友利結


89 友利 結【ともり ゆい】

※現役時代の登録名は デニー, もしくは デニー友利(ともり)
【役職】1軍投手コーチ
【生年月日】1967年9月21日【投/打】右/ 右【ポジション】投手【プロ入り】1986年 1位【在籍期間】1987 - 1996, 2003 - 2004, (2012 - )
【経歴】興南高 - 横浜 - 西武 - 横浜 - 中日 - 横浜DeNA

通算成績 339試合 防御率3.89 投球回441 1/3 18勝 29敗 30S 10H 勝率.383 420奪三振 WHIP1.26


ピッチャーデニー

父親がアメリカ人のハーフ。本名は日本名の「友利結」と アメリカ名の「ローレンス・フランクリン・デニー」の2つあり、現役時代の登録名である「デニー友利」は所謂ダブルネーム。ちなみに国籍は日本。ファンからは「デニー」, 「デニキ」の愛称で呼ばれている。

現役時代全盛期は150k/h超えの直球を投げる速球派サイドハンドセットアッパー。ゾーン内目掛けて全力で投げるので後は球に聞いて下さいという典型的な荒れ球使いである。要所で対戦打者を仕留めるとガッツポーズを決めながら咆哮を上げる闘争心溢れる投手。

身長192cmという長身のイケメンでスタイルも抜群のモデル級。実際球団からも実績0の時代から新ユニフォーム発表のモデルとしてよく使われていた。
見た目通りの非常に激しい気性の持ち主で度々ヒートアップし過ぎては相手選手や審判相手に乱闘騒ぎを起こしている。でもチームメイトに対しては頼れる兄貴分的存在。

阿波野秀幸のハズレ1位で入団した横浜大洋の生え抜きだが、入団当初は話にならないレベルのノーコンで一時は任意引退選手として扱われ支配下登録を外れた程。
1997年、トレード志願した移籍先の西武で台頭。東尾修監督の助言の元、長年苦しみ悩まされたノーコンを武器にする事で荒れ球使いとして覚醒。プロ入りから11年とかなりの遅咲きになった。その後はチームに欠かせないセットアッパーとして2度の優勝に貢献する。

伊原春樹新監督に干されてしまったので横浜に帰ってきた2003年、干されたんじゃなくて既に使えなくなっていた事が判明。クローザーとして期待されたものの打ちこまれる日々が続いため「敗北の方程式」とまで揶揄される。それでも大ちゃんはデニー起用に拘ったため、この一件は「ピッチャーデニー」のフレーズで大ちゃん政権の代表的な迷采配としてファンの記憶に刻まれる事になる。

上記の通り横浜在籍期間は見事に活躍をしていないため、横浜ファンからの選手としての評価はそれほど高くなかったりする。

デニーコーチ

2012年、新球団となった横浜DeNAベイスターズの投手コーチに就任。一緒に大ちゃんも2軍監督として現場復帰してるけど多分何の関係もない。
コーチという立場からの配慮か「目立たないように」と言って登録名はデニーではなく「友利結」としたが、結局みんな引き続きデニーと呼んでいる。というか並の選手よりも遥かにでかい大男がマウンド上の投手に喝を入れる様は、目立たないつもりなんて微塵も感じられないくらい目立ちまくっている。

コーチ初心者のため手腕は未知数だが基本的にはメンタル担当とされ、デニー自身も理論派と対比されるように自身を根性論者だと謳っている。
ふがいないピッチングをしている投手陣に対しては、殺気のこもった目で睨みつけたりマウンド上で小突いたりする怖いコーチ。
しかし四球で自滅していく投手をノーコンの代表格だったデニーが叱る付けるのも、なんだか妙な話である。

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※ベンチからマウンド上の投手を見守る(?)デニーコーチのAA


※その他エピソード
  • 両親は早くに離婚して父親が音信不通になってしまったため、野球道具も満足に買えなかった貧しい母子家庭の中で育っている苦労人。西武時代には年間シートを自費で購入し、そこを「デニーズシート」として母子家庭の親子を招待していたぐう聖。
  • 日本名である友利結には「友と手を結びて勝利を得る」という意味が込められているが、姓名判断では「結」の字が起承転結に通じてしまい伸びしろがないとされる。登録名を「デニー友利」に変えたのはこのため。
  • キレると地元沖縄の方言になる。審判に対して侮辱発言をしたが方言だったため意味が通じず退場を免れた事もある。
  • 西武時代は松坂大輔の教育係として知られ、年の離れた兄弟のように仲が良い。

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最終更新:2013年01月19日 00:42
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