昏迷を極め、地上と空に二極化された戦場はそれぞれに終点を目指し疾走する。
文字通りに空を疾走する雷神の戦車は摩天楼の頂点にて第二射を放たんとする弓兵の姿を見咎め、より手綱を強く引き速度を増す。
およそそんな敵襲を予想していなかったアーチャーは度肝を抜かれたが、冷静に番えた矢の照準を定め直し、直線距離にしてまだ一キロ以上先にある豪胆なる言葉を吐いたライダー目掛けて一矢を狙い撃つ。
「お、おいライダー! あいつこっち狙ってるぞ!?」
御者台の上に剣を携えて立ち上がったライダーはむんずと掴んだウェイバーの頭をぐりぐりと撫で回し、吼え上げた。
「余を誰と心得る。我が征服王イスカンダルよ! 征服も蹂躙もせずして消え去る事などありえよう筈がなかろう!
さあゼウスの仔らよ。余の前にその力強き嘶きを示せぃ……!」
一層に勇壮な稲光で暗黒を照らし上げ、戦車を牽引する神牛は物怖じる事無く降り注ぐ流星の只中へと翔け上がる。
莫大な魔力を篭められた矢は遍く全てを貫く威力を備え耳を劈く金切り音を声高に響かせながら飛来する。
今にも泣き出しそうなウェイバーの目にはライダーの思惑など理解出来る筈もなく、自殺行為だと叫び上げながら悲愴な声音を漏らした時。
「────喝ッ……!」
号砲一声、戦車の前面に展開された雷光の盾が音速の壁を突き破ったアーチャーの狙撃を受け止め極大の火花を空に散らす。
ウェイバーの目にはライダーがそれこそ気合の大獅子吼で光の矢を堰き止めたように見えたが、現実問題としてそんなものは有り得ない。
稲妻の盾と光の矢は鬩ぎ合い相殺し合って弾け飛ぶ。御者台を大いに揺らす衝撃に思わず掴めるものを探したウェイバーは手近にあったものを抱きかかえるように掴み、それが筋骨隆々としたライダーの足である事に気が付いて顔を上げた。
「────」
百獣の王を思わせる獰猛な笑みを顔に貼り付け、未だ遠い敵をしっかりと見据えて剣を執る様は正しく勇姿。かつて世界を股にかけ、覇を唱えた征服王の勇壮たる立ち姿が確かにあった。
「どうした坊主。怖いか……?」
何か含みを持たせた笑みを向けられウェイバーは腹の中に妙な感情を覚えた。この構図は余りに良くない。従える筈のサーヴァントに見下されるマスターなど一体何処の世界に居ようか。
「ふん、誰が恐れるものか。ぼ……私はおまえのマスターだ。あいつを倒すンだろ? ならもっと飛ばせ」
精一杯の強がりを冷や汗を垂らしながら言ってのけ、ウェイバーは掴んでいたライダーの足から手を離し御者台に深く大仰に腰掛けた。せいぜい自分が大きく見えるように。足が震えるのは抑え切れなかったが。
しかしそんなウェイバーの様をライダーは是と大笑する。
「がはは! ぃよし、それでこそ我がマスター! さあ主より遣わされた拝命だ、ゼウスの仔らよ、もう少しばかり速度を上げるぞ!!」
二頭の神牛が更に高く吼え上げ、シールドに覆われている御者台とはいえ空を翔け昇るなど初体験であったウェイバーは泣きそうな表情を精一杯に堪えてライダーの背を見守っていた。
征服の王が高らかに剣を掲げる。第三射を番えた赤き弓兵を差して。
「いざ馳せよ、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)────!」
◇
地上より駆け上がった稲光と夜空より降る星屑を見咎めた地上の二人は状況の把握に追われていた。
アーチャーがセイバー、ランサーの両名を巻き込み纏めて亡き者としようとした事に間違いはなく、結果として狙撃は成果を残さなかったが、セイバーには痛手を負わせる事が出来た。
しかし、あの地上より空を馳せた光は一体何なのだと二人は勘繰った。推測するのならアーチャーと同じようにこの戦場を盗み見ていた第四のサーヴァントなのであろうが、一直線にアーチャーの元へと突撃していった理由までは解せなかった。
だが結果としてアーチャーの狙撃対象からこちらは外れ、奇しくも戦場は二分された。ならば是非もなく、決着をつける刻限だ。
「セイバー……俺は……」
不本意にセイバーの腹を穿った双槍は今なお血に濡れている。こんな状態での決着など望まない。正々堂々とランサーの宣言に応じてくれたセイバーに痛手を負わせた状態で勝ちを拾ったとして、ランサーは勝利を誇り主の元へと参じられるだろうか。
否。断じて否だ。この身は騎士道を重んじる槍の騎士。主に誓う忠誠と同位の誠意を対峙する好敵手に払わなければならない。
「セイバー、この場は引いてくれないか。俺はこんな決着は望まない。痛んだおまえを討ち取ったところで、俺はそれを誇る事など出来ない」
これよりの戦の栄誉は全て主に捧げる供物。なればこそ、薄汚れた血に塗れた勝利を献上など出来る筈もなかった。
「…………」
セイバーにしても、これ以上の戦闘はマスターの望むものではないと了承している。甘んじてランサーの休戦の言を受け入れる事を辞さない心積もりであったのだが、
『何をしているランサー。さっさとセイバーを斃せ』
どうやら、それは許されるものではないようだった。
「我が主よ! どうかこの場は引かせていただきたい。セイバーを討ち取るは我が役目であると承知しておりますが、今彼の者を討ち取っては余りにも……!」
『ランサー、宝具の開帳を許す。全力を用いセイバーを打倒せよ。令呪を以って命ずる』
「なっ……!?」
ランサーの総身を駆け抜ける律動。二本の槍を覆い隠していた呪布は他ならぬ彼自身の手によって解き放たれ、渇望とした宝具が月夜の下に晒された。
「我が主よッ……! 何故……!」
ランサーのマスターの命令は、正しい。手傷を負った今のセイバーに宝具の解放を以って挑めば必ずや討ち取れる勝算がある。
一層の深い傷を、あわよくば命さえも奪取出来る……それが、宝具を解放するという事。
恐らく地力で劣るランサーがセイバーに一矢報いるにはこの好機を逃す手はない。表情が窺い知れないのでセイバーの状態がまるで把握出来なかったが、腹に二つも大穴を開けられて平然としていられる筈がない。
たとえ三画しかない令呪の一画を消費しようともこの絶好機でセイバーを討ち取らなければならない。それが姿なきランサーのマスターの決定だった。
ランサーは歯噛みしつつも勝手に戦闘態勢を取る己の身体が恨めしかった。主の真意も理解できるし、彼らは戦闘者。勝利なくして帰還は許されないものと知っている。
しかし、それでも。このような決着は望むべくもないものだった。それほどまでに、ランサーは高潔に過ぎたのだ。
「怯む事はない、ランサー」
手に剣を提げた騎士が呟いた。苦虫を噛み潰していた槍の騎士が視線を上げる。
「何処ぞで聴いているランサーのマスターにも告げておこう。この程度の傷で私に迫れると思い上がっているのなら浅慮も甚だしい。
ランサー、おまえにしてもそうだ。そのような苦渋の顔をするのは、せめて私に一太刀浴びせてからにして欲しいな」
セイバーは仮面の下で豪語する。この程度の手傷では負けはしない。たとえランサーが宝具を用いようとも負ける要因などないと。
それは決して強がりでもはったりでもない。無窮の武練に裏打ちされた絶対の自信。驕りではない確たる事実としてセイバーは憚った。
「セイバー……おまえという奴は……」
セイバーの意を汲んだランサーは笑みを浮かべた。ならば良かろう、そこまで豪語するのなら是非もないと。
「ならば我が双槍の閃き、その一閃で以って喰い止めてみせてくれ。俺の槍が何処まで届くのかを試させて貰う」
「ああ、受け止めて見せよう。我が剣にて、その槍の悉くを叩き落とそう」
覚悟を決意に変えたランサーが身体を縛る強制権に身を預ける。いつ解き放たれるとも知れない最終幕の中、二人の騎士は油断なく互いを睥睨していた。
◇
今なお絶空の争覇戦の只中に身を置くアーチャーとライダーの戦闘は一進一退の攻防と化していた。
一撃の威力よりも数を増してまさしく流星群を嗾けるアーチャーの狙撃に対し、ライダーは握った手綱を巧みに操り回避と迎撃に追われている。
もはや御者台にしがみ付いているしかなくなったウェイバーは張り上げたい声も舌を噛まないように必死に押し殺すのに全霊を傾けざるを得なくなり、戦況の把握など二の次にするしかなかった。
「むぅ……やりおる。中々近づけんな」
いかにライダーの駆る戦車とはいえ数多に降り注ぐ流星の中に突撃をかませば唯では済まない。一撃一撃が相当の威力を誇るアーチャーの狙撃は確かに弓兵のクラスに相応しい力を誇っている。
あわよくば傘下に加えたいライダーであったが、今はそんな事を言っている場合ではないと承知していた。
「お、おいライダー! なんとかしろよっ、このままじゃ撃ち落されるぞ!?」
「戯けぃ、この程度で余の戦車が陥落るものか。しかし、マズいな。主導権を握られっぱなしは性に合わん」
「んなこと言ってる場合かよっ!? このままじゃ、ぎゃ、ふ、振り落とされる!!」
防護シールドが働いているのでたとえ逆さに疾空しようとも地上に叩きつけられる心配はないのだが、そうとは知らないウェイバーは高速機動で回避する戦車の軌道も、時折直撃を被り御者台を震撼させる衝撃にも辟易としていた。
「ふむ、ならば坊主。一つ賭けといくか」
「か、賭け……? おま、一体何する気だっ……!?」
「決まっとろうが。神威の車輪最大出力での一点突破でアーチャーに突撃をかける」
「な、なにぃぃぃぃぃ!?」
平然と謳う大男の大言にはもう慣れたものだが、そんな事を許容できる筈がない。そう出来ないからこそこうして回避運動を取っているのではないかと噛み付く。
「ようは加速が足りんのだ。我が戦車の最大戦力で空を馳せれば、いかな弾幕も叩き伏せられる」
もう間近にまで迫りながら辿り着けないアーチャーの元へと飛び込む手段。このままじりじりと追い詰められるくらいならばと、
「ああもう、わかった! 何でもいい、おまえに任せる! それで突破できるって言うんならやってみせやがれ……!」
「その言葉を待っとったぞ────!」
ライダーが手綱を強く引き旋回する。神牛の雷光は空を踏み締め、これまでのように翔け昇るのではなく一直線に駆け下りる。
降り注ぐ流星さえを置き去りに落下する戦車の御者台で相も変わらず叫ぶウェイバーを尻目にライダーは大地に衝突する間近で一際大きく手綱を引き付け、高速での急旋回を成し遂げる。
「さあ征くぞ坊主! イスカンダルが疾走、とくと目に焼き付けぃ……!!」
猛然と頭を振った神牛が今宵最大の嘶きで空を踏み砕き天を目指し翔け上がる。空に昇る月を穿つように、一条の迅雷となった神威の車輪は降り注ぐ矢の全てを雷神の盾で防ぎながら蹂躙する。
かつて雷の神たるゼウスに祀られた戦車に搭乗し剣を掲げるライダーの姿はまさに雷の申し子──雷帝であろう。
神鳴る怒りの体現と成り遂げた雷鳴の一閃となって、地上より天上に降る雷が夜を引き裂いた。
「AAAALaLaLaLaLaie!!」
今宵二度目の鬨の声を張り上げながら、ライダーはアーチャーの懐──弓兵の射程外へと飛び込んだ。
閃光。爆発。
それは、まさに一瞬の出来事であった。光の渦と化したライダーがアーチャーの矢の全てを破砕しながら天を翔け上がり、決然とビルの屋上に特攻を果たしたところで、爆音を張り上げて人気のない屋上は一瞬で戦火に包まれた。
御者台にてどうにかしがみ付いていたウェイバーが揺れが収まり静かになった周囲に目を配る。
辺りはどういうわけか真紅の炎が絢爛に咲き誇り、夜の闇に劣らない黒い煙を吐き上げている。見回したウェイバーの視界に人影はない。剣を提げたまま佇む巨漢が一人いるだけだった。
「おい、ライダー……一体、どうなった?」
神妙な顔つきで夜闇を睨みつけるライダーはウェイバーに視線を投げる事無く嘯いた。
「うむ、逃げられたな」
ライダーは捉えていた。この炎の渦は神威の車輪が巻き起こしたものではない。神速で空を翔け昇ったライダー達が屋上に到達する直前、アーチャーは弓に最後に番えた矢を放った瞬間、ライダーの目の前で“暴発”させたのだ。
いかなる仕掛けによるものかは定かではなかったが、アーチャーは矢を爆発させライダー達の視界を奪い去り、あわよくば渦中へと巻き込もうと企んだのだろう。
「……なんと潔い引き際か。弓兵が間合いを詰められれば役立たずとなると知っておるからこそ、接近される前に姿を消しおった」
目的は果たせなかったが、最優先の目標は果たせた、というところだろうか。ほとんど手の内を晒す事無くセイバー、ランサー、ライダーの情報を引き出させ無傷の内に逃げ果せるとは……
「敵ながら天晴れと言う奴だな」
「なんで感心してンだよ、おまえ……」
ぐったりとしたウェイバーは半眼に呟き、とりあえず状況が落ち着いたものと認識し安堵の息を吐き出した。熱を持った吐息が夜気に攫われる。
大分深くなりかけた夜の闇を煌々と照らし上げる焔の輪の中で剣を腰に差した鞘へと戻したライダーが月を見上げた。
「どいつもこいつも一筋縄でいかんような奴らばかりよなぁ。
くはは、これは心躍るわい。待っとれよ、まだ見ぬ英雄豪傑よ。全てこの余が蹂躙し尽くしてくれるわ」
大笑を夜に響かせる赤毛の王は一人胸を高鳴らせる。
見下ろす白月にさえ手を伸ばさんと欲す大望の成就の為、これより始まる闘争の宴に歓喜せずにはいられなかった。
◇
異変は第一手にて生じた。
ランサーが渾身で突き出した赤槍の一刺しをセイバーが剣の腹で受け止めた瞬間、剣を覆っていた魔力が霧散し地金となる“本物”の刀身が姿を現した。
異常を察知したセイバーはすぐさま剣を斬り払い、次いで繰り出された黄槍を弾き飛ばしながら一足跳びに後退した。
「やはりな……セイバー。おまえの手にする剣、それはおまえのものではないな?」
違和感は最初から付き纏っていた。剣の英霊が担うにしては無骨で洗練さの欠片もない剣を振るうセイバーにランサーは不信感を抱いていた。
内包する魔力も見るからに少なく、さして格の高さもない剣を担うにしては、この剣士の力量は高すぎる。
そして今──破魔の能力を持つ槍がとうとう暴き出した。
「先ほど俺の槍を掴んだ時の能力……それでおまえは己のものではない剣を己のものとして使役していた。違うかな、セイバー」
セイバーは答えない。無言を肯定ととったランサーは我が意を得たりと頷いた。
剣の騎士の怪奇なる能力の正体とは、手にしたものを己のものとする能力。掴んだ剣はたとえ誰のものであろうとセイバーのものとなり、半身たる宝具を振るうかの如く扱えるという脅威の能力だ。
「達人は得物を選ばないというが、なるほど。まさか宝具級の扱いをこなせる使い手であるとは。光栄だ、セイバー。おまえは我が双槍を披露するに足る傑物だ」
そんなランサーの賞賛も何処吹く風とセイバーが睨みつけるものはランサーの手にする赤槍。呪布を解かれたあの槍の穂先に触れた瞬間、セイバーの能力を封じられた。つまりあの槍は常時発動型の宝具。触れるものの魔力を断つ破魔の槍……
その相性の悪さを瞬時に理解した。セイバーが持つ本当の剣は解放する為には幾つかのプロセスを踏む必要がある。その為、現界直後に主に進言し用意してもらった硬度の高い業物を得物としてきたが、宝具を開帳したこの槍兵には通用しない。
宝具としての属性をなくした剣はいかな業物であろうとそう何度も宝具の一撃に耐えられるものではない。先の一閃で既にセイバーの剣は軋みを上げていた。
まさか緒戦の段で能力を看破されるとは思いもしなかった。なるほど、侮っていたのはセイバーも同じ。対峙するはかつて共に戦場を馳せた騎士達と同等かそれ以上に類する英雄であると心得なければならなかった。
「触れたものの魔力を破壊する槍か……怖いな。そして無論、そちらの槍にも何かしらの能力が付与されていると見て取っていいのかな?」
セイバーが視線を滑らせた先には黄色の槍。これまでの戦闘の中で二本の槍を巧みに操っていたランサーの動きを見れば片方はブラフ、などとは考えにくい。あの槍の穂先にも触れてはならないと直感し、セイバーは徐に移動した。
訝しみながら見やるランサーだったが、その行動の結末に思い至ってなお口元を歪め『まさか……』と呟いた。
想像は現実と昇華される。この場には偶然にも“二本”の剣がある。一つはセイバーが手にする無骨な剣。もう一つは────
「よもや、ソレさえも己のものとするか────」
セイバーが拾い上げた剣はつい先ほど空より降ってきたもの……アーチャーが矢として放ったものだ。螺旋状の刀身を持つ打突に特化した形状の剣を手にした瞬間、セイバーの魔力が掌より滲み出て絢爛な剣を覆い尽くした。
「これで手数は対等だ。さあ、続きと行こう」
二刀流。騎士なる者が手にするは馬上にて振るう槍か、右手に剣と左手に盾だ。両手に剣を持つ戦闘術は決して強くはない。
元来、二刀流とは一刀が相手の剣を捌く為の小剣であり、盾の役割を果たすのだ。同程度の長い刀身を持つ剣を両手に担うのは、空想の中だけの話だ。
しかし、セイバーが手にするはまさにその空想の産物。ランサーの双槍も相当に奇異な戦闘術だが、今のセイバーも充分に怪奇。
二刀と二槍。
およそ有り得ない得物を繰る者達の闘争が火蓋を落とす。
◇
焦燥はすぐにも現れた。赤と黄の螺旋を放つランサーの槍を受け流すセイバーの二刀は華麗に過ぎた。
美しささえ伴う閃きの連続を戦場に華と咲かせる様は長年培った修練が形となったもののようで、決してたった今試みた二刀流だとは思いも寄らなかった。
しかし、ランサーの驚愕はそんなところではない。これまで幾度となく剣を合わせこの剣士の力量は把握していた。この程度の剣舞はむしろ出来て当然と了解していた。
けれどその一点だけはどうしようとも看過出来なかった。堆く積み上げられる剣と槍の閃きの中、ランサーの繰る槍の穂先は唯の一度としてセイバーの鎧どころか剣刃さえも穿てない事を。
セイバーは手にする二刀で巧みに穂先ではなく柄を捉えては弾き、どうしても刃に触れそうになれば後退しての回避を行う。刃渡りと間合いを完璧に心得た戦い方……二度とは槍の呪いを発動させぬと練達の技で鎬を削る。
────化物か、この男……
ランサーをしてそう思わずにはいられなかった。未だ一切として素性の知れない剣士ではあるが、これほどの剣の腕を持つ者が無名である筈がない。
あるいは先ほどまでの一刀でありながら苛烈な剣舞を見せていたセイバーが、今は間合いを維持したがる戦法を弄しているのは、偏に穿たれた傷のせいなのかもしれないが、それでもこの剣士の剣筋に乱れはない。
いかなる戦況、状態においても最高の力量を保てるのは常態化まで果たした修練の賜物であろう。よもや、これほどの深き痛手を負ってなお貫ける武錬とは流石のランサーも恐れを抱く程だった。
しかしそうとなれば意地に賭けて一刺しを喰らわせてやりたくなるというもの。激烈な応酬の中、ランサーが是が非でも削り取ってやると意気込んだその時、
『ランサー、何を遊んでいる。早々に決着をつけよ!』
痺れを切らしたのはランサーのマスターの方が先だった。
宝具を開帳し、令呪を使用し、けれど未だ一撃も入れらないランサーの怠慢に歯噛みしている事だろう。
しかも相手は腹に穴を二つも開けているというハンディ付きで、なおランサーが打倒できないとあっては認めざるを得なくなってしまうのだ。
このランサーはセイバーに劣るサーヴァントであると。
先の苦言はランサーに対する最後通牒。未だ稚気に囚われているものと思い込まずにはいられない、明確な焦りが滲み出た怒号だった。
「────くっ……!」
ランサーとて遊んではいない。令呪による強制が働いている今、遊びを挟み込む余地はなく、全身全霊を傾けて打倒の為の槍を振るっている。
なのに、取れない。なのに、穿てない。このままでは主の信頼を完全に失墜する。このような緒戦で、ランサーは敗れるわけにはいかなかった。
「ハァァァアアア……!」
「────っ!」
乾坤一擲の打突がとうとうセイバーの剣を捕らえる。破魔の紅薔薇がセイバーが帯刀していた剣の魔力を霧散させ、そのまま貫き破砕と化す。
一刀を失ったセイバーに、生じる隙。穿たれた傷のダメージがここに来て彼我の拮抗する力量差に天秤を揺るがした。
ここぞ好機と畳み掛けるランサーの猛攻は流石のセイバーも全ては防ぎ切れず、身を守る漆黒の鎧を削り取られながらじりじりと後退する事を余儀なくされた。
そして奇しくも頭上で閃光と爆発が巻き起こったのは丁度その時だった。
位置関係から一瞬だが確かに目を奪われたランサーの隙を見逃さず繰り出されたセイバーの横薙ぎの一閃は腹を絶ち、赤い飛沫を吐き出させた。
「ぐっ……」
距離を取ったランサーの視界の向こう側では赤い炎が踊っていた。未だ決着を見ない戦場の只中にあって、セイバーが視線を高く上げたのは偶然ではない。
アーチャーの夜空を斬り裂いた剣を大地に衝き立て更に一歩後退したセイバーは、
「これまでだ、ランサー」
陽炎とその姿を揺らめかせた。
/Conclusion
荒れ果てた路面。空を染める茜色。戦闘の痕跡を色濃く残す戦場は、いつしか静けさに満たされていた。セイバーの先の言の意味するところは、今宵の戦いの終焉だろう。
アーチャーとライダーの引き起こした災害はランサーのマスターが展開した結界の外の出来事だ。あれほどの火災を巻き起こしたとあっては既に人目についており、事態の収拾に追われる事になる。
その最中でなお戦いを続ける意義を見出せないと、恐らくはセイバーのマスターは判断を下したのだろう。
そしてそれはランサーのマスターも同じであり、先の激昂はなりを潜めて行く末を見守っている。
幻と消えていく剣の騎士を見やり、これほどの傑物はランサーの生前においても見た事がなかった。だからその言葉は、自然と口を衝いたものである。
「さぞ名のある騎士とお見受けするが……良ければ、貴公の名を聴かせてはくれないだろうか」
ランサーから僅かに距離を置いた場所に立つ騎士。全身を覆う鎧には一切の内部を窺える隙間はなく、身体の稼動に際し必要な関節部分と肉眼を遮らない箇所、そして血を流す腹からだけ辛うじて人の気配を感じられた。
長い沈黙が降る。ランサーの言葉を受けたセイバーは黙したまま微動だにせず、マスターと何かしらのやり取りを経たのか、やがて首を横に降った。
「生憎とこの身は己の正体を明かす事を禁じられている。貴方との戦も、マスターの本意に背いた行動であるのだ。
これ以上忠節を穢す真似は避けたい。すまないが……」
「いや、こちらこそ失礼した。名を明かせないのはこちらも同じだ。とんだ無礼を詫びさせて欲しい」
恭しく頭を下げたランサーに対し、セイバーもまた小さく頭を揺らして応えた。
「しかし……世に祀られる英雄による時代を超えた闘争、か。よもやこれ程とは思わなかった」
「ああ。俺もまさか緒戦でこれほどの兵と矛を交える事になるなど夢にも思わなかった。しかしだからこそ、賭けるべき誇りがある。
負けるなよ、セイバー。貴様の首級は俺が獲る。高潔なる騎士の首は、主君に捧げるに相応しい」
「過剰な評価痛み入る。が、私は貴方の思うような騎士ではないよ。この身を苛むのは負の想念だ。こうして姿を隠匿していなければ、ろくに人前に立つ事さえ出来ない、心の折れた臆病者さ」
自嘲を込めて謳われたセイバーの言にランサーは思うところはあれどそれ以上の事は口にはしなかった。人にはそれぞれ何かしらの柵がある。ランサーにさえあるそれは、決して払拭しきれない無念だ。
そして彼がこの場に立つのもまた、生前果たされなかったその願望を成し遂げる事に尽きる。だからこそ彼は相手の思いを汲み、告げるべき言葉を選んだ。
「次は獲らせて貰うぞ、セイバー」
「ああ、覚悟しておこう。そして貴方もまた覚悟しておく事だ。打倒する覚悟を負うというのは、打倒される覚悟さえも背負うという事を」
幻惑の中に消え去った剣の英霊を見送り、後に残ったのは螺旋の剣一振りだけ。それもやがて風に解け込むように朧となった。
「手強い相手だった……」
今代のマスターに聖杯を捧げる為にはあの剣士を超えなければならない。余りにも厚く高い壁だが、忠誠を形で示す為には、必ずや砕いて進まなければならない好敵手であるのだから……
◇
『良かったのですか、導師。あのサーヴァントの戦いを衆目に晒すような真似をして。当初の予定では、彼の騎士の出番は最終局であった筈ですが』
「いや、問題ない」
宝石を用いた通信装置から響く弟子の憂慮の声にも遠坂時臣は揺ぎなく澱みなく答えて見せた。
「真に頼みとする宝具の使用は許可していないし、セイバーが披露したものはその卓越した剣技と奇異な能力のみだ。
他のマスター達は今頃いかにして我がサーヴァントを討ち破るかの検討に追われている筈だ。流石は最優の名を欲しいままにする騎士だよ」
使い魔の眼の代わりと地形把握に偵察の任を課したセイバーがよもや勝手に敵の挑発に乗ったのは噴飯ものの謀反とも考えたが、結果としては上々。
何度か肝を冷やし、幾度も呼び戻そうとさえ考えたが、最優の騎士の判断に委ねた時臣の見極めは功を奏した。
はっきり言ってしまえば、彼の騎士の実力は時臣の想像を超えていた。宝具らしい宝具でもない剣で以って双槍の宝具を担うランサーに一歩の引けさえも取らず、あまつさえほぼ完封せしめた。
できれば勝利こそを欲したが、何ら問題ない結末だ。いや、むしろ嬉しくもある。然程情報の出揃わないこの段階で相当の実力者であるランサーのサーヴァントを抑えた手腕は限りない賞賛に値する。
これに現在、弟子である言峰綺礼に行わせている他のマスター達の情報収集が完了し、サーヴァントの能力さえも丸裸にされた状態で彼の騎士を相手取るということは、もはやその瞬間に勝敗は決していると言っても過言ではない。
何一つ失うものもなく、時臣に己が実力を認識させ、他のマスター達には畏怖を撒き散らしたセイバーの行動は、マスターの意に反した分を差し引いても御釣りが来る。
甘やかすのは以っての外だが、健闘くらいは称えてやろう。こちらの心の広さを示し、より深い忠誠心を得られるのなら安いものだ。
もはや笑いが堪えきれないといった体の時臣は通信機の向こうで言葉を待つ綺礼に更なる余裕ある発言を投げかけた。
「それに、あの騎士の正体に感付ける者はいない。ランサーのマスター……ロード・エルメロイが宝具の使用を渋ったのもそのせいだ。
たとえ当たりを付けて伝承を繰ったところで理解さえも出来まい。むしろあれ程の力量を持つのなら、真名を知られたところで痛手にはなるまいよ」
「……ですが」
「心配性だな、綺礼は。無論、これからは多少慎重に事を運ぶつもりだ。流石に包囲網でも敷かれては危ういものがある。潰すのなら一体ずつ確実に。その為には綺礼、君の情報が必要だ」
『……は。アサシンに全力で調査に当たらせていますので、今しばらくの猶予を』
「ああ。期待している」
テーブルの上で静かに待ち焦がれていた血色のワインを手にとり燻らせる。芳醇な薫りが鼻腔を擽り、優越感に満たされた脳髄に甘い幻想を沁みこませていく。
遠坂時臣の聖杯戦争は既に磐石。恐れるものなど何一つなく、完全なまでの予定調和の上に開幕前に思い描いた通りの絵図が描かれていく。
「ところでもう一つの戦い……アーチャーとライダーの趨勢を君はどう見る?」
セイバーの眼を借りて戦場を見ていた時臣には空中の戦闘は把握し切れなかった。アサシンのサーヴァントを繰る綺礼から随時戦況は聞かされていたのが、綺礼自身の意見も聞いてみたくはあった。
『現段階では何とも言えませんね。アーチャーの狙撃能力とライダーの宝具の能力に関してはある程度までは把握出来ましたが、まだその先がないとも限りません』
「追跡は出来たか?」
『……いえ。アーチャーは爆発に紛れ霊体化し姿を眩ませ、ライダーは騎乗宝具に乗りそのまま空の彼方へ……。アサシンの足では到底追いつけません。
しかし、何体かのアサシンを動員し、飛び去った方向から着地点の予測、大体の拠点の位置までなら掴めそうです』
「そうか……」
ならば首尾は上々だ。どれだけのマスター達が今宵の一戦を覗き見ていたかは定かではないが、充分な情報は得られたと見ていい。
強いて言えばアーチャーのマスターの存在か。間桐かアインツベルンか、果ては外来の魔術師か……
「これで姿を確認できていないサーヴァントはバーサーカーとキャスターのみ。ここに憂慮が一つか。綺礼、まだ七騎目は現れていないのか?」
『はい。父の持つ霊器盤が捉えたサーヴァントの存在は数にして六。最後の一騎は未だ冬木の地に降りていません』
時臣に憂いがあるとすればその一点。戦端は開かれ、都合六人のサーヴァントが集っている現状で聖杯が残り一枠に未だ空席を残している事の意味。
何か酷く不吉な予感がある。過去例のない遅い招来が招く未来予想図は時臣に一滴の泥を落としそうで……
「ふむ……しかし我らに打てる手は少ない。マスターに令呪を託すは聖杯の意志だ。
聖杯が最後の一枠を定めかねているというのなら、早急に協会で魔術師を準備するのも手か……」
『今から手配しても間に合うかどうか……何れ現れましょう、でなければ儀式自体が立ち行かなくなりますから』
「そうだな。聖杯を満たす供物は七。自ら欠損を出す筈もない。しかし念には念を入れておいて損はない。
時に綺礼。この状況下で我々は戦端を開いてしまったわけだが、璃正神父から何か罰則の言及はあったか?」
『いえ。導師が関与している以上は御咎めなしと。他のマスターについても同様の処置であると思われます』
本来、七騎のサーヴァントが揃い踏むまで戦闘行為は厳禁とされる。この約定を破れば監督役からの罰則も有り得るのだが、そこはそれ、審判と手を組んでいる時臣の関与により一切の陳情を撤回させた。
もし時臣が関与していなければ他のマスターにのみ罰則を課す事も出来たであろうが、結局のところの戦端を切ったのは時臣のセイバーである以上是非もない回顧だ。
「ふむ……不確定要素の存在は気に掛かるが、良かろう。一応の手筈だけは整えておく。綺礼、もし七騎目が召喚されたのならばすぐにでも教えてくれ」
「はい」
時臣の手の中で揺れていた赤い液体を光に透かし、一息に煽る。喉元を過ぎ去った熱き流体は腹の底で煮え滾る。
何れにせよ、時臣の算段に全く狂いはない。全ては掌の上、結果の分かりきった出来レースだ。道筋の見えたチェスの如く淡々と駒を勝利へと運べばそれでいい。
「とりあえずは静観と決め込むか。情報収集が終わり次第仕掛けるぞ、綺礼」
勝利の確信を胸に、時臣はゆったりと椅子に背を預けた。
最終更新:2010年07月10日 10:13