/the Outbreak of War
今回の聖杯戦争において、その男は槍兵のクラスにて現界した。
精悍なる貌に灯る魅惑の証。物腰からも充分に騎士としての誇りを滲ませる男の両の手に担うは槍。己の信念を体現する螺旋の槍だ。
生前果たせなかった無念を抱き、もし二度目の生というものがあるのなら、今代こそは心に残した忠誠を尽くしたい……その一念だけを胸にランサーのサーヴァントは現世へと降り立った。
総身を覆う膨大な魔力量は主が優秀な魔術師である証拠。召喚の儀より取り交わした言葉も一つや二つではなく、僅かながらに召喚者の人となりを見て取ったランサーはその者を仕えるべき主と断じた。
否、聖杯の縛りが存在する限り、たとえ叛意を抱いたところで意味もない。もしこれが外道の類であったのなら騎士道を重んじる己が信念を以って忠を討つ覚悟さえも担っていたのだが、彼の危惧は霧散した。
────この者は我が忠誠を尽くすに足る人物であると。
戦地となる冬木市に入り、拠点と定めたホテルの最上階にて彼の主は宣誓した。
『ランサー。おまえの実力を我が下に示せ』
それはマスターであるならば当然に求める証明だろう。マスターの力量がいかに優れていようとも、サーヴァントが取るに足らないものであるなら他のマスターは脅威に思う事は有り得ない。
故に彼のマスターは証明を欲した。自らのサーヴァントの実力を。共に戦い抜くに足る者であるかを試す主より賜れた試練である。
ランサーにとっても願ってもないことだった。彼には自負がある。数多の英傑達と覇を競い合ってなお勝利を手にするという自負が。
生前彼が所属した騎士団にあって、誉れある一番槍を得た彼にとって、誇りとは同僚達の期待をも巻き込んだ輝ける結晶だ。
しかし、今の彼にとっては英雄などと持て囃された過去は関係ない。これより尽くす主の為だけに彼は両手に槍を担う。
奪い取る首級は全て主に捧げ、自らに還る栄誉は一つとして必要なかった。
ただ、この忠節を最後の時──聖杯を手に掴む瞬間まで尽くし続けられるのなら、それで本望だった。
命を受けたその足で彼は戦場となる冬木を馳せる。闘争の気配を撒き散らし、挑みかかって来る猛者を待つ。
その必然性については語るまでもないだろう。ランサーが望む緒戦の相手は正面切っての戦闘を是とする者がいい。強さの証明には己に勝る猛者をこそ求めた。
陰から隙を窺うアサシンでは相手にならない。権謀術数を得意とするキャスターは些か毛色が異なる。
そう──彼が求め欲しているのはセイバーのサーヴァント。最優と謳われ、過去の聖杯戦争においても格段の実力を備えたクラスが相手ならば、ランサーもまた全力で以って手合いに臨み、マスターにも絶対的な証明を衝き付ける事が可能である。
市中にあって殺意と敵意を所構わず振り撒いて存分に自らの存在をアピールする。
この段階で幾人のサーヴァントが世に現界しているかは不明だったが、少なくとも既にサーヴァントを手に入れたマスターならば互いの情報を少しでも多く得ようと奔走している筈だ。
ならば今こうして明らかな罠を仕掛けているランサーの行動も聡明な魔術師達ならば逸早く感付き周囲より窺っているだろう。
このランサーの行動を勇敢と取るか無謀と取るかは五分といったところだが、現に彼もまた周囲に気配を感じている。確実にいる。自らと存在を同じくした者。世の理より外れた招かれざる賓客が。
しかし終ぞ彼の誘いに乗ってくる者はなく、夕闇と夜闇の狭間においてなお彼は好敵手と巡り会えずにいた。
このまま何の成果も挙げずに帰還する事など出来ようか。ランサーの勇姿をじかに見ようと彼のマスターもまた長い時間を共に市井に身を埋めながら監督していた筈だ。
ただの徒労。時間の浪費。無為な行動。そう断じられるのだけは何としても避けなければならない。であるからして、ランサーは近場に身を潜めているであろう主に向けて念話を飛ばし、ある一つの提案を持ち掛けた。
冬木大橋を挟んだ新都方面の河岸にて足を止めたランサーは周囲を睥睨する。整地された路面と程よい広さ、そして人の気配のない此処ならばと当たりをつけて、マスターに再度念話を送った。
すぐさま辺りの気配が一変する。疎らとはいえあった人の姿が漣の如く引いていく。ものの数分もすればランサーの周囲数百メートルから人影は全て消え去った。
主の展開した人払いの結界の効果を確認し終えた後、これまで霊体であった肉体を実体へと変態させる。
こうなればサーヴァントも人と比べて遜色のない感覚を手に入れられる。夜気を孕んだ凍える風が総身に心地よい。ランサーの心は既に熱く燃え滾っている。生半可な風ではこの熱を奪い去る事など出来はしないだろう。
万端の準備が整った事を確認した後、ランサーは手にした双槍の赤い方を深く大地に突き立て、黄色い方は強く握り締め天高く掲げた。
「我はランサー、今代の聖杯戦争において槍兵のクラスに招かれし者なり! 同じく世に祀られる英傑どもよ! 俺は逃げも隠れもしない、その身の誇りを是とせんならば、我が前にその姿を現すがいいッ!!」
高く風に晒される黄槍に幾重にも巻きつけられた呪布がはためく。さながら錦の御旗であるかのように、天高く掲げられた。
つまるところランサーの行動は全てにおいて挑発だ。わざわざ戦場を整え中心にて吼え上げる行為。ランサーの存在に感付きながらも静観を決め込んでいるサーヴァント連中に対する宣戦布告。
この宣告を耳にしてなお姿を現さないのであれば、怖気づいた腑抜けの罵りさえも受けかねぬものと知れと。
そして自らに誇りを負う者ならば、必ずや姿を現すものと期待してランサーは声高に獅子吼した。
自らの信念である槍を掲げたまま一分弱。一向に姿を現さない他のサーヴァントには落胆を禁じえなかった。この戦いに招かれた英雄豪傑はこの程度なのか。自らの能力の露見に慎重になり、誇りを重んじる心さえ忘却した矮小なる者しかいないのかと。
ならば是非もない。ランサーが槍を振るうに値しない敵しかいないのであれば、仕方がない。マスターとてこの光景は見ている筈だ。言い訳は立つ。
溜め息と共に掲げた槍を下ろそうとしたその時──ランサーは耳聡く具足の打ち鳴らす金属音を聞き取った。
「居てくれたか、我が誇りに応えてくれる強き者が」
安堵とも猛りとも知れぬ高揚感が胸を打つ中、ランサーは視線を滑らせた。河岸より現れたかのような立ち位置にある黒き騎士。一切の隙間のない全身鎧に身を包んだ得体の知れない、けれど明らかなサーヴァントの姿。
眼前の騎士は禍々しい鎧に身を包みながら、その深部より流れ出る気配は清廉にして高潔なるものだ。あるいは、その澄み渡る気を抑え付ける為に漆黒の甲冑を身に着けているのではないかと愚考するほどであった。
「問おう。汝は我が祈りに応える者か」
黄槍だけを担ったままに対峙するランサーの問いに、黒い騎士は頷きで応える。
「騎士なる誇りこそ我が誉れ。逸した誓いを取り戻す為に、貴方の宣告は聞き流せずこうして姿を現した。
────尋常なる勝負こそを私は望む」
「願ってもない。名乗り合う事さえ許されぬ身ではあるが、我らが得物が口辺に成り代わりてなお雄弁に語ろう。
ランサーが閃槍、その身で喰らう覚悟あれ」
突き刺したままだった赤槍を手に取り、両手にそれぞれの槍を担う異彩を放つ構え。翼を広げた怪鳥を思わせる雄大さで、ランサーは燃え滾らせた戦意の一切を隠しもせずに一帯に放つ。
「受けよう。ならば我が剣の冴え、篤とご覧あれ」
腰元より引き抜かれる怜悧な剣。ランサーの検分ではさして魔力もなく格も低い剣と見て取ったが、何も武装だけが全てではない。
手を合わせれば全てが白日の下に晒されるだろう。何処かから観戦している主の為に、双槍の槍兵は高鳴る胸をなお熱くしながら、踏み締める足に一層の力を込めた。
「────いざッ!」
早くも切って落とされた戦端。
前回より半世紀を越えて、第四次聖杯戦争の第一戦がこうして幕を開けた。
◇
流麗なる槍閃。稲妻を連想させる鋭利な刃が風となって吹き荒れる。濃紺の鎧を纏った痩躯の男より迸る槍衾は、並の人間であれば跡形もなく消し去るだけの力強さと速度を以って放たれる。
両手に槍を担うという、およそ戦法としては考え辛い戦闘技術を習得した稀代の槍兵のサーヴァントは、舞うように赤と黄の稲妻を穿孔と繰り出し、比類なき俊敏さで眼前の敵を追い詰めていた。
しかし対峙する相手もまた世の理の外側に在る者。視認すら難しい槍穿をただの一刀で以って防ぎ切る。手数で劣り、およそ宝具の質を鑑みても槍兵に分があると思われる決戦にあって、男は何処までも華麗に、巧みに、鮮やかに剣舞を披露する。
追い詰めている、というのは正しく語弊であろう。剣を手にする男は決して追い込まれてなどいない。傍から見る限りは圧倒的な防戦を余儀なくされているが、その実焦りを感じているのはランサーの方だった。
攻めに攻め立てているというのに、ただの一撃さえ致命傷を与えられていない。加減などしていない。容赦など以っての外。今代にて忠誠を誓った主の為、痩躯の槍兵は渾身を以って戦いに臨んだ次第である。
だというのに、今目の前にいる敵は一体どれほどの兵か。ランサーにしてみてもこのような戦は初めてと言わざるを得なかった。もっと苦戦を強いられた戦いは幾つもあったし、白熱を極めた闘争も数多く乗り越えてきた。
けれど今対峙する敵兵はそのどれにも該当しない神秘的な強さがある。必殺で打ち込まれた一閃を風と躱し、次いで薙ぎと払った一撃は水と流され、双槍を以って突き出した連撃さえも、彼の剣の冴えの前にはまるで通用しなかった。
────強い。それも圧倒的なまでに。
そう断じる他ないと腹を決めたランサーは、死地の只中にあって笑みを零した。
理解はしている。この闘争は己の栄誉の為ではなく、忠誠を誓いし主の為だけのものであると。しかし、これほどの強き者を前にしてどうして冷静でいられようか。どうして悲嘆などに暮れようか。
「ははっ。強い、強いな貴様! 我が双槍を前にして一瞬さえも逡巡の様子を見せないとは恐れ入る」
一度後退し再度翼をはためかせた姿勢で、距離を置いた先に息の一つの切らさずに佇む漆黒の騎士に賞賛の言葉を送る。
「いや、そうでもない。面妖な槍捌きではあるが、双方に虚も実もなければ対処は易い。
むしろその胆力こそを賞賛しよう。私にはとても、片腕でそれほどの槍を担う自信などないよ」
互いに健闘を称えたところでランサーが赤い方の槍を一薙ぎにする。
「フン、貴様ほどの実力者からの賛辞とあらば素直に受け取っておきたいところだが、手の内を隠しあったままの戦では存分に満たされまい。
…………そろそろ手札を切る頃合と見るが、いかに?」
果たしてその問いかけは誰に対してのものだったのか。強い風の中に晒され棚引く呪布が解放の時を焦がれていた。
探り合いでの戦闘とはいえ、これほどの実力者が相手とあればそれなり以上に楽しめ己の実力も主に示せる。が、やはりサーヴァントの本領は宝具の開帳にこそある。互いの持つカードを見せ合おうと掛け合ったランサーであったが、
「生憎とそれは出来ない。我が剣は未だ真価を披露する事を禁じられているのでね」
黒き騎士……セイバーの返答は否。
「しかし……私とてこのような緒戦で剣を折るわけにもいかない。我が剣を開帳するに値する力量を貴方が示してくれるのなら、我がマスターもまた許可を下ろそう」
「──良くぞ言った。我が主! 宝具の使用許可を頂きたいッ!!」
この敵に全力を引き出させるには己もまた持てる力の全てを曝け出さなければならないと直感したランサーはマスターに対し要求した。
英雄の半身にして究極の一。遍く幻想によって編まれた、超常にある神秘の解放の許可を欲して。
「────」
しかし、ランサーのマスターからの返答はない。無言とはつまり拒否の意だ。現段階においてのランサーに宝具の使用は許可しないと。
「……どうやら貴方のマスターも慎重な性格のようだ」
「そうらしい。俺としては全力で貴様を打倒したくはあったが、致し方ない。今持てる全てで、先にそちらに披露して貰うとしよう」
「ふ、なるほどそう来るか」
互いに宝具の使用がないのであれば条件は五分。後はその身に刻み込んだ修練の深さ、研鑽の重みをぶつけ合うだけの事。
再び口火を切ったのはランサーの疾走。先ほどよりも研ぎ澄まされた動作で以ってセイバーへと肉薄する。応じる剣士は下げた剣を微かに揺らし、奇想天外に穿つ二槍に対応しようと音を聴く。
一メートルもない空間に無数の火花が咲いては散っていく。吹き荒ぶ風を巻き込み、荒々しい穿孔となる赤と黄の螺旋連撃に、静かなる水面を思わせる清廉なる剣筋で対抗するセイバー。
攻守は変わらず、手数と速度で勝るランサーの双槍は致命傷こそ挙げられないが、完全なまでにセイバーの攻め手を封殺している。
既にどれだけの刃を交し合ったのか定かではない。赤い花は乱れ咲き、百合などとうに通り越した剣音は加速度的に堆く積み上げられていく。
趨勢は終始ランサーが握っていた。確かにセイバーの力量は目を見張るものがある。けれど、ランサーとて胸に誓いし尊き想いがある。
この心は今代にて忠節を誓った主にのみ捧げられる。純粋な祈りを胸に宿したランサーの双槍のキレはセイバーの剣の冴えを上回る。
どれだけ厚い壁であろうと滴る水に晒され続ければ何れ貫かれる。一刺しで足りぬのなら十を穿ち、十でさえ足りぬのなら百を、千を、万を双槍に託し穿ち続ける。それがランサーの誓い。
渇望する勝利への貪欲で一途な想いである。
「ハァ────……!」
最早数える事さえ億劫な穿孔を繰り出し続けたランサーの渾身の一撃。間髪入れず間断なく槍衾を展開していたランサーが一瞬の運動停止と共に、一層の膂力を込めて繰り出した黄閃は間違いなくセイバーの鎧を捉える──
「────っな!?」
──筈が、確信を覆し想像を絶するセイバーの所作こそが、ランサーの槍を文字通りに掴み止めた。
音速を捉えて余りある閃光じみた一槍を手にした剣で巧みに受け流し、流麗な体捌きで回避せしめたのは理解が出来よう。が、その後。あまつさえその槍を掴み取るなどと、一体どんな曲芸であろうか。
「……っ!? くっ────!」
セイバーに黄槍を掴み取られると同時にランサーの全身を悪寒が奔り抜けた。掴まれた部分に滲む魔力の渦。
己のものではない生じた魔力の意味を解さぬままに、ランサーは赤槍をセイバー目掛けて繰り出し、傷を負わせられないまでも後退させる事に成功した。
再度距離を取り睨み合う二騎のサーヴァント。先ほどとの違いがあるとすれば、晴々としていたランサーの面貌に今は困惑の色が垣間見える事であろうか。
「セイバー……今何をしようとした? 今のはまるで……」
「昔から手癖が悪くてね。余りの業物につい手が出てしまった」
茶化すように口にしたが、今のはそんな一言で片付けていい異変ではない。
英雄が担う宝具は唯一無二にして代替の効く代物ではない。究極の一の言葉で知られるように、英雄は宝具という武具を限界まで使役し尽くした存在である。
同じ槍や剣であっても手に馴染んだものと一度も手にした事のない武器では違いがありすぎる。
サーヴァントの全力とは手にした得物があってこそ。己の力量とその力量を限りなく引き出す相棒の相乗効果で世に祀られる傑物が完成する。
しかし、今の異常……セイバーに槍を握られた瞬間に感じた焦燥は、間違いなく簒奪の気配だ。所有権の略奪。あるいは、宝具を無効化する為の能力か……
「卦体な能力を持っているようだな。しかし、一度晒した以上は二度はない。その手で我が槍に触れることはもう有り得ん」
「元よりそのつもりだ。今のでさえ偶然に過ぎん。そう何度もランサー程の相手から武器を奪えるとは思っていない。
しかし、今の一連の流れは君の主にはどう映ったか……」
セイバーは僅かとはいえ己の能力を開帳して見せた。おそらくはマスターの意の外で。
そして先の戦闘が齎す驚愕はもはや焦燥にさえ似た切迫を生み出した筈だ。戦闘の最中に相手の得物に触れるという異常。
達人の域だとかそんなレベルではない技量をこのセイバーは持っている。そして──底はまだかなり深いと聡明な魔術師ならば理解していよう。
「さあ、ランサーのマスターよ。聞こえているのなら戒めを解くがいい。このままでは、貴方のサーヴァントは我が手に陥落するぞ」
セイバーの暴言はランサーに対する侮辱さえ孕む挑発だったが、当の本人はさして気にした様子もなく状況を観察している。
ランサーとて、このまま宝具を封じたままで斃せる相手だとは思っていない。許可が欲しかった。全力で以ってセイバーを打倒せよと、鶴の一声を渇望していた。
『安い挑発だな、セイバーよ』
虚空より響く声。発生源が特定できないように幻惑を施されたランサーのマスターの声は一帯に響き渡るように木霊した。
「ならば良いか? 貴方のサーヴァントが緒戦にて脱落しようとも」
『驕るなよセイバー。ランサーよ、おまえの実力はその程度か? 目の前の敵にそこまで言われて引き下がれるような木偶なのか? 私に聖杯を捧げると誓った言葉は嘘偽りのものなのか……?』
「我が主よ……! 決してそのような事は……ッ!」
『ならば証明せよ。おまえの実力を。宝具の開帳なくして一騎すら討ち取れないのなら、高が知れるというものだ』
「…………ッ!」
是非もない。これまでして許可が下りないのなら少なくともこの一戦にてマスターはランサーの宝具を露見させる気がないという事。
ランサーにしても解せない部分はあったが、主が厳命を申し付ける以上は従う以外に道はなかった。
「強情だな。それでもし我がマスターが全力を許可したとすれば、どういう状況になるか分からないわけでもないだろうに……」
セイバーは兜の下で嘆息を漏らし、『いや……』と嘯いた。
「私が気に掛ける事でもないか。ランサー、今度はこちらから攻めさせて貰うぞ」
苦渋の表情をしたランサー目掛けてセイバーが疾駆する。アスファルトを砕かんと踏み込んだ一歩は、重厚な鎧に身を包んだとはとても思えない俊敏さを体現し、好敵手へと肉薄する。
振り下ろされる流線はしとやかにして苛烈。防御一辺倒にあった先ほどまでの剣閃が嘘であるかのように疾風となりて奔る銀の刃。
舞うような軽さでありながらその実、超重量の戦斧でも叩き付けられているのではないかと錯覚する程に重い一撃を間断なく繰り出されランサーは歯噛みしつつ応戦する。
相手は未だ底知れない力量を隠し持ち、マスターからは宝具の使用許可が下りない。はっきりと言ってしまえば、このセイバーは強敵だ。それこそ全力を封殺された状態で致命傷を奪い取れるような相手ではないと理解した。
何故マスターは分かってくれない。この場でセイバーを討ち取る算段ならば、宝具を使用せずして勝利なきものである事は既に想像がついている筈だというのに。
……あるいは、ランサーのマスターにはこの段階でセイバーを討ち取る気がないのか、今なおランサーの力を測りかねているのか。
完全に意思疎通のなされていないこの主従にあっては互いの思惑を知り得る術はない。
マスターは言った。ランサーを推してその程度かと罵った。宝具がなくば一騎さえも討ち取れないのかと嘲った。
ならば応えよう──まだ証明が足りないのであれば存分に披露しよう。
「我はランサー、槍兵の英霊なりッ! 主に誓う忠義を尽くす為ならば、恐れるものなどありはしない!
セイバー、覚悟せよ。我が双槍でその首級……貰い受ける────!」
猛りを咆哮に代えて、ランサーは獰猛な肉食獣を想起させる爪牙を振るいセイバーに襲い掛かる。一瞬にして覆した攻守をあらん限りの力と技で応酬する。
「ウォォォォォォォォォ……!」
宝具の力を借りずともセイバーなど討ち取って見せると。主の期待に応える為に吼え猛りランサーは美丈夫を戦士の面貌へと豹変させて赤と黄の螺旋を穿つ。
戦士としての血が滾る。肉は最大限にまで伸縮し、血は身体中を最高速で駆け巡る。興奮作用のある物質が過剰に分泌され、ランサーの全身を一本の槍へと変えていく。
争いの中でだけ感じられる高揚感。戦士という人種にだけ許された恍惚の衝撃。勝利への渇望。目まぐるしく展開される裂帛の攻防の中で、ランサーはつい我を忘れ没頭してしまった。
だからこそ、その戦場に一条の凶つ星が降り注ぐ瞬間を、理解よりも早く察知できた筈の本能の衝動を傾けすぎた己が悲運を呪わざるを得なかった。
◇
薄暗い夜に堕ちる凶星。
尾を引く光は夜空を二分し、天より降り注ぐ魔弾の存在を瞬時に感知出来たのはセイバーだけであった。
猛禽の双眸をし熾烈な槍を振るうランサーはセイバーの打倒に一心を傾け、何処かから監視しているであろうランサーのマスターには感付くだけの危機察知能力と時間が足りていなかった。
刹那に迫り来る崩滅の箒星を目の端で捉えながらセイバーは瞬時に判断を下した。
「なっ……セイバー────!?」
驚愕はランサーにこそ降り注いだ。一瞬、まさしく瞬きすら遠い間隙の中に巻き起こった三者の思惑入り乱れる闘争の只中で、ランサーだけが慮外であり、確たる結果だけを衝き付けられた。
脳が理解に追いついた今、ランサーは刹那の間に起きたであろう衝撃を脳裏に浮かべ上げる。
裂帛の双槍をセイバーへと繰り出した瞬間、セイバーはランサーから注意を逸らした。忘我しただ目の前の敵を打ち倒す事に心奪われたランサーでは看破できなかった魔弾をセイバーだけが察知し、その迎撃に剣を割いたのだ。
コンマ以下を切る速度で飛来した魔弾とセイバーの剣との衝突が巻き起こした衝撃は凄まじく、ランサーの総身さえ震わせて余りあるものだった。
総身を震撼させた唐突の衝撃に直感的に距離を開け、膝をついた状態で白靄に煙る着弾点を見やる。強風に攫われた白煙が晴れたその場所にセイバーの姿は健在で、何故か胸を撫で下ろしかけたランサーはついで更なる驚愕に目を見開いた。
立ち尽くすセイバーの重厚な鎧には二つの穿孔。腹より血を吐き出す傷をそのままに手にした剣は未だ握り締められ、飛来したソレは足元に転がっていた。視線は高く、遥か遠方を細めた視線で睨みつけていた。
「その、傷は……まさか、セイバー……俺を庇ったか……」
「勘違いして貰っては困るな、ランサー。私は優先順位を付けただけだ。貴方の槍と彼方からの矢。どちらがより脅威であるかと」
セイバーの腹に穿たれた穴はランサーの双槍によるものだ。そして彼の足元に転がっている一振りの“剣”こそが、先の白光を引き起こした元凶……騎士の立会いに不遜にも横槍をくれた一矢である。
こんな真似を出来るのは一人しか存在しない。
七騎の中でもとりわけ強力とされる三騎士───剣の騎士、槍の騎士に並び立つその騎士の名は。
「────アーチャー……やってくれる」
セイバーは僅かに怒気を露にして、星の満ちる夜空を見上げた。
◇
「外したか……いや、しかし成果としては上々だ」
地上より更に強い夜風の中で赤い外套がはためく。千里を見通す鷹の慧眼は遥か地上の戦場を見下ろし、手には黒檀の弓を携えて、今し方放ったばかりの矢を引き絞った姿勢でアーチャーは呟いた。
冬木で現在建築されている最も高いビルディングに陣取った弓兵の超遠距離からの精密狙撃。
タイミングは完璧。セイバーとランサーがぶつかる瞬間を狙い放たれた矢は二人を巻き込み炸裂する筈であったというのに、あのセイバーは事前に気付き、あまつさえ迎撃までして見せた。
そんな時間を与えてはいない。あの一瞬、セイバーは取捨選択をした。アーチャーの一撃を諸共に喰らってでもランサーを迎撃するか、アーチャーの一撃を防ぎランサーの双槍を身に受けるか。
結果としてセイバーは賭けを成功させ、傷は負ったものの自らだけでなくランサーまでも存命させた。
恐ろしいまでの戦術眼。卓越した剣技だけでなく知略も相当にこなせると見て取った。流石はセイバーのクラスに招来されし者。後の禍根となりえる強者だ。
だが。この布陣を敷いた時点でアーチャーの勝利は揺ぎ無いものであった。
剣の騎士と槍の騎士が覇を競うその場は、弓の騎士が立つべき戦場では有り得ない。戦場からは遠く離れたこの場所こそが弓兵の戦場。ただその身にだけ許された独壇場。他者の介入を決して許さず、一方的な狙撃を行える陣地こそが絶対たる布陣だった。
弓に第二射を番える。一射をはずした時点で認識はされてしまっているが、彼らには一切の為す術が存在しない。取るべき未来は二つ。迎撃か、逃亡か。
あの戦場が続く限り攻撃権は永遠にこちらにある。彼らがいかなる選択をしようともアーチャーに敗北は有り得ない。
「なに……?」
しかし──だからこそアーチャーの理解は及ばなかったと言っていい。その余裕、圧倒的なまでの有利が生んだ心の隙を衝く形で、よもや第三者が空を翔けて来るなどとは、一体誰が思い当たろう。
「騎士達の戦場を荒らす不届きなる賊は誰ぞ! この余を征服王イスカンダルと知っての狼藉か!
彼の者達の誇りを穢す貴様には、余自ら鉄槌を喰らわしてやるわい!!」
轟音と稲妻を嘶かせながら、神牛に率いられた一台の戦車が空を翔ける。足場なき無空を踏み締めて、風を切り、空を渡りて空に馳せる。
騎士達の戦場を荒らした不届き者を罰する為、威風を纏った大男が、泣き叫ぶ小坊主を同じ戦車の背に乗せて、手にした覇者の剣で賊を討たんと大空に舞った。
/War Game
アーチャーの狙撃より遡る事十数分。
今宵の戦場となった河岸の更に対岸。深山町に面する海浜公園の片隅から、誇りある戦いを繰り広げる二人の英霊の姿を見守る主従の姿があった。
公園の一角にある森林に身を潜める形で大柄な赤毛の男と何処かうろたえた体が抜け切らない少年とが火花散らす闘争を睥睨する。
「ふむん、どちらもやりおるわい。しかし僅かにセイバーに分があるか」
「なんでだよ。明らかに圧してるのはランサーじゃないか」
「確かにな。傍目から見ればそう取れるだろうが、あれだけの槍を繰り出してなおセイバーは涼しい顔……表情は見えやせんが空気に澱みがない。まるで物怖じていない証拠よ。内心焦りがあるのはランサーの方さな」
立派に蓄えた顎鬚を擦りながら巨漢が嘯く。その冷静な観察眼は傍らの少年、この巨躯を召喚したウェイバー・ベルベットにとって意外だった。
召喚早々の図書館襲撃から始まり、全くウェイバーの言う事を聞かない豪放磊落なライダーのサーヴァントの横暴からはとても想像出来ない客観的視点。
この場所に陣取っているのも橋上に居座ろうとするライダーを必死の説得の末に連れ出した結果であり、もしあのまま放置しておけば今なお高さ五十メートルに及ぶ鉄骨の上で寒風に身を震わせる羽目になっていたかもしれない。
ライダーに引き摺られる形で街の散策を行っていたウェイバーは逸早く敵意を撒き散らすサーヴァントの気配に感付き、それとなく平静を装いながら誘いに乗る他のサーヴァントを待った。
思えば、その時からライダーは慎重に行動を測っていた。誘いに乗るでなく警戒に重きを置き、ウェイバーの言う事などまるで聞きもしなかったというのに、その時だけは進言を受け入れ見晴らしはいいが戦場に程近い冬木大橋から移動し対岸の海浜公園に身を潜め、今の観察眼にしても目を見張るものがあった。
ただの横柄で我が侭で理不尽なサーヴァントではない。ウェイバーは考えを改めざるを得なかった。
「……酒が欲しいな」
そんな中、ぽつりとライダーが呟いた。
「酒? そんなものどうするんだよ?」
「決まっておるではないか、飲むんだよ。王の眼前で高潔なる騎士達が演舞を繰り広げておるのだぞ? 肴としては上物ではないか」
「…………」
ウェイバーは脳内で先の感心を撤回した。この大男はやはりただの横柄で我が侭で理不尽なサーヴァントであると。
「……そんな事より、どうなんだよ。戦況は」
「一応は五分の体を取っているが、ランサーの苦々しい顔を見るからにセイバー優勢か。彼奴は顔が見えんから何とも言えんがな」
「ふぅん……最優の名は伊達じゃないって事か。で、おまえもしセイバーとやり合う事になったとしたら勝てそうなのか?」
「刃を交えれば十中八九負けるな」
「なっ……!?」
余りにさらりとライダーが言ってのけるものだからウェイバーは一瞬何を言われたのか分からなかった。しかし正しく理解した後は憤慨も露に噛み付いた。
「なに暢気に言ってんだよ!? おまえ、自分が負けるって宣言して──ひぎゃっ!?」
ささくれたライダーの野太い指がウェイバーの額を弾き、線の細いマスターは引っ繰り返った。またしても暴力に訴えた巨漢に恐々としつつも、赤くなった額を擦りながらウェイバーは睨み上げた。
「何すんだよっ!」
「ぎゃーぎゃーと煩いからだ。話はちゃんと最後まで聞かんか。あのセイバーの現在の力量を推し量ったところで恐らく意味はない。まだまだ底の知れんものを隠し通しているようだからな。
だがその分を差し引いても、あれ程の剣筋を放つ剣士相手にやり合って勝ちを拾う自信はない。ないが、この身は騎兵だ。何も剣を合わせるだけが戦ではなかろうて」
「あ……」
そうとも。何も相手の土俵に上がる必要性はない。足には特段のアドバンテージを持つライダーにはライダーの戦略、戦術がある。無理矢理にでもこちらの土俵に引き摺り上げてしまえば、どんな相手にも引けを取る事はない。
「征服し蹂躙する事こそ我が王道。騎士が騎士道を重んじるように、余も己の奉ずる王道を尊ぶだけの事よ。
それよりも、ほれ見ろ坊主。戦局が動くようだぞ」
これまで防戦一方だったセイバーが一転攻撃に転じる。流麗なる剣筋をそのままに手数で勝る筈のランサーを追い込んでいく。
ランサーとてされるがままではない。対岸であるこちらにまで聞こえそうな叫びを吼え上げて裂帛の槍閃を攻守を入れ替えて繰り出していく。
ヒートアップする戦場。加速度的に終局に向けて走り続ける誇り高き二人の英霊の見事な戦舞に、凶弾が降り注いだのはまさしくその瞬間の事だった。
突如天より飛来する光の矢。流星が落下したかと見紛う白光を夜の帳に溶かし込み、瞬きの間に洛陽と消え去った。
「一体何が……」
ただ呆然と見やるしかなかったウェイバーを尻目に、隣の巨躯が徐に立ち上がり腰に差したキュプリオトの剣を引き抜いた。
「ライダー? おまえ何して──」
「行くぞ坊主、戦争だ」
「────は、はぁ……!?」
何かと妄言じみた事を言う男だとはウェイバーも既に認識していたがこれには完全に虚を衝かれた。言うに事欠いて戦争などと、一体何を思ってそんな大言を吐いたのかと。
「先の光、あれは他のサーヴァントの横槍だ。互いの誇りを賭けて雌雄を決する騎士の戦場を穢す、まっこと不届きなる賊の邪魔立てよ。
なあ坊主。王を冠する余の眼前でそんな凶行に及ぶ愚昧な者には制裁が必要だ、そうは思わんか?」
現状に頭のついていかないウェイバーはぽかんとしたまま身の丈二メートルを超える己がサーヴァントを腰を抜かしたまま見上げている。
マスターから否の声がなかった事を応と取ったのか、そんなもの最初からどうでも良かったのか、ライダーは手にした剣を掲げて一閃、空間を割り裂いて騎乗兵の体現たる宝具を招来した。
「さあ乗れ、坊主。我らが初陣だ、誇り無き賊を討つ征伐戦よ。久々の闘争、血沸き肉踊るわい!
……んん? どうした、腰でも抜けて動けんのか?」
『仕方ないなぁ』と呆れ混じりに呟きつつ、目をぱちくりさせるウェイバーの襟首をむんずと掴んだライダーは放るように御者台に乗せ、自分も乗り込み戦車を牽引する神牛の手綱を握った。
「いざ行かん! 大義は我らにこそあり!」
稲妻を放ち大気を蹴り上げ神牛は大空に馳せる。
遥かなる夜空へ飛び立ち、半ばも過ぎた頃にようやく忘我状態から脱却したウェイバーの悲痛な叫びを背に、
「AAAALaLaLaLaLaie!!」
ライダーは高らかに謳い上げながら怨敵目指し一直線に翔け抜けた。
最終更新:2010年07月10日 10:12