左右正面頭上に斜め上。六人のアサシンが一斉に跳躍し、白き髑髏の面貌を月の浮かぶ夜空に躍らせながら手にしたダークを穿つ。都合二十に迫る短刀群を、手にした黒檀の弓と後退にて迎え撃つ。
その隙を見逃さずに敵のマスターは空に飛び込んだが、アーチャーは後を追う真似はしなかった。元よりサーヴァントにサーヴァントをぶつけるように、マスターの相手を行うのもまたマスターの役目。
あの男はアーチャーの援護など望んでいない。ただ単に敵のサーヴァントを警戒したが為に令呪に訴えアーチャーを呼び寄せただけであり、最初からマスターとサーヴァントを分断出来れば後は自力でなんとかするつもりだっただろう。
切嗣がとりわけ危険視していた綺礼なればこそ、是が非でもこの段で排除しておかなければならない。憂慮を一つ断てば、聖杯に一歩近づくのだから。
アサシン達もまた同じ腹積もりであったのか、綺礼が消え去った今は油断なくアーチャーを窺うばかりで無理に攻め立てようとはして来ない。こちらの力量を測りかねているのか綺礼よりの指示なのかは判別はつかなかったが。
「フン……本来一人しか収まらない英霊の座に群体としてあるアサシン……か。
なるほど、ならばさぞかし情報の収集は楽だったろうな。一人でこの街を奔走する必要はなく、皆で分散して情報の収集に当たればいいだけなのだからな」
アーチャーの言葉にもアサシンは声らしい声を発さない。声を出さないのか、出せないのか。何れにせよ、相手から得られる情報は少ないと見てもいい。しかし、駆け引きとは何時の世も焦りを生じさせた方が負けるのだ。
「で、貴様らのその異様……それは宝具の能力か?」
答えなど期待せずに、アーチャーは気付かれぬように一歩後退する。
「口も利けんか。ならば問いを変えよう────貴様らは、それで全部か?」
アーチャーの眼前にいるアサシンは六人。全部で七騎のサーヴァントの諜報活動を行う上でお誂え向きの数だが、本当にこれで全員なのかとアーチャーは訝しむ。
無論答えはなく、アーチャーは更に一歩後退する。同時に、アサシン達からは殺意が漏れ出す。手にしたダークに僅かながらに力が込められたのを鷹の慧眼は見逃さなかった。そして、火蓋を切る言の葉を紡ぎ出す。
「強情だな。ならば良い、この場で全員を殺し尽くせば分かることだ」
言い終るや否やアーチャーは手にした弓を眼前に掲げる。同時に迸った戦いの気配と溢れ出した殺意に反応した二体のアサシンが滑るようにアーチャーへと駆け出す。
弓兵の射程外とは懐だ。どんな名手であろうとも、自らの胸に向けて矢は放てない。そう知るからこそ戦いの予兆を看破した瞬間にアサシンは疾走した。
弓に矢を番える暇を与えないと。一射すら放たせずに勝負を決めると。
脅威的な瞬発力でアサシンは肉薄する。手にしたダークを放つまでもなく、手ずから斬り裂いてやると白面を揺らしたアサシンはしかし、
「ギィァアァァァ……!」
奇声を叫び、血の華を咲かせて倒れ伏した。
同じく踊りかかっていたもう一人のアサシンも追随する形で短刀を振り上げていた姿勢が災いし、流れるような動作で振るわれたアーチャーの“剣”に斬り裂かれた。
「口無しかと思えば違ったか。だがまあ、その口を割らせるのは容易ではなさそうだ」
息を呑んだのは残った四人のアサシン達だ。
先程までは弓を手にしていたアーチャーの手の中には今は剣が握られている。反り返る刃を煌かせる白と黒の中華剣。無骨でありながらその実清廉なるしなやかさを持つ、夫婦の剣であった。
「フン、弓兵が弓しか使わないと思い込んでいたのなら早計だな。それともあれか、君達の情報収集能力というのはその程度なのか?
ならば高が知れるというものだな。数でしか戦力差を埋められない時点で、力を測る必要性もない事だったか」
「キサマ────!」
四人のアサシンが散開し四方からアーチャーを囲い込む。しかし、アーチャーには怯えの一つもありはしなかった。
先ほど斬り裂いた二人のアサシンの手応えの無さから推測された結果は彼らは群体であるが故に個々人の能力は極めて低い。本来一人分の枠しかない座を無数で分散したのだとすれば当たり前の事なのかも知れないが。
加えてこんなにも安い挑発にかかる時点で相手にもならない。アーチャーがわざと間合いを広げようとした様から弓を射る為の間隔確保と睨んだ時点で、あの二人の敗北は決まっていた。
この状況も充分に許容範囲。冷静さを無くした者ほど御しやすいものもない。単調なだけの攻撃、思慮を欠いた突撃、無謀な突貫。幾重にも策を巡らせたアーチャーを相手取って自己を見失った時点で敗北は必定だ。
「さあ、掛かって来い暗殺者。せめて最後に気概を見せてみろ────!」
月下にて双刃が踊る。
無数の血の華で夜の闇を染め上げながら、舞うように赤い外套が翻る。
◇
アーチャーとアサシンの対峙の場から幾らかの距離を取った先で二人は向き合った。ビルが乱立する区画に入ったお陰で先のようにアーチャーの助力なくして跳躍を成し遂げた切嗣と、全く呼吸を弾ませていない綺礼が互いの面貌を睥睨し合う。
「嬉しいよ衛宮切嗣。おまえとこうして見えられるとは……それも、こんなにも早く」
恋焦がれた相手に振り向いて貰えたかのように歓喜に打ち震える綺礼を切嗣は醒めた目で見つめている。
互いのサーヴァントは相手のサーヴァントの足止め。これで余計な邪魔は入らない。速やかにこの男を斃す。生かしておいては危険な人物だと、切嗣の全てが警告を発する。
「待て衛宮。私におまえと争う意図は無い。おまえが有無を言わせずに銃を放つから仕方なく応じただけだ。他意はない」
誰がそんな戯言を信じるものかと切嗣は銃口を向けたまま引き鉄に指を掛ける。いつでも放てるように。
綺礼は胸に下げたロザリオを掴み祈りを捧げる。まるで今自分が立っている場所が戦場ではなく、礼拝堂であるかのような堂々とした所作だ。
「衛宮切嗣。私はおまえに問わねばならない」
黙祷から脱した鋭い瞳が切嗣を射抜く。いつでも動けるように若干腰を落として謳い上げる神父を睨み付けた。
「教えてくれ。おまえは何を手に入れた。戦場の只中で見つけられなかった何を、あの聖杯に執着する一族の元で見つけたのだ」
およそそんな問いかけを切嗣は予想していなかった。むしろ、理解さえ出来なかったと言ってもいい。この男は何を言っている。何の話をしているのだ、と。
「おまえの遍歴は余さず見せて貰った。明らかに小金に執着するが為の紛争地帯への介入ではない。
おまえは一体、世界中の死地で何を探し求めていた? 私と同じ、空虚な心を埋められるものを探していたのだろう?
けれどソレは終ぞ見つけられず、しかしおまえは違う場所で見つけた筈だ。冬の一族、アインツベルンに召抱えられてからの静寂は、心を確かに埋めたが為なのだろう?」
「…………」
やはり、切嗣には理解が出来ない。この男は何かを勘違いしている。いや、強ち間違いでもないのかもしれない。
数多の戦場を馳せ、切嗣が己が命を賭してきた意味とは生命の救済。人の手で可能な最良の選択……多くを生かす為に少数を切り捨てるという無常の愛の実践行為。
心を鉄に変え、天秤の揺れだけを冷やかに見つめ続けてきた切嗣が辿り着いた解というものがあるとすれば、この闘争の決着の果てに頂く杯だ。
奇跡の縁に縋り、およそ人の手では行えない救済を世にばら撒く。恒久の平和。二度と人の手が血で塗れる事がないように、切嗣は最後の闘争に身を投じた。
「さあ、教えてくれ衛宮切嗣……! おまえの答えを! おまえの見つけたものの正体を! この問いを投げ掛ける為だけに、私は争いに身を投じたのだから……!!」
哀願にも似た焦眉を露にしながら綺礼は問う。何一つとして得られなかった生に解を。同じ空虚を宿し、己よりも先に答えを得た男に。
──しかし。切嗣の返答は冷淡だった。
手にした銃の引き鉄を引き絞る。火花を散らせながら放たれた銃弾は寸分違わず綺礼を射止め、けれどただの一つも貫通せずに地に落ちた。
先の一幕よりキャレコ短機関銃では綺礼を打倒出来ないと承知している。だからこれは単なる拒絶の意思表明。おまえにくれてやるものは“死”以外に有り得ないと明確な否を衝き付けた。
「何故だッ! 頼む、教えてくれ! おまえの得たものを、おまえが掴んだものをォ!!」
狂気に囚われた綺礼が裾より引き抜いた黒鍵を手に疾駆する。是が非でも答えを得なければならない。たとえ切嗣を殺し尽くす事になろうとも。綺礼の執着は、もはや妄執の域にある。
応じる切嗣は全力で後退しながら銃弾をばら撒きつつ牽制する。短機関銃では綺礼の足止めさえ僅かな時間しか稼げない。
本来ならばいかな防護加工を施そうとも魔術的な加護を働かせなければ相応の衝撃が身体を穿ち激痛に苛まれる。だというのに、目の前の男はまるで意に返した様子もなく銃弾の雨の只中に身を晒している。
つまり彼の代行者の身体能力は脅威の域にある。接近されれば恐らく、切嗣はまるで歯が立つまい。
故にこの戦いはいかに間合いを保つか、間合いを詰めるかに終始する。
しかし綺礼の手の中には代行者が扱う黒鍵がある。剣としての特性よりも矢として特化した十字架を模した剣を余さず振り抜き、切嗣を縫い止めようと夜を斬り裂く。
夜闇に穿たれた黒鍵を跳躍を以って回避。手にした銃は火を噴き続け、黒衣の僧侶を僅かばかりの足止めをする。
それでも綺礼は止まらない。更なる刃を繰り出し、彼我の距離を詰めんと疾駆する。
それなりの広さを誇る屋上であるからこそ、綺礼が生身の箇所を庇う事を優先しているからこそ、切嗣は飛来する黒鍵を回避迎撃せしめている。
しかし身体能力に絶対的な差がある。現代兵器を武装とする切嗣は綺礼ほど肉体を研鑽していない。代行者として培った修練を身に刻んだ綺礼の肉体は単純なスペック差で切嗣を凌駕する。
決め手があるとするのなら己が胸に抱く魔銃の一射。魔術らしい魔術を発動している様子を見せない綺礼に真の切り札足る魔弾は用を為さないだろうが、既に装填されている銃弾ならばむしろその方が都合が良い。
算段と共に逃げ回るように銃を乱射していた切嗣に、唐突に衝撃が走る。まだ裕に七メートルはあった間合いを一瞬にして詰める綺礼の歩法。八極拳の流れを汲む絶技で以って、綺礼は勝負に出た。
僅かに二メートルの距離にまで迫った綺礼が更なる追い込みをかけ、裏打ちされた肉体にものを言わせた掌打を繰り出さんと震脚を撃ち抜く。
間合いを詰められた切嗣はタイミングも悪くキャレコの弾切れを起こし、絶体絶命の窮地へと追い込まれる。しかし、切嗣とてこれまで潜り抜けて来た死線の数では綺礼にさえ匹敵する。
冷えきった心は死地にあっても冷静を貫き、敵の見せた絶技に瞠目する時間さえも惜しんで迎え撃つべき一手を素早く信号として送り出す。
代行者言峰綺礼の秘門に対するは、魔術師衛宮切嗣が奥義。
「Time Alter(固 有 時 制 御)────double accel(二 倍 速)!」
切嗣の呪文の詠唱と綺礼の必殺の構えはほぼ同時。
確たる勝利を描いたわけではないが、それでも一矢報いるには充分すぎる間合いと相手の隙を手に入れた筈の綺礼が一瞬の後に驚愕する羽目になるなどとは本人さえも思いもしなかった。
明らかな加速。ただ綺礼の掌打から逃れんと決死の後退しか道の残されていなかった刹那において、切嗣の動作の一つ一つが異常を描く。
掌打を避けんとバックステップを踏んだ切嗣の身体が綺礼の予測より遥かに遠い。コンマを切る速度で撃ち出された絶殺の秘門は空を切り、追い討ちをかける旋脚は僅かに切嗣の顎を掠めるに留まった。
流れるような一連の拳は切嗣に避けようもない驚愕を産み落とす。ただ顎先を掠めただけの一撃に、脳を揺さぶられるかのような衝撃を感じ取り焦燥を噛み殺した。
けれど脳とは別のところで腕は自律行動を行い、手にしていた短機関銃を放り、ホルスターより愛銃を引き抜いた。
魔銃に装填されている弾丸は・30-06スプリングフィールド弾。キャレコ短機関銃の9mm弾を弾速、威力共に圧倒する凶弾をこの距離から放てば綺礼とて無事では済まない。
旋脚の回避に上を向いた顔から視線だけで眼前の僅かな硬直の中にある敵影を見咎め、揺らぐ視界の中でも全くぶれない照準を表面積の少ない頭部ではなく心臓のある身体に合わせる。
蹴りを振り抜いた姿勢の綺礼。身体を流したまま銃を向ける切嗣。指先にかかる引き鉄に僅かばかりの力を込めれば、撃ち出される死の凶弾。夜を斬り裂く轟音と共に、魔弾の射手が致命の一撃を解き放つ。
◇
苛烈なる戦場に一時の静寂が訪れる。屋上を攫う風は冷たく、中心にある二つの人影を強く吹き付ける。
たっ、と軽い音を立てて切嗣が着地してそのまま後退。倍化していた体内時間は呟きと共に収束し、代わりに彼の身を襲うのは反動だ。
時間の流れを操作する固有時制御を我流にて戦闘魔術にまで昇華させた切嗣を以ってしても、世界よりの修正は避けえない。
「────っ、……」
血反吐さえ吐き出しかねないフィードバックを噛み殺し、未だ存命の仇敵を見据える。
充分に広げた間合いの先にある僧衣。あの一瞬、最早回避する時間などない筈の刹那において、綺礼は確かに回避運動を取って見せた。
綺礼が切嗣の魔術を知らず目測を誤ったように、切嗣もまた綺礼の身体能力の出鱈目さを見誤っていた。
世の中には銃弾を視認してから避ける事の出来る化物もいると聞くが、目の前の男はその類ではない。
向けられた銃口の角度、視線、引き鉄にかけられた指の動き。ありとあらゆる予備動作から放たれる弾丸の軌道を予測し、脅威の身体能力で以って回避する……
人の範疇にありながら、一体どれほどの修練を積み上げればその高みへと到るのか、切嗣には理解さえ出来なかった。
誤算があったとすれば切嗣の手にしていた魔銃の威力か。脇腹を掠めに留まった一撃はキャレコ短機関銃の弾丸を悉く防いだ僧衣を突き破り、表皮さえも焦がし赤い血肉を露にしていた。
ただそれでも憮然とした綺礼の表情には痛みや焦りの色は全く垣間見えない。
睨み合いの最中にあって、不利なのはむしろ切嗣の方だった。彼の手にするコンテンダーは装填弾数一発の代物だ。キャレコ短機関銃を手離した今、頼みの綱の愛銃には弾丸が込められていない。
綺礼が再度迫るよりも早く弾丸を装填し、更なる一撃を叩き込む……口にすれば簡単な動作が、今の切嗣には途方もなく遠い場所の事に思えた。
ただ、隙があるとするのなら……
「衛宮。私はおまえの答えが聞きたい、ただそれだけだ。その銃を私に向けるな。次は殺してしまうかもしれん」
言峰綺礼の執着、か。
これほどまでに欲する解ならば、綺礼は殺害よりも捕縛を優先して行動する。いや、いざ闘争の只中に身を置けばそんな悠長な考えは捨て去るだろうが、こうして間合いを開け対峙する分には猶予があると見て取っていいだろう。
しかし切嗣にとって綺礼と交わす言葉など持ち合わせていない。今一つ要領を得ない綺礼の問いかけに馬鹿正直に答えてやる義理も義務も存在しない。ただ冷徹に。勝利の布石をばら撒く時間稼ぎに丁度良いとしか思えない。
綺礼の問いを黙殺したまま、切嗣は素早く再装填を済ませる。綺礼に動きはない。戦力的に有利にあるのは綺礼だが、唯一つの執着が彼我の思惑を交錯させる。
更に手持ちの武装の確認。銃は今手にするコンテンダーが一挺。身体の随所にナイフを数本。コートの裏側に手榴弾、発煙筒や閃光弾、その他それに類する撹乱の道具。
武装としては必要充分。後は自らの覚悟の量だけ。今この場で言峰綺礼を亡き者と出来るのならば、多少の損傷は受け入れなければならないものと了解する。
切嗣の準備完了に伴い綺礼は目聡く魔術師殺しの手にする銃把に力が篭るのも見咎めた。
「やはり、戦うか。ならば是非もない。力尽くで答えさせるまで」
一挙一動を見誤らぬと構えた綺礼に差し向けられるは銀の刃。撓りを以って打ち出された投げナイフを第二幕の開戦の合図とし両者は共に動き出す。
綺礼は一直線に飛来した銀閃を難なく回避せしめ、強靭な脚力で疾駆する。切嗣の手にする銃がただの一発で再装填を行われた事から総弾数を推測。
至近距離でなければ回避さえも可能。身を削る覚悟は必要だが、それで切嗣を無力化出来るのであれば安い代償だと了解する。
先のように待ちはない。猶予もない。確実に捉え、是が非でも吐かせてみせる……
二閃、三閃と繰り出されるナイフの全てを躱し切り目標に迫る。先程垣間見た切嗣の魔術は既に把握済み。いかに二倍の速度で動けようとも、ならばそれさえも計算に入れ打ち込むだけの事。
綺礼の止まらない加速の最中、降り止んだ銀光の代わりに切嗣が両者の間に発煙筒を放り投げる。
一瞬にして屋上を包み込む白煙に綺礼は一度足を止め即座に口元を覆う。毒か何かと勘繰ったがどうやらただの煙幕のようだった。濛々と煙る視界の中、強く吹きつける風が一定方向へと煙を攫っていく。
────これは、まずい。
綺礼の脳裏を掠める焦燥を後押しするように、右方より白靄を斬り裂いて銀色の閃光が飛来。寸でのところで躱せたのは風を切る音、空気の流れの違和感だった。
屋上に吹き荒ぶ風ならば、煙幕など数秒と持たず消え去るだろう。だがこの一手を講じた切嗣が座して霞が晴れる事を待つなど有り得ない。逃走の可能性も考えるが、切嗣は必ずや殺しにかかると確信する。
ナイフが白靄の向こうに消え去るよりも早く僧衣の裾より左右八本の黒鍵を引き抜く。静聴にて足音、発砲音を探り、視野にて煙の流れを見続ける。
上下左右正面背後。何れよりの攻勢にも対応できる布陣を即座に築き上げて綺礼は必ずや訪れる衝突の瞬間を待つ。
カン、と耳に届く妙な音。左方より聞こえたその音はブラフ──そう読んだ綺礼が他の方向へと注意を向けた瞬間、音の響いた方向より猛然と煙を引き裂いて疾駆する切嗣の姿を目の端で捉える。
既に倍速化が施術されている切嗣の速度は常人の域を逸脱。漆黒の瞳孔に敵影を映し込んだ瞬間、綺礼が放つ左手の四閃。
明確に仕留める為の投擲ではなく、右手の四閃へと繋ぐ為の牽制。
異常な速度で黒鍵を回避した切嗣に差し向けられるは必殺を以って放たれる銀の刃。切嗣もまた至近距離から確実に銃弾を叩き込む為に身を晒し突貫する。
翻る刃。向けられる銃口。互いが互いを仕留める為に放つ凶弾凶刃は、
「ウオォォォォォォォォォォ────!」
「────!」
「…………!」
およそ予期していなかった脅威の到来により阻止され、危機を同時に悟った二人はどちらとも無く離脱した。
白煙を晴らすかのように空より降った稲妻。コンクリートの床を穿ち破砕した欠片が礫となって飛沫を上げる。
二人が死地と踏み込んだ場所に寸分違わず落ちた落雷の正体は、黄色の短槍──ランサーが手にした槍の一本だった。
遅れて来た痩躯の槍使いの姿を目視し、切嗣と綺礼は瞠目する。
ほぼ全身を血塗れと化し、けれど瞳には昨夜の戦いよりなお強固な意志を秘めて二人を睥睨している。手にした赤色の長槍が穂先を揺らしていた。
「……どちらだ。我が主に不敬なる一矢を放った者は」
明確な怒気を孕ませた視線に射竦められ、切嗣は焦燥を抱いた。ランサーの姿を見るからに、アーチャーの狙撃は相応の痛手を喰らわせたと見てもいいだろう。
だがまだ詳細までは知れない。マスターであるケイネスは死んだのか? ならば今いるランサーは最後の足掻きを行っているだけなのか? あるいはなんとか生き延びて、憤怒を憎悪に変えてランサーを差し向けて来たのか……?
言峰綺礼に気を取られ、彼らの存在を忘却していた己が不肖を歯噛みする。どうすればいい。既に令呪の一画を消費した現状、二画目を使うのだけは避けなければならない。一夜で二つも消費したとなれば、後の戦いで圧倒的な不利を被る。
「答えないか。ならば良い。どちらもマスターであるな? どのサーヴァントのマスターかは知らないが、おまえ達はここで死んでくれ」
黄槍を手にして両翼を広げたランサーを前に、綺礼が一歩先んじた。
と同時に、今にも弾け出さんと踏み込みを強めたランサーの元に奔る黒色の刃。容易く叩き落すも、己の与り知らぬ第三者の存在を認識した槍兵が周囲への警戒を強める間に、綺礼は言葉を紡ぎ出す。
「衛宮。私はまだおまえに聞いていない。おまえの解を聞いていない。ここで誓え。次見える時、必ずや私の迷いに解を齎すと」
サーヴァントが現れた以上、マスターでしかない二人が闘争を続けられる筈もない。局面の移り変わりを理解し、更に綺礼の言の意味するところを瞬時に理解した切嗣は、ただ冷淡に己が行うべき最善の策を言葉にする。
「……いいだろう。おまえの欲するものが何かは知らないが、僕に答えられるものなら答えると約束しよう」
「その言葉──ゆめ忘れるな」
綺礼が腕を眼前に差し出し謳い上げる。
「令呪を以って我がサーヴァントに命ずる──出でよアサシン、ランサーを足止めせよ」
祝詞は令呪を赤く染め上げ、膨大な魔力を渦巻かせながら主の命を昇華する。屋上を染め上げた白光が晴れた後、現れたサーヴァントの異様に、綺礼以外の二人は驚愕に目を見開いた。
綺礼とランサーの間に現れたアサシンの数は、先程の比ではない。十や二十を裕に超える無数の白面が月下に踊り、怪奇なる声を多重奏として夜に響かせる。
それぞれがサーヴァントでありそれぞれがアサシン。無数にして個である今代の暗殺者の異様は、彼らの度肝を抜いて余りある。
「行け、衛宮切嗣。先の誓約、必ず果たして貰うぞ」
「ああ。その時まで、おまえが生きていればの話だがな」
即座に始まったランサーとアサシンの闘争の裏で、身を翻して階下に通じる扉へと駆け出した切嗣を見やり、綺礼は乾いた笑みを零して向き直る。
「アサシン、目的は奴の足止めだ。深入りはするな。それなりの時間を稼いだのならば離脱しろ」
「御意に」
一番近くにいた一人の白面に告げて一瞬だけ前を見る。一人のサーヴァントを囲む無数の影。縦横無尽に奔る短刀はその数さえも計り知れない。
「どけぇええ……! サーヴァントォ……!!」
しかし、今宵のランサーは尋常な強さではない。身を濡らす赤き血を巻き上げながら赤の長槍と黄の短槍を閃と振り翳し、身を穿つダークの全てを叩き落して、忍び寄る暗殺者を殲滅する。
アサシンの返答を聞き取り、綺礼もまた屋上を去る。
今宵の闘争、師である時臣に隠し通す事など出来まい。下手を打てばこの場に居るアサシンの全てが討ち取られる可能性とてあるのだから。
しかし綺礼は確かな手応えを得た。切嗣に取り付けた誓約を果たす為、再び見えなければならない。それが何時かは知れないが、絶対にもう一度あの男と対面すると決意を灯し、綺礼は夜闇に紛れ姿を眩ませた。
/Romancer
深夜。
世界は闇に沈み、煌々と暗闇を照らし出すは疎らに建て付けられた街灯のみ。居並ぶ家屋には明かりの一つさえ見受けられず、街は静寂に閉ざされていた。
およそ人の営みの外に置かれた時間に、その少女は街を彷徨い歩いていた。軽やかな足取りでステップを踏みつつ、小さく歌を口ずさむ。
闇に潜む動物達の鳴き声に合わせるように、名も無い歌を歌い上げる。透き通る声で、神を前にした信徒が謳う祝詞のように、闇を震わせ切り裂いて。
「ああ、楽しいなぁ。こんなに楽しいのは久しぶりかも。それもこれも全部貴方のお陰ね」
くるりと廻り後ろを向いた彼女の視線の先には、何もない。いや、微かな歪みと暗闇に灯る赤い光が二つばかり浮かんでいた。
「ねえ、そういえば貴方、喋れないの?」
茫洋とした影は答えない。蜃気楼のように揺らめく巨大な影は赤い光を少女に向けるばかりで、言語を発さなかった。
「んー、でも確かに聞いたんだけどなぁ。じゃなきゃ私にあんな真似、出来る筈ないし」
あの夜、執行者に追い詰められた墓地で少女は確かに声を聞いた。与り知らない誰かの声を。そして唐突に理解を得たのだ。己の知らない叡智。欲した知識。およそ人外の秘奥の一端を垣間見た。
小首を傾げたまま空を、赤く灯る光を見つめる少女。
「ねえ、やっぱり────」
『煩い。喋るな』
「…………っ!?」
突然脳裏に直接響いたその言葉に少女は驚きと共に首を竦めた。周囲には人影はなく、声も耳朶より入り込んだものではない。ならばと、再度視線を上げれば、爛々と輝く赤い双眸が確かに少女を見下ろしていた。
「今の……」
『喋るなと言ったのが聞こえなかったか? 面倒なのは嫌いなんだ』
「やっぱり! あの時の声だ!」
少女は目を輝かせて影を見上げる。虚ろな影の表情は全くと言っていいほど読めなかったが、先の声音は本当に面倒臭そうだった。あるいは怒りさえも孕んでいたのかもしれないが少女にはまるで聞こえていなかった。
「ねえ貴方なに? なんでそんな姿なの? 喋れるのに何で今まで黙ってたの? 私にくれた力ってなに?」
『……。サーヴァント。姿に意味はない。おまえが望めば形くらいは変えられる。面倒だからだ。おまえの望んだものだろう? だから私はここにいる』
少女はぽかんとした表情のまま化物を見つめている。
『なんだ、おまえが質問したのだろう? だから答えたまでだ』
「……ふぅん。ぶっきらぼうな癖に妙なところで律儀なのね。ああ、そうだ。姿、変えられるって本当? ならもっと話しやすい姿になって欲しいかな」
別段少女にとって目の前の異形は恐ろしくもないのだが、傍から見れば変人に見られかねない。それというのも、このサーヴァントの見えない他人から見れば、空気に向かって話しかけている可笑しな人なのだから。
『…………』
僅かな黙考の後、異形の周囲に白い風のようなものが巻き上がる。巨大な影を覆いつくした風は吹き荒れた後に収束し、その後に現れたのは、
「これで文句はあるまい」
どこにでもいそうな、何の特徴もない優男だった。
「…………」
「なんだ、まだ何か文句でもあるのか」
「え? ううん、それはないんだけど……なんだか拍子抜けしちゃったというか。もっとこう、演出的にカッコイイ人が出てくるとか、スゴイ格好した人が出てくると思ってたんだけど」
少女は現れた青年の周りをぐるぐると廻る。黒いティーシャツに擦り切れたジーンズ。黒い髪に黒い瞳。見た目二十代前半。アクセサリーの類は身に着けていない。
全体的に容姿は整っているのだが、この国の往来を歩けばすぐにでも見かけられそうな、然したる特徴らしい特徴などない男だった。なので、
「うん、すごく普通」
「煩い、黙れ」
少女の評はまことに正しいのだが、現れた男はどうやら気に障ったようだった。
「面倒事が嫌いなんだ。しかしおまえが望むのなら変わってやらん事もないが、どうする」
「いいよ、それで。さっきまでの姿に比べれば充分マシだからね。それで今更だけれど、貴方誰?」
「サーヴァント。それ以外に知る必要などないだろう? というよりもだ、おまえ、全部分かってて訊いてるだろう?」
「────」
先程までカラカラと笑っていた少女の目が細く鋭利になる。見下ろす二対の硝子球を見つめ返し、その奥底を覗き込むように。
「ふふ、そうね。大体は分かってるつもり。聖杯戦争、マスター、サーヴァント。私は追われる身だったけれど、ただ闇雲に逃げ続けてきたワケじゃない。この場所を目指して、そして辿り着いたのだから」
「ならもういいだろう。おまえが欲したものはくれてやった筈だ、後は勝手にすればいい」
「ああ、ちょ、ちょっと待って!」
言うだけ言って勝手に消えていこうとする男を少女はどうにか呼び止める。さも面倒臭そうに男は振り返り、言葉には出さず目で『まだ何かあるのか』と訴えた。
「ねえ、サーヴァントって望みを抱いて召喚されるものなんでしょう? なら貴方にも何か──」
「ない」
男は短く、けれど断固として言い放った。
「喚んだのはおまえ。だから出てきた。それだけ」
無感情に、ぶつ切りに短く言ってのけられ、少女はまたも唖然とした。
「……迷惑、だった?」
「ああ、物凄く」
ちょっと泣きそうになりながら、でもなんとか踏ん張って少女は男を睨みつける。無遠慮に睨まれ男も居た堪れなくなったのか、ぼりぼりと頭を掻いた。
「……だがまあ、既に契約は交わされた。おまえが望んで破棄しない限り、俺はおまえの傍にいる」
その言葉に少女は年相応の笑みを零す。
「優しいんだねぇ」
「ああ。何といっても────悪魔だからな」
意味もなく二人してクスクスと一頻り笑い合う。少女は軽い足取りで坂道を駆け下り、開けた交差点の中心で両手を広げ、明るい空を見上げた。
満天の夜空には唯一つ大きな月。周りの闇を飲み込もうとするように、ぱっくりと口を開けている。
くるくるくるくる少女は踊る。世界の中心、誰もいない場所で。表情は明るく、ステージに立ったトップダンサーの如く、月明かりの下で狂い踊る。
「アハ、アハハハ、アハハハハハハハハハハ……!」
少女は笑う。
妖しく嗤う。
楽しくて仕方がなくて。
嬉しくて仕方がなくて。
そして何より──これより開かれる宴を想い浮かべて。
「じゃあもう少し付き合ってよ。私の長年の研究に及ばないくらいの成果は貴方から貰ったけれど、ほら、良く言うでしょう?
人はね、罪深い生き物なんだ。一つ手に入れればもう一つ。良いものを手に入れればより良いものが欲しくなる」
「ああ、人とは強欲な獣の名だと、どこぞの王様も言っていた。好きにすればいい。俺はおまえを止めはしないし、おまえが望む限りの助力も貸そう。
それが契約。おまえがサインをした契約書は、悪魔に魂を売る誓約書だ」
「上等。人では手に入らない力が得られたのなら、安い代償ね。それで? 代価は何を所望なの?」
「さっきも言ったが、何もいらない。悪魔はただ優しく囁くだけさ、人の心の隙間を埋めるように」
「キザっ、クサッ。でもまあいいや。なら────」
少女は少女の望むままに。欲する全てを手中に収める為に。この都を地獄の釜へと突き落とす。
「さあ、一緒に準備を始めましょう……? 念入りに、抜かりなく。しっかりと舞台を作り上げて、あのヒト達を招待してあげないと。
奇跡? 願望器? そんなもの、私には必要ないけど。この儚い宴を盛り上げる為に、私は歌い踊り続けるわ。貴方から貰った力を使って……ね」
少女の笑みを向けられた男が腕を掲げる。同時に、道路に面した位置にあった墓地に異常が蔓延った。
墓標に灯る奇妙な炎。青白い色の灯火が見えない蝋燭に灯される。それは死者を眠りより呼び起こす声であり、誘いだ。
「さあ、貴方達も手伝って。ううん、私と一緒に踊りましょう? だって宴は沢山の人で開いた方が楽しいもの。
だから皆で、あの街を染め上げよう? 赤い赤い血の色に。闇を鮮血で染め上げて」
無数の墓標へと差し出された少女の掌。ダンスを求める少女の手を取るのは王子様ではなく、数え切れない死者の群れ。唯一人の少女の誘いに乗って、数多の死者が深き眠りより目を覚ます。
刻々と時は刻まれ、着々と準備は進んでいく。楽しげに踊る少女のバックダンサーは日を追う毎に増えていく。
秘密裏に開かれる闘争の更に裏側で、一人の少女が魔宴の指揮を執る。
暗い闇の底で。人知れず、狂宴の輪が広がっていく……
最終更新:2010年07月10日 10:16