アットウィキロゴ

[2-3

 剣の騎士と槍の騎士が去った戦場を、遠方より見下ろす一つの影がある。身を隠し、姿を隠匿した状態で事の成り行きを見守っていた間桐雁夜は、罅割れた半面ではない方の表情さえも強張らせて、吹き付ける風の中に身を晒していた。

「なんだ、あのサーヴァントは……強いなんてものじゃないだろう」

 独り言のように呟かれた言葉は風に乗り流れていく。雁夜の見た戦闘は、およそ理解し難いものだった。圧倒的なまでの戦闘力。手数で劣る状況でさえも覆す先見の明。積み上げられた武錬は研ぎ澄まされた水領と化し、清廉なる水面のような美しさだった。

 あれが、遠坂時臣のサーヴァント。有り得ない。あんな俗物にあれほどのサーヴァントを従えられる度量があるなどと、どうして信じられようか。
 あの男が下に跪かせるべきはより傲慢な王者の筈。厚顔無恥を地でいく不遜なるナルシスト……そんなサーヴァントこそがあの男にはお似合いであった筈なのに。

 強く、そして華麗に過ぎる。およそ剣を扱う者の中で、彼の騎士に勝てる者などいないのではないかと思えてしまうほどだ。

「……だが、土俵が違うのなら、あるいは」

 アーチャーの超遠距離射撃は目撃している。その後のライダーの突貫も雁夜から捉えられた。彼らの戦法ならば、きっと届く。己が最大の戦力を発揮出来る舞台に相手を引き摺り上げての戦闘ならば、如何様にも勝つ手段を見出せる。

「何辛気臭い顔をしてるの、マスター」

 突如虚空より投げかけられた女性の声に雁夜は振り向いた。一体霊体のまま何処に遊びに行っていたのか、全てが終わった今頃になって戻ってくるなどと。

「何処に行っていた」

「さあ? この街を私は知らないもの。何処、と言われても明確に返せる地名は思い浮かべられないわ。文句は私に現世での知識を寄越さなかった聖杯に言って頂戴ね」

 この姿なき女こそ雁夜のサーヴァント。一体どんな不条理が働いたのか、あの間桐臓硯ですら呆れさせるほどのサーヴァントを召喚してしまった雁夜は、それでも何とか戦い抜こうとこうして緒戦の戦闘を観察しに赴いていた。

「何度目かになるが……おまえ、それは本当なのか。少なくとも言葉は通じるようだが」

「ええ。いわゆる一般常識的なものは理解しているつもり。だけどそれは最低限の情報でしかなくて、地名だとか通貨だとかそういうのは知らない。それ以上の知識は現地調達してくれってことなのかしらね。聖杯もケチだわ」

「聖杯が託し損ねた知識か……いや、そもそもおまえにはそういう知性を与えるつもりがなかったんだろう。
 だって必要ないじゃないか、バーサーカーのクラスにそんなもの」

 そう、雁夜の召喚したサーヴァントはバーサーカーの筈だった。理性を失い狂気と凶気に支配され、ただ破壊を撒き散らす事こそが存在意義だとでも言いたげな狂える戦士の座。それがバーサーカーであった筈なのだが……

「ま、どうでもいいわよねそんなもの。欲しければ勝手に本でも読み漁るし、足りないようなら貴方に聞くわ」

 少なくとも、雁夜にはこの女が狂っているようには見えなかった。
 伝え聞く過去のバーサーカー達は総じて理性はなく、言語すら解さない怪物であった。だというのに雁夜のサーヴァントは他のサーヴァントと同じように人語を解し、あまつさえ自由行動を取るというおよそバーサーカーらしからぬサーヴァントだった。

 その弊害……お陰というべきか、雁夜は本来なら吸い尽くされかねない魔力をなんとか未だ人のまま維持し切る事が出来ている。
 そして正しくこちらは弊害と呼べるのであろうが、雁夜に見えるバーサーカーのステータスは総じて低い。戦闘に特化しているものとはとても思えない有様だった。

「……実際のところ、どうなんだ。そろそろ真名を教えてくれてもいいだろう?」

「いやよ。女に名前を聞こうとするなら、せめて自分を磨いて出直してきなさい。私はそんなに安い女じゃないんだから」

 聞き飽きた言葉に辟易しつつ、珍しく『でも』と付け加えて実体化したバーサーカーの指が、妖艶に雁夜の頬を撫で回す。

「貴方が私を誘ってくれるって言うのなら……考えてあげてもいいけど?」

 艶のある声音が耳元で囁かれる。背後から抱き付かれる形で雁夜の身体を蹂躙していく甘い匂い。卒倒しそうな甘美なる芳香の中、雁夜は腕を振り払ってバーサーカーを引き剥がした。

「ああ……おまえは充分に狂っているよ。愛というものにな」

 傾けた視線の先にあるのは艶然たる肉付きのいい肢体。しかしどこか高貴さを漂わせる風格を持ち、長くけれど美しい艶やかな髪を風の中に揺らすその様と口元に浮かべられた優美な微笑は、世の男共が求めて止まない女神のようだった。

「馬鹿なヒト。女なんて皆愛に狂っているわ。愛を失くした女は死んでいるも同然よ。そして女を飾るのは男の羨望と秘め事よ。覚えておきなさい」

「……ふん」

「まあいいけど。それより、そっちこそどうなのよ。そろそろ覚悟は決めたの?」

「何の話だ」

「やぁね。貴方がこの戦いに望む理由……それは本当にあの子の為だけ? あの子さえ救えれば本当にそれでいいの?」

 雁夜がバーサーカーに直接自分の参戦理由を話した覚えはない。ならば臓硯が吹き込んだか、あるいは彼女とのやり取りを見られていたか、そのどちらかだろう。

「決まっている。俺が聖杯を目指すのはあの子を間桐より解放する為だ。その為にこんなザマになってまでマスターになったんだ。
 まあ、それもおまえのようなサーヴァントを召喚してしまったせいで前途多難だがな」

「ふふ、褒められたと思っておくわ。
 だけど、それが本心? まだ隠しているものがあるでしょう? 貴方はあの子の為と叫びながら、その実自分の為に戦うのではなくて?」

「──────」

 雁夜の心臓が一際大きく跳ねた。体内に蔓延る蟲がざわめき立つ。蠢動を繰り返す蟲共を抑え付け、心臓の鼓動さえも跳ね付けて、雁夜は己がサーヴァントに鋭利な視線を突き刺した。

「……おまえに一体何が分かる。俺の何が、おまえなどに分かるんだ」

「分かるわよ。貴方も私も狂っている。貴方が口にした言葉は正確よ、雁夜。私は愛に狂い地に堕ちて、貴方はこれから墜ちていくの。
 だから分かるわよ、貴方の事。先駆者として忠告しておくと、欲しいのなら奪い取りなさい。取り戻せなくなる前に。狂気に身を委ねてしまうその前に……ね」

 その言葉は何処か、悲しみに彩られていた気がした。後悔とも無念ともつかない負ではない想念。ただただ身を焦がす炎のようで、冷たい雨に打たれるように、彼女の顔に涙を見た気がした。

「……行くぞ。もうここには用はない」

 未だ留まる女をそのままに、雁夜は階下へと通じる階段へと足を運ぶ。

 吹き曝しの屋上の上に憂いを秘めた瞳をした女が一人。彼女が自らを喚び寄せたマスターに向ける視線に込められた意図は、無機質な扉に阻まれ届かなかった。


/Nightmare


「何たる醜態だッ!」

 冬木ハイアットホテルの最上階を貸し切ったケイネス・エルメロイ・アーチボルトはその中のスイートルームで椅子に腰掛けたまま、掻き毟らんばかりに戦慄きながら頭を抱えていた。

 彼が苦悩する原因はサーヴァントにある。先の新都での一戦、彼のサーヴァントであるランサーは完璧なまでに負かされた。
 アーチャーの横槍で掴んだチャンスをものにしようと令呪に訴え宝具を解放しての決着に及んだというのに、結果はどうだ。

「ふざけるなよッ! あんな、あんなサーヴァント認めるものか! そして、そしておまえの役立たずぶりもなァ……!」

 傍らに控えるランサーの表情は暗く影を落としている。無論、約束した勝利を持ち帰れなかったせいでもあるが、それ以上に彼のマスターはランサー以上に先の闘争の内容に酷く落胆していた。

「おい、答えろランサー。おまえはどこまで稚気を弄した?」

 鋭く射竦められてもランサーは返せる言葉を持ち合わせていない。稚気など、ない。確かに最初は互いの力を測る為に興こそ乗りはしたが、令呪の強制が働いた以後は全力を尽くした。尽くして、けれどセイバーには及ばなかったのだ。

「……弁明があるなら聞こう、サーヴァント。おまえはセイバーに完膚なきまでに負かされたな。その前におまえは私に誓った筈ではなかったか? 実力を示すと。私の為に勝利を持ち帰ると。
 あれがおまえの実力か? おまえが私に示したかったものはセイバーに及ばないという敗戦主義の賜物か!?」

「我が主よ。決してそのような意はありませぬ。私は持てる力の限りを尽くしました。騎士の誇りに誓い、手を抜くような真似は決して────」

「戯けがッ!」

 テーブルの上に置かれていたグラスの中の冷や水を浴びせられてランサーは押し黙る。激昂したケイネスの怒りは収まるところを知らない。

「おまえは今自分が何を言っているか理解しているのか? 今おまえはな、自分でセイバーに及ばないと口にしたのだぞ。
 こんな、こんな馬鹿な話があってたまるものか。私はエルメロイ、ロード・エルメロイなのだ。それがこんな、緒戦で辛酸を舐めさせられるなどと……」

 割り砕かんとばかりに握り締められた硝子のグラスをあらぬ方向に放り投げながらケイネスはまたしても頭を抱えた。

「くそぅ……こんな、こんな筈じゃなかった。そうだ、悪いのはあの小僧だ。あの小僧が私の聖遺物を持ち去ったりしなければ、今頃……」

「────だらしのない。それでも私の夫となる者ですか」

 凛とした声音が室内に木霊する。一体いつからその場所に居たのか、真紅の髪をしたまだうら若き一人の乙女が強い口調で切って捨てる。
 怜悧な眼差しと堂々とした物腰からは年齢以上の貫禄が醸し出され、王女というよりは女王の風格を漂わせる女性だった。

「そ、ソラウ……」

「情けない。たかが一戦に敗北を喫しただけで頭を抱えるなど、本当に貴方はあのケイネスなのかしら?」

 大胆にケイネスの腰掛ける一角に詰め寄ったソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは、憚りもなく重く罵った。

「し、しかしソラウ。今夜の敗戦は大きすぎる。セイバーの圧倒的戦力はランサー自身とて認めるところだ。悲嘆に暮れるのも仕方がないだろう……」

「ええ、確かに。結果だけを見れば負けと言っても過言ではない内容だったわ。
 けど、ランサーはまだ生きているし貴方だってまだ何もしていない。策なんて幾らでもあるでしょう?」

 確かに、サーヴァントの闘争を結果としてみれば敗戦だろう。だが聖杯戦争の全てはそれでは決まらない。趨勢を決定付けるものはマスターかサーヴァントの完全な死以外に有り得ない。
 今なおケイネスもランサーも存命の状態なら如何様な手段も講じられるだろう。

 セイバーの情報はある程度知れたのだから単騎で敵わないのなら同盟を結べばいい。ようとして知れないセイバーのマスターを直接討つのもまた方法論の一つに数えられる。マスターとサーヴァントが健在である限り、まだ負けたわけではないのだ。

「だというのに貴方と来たら。もう負けた気になって頭を抱えるしかないなんて。
 ねえランサー。私は貴方がセイバーに負けたとは思っていないわ。最後の衝突は確実に貴方が圧していた。
 破魔の紅薔薇はあのセイバーの天敵と呼べる能力だし、まだ露見していない必滅の黄薔薇をセイバーは最警戒しているわ」

 最後の衝突の最中、セイバーの一刀を砕いた後のランサーの猛攻は確実にセイバーを追い詰めていた。未だ見ぬ黄槍の能力の発現を恐れたセイバーは黄槍の穂先に触れぬ事に終始して、結果として赤槍はセイバーの鎧を穿つ事に成功していた。

 悪かったのはタイミングだけ。もしあのまま続けていれば違う結末もあったのかもしれない。

「ランサー、貴方はもう一度セイバーと穂先を交えあうことになったのなら同じ結末しか有り得ないと思う?」

 水を差し向けられたランサーは毅然として頭を振った。

「いえ、それはないと断言します。二度同じ轍を踏むわけにはいかない。次があるのなら必ずやセイバーの首級を主の前に捧げましょう」

「ランサーはこう言っているけど?」

 今度はケイネスに矛先が向けられ、歯噛みしながらも言った。

「……分かった。今宵の失態は不問とする。しかし、次はないぞランサー。もしセイバーでなくとも他のサーヴァントに遅れを取るような事があれば覚悟を決めておく事だ」

 吐き捨てるだけ吐き捨ててケイネスは逃げるように寝室へと転がり込んだ。室内にはランサーとソラウだけが残された。

「本当、困った人。神童と謳われながら、こういう脆い面があるのは致命的よね」

「ソラウ様」

 嘆息しかかったソラウが振り仰げばそこにはランサーの面貌がある。精悍に整った美丈夫の端正な顔立ちが。

「私の為に弁明を下さり有難う御座います」

「え、ううん。いいのよ、私は私が思った事を言っただけだから」

 先ほどまでの剣幕は一気になりを潜め、恥らう乙女の視線をランサーに注ぐソラウの頬は紅潮していた。

「ただ、我が主への侮辱はお止め頂きたい。ケイネス殿に仕える騎士として、主への不敬はたとえソラウ様といえど看過出来ない」

「ご、ごめんなさいっ。私、そんなつもりじゃなくて。ただ貴方の事が、その、見ていられなくて……」

 しどろもどろに弁明をするソラウには最早先ほどまでの姿が嘘のように感じられる。必死にランサーの言葉を釈明しようと目を泳がせる様は、年相応の少女のそれだ。今にも泣き出しそうな彼女を見て、ランサーは呟く。

「いえ、申し訳ありませんでしたソラウ様。ソラウ様の言も全ては私の身を案じてのものであるというのに」

「ううん、いいのよランサー」

 そっとランサーの手を取り包み込む繊細な掌。穢れを知らぬ肌理細やかな指がランサーの指と絡み合う。

「勝って、ランサー。ケイネスの為に。私の為に。聖杯の頂を目指して、共に力を合わせましょう」

「……はい」

 頷いたランサーであったが、内心は穏やかならざるものだった。ソラウが彼を見つめる瞳は色恋に落ちた少女のそれだ。
 頬を染めて愛おしそうにランサーの指に己が指を絡める所作とて、ランサーは気の間違いであると信じたかった。

 ランサーの輝く貌に灯る魅惑の黒子。湖水へと落ちた一粒の雫の如き輝きを放つ、生まれ持っての呪いとも言える遍く異性を虜にする甘い罠。
 ソラウがランサーに向ける視線は、ただケイネスのサーヴァントに対する計らいであって欲しい。

 ソラウは主君の許婚であり、ランサーはただの一従者。その二人の間に恋などあってはならない。
 在りし日の彼の妻の顔が脳裏を掠める。情欲に濡れた双眸で見上げる仕えるべき主君の姫の熱い眼差し。

 決して破ってはならない誓いを契りと交わされた遠い悠久の日々。

 己の選択に後悔はない。ただ、今生こそは生前に果たせなかった忠義の在り処を。この命燃え尽きるその時まで、ただ一振りの槍でありたいと願わずにはいられない。

 窓の外には夜空に浮かぶ白い月。
 彼の内心の不安を払拭するには、余りにも綺麗過ぎる月夜だった。




 夜も深く、日もとうに沈んだ夜半にも関わらず切嗣と舞弥は今日一日に手に入れた情報の整理と確認に忙殺されていた。

 新都で起きた戦闘の委細は二人が事前に放った使い魔の眼を通し把握しており、特に舞弥の使い魔の腹に括りつけたカメラが捉えたセイバーとランサーの一戦は研究対象として充分な成果であろう。

 現に、薄暗い居間のテレビに映し出されている映像は月下で行われた二騎のサーヴァントの鎬の削り合いだ。どちらも兵だが、とりわけセイバーのステータスと能力には目を見張るものがある。

「一切のステータスを窺い知れないなんて……これもセイバーの能力か?」

 マスターにだけ賜れるサーヴァントのステータス透視力。一度サーヴァントと視認したものの基礎能力値とある程度までの技能の把握を可能とするこの異能を以ってして、セイバーの能力は一切が不明瞭。
 脳裏には図として確固たる形が浮かび上がりながら、その委細については波打つ水面の如く揺らぎ、読み取れず詳細は知れない。

「ロード・エルメロイが宝具の使用を渋ったのもこの能力のせいか。確かに、素性の全く知れないサーヴァント相手に緒戦で宝具を露見させるのはリスクが高すぎる」

 結果としてランサーのマスターは宝具に訴えたが、それでも終始優勢はセイバーの方だった。高すぎる技量。セイバーのクラスに恥じない能力値と秘めたる技能を未だ隠し持っている敵……

 しかし、いかにステータスの隠匿をしようともあれだけまざまざとした強さを露見させてはある程度の推測は立つ。
 協会屈指の花形講師であるケイネス・エルメロイ・アーチボルトのランサーを抑え込んだところを見れば、同等以上の力量を有するマスターがいて然るべき。

「十中八九、セイバーのマスターは遠坂時臣だろう」

 厄介な敵だ、と内心で呟いた。

「切嗣。ケイネス・エルメロイ・アーチボルトの所在が割り出せました。冬木ハイアットホテルの最上階を貸し切っているそうです。名義も本人のもののようですから間違いはないかと」

「そうか。引き続き割り出せそうなものがあれば頼む。出来ればライダーのマスターの所在が判明すればいいのだが」

 パソコンに向き合ったままの舞弥からの報告を耳に入れながら、切嗣は繰り返しセイバーとランサーの戦いの一部始終を見続ける。

「手にしたものを己が宝具にする能力……穂先の触れたものの魔力を断ち切る槍か」

 今回の戦いの中で露見したサーヴァントの能力は余さずチェックする。特にセイバーの能力は厄介だ。アーチャーの矢を掴んで己がものとした事から、他の武具に関しても奪い取られる可能性がある。
 相性の面で考えると分が悪い。セイバーは出来れば他のサーヴァントに斃させるか、遠坂時臣を討ち取る事で排除したい。

 一通りの確認を終えた切嗣は次に己がサーヴァントとライダーの対峙に記憶を飛ばす。こちらは映像として残るものはなかったが、アーチャーに程近い位置に据えて置いた使い魔の眼を通し直に見ている。
 目に焼き付けた委細については何の問題なく回想出来る。

 告白するのなら、アーチャーの戦力は切嗣の誤算だった。

 数キロの彼方からの精密な狙撃能力。一撃の威力に特化した矢から数を優先した矢束からと戦略の幅も広く、ライダーの戦車を釘付けにした戦術眼と鮮やかな撤退も充分評価に値する。

 切嗣からの指示がない状態でほぼ理想形として戦場に関与しつつも手札を残したままセイバー、ランサー、ライダーの各々に一枚ずつカードを切らせた。
 無論全てがアーチャーの手柄というわけではないが、とりわけライダーに関する情報は得難いものだろう。

 前情報のほとんどなかった外来のマスターの姿とライダーの真名、更には宝具まで露見させた。真名については勝手に名乗ってきたのだが、そこはそれ、あの気性のサーヴァントなら頷けるというものだ。

 結果として、切嗣のアーチャーに対する評価はかなり高く纏まった。後はどれだけ切嗣に共感し残虐の限りを尽くせるか。機械には必要のないメンタル部分での鬩ぎ合いとなるだろう。

 どれだけ有用な武器であっても、持ち主の意にそぐわないのなら価値はない。手に馴染むコンバットナイフと融通の効かない戦略核ならば、切嗣は迷わず前者を手にする。それほどに相性というのは戦局に影響を及ぼすのだから。

 ただ、それでも切嗣はまだアーチャーを疑っていた。むしろ濃くなったと言っても過言ではないかもしれない。アーチャーが放った矢。無数の矢はいいとしても、セイバー達へと放った初撃、ライダーへの初撃と最後の一撃。

 この三点には共通して見過ごせない点があった。その共通項とは全てが矢というの名の剣であったという事。事前に調べ尽くした英雄譚の中にそんな奇異な手段を用いる弓兵はいなかった。
 不可解だ。そしてその全てに共通する神秘の含有量……あれは、あの剣群は宝具にさえ匹敵する威力を秘めてはいなかったか……

「あなた」

 突然声を掛けられて振り仰いだ先には銀の髪を流す女性の姿があった。

「アイリ……? どうしたんだい、もう眠ったと思っていたけれど」

「うん。寝ようと思ったんだけどね、切嗣と舞弥さんが頑張ってる中で一人だけ先に眠るのもあれだし……ほら、コーヒー淹れたの。疲れてるでしょ?」

「ありがとう、助かるよ」

「ありがとうございます、マダム。切嗣、私は別件の情報収集に当たりますので、少し席を外します」

 舞弥は渡されたカップを手に居間を後にする。

「舞弥さん……気を使ってくれたのかしら」

 アイリスフィールは切嗣の傍に腰を下ろした。自分もまた黒い液体の入ったカップの温かさに触れながら。

「成果の方はどう?」

「ああ。アーチャーは思いの他よくやってくれた。緒戦にしては充分な戦果だろう」

 今は警戒の任として外の守りを任せているアーチャーに労いの言葉を。
 コーヒーに口をつけ盛大な溜め息をついた切嗣は首を鳴らし疲れを実感する。ずっと同じ姿勢でいるのは流石に堪える。

「当面の注意を払うとすればやはりセイバーだろう。そうだな……いっその事……いや、早計に過ぎる、か?」

 一人思考の渦に囚われかけた切嗣の目の端に伏し目がちのアイリスフィールが目に止まり首を傾げた。

「アイリ? 疲れているのなら早めに休むんだ」

「え? ううん、違うの。ただ、もう始まったんだなぁって思っちゃって」

 戦端は切られた。後は加速的にその凄惨さを増していくだけだ。闘争はこれより街の至るところで勃発し、人知れず殺戮の宴が繰り返される。
 そしてその果てにこそ、二人の望むものがある。恒久の平和。ありとあらゆる紛争と闘争のない静かなる世界を作り上げる為に、彼らは冬木の地に降り立った。

「心配しなくていい、アイリ。聖杯を掴むのはこの僕だ。他の誰にも渡しはしない」

「ええ、必ず。この地で流される血が世界に落ちる最後の流血であるように。貴方と、あの子が安らかに暮らせる世界を掴み取って」

「アイリ────」

 妻の身体を抱き締めて、切嗣は覚悟した。
 アイリスフィールの願いは、自らを犠牲とする決意に他ならない。もしかしたら、この細い身体を抱き締められるのは最後になるかもしれない。
 だから強く。強く忘れないように、この温もりを刻み付けるように切嗣は愛する妻の身体を抱き止めた。

「……切嗣」

 アイリスフィールもまた抱き締める腕に力を込める。人としての温もりをくれた愛する人の感触を離したくはないと願いながら、決して叶わぬユメと知りながら。
 長く、二人は互いの温もりを感じ合い、どちらともなく寄せていた身を名残惜しそうに離した。

「アイリ。明日からは僕も戦いに赴く。この家に帰らない日もあるだろう、この家と君の守護は舞弥に任せるつもりだ」

「はい、分かっています」

「長い戦いになると思う。けれど、僕は負けない。必ず、君をもう一度迎えに来るから」

「ええ。待っているわ、切嗣。必ず、迎えに来て」

 口にした言葉を決意に変えて。覚悟に変えて。二人の男女は確たる意志を胸に灯し、深まりゆく夜の中で確かな愛を交し合った。




 その男は、夜闇に紛れてある人物を追跡していた。

 禁忌に触れた魔術師への制裁行為……俗に言うところの封印指定の執行者として彼は冬木の街に溶け込んだ。

 封印指定を受ける人物には大別して二通りの種類がある。一つは稀代の才覚を有し、しかも世代継承を行えない当代にのみ許された奇跡の術を、失わせずに後世へと残す為の保護の名目での拘束。

 もう一つは魔術の領域を逸脱した行為を行った者に対する制裁。たとえば秘匿されるべき神秘を俗世に露見させた場合はこちらに該当する。
 前者と同じようにこちらも身柄の確保も行うが、最優先すべきは魔術の秘匿ただ一点。その為とあらば、たとえ天才であろうとも刻印さえ無事なら殲滅の対象に成り得る。

 特に後者は教会の代行者も出張る一件に成り得る可能性の高いもので、争奪戦の様相を呈した事は過去一度や二度では済まない。代行者らはあくまで異端者の殲滅を優先し、執行者は封印を優先する。

 その観点から見れば、彼は今後手を踏んでいると言えるだろう。極東に位置するこの島国には協会の支部は存在しない。独自の魔術体系を確立した日本には協会の勢力も及んでいないのだ。
 対して、聖堂教会の手は世界各地に根を張っている。表向きは世界でも有数の一大宗教を信奉するだけはあり、信徒のあるところには必ず教会の目がある。

 その意味では、彼が身分を秘匿してまで入国した苦労は水泡と帰す可能性が高い。この国に入る時点で彼は単独行動を強いられた。
 裏の組織に属する彼らが団体で入国しようとするのであれば、それこそ密入国でもしない限り数日間土着の機関に拘束される事も覚悟しなければならないからだ。

 彼にはそんな悠長に構える時間がなければ気質でもなかった。ようやく追い詰めた獲物であるのだ、ここまで来て教会の狗に掻っ攫われるのは御免だとばかりに半ば強引に冬木へと降り立ったのだ。

 そしてそんな彼の勇敢な行動は事ここに至り功を奏した。獲物が逃げ込んだ地が今聖杯戦争とかいう儀式の真っ只中にある事もあり、教会の目はそちらにばかり向いており彼らに注目は集まっていなかった。

 しかし、是非もない事だろう。彼が今追っている人物は逃げ足ばかりが速いだけの異端者だ。研究内容は魂の再現、死者の蘇生というありきたりなもので、しかも露骨に市井の人間を実験材料にするものだからお粗末もここまで行けば辟易とする。
 魔術師ならばもっと巧くやれと思わずにはいられなく、仮にもそんな子悪党と自分が同類として見られるのは耐え難い屈辱ですらあった。

 彼がそんな小物を追い駆けるのはもはや私情さえ挟み込んでいた。魔術師の面汚し……教会の狗ではないが、灰は灰に、塵は塵に疾く還れと苛立ちを逆巻かせていた。

「さあ、追い詰めたぞ」

 静かな住宅街の一角に設けられた墓地へと追い込んだ執行者は怒りを滲ませて呟いた。墓石に身を隠しているその様は余りに滑稽で、どうしてこんな辺境の地まで逃げられたのかと吐き捨てたい気分だった。

「鬼ごっこは終わりだ。ほら、さっさと姿を見せろ。悪い事をしたらちゃんと罰を受けないといけないだろう?
 今ならまだ確保で済ませてやるが、抵抗するなら処分するぞ」

 彼は懐より何の変哲もない一本の針を取り出し、ぶんと風を切るように振り払った。同時に、彼の手の中には炎の剣が顕現する。
 ある特殊な素材と彼の家系に伝わる秘術で編まれた針は触媒として機能し、彼の属性たる炎を増幅し自由自在の形を作り得る。

 仮にも執行者を名乗る彼ならではの戦闘魔術。シンプルであるが故に破り難い戦闘スタイルだった。

 夜の闇を照らす炎は絢爛に燃え盛り名も知らぬ墓碑銘を映し出す。
 彼の脅迫とも取れる辛辣な物言いに相手は応じる様子はなく、墓石の後ろでぶるぶると震えているだけだった。
 憤慨も露に舌打ちをした執行者は苛立たしげに文言を紡ぐ。

「出て来る気はない……と。ならば我が名と魔術協会からの勅命によりおまえを処分対象と認める。さよならだ、ぼーや」

 指に挟んだ針を一振り。それで勝負は着いた。剣の形をしていた炎は彼の意思に従い鋭利で長大な槍と化し、墓石ごとその後ろに隠れていた逃亡者を刺し貫いた。

 刃物の怜悧さと炎の熱。身を焦がす痛みの渦は夜を突き破る咆哮を上げて余りある激痛を呼び起こすが、事前に敷いた遮音の結界が正しく機能し、絶命の遠吠えを聞く者を彼一人に限定した。

 火の爆ぜる音を聞きながら心地よい気分に浸る。

 彼は火が好きだった。全ての闇を照らし上げる絶対なる煌き。自然界に恒久的に存在しない、およそ人が手に入れた物の中で最高の叡智。
 火の歴史は人の歴史だ。火のお陰で人はここまで急激に成長し、動物とは一線を画す霊長類最強の種族にまで上り詰めた。

 つまり、火とは人にだけ許された権力の象徴。

 あの赤い揺らめきの中には総てがある。人の宿業、人の歴史、人の死。ありとあらゆるものを飲み込み映し出してきた焔は彼の誇りですらあった。

 加えてようやく追い詰めた異端者を刈り取った後ともなれば一服の一つもしたくなるものだ。
 煙草の一本を取り出し火花で熱を灯す。吐き出した息は夜気の白さではなく、充足感を形にする勝利の狼煙であった。

「さて、と。流石に消し炭にしちゃマズい。持って帰るのが役目だからな」

 くいと指を引けば伸びた槍は収縮し灯火にまで勢いを落とし針の先で燻っている。穴を空けてしまった墓標は後で修復しなければいけないかと事後処理に頭を廻しながら大胆に間合いを詰めた。

 それが、いけなかった。

 墓石にしがみ付く形で命を終えた筈の屍骸が、よもや牙を剥くなどと彼は考えもしなかった。
 バネ仕掛けの機械のように飛び上がった異端者は文字通りに彼にその牙を突き立てた。尖り鋭さを増した犬歯が彼の首に二つばかり穴を作り上げた。

「キサマ────!」

 勢いを増した炎に煽られ吹き飛ぶ異端の影。しかし、全てが遅い。彼の身を襲うは酩酊に似た浮遊感。意識が混濁し、震える膝を抑え付けるのに精一杯であった。

「貴様……まさか、成し遂げていたというのか!?」

 ゆらりと立ち上がる影。嗤っている。嘲笑っている。こんな結末は認めない。彼のプライドが認めてなるものかと強がっても、歪んだ視界に呼応するように身体の自由が、支配が得体の知れない何かに犯されていく。

「神の庭から何やら臭うと思えば……よもや、死徒とはな」

 黒衣の男。それが、彼が意識を手離す直前に見た最後の光景だった。




 外人墓地へと降り立った綺礼が見た光景はおよそ慮外のものだ。情報としては聞き及んでいた。魔術協会により封印指定を受けた魔術師が日本に潜伏している可能性があると。しかしそれがまさか冬木市に隠れ潜んでおり、

「しかも、死徒化を果たしていたとあっては、さて。執行者には些か荷が勝ち過ぎる領分だろう」

 足元に倒れ伏した執行者に視線を滑らせながら、綺礼は僧衣の裾から両手に計六本の黒鍵を顕現させた。

 しかし解せない。彼の聞き及んでいた情報によれば単に神秘の露見に加担してしまったが故に封印指定を受けただけの小物であった筈だが。
 魔術を極めて死徒へと至る者も稀にいると聞くが、彼らは総じて高い技量と才覚を有している。少なくとも、綺礼の目の前の人物についてはそこまでの才能はなかったと記憶していたのだが……

「是非もない。この土地に迷い込んだこと、そしてこうして面と向かって認識してしまった以上見過ごす事は出来ない。
 君の殲滅の任は受けていないが、我らがこれよりこの地で行う儀式に余計な異分子は不要なのだ。速やかにご退場願おう」

 言うが早いか、闇を走る六閃。銀色の閃きが吸い込まれるように立ち尽くした異端者目掛けて疾駆する。
 身の危険を察知したのか、惑うように逃げ回る異端者。綺礼は間断なく黒鍵を抜き放ち逃げ場と機動力を削いでいく。

「…………」

 力量としては下の下。リビングデッドの方がまだマシだと思わせるくらいに歯ごたえのない相手だ。ただそれでも執行者は油断から襲撃されたのだ、完全に息の根を止めるまでは容赦はしない。

「…………ッ、ぁ!」

 逃げ惑う異端者の足へと突き刺さる二本の黒鍵。倒れ伏したソレに更に打ち付けられる銀閃。四肢の全てを針と穿ち、完全に動きを縫った状態で更に綺礼はトドメだとばかりに黒鍵を抜いた。

 そして手にした剣を振り抜こうとした瞬間、異常は起きた。
 突如として墓標に灯る火。整然と並んだ全ての墓石の上に奇妙な火が灯り、ゆらゆらと揺れていた。
 綺礼が訝しむ間もなく、更なる脅威が降り注ぐ。

「ぬ……っ!?」

 乾いた土を突き破り生えてくる人間の手。一つではない、二つ、三つと数を俄然として増していく腕は、間違いなく葬られた筈の死者の腕。強靭な力で足首を掴まれた綺礼は困惑と焦燥に胸を焦がしながら眼前の奏者を見た。

 嗤っている。この死者を繰っているであろうその異端者は、四肢を血で染め上げながら嗤っていた。

 ────何者なのだ、この女……

 妖しく嗤う眼前の女を見やり、綺礼はそれでも落ち着きを取り戻し呟いた。

「アサシン、殺せ」

 闇に溶け闇を斬り裂く無数のダークが四方より投擲され、女の身体を穿ち、またしても倒れ伏した。綺礼は足元に絡み付く死者の腕を引き剥がし一度後退した。

「ご無事ですか」

「ああ。まさかおまえの力を借りる事になるとは思わなかった」

 潜ませておいたアサシンの一人が傍に侍り、綺礼はまだ疑いの消えない眼差しを決然と伏した髪の長い女に向ける。
 よもやサーヴァントまで動員する事になろうとは。しかし、完全に消し去らなければなるまい。この女は異常だ、ただの死徒ではない予感がある。

 確実に殲滅する。サーヴァントであるアサシンの動員まで果たして死徒の一匹も狩れないとあっては名折れだ。決着をつけると踏み込んだ瞬間、綺礼の視界を埋め尽くしたものは異常という言葉すら生温い怪異だった。

「────な……んだと!?」

 外人墓地を埋め尽くす墓石の全てが吹き飛び、現れるは死者の群れ。更には絢爛たる炎が顕現し、周囲を輪のように取り囲む。
 炎を生み出したのは先ほどの執行者。色を映さない瞳を茫洋と揺らしながら手にした針を指揮棒の如く振るい死者と炎の音頭を取る。

 最奥にはあの女が嗤っている。更にその背後には虚ろな影。幻想に居座る巨大な怪物の光り輝く瞳を見た気がして。
 手を天に掲げる女を見やった綺礼は幻覚でも見ているのかと我が目を疑ったが即座に理解した。

 ────こいつ、マスターかッ……!

 少女の手の甲に燦然と輝く鎖状の文様は令呪のそれ。そして背後に揺らめく化物の影。あれこそ恐らく、最後の招来を焦がれていたサーヴァント。
 異常な蘇生能力を持つ死徒と怪奇なサーヴァントの組み合わせ。更に執行者までを手駒と化した異形の能力。

 放置しておいていい相手ではない。が……

「退くぞ、アサシン。今の我らでは役者不足だ」

 サーヴァントにあって最も戦闘力に欠けるアサシンの真骨頂は暗殺にある。こうして姿を露見させた上での対峙は既に敗北しているのと変わらない。
 能力の知れないサーヴァントを相手にするには、些か以上にきついメンバーだ。

 僧衣の裾に隠し持っていた全ての黒鍵を雨と降らせながら綺礼は素早く外人墓地より離脱する。盾となって土に還る死者、燃え盛る炎に阻まれる黒鍵。されど、女と化物は依然健在で。

「アハ、アハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」

 遠慮のない哄笑を遥かな月に謳いながら、炎の中で少女は踊る。円舞のように、輪舞のように、鎮魂歌に乗せて。

 ────今宵、最後のサーヴァントが悪夢として顕現した。
最終更新:2010年07月10日 10:14
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。