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三日目

朝は随分と湿気が含まれている感じがした。
体を起こすものの、まだぐったりとした感覚は残っている。
今日はバイトがあるから無理矢理にでも重たい足を動かさなければいけなかった。

とりあえず携帯を確認してみたら、大量の着信履歴。15という文字が嫌でも目に残った。
思わず冷や汗が垂れる。確認してみれば、乃人先輩とtaさんが一件ずつ。
留守番のメッセージを聞けば、乃人さんからは対戦相手とは試合できたものの、主将が参加不可能ということになり、試合には勝てた。
今はファミレスの帰りということ。
taさんからは、姉の乃人先輩が試合に勝ったという知らせが入ったから電話したということだった。
二つの録音を聞き終わり、他の着信履歴を見てみれば、[公衆電話]という文字でうめつくされていた。
気持ち悪さを感じながら、電源ボタンを押そうとする。
そしたら、ある見慣れた名前が最後のほうに一つ。

「貴彰…!」

[貴彰]という名前と、あいつの携帯の番号がそこに記されていた。
留守番メッセージを聞いたものの、電波が悪いのか何も聞き取れず、そのまま終わった。
急いでかけ直してみても、電源が切れているか電波の届かないところに、という言葉しか流れなかった。
メッセージを残そうかと考えてみても、上手く思い付かず、そのまま電話を切った。

今日の目標は、ネット環境を揃えて、部屋を一つ綺麗にすること。
そう頭を切り替えて、ダンボールから本棚の組み立てキットを取り出した。
またtaさんに手伝って貰おうと思ったが、今日は学校に補修を受けに行ったらしい。
終わったら手伝います、とは行ってくれたが、それが何時くらいになるのかはわからなさそうだ。

棚となる板の穴にネジを通したりしているうちに、部屋にチャイムが響いた。
ドアを開ければ、そこにいた少女の暗く紅い唇が俺の名前を呼んだ。

「蒼斗、おはよう」
「京、よく来たな」

ほほ笑む彼女。あの手紙の送り主であり、今現在“ポジション”に置いている女の子だ。
京の黒く綺麗な髪に指を通してから、白い頬をつまむように撫でれば、少し熱を持ったような瞳が笑った。

「お引越、お疲れ様。手伝いに来たよ」
「ありがとう。とりあえず上がって」

ヒールの高い靴を器用に脱ぎ、雪のような色をした足首が覗かせて玄関に上がった。
俺はコーヒーと紅茶を一人分ずつ用意して、テーブルに置いた。
向かい合って座るようにし、その間にピッチャーに入れた牛乳を置く。
皿にはレベッカさんからのカボチャのお菓子を盛り付けてテーブルに乗せた。

「ありがとう。…なんだか、こうして二人いるのも植物園以来かもね」
「ああ、そう言われればそうかもな…。そういえば、送ってもらった写真のことなんだけど」
「あ、それね。うんと…これ送ったはずだよ」

そう言って彼女はデジタルカメラをバッグから取り出して、かちかちと操作をしてから俺に見せる。
それは、係員の人に頼んで、薔薇をバックに撮ってもらった写真だ。俺と京、ばっちり顔が写っている。

「もしかしたら、私が気づいていないだけで、本当に封筒に手紙入れ忘れてたのかも…ごめんなさい。また、現像するから」
「気にしないで。ありがとうな、京」

また頭を撫でてやって、そのまま指先を彼女の顎までなぞり落とす。

「…口紅、ついちゃうよ」
「大丈夫、大丈夫」

テーブルに置いてあるものを乱さないように、そっと後頭部を支えてから暗い苺をついばんだ。
恥ずかしそうに身を捩る彼女の唇の割れ目に舌をねじ込む。
顎をつかんで、少し口を開けさせれば、悲鳴にも似た息遣いが漏れた。
肩を軽く押されたから放してやれば、俯きながら小さな声でばか、と言われた。

「そのばかと付き合ってんのは誰だよ」
「…別に」

頬を膨らませて、そっぽを向いた。
頬杖をしてその様子を見るのはとても気分が良かったが、時間制限がある。

「俺、18時からラストまでバイトだから、それまで片づけよろしくな」
「…うん、わかった」

京は頷き、紅茶を一口すすった。


「――…蒼斗、さん…」
廊下では、鼻をすする声がした。
しかし、それは誰が気づくわけでもなく。
「…やっぱり、実は予定がありませんでしたって驚かせようとするもんじゃないね」
幼さの残る瞳をこすり、少女は踵を返した。

10分くらいした後、taさんから「やっぱりいけそうにないです、ごめんなさい」とメールが来た。

片付けは結構進んだ。
誰かに手伝って貰えるのは助かると、改めて思った。
あとは一人で地道にやれば大丈夫そうだ。taさんにもあとでそう伝えよう。

今はバイトへ行く時間になり、途中まで京を送り届けたところだ。
taさんにメールを送ろうと携帯を握れば、着信が来た。
開いて誰かを確かめたら、それはとても気が引けるような人だった。
切ってやろうかと考えたが、何か大事な用だったら、と思ったら自然と通話ボタンを押していた。

「…もしもし」
「お久しぶり、蒼斗くん」

聞き慣れた、いや、聞き慣れていた声。
一呼吸置いてから、ため息混じりに言った。

「…今更なんの用ですか、サクラさん」
「てっきり出てくれないと思ったよ」

カラカラと、鈴が弾むように話す彼女。
この人は、以前俺が高校に入りたての頃に出会った人だ。
京と付き合う前、彼女だった人。

「メルアドは流石に変えてたよね。送っても帰ってきちゃって。でも、電話番号は変更してないみたいでよかった」
「用件はなんですか?俺、今忙しいんです」
「つれないんだね、あの頃は優しかったのに。…ねぇ蒼斗くん、私たち、ヨリもどさない?」
「な…」

そう吐き捨てられた言葉に、鳥肌が立った。
そして、怒りが込み上げる。

「ふざけないで下さい!貴方の所為で俺がどんな目に遭ったのか、わかってないんですか!?」
「蒼斗くん大声出さないでよ、耳痛い」

そう言われはっとなった。
相変わらずふざけたような喋り方は変わらないものの、引くような姿勢は崩れなかった。

「だから、あれは私なんも知らないんだって」
「言い逃れしないで下さいよ。それじゃあ、俺もうバイト行くんで」
「そう。じゃあ、京さんにもよろしくね、バイバイ」
「なんであんた京の名前…」

驚き返した頃には、既に向こうから電話が切れていた。

(だめだ、深呼吸して落ち着こう…)

胸に手を当てて、心音が激しいのを宥めるように深く息を吸っては吐く。
幾分か落ち着いた頃に、バイト先へと走って行った。

「蒼斗くん、ちょっといい?」
「あ…、乃人先輩」

休憩時間、声をかけてきたのは乃人先輩だった。
壁に寄り掛かって、京に送りかけたメールを打つのを止めて携帯を閉じた。

「どうしたんですか?」
「いや、今日は君と同じシフトだったでしょ。それにバイト先まで通る道は蒼斗君とほぼ同じだ。それでたまたま君を見付けたんだけど、何だか怒鳴ってただろう?それでなにがあったか気になって」
「……」

少し口をつぐむ。
ため息が意識せず漏れ、そして唇を開いた。

「俺は黒猫学園に、編入で入ったのは知ってますか?電話していたのは、学園に入る前にいた高校に通ってたころ、付き合ってた人ですよ。彼女は俺の家庭教師でした」
「そういえば、蒼斗君は転校してきたんだっけ」
「はい。今回はその人から電話でよりもどそうって言われて腹が立って怒鳴っただけですから。」
「…蒼斗君は、そこまで短気じゃなかったような気がするんだが…。怒る原因があったの?」

先輩は小首を傾げて、俺の顔を覗き込んだ。強そうな先輩には感じるのだが、なんだかんだで俺より身長はずっと低いのだ。

「はい、それがあるんですよ。ちょっと前の話しになるのですが、その付き合ってた人が、中学の頃の友人と飲みに行った時、酒に潰れて飲み会にいた男に連れて帰られたそうです」
「なんでそうわかるんだ?」
「…男のほうが、その女の携帯から俺の携帯に電話して、繋いだまま聞こえるようにセックスです」
「それは、酷いな…」

耳に髪をかけながら、先輩は言った。
俺は色々なことを思い出してきて、呆れといらつきが振り返してきていた。

「それでも、その女性の故意じゃなかったんだろ?」
「…犯した男は、中学生の頃好きな奴だったんだそうです。両想いだったらしく、やることもやったし、どうせなら歳の近いその人と付き合いたいから別れてくれって」
「え、というと蒼斗君はその人と…」
「してませんよ」

そう吐き捨てたら、なんだか安堵したような顔が覗けた。先輩の顔がほんのり赤い気がする。

「…ああ、あと、その男のほうが、勘違いして、俺に暴行を働いたんですよ」
「勘違い?」
「その女の人は、小さな時強姦されてるんです。男がその人が処女じゃないのを
知って聞いたとき、女の人は強姦されたって言うのが嫌だったらしく、俺に無理
矢理犯されたと言ったそうです」
「……」

男殴られた痕が傷害にならなくてよかったですよ、と冗談混じりで言ったものの、
乃人先輩の表情は変わらなかった。

「…おかげで、学校ではよからぬ噂までたって、停学から戻った時には居場所がありませんでした。それに加わり、親の都合で転校です」
「…なんか、ゴメン。あまり話したくないことだったよな」
「いや、平気ですよ。もう昔のことですし、今は乃人先輩やtaさんみたいに、理解してくれる人ばかりですから」

笑ってすまそうとするものの、先輩は苦しそうな顔のままだった。何とも後味が悪い。
無理矢理に近かったが、先輩の手をぎゅっと掴んで、ポケットの中の飴玉を取り出して、そっと手の平に乗せた。

「そんな顔してる先輩は見たくないです。…まあ、話した俺が言えることではありませんが」
「飴玉…ハッカじゃないよな?」
「メロン味です。…先輩にはいつもお世話になっていますから、これ以上負担をかけたくないです」
「…ありがとう、蒼斗君」

笑っているものの、ぎこちなさは彼女からまだ残っていた。

壁にかけてある時計は、休憩時間を追うように秒針が走っていた。

「じゃあ、俺そろそろ戻りますね」
「あ、うん。飴ありがとう、後で食べるね」

軽く会釈してから、部屋を出た。


バイトから帰ったとき、バッグの中には、一通の手紙と乃人先輩からのメッセージが書かれたメモが入っていた。
メモの内容としては、『休憩時間にわたし忘れたからバッグの中に入れておいた。この間私が預かったものです。バイト先に上がります、お疲れ様でした。』というものだった。
その預り物とやらの手紙の方に目を向ければ、宛て名に俺の名前。差出人には、貴彰と書かれていた。
まてよ、乃人先輩から言われた、手紙をわたしてきた相手というのは、白髪で赤い目をしていたそうじゃないか。
貴彰は普通に黒髪で茶色い目をしてる。もしかして、なりすましか?
少し考えたものの、結論は出そうに無かったから一度頭を働かせるのをやめた。

「…あれ」

ふ、と気付いた。
もしそれが本当に貴彰だとすれば、なんであいつは俺と乃人さんが知り合いって知ってるんだ?

「……まあ、読んでみないかぎりわからないか」

もやもやとしたものを抱えながらも封を開ける。
便箋には、何とも簡単に内容が書かれていた。

『蒼斗へ
たのしみにしていたア
イすを、食べられてショッ
クだけど、また買おうと思うんだ
どう?て、いっても無駄か。じゃあね』

「……、は?」

文はこれで終わっている。
脈絡も何もない手紙すぎて、わけがわからない。
そもそも、なんだ“アイす”って。無駄に改行もしてあるし、どういうことだ。
メッセージが書いてあるような紙はそれしかない。
裏にも何も書いてないし、炙り出しなわけでもないだろうし。

「…なんなんだろうな、いったい」

便箋を封筒の中に戻して、机上に放り投げた。
と、同時に眠気が襲う。
少しふらつく足で歯ブラシを取りに行った。風呂は明日の朝早くに入ることにする。


そして、この日を境に京からの連絡が、ぷっつりと切れた。


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最終更新:2010年09月27日 01:34
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