内川 聖一【うちかわ せいいち】
【役職】選手
【生年月日】1982年8月4日【投/打】右投右打【ポジション】外野手, 一塁手【プロ入り】2000年 ドラフト1位【在籍期間】2001 - 2010
【経歴】大分工業高 - 横浜 - ソフトバンク
波間に熱く光る ダイヤモンドの主役 勝利へ走れ 内川Go Go
獲得受賞タイトル
- MVP 1回(2011年)
- クライマックスシリーズMVP 1回(2011年)
- 首位打者 2回(2008年 - 2011年)
- 最多安打 2回(2008年 - 2012年)
- 最高出塁率 1回(2008年)
- ベストナイン 3回(2008年 - 2009年, 2011年)
右打者史上最高打率記録保持者
長打力も兼ね備えた天才的なバットコントロールに積極的なバッティングで突破口を切り開く球界屈指のアベレージヒッター。2009年のWBCでは日本代表選手として優勝にも貢献した。2度の首位打者にも輝いており2008年の
打率.378は
シーズンの右打者史上最高打率。
門倉健に次ぐアゴキャラとして知られ、チームメイトからのアゴタッチは恒例となっている。
プロ入り後しばらくの間は二遊も守っていたため内外野一通りこなせるが内野守備は安定感に欠けイップスによる送球難のため基本的には外野を守る。外野守備では送球面の問題は安定している一方で守備範囲は狭めのため総合的な守備評価は低い。
チック
2010年シーズン途中に獲得したFA権をオフシーズンに行使、あっさりと地元九州のソフトバンクへ移籍する。控えとしてベンチにいる時間が長かった事によりレギュラー定着からわずか3年ほどでFA宣言、移籍となった。このため「実働3年」と揶揄する声も上がった。
移籍後は何かにつけて古巣横浜を批判・侮辱と取れる発言を連発して一躍2chの人気選手へと台頭した。畳み掛けるように飛び出る畜生発言の数々からいつしか「内川畜一」と呼ばれるようになり「チック」とあだ名されるようになった。
以下はチックの生み出した畜生発言の一覧
「僕自身横浜を出ていく喜びもあった」
「ずっと最下位のチームにいて指導者になっていいのか」
「ここにいたら自分がダメになると思った」
「横浜の時は借金から始まっていた」
「いなくなって初めてその存在の大切さみたいなものに気付くんじゃないですか」
「セでは味わえなかったドーンときてガシャーンとやられる感覚」
「去年まで負けても自分のせいではないと思うこともあった」
「昨年までは優勝にかかわることがなかったので、今年初めて交流戦にMVPがあることを知った」
「今まではやろうと思っても、まあいいかと流していた」
「横浜では誰を信用して良いか分からなかった」
「横浜だと勝っても借金が多くて喜べなかった」
「SBからの連絡でスタートラインに立てた」
「打ち過ぎて申し訳ない」
「ソフトバンクに来て良かったと心から思った」
「チームが勝ったうえで悩めるのは幸せな事だと思う 感謝だね」
「何も緊張感のないところで戦うよりも、こういうところでプレーすることにやりがいを感じる」
「昨年までマジックを減らすという経験がなかった」
「オリックスは4位となりクライマックス進出する事は出来ませんでしたが、僕らは優勝しクライマックスシリーズ進出も決まっていますし」
「横浜時代はアゴをさわられるのは道化の材料として使われているようで嫌だった」
その他エピソード
- 嫁さんは元フジテレビアナウンサーの長野翼。
- 彼のトレードマークとも言えるアゴだが、このアゴが頸椎を圧迫した事が原因で一時期体調不良になり、視力や握力も落ちて選手生命にも支障をきたしていた時期があった。噛み合わせの矯正により現在はこの問題を解消している。
- 愛子様のお気に入り選手として有名。2009年の第2回WBCでの活躍がきっかけで、後にご本人とも面会している。
最終更新:2013年01月24日 00:31