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探偵物語(左翔太郎編)」を以下のとおり復元します。
*探偵物語(左翔太郎編) ◆gry038wOvE










 涼村暁は探偵である。────














 だが、バカである。

















 以上。



◇



 同盟を組む仲間同士の空気が一定以上温和である事は当然ながら推奨される。場の空気で士気を上げる事も良い集団の条件だ。
 何らかの形で小さな亀裂の入ったチームには早めの修繕が求められる。それが失敗に終われば亀裂は隅々まで走っていき、やがてチームワークを崩壊させるからだ。この時はまさにその修繕が必要な時期だった。
 絶望を希望に変えるべき存在──仮面ライダーと、絶望へと近づいていく存在──魔法少女。いつの間にやらその立場が逆転してしまい、これまた不思議な事に、仮面ライダーである左翔太郎こそが絶望し、魔法少女である佐倉杏子の方が人並み以上に希望を信じるようになってしまったのである。

「……」

 いや、しかし。
 それもまた、今となっては過去の話である。
 再び仮面ライダーとしての意志を取り戻した翔太郎にとっては、自分が途方に暮れていたのも僅かな時間の話と振り返る事ができる。その僅かな時間、周囲を失望させ、大事な約束を忘れていた落とし前を自分の中でつけなければならない。
 意固地になる事などない。
 面倒を見る約束をしながら、絶望に負けてそれを果たせなかった自分の不覚である。
 翔太郎も杏子も、ほとんど同時に口を開いた。

「兄──」
「杏子、すまん!」

 しかし、要旨を一息で言い尽くしたのは翔太郎の方だった。歯切れが悪くなったが、杏子が口を閉ざす。誰が見ている事も構わずに、翔太郎は中折れ帽を外して頭を下げていた。まだ湿り気のある頭が杏子の方に切実に向けられた。
 瞼は普段より重たく、肩が普段より落ちた様子であった。
 周囲の視線はその翔太郎に一時注がれる事になった。他の誰も、そこから目を離す事ができなかった。逆に目を離した方が気まずくなるからだ。これだけ部屋の中央で堂々と頭を下げられて、知らない振りができるはずもなく、そこで繰り広げられている様相を意図せずして見届けようとしていた。

「──」

 頭を下げられた当の杏子の方は開いた口が塞がらない様子である。
 それは文字通り口をあんぐりと開けたままになっているという事だった。喜怒哀楽の表情のどれでもない顔で、物珍しそうに翔太郎の後頭部を直視していた。翔太郎に顔を合わすのが気まずかった杏子としては、かなり意表を突かれたようだ。

「悪かった! その、自分の事ばっかりに気を取られちまって、お前やみんなを放っておいちまった事……」

 翔太郎は顔を上げ、凛とした表情で杏子を見る。
 しかし、杏子を見るのはすぐにやめた。翔太郎は、ここにいる全員に順番に頭を下げた。マミ、ラブ、美希、暁、孤門、石堀……。考えてみれば、杏子だけではなく彼らにだって迷惑はかけたのだ。立ち直るまでに失望させてしまった人間はいくらでもいる。普段明るく振る舞っていたばかりに、余計にその落差を感じた者もいただろう。
 その微妙な気分を誰にも味あわせてしまった事は、ただただ申し訳なかった。
 本心を打ち明けよう。自分が知った事を打ち明けよう。

「なんだかんだ言って、結局俺はフィリップがいなきゃ半人前だったんだ……いや、それ以下かもしれない。
 あいつに託された事も、街のみんなの事もすっかり忘れて俺は一人でしょぼくれていた。仮面ライダーになれなきゃ俺は何もできないって思ってたんだ」
「……」
「だけど、たとえ仮面ライダーじゃなくても、ハーフボイルドでも、魂だけは冷ましちゃならねえ!
 ……そいつをすっかり忘れちまってた……それに、お前に教えた事も、お前との約束も何もかも忘れて、一人で全部塞いで無気力になってた……」 

 翔太郎は脇目を向いて胸をなで下ろした。
 語るべき事は幾つもあった。自分を貶める言葉はなるべく口にしたくはなかったが、それもまた過去の自分への蔑みであった。
 確かに今の自分とその時の自分は違う。──もっと、萎れていて駄目だった自分への言葉だ。しかし、だからこそ、一層申し訳なく、心の奥底が震えるようだった。
 一息に、自分の中に在る言葉を吐き出したかった。

「だから、悪かった! 許してくれ、みんな!」

 翔太郎は何なら土下座でも何でもしてやる覚悟である。たとえ、その姿を誰が見ていても構わない。それが誠意だ。
 自分に非があるのならば、プライドを捨ててでも謝るのが当然である。
 こう言っては何だが、翔太郎は、所謂ナルシストで、時折自分に酔うタイプであったがゆえに、こうして周知の中で謝罪するのには人一倍の誠意がいるのだ。翔太郎が土下座でもしようと考えるならば、それは余程の事であるといえよう。周囲の視線は今でも痛むが、それ以上に、自分の罪を謝る事ができなければ胸の中の靄は晴らされないだろうと思った。

「ほら、杏子」

 美希が翔太郎に聞こえないような小声で横から小突く。「ここまで言ってるんだから許してあげなよ」という学級委員のようななフォローの意味合いで呼びかけたはずだが、杏子が美希の方に目をやる事はなかった。
 杏子は少しだけ真剣そうな目つきに表情を変えた。美希が杏子を小突いた意図を彼女が察しているのかは誰にもわからない。

「ふー……。なんだかなぁ」

 杏子がそんな翔太郎の様子を見て口を開く。まるでタバコの煙をいっぱいに吸ったような溜息が聞こえたようにも感じたが、実際には、それは溜息というより、緊張をほぐすような息だった。少し息を吸った後、吐息の残滓をまた少し漏らして、杏子は翔太郎の方に視線を合わせる。
 少しばかり、険しい目をしていた。

「……帰ったらぶん殴ろうかと思ってたけど、こうしてみると怒る気もしないっていうかなんていうか」

 杏子はそっぽを向いて頭を掻いた。
 当の翔太郎や、周りの人間には、それがどういう意味なのかわからなかった。
 怒る価値もないという事なのか、許したという事なのか──。こうして頭を下げる翔太郎に、また別の失望を覚えたのではないかと、一瞬だけ肝を冷やした。
 このままずりずりと彼女の中で評価が下がっていけば、一生彼女に本当に許してもらえなくなるかもしれないと思った。

「……」

 杏子が、少しの沈黙を作り、そしてそれをすぐに破って、口を開いた。

「──あんた、いっつも恰好つけてるから、素直に謝るタイプじゃないんじゃないかって思ってた。だけど、それは完全な誤解だったみたいだな」

 杏子の口から溢れたのは予想外の言葉である。やれやれ、と肩を竦めてその視線を落とす。
 また顔を上げると、今度はもう少しばかり笑顔に近い表情を作った。

「……え?」

 翔太郎の不安は、全くの杞憂だったらしいと、その時わかった。

「あたしだって、別に過ぎた事を何度も責めるほど器が小さくはないよ。あたしの倍くらい生きている大の大人の兄ちゃんが頭下げて謝ってんなら、……許すしかないだろ」

 うっすらとした笑顔にも見える表情が翔太郎の視界を覆った。それは確かな許しのサインであった。杏子は、素直な感情を顔に出す時は屈託のない表情をするので、翔太郎たちも見ればそれが真実だと容易にわかる。
 感激が翔太郎に彼女の名前を呼ばせた。

「杏子……」
「あんた、案外素直なんだな……。ちょっと見直した」

 杏子が照れたようにそう言う。翔太郎は、その瞬間にようやく肩の荷を下ろしたような気分になった。数秒かけて、どこか軽い笑顔を作る時間を貰う。
 無意識な深呼吸が、妙な間をつくった。

「……ふっ」

 今、この時に翔太郎の胸にあったのは近しい人間の失望に対する恐怖だったのだろう。胸がすっとするのがわかった。
 それが取り払われれば、あとは簡単だった。

「当たり前だ」

 打って変って、翔太郎は不敵に笑った。

「……だって、俺たちは全員誓っただろ。『悪い事をしたら謝る』って」

 ──いつもの調子で、いつもの気障な言葉を投げかける事ができた。それこそが、最大の解決策であるとこの時悟った。
 杏子にとっても、その少し抜けた言い方こそが、この翔太郎らしいと思えたのだ。
 杏子は、胸から何かが広がって、肩が落ちていくような開放感を覚えた。なるほど、これでこそ翔太郎……なのである。
 普段、真面目でいるよりも、こんな時の翔太郎の方が凛々しく、優しく見えるのである。

「そうか、悪い事をしたら謝る……か。
 ……そいつは、ヴィヴィオが声をかけて、あたしが付け加えたんだ」
「そうだったのか……」
「ああ、でもヴィヴィオにも良い弔いさ。
 ずっとその言葉が守られ続ければ──きっと、ヴィヴィオも少しは報われる」

 悪い事をしたら謝る──その言葉の意味を杏子と翔太郎は己の中で反芻した。
 悪い事と呼んでしまうと少し酷な原因であったが、翔太郎は少なくとも誰かに迷惑をかけた。自分の非に対する反省と誠意を見せ、ある関係に発生した亀裂を修復するのが謝罪の本質である。翔太郎たちは、その行為に誠実であり続けると誓ったのである。
 たとえどれだけ気障でも、素直ではないとしても、己の罪は数え、洗い流す努力をするだけの意志はある。──そう、少なくとも、「ビギンズナイト」を経てからは特に。
 彼らはその誓いの意味を再確認したのだった。

 暁は、ヴィヴィオが死んでいない事を教えてやりたかった気持ちもあるだろうが、彼はそれよりも頭の片隅で別の事を考えて顔を険しくしていた。

「ふぅ、……で、やっぱりこうなるのね」
「薄々わかってはいたけど……」

 美希と孤門がそんな調子で、深く息をついた。
 杏子がこの仲違いと仲直りを繰り返すのにはもう慣れた。
 いや、それを最初にやったのはほかならぬ美希であったが、彼女は一体、どれだけ他人と絆を結ぶのだろう。美希もそのうちの一人として、僅かながら嫉妬するほどだ。
 しかし、杏子が誰より信頼して、光を託したのはほかならぬ自分であった事も、美希は思い出した。今も美希の中にはウルトラの光がある。

(……)

 ──美希は、ふと、その光を誰に託そうかを考えた。
 ここにはたくさん仲間がいる。杏子に還してしまうわけにもいかないだろう。
 ラブか、あるいは──と、思った時である。

「よし、じゃあ丸く収まったところで情報交換や元の作業に──」

 石堀が手を叩いてそんな事を言いだした。美希以外は、誰に言われるでもなく、全員何かが切れたように作業に戻ろうとしていた。皆、いい加減そろそろ良いと思ったのだろう。亀裂が修復したのなら、もうそれ以上する事はない。
 ああ、めでたしめでたしという感じだ。ぞろぞろと足が動いて位置を変える。美希も動く事にした。そして、すぐにその中の一人として揉まれた。
 元の鞘に収まるのを全員が何となく予感していたが、僅かばかりの不安が拭われたようである。
 さて、実は美希の他にも動こうとしない者はもう一人いた。

「──こ・の・野郎ッ!」

 ぱこん、と音が響いた。その音の正体を誰もが一瞬捉えられなかった。誰かが突如として、翔太郎の背後から現れると、その額をスリッパで叩いたのである。これが裏切りの刃ならば翔太郎の命はなかった。──が、当然そんな唐突で残酷な展開にはならなかった。
 何の作業が残っているわけでもないが、作業に戻りかけた全員がそちらに視線を送り直す。観衆は、これまた一斉にそちらに目を配った。
 翔太郎は、何が起こったのかもわからずに赤くなった瞼の上を抑えていた。

「……って、痛ぇぇぇぇぇぇっ!!! なんだ、突然!! 何!? 亜樹子!! 亜樹子かっ!? 亜樹子リターンズ!?」

 まるで巨大なうわごとのように女性の名前を叫ぶ翔太郎。
 鳴海亜樹子──その女性の名前を知らない者は、何の事やらわからなかっただろうが、思わずその一撃に全くそっくりな言動をする者が翔太郎の周りにいたのである。ただ、翔太郎にとって決定的に違ったのは、より強い力と暴力性を持っていた一撃であった事だろう。
 翔太郎が涙目を開けると、彼の視界には緑のスリッパを振り下ろした男の姿が見えた。

「ちょっ……暁さん!? 何やってるんですか!?」

 ラブが特に驚いた様子で暁に声をあげた。
 ──翔太郎をスリッパで叩いた犯人は、この中にいる最も異質な男・涼村暁であった。冴島鋼牙に支給されていた亜樹子スリッパを使ったらしい。
 彼はもう全く、自分がやった事を隠す様子を見せず、振りかぶった後の姿勢であった。してやったり、とばかりにその姿勢を崩さない。会心の音に、自らもしばらく一人の世界に入って、気取ってしまったらしい。
 すぐに暁はその姿勢を直すと、杏子の方にてくてく歩いて行った。

「あのね、杏子ちゃん。こういう奴はさ、許すより前に一発殴らないと駄目なんだよ」
「いま殴らずに解決しようとしてただろうが、この野郎! 暴力反対だ!」

 追って、暁からスリッパを奪った翔太郎は、やり返すように暁の額(というよりはほとんど目に近い)を叩いた。仕返し。憎しみの連鎖だが、仕方がない。
 暁は「痛ァッ!」とまた、翔太郎に負けず劣らずの声量で己の痛みを訴えた。
 彼ももろに眼球に打撃を受けたらしく、目玉の周りが少し赤くなった。

「何しやがる!」
「それはこっちの台詞だろヘボ探偵!」
「……それもそうだな。言われてみれば尤もだ。台詞を返上してやろう」

 無駄に思案顔の暁に、誰もが呆然といった様子である。あまりにも飄々としているというか、こうもあっさりと認めてしまうあたり、その場のノリだけで一つ一つの言葉が発信されていたようだ。
 翔太郎も否とは言えないが。
 暁への怒りはその怪訝さえも覆い隠して暁に質問を投げかけさせた。

「動機を説明しろ、動機を! 何故いま俺を殴った!」
「俺はな、無駄に気障な男を見ると腹が立つんだ」
「威張るな!」

 大した理由ではなかったので、もう一発スリッパで殴ろうとした翔太郎だが、やはり思い直す。
 いけないいけない。冷静に考えれば暴力はアウトだ──。殴り合いになるとならないでは、ならないに越した事はない。耐えようと思える状況ならば耐えるべきだ。一発殴ってしまったが、それはそれ、これはこれだ。むしろ、一発殴り合って丁度釣り合いが取れたのだから水に流すべきだろう。
 ……などと、翔太郎が腹式呼吸で怒りを抑えている間に、再度、暁が口を開いた。

「杏子ちゃん。こういうタイプの男はな、実は殴ると燃えるんだ。
 殴り合いがドラマで傷つけあいが友情だと思ってるアホだ。
 ……だから、チャンスがあれば殴った方がいい。
 いつ、『杏子、俺を殴れ』とか言いだすんじゃないかとヒヤヒヤしてたぜ、こっちも」
「なっ……お前、どうしてそれを!」

 言葉で痛いところを突かれた翔太郎は動きを止める。腹式呼吸の真っ最中、喉で唾が引っかかって咽そうになった。
 そう、先ほど、翔太郎の脳内は、暁が言った通りの言葉を想定していたのだ。それを口に出す可能性があった。土下座に加え、それも少し検討していたのは確かな事実である。その事実を他人に見透かされていたと思うと、無性に恥ずかしくなった。まして、全て終わった今となっては余計に。

「いや、でもあんたが殴る機会はないだろ……」

 横から杏子が、ほとんど呆れたように言った。こちらも、突然の事で、考える暇もなくどこかずれた言葉を返してしまったようだ。

「いーや、大ありだね。俺たちはこれから暗号を解かなきゃならないんだ。
 その局面を前に余計な内輪話で尺を食った分、一発殴らせて貰わないと気が済まん。
 外ではみんなここを守るために戦ってるんだぜ?
 ……だいたい、女の子絡みの話で俺より目立つなよな。嫉妬しちまうぜ全く」

 この慌ただしい状況でこうして翔太郎が余計な話を進めたのは暁にとっても癪に障る話だったらしい。暁も、殴るほどの事ではないと思ったが、結局一発殴らせてもらったようだ。
 美希が、そこで出てきた嫉妬という言葉に、恥ずかしそうに首を垂れた。わずかとはいえ、自分も軽い嫉妬を覚えたのを思い出したのだろう。
 まあ、実際のところ、スリッパで叩いたのは翔太郎の意識を覚醒させるのに一役買う行為だったのだろうか。翔太郎にとって、確かに痛みは一つの切り替えだった。この痛みの「前」と「後」で、自分がどう変わったのか再認識できる。

「……あー、あー。まあいいぜ。眠気覚ましには丁度よかったぜ。
 ……っしゃ! 暗号でもランボーでもターミネーターでも何でも来い!!」

 結局、翔太郎は、こんな調子である。やはりこういうタイプの人間か、と暁と杏子は翔太郎を冷やかに見た。おおよそ暁の直感に狂いはなく、探偵としての人間観察眼も水準を超える程度ではあるらしい。翔太郎がわかりやすい人間であるのも一つだが。

「……な? 言ったとおりだろ?」
「まったく……単純な兄ちゃんだな。じゃあ、お言葉に甘えてあたしも一発いくか」
「あ、ちょっと待て、杏子! NO! スリッパNO!」

 スリッパの音がもう一発、翔太郎の顔面から炸裂し、翔太郎の悲鳴が聞こえたが、全員がしらんぷりをしていた。
 イジメを見て見ぬふりするのはいけないが、今のあれは放っておいてもいいものだ。今繰り広げられているのは仲良しの証である(ただ、これを読んでいる人間は、少なくとも、「仲良しの証」と言って、心底拒絶している相手に暴力を振るうのは決して正しい事ではなく、立派なイジメの一つだというのは念頭に入れておいてほしい。あくまで、ここにいる彼らは特例的にやられる側もやる側も強い信頼関係で結ばれた上で戯れているのであって、普段そうでない相手に行ってはならない事だ)。

「……あのー……暁さん?」

 そんな折、物陰からマミが顔を出し、どこか申し訳なさそうに声をかけた。暁はすっかり、マミの存在を忘れているようである。
 暁は今の出来事だけ見て、すっかり、全て忘れた顔でいた。

「ん? 何? って……」

 暁は声をかけられた瞬間こそ、ニヤニヤと気持ち悪く笑いながら腕を組んで、かなり偉そうに翔太郎が叩かれるのを眺めていたが、マミの方を向いた瞬間、翔太郎の悲鳴などかき消されるほどの大きな悲鳴を挙げる事になった。





「うわあああああああああああああああああああああああああああーーーーーッッッッ!!! オバケ、出、出た~~~~~!!!」





 マミが現れるなり、長く大きい悲鳴をあげて机を探し出す暁。机の下に潜り込もうとしているのだろう。部屋の中央に置いてあったダイニングテーブルが、彼のシェルターとして目測させた。
 すると、彼は体の随所を固い物にぶつけながらダイニングテーブルの下に蹲り、潜った。

 ──この間、僅か二秒である。
 捕捉しておくと、暁にとっては、巴マミは死体として認識されている少女である。こうして暁の目の前で立って歩いて喋って語り掛けてくる事──その全部が薄気味悪く、霊的であるのは当然だった。

「おい、マミ、オバケだってよ」

 杏子が、スリッパを片手に(そして四つん這いの翔太郎を真下に)、顔だけマミを見てそう言って笑った。マミと暁のどちらを笑っているのかはわからない。もしかすると、どちらの事も笑っているのかもしれない。
 マミも別段、腹は立たなかった。

「あの、だから……えっと、私はオバケとかじゃなくて……」

 苦笑しながらマミは頬を掻く。
 他人に怯えられるのは通常なら不快だろうが、暁の姿はどこかコミカルで、不思議と不快にはならなかった。魔法少女であった時に化け物扱いされるのと、誤解によって幽霊扱いされるのとでは、また随分と違った感覚である。
 やれやれ、と肩を竦めるのはマミだけではなく、他の全員も同じだ。

「ったく、仕方がないな……」

 代表して石堀が、ダイニングテーブルの下を覗いた。

「おい、暁。出て来い。この子の足を見ろ。ちゃんとあるぞ」
「バカ野郎! 幽霊に足がないなんて迷信だ!」
「幽霊も迷信だろ」
「わからねえだろ! 実際、俺はこの子が埋められているのを見て……」

 ──ふと、暁の中にフラッシュバックするマミの記憶。
 暁は若く綺麗な女性の顔は忘れない。男性の顔はほぼ忘れており、こうしている間にも何人か顔と名前がわからなくなっている人間が多々いるが、それはそれとして、マミは「若くて」「綺麗な」女性であった事や、ほむらに関連する人物である事もあって、確かに暁の記憶上でその死に顔を残している。
 あの時に感じた不快感と、また同時に湧きあがった死への恐怖と憧れも忘れられてはいないだろう。

「参ったねぇ……」

 石堀が頭を掻いた。

「あの……それなら」

 マミは、石堀を退けて暁の前にその顔を晒した。当然悲鳴があがる事と思ったが、暁は意外と小さな声で「うわっ……!!」と驚いた。そう何度も何度もゴキブリに遭うような悲鳴をあげてはいられないのか、単純に声が出せないのか、将又相手の立場を忘れて少し見惚れたのかはわからない。

「涼村暁さんですよね?」

 マミは、そのまま暁の腕を優しく掴むと、それを自らの胸に引き寄せた。

「えっ……おい……」

 巨大な乳と乳の間に暁の指先が触れる。確かに恥ずかしいが冷静を保って、「なんでもない事だ」「減るものじゃない」と必死に思い込みながら、マミは自らの胸に引き寄せた暁の手に鼓音を伝えた。
 暁は、普段の軟派な顔ではいられなかった。指先に伝わる振動を感じる。
 生きている人間以外には完全に不要な内臓の振動。あの時の遺体にはなかった震え。それが、今こうして、そこにある。

「……わかりますか? 私──巴マミは生きてます。……みんなのお陰で。
 だから、安心してください」
「……」
「このリズムを取り戻す為に、みんな戦ってくれたんです。
 私も、いつかみんなにお返しします。そう、いつか絶対に……。
 ……暁さん。私はもう普通の人間ですから。話を聞いてもらえると助かります」

 マミが諭すように言った。マミが何かを喋るために、指に皮膚の振動が伝わった。決して落ち着いたリズムではなかった。再び殺し合いに巻き込まれた渦中で、彼女の中にも恐怖は巻いていたのだろう。
 暁は、戸惑いながら、ゆっくり自分の腕をひっこめた。これ以上、そこに腕を置かずとも彼女が生きている事は判然とした。指は、ひやりとした空気を感じた。
 それから、暁はとぼけたように二の句を告げた。

「……あのな、マミちゃん。気持ちは嬉しいけど何もこんなところで」
「巴マミ。涼村暁はこういう男だ。理解できたらもう二度とこんな事はするな」
「わかりました。もうやめます……」

 マミは下を向いて腕を胸の前に組んだ。数秒前の自分を恥じた。
 目の前の男は、やはり「チャラ男」的外見そのままな性格と言動の人間であるようだと察知したのだろう。
 バストが大きいと、前々から男子生徒にいやらしい目で見られる事も少なくなかったが、いや、これはまさにそうした警戒を怠った瞬間である。この手の男には近づくべきではないし、ましてや自分から大胆にも胸に手を伸ばさせる事などもってのほかであった。

「とはいえ、暁。彼女が純然たる血の通った人間だっていう事は確認できたよな?」
「ん……あ、ああ……おかげ様で。良い思いもできたし一石二鳥だな……」

 暁が気のない返事をしたが、実際はもう少しはっきり理解していた。
 確かに、マミは生存している。今のところどういう理屈なのかはわからない。
 双子なのか、姿が同じだけなのか、実は生きていたのか、それとも「蘇った」のか……。しかし、どんな理由があるにせよ、彼女は生きている。理屈を訊かされてもわかる気がしない暁には、その事実だけが重要だった。

 ──と、なると、これは死体を弄る悪趣味ではない。

「あの、マミちゃん。ちょっと」
「何ですか?」

 暁は、それから「もう一回だけ」と小声で言って、暁は手を真っ直ぐ彼女の胸元に伸ばした。その指先は、マミの右手によって思いっきりはねのけられた。



◇



 孤門一輝が、巴マミとともに魔女化に関する事情を他の全員に説明していた。
 翔太郎ら、何らかの形でそれを知っていた人間は聞き流していたが、暁は全く初耳の事ばかりである。何故、人間が地中に埋められた死体から、血の通った人間に戻れるかを彼は全く想像できなかった。
 説明の難しいところではあるが、とにかく孤門が先導して丁寧に一から説明した。こんな事をしている場合でないのはわかっているが、これからの為にも話さなければならない。

「要するに、主催側はもう一段階上の【魔女化】というステップを彼女たちに残させていたんだ。
 魔法少女だけが精神的な要因や戦闘の場数を踏みすぎると死亡扱いになっていたのは、後半で残りの参加者を減らす為の仕掛けだったんだろう」

 ゲームのルール上、魔法少女はこれまでソウルジェムが濁り切ると死亡扱いになっていた。
 しかし、変身道具が使用の度に生存率を著しく下げ、殺し合いの状況下、絶望のスイッチが入っただけで息の根が止まるというのは些かアンフェアだ。主催側がこれをゲームだと認識しているのならば、魔法少女を生存させる気がほとんどなく、ゲーム性に欠くように思えてしまう。

 死亡に至る身体的ダメージの場合でも大抵の魔法少女は死亡するし、精神衛生、魔力の残存などを考慮しながら戦い、ソウルジェムの安定化をさせるのもこの状況では難しい。
 まして、本来なら彼女たちのソウルジェムが黒く穢れた結果の末路が、魔女への変貌であるのなら、わざわざ魔女化を封じる必要は主催側にはない。魔女は確実に参加者を減らしてゲームを盛り上げる事ができる存在である。
 それならば、「魔女化をさせない」という選択肢は不自然なのだ。ゲームをさせたいならば、魔女化の仕組みを外す必要はない。
 そう、そこには何らかの仕組みをわざわざ仕掛ける意味が必要なのだ。

 そして、孤門たちが魔女化について推察した「意味」がそれだった。明答か否かはわからない。

「それから、プリキュアの力で魔女としての暴走を止めて──」
「キルンの力を媒介に元の肉体を──」

 ともかく、暁はそうした説明で概ね納得したようである。
 マミを死人にしたところで暁にはメリットはない。暁とマミの話もひと段落というところである。
 実際のところ、信じ難い話ではあったが、ラブと共にいた暁は彼女の一途な活躍を純粋に祝した。シャンゼリオンの力よりも数段、役に立つ力であるかもしれない。
 本来、戦わずして敵を屈服させるのが一番の兵法であるが、相手を味方につける事ができる力というのはそれ以上の物と分類していいだろう。

「なるほどねぇ……。でも、もし本当に後から残りの参加者を減らす為にマミちゃんたちを利用したのだとすると、こうしてその障壁を味方につける形になったのは主催側にとっては予想外の出来事だよな」
「……そうだな。おそらく、向こうも手馴れてない。この殺し合いには、きっと予想外の出来事はこれ以外にも多々あったはずだ」

 翔太郎は言った。

 以前、フィリップとは主催陣との戦闘が次のステップに移行しているかもしれない……という話をした事がある。
 それは、対主催陣営が主催者と戦闘するところまで計算に入れたゲームであるという話であったが、それは「そうなる可能性が高いので相手方が戦闘準備を十分に備えている」というだけであって、主催側にとっても心から望む展開ではないはずだ。
 戦闘を傍観するのはまだしも、戦闘の当事者としてそこにいるのが好きなタイプは主催陣には少ない。そもそも、そういうタイプならば自ら、このゲームに参加する側として選ばれる事を表明するはずだ。その段階、というのが来る事自体が主催者にとっては好ましくないが、もはや完全に残りの生存者は団結して主催陣営と戦闘になろうとしている。
 ──しかし、その上で、「来るなら来い」と胸を張っているようにも思える。こちらも、それに対抗する手段を持たなければならない。
 いずれにせよ、主催者の意に反する行動はいくつも挙げられるだろう。

 対主催側の奮戦がガドルら強敵を倒した事。
 ダークプリキュアの心を救いだしたプリキュアの力。
 対主催陣営が一日の終わりごろには一挙に揃っていた事。
 早々に首輪を解除して禁止エリアが意味をなさなくなった事。
 志葉丈瑠が外道に堕ちた事。
 など。

 そう、主催側にとって、全く予想だにしなかったであろう展開は多く、こちらからすれば、「主催者たちは手馴れていない」という感想が抱かれる。おそらく、主催側にはバトルロワイアルというゲームを主催する事に対する一種の抗体がないのだろう。……だとすると、これは主催側が一番最初に執り行った「実験」なのだろうか。
 それなら十分に隙はあると思えた。
 そして、その事を特に強く実感しているのは、実は翔太郎ではない。────ゴハットのようなあからさまな裏切り者と遭遇した暁であろう。生還者を一名出しているところから考えても、内部分裂まで生じている可能性が高いと思えたのだ。

「相手の予想を覆したとしても、相手への打撃にはなっていない」

 今度は石堀が横から口を開いた。実際、尖兵であったマミやさやかが浄化を経てこちら側に戻った事が主催陣営にとって、現状大きな不利益を与えたわけではない。ただ、こちらが自分たちにとっての不利益を排除しただけである。
 孤門が、そんな石堀に反論するように口を開いた。

「……そうですね。でも、覆したという事は僕たちにとっては希望です。
 僕たちは相手の意のままに操られる人形ではない。
 ────それが証明できたっていう事に……なりませんか?」
「それも尤もだ。それに、向こうも動揺したかもしれない。
 自分たちが用意したトラップが予期せぬ形で乗り越えられれば、普通少しは焦るもんだ」

 まるで自身も経験があるかのように、石堀が一息に言った。暁がそんな石堀を怪訝そうに見つめた。何か引っかかったようだった。しかし、それはあくまで予感という程度にとどめられて、別にそこから石堀を問いたてる事もなかった。
 孤門が、それを聞いて、今度はマミの方を見た。彼は、この会話の流れからマミに対して何か言っておく事があると思ったのだろう。

「マミちゃん、君が生きている事──。
 ……それがやっぱり、僕たちにとっては希望なんだ。
 役に立つとか立たないとかよりも」
「ええ、わかってます」

 その言葉は、嫌にあっさりしているように聞こえた。彼女はもう少し、今の境遇について悩みを見せていたはずだが、それが今の彼女にはなかった。

「さっき、ずっと桃園さんを見ていて、……魔女になっていた時の記憶が薄らと蘇ったんです」

 名前を出された事で、ラブがマミの方に目をやった。

「私も魔女になっていた間、──いや、魔法少女でも魔女でも人間でもなかった間、少しだけ夢を見ていた気がします」
「……マミさん」
「それは……正義の味方の夢を、桃園さんが果たしてくれているのを、私がずっと見守っている夢です」

 ふと、それを聞いた時にラブには懐かしい感覚が胸に蘇るような感じがした。
 胸の中で何かが解けていく感覚。遠い祖父との思い出を回想するようなノスタルジー。
 ラブは、いつか夢でマミを見た覚えがあった。起きたら忘れられる夢だ。起きたばかりならばその残滓を掬い上げられたかもしれないが、今となっては、ただの懐かしい感覚や既視感に終わってしまう。

 しかし、……きっと、そんな夢を見たのだろう。

「夢の話なんてしても仕方ないんでしょうけど、私は正夢を見たような気分でした。
 そこで、誰かと一緒に桃園さんにエールを送っていて、それで、彼女がこれからも正義の味方であり続ける事を祈っていた気がするんです……。
 おこがましいかもしれないけど、私は……彼女の支えであり続けられたと思うんです」

 それは、自信を持って言える事だった。具体的にどんな戦いをしていたかをはっきり語る事はできないが、マミは夢の中で「真実」を見つめていた気がする。断片的な、キュアピーチの一日の戦いがマミの記憶の中で薄らと形を持っていた。

 そうだ。────ラブも思い出した。

「うん……! そうだ……私も、ほんの少しだけ覚えてます。夢にマミさんや私の友達が出てきて、応援してくれた事。
 だから、きっと祈りは通じたんだと思います。それが私の力になっているのは間違いありません。今も、きっと」

 プリキュア仲間たちや一文字、マミが夢に少し出てきた事を、ラブは少し思い出した。
 それこそが、ラブの胸に響いて来る新しい「愛」の力を生みだしていたのだろう。
 テレパシーや思念という物があるのなら、まさしくそれを受けて、二人が通じ合ったと言える出来事であった。

「……良かった。戦いの役に立つ事じゃなくて、生きる事の意味がわかってくれたんだね」
「そうですね……。私は、やっぱり、少しでも長く生きたいんです。
 死ぬのが怖いって────そう思って、私は魔法少女になったんですから……。
 でも、生きている事でみんなの励みになるなら、そのためにも、もっと真っ直ぐに生きられる」

 マミが魔法少女になったのは、そんな理由だった。交通事故による衝撃と全身の痛み、目の前で燃え尽きる両親、止まない二次災害──あのままだと死ぬ運命だったマミにとって、魔法少女になるという事が唯一生きる手段であり、最後の希望だった。
 彼女にとって、生きているという事の心地よさは何よりの救いだ。

「ああ、誰だって生きたいさ。ここで死んだ奴らもみんな……生きたかったはずだ」

 その横で翔太郎が拳を思いっきり机に叩きつけた。鈍い音が響いて、全員がそちらを注視する。無音が作られた。

「……だからこそ、これ以上あいつらの思い通りにはさせねえ!
 全部が奴らの思い通りに進んでるわけじゃないって事が証明されたなら、俺たちはまだいくらでもやれるって事だ」
「同感。きっと、ここにいる者は全員同意見だろ。……ドウコクの奴も含めてな」

 杏子もそう言って外道シンケンレッドの方に視線を飛ばした。全員、無意識に部屋の隅の外道シンケンレッドに目をやった。置物のようではあるが、あれも脅威の一つとしてカウントしていい。
 味方であるうちはともかく、敵にいつ回るかはわからない。
 外道シンケンレッドには意思らしき物はないが、全員ばつが悪くなって視線を外した。
 石堀が景気よく話題を変えた。

「……と、まあ少し考えてみたはいいが、この段階まで来ても、こちらには敵の全貌を探る術はないな。
 敵の持つ兵力、兵器、物量、戦法、それから、技術レベルではどうしようもない不可解性、オカルト性、SF性も含めて全く未知数だ。
 手近な暗号から解読して、まずは生存人数の問題を解決しよう。……そうだろ、孤門隊長?」
「えっ……? あ、え、ええ、全く、その通りです。石堀さん」

 孤門が少し焦ったのを、石堀は薄く笑って返した。
 未熟でありながらリーダーを任され、元々上司だったはずの石堀にこうした皮肉を言われるのも、案外平気な様子であったが、少し孤門も休みたい気分になってきた。
 改めて石堀に言われた内容は、口で言うのもはばかれるくらい途方もない話である。パラレルワールドを往来できるのなら、その能力は無限であると言っていいかもしれない。そんな相手との戦闘行為を、無策で口にして、恐怖を感じぬわけがなかった。
 相手の情報も推測の材料も足りない現状で、いくらこういった事を話しても仕方がないだろう。敵地に突っ込む作戦にも関わらず殆ど無策の状態でいかねばならないのは、やはり不安ばかりが大きい。

「……ただなぁ」

 杏子が、机の上で頬杖をついて見守る二人の大人の探偵は、少し真面目な風ではなかった。
 二人の名探偵は、石堀や孤門などに指示を受ける前に、既に暗号の文書を持って何やら話し合っている。

 ────やはり、というべきか。

「暗号解読か、任せとけ! この涼村暁がかっこよく解いてやるぜ!」
「待て。まずは俺に貸してみろ……俺がハードボイルドに解く」
「やっぱりこういう時は、書いてあるのと逆に、あえてマミちゃんの胸にまず飛び込んでみるのが」
「オイオイ、中学生に手を出すなんざ、ロリコンか? これだから幼児性の抜け落ちないチェリーボーイは」
「うーん……いや、むしろ、マミちゃんレベルだとマザコン人気の方が」

 不安そうな瞳を向けるのは杏子一人ではなかった。
 そこにいる全員が、不安と呆れの様子で見なければならないような二人が、この暗号の解読を買って出ようとしているのである。

「はぁー……」

 溜息が出た。



◇



『桃園ラブと花咲つぼみなら、花咲つぼみ。 
 巴マミと暁美ほむらなら、暁美ほむら。 
 島の中で彼女たちの胸に飛び込みなさい』

 さて。
 この文書に、今は全員が目を通していた。机を外道シンケンレッド除く全員が囲んでいる。

「私とつぼみちゃん……?」
「私と暁美さん……?」

 ラブとマミ。二人は、まずこの暗号において重要な手がかりを持つ人間であるように思えたので、暁や翔太郎と一緒に紙切れの周りに集まっていた。まるで雀卓を囲むように四人が四角く座って、暗号を見る。その周囲で立ち見をするのがその他の面々である。
 これで、果たして暗号とやらは解けるのだろうか。

 まず、真っ先に着目したのは名前だ。これは、放送の際のボーナスクイズとして出題された時も重要視された要素である。参加者名を使ったクイズ、というのはあの時の事を想起させた。今回もまず名前だけを羅列する。
 花咲つぼみ、桃園ラブ、暁美ほむら、巴マミ。
 指定されているつぼみとほむらは、下の名前がひらがなで表記されている。そこから連想して、書いてある単語を「しま」、「むね」とひらがなに直してみるが、これといった収穫はなかった。
 ローマ字に直すと、HANASAKI TSUBOMI、MOMOZONO RABU、AKEMI HOMURA、TOMOE MAMIだが、これを並べ替えてどうなるという事もなかった。
 名前の意味を考えても、「愛」、「蕾」、「焔」など、一見意味ありげなだけの言葉が出てくるが、結局は関係なさそうであった。

 次に、彼女らの境遇を考えた。
 一行目の花咲つぼみと桃園ラブはプリキュア。
 二行目の巴マミと暁美ほむらは魔法少女。
 いずれにしても、同じ行の人物は同じ世界、同じタイプの戦士に変身している。
 花咲つぼみの実家は花屋。桃園ラブの実家は一般家庭。
 巴マミは両親を事故で喪っている。暁美ほむらは不明。
 初変身の時期は、つぼみよりラブが早く、魔法少女はほむらに関して不明であり、比較ができない。
 つぼみとラブとほむらが中学二年生、マミは中学三年生なので、これもつぼみとほむら、ラブとマミで綺麗に二分する事ができない。
 人種も、全員純日本人であった。ラブという名前は日本人離れしているが、彼女が立派に日本人であるという旨は、以前のフィリップと石堀とラブとの会話ではっきりしている。

 それから、戦闘後の能力も考えたが、ここでキュアブロッサムとキュアピーチに大きな差異がないようである。両名を比較して何かが浮かび上がらなければ、こうして探っていく意味はなさそうであった。

「この中でこの名前の人物全員に面識のある人は?」

 孤門が訊くと、杏子と暁が手を上げた。
 確かに、ラブ、マミの他、つぼみとほむらにも会った事があるのはこの二人だけだ。
 基本的に、ここにいる多くはつぼみとも面識があるだろうが、ほむらとの面識が欠けている。ただ、あくまで血の通った人間として鉢合わせた事はなくとも、孤門など数名はほむらの「遺体」と対面していた。
 マミはつぼみとまだ面識がなかった。

「そうだ。とりあえず、マミちゃんとほむらちゃんで決定的に違う点はあるか?」

 翔太郎が訊いた。まずはそこから訊かねばならない。
 暁が間髪入れずに答えた。

「顔」
「ああ……そりゃ違うだろうけど」

 没だ。差異があってもどう違うのかはっきり言えない物を暗号にしても仕方がない。
 顔のつくりで、何か記号化できる違いがあるだろうかと考えたが、それは一切なかった。

「顔の特徴で、大きな違いはある?」

 目の大きさや鼻の高さを比べてもおそらく答えは出ない。
 強いて言えば、つぼみとほむらには「メガネをしている」という共通項があったが、暁や杏子が知るほむらはメガネを一切かけていなかったので、これは誰も思いつかなかった。
 実際、これは解答には関係ない点だった。

「髪の色は?」
「ああ、確かに違うな。つぼみは赤、ほむらが黒で、マミとラブは黄色だ」

 と、杏子。これは少し気になった。
 選ばれなかった側で共通して黄色というのは少し気になる。だが、やはり選ばれたつぼみとほむらの方で違いが生まれてしまうとなるとそれもやはり採用しづらい。綺麗に、「つぼみとほむら」、「ラブとマミ」で二分できなければおかしいのである。

「身長はほむらちゃんもマミちゃんもあまり変わらないな……」

 暁が言った。
 数ミリ単位の身長差については比べようがない。それに、身長を比較するならば、もっとあからさまな身長差のある二名を選択して暗号にしなければ、意味が全く通じないだろう。
 身長もボツ。勿論、体重も測りようがないのでボツだ。

「あ、そうだ。ほむらとつぼみは髪がほぼストレートだけど、マミとラブはウェーブがある」

 杏子が何かに気づいたように口を開いた。
 確かにそれは共通点の一つだ。一応、女性らしい意見も出てくるものだ。孤門が関心する。

「確かにそうだね。意外といい線なんじゃないかな?」

 ほむらとつぼみの「ストレート」という部分に何かある気がしないでもない。真っ直ぐ──真っ直ぐな場所や物を示しているとか、そういう可能性が考えうる。
 ここにいるほとんど全員が、少しそれが答えに近づく意味のある言葉であると期待した。

「……あ。いや、でも」

 杏子がやはり、と少し考えた後で言い直した。

「マミ。その髪はセットした物だったよな?」
「……ええ。下ろしても一応少し癖はあるけど」

 杏子がそこで少し引っかかったようだ。引っかかってはいるが、髪型を答えにする事に対する違和感を上手く言葉にできずに、ただ不機嫌な顔色で返す。髪型というのはどうも違う気がしたのだ。
 翔太郎は杏子の表情を見て、彼女が言いたい事を察すると、この場合の問題点を代弁した。

「……髪型は一定じゃない。その日その日で簡単に変わる物だ。
 こういう暗号には向いてない。今ここで刈っちまえば坊主……そういう事だろ?」
「四人とも女だから尼さんだけどな」
「……いや、まあ、確かにそうだけどな。
 とにかく、これだと状況によって、暗号の意味が通じなくなってしまう。
 それじゃあ、こいつは暗号でも何でもなくなっちまうんだ」
「いや、でもこれを作った奴がそこまで考えてないっていう可能性だってある。
 だから、一応言わずにいたんだけど……」

 翔太郎は杏子の返しに何も言えなかった。
 確かに、一般的な暗号では、暗号を通用させる前提条件が覆って相手に通じなくなってしまう事が起きては本末転倒だ。しかし、おそらくこの暗号は即席で作られているので、そこまで考えの及んだ物ではないかもしれない。
 それに、暗号をよこした相手は決して頭の良い相手ではなさそうだ。
 彼女たちの髪型が変わる事や、あるいは既にヘアアイロンなどでセットされた髪である事まで視野に入れていないかもしれない。

 その時、ふと美希が発言した。

「あの……普段縛ってるからわかりにくいけど、つぼみの髪にも癖はあります」
「え?」
「肩まではほとんど癖がないけど、肩から下は結構ウェーブがかかっています。
 何度か結んだ事はありますし、普段もよく見ればわかるはずです」

 翔太郎は、自分なりの記憶力でつぼみの容姿を思い出した。
 確かに、縛られたツインテールの髪は、ゴムより下で大きな波を打っていた。
 再度、脳内でつぼみの髪をストレートで思い描いてみたが、一度ウェーブの髪のつぼみを思い出した後だと、それは全くのまがい物になった。翔太郎もここまで詳しくは覚えていなかった。

「そうだな……。ありがとう、危うく余計な問題で立ち止まる所だったぜ」
「いえ、偶然覚えていて」

 美希は、どうやら女性の──とりわけ、衣装を着て舞台に立つ女性の容姿に関しては、ほとんど記憶しているようである。
 美希自身もファッションモデルであった事を翔太郎は思い出す。プロのモデルである美希は、別の学校でファッション部をやっているつぼみたちにファッションやみだしなみについて指導したのだろう。その際に、つぼみやえりかの体格や特徴を指導し、それが偶然頭に入っていてもおかしくはない。

「それじゃあ、ここに来てから……そうだな、昨日一日の行動経路はどうだろう?」

 そうするとほむらと、それから一応マミ(ゴハットの死亡段階でマミの死はゴハットには伝わっていないだろう)だけ死亡しており、やはり比較が難しいところであった。
 一日の行動経路を考え直しても、つぼみとラブでは大きな違いはなく、ほむらとマミでは早い段階で死亡した以上の共通点はない。つぼみとほむら、ラブとマミを比較するならばともかく、つぼみとラブ、ほむらとマミを比較したうえでつぼみとほむらが選ばれたのは不自然だろう。
 これもすぐにボツだ。

「誕生日は?」
「血液型は?」

 どちらも訊いたが、それもどうも決め手にはならず、その上にほむらの情報が詳細不明であるために難しかった。
 こうして、考えうるデータを話してみても、どうやら答えが出ない。このまま行くと、更に問題が細かくなって、解答から遠い場所になっていくような気がした。
 納得のいく共通点は見つかりそうにない。

「……」

 暁は、全員がそうして考えている中で、一人目を瞑って発言せずに考え事を始めていた。
 積極的に解くべきポジションでありながら、どうやら一人きりで考えているようである。

「……暁、お前はどうしたんだ? さっきから黙ってるが」

 石堀が、暁に発破をかけた。声をかけたが、返事はない。
 考え込んでいるのか、呆けているのか、もしかしたら寝ているのかもわからないので、彼の考えを理解するのは難しい。
 いや、今回の場合は、もしかすうrときちんと考え込んでいるのだろうか。比較的、シリアスの横顔であるように見える。

 さて、その時、実際には暁は────。



◇


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