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 ────昏い地の底で夢を見る。

 それは、遠い日の郷愁。絢爛豪華な王城に集うは何れも勇名を馳せた勇者達。祖国を守る為に皆が剣を槍を手に執り、少なくはない血をその身に浴びた。浴びた返り血に倍する命を殺し簒奪の蛮族共を蹴散らした。

 剣を突き上げ、高く空に昇るウォークライ。凱旋と共に響く美しい凱歌は彼らの勇姿を称える誉れある詩だった。
 夜、広大でありながら煌びやかな庭園には笑い声が絶えない。肩を抱き合い友の健闘を称え、己の武勇を謳い上げる。酒を飲む分には充分すぎる肴だった。

 皆が祖国を誇りに思い、誰もが朋友を戦友として戦場を駆け抜ける。海を渡り襲い来る逆賊を打ち倒し、戦えずとも共に勝利を祈り祝ってくれる多くの誰かの為に、命を賭して剣を抜いた。

 絶えない笑い声。豊かな暮らし。恐らくはあの時、誰もが国の繁栄を信じて疑わなかった筈で。
 そしてそんな淡い希望を絶望の底へと突き落とす一端を担ったのは、間違いなくこの己なのだと、理解する。

 ……あの栄光の日々がずっと続けば良かったのに。

 余りにも拙い夢想の最後に、傍らにあった年若い王の姿を幻視する。

 王城の一室に備えられた円卓。円卓の意味するところは誰もが平等であるという事。強き者がいれば賢き者もいる。麗しい者がいれば剛毅なる者もいる。
 誰もが平等。誰もが同一。上も下もない朋友として、彼らの結束を意味する証として、円卓は部屋の中央に鎮座する。

 けれどそれでも、指揮する者は必要になる。

 始点も終点もない丸い円の頂点として、王はいつもその場所にあった。彼はいつもその傍らにあった。
 年端もいかぬ少年王。永遠の王。彼ら無双の騎士のトップに君臨する遍く騎士達の王。手にするは星が鍛え人々の幻想により編まれた希望の星。明けない夜を照らし出す貴くも美しい夢。

 彼らの誇り。王の中の王。

 その名は────……



「セイバー」

 静かに。己の全てを覆い尽くしたヘルムのスリットより光を見る。

 暗闇に閉ざされた遠坂邸の地下……遠坂時臣の工房に敷設されたままの召喚陣の上でセイバーは目を覚ます。いや、サーヴァントの特性上見る筈のない夢は、彼自身の本当の意味での“夢”だったのかもしれない。

「傷は癒えたか?」

「ええ。既に」

 暗がりの中でなお黒く闇を染める甲冑に傷はない。
 一昨日の夜にランサーの双槍により与えられたダメージも、霊脈として高位にあるこの土地柄のお陰か何ら問題なく癒えている。

「それで、我がマスター。出陣ですか? 確か貴方の言によれば、全てのサーヴァントの情報が出揃うまでは待機を命じられていた筈ですが」

「ああ、私もそのつもりだったのだがね。予想外に厄介な敵がいる」

「……アーチャー、ですか」

「察しが良いな。流石は最高の騎士と褒め称えるべきかな?」

「…………」

「ああ、気を悪くしたのなら謝罪しよう」

「いえ。お気遣いなく」

 とは言え、セイバー自身己の過去を話題に出されるのは余り好ましい事ではなかった。解決しなければならない問題には誰も触れて欲しくない。あるいは、自分自身でさえ答えを見出す事を迷っているのかもしれない。

「あの狙撃能力は面倒だ。いつ寝首を掻かれるか分かったものではないというのでは、おちおち安眠すら出来ないからな。
 出来うるのなら、早々に排除しておきたい」

「マスターの命ならば我が剣を振るう事に余地はありませぬ。が、前日の戦いで折角頂いた剣も紛失してしまった。出来れば代わりの剣が欲しいところですが」

「……ふむ。君の本当の剣を開示する気はないのかね? その剣を振るえば、いかなるサーヴァントも微塵と化すだろうに」

 確かに、セイバーの頼みとする最強の宝剣を抜けば、いかなる敵と見えようと打ち砕く事は容易いだろう。だがそのメリットを得る代わりにリスクを負う事になる。
 本来ならば然したるデメリットでもないのだが、今のセイバーにしてみればそのデメリットこそがメリットとして作用してくれている。

「必要ないでしょう。どのような武具であれ、私が手にすれば宝具としての属性を備えられる。その利点を放棄する段階ではない」

「少なくとも今はまだ、というところか」

 喉を鳴らす時臣はご機嫌だ。武力、知力、宝具、性格。どの要素を抜き出しても時臣の及第点を遥かに上回る能力を備える己が騎士に、喜びを噛み殺す事さえ出来はしない。

 当初予定していた聖遺物を紛失するというあるまじき失態を犯した事も、この騎士との運命の巡り合わせの為であったとすれば許諾出来る。
 最優のクラスに座す最高の騎士。この上のないセイバーとしての特質を備えたサーヴァントを手中にした時点で、趨勢は決していたも同然だ。

 ……が、無論その恩恵の上に胡坐をかき続ければ手に入る筈だった栄光もするりと掌を零れ落ちていく事だろう。
 時臣が今の地位を得る為に研鑽した血の滲む努力は、凡才であるが故に積まれた比類なき成果だ。なれば天才を手に入れても、その努力を怠るような愚挙は有り得ない。

“常に余裕を持って優雅たれ”

 家訓の裏に隠された習練は遠坂時臣という人物を形成する上で必要不可欠な要素だ。

 故に。

「いえ、マスター。その前に進言しておく事が一つ」

 決意を口端に上らせようとしたところで、タイミングも悪くセイバーはそんな事をのたまった。同時に扉から零れる光から目を背けていた視線が、天井の更に向こう側を見ている事に気が付いた。

「来客のようです。それも、真っ当な客ではないかと」

「……ほう」

 この時分に遠坂の屋敷を訪れるような輩に元よりまともな者などいまい。せいぜいが懇意にある璃正神父と綺礼か、あるいは妻と子の誰かだろう。
 しかし、今のような戦況の中で堂々と訪れるような愚か者は少なくとも先の四人の中にはいない。ならば、答えは一つ。

「面白い、白昼の正面突破か。ならばこちらも相応の出迎えをしなければならないな」

 くい、と指を動かせば、工房の片隅に立てかけられていた一本のステッキが空中に浮遊し移動する。風に乗って運ばれたそれは時臣の手の中に納まった。
 握りの頭に象眼された極大のルビーが時臣が握り締めた時に微かに漏れた魔力の火に呼応し、その煌きを一層強く輝かせる。

「では行こうか、セイバー。我が家を訪ねてくれた者は、丁重に持て成さなければならないからね」


/Kingship


 時臣が自らの魔術礼装を手に一階へと昇ると同時に聞こえてきたのは、無機質なインターホンの連打音と怒声にも似た誰かの声だった。
 訝しみながらも玄関口の方へと足を向ければ、その声の内容がはっきりと聞き取れた。

『うははは、これは面白いぞ。押す度に小気味良い音が響く』

『おま、いい加減にしろよっ!? ここ何処だと思ってンだよ! 敵の本拠地だぞ!? 真昼間だぞ!? 正面から堂々と乗り込む奴があるか!!』

『戯けぃ。よもや貴様、まだ余の王道を理解しとらんのか。我らは匹夫の盗賊などでは断じてない。これは誇りある王の行軍。自らの威容を誇示する為には正面から乗り込まずして如何にする』

『チャイム鳴らしまくるののどこが誇りある行軍だ、バカかっ! 今この瞬間だってどんなトラップが何処から襲いかかってくるか分かんないんだぞ!? 自分から地雷原に突撃していくバカがどこにいるんだよ!?』

『その原野の向こうに未だ見ぬ宝物があるというのなら、余は喜び勇んで駆け抜けよう』

『ああっちくしょー。なんでおまえみたいなのがボクのサーヴァントなんだ……もっと真っ当で従順なヤツが欲しかった……』

『む……坊主。よもやこの余にケチをつける気か』

『ああそうだよっ! なんでおまえそんなに偉そうなんだよ!』

『王だからだ』

『んなコト訊いているんじゃなぁぁああああぃぃい!!』

「…………セイバー、これは一体どうするべきだと思う?」

 皺の寄った眉間を押さえつつ時臣は傍らの姿なき従者に問うた。何もかもが時臣の予想外の来客に、思考らしい思考が働いてくれなかった。

『……私にも如何ともし難いですね』

 どちらかと言えば生真面目組である時臣とセイバーにすれば扉の向こうにいるであろう巨躯と矮躯の破天荒組は埒外の存在にさえ見えたのだろう。
 しかしいつまでもこうして黙し続けているわけにもいかず、未だ止まない喧騒は明らかに近所迷惑の域である。市井に完全に紛れ穏やかな上流階級一家として名高い遠坂家の風評が貶められかねない。

 やれやれと嘆息しつつ、時臣は指先で仕掛けを一つ起動した。

 キィ、と軋む音と共に自動解放された扉の向こうに赤毛の巨躯であるライダーと半泣きのマスターの姿を見咎めた。

「おおぅ? 勝手に開きおった」

「……げ」

 扉が完全に開き切ると同時に、向こうもまた時臣の姿を見咎める。セイバーの姿は見えずとも、少なくともライダーは感じ取っているだろう。

「ようこそ、遠坂邸へ。いかなる用件かな、ライダーとそのマスター」

 口元に余裕の笑みを携えて時臣は口端を切った。

「おう、邪魔するぞ。ん? 貴様、セイバーのマスターか?」

 扉を無遠慮に潜ったライダーが嘯く。ウェイバーは未だ引きつった顔で扉一枚向こうでどうするべきかを考えているようだった。

「いかにも、そうだが? それでライダー、君の用件を伺いたい。あるいはマスターの方でも構わないが。
 闘争を開きたいのだとすれば遠慮願いたいところだ。このような白昼に行うべき事ではない。行うにしても場所くらいは弁えて欲しいものだな。ライダーのマスターもそうは思わないかね?」

 水を差し向けられたウェイバーはなお顔を引き攣らせ答えに窮する。彼にしてみれば時臣の余りの余裕の体が更に状況を読めなくしていた。
 どんな方法にしろ自らの陣地に踏み込まれてあの余裕。むしろ自分から引き入れた事を考えれば、明らかに罠であると勘繰らずにはいられなかったからだ。

 しかし、時臣自身の考えはまさにその真逆。いかなる理由であろうとも正門から堂々と現れたのならば客として遇するだけの用意がある。
 彼らの距離は五メートル前後だが、もし仮にこの場でウェイバーが魔術なりライダーが剣を振るうなりしても迎撃するのは容易い。

 ウェイバーの危惧のように、正しく今この家はトラップハウスと化している。時臣にしか気付けない無数の罠は到るところに仕掛けられ、時臣の意思一つで全てを一斉に作動させる事さえ可能なのだ。
 しかも傍らには霊体のセイバーがあり、たとえライダーが未だ見ぬ能力を隠しているとしても、易々とは時臣に毛ほどの傷もつけられまい。

 それが故の余裕。それが故の応対。少なくともこの工房内で直接対峙する限り、時臣に敗走の二文字は有り得ない。

 それでも相手が暴挙に出ない限りは礼節を尽くすのが時臣のやり方だ。態度こそ横暴横柄だが、正面から突破をかけてきたその気性は嫌いではないのだから。

「余としても一戦交えてみたいのは山々だが、貴様がセイバーのマスターではなぁ。おいセイバー、貴様とランサーの勝負はどうなった?」

 現状を詳しくは知らないライダーには消息不明のランサーの情報もまた耳に届いていないのだろう。
 ライダーの問いに答えもせず、どころか霊体化すら解かずセイバーは沈黙を守る。その代弁か、時臣が口を開いた。

「君にセイバーとランサーの決着に何の意味がある?」

「あるとも。余もあの戦いは見させて貰ったがな、真に良い演舞であった。その決着が先送りにされたとするならば、無闇に横槍を入れるわけにもいかんだろうて」

「……なるほど」

 流石は王を冠するだけの者か、と時臣は内心で呟いた。人を導く者とは須らく一本の芯を通している。誇り。プライド。矜持。どの言葉でも変わらないが、譲れないものがある。そしてこの男はその“何か”を持っている……

「失礼をした、征服王。立ち話もなんでしょう、良ければお茶の一杯でも如何ですかな?」

「なっ……!?」

 狼狽はウェイバーの喉元から。全く以ってこの壮年のマスターの考えが読めない。自らの工房に招き入れるだけでも論外だというのに、茶を供するなどと。
 そして何より焦燥を抱いたのは、そんな問いかけをされてライダーが黙っている筈もないという事で。

「ほう、それは有り難い。是非とも馳走になろう」

「おいライダー、流石にそれは無茶だ」

 無論、無駄と知っていても止めずにはいられない。

「ここは魔術師の工房であの男はマスターだ。隣にはセイバーもいるんだろ? そんな中に飛びこんで行くだなんて、馬鹿げてる」

「折角歓待してくれるというのだ、無碍には出来んだろうて。それによ、もし良からぬ事を考えていても無駄だ。
 先程も言ったであろう? たとえその先が死地であっても、道の先に前人未到の地があるのならば、征服せずにはいられんのだ」

 血の滾りを顕すように、ウェイバーへと向けられたライダーの笑みは獰猛にして快活。王としてのプライドと男子としての好奇心を綯い交ぜにした嬉々たる笑みだった。

 そしてそんな答えは問い質す前から知っている。何かの心変わりでもあればと期待してみたが、徒労だった。こうなれば、ウェイバーもまた共に歩まぬわけにはいかない。

「……危険を感じたらすぐ脱出するからな。そのつもりでいろよ」

 ライダーの隣にまで歩み寄り彼だけにしか聞こえないように小声で呟く。腹が決まったわけではないが、引き返すのも癪に障る。行けるところまで行くまでだ。

「改めてようこそ、歓迎しよう」

 恭しい礼の態度と共に、時臣は自らの工房の内へと敵を招き入れた。



 ウェイバー達の通された部屋はリビングのようだった。充分な広さと室内を統一するアンティーク調の家具。絢爛ではないが質素というわけでもなく、気品のようなものが感じられる装飾だった。

 明らかに場違いな場所に踏み込んでしまったのだと柔らかいソファーに腰掛けてからようやく真に理解しえたウェイバーは視線を彷徨わせる。
 目に見えるトラップらしいトラップは一つとして見受けられない。が、それだからこそウェイバーはより強く警戒の念を抱く。

 完全なまでの隠蔽を施された魔術仕掛けの罠。何処にあるのか見当さえつかないというのは気が気ではない。今座っているソファーが突然爆発しないとも限らないし、壁の模様に幻惑の術が施されているかもしれない。
 知らぬ間に心の内を塗り替えられて傀儡にされても何らおかしくはないこの状況。ウェイバーには身の余る死地だった。

「そこまで警戒する必要はないよ、ウェイバー君。君達が不穏当な行動をしない限りは、私の客として持て成す用意があるからね」

 キッチンより現れた時臣の手にするトレイにはポットから湯気を燻らせる紅茶と洋菓子が見て取れた。
 彼らの対面のソファーに座した時臣は既に温められているティーカップに赤い液体を注いでいく。

「逆に言えば、何かしらの行動を起こせば容赦はしない、という事だが。まあ然程の事でもあるまい。どうぞ、愉しんでくれたまえ」

 そうは言われても差し出された紅茶にさえ怪訝な目を向けずにはいられない。ポットから注がれ、誇示するかのように自ら口をつけた時臣を見やっても、目の前にあるカップに細工が施されていない保障は何処にもない。

 魔術でも何でもないが、コミックでよくある芸当として紅茶自体ではなくカップに致死性の毒薬を塗り込むというトリックがあるくらいなのだから。

「坊主、警戒するなとは言わんがな。貴様のそれは度が過ぎとる。そんなではいつまで経っても小さなままだぞ。男ならば大きく構えよ。
 むしろこの男は、我らの器を測っているようだからな」

 言ってぐいと一息に紅茶を煽るライダー。警戒の欠片もない。あるいは本人の言葉のように、器のでかさを見せつける為にわざとそういう風に煽ったのか。

「その言い草は人聞きが悪いですな、征服王。私はただ持て成す側の配慮として当然の事を口にしたまで。こうも警戒されたままでは何かとやりにくいでしょう」

「まあそれは大目に見てやってくれ。こやつはなぁ、そういうところを気にしとる癖にどうも後一歩が踏み出せんでなぁ。だから小さいままだという事に、気がついておらんのかもなぁ」

 全く以って酷い言い草だが、ウェイバーに言わせればこの男の性格が一際破天荒すぎるのだ。警戒心がなさ過ぎるのだ。
 そんな二人だからこそ妙なところで釣り合いが取れているのかもしれなかったが。

「それで、世界を馳せた征服王がわざわざ当家を尋ねて下さった理由の如何をお聞かせ願いたいのですが?」

 雑談もそこそこに時臣が切り出す。王を称する者に対し貴族を自負する時臣にあっては相応の礼節は忘れてはならないものだ。
 払うべきは敬意であり見下すなど以っての外。ただし、これからの会話如何によってはまた別の対応も有り得るのだが。

「用か。別段用らしい用件は持ち合わせとらん。ただこの坊主が昼間っから戦うのは止めろとどうしても言うのでな、ならばここは一つ、別の闘争の形を見せ付けてやろうと思ったのだ」

「ほう……? 別の闘争の形、ですか」

 この冬木を舞台にする聖杯戦争は、サーヴァントという英霊を使い魔とする極大の魔術戦だ。如何なる結末を迎えるにしろ、闘争の最終章は手に執った剣で相手を殺す事で決着を見る。
 よってそれ以外の方法論で相手を打ち負かしたところで戦局には何ら影響など及ぼさないのだが、征服王の考えとは如何なるものか。

「互いに何か一つを賭け、遊戯によって勝負をつけたいと思うのだが?」

「なるほど。要は私とゲームをしよう、という事ですかな」

「応とも。この時代には様々なゲームというものがあるだろう? 余も興味を惹かれるものが幾つかあるがそれは後の楽しみに取っておく。
 今はこの戦を終わらさねば何も始まらん。しかし今の時間では矛を交える事も叶わん。ならばゲームにて貴様から一つでも奪い取っておこうと思ってな」

「ライダー……おまえそれ、本気か?」

 ウェイバーが訝しむ。声は呆れ果てているが。

「無論だ。坊主も、得られるのなら欲しいものなど幾らでもあるだろう? 余の異名は略奪王。相手より何かを巻き上げるのは享楽だ」

 度し難い性癖だが、この男はそのやり方で世界征服の一歩手前まで駒を進めたのだから侮れない。たとえゲームであろうとも本気も本気で挑みかかるだろう。そしてもし敗北したとしても、力技に訴えるような下衆な真似はしまい。

「…………」

 しかし時臣にしてみればまた妙な勝負を持ちかけられたものだと思わざるをえない。こんな展開は予想だにしていなかったので、どう返すべきか答えに窮した。
 が、思考もそう長くは続かない。どんなものであろうとも、勝負を挑まれて逃げるなどという選択肢は遠坂の魔術師にはありえないのだから。

「宜しい。その勝負、受けて立ちましょう征服王。それで、ゲームの内容は?」

「そっちで勝手に決めてくれて構わん。勝負を吹っかけたのはこっちだ、方法は貴様が決めてくれ」

 自ら進んで不利な状況下に居座るライダーの奇行を『やっぱりかこの野郎』といった面持ちでウェイバーは見やったが、どうせ今更止めても無駄なので徒労に終わる真似はしなかった。

「ならば……チェスなどは如何でしょう」

 勝負内容が選択できると分かった時点で時臣の選ぶゲームは決まっていた。己が最も得意とするボードゲームを提示するのは当然の事と言えよう。

「おう、何でも構わん。が、そのチェスとかいうヤツのルールが分からんのでな、出来ればルールブックを見せて貰いたい」

「ええ、構いませんとも。では少々席を外しますので、お待ちを」

 時臣が去った後で、ウェイバーは大きく溜め息を吐く。おそらくセイバーはまだこの室内の何処かにいるのだろうが、それでも一応問い質しておかなければならない。

「おいライダー、やった事ないゲームで勝てると思ってるのか?」

「勝つさ。負けるのは嫌いだ」

 短く言ってのけられやっぱりかと嘆息する。この男も大概だが、こんな下らない勝負を受けるあの男も同じくらい狂っていると、ウェイバーは内心で呟いた。



 時臣は書斎からウェイバー達が来訪する以前まで興じていたチェス盤を小脇に抱えて戻ってくる。それとは別に、初心者用のルールブックも忘れていない。
 まずライダーにその教本を渡し、内容を理解するまで座して待つ事にした。ただ待つのも退屈だったので、時臣はウェイバーに粉をかける事にした。

「ウェイバー君は確か、時計塔に在籍していると聞き及んでいるが本当かね? しかもあのロード・エルメロイの弟子であるとか」

「……それが、何か?」

 ウェイバーにしてみれば別段隠し通す程の事でもない。しかもそれだけ調べ尽くされていては嘘を吐いたところで意味もないと勘繰った。
 が、時臣の先の言は一部ブラフを含んでいる。ロード・エルメロイが聖遺物を紛失したという情報と弟子が一人消息不明という情報から推測した結果を述べたのだが、どうやら的を射たようだった。

「時計塔か……懐かしいね。私も一昔前まではあそこに滞在していたよ。今でも懇意にはさせて貰っているが、あの場所はまあ、変わり者が多すぎる」

 時計塔に一度在籍した魔術師の大半はそのまま己が死する時まで出て来なくなるのが一般的だ。あの場所にはおよそ魔道に関わる全てがある。
 より深く探求せんと欲する輩なればこそ、目の前を覆い尽くすほどの膨大な蔵書を一目見れば、もう二度とは野に下る考えなど持たなくなる。

 時臣はこの地の管理を預かる者として、一度は海を渡ったものの今ではこの土地に舞い戻り腰を落ち着けている。
 明確に繋がりは絶たれていないが、二度とあの魔窟に腰を下ろす事はないだろう。

「変わり者……」

「ああ。魔術師という人種はとかく偏屈な者が多い。だが神秘などというものを追求していてもなお、あの中は権力闘争と血統自慢が蔓延っている。
 体質が古い、とも言い換えられるがまあ、それでも横や縦の繋がりなくしてはろくな研究も出来ないのが本音だろう」

 唯一人であの魔窟に篭り研究に精を出す者もいるにはいるだろうが、大抵の場合は徒党を組む。魔術師は外敵には辛辣だが、身内に関しては驚くほど甘いものだ。
 表の人間社会でも同じように、孤立して生きていくことは苦しい。魔道などという常識外のものに携わりながら、妙なところで人間味があると言える。

 時臣自身もどちらかと言えば古い体質の人間だが、時計塔内部の権力闘争には辟易せずにはいられない。時臣は正調の魔術師であるが故に、魔道を己の利権の道具とする輩が許せない。

 だからこそ時臣はその逆、利権を貪る者を利用し己の研鑽を積んで来た。たとえこの地の管理者などではない一魔術師であったとしても、長くはあの妄執に覆われた場所に留まらなかったに違いない。

「ふふ、君もあの渦に囚われないようにするといい。人の醜い部分を直視した時、己の価値観が崩される事になりかねないからね」

 先達としての助言のつもりだったのだろうが、ウェイバーは既にその醜い部分とやらを厭というほど見せ付けられている。
 時臣とは別のベクトルで正しくあらんと欲するウェイバーだからこそ、未だ未成熟の段階で垣間見る事になってしまったのだが。

「さて。懐かしい学び舎の話はこれくらいにしておこうか。どうせならもっと有意義な会話をしたいからね。
 回りくどいのは好きじゃないから率直に聞こう──君のサーヴァント、ライダーはまだ別の宝具を所有しているのかね?」

「────っ!」

 その唐突な質問にウェイバーは目を見張った。そして己の無意識の行動の結果を呪う。

「……素直な事だ。嫌いではないが、もう少しポーカーフェイスを覚えるといい。この程度で狼狽えていては、時計塔では生き残れない」

 ウェイバーは己の不肖を歯噛みする。事前にライダーに聞かされていた真に頼みとする宝具は別にある、という言葉を思い出し、その事実を悟られた。
 流し目で隣に座すライダーを見やれば、一心不乱にルールブックを読み漁るばかりで、こちらの失態になどまるで気付いていない。あるいは気付いていてなお無視しているのか。知られたところで問題はない、と。

「……そっちだってまだ何か隠してるものがあるんだろ?」

 せめてもの意趣返しとばかりにウェイバーは口にする。ライダーも確かセイバーの底はまだ知れないとぼやいていたのを覚えている。

「さて、どうかな。残念ながら、教えてやる義理はないからねぇ」

 時臣はニヒルな笑みを浮かべるばかりでウェイバーには真意など知れなかった。これが経験の差、歩んできた時間の差だ。
 これ以上問答を繰り広げれば洗い浚い吐かされてしまいかねない。これからの問いは全て黙殺してやると腹を決めたその時、隣から本を閉じる音が聞こえた。

「よぉし、覚えた。ほれ、さっさと勝負を始めるぞ」

 ライダーは背凭れに預けていた巨躯を前のめりにずいと出し、ウェイバーを庇うように身を乗り出す。

「おや、予想外に早かったですな。宜しいのですか? 覚え切れていないから負けた、などと後から言われても承服出来ませんのでね」

「応。男に二言はない。さっさと準備を済ませろ」

 苦笑を浮かべつつ時臣は凝った意匠の施されたチェス盤に、これまた細工の肌理細やかな駒を配置する。時臣が黒色の後手を、ライダーが白色の先手で己の手駒とした。

「さて、では勝負の前に賭けの内容を決めましょうか。とはいえ、ある程度の制限はつけたい。極論すれば、互いのサーヴァントの自害などという賭けの内容ではとてもではないが立ち行かないでしょう」

「余はそれでも構わんが?」

「ライダーッ……!」

「冗談だ。ここでセイバーを殺すのは惜しい。もし討ち取るとしても一度は剣を交えたいところであるからな」

 本当に冗談だったのかは本人にしか分からないが、少なくともそんな内容の賭けでは勝負は出来ない。ただでさえ不利な条件下にあるのだから。

「ふむ……では私から先に述べさせて頂こうか」

 時臣がそう呟いて、そしてウェイバーを指差した。

「もし私が勝ったのならば、ウェイバー君──君の持つ令呪の一画を貰い受けたい」

「なっ……!?」

 令呪とはマスターとサーヴァントを繋ぐ楔であり、同時に縛る為の切り札だ。三画しかないとはその命令は絶対。意に沿わない従者を屈服させる最後の手段。
 特にライダーのような気性を持つサーヴァントを従えるウェイバーにとって、これは決して手離してはならないものである。

 よってウェイバーは承服など出来ない。こんな下らない賭け事で、令呪の一画を奪われるなど……

「そんなもので良いのか。随分と殊勝だな」

 だというのに、ライダーは臆面もなく嘯いた。

「お、おいライダー!?」

「ん? 別にいいだろそんなもん。余は負けんし、仮にもし負けたとしても令呪一つ失ったくらいで大勢に影響などないだろ。
 それにな、これは余とこやつの勝負だ。勝負を是が非でも止めなかった時点で坊主の出る幕はない」

「…………っ」

「クック……流石は剛毅なる征服王。では宜しいかな? 私からの提示は令呪の一画。そしてそちらの所望するものは……?」

「酒だ」

「は、はぁ!?!?」

 ウェイバーはもはやあんぐりと口を開けることしかできない。向こうが令呪を要求するのならば、こちらも同じものを提示するべきだと思っていた矢先に、ライダーの口を衝いた余りにも素っ頓狂な要求に開いた口が塞がらない。

「……酒、ですか?」

「おう。どうも貴様の家、見るからに裕福だな。ならば酒蔵の一つも持っとるだろう。余の要求はこの住居にある酒類の全てを貰い受ける事。ふふん、さぞかし上等なもんが飲めるだろうなぁ」

 まだ勝負さえしていない癖にもう勝った気でいて、しかも賭け品も手に入れたつもりでいるライダーには時臣さえ苦笑を漏らさざるをえない。
 しかし令呪の一画と酒とは、これはまた釣り合いの取れない賭け品だ。しかし、ライダーがそれで良いという以上は時臣が口を挟む余地はない。

「結構、ならば最後の確認を。勝負内容はチェス。私が勝てば令呪の一画を、征服王が勝てば我が家の一切の酒類を差し出すということで、宜しいですかな?」

「相違ない」

「では────」

 大仰に手を広げ、口元には笑みを。

「────ゲーム、スタート」



 先手はライダー。上級者ともなれば初手にすら充分な時間をかけるものだが、征服王は野太い指とさして変わらない大きさの駒を摘み上げ、前進させる。
 駒の配置上、ほとんどがポーンを動かす事になるであろう初手は余り動きのあるものではない。

 時臣もまたポーンを動かし自分のターンを終える。そして──

「……ほう?」

 ライダーの第二手に、時臣は関心の声を漏らした。初手から妙な位置のポーンを動かしたかと思えば、どうやらそれが目的であったらしい。ライダーの第二手は、キングの駒。およそ有り得ざる采配である。

 キングは攻める為の駒ではない。この駒が取られれば終わるゲームにおいては、他の駒をいかに駆使して敵陣へと切り込み相手の首級を奪うかが基本である。
 それを、ほとんど動かせる状況下にない第二手で、しかも大勢に影響など出る筈もないキングの進軍をやってのける征服王の妙手に、時臣は関心を抱く。

「一応先程のルールブックには基本の定石も記されていた筈ですが、もちろんお読みになりましたかな?」

「無論だ。全て頭の中に入っておる」

「その上でこの第二手、ですか。ふふ、征服王は戯れがお好きらしい」

「戯れ? これが戯れにしか見えんようでは、貴様の力量も知れるというものだな」

「何……?」

 その言葉はどうやら時臣の癪に障ったらしい。チェスを得手とする時臣だからこそ、ついさっき一冊の初心者用の教本を読んだくらいの者に意見される謂れはない。
 ただの趣味同然の代物だが、気に入っているものをけなされて黙っていられるほど時臣はつまらない人間ではない。

「ならば是非教授願いたい。王の一手にいかなる意味があるのかを」

 時臣は己の駒を動かしながら、ライダーに問う。威圧を込めて向けられた視線に、ライダーは己が道を指し示す。

「王とは────」

 更なる一手に手に掴むは、数多の雑兵などではない。王の手にするは己が分身。遍く臣民に先んじて道を征き、胸に抱いた覇を謳う。
 誰よりも雄大に、誰よりも勇壮に。この世の誰よりも生を謳歌する獣の名……それこそが王の称号。故に。

「────我が生き様であるッ!」

 盤面へと再度叩きつけられたキングの駒。初手にて移動していたポーンに並び立つ形で白きキングが盤面中央へと躍り出る。

「…………」

 それ以上の言葉はいらなかった。誰もが盤上に描かれた構図から、征服王イスカンダルの示すものを見たからだ。
 およそ有り得ない妙手。いいや、ライダーに策略などというものはない。これはただ、己が王道を導く為だけに取られた悪手だ。

 チェスというゲームの趣旨を投げ出し、己が生前歩み続けた、誇り続けた王の道を見せ付ける。
 その生き様……その一片の曇りなき覇道を誰よりも先んじて走り抜ける者──それこそが覇王イスカンダルの王者の道。

 その背中に憧れて。幼き日の夢を取り戻して。
 捨て去った筈の光を、今一度胸に宿し彼に続いた臣下達。

 遠く遠く、ひたすらに遠くへ。
 蒼穹の空の向こう──未だ見ぬ新天地を目指し、世界という箱庭を駆け抜けた、或る愚者の一つの夢のカタチ。

「……なるほど。御見逸れする」

 感嘆の息と共に吐き出す言葉。口にするのは易い夢を、目の前の男は確かに駆け抜けた実績がある。だからこそ、その言葉は途轍もなく重く尊い。
 王たる者。時臣をして納得せざるを得ない一つの生き様を、この小さな盤上に見た。

「しかし──忘れて貰っては困りますな、征服王。これはあくまでゲームだ。貴方の踏んだ二手は、違えようのない悪手だ。
 これらのゲームに無駄な一手などない。それを二つも重ねたならば、趨勢は変え難いものとなる」

 静かに時臣は次なる一手を打ち出した。ライダーが魅せる采配をしている間に、時臣は勝つ為の采配を取っている。
 いかに吼え猛ろうと目の前にあるものこそが真実。今はまだ分からずとも、決着の時を迎えればどちらが勝者かなどはっきりするだろう。

 打ち終えてなお次の手を差さないライダーを見やり、時臣は冗談めかして遊び心を露にする。
 少なくとも盤上で争う限り時臣に負けはない。これだけの戦いを経て充分過ぎるほどに理解した。ならばお遊びの一つでも差し挟みたくなるというものだ。

「こんな話に意味はありませんが、もし貴方が私のサーヴァントだったと思うと、少し考えたくなりますな」

 ライダーの魅せた王道は確かに面白いものがある。が、それは時臣とは相容れない類のものだろう。
 もし仮にライダーが時臣のサーヴァントであったのならば、畏敬の念は抱こうとも、その余りに破天荒な言動に終始惑わされる羽目になっていたに違いない。

 本来のあるべきチェスのように粛々と勝利への駒を進める事を好む時臣と、定石も何もかもを無視した己が道を征くライダーでは軋轢が生まれて当然だ。
 それを思えば、振り回されてばかりいるであろうマスターであるウェイバーには同情さえ禁じえない。

 そんな思索の渦を切り払うように、ライダーが口を開く。

「ほう? 貴様が余のマスターだったら、だと?」

「ええ、さぞや面白いものになっていた事でしょう。頭を抱えたくなるほどにね」

「戯けが。頭を抱えたくなるのはこっちの方だ」

 紅蓮の双眸が時臣を射抜く。その奥底に込められた真意を測りかね、口から声は漏れなかった。

「そうさなぁ、貴様が余のマスターであったのなら、随分とつまらん結果になっとったろうな。
 いや、勝てはするだろうよ。見たところこの坊主より貴様は力量が上であるから、余も十全の力が出せただろう。なれば敵などそうはおらん。普通に戦って普通に勝って難なく聖杯は手に入っただろうな」

 その言葉の裏にあるものは、つまりウェイバーではライダーの真のマスター足りえるだけの魔力供給を行えていないという事。
 ライダーの検分を当然だとばかりに満足げに頷く時臣とは違い、ウェイバーは微かに目を伏せて……頭の上に添えられた重みに気が付いた。

「だがな、それだけだ。貴様の戦い方を余は好かん。前日のセイバーとランサーの演舞にしても、何故貴様は立ち会わなかった? 己が従者を矢面に立たせ、自らはこの場所でギャラリー気取りか?
 ふふん、そんな輩は余のマスターに相応しくなどない。我がマスター足るもの、共に戦場を馳せる勇者でなければならんからな」

「……ライダー、おまえ」

 上げた視線の先にある獰猛な笑い。ぐりぐりと頭を撫で回すごつい掌。畏怖の対象であった巨躯の掌も、今はその温かさが胸に沁み込んで行く。

 そして、再度視線を落とした先にあるチェス盤に描かれる構図にウェイバーは得も言われぬ感傷を抱いた。
 並み居る兵に先んじて立つキングの駒。そしてその隣に立つ最弱の駒であるポーン。それこそ正しく、ウェイバーとライダーを顕すものではないか……

「クク、クハハ、クハハハハハハ!」

 気が狂ったように高笑いを上げる時臣にウェイバーは驚きに目を見開く。どこか涼しげで落ち着いた印象を持っていた人物がいきなり気品の欠片もない笑い声を上げれば、ウェイバーでなくとも驚くだろう。

「ああ、なるほど。そういう事ですか征服王。ならばこの勝負、私の完敗だ」

「え──?」

 いきなりの投了(リザイン)の声に疑問を浮かべる。

「良いのか? まだ勝負はついとらんが」

「ええ、もちろん。たとえ続けても勝てる気がしませんのでね。傷の浅いうちに止めておきましょう。
 ご所望の酒も全て差し上げましょう。何、これは敗者たる者の責務だ」

 やおら立ち上がりかけた時臣に先んじて、ライダーは手で制し立ち上がった。

「おう、貰えるもんは貰っとくが、生憎と今日は荷車もないのでな。日を改めて頂きに来よう。それよりも一つ聞きたいことがあってな、答えてくれるのならば褒賞の酒も半分でいいんだが?」

「……それが答えられるものであれば」

「難しいものじゃない。知らんならそれでもいいが、アーチャーのヤツの居所が知りたい」

「…………」

 どんな思惑があるのかは知れなかったが、ライダーにアーチャーを討つつもりがあるのなら時臣にとっても好都合。話をして損をするわけでもなかったので、正直に答えることにした。

「アーチャーは通称アインツベルンの森にある古城にいると思われます。ここから北西に十数キロ先にある広大な森の中心にその城はあるでしょう。
 忠告しておくとするのなら、その森一帯がアインツベルンの領地であり結界だ。相応の覚悟を以って臨む事をお勧めしますよ」

「おう、感謝する。んじゃ行くぞ坊主」

「え、あ、ちょ、待ってくれよライダーッ!」

 そうして嵐のように彼らは去っていき、残されたのは座したままの時臣と、霊体化を一度として解かなかったセイバーだけであった。



「よろしかったのですか、マスター。この勝負、素人目で見ても勝利は揺ぎ無いと思われたのですが」

 静けさを取り戻したリビングで、ようやく実体化を果たしたセイバーが僅か数手しか進んでいないチェス盤を見ながら呟いた。

「……そうだな。もし続けていれば勝てただろう。だがそれは、試合に勝つだけの事だ。やられたよ、あんな戦い方があるなんて、思いもしなかった」

 つまるところ、ライダーは端から真面目に競い合う気などなかったのだ。あの男の見ていたものは盤面ではなく時臣という人物であり、勝敗などどちらでも良かったのだ。
 紅茶を差し出した時に器を測られていると憚ったライダー自身が、この勝負の中で時臣という男の器を測っていたのだ。

 その事実に、あの大言を言われるまで気付けなかった時点で時臣の敗北だ。惨めにチェスでの勝負に勝ったところで、この心の靄は晴れてはくれまい。

「これでもチェスの心得はあったつもりだったのだが、こんな序盤でリザインするのは初めてだ」

 屈辱感が総身を舐めると同時に、何処か晴々しくもある妙な気分だった。人の上に立つ人物が持つというカリスマ、人の心を動かす力を垣間見て、おかしくなっているのかもしれない。

「王……か。あれが遍く民を導く者。覇を以って世を制す君臨者。
 ふっ、やはり私は君をセイバーに選んで良かったのかも知れない。もし最古の王を招来していたとすれば、手に負えたか危ういからな」

 征服王からしてあれなのだ、もし最強の英雄殺しをサーヴァントに従えたところで、御し切れなければ宝の持ち腐れだっただろう。
 その観点から見れば、騎士という在り方を貫くセイバーを選んだ事に間違いはなかったのかもしれない。

「ところで君もかつては王に仕えた身なのだろう? 感想を聞きたいね、あの男の器量をどう見る?」

 ソファーに腰掛けたままリラックスしている時臣の背後に立つ黒騎士は、僅かな沈黙の後に答えた。

「かつて私は王に向かい、こう答えた事があります」

 ────王は人の心が分からない、と。

「我が王は気高かった。理想に生きた王だった。それが故に、王は我が心を解してはくれなかった」

 およそ時臣の問いかけから外れた答えだったが、真摯に受け止め己の意見を述べた。

「……憎んでいるのかね? その王を」

「…………」

 それはきっと、セイバー自身にすら分からない。後悔はある。未練もある。けれどこの二度目の生を得て何を欲するのか、己自身にさえ分からない。
 あの過去をやり直したいのか? あの過去をなかった事にしたいのか? 分からない。負の想念に包まれたこの己では、何が正しいのかさえ分からない。

「……ふむ、それが君の命題か。残念ながら、私に君の欲するような答えを用意する事は出来ないな。己で見つけ出すか、聖杯に見出して貰うか、あるいはあの男に問うのも面白いかもしれない」

「あの男……ライダーに?」

「ああ。形は違えどアレも王として生きた者だろう。その称号を得て、その生き様を貫いた者であるのなら、似たような答えも持ち合わせているかもしれんからな。
 まあ、これはただの戯言だ。強要はしないし、好きにすると良い。しかし、どんな理由にせよこれからの道程には付き合って貰うがね」

 やおら時臣は立ち上がる。いつまでもこうして項垂れているわけにもいかない。時臣を指して暗に臆病者と罵ったライダーに、見せ付けてやらねばなるまい……

「我らも行こうか、セイバー。恐らくはライダー達はそのまま件の森へと向かった筈だ。私としてもアーチャーの存在は目障りには違いない。ならば纏めて討ち取ってやろうではないか」

 腕の一振りでステッキを掴み取り、回転させると同時に空中に炎の円を描き出す。

 激情の赴くままに流されるわけでは断じてない。元より決起する腹積もりであったし、この拠点を守り続ける為にはアーチャーの存在は目障りだ。
 最後の一押しをくれたのは正しくライダーの挑発だろうが、その裏に打算と冷徹な心、己の意思があればなんら問題などない。

「思えば待ちに徹するなど遠坂の魔術師らしくもない消極的な戦法だ。我が子の手本となる為に、全てのサーヴァントを自力で斃すぐらいの意気込みを見せねばな」

 ──此処に一つの賽は投げられた。

 最強の一組が居城を後にする。
 向かう先は未踏の地。広大な灰色の森の中で、新たなる戦乱が幕を開ける……

最終更新:2010年07月10日 10:23
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