18 三浦 大輔【みうら だいすけ】
【役職】選手
【生年月日】1973年12月25日【投/打】右/ 右【ポジション】投手【プロ入り】1991年 6位【在籍期間】1992 -
【経歴】高田商業高 - 横浜DeNA
Go Go Let's Go 跳ねろマウンド三振奪取 決まってるぜリーゼント 勝利だ三浦
獲得受賞タイトル
- 最高勝率 1回(1997年)※当時連盟表彰なし
- 最優秀防御率 1回(2005年)
- 最多奪三振 1回(2005年)
- 93年 プロ初勝利。
- 95年 レギュラー定着、先発ローテーションの一角を任される。
- 97年 自身初の二桁勝利達成。10勝3敗はリーグ最高勝率。(ただし当時は既に最高勝率はタイトル表彰の対象から外れていた)
- 98年 2年連続二桁勝利となる12勝をマーク。日本一に大きく貢献した。
- 04年 北京オリンピックに日本代表として出場。銅メダルを獲得。
- 05年 最優秀防御率、最多奪三振のタイトル獲得。プロ14年目にして初のタイトル獲得となった。
- 08年 FA権を行使。当初は阪神タイガースへの移籍が濃厚と思われていたが悩み抜いた末にまさかの残留宣言。ファンの想いが届いた結果となった。
- 10年 球威は衰えを見せ、年齢による劣化が顕著に表れた。中盤以降はファーム生活が長く続き、最終的に防御率は7.23、投球回は16年ぶりに100イニングを割るなど苦いシーズンとなってしまった。
- 11年 開幕からローテ入りを期待されるもやはり球威の衰えは隠せず、開幕から一月もしない内にフォーム落ちを余儀なくされた。・・・が、調整法をランニングからダッシュに切り替えた結果、球にキレを戻し7月には1軍昇格。そこから最終的に高崎健太郎と並ぶチーム最多の5勝をマーク。まさかの復活劇となった。
- 12年 高崎健太郎と共に開幕からローテを守りきる一年。4月1日の阪神戦では新球団初勝利の勝利投手となった。5月12日の阪神戦では8回までをノーヒットに抑え、あわやノーヒットノーランの快投も見せる。3年ぶりとなるオールスターにも出場。8月23日には7年間勝ち星のなかった苦手巨人戦で自身通算150勝を達成した。6完投は中日・吉見一起と並んでリーグトップタイ、40歳近いおっさんとは思えぬタフネスぶりも披露した。後半は打線の援護に恵まれず3年ぶりの二桁勝利こそ逃すものの、9勝9敗、防御率は2.86とチームの勝ち頭となり未だ衰えぬエースの健在をアピールした一年となった。
- 愛称は「ハマの番長」。
- リーゼントヘアは彼の代名詞とも言えるトレードマークで、野球選手でリーゼントと言えばまずこの人の事を指す。
- 球界屈指の制球力の持ち主で、高い完投能力とスローカーブやスライダーを始めとした多彩な変化球で長年先発ローテーションを守り続けたハマのエースピッチャー。
- 勝ち星に恵まれない投手としても知られ、広島時代の黒田博樹投手等と共にその代表格としても挙げられる事が多い。所謂ムエンゴ病を長年患っている。しかしそれを他者のせいにする事のない男前。
- 髪型や強面の容姿に反して性格は穏やかで優しい人。
- むしろ他人に対しての甘さを問題視する見方もあり、近年のチーム低迷の一因に繋がってるのではという意見もある。
- 老人や身体障害者への慰問、小学校への訪問を熱心に行うぐう聖で、2007年にはこれらの活動を評価されゴールデンスピリット賞を受賞した。
- 98年の日本一に大きく貢献し、黄金期から暗黒期まで横浜一筋で活躍し続けてきた最年長の生え抜きで、衰えの見え始めた今でもファンからの絶大な人気を誇る。
- 阪神戦の相性が抜群で大きく勝ち越しており、虎キラーの代表格としても知られる。一方で巨人戦との相性は悪く、こちらは大きく負け越してしまっている。
- 2007年には35イニング連続無失点を記録し、連続無失点の球団記録を更新している。
- 2011年までに7度の開幕投手を務めているが勝ち星はない。開幕登板7連敗はプロ野球記録である。
- 阪神タイガースファン。FA宣言の際には憧れの球団よりファンを選んだ形となった。
- かつては2段モーションの先駆け・代表格とも言われる投手であったが、2006年以降のルール改正(2段モーションの禁止)により、フォームの変更を余儀なくされた。
- 2011年に競走馬を所有、現役選手では初となる馬主となった。
- ブログの最後は「ヨ・ロ・シ・ク!!」で締めるのがお約束となっている。
- 一行顔文字は(レ ´∀`)
- 150勝到達時点で151敗しており、負け星先行の150勝投手は史上4人目。番長の苦労人ぷりが窺える珍記録である。
最終更新:2013年01月18日 21:59