敵味方中毒は敵味方思考(敵か味方かという思考・敵かそうでないかという思考)の一種。
特徴
敵味方中毒の特徴として以下が挙げられる。以下の特徴が多く当てはまれば敵味方中毒である。
- 自身と敵対者にどれ程の戦力差があっても敵対者は必ず殺す。
- 敵対者が悪人でなかろうとどれ程の善人であろうと敵対者を必ず殺す。
- 敵対者にどのような事情があろうと敵対者は必ず殺す。
- 敵対者を殺す以外の方法があったとしても敵対者を必ず殺す。
- 敵対者に対する良心や優しさは全くない。
- 味方・好きな人以外に対する良心や優しさは全くない。
- 敵対者を傷つけたり殺したりしても全く罪悪感を感じない。
- 敵対者を傷つけたり殺したりしても全く責任を感じない。
- 敵対者には何をしても許されると思っている。
- 敵対者を必要以上に苦しめて殺害する。
- 敵対者を殺す事に対して相手が敵対者だった以上の理由は必要ないと思っている。
- 敵対者に人権がないと思っている。
- 味方・好きな人以外に人権がないと思っている。
- 敵対者を全く理解しようとしない。
- 味方・好きな人以外を全く理解しようとしない。
- 敵対者を傷つけたり殺したりする事を正しい事や正義だと過信する。
- 敵対者を傷つけたり殺したりする事を過剰に正当化する。
- 敵対者には過剰に人格否定する。
- 敵対者には過剰に存在そのものを否定する。
- 敵対者に対してはこの世に存在してはいけない生き物だと思う。
- 敵対者は死後に無限地獄に落ちて永遠に苦しみ続ければならないと思っている。
- 敵対者は未来永劫永遠に苦しみ続けなければならないと思っている。
- この世は敵か味方が全てだと思っている。
- この世は敵かそうでないかが全てだと思っている。
- 正義と悪については敵対者が悪で自身や味方が正義だと思う。
- 敵対者を殺さない事を必要以上に甘い扱いする。
- 敵対者を殺さない事を必要以上に侮辱したり否定したりする。
- 不殺主義者や半不殺主義者(なるべく殺さない主義を持っている者)を必要以上に甘い扱いする。
- 不殺主義者や半不殺主義者(なるべく殺さない主義を持っている者)を必要以上に侮辱したり否定したりする。
- 明らかに殺す必要のない敵対者を殺さない事すら理解しようとしない。
- 安直に人を敵対者扱いする。
- 敵対者扱いする基準が常軌を逸している。
- 筋の通らない敵対者扱いをする。
- 自分に都合がいい存在を味方だと思っている。
- 味方は自分の想いどうりになる存在の事だと思っている。
- 味方は自分をとにかく肯定するべきだと思っている。
- 味方は自分をとにかく否定するべきではないと思っている
- いつも敵対者をどう苦しめるか研究している。。
- 敵味方思考を人を傷つけたり殺したりする道具にする。
- この世の全ての敵対者を全て根絶やしにしようと思っている。
- この世の全ての敵対者を全て未来永劫永遠に苦しめようと思っている。
概要
上記を見れば分かるが敵味方中毒は異常な敵味方思考の事である。
敵か味方か・敵かそうでないかという考えは善か悪か・悪かそうでないかという考えとほとんどあるいは完全に同じもので敵味方思考は善悪思考と同じかそれ以上の欠点があり敵味方思考と善悪思考の違いは一個人からみた思考か客観的にみた思考かの違いしかない。敵味方中毒は正義中毒と同じかそれ以上に問題である。
この世に(絶対的な)正義が無いと気づいたり善人と悪人に分かれているのではなく味方と敵に分かれていると思ったり正義と悪に分かれているのではなく味方と敵に分かれていると思ったりするとこの世は敵か味方か・敵かそうでないかと思うようになりがちだが、ただ善人か悪人か・正義か悪かという考えから敵か味方か・敵がそうでないかという考えに変わっただけでは根本的な解決にはなっておらずただ敵か味方か・敵かそうでないかと思うようになるだけではいつか敵味方中毒に陥ってしまう危険性がある。
これは正義にも同じ事が言えるがこの世に(絶対的な)敵味方は存在せず敵味方というのは所詮一個人からみた思考でしかなく敵味方の基準も人によって異なる。それでも敵味方思考が必要とされるとしたらそれは自身が生き残るため・味方を生かすため・自身や味方を守るため・自身や味方が被害を受けないためである。決して敵味方思考は敵対者を傷つけたり殺したりするためにあるのではない。相手が敵対者であっても必要以上に傷つけたり殺したりした者も敵である。
時代や状況によっては敵対者を傷つけたり殺害したりする事がやむおえない事もあるのは否定できないがどれ程正当化できる理由があっても敵対者を傷つけたり殺したりする事は悪であり自身が傷つけた者・殺した者の敵になる事である。「敵対者は殺しても良い」という考えは「悪人は殺しても良い」という考えと同じである。
善か悪か・正義か悪かにも同じ事が言えるが敵か味方か・敵かそうでないかというのは正当化である。敵か味方か・敵かそうでないかという考えは所詮は一個人のエゴである。善人か悪人か・正義か悪かにも同じ事がいえるが敵か味方か・敵かそうでないかというのは所詮は
エゴとエゴのぶつかり合いである。敵味方中毒にならないためにはその事をしっかり理解しなければならない。
敵味方中毒はただのエゴイストでしかなく敵味方中毒も度が過ぎればもはや
吐き気を催す邪悪の領域である。
敵味方中毒の一覧
関連項目
最終更新:2023年08月08日 23:32