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/Prologue


 常冬に閉ざされた森の中。一年を通して日照時間は極めて少なく、森に堆積した冠雪は決して融けることがないせいで、大地たる土壌は数百年に渡り日の目を見ていない。
 極寒の森に吹き荒ぶ吹雪は今なお轟々と嘶いて、顔を覗かせる常緑樹を白く染め上げていく。

 およそ人の寄り付かぬ僻地には、一つの城があった。古城と呼んで差し支えのない古めかしい城壁とは裏腹に、内装は権力を誇示するように豪奢な造りとなっている。明らかに人が住む為のものだった。

 人なき土地に座する古城。中世でもないこの御時世に城などというおよそ利便性を欠いたものに住み着くのは、物好きでなければ狂人の類だろう。そしてその解釈も強ち間違ってはいない。

 一千年。

 今では世界共通の暦である西暦にして、十世紀もの昔。この城に住み着いた者達は夢を見て、今なおその悲願を果たせず成就の時を焦がれている。
 幾度世代が入れ替わったか、幾度人が住み代わったか……今ではもう覚えている者さえもいない。

 唯一変わらないものがあるとすれば、この森を閉ざす根雪と彼らが原初に抱いた祈りの形だけである。

 そして今なお悲願の達成に囚われた狂人達は、迫る成就の時を前にある一つの儀式に興じていた。

 聖杯戦争。

 万物の奇跡を詰め込んだ聖なる杯を賭けて己が覇を競い合う魔術師同士の闘争。六十年の周期を経て間も無く顕現するその争いの大儀礼に臨む為に、彼らは参加条件たるサーヴァント召喚の儀を執り行っていた。

 とは言うものの、彼らはこれまで都合三度の大戦を経て、唯の一度の確たる勝利も得られなかった。
 一度目は誰が聖杯を得るに相応しいかを言い争い、ルールを敷く内に閉幕し、二度目は業として刻み込んだ魔術特性が戦闘向きではない事が災いし、三度目はいらぬ知恵を絞り他の参加者の裏を掻こうとした余りに自分達の首を絞める結果に終わった。

 よって此度の儀礼は都合四度目。彼らは過去の教訓から得た敗因を備に観測し、最早妄執と成り果てた宿願の達成に全霊を傾け、これまで純血を守り通してきた血統に部外者の血を招き入れた。

 近年魔術師の住まう界隈を騒がせている魔術師殺しの魔術使い。対魔術師戦のプロフェッショナルを己が血脈に組み込んで、更にコーンウォールより発掘させた聖遺物、ブリテンの赤き竜……アーサー・ペンドラゴンが所持していた聖剣の鞘を触媒にするという完璧な布陣を敷き詰めた。

 聖杯戦争はマスターとサーヴァントの二人一組で覇を競い合う。どちらが欠けても勝利はなく、またどちらかが劣れば敗退は必至。
 これまでの経験から導き出した厳選なる結果……対マスター用として対魔術師戦に特化した男をマスターに据え、七つ用意されるクラスの内最優と呼ばれるセイバーの座に騎士の王を据えるという、およそ考えられる限りの駒を配置した。

 この思惑が成れば、彼らの勝利は揺ぎ無いものとなる。何しろ負ける要素が何一つとして存在しないし、これで敗退するようであれば、彼らにもう聖杯を目指すだけの資格がないと叫ばれるようなものだ。

 故に磐石。一千年の果て、ようやく彼らが夢見たものは顕れる。ようやく悲願したものをこの手で掴み取れる。そう信じて疑わなかった彼らを襲う悲劇など、今はまだ誰一人として知る由もなかった。


/Summon Servant


 古城の一室には二人の男女の影。部屋の中央に簡易に敷かれた魔法陣の上には絢爛たる色彩を誇る聖剣の鞘が据え置かれ、その対面に男が立ち、女は事の成り行きを後方から見守っている。

 既に儀式は始まっているのか、荘厳な礼拝堂に木霊する男の声は酷く端然としている。起伏はないが力強く、一字一句を噛み締めるように口にしていく。
 眼前へと突き出された腕には十字架を模した赤い紋様が刻まれており、紡がれる詠唱に呼応してその輝きを増していた。

 聖杯によって招かれる賓客。世界を司る理の外に置かれた存在を、今一度この現世へと招来する大儀礼。
 本来魔術の範疇ではない現象を現実のものと昇華する卓絶した能力は、聖杯の奇跡の一端と呼んで差し支えはない。魔術師の力量ではなく、聖杯が此方と彼方を結び道と成し、魔術師は現界した英霊を繋ぎ止める楔であればいい。

 故に召喚陣もまた簡易なもので問題なく、門を開く資格たる令呪の保有者が定められた祝詞を謳い上げれば、サーヴァントは招かれ、その瞬間から生殺与奪を是とする殺戮ゲームのスタート地点に立つ事になる。

 口上は粛々として進められ、魔法陣を中心として吹き荒れるマナの嵐は視界さえも覆い尽くす。目も開けられない乱気流の中、男は確固として見開いた目で魔法陣の更に先──未だ開かれない門の向こう側を見据えている。

 男にはこれより開かれる闘争へ参加するだけの祈りがある。命を賭ける事さえ厭わない覚悟がある。
 多くを殺し、魔術師殺しなどという異名を取るまでになった煤けたロングコートを羽織るこの男の名は衛宮切嗣。

 まだ齢三十にも満たない男であったが、潜り抜けてきた修羅場のせいか、眉間には消えない皺が刻まれており、筋張った頬が実年齢より一層強張った顔つきを作り出している。

 その中でも最たるものは瞳だろう。鋭い鷹を思わせる双眸の中、瞳には絶望しか孕んでいないのではないか思うほどの黒く冷たい色が沈んでいる。
 ただその最奥、深い場所には消えない火が見え隠れしている。男の覚悟。決意を秘めた心を映し出す鏡面の如く。

 そんな瞳を微動だにさせないまま紡がれる呪。高く高く渦を逆巻くエーテルの奔流はやがて臨界点に到達する。男は突き出していた掌を固く握り締め、最後の一節を高らかに謳い上げた。

「────抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ……!」

 詠唱の完了と共に咲き乱れたエーテルは完全なまでに視界を白く染め上げ、これには切嗣も流石に直視してはいられなかった。
 一室を覆い尽くした白光はやがて消え去り、同時に解き放たれた魔力の嵐も収束する。

 なんとか半眼を開いたままだった切嗣の視界に徐々に光が戻ってくる。人工の明かりが僅かにだけ灯る室内は儀式を行う前と変わらないままに、ある一点、魔法陣の中央にだけ以前にはなかった存在を確かに感知した。

「────問おう」

 晴れた視界の先、魔法陣の中央には不遜に腕を組み切嗣を見据える人ならざる者の姿。開かれた口より零れた音に、切嗣は僅かに首を傾げそうになった。
 聞いたことがある気がした。その声を。声音ではなく、声質だとかそういうものでもないもっと根源的な部分……言うなれば在り方という曖昧なものが似ている気がした。

「さて────どちらが我がマスターかな?」

 ああ、この声を知っている。
 この声は、切嗣自身の声と似ているのだ。




 魔法陣の中央に現れた男の問いかけの最中、益体もない思考をしていた切嗣はすぐさま頭を切り替え、状況の観察に努めた。

 現れた男の風貌はおよそイメージしたものとは掛け離れていた。

 騎士の王を称するからには甲冑でも着込んでいるのかと思っていたら、真っ赤な外套を羽織っているのみ。その下に帷子のようなものは身に着けているようだが、騎士と言われて思い浮かぶような鎧ではない。

 他に見るべき点といえば、その特徴的な髪の色か。アーサー王がアルビノだったとは聞き及んでいないが、白……というよりは銀色がかった髪色をし、またアルビノとは思えない褐色の肌の色をしていた。

 いずれにせよ、外見はさしたる問題ではない。これで年端も行かぬ少女だったりすればまだ話は別だが、特に問題らしき問題は見当たらない。
 どちらかと言えば男の言に対する返答こそが急務だろう。この現状を見てどちらがマスターかと聞いたのは、男なりの冗句という事にしておきたい。

「僕が貴方のマスターだ。お会い出来て光栄だよ、アーサー王」

 特に礼らしい礼を取る態度は見せなかったが、切嗣は告げて一歩前に歩み出た。
 サーヴァントとは、人の形をした兵器だ。いかに名を馳せた英霊であっても兵器に敬意を払う者などいないし、ただその戦力をいかに運用し切るかだけを念頭に置いて行動すればいい。

 最低限のコミュニケーションは取る必要性はあるが、要らぬ干渉は不要。最初にすべきはマスターとサーヴァントの立ち位置を明確にしておくこと、そしてその戦力の正しい把握だけだ。

 切嗣の名乗りを受けてなお男は組んだ腕を解こうとはせず、じっとりと睨めつけるように凝視する。

「アー……サー……?」

 そしてその小さな呟きを耳聡く聞き取った切嗣が怪訝に思うのとほぼ同時に、男は口端を笑いの形に歪めた。

「……ふむ。確かに貴方から魔力の供給を感じ取れる。その腕にある令呪もまた我がマスターである証。
 いいだろう、貴方を私のマスターと認めよう。ではいきなりで悪いのだが。マスター、二つ残念な報せがある」

 切嗣がより懐疑を深くし、事の成り行きを見守っていたアイリスフィールもまた小首を傾げた後に告げられた言葉。

「私はアーサー王などではない。そして彼の騎士王の召喚を試みたのだとすれば、欲したクラスはセイバーと見受けるが、生憎と私はセイバーでもない。
 この身は弓兵────狙撃を得手とするアーチャーのサーヴァントだ」

 およそ誰もが騎士王の降臨を信じて疑わなかったからこそ、男の宣告は彼らの度肝を抜いた。
 望んだものとはまるで違う従者。真名もクラスも異なる英霊。けれどもう取り替えようなどないこのアーチャーこそが、衛宮切嗣と共に戦場を馳せるサーヴァントだった。


/Strategy


 召喚されたサーヴァント……アーチャーの述べた宣告は瞬く間に城中に伝播し、期待を胸に抱いていた狂信者にこの上ない落胆の影を落とした。
 それこそ本来ならば歓喜の渦に巻かれる筈だった城内は、一日を経た現在どうしようもなく暗い影に覆われていた。

 頭首であるユーブスタクハイトもまた、万全を期し臨んだ召喚の儀がよもやこのような結果を招くとは想像もしていなかったのか、部屋に閉じ篭り誰とも顔を合わせようとはしなかった。

 切嗣の脳裏には彼の翁の驚愕の顔が貼り付いて拭えない。自らが招き入れた外部の血である切嗣を前にしてもまるで揺らぎらしい揺らぎを見せなかった彼が見せた表情は、彼らが祈りの深遠さを物語って余りあった。

 さりとて、切嗣はさして驚きを見せた様子はなかった。いや、最初の瞬間こそは目を見開き思考が真っ白になったと告白するが、今なお悲嘆に暮れる翁達よりは前向きな考えをしているという自負はある。

 切嗣にとってサーヴァントは道具に過ぎない。感情を挟み込む余地はないし、所詮は駒の一つ。戦術を構成する上での核であれど、戦略までは覆せない。
 要は与えられた駒の内で戦い抜けばいいだけの話。あのアーチャーが現段階でアーサー王に劣るという証明はないし、仮にもし明らかに劣るとしても、当てが外れたのなら外れたなりに新しい戦略を組めばいい。

 武装の優劣が戦場で勝敗を決定付ける要因ではない。無論占めるウェイトは大きいが、運用次第で幾らでも化けてくれる。
 特に切嗣はそんな戦場を幾つも越えてきた。圧倒的に武力で勝る猛者相手にも、必ず付け入る隙はある。数少ない兵装を遣り繰りしての局地戦は、むしろ切嗣の独壇場とも言えるだろう。

 時間は有限であり、手駒は既に配置された。後は少ないながらに得られた敵戦力の情報を分析し、盤上の駒をいかに巧く使い勝利を手にするか……あのサーヴァントをいかに巧く使い切るかという事柄だけを考えていれば良かった。

 但し、切嗣のその思惑さえも裏切る現状こそが、彼が頭を悩ませる原因だったのだが。

「一体どうなっている。召喚に粗は見当たらなかったし、パスもちゃんと開いている。なのに、あのサーヴァント……アーチャーめ、よりにも拠って記憶がない……だと」

 城内の一室で戦場たる冬木の見取り図をテーブルの上に広げていた切嗣が苦渋も露に呟きを漏らした。
 正しく切嗣を迷走させる要因は、アーチャーの身に起こっている記憶障害。召喚の際に何らかの不備が働いたのか、単なる事故に拠るものかは判然としなかったが確かにあの男は口にしたのだ。

 ────己の名を思い出せない、と。

 契約の成就の後に取り交わされた彼らのやり取りには互いの名の交換も含まれる。特に目当てとしていたアーサー王ではないサーヴァントを引き当ててしまった切嗣にとってアーチャーの真名を知る事は必要不可欠なものだった。

 名を知ればその英雄の歴史的背景、いつの時代の人物か、どのような武具を用い戦い抜いたのか、如何なる死因によって生に決着を見たか等々、様々な情報を検索できる。
 特に現代は目覚しい電気機器の発達により前時代に比べれば容易に情報を得る事が可能になっている。民衆に浸透するには後数年必要だろうが、切嗣は既に最高峰の情報機器を仕入れ運用していた。

 だが、そもそもの名を思い出せないとあってはそんな現代情報戦の核も全く意味を成さない。敵を知るより以前に味方の情報すら得られないとあっては、前途多難どころの話ではなかった。

「聖剣の鞘を触媒にして召喚を行ったんだから、アーサー王に縁のある騎士であることは間違いないでしょう? その中で弓を主武装とした騎士を探し出せば彼の真名も分かるんじゃないかしら」

 同じ室内にいたアイリスフィールが呟いた。夫の苦々しい表情を見ていられなくなったのだろう。

「ありがとう、アイリ。その視点からの検索も試みては見たんだけどね。本人に一切の記憶がないのなら、それも然して意味を成さないんだ。
 たとえ近しい身体的特徴を持つ者を見つけたからといって、鵜呑みにするわけにはいかない。確たる情報もなく戦略を構築し、いざ実行の段になって違いましたじゃ話にならないだろう?
 だから僕が欲しいのは、絶対的な証明だ。あの男と歴史上の人物とを完全に一致させる情報。それがなければ、どんな精緻な近似であっても意味がない」

 妻の心配は有り難かったが、切嗣は苛立ちを隠せない己に辟易しながらも事実だけを述べた。小さく溜め息を零し、アイリスフィールに向けていた視線を虚空に向けて、魔術師殺しは怜悧に声を発した。

「で、どうなんだアーチャー。おまえには本当に記憶がないのか?」

 何もない空間が揺らめいて赤い外套が実体を帯びていく。召喚の時と同じく不遜な態度を崩さないサーヴァントは、主の懐疑的な問いにさらりと答えた。

「ああ、私には己の名どころかその宝具さえも思い出せない。こうして口にするのは憚られるが……原因は自分でも分からない。
 マスターの問いに答えられないのは心苦しくはあるが、ないものは吐き出しようがない」

 どこか咎の露見した子供のようにそっぽを向いて呟かれた言葉に、しかし切嗣はなお猜疑を強めていく。
 この男は何かをまだ隠しているのではないか、マスターにさえ話せない裏があるのではないか、あるいは記憶がないというのは真実なのか……

 右手の甲に刻まれた令呪が疼く。使うか、強制権を。絶対遵守の法で括られた令呪の命令にはサーヴァントである限り決して抗えない。
 洗い浚い全てを話せ。そう命令を下せば少なくともこの胸に蟠る苛立ちは払拭される。但し対価は恐ろしく高く付き、嘘を吐いていなかったのなら徒労に終わり、更に今後の戦略に漣を起こしかねない。

「…………」

 ……ダメだ。令呪は使えない。少なくとも今はまだ。

 聖杯戦争が他の闘争と異なる最大の要因はサーヴァントの存在だ。世に祀られた英雄、名を馳せて召し抱えられた風雲児達を幽玄の彼方より現世へと喚び戻して使役するという、およそ魔術師の範疇外の召喚行使。

 本来ならばただのヒトでしかない魔術師達にサーヴァントは従わない。自らよりも劣ると承知する者に心魂から仕えたいと望む者などそうはいないだろう。
 しかしそんな不条理を確約する証が令呪。聖杯戦争参戦の必須条件にしてマスター達の誰しもが有する強制権。三度しか行えない、絶対遵守の戒めなのだ。

 この束縛がある限り、サーヴァントはマスターに反旗を翻せない。サーヴァントが世に招かれるのもまたそれぞれが聖杯という奇跡に託す祈りを持つが故であり、成就の為には易々と召喚者を切る事など出来はしない。

 要はマスター側に有利な条件で強制的に組まれた同盟関係が主従の在り方であり、従者側にも望むものがあるからこそ対価として己の武勇の全てを賭けてマスターを守護し聖杯の頂へと駆け上る。
 利害の一致と言ってしまえばそれまでだが、マスターとサーヴァントの関係を端的に表す上でこれ以上の言葉も他にないだろう。

 しかし、切嗣にとってはその関係さえも危ういものと化している。サーヴァント側から差し出される筈の戦闘能力が、致命的なまでに欠落している。
 せめて宝具の能力だけでも分かれば幾らかの案を立て易くもなるのだが、如何せん思い出せないと言われてしまっては八方塞もいいところだった。

 ならば現状、切嗣が組める戦略は待ちの一手。何を拍子として戻るか分からない記憶であるのなら、戻るその時までを安寧に身を埋めて待てばいい。他の六名が凄惨な殺し合いに興じる傍らで、膝を抱えて震え続けるのが上策だ。

「……そんなこと、出来るか」

 そう、出来ない。蠱毒の中で互いの尾を噛み合うバトルロイヤルの形式を取るのは、確たる理由があるからだ。
 聖杯の選別。聖杯の所有者を決定付ける闘争であるのなら、たとえ最後の決戦の時まで身を隠し続けたとしても聖杯は恐らくそんな臆病風に吹かれた輩を己の所有者とは認めないだろう。

 確実に聖杯を掴み取る為には証明しなければならない。我こそが聖杯を担うに相応しき者であると。ただ我一人こそが奇跡の縁に侍る者であると。そしてその証左となるものが闘争による覇者足らんとする強き心であろう。

 そんな表向きの建前を並べてみても、切嗣にとってやるべきことは変わらない。

 これまでの生き方は最早変えることなど出来はしない。敵と認めた者達は速やかに自らの手で間引き、容赦の欠片もなく亡骸を打ち捨て次なる獲物を狩りに行く。
 誰かがやるから己は手を汚さない……そんな自らの奉ずる信念の対極にある行動など、甚だ思慮の外にあるものだった。

 これより行われる闘争は世界にとって最後の流血。優しい世界を前に掌を汚すのは衛宮切嗣唯一人でいい。
 無論、使える“道具”は余さず使うつもりではあるのだが。

 しかし、待つ事も戦略上必要不可欠な要因である事は認めるところだ。ただ、待てば回復するかもしれないという程度でアーチャーの為に穴熊を決め込むのもまた早計。
 ならばいっそのこと本当に記憶がないのか、戦闘方法を覚えていないのか、鎌をかけてみるのも悪くはない……

「何を思い悩む必要がある」

 切嗣が思索の渦に囚われている間にアーチャーが切嗣の広げた見取り図に視線を落としながら厳かに呟いた。
 原因である者が何を言うかと吐き捨てたかった切嗣であったが、なんとか堪えて続きを待った。

「見たところ、マスターの戦略とは正面切っての闘争に比重を置いたものではないと見受けるが、如何に」

 テーブル上の見取り図にはペンで書き込まれた点と円が幾つも描かれている。
 それらは既に現地に飛んでいる舞弥からの情報と切嗣が見取り図より把握した情報を照らし合わせて集計した、戦場になると思われる場所とその地点を狙い撃てる狙撃ポイントの走り書きであった。

 ついと滑らせた程度で書き込まれたものが何であるかを理解したアーチャーは、切嗣の返答を静かに待った。

「ああ、そうだ。僕が得意とするのは暗殺だ。血生臭い闘争を是とする愚者達が覇を競い合う戦場の片隅から、一撃でその命を奪い取る戦術こそが僕……魔術師殺しなどと謳う者もいるが、衛宮切嗣の戦闘術だ」

 最小の労力で、最大の効果を上げる戦闘術。被害は最小限に抑え最大規模の救済を形と成す。それが衛宮切嗣の体現する戦闘技術だ。
 殺された者は撃たれる瞬間まで己が狙われているのだと気付けず朽ち果て、気付いた時には全てが遅すぎる。

 その腕前を買われ、切嗣はアインツベルンに招かれた。
 バトルロイヤルという形式は決して切嗣に良い方向に作用するものではなかったが、やり方次第で幾らでも対処は出来る。
 やはり問題があるとすれば、アーチャーの能力面での不安要素なのだが。

「ならばそれで組めばいい。私も弓兵というクラス上、そういう戦い方は心得ている。むしろマスターより遠距離からサーヴァントの心臓を射抜くことさえ可能だろう。
 要は標的が違うだけ。マスターは敵魔術師の心臓を射抜き、私は敵サーヴァントの心臓を射抜く。一撃必殺を是とする戦法は、中々にスマートだ」

 笑みさえも浮かべて饒舌に語られたアーチャーの言には、さしもの切嗣であっても虚を衝かれた。そしてすぐさま剣呑足る表情を湛え、感情の起伏なく宣告した。

「いいだろう。おまえの戦力はまだ未確認だが、出来るというのならやって見せろ。口にした以上は必ず形にして貰うぞ」

「無論だ。マスターの意にそぐわない結果しか残せなかったのならば、その手にある令呪で如何なる強権を発せられたところで甘んじて受け入れよう。
 但し、これだけは言わせて貰う。私はマスターが召喚したサーヴァントだ。これが最強ではない筈がない。アーサー王を所望だったようだが、必ずや後悔させて見せよう。私で良かった、とな」

 憚る事無く言ってのけられた大言に成り行きを見守る他なかったアイリスフィールが笑いを零した。
 彼女の印象ではアーチャーはもっと大人びた性格だったのだが、どうやら違うらしい。子供のように目を輝かせて夢想を謳うこの男に、今は少し微笑ましささえ感じてしまう。

 もし自分達の間に男子がもうけられていたのなら、きっとこんな光景は日常茶飯事だったのかもしれない。
 そう思うと余計に笑いが込み上げ、可憐な音が室内で木霊し続けた。

「む……何かな、アイリスフィール。何か私に失言でもあっただろうか」

「ううん、ごめんなさい。私、ちょっと貴方のこと誤解してたみたい。今の貴方なら、私好きになれそうよ」

 そんな事を言われたところで釈然としないアーチャーは口をへの字に曲げて押し黙る。アイリスフィールは遂に涙まで浮かべて笑い出した。

「……ともかく」

 何故か一転、和やかなムードに成り掛けた室内に切嗣は押し殺した声音でそう告げて、まだ笑いが収まらない様子のアイリスフィールには一瞥もくれずにアーチャーだけを睨めつけた。

「おまえの大言はこの際どうでもいい。だが聞き逃せない言葉があったのも事実だ。そこまでの言葉を吐けると言うことは、何らかの記憶を思い出した筈だろう。
 吐いて貰うぞ。少なくとも狙撃に関する面での情報は、一切の嘘を許さない」

 鎌をかけるまでもなく吐露された言葉に、有無を言わせない強い音と響きを伴わせて切嗣は返答した。これで多少なりとも有益な情報を引き出せればいいが。
 ……何れにせよまだこのサーヴァントは隠しているものがある、と表情に出さず切嗣は胸の奥に仕舞い込んだ。

「承知した。私も見縊られたままでは釈然としないものがある。基本的に戦略面での口出しは避けようと思っていたのだが、考えを改めよう。
 必要とあらばマスターの命にさえ否と応えさせてもらう」

「構わない。僕は僕の判断で最善とする行動を取り続けるだけだ。仮にもしおまえの判断の方が正しいと感じたのなら、僕は甘んじてその泥を啜る覚悟があるのだから」

 そうして二人はどこか噛み合わないままの歯車をそのままに、迫る開幕の時に向けて粛々と準備を進めていく。
 魔術師殺しのマスターと、得体の知れないサーヴァント。二人の闘争は間もなく開かれようとしていた。
最終更新:2010年07月10日 10:11
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