前のこと。
徒党を組んだ賊に殺されかかっていたところを、助けた記憶がある。
数か所の深手を受けていた有馬だったが、その傷に体内から湧き出してきた蟲が取りつき、
見る間に復元していく様に度肝を抜かれたものだった。
 恐らくは、あの時の恩を返すべく
「蟲使い」の業(わざ)と叡智を注ぎ込んで、朽ちかけた俺の命を繋ぎ止めてくれたのだろう。
 だが、その好意を嬉しく思うよりも、
「余計なことをしてくれた」としか感じられない自分が、この上なく嫌になる。
「ひどく痛むとは思いますが、今しばらく辛抱してください」
 苦渋にゆがんだ俺の顔を、痛みに耐えかねているととったものか、
有馬が心配そうに声をかけてくる。
「いや、大丈夫だ。…手間をかけさせたな」
「そ、そんな、私などには勿体ないお言葉です。
 それに……牙真様には、むしろお詫びしなければならないことが」
「なんだ?」
「牙真様のお体は、即死されなかったのが不思議なほどの傷を受けていました。
 その場で、ひとまず使えるだけの再生蟲を投与したのですが、それではまるで足りず…
 やむを得ず、牙真様の体内に蟲巣を作らせていただきました」
 なるほど、つまり
「俺も“蟲飼い”になった、ということか」
「…はい。
 申し開きをするつもりは毛頭御座いません。
 お体が快癒した暁には、この首を刎ねていただく所存です」
 地に両手をつき、平身低頭する有馬。
「気に病むことなない、有馬。
 そうでなくても、俺はすでにサムライを打った身。人であって人でない者だ。
 今更、そこに蟲が入ったところで、何ほどのことがある?」
「し、しかし…」
「蟲など、かわいいものだ。
 実の兄を手にかけた、この人でなしよりは、ずっとな」

 傷口で盛んに“活動”を続ける再生蟲への怖気も、
この手に残って消えない蒼牙の胸板を貫いた感触も、
自身への罰と思えば、そう耐えがたい事ではなかった。
ただ、俺が好意を寄せたばかりに、せっかく手に入れた安息を無惨にも奪われた
琴音に対する慙愧(ざんき)の念だけが、どうしようもなく俺の心を苛んでいた。



其の十二『過去の追走』

 諏訪の国へと向かい、街道を歩いていた。
かつて自身が一軍を率い、攻め滅ぼそうとした国。
そこになら、こんな首でも欲しがる男がいるかもしれない。
…ただ、それだけの理由だった。

 一昼夜歩き続けたせいで、喉がひどく渇いていた。
行く手に見つけた茶屋の暖簾をくぐり、手近の給仕を呼ぶ。
「お待たせいたしました。何をお持ちいた…しましょう…か?」
「すまんが茶を一杯、それと…」
 小走りでやってきた給仕娘が、不自然にどもりながら注文を聞いてきた。
それに答えようと顔を上げた俺は、そこに見知った顔を見つけて唖然とする。
「…こ、琴……!?」
「牙真、さま!?」
「ひ、人違いであろう!
 ちと急ぎの用を思い出したゆえ、失礼つかまつる」

 なぜ、ここに琴音がいる!? 
もう、二度と顔を合わせることもあるまいと思っていた。
その資格が自分にはなかった。
だから、今の俺にできるのは、ただ、この場から一刻でも早く立ち去ることだけだった。
「牙真さま、お待ちになってください! どうか!!」
 追いすがる琴音の声を背中に受けながら、俺は残酷過ぎる運命を呪った。
叶うならば、この胸の内にある悔悟を解き放ってしまいたい。
そうすることで、すべてを二人で分け合うことができたなら、どんなに楽だろう。
 しかし、それはできぬ相談だった。
俺の罪なのだ。俺だけが知っていれば、それでいい。
俺は足を早め、他ならぬ自身の未練を振り切ろうとした。だが…
「牙真さま! 私には、あなたのお話を…事の顛末をお聞きする権利があります。
 お願いします。お願い…ですから!!」
 半ば悲鳴となった琴音の言葉に、俺の足は否応もなく止められてしまうのだった。



其の十三『流れゆくもの』

「そう…だったのですか」
 店主に時間をもらい、私たちは近くを流れる小川にやって来ていました。
ちろちろと陽光を煌めかせる川面を眺めやりながら、
牙真さんは、すべての出来事を話して聞かせてくださいました。
「実のお兄様を、お討ちになったのですね…」
「しょせん身内の不始末だ。俺のことは、いい。
 だが、何よりも俺自身を許せんのは…!」
「則伴さまの事、ですか」
 たった一人きりの肉親を斬らねばならなかった。その胸中は如何ばかりだったでしょう。
私などには推し量ることも憚られるような苦しみを味わったはずなのに、
それでも牙真さんの心は、私への罪悪感に向けられているのでした。
「仇は取った。だが、事の元凶はあくまでも俺なのだ。
 何とでも罵ってくれ。…いや、いっそのこと、お前の手で……」
「お断りいたします」
 それ以上の言葉を言わせないため、私はきっぱりと、牙真さんの言い分を撥ねつけました。

「な、なぜだ?」
 弾かれたように顔を上げた牙真さんの顔には、深い苦悩が滲んでいました。
「牙真さまはもう、充分に罰を受けられたではありませんか。
 狂気に魅入られた蒼牙様に斬られ、それでも肉親の過ちを正すためにサムライをその身に打ち、
 再度立ち合って半ば相打ちとなりつつも蒼牙様をお討ちになり…
 そして、生死の狭間を漂われていたところを蟲の再生力によって辛うじて取り留められた。
 …そのすべてが、地獄のような苦しみの中にあったのではないのですか?」
「間違いではない。この三月(みつき)、心が擦り切れるかのような時を過ごした。
 だが、すべては俺の…俺自身の為にやった事だ。
 琴音、お前への償いにはならぬ」

 変わっていない。
身も心も如何に傷だらけになろうと、この人は何一つ、変わってはいない。
亡くなった主人に申し訳が立たないとは思いつつ、
心の中で、私はきっと…喜んでいたのだと思います。
「…それでも、もう受け過ぎるくらいの責めを、牙真さまは受けられました。
 その上で、まだ私からの責めを求められると仰るのであれば、
 ひとつだけ、お願いしたいことがあります」
「な、なんだ? 何なりと言ってくれ。
 例えこの命に代えようとも、誓って果たさずにおくものか」
 私は静かに、少しだけ大きくなり始めた自分の腹部に手をやり、
真っ直ぐに牙真さんの瞳を見つめながら申し上げました。
「いずれ生まれてくる、この稚児(ややこ)の……名付け親になってください」



其の十四『崩壊の天地』


 何の前触れもなく、奴らは現われた。
町と言う町は灰燼と化し、
士族であるないに関わらず、奴らは手当たり次第の殺戮を行っていた。
 あの光の翼を持つ「化け物」と、その眷属どもによって
この天羅は今、危急存亡の秋(とき)を迎えているのだった。

 身重の琴音を気遣いながら山間(やまあい)の道を縫って進んでいくのは、
思っていたよりもずっと困難なことだった。
しかし今、ここを生き延びるために残された道は他にない。
「辛いか、琴音?」
「だ、大丈夫です。これくらい……あぅ!」
 足をもつれさせて転倒しかけた琴音を、慌てて助け起こす。
「…すまん、無理をさせてしまったようだ。ここで少し……ッ!!」 
 囲まれた。そう思った時には既に遅かった。
「化け物どもめ。俺に気配すら感じさせんとはな」

「うずくまって、じっとしていろ。この程度なら何とでもなる」
 こうなれば切り結んで活路を開くのみ。
俺は珠太刀を抜き放ちつつ、琴音を手近の岩陰に隠そうとした。
しかし、その手に予想外の抵抗を感じ、思わずそちらへと目を向ける。
「…牙真さん。あなた一人ならば、どうとでも斬り抜けられるはずです。
 私のことはもう……」
「お前の身は、お前だけのものではない。
 助かるなら三人、助からぬとしても、やはり三人。…それも良かろう」
「が、牙真さん…」
「琴音。たとえどんなに見苦しかろうと、俺は最後まで諦めぬ。
 …これから俺は人ではなくなるが、できれば、その姿は見ないでくれぬか」
 俺がサムライであることは琴音も先刻承知しているが、
悪鬼となった自分の姿を見せることが、この期に及んでも尚、
俺には耐えられぬ事のように思えた。
だが… 
「いいえ、すべてを見せていただきとう御座います。
 たとえ姿形が人のそれでなくなろうと、牙真さんは牙真さんです。
 もしも、ここで果てるのが運命(さだめ)だとしても、“私達”のために戦う牙真さんの姿を、
 私は、この目に焼き付けておきたいのです」
 はっきりと首を横に振り、屈託なく笑ってみせた彼女の瞳に、
俺は一点の曇りも見つけられなかった。



其の十五『新天地(テラ)へ…』

「信じられない…。
 本当に、一人でこれだけの“監視者”を斬り捨てたのですか、貴方は」
 危ういところを、意外な人物に助けられた。
気力体力のすべてを振り絞り、立っているのがやっとという状態ではあったが、
とにかく九死に一生を得ることができたようだ。
「北峰…と言ったか? あの時と言い、今回と言い、お前には世話になってばかりだ。
 礼を言わせてもらう」
「いえ、ただの巡り合わせですよ。どうかお気になさらず。
 …それよりも九衛さん。今、天羅がどのような状態にあるか、貴方は御存じですか」
「ゆえあって九衛の名は捨てた。牙真と呼んでくれ。
 全体としてどうなっているかなど知らぬが、
 少なくとも、この辺り一帯は“化け物”どもに包囲されつつあるようだな」
「どこも似たようなものです。
 私は明鏡ネットワークによって、なるべく最新の情報を手に入れようと動いてきましたが…
 率直に申し上げて……天羅は、そう遠くない未来に死の大地と化すでしょう」

 生まれ育った国が、俺たちの生きてきた“世界”がなくなる?
足元から大地が崩れていくような感覚に襲われ、俺は呆然と立ち尽くした。
「では北峰様、私たちは、これからどうすれば良いのですか?」
 こういう時は、むしろ女の方が強い。
本来ならば俺が問わねばならぬ事を、
琴音は口調こそ控えめながら、はっきりと口に出していた。
「琴音さん…でしたね? 
 お二人にとっては途方もない話になるとは思いますが、
 これから私が話す事を良く聞いてください」
 北峰は、俺たちの覚悟を確かめるように、少し間をおいてから話し始めた。
「私たちはこれから、テラの大陸へと移住します」


最終更新:2009年06月09日 01:54