輸出自主規制(日米間のケース)

輸出自主規制(VER)と呼ばれる政策について、
実際に日米間で発生した事例を紹介する。

1980年前後、日本は強かった自国の車や家電を世界中に輸出していた。
その輸出先にはもちろん世界一の経済大国アメリカも含まれていた。
その頃アメリカは巨額の貿易赤字に苦しんでいる一方、日本は当時世界一の貿易黒字国となっていた。
そんな状態ではアメリカは面白くないため、貿易摩擦が発生していた。

アメリカは自国の産業を守るため、日本に対して輸出の自主規制を要請した。
日本はこれを受け入れたが、アメリカの要請は実質的に強制するようなものだった。
このようなことは現在ではWTOで禁止されている。
ところで、GATTルールの第19条では輸入の急増によって国内産業への大きなダメージが発生すると見込まれる場合、
産業を保護するために一時的に輸入を制限してよいという緊急輸入制限(セーフガード)が認められている。

ではなぜアメリカはセーフガードではなくVERをさせることを選んだのだろうか。
一つにはアメリカの立場がある。
アメリカは自由貿易を進めるGATTの中心国であり、それを阻害するようなルールを自らとる訳にはいかなかった。
また、セーフガードはもともと小国を想定して作られたルールであり、超大国のアメリカのプライドが許さない面もあったとされる。
他にはセーフガードの扱いづらさがある。
セーフガードには無差別原則があり、すべての国に対し平等に同じように輸入制限を行う必要がある。
そのため、日本からの輸入のみを減らそうとしたアメリカの目的にそぐわなかった。
また当時はVERに関するルールがGATTルールに存在しなかったのである。
なお現在はVERはウルグアイ・ラウンドにおいて禁止された。
最終更新:2013年11月07日 10:27