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070127 - (2007/03/19 (月) 07:18:09) の編集履歴(バックアップ)


満田人間ハレ(一:>169-178)
<<1>>

「ハレ、ハーレー!早く起きなさいっ」
「…ん…ん~~~……」
くああ、と大きなあくびを一つ。
ここはジャングルの小さな村の、小さな一軒家。
少年は母の声に誘われ、今朝も爽快な目覚めを迎えた。
「どしたの?母さんがオレより先に起きてるなんて…」
「ん~?んふふー…いーから早く顔洗って来なさいな~」
「朝食が冷めるぞ」
「…朝食?」
言いながら、ダイニングからひょこ、と顔を出しウキウキとした声を上げる母と、反対に全くいつもの調子の
少女を見比べ、首を傾げる。二人ともなぜかエプロン姿のようだった。
…そう言えば、なんだかダイニングの方から香ばしい…と言うか若干焦げ臭い匂いが漂ってくる。
今朝は珍しく、母が台所に立ったようだ。…いや、本当に珍しい。
自分が何もしなくてもテーブルに料理が並ぶなんて、ベルが住み込みで働いてくれていたとき以来だ。
どうせただの気まぐれだろうが、このだらしない母がこうして母親らしいことをしてくれるだけで
少し嬉しくなってしまう。そんな自分の境遇がいっそ哀しいがこのさい気にしないでおこう。

「うわっ朝から豪華だね~」
「うふふ、今日はフンパツしちゃった!」
顔を洗い、テーブルに着くと少年は思わず感嘆の声を上げる。
テーブルにはところ狭しと大小様々の皿が並べられ、それぞれが……
「…なんかオレ、母さんの料理のレパートリーに軽く衝撃を受けてるよ」
…それぞれが、大体似たような芳香を立てていた。ってかぶっちゃけどれも似たような料理だった。
「そう?母さんもなかなかやるでしょ?」
「ウェダも日々成長しているのだ」
「いや、褒めてない褒めてない」
どうだ、と誇らしげに胸を張る母と少女の姿にハァ、と軽くため息が漏れる。
冷蔵庫の中を適当に漁ったのだろう、ざっくばらんに斬り下ろされた野菜や肉類が、皿の上にゴロゴロと
転がっている。その大半が炒め物か、ただ皿に盛っただけと言う様子だった。
この分だと、どの皿の味もほぼ変わるまい。
「グゥちゃんもいっぱいがんばってくれたのよっ」
「なぁに、グゥはほんの少し手を貸したに過ぎない。料理は全てウェダが作ったと言っていい」
「もう、謙遜しちゃって!」
「へぇ~、グゥが作ったやつもあるの?」
そー言えば、グゥもエプロン姿だ。
…なんだかエプロンがやけに赤く染まっているように見えるのはきっと気のせいだろう。
この皿の中に、グゥの作った料理も混ざってたりするのだろうか。少し怖いが、グゥの手料理なんてはじめてだ。
なんだか期待と不安で心ならずも胸が高鳴ってしまう。
「…いや、グゥが手伝ったのはこっちだ」
「え?」
言いながら、グゥは母の手をぐぃ、と持ち上げる。
そこには包帯でぐるぐる巻きになった、指。ところどころにベタベタと絆創膏も貼られていた。
「…言っただろ、料理は全てウェダが作ったと言っていい、と」
「…ってかグゥ、手伝ったって言えるの、それ」
「何言ってるの!グゥちゃんが手伝ってくれなかったら、母さん包丁も握れなかったわよっ」
「いや、いっそ無理せず安静にしてて頂きたい…」
グゥのエプロンに付いていたのは、母のものだったのか。想像すると、少し背筋に寒いものが走る。
料理とは果たしてそこまで過酷なものだったろうか。母と違い、いつの間にか鉄人級の料理の業前を持つに至った
少年は、これが才能ではなく幼少から強いられた鍛錬によるものだと心から理解するのだった。
…ってか、自分がどんな料理を食べて育ったのか、あまり想像したくない。
「なんかもう早くも食欲が失せ気味だよオレは…」
「なによ、こんなに母さんががんばったってのに、食べれないっての?」
「そうだぞ、グゥもがんばったんだぞ」
そのがんばりを気まぐれでなく普段から発揮して頂きたいと思うのは我侭なのだろうか…?
しかし確かに、母の手料理なんて久しぶりのことだ、贅沢を言ってもしょうがない。
そんなことに贅沢云々を論じねばならぬ時点でどうかと思わないでもないが…。

「ま、いいや。ほらグゥも食べようぜ」
「うむ」
「たっくさんあるから、じゃんじゃん食べてねー!」
ハレがそう促すと、ウェダとグゥもエプロンを取り椅子に腰掛ける。
三人で「いただきます」を言い、それぞれ思い思いの皿に手を伸ばしていく。
…やはり、どれも似たような味付けばかりで火加減もまちまち。
それもところどころ焦げ付き、薄しょっぱ苦い味が口の中に広がる。
しかしそんな味もなんだか懐かしく思えてしまうから不思議だ。
まぁ、たまにはこんな朝も悪くない。むしろ推奨。
自分で作ったものを自分で食べるほど、詰まらないものは無いのだ。

「どうどう、結構イケるでしょー?」
「う、うんそだね…」
そんな母の料理でも、味を問われれば言葉に窮せざるを得ない。
母はパクパクと機嫌よく口に運んでいるが、少年は早くも胸がいっぱいいっぱいだった。
「なぁグゥ────っておまっ!?」
「…ん?」
返答に困ったハレはグゥに助けを求めるが、その少女の姿を見た瞬間少年はなお固まってしまう。
グゥは、ウェダの料理を皿ごとモゴモゴと口に詰め込んでいたのだ。
そのままハレの言葉も気にせずグゥは作業を続け、間もなく口に半分ほど入っていた皿はスポンと
グゥの中へ消えていった。
それどころかいつの間にか、テーブルに置かれていた料理はすでにその1/5ほどが皿ごと消滅していたりする。
…グゥはグゥで困った存在であることをすっかり失念していた。
「…グ、グゥちゃん…?」
「あ、か、母さん?これはその…っ!」
(やばっオレだけならともかく、母さんにまでバッチリ見られちゃったよ!
 どうしよー、何てフォロー入れたら…)
そして最悪なことに、母にまでその姿を目撃されてしまっていた。
なんとかフォローしないと、事態はより悪化の一途を辿る……
「グゥちゃんったら…気持ちいいくらい豪快な食べっぷり!粋ね、粋!」
「いえーい」
「…………」
……かに思われたが、あっさりと回避されたようだ。この母の底なしの能天気さはある種の才能と言えようか。
笑顔でサムズアップを交わすこの母と少女を遠目に眺めながら、事実を事実として受け止める母のそのスキルの
半分でも自分に備わっていたなら自分ももっと気楽に生きれたろうに…などとハレは一人心を冷やすのであった。

「ね、なんで今日は朝からこんなに豪勢なんだと思う?」
そんな少年の様子を尻目に、母はニコニコと上機嫌でそんなことを聞いてくる。
…本来なら、ここで何か特別なイベントの予感に期待を膨らませるのだろうがまぁ、現実はそう甘くあるまい。
「…冷蔵庫の整理でしょ、賞味期限ヤバイのとか過ぎてるのばっかじゃん」
「う゛…なんで解るのよぉっ」
少年はあっさりと母の思惑を看破し、ズバリといたって冷静に言い放つ。
「オレ、母さんより冷蔵庫の中身詳しいよ」
皿の上には様々の食材が並んでいたが、どれも少年にとっては見慣れたものばかりだ。
そこには料理としての体裁を考えた様子は見られず、ただ冷蔵庫の中身を使い切ってしまえと言わんばかりだった。
「うーん、さっすが我が息子!私に似て細かいとこまで目が行き届いてるぅ!」
「母さん…反面教師って言葉、知ってる?」
「うっさい!…でもね、それだけじゃないのよ?他にも理由あるんだから!」
「…あ、そー言えば今日は狩りの日だっけ?」
「ンも~!!何で知ってるのよぉ!!」
「だっていつものことじゃんかぁ。いつもは前日の夕飯で整理してるけど、昨日は母さんが何も言わなかったから
 オレ普通に作っちゃったんだよね。…どーせ、夜中にでも思い出したんでしょ」
「な、なんでそこまで……あんた、私の何なのさ!?」
「息子だよ……今だけはものすごく不本意だけどね…」
全てを悟られ、どすんとオーバーに床に倒れ込みわなわなと身体を震わせるウェダ。
まったく、笑ったり怒ったり驚いたり、毎度のことながら朝から忙しい人だ。
ころころとその表情を変える様はまるで子供だ。大人のくせに、いつでもあからさまに感情を発露させる。
だからこそこの少年も、いつも遠慮なく素直に言葉をぶつけられるのだが…。

「それにしても、ちょっと減らしすぎじゃない?冷蔵庫ほとんどカラだよ?」
「んふふー、母さんちょっと今日は気合い乗ってるからねー。
 心配しなくても、冷蔵庫からはみ出すくらい取って来てあげるわよ!」
言いながら、ウェダはおもむろに準備運動のような動作をはじめる。
狩りは夕方からだってのに、早くもスタートの合図が待ち切れないといった様子だ。
でもそうか、それで冷蔵庫の中を使い切ってしまおうと思ったワケだ。
今日は夕飯も、いつもより豪勢なものが食べられそうだ。…どうせ作るのは自分なのだろうが。
「うーん、それはうれしいけど、あんまり無理しないでよ?」
「まぁっ!母さんのこと、心配してくれるの?」
「べ、別にそんなんじゃないよっ!
 ほら、前みたく大怪我しちゃったらさ、また母さんの世話でオレの仕事が増えるからさぁ…」
「もう、ハレってば素直じゃないんだからぁ~」
「だからそんなんじゃないってぇっ!もう、くっつかないでよ~」
母は村一番の狩りの名手だが、まったく不安が無いと言えば嘘になる。
女である母が狩りをする姿と言うものも、子供にとってはあまり想像したくないものだ。
しかしそんな息子の気を知ってか知らずか、母は暢気に少年にじゃれつくのだった。

「…いや、ハレの言うとおりだ。無理はするなよ、ウェダ。」
「グゥ…?」
「グゥちゃん……」
そんな中、ハレの心中を察したのかグゥはウェダを嗜めるようにぽつり、ぽつりと呟く。
グゥも、家族の1人なのだ。ウェダのことが心配じゃないわけが無い。
「ただでさえウェダはすでに満身創痍なのだ…
 ハレは、これ以上自分のためにウェダに傷付いて欲しくないと思っているのだろう」
「いや確かに母さんボロボロだけどさ、言っちゃ悪いけどこれに関しては自業自得な気がするよ?」
「どうだウェダ、今日の狩りはハレに任せてみては」
「いや話聞けよ!ってかオレが狩り!?無理だって!」
「お、いよいよハレも狩人デビュー?」
「いやいや母さんも乗らないでよっ!オレにはまだ早いって~!」
「何を情けないことを…女のハントならすでにお手の物だというのに」
「ま、やっぱり父親に似たのね」
「だーもう!なんでそーゆー話になるんだよー!!」
そう、グゥだって母さんのことが心配じゃないわけが無い。…そんな風に思っていた時期が、オレにもありました。
ってか、こいつがそんな素直に自分の気持ちを口に出すワケがないのはちょっと考えれば解ることだった。
結局話題はグゥの思惑通りに流れ込み、少年は事の収拾に朝から無駄な労力を強いられるはめになるのであった。

「うわ、この満田もう賞味期限切れてるじゃん」
「今日新しいのいっぱい取ってくるから、我慢して食べなさい」
そうこうしながらも朝食は綺麗に平らげ、テーブルには空になった皿が並ぶのみとなった。
皿の枚数が最初に比べ2/3ほどになっている気がするがまぁ些細なことだろう。
食後のデザートは定番の満田。白い饅頭のような形に人の顔と手のようなものが付いているデザインから、
ジャングルに来たばかりのアルヴァは気味悪がって手をつけないが、このジャングルで生まれ育ったハレに
とってはいたって日常的な食べ物だ。見た目とは裏腹にとても美味しい。
「でも賞味期限切れの満田って甘すぎて美味しくないんだよなー」
しかし美味いのは、賞味期限が切れるまでの話だ。満田の顔が少し厳しくなる熟れ頃のうちはまだ大丈夫だが、
その目と口が完全に見開かれる「賞味期限切れ状態」となるとその味は格段に落ちる。
それどころか、そのまま放置していたら中に溜まったガスによりその身が破裂し中に詰まったジャムが飛び散ってしまうのだ。
「食べ物を粗末にしちゃだめよ?身体には悪くないんだから、食べちゃいなさい」
「うーんでもさぁ、口に入れた瞬間破裂したら怖いじゃんかーっ」
昔、レンジで作ったゆで玉子が口の中で爆発するというのを何かのテレビ番組で見たことがある。
あれにはテレビの前で大いに笑い転げてしまったものだが、自分の身にそれが起こるとなれば話は別だ。
満田はゆで玉子みたいに熱いワケじゃあないが、口の中で何かが炸裂すると言うのは恐怖以外の何物でもない。
「あらっ!そんな決定的瞬間、見逃さない手は無いわね~。カメラ回しとこうかしら」
「ハレは生粋のリアクション芸人だからな、さぞや面白映像が撮れるであろう。永久保存版にせねばな」
「…あのさ?食べ物程度でいいからオレの存在も粗末にしないでくれると嬉しいんだけどなぁ?」
しかしこの悪女コンビはそんな少年の気持ちなどそ知らぬ顔で楽しげにハレを肴に盛り上がっていた。

…まぁ確かに、口の中で満田が炸裂、なんて事件、十数年このジャングルで生きてきて見たことも聞いた事も無い。
自分のこの発想は所詮、子供っぽい杞憂に過ぎないのだろう。
と、満田を一口にパクっと放り込んだ、瞬間…。

バーーーーン!!

「んぐぅっ!!」

突然の破裂音……
「……なんちゃって」
…では無く、少女の大声に思わず喉が詰まる。
そのままごくん、と満田を一息に丸ごと飲み込んでしまった。
「げほっげっ……グゥ~~~~~?」
てへり、とお茶目な笑顔を見せるグゥをギロリと睨みつけるハレ。
だがそんなハレの威圧などこの少女に効こうものか。
そんな風に反応すればするほど少女の機嫌が良くなることをこの少年は十全に知っているのだ。
「ったくグゥは子供っぽいんだから……」
やれやれ、と大げさに肩を持ち上げ頭を振り、ハレは全身でその余裕っぷりを表現する。
…しかしその程度では少女のペースを崩すことなど出来るワケも無く…
「…丸飲み…か…」
「な、なんだよ……」
口に手を当て、必要以上に深刻な表情でこちらを見つめる少女にゾクリと背筋が冷える。
まさか、腹の中で破裂するとでも言うつもりか。
…これもこの少女の罠に違いないと思いつつも、どうしても不安感が拭えない自分が情けない。
そんな自分の様子に少女の心が満足げに潤っていくのが解るのがまた悔しくて情けなくなる。
「…破裂する前に潰してやろうか?」
「いえいえいえいえ結構です…!!」
ほくほくとした満面の笑みを湛えながら、しゅ、しゅと素振りをしはじめるグゥ。
それに対し少年は、情けない、情けないとは思いつつも結局ただ必死に少女から背を向け腹をガードすること
でしか抵抗の意思を示すことが出来ないのだった。

「ほらほら遊んでないの、ちゃっちゃと片付けちゃって学校行きなさいっ」
そんな少年と少女の攻防などそ知らぬ顔で、母からマイペースな声が飛んでくる。
いつの間にか時計の針はいつもの登校時間を刺していた。
テーブルを見ると、そこに残るはただ満田1個のみ。グゥの分のデザートだ。
それを食べたらあとは家を出るだけ。母の声に、先ほどの緊迫した空気も弛緩している。
キラリと、ハレの眼が光る。…今こそが千載一遇のチャンスでは無いか。
グゥが何の警戒心も見せずに満田をひょいとつまんだその瞬間、ハレの眼はますますに輝きを増した。
それはもはやあどけない少年の眼ではない、ただ一撃の反撃のチャンスを狙う鷹の眼だ。
そのチャンスとは、もちろんグゥが満田を食べる瞬間…!!
トクン、トクンとハレの心が高鳴る。
まるで、満田が少女の口に運ばれる様子がスローモーションで見えているかのようなかつてない集中力。
そして少女の口の中に、その起爆剤がすぽんと飲み込まれた瞬間っ!

「バーーーーン!!」

満を持しての反撃!ハレはグゥに覆いかぶさらんばかりに両手を広げ、得意満面に精一杯の大声を張り上げた。
その大声に少女は、
「……何?」
何事も無かったかのようにごくん、と一息に丸飲みし、それだけを呟いた。
「………っっ」
なんとも憎らしいほどのその余裕顔。
反対に、一人馬鹿みたいに騒いでしまったハレはただ顔をカーッと、真っ赤に染めてしまう。
「…カッコワル」
「うぐぅ…!!」
少女は更に容赦なく、くすくすと追い討ちをかけてくる。
その言葉は少年から抵抗の意志を奪い取るには十分なものだっただろう。
その眼はもはや起死回生を狙い爪を磨ぐ鷹の眼ではない。飛ぶことを忘れた従順なピヨちゃんの眼だ。

「くっそー…ちょっとは動じるとか驚くってこと無いのかよお前は~っ」
「ハレとは人生経験が違うのよ」
「オレも誰かさんのおかげで結構な経験積んでると思いますけどね?
 ったく、お前もちょっとは母さん見習って、素直に感情表現出来んもんかねぇ…」
「グゥはいつも素直ですよ?」
「自分の欲求には、だろー?」
「二人とも、今日も仲良しさんね~」
「どこをどー見たらそー見えるんだよっ!ほら行くぞグゥ!」
「おー」
このようなやりとりはいつもの事。
いつも一方的に負かされるハレだったが、いちいち気にしていても仕方が無い。
次の瞬間には後腐れ無く、あっさりとその心も切り替わるのだ。

ハレはグゥの手をぐいと引っ張ると、勢いよく玄関から飛び出していく。
結局二人は、いつものように仲良く手を繋いで学校に向かうのだった。


<<2>>

「…でよ、ここからがコエ-んだぜ……」
「ほんまか、それ?ほんまやったらえらいな~」
「あははははは!それ凄いねー!」
「ちょっと、静かにしなさいよぉ。授業中でしょ!」
「っせぇなラヴェンナ、授業中ったってレジィ寝てんじゃんよ」
ここはジャングルの小さな学校。年齢も様々なジャングルの子供たちが1つの教室に集まり、
少人数ながらもざわざわと明るい声を飛び交わせていた。
今は授業中ではあったが、その喧騒も届かぬ様子で教卓に枕を置き、頭を乗せてグースカとだらしない寝顔を
見せている教師、レジィにそれを咎める資格はあろうか。子供たちは益々に声をあげ、大いに雑談に花を咲かせるのだった。
そんな中、子供たちの笑い声に混じらずに男子でただ1人黙々と教科書に向き合う少年の姿が一つ。
ただ彼も、別にその教科書に集中していたワケではない。
いや、教科書はおろかその眼には何も映らず、その耳には何も聞こえてないかのように少年は平静を欠いていた。
(う~~~…やっぱ朝からあんだけ食ったらヤバかったかなー
 しかも賞味期限ギリギリか過ぎてるのばっかだったし…)
「ハレ?なんか顔色悪いよ、大丈夫?」
「え?う、ううん、平気平気!ありがとマリィ」
そんな自分の様子を、隣から心配げに見つめる少女になんとか必死に体裁を整える。
しかしどう言い繕おうとも、先ほどから己の腹の奥でキュルキュルと響く叫声がその汗を冷やしその身体を凍らせ
その思考を乱し続けているのも事実。
別にさっさとトイレに行ってしまえば良いのだが、この喧騒の中トイレに行くと妙なツッコミを受けそうで気が引ける。
そうこうしているうちに波が引き、安心したら時間を置いてまた次の波が…といった状態が先ほどから続いていた。
このまま授業が終わるまで…とは思うものの、事態はそれなりに急を要するようだ。
今は波は引いた状態ではあったが、次の波が来たらいよいよトイレに駆け込まざろう得ないことを少年の身体は直感していた。
「グゥ~、お前は平気なのか?」
「何が?」
ちらりと、マリィの反対隣に座っている少女を見やる。
ハレの容態とは対照的に、グゥの身体は全く健全そのもののようだった。
その余裕な表情がなんだか妙に憎い。

…フと、グゥが何かを手に持っていることに気付く。
それはなんだか真っ白で丸い饅頭のような、グゥの手のひらには少し余る程度の大きさのものだった。
そう、それはまるで……
「ってグゥ…それ…」
「ああ、さっきのやつ」
それは紛れもなく、朝食に出た満田だった。
もちろん賞味期限切れのそれはカッと目と口を見開き、今にも破裂しそうな勢いを孕んでいる。
「…食ってなかったのかよそれ!」
「食べてないよ。飲んだだけ」
…それがどう違うのか気になるけどやっぱり聞きたくない…。
「ってか早くどうにかしろよそれ!教室で破裂したら掃除大変だろー!」
とにかく今は、グゥの手の中で弄ばれている危険物をどうにか処理することが先決だ。

「お、なんだよそれ、賞味期限切れの満田じゃん!」
「はよどうにかせんとやばいで!俺の見立てではもってあと1分や!」
「おお、さすがいずれ村長になる男!トポステの見識眼、あなどれねーぜ!?」
「…グプタ…関係あるの、それ?」
突然のハレの大声に、思い思いに花を咲かせていた会話が止まりクラス中の目が集まる。
どうやらトポステによるとあと1分で破裂するとのコトだが…。
あと1分以内にグゥの手からあれをどうにかすることが可能なのだろうか?ハレの心に一抹の不安がよぎる。
そして最悪の結末…教室中ジャムまみれ…
体中をベタベタにしたまま、取れにくいジャムの付いた床や机をゴシゴシと磨く自分の姿をあまりにも容易に
想像が出来てしまい、思わず心に暗い影がかかる。
「ふむ……」
少年がそんな想像を働かせていると、グゥも何やら考えているような仕草をしているのが目に映る。

…この先の展開を考えているのか?
ハレの脳髄が高速で回転を始める。グゥの思考を読み、その手に先んじるための情報を検索し整理する…。
…確かに、「教室中ジャムだらけ」は一見、最もシンプル且つ最大の被害をもたらす妙手ではある。
しかし!グゥは誰かれ構わず嫌がらせをして喜ぶようなタイプでは無い。
最近はオレ以外のやつもターゲットにするようになっては来ていたが、それでも誰か1人に絞ってちょっとイジル程度のものだ。
やはり、最大のターゲットは不本意ながらこのオレであろう。ならば、あの満田を使いオレをどう困らせるか…。
それはもう、1つしかあるまい。ハレの思考が一つの結論…今朝、グゥと交わしたあのやり取りに辿り着く。
…これだ。間違いなくグゥがやろうとしていたことは、オレの危惧していたことの具現化!!

その時、グゥの眼がキラリと光る。しかし同時に、ハレの眼にも同じ輝きが宿っていた。
気がつけば、先ほどまでその身を蝕んでいた便意はすっかり消滅し、いつもの…いや、いつも以上にクリアな思考力と集中力
がその全身に鋭敏に蘇って来る感覚を覚える。今のハレは、間違いなくベストコンディションであった。

グゥはこちらを真っ直ぐに見据えたかと思うと、瞬時に行動に打って出た。
その少女の満田を持った手が高速で一直線にハレへと向かってくる。狙いはもちろん、口だ。
しかしそれはすでに、ハレにとっては予測済みの行動に過ぎない。
どれだけ速く動こうと、狙いさえ解っていればこちらはただ冷静に対処するのみだ。

グゥの手はパシィッと、いともたやすくハレに制止され、その腕を捕まれる。
「やっぱりな~…さすがにオレもそこまでバカじゃあないぜ?」
「おおっ受け止めた!」
「やるな、ハレ!!」
その攻防にどよ、と教室がざわめく。
しかしグゥの眼には全く焦りの色は見えない。
その時、より一際、教室のどよめきが大きくなった。
「いや違う!グゥが手にもっとんのは…」
「ふ、普通の満田だ!!」
「と言うことは…」
いつの間にか、グゥの手に握られていたのは先ほどの満田では無く別に用意していた満田に変わっていたようだ。
しかしハレにはそちらに気を配る余裕は無い。
すでにグゥの空いている側の手に握られた満田が、こちらをロックオンしているからだ。
ここまではグゥにとっても計算のうちと言うことかっ…しかし、それはこちらとて同じこと!
狙いは見え見え、攻め手も見え見えではどのような角度から攻めて来ようとも恐れるに足らず!!

グゥはまたもハレに向かって手を突き出すが、先ほどの繰り替えしのようにあっさりとその手をハレに捕まれる。
これでグゥは、ハレに両手を抑え込まれている状態となった。
「甘い……!グゥさんにゃ敵いませんけどオレもそこそこ人生経験積んでるんでね…!」
「おお、これも読んでいたのかっ!!」
息詰まる攻防に、またドッと歓声が沸き起こる。
しかしここでまたも、トポステの鑑識眼が光った。
「いや待ちぃ!あの満田は確かに顔かわっとるけど…まだ熟れ頃の顔やで!!」
「え?じゃあ賞味期限切れの満田は一体…」
まだ先があると言うのか。確かに、グゥの眼はまだ輝きを失ってはいない。
…望むところだ。グゥの策略がこの程度で尽きるはずが無いことは誰よりもオレがよく理解している。
さぁ、最後の仕掛けを見せてもらおうか、グゥ!
「破裂まであと10秒切ってるはずや!もはや一刻の猶予もならん!」
「どう攻める、グゥ!!」
「ハレ…負けないで…」
「って言うか、なんでこんな盛り上がってんの?今授業中なんですけど…」
教室の熱気が最高潮の盛り上りを見せている中、もはや一人の少女の冷静な突込みなど誰の耳にも届かない。
今や教室中がその勝負の成り行きを見守っていた。

満田が破裂するまですでに時間はない。決着は次の一瞬で決まる!!
オレなら…いや、グゥならどうする。…答えはもはや1つしかない。
最も効率よくオレの口を開かせ、かつ意識をそちらに向けぬ角度からの攻撃!!
そしてそれは、すでにオレも読んでいた事!!見え見えだ!狙いは…
「上だ!!」
「うえ!?」
「…あっあれは…いつの間に!?」
「パッ…パラシュートや!満田にパラシュートが!」
皆の視線が一斉にハレの頭上高くに注がれる。
そうだ、やはり空からの攻撃。皆は気づかなかっただろうが、オレの足元にかかる影は頭上に何かが浮かんでいることを
如実に知らせてくれていた。まさかパラシュートまで用意しているとは思っていなかったが、なるほど効率的だ。
恐らく、最初の攻撃がはじまる前から用意していたのだろう。
ったく、オレをはめるために注ぐ力をもっと平和的に活用しようとは思わんのか、こいつは。

そうこうしている間にも、影はオレの身体にかかるほどに大きくなっていく。
ここまで来ればどれだけ鈍かろうとも、この影に気づかないはずがない。…しかし、それも間違いなく、グゥの戦略の1つ。
普通なら頭上から何が迫っているのか、気になってつい上を見上げてしまうところだろう。それこそが狙いだ。
そうだ、あえてオレにその策略を気づかせ、上に意識が向いているところに別角度からの攻撃!これが本命!

頭上にかかる影の恐怖に耐え切れなくなり、上を向くオレ。その目に映らぬ角度から、ゆるやかに飛んでくる満田。
そしてあんぐりと天井を見上げ呆けるオレの口にすぽんと満田が飛び込み、炸裂…そんな様がありありと目に浮かぶ。
グゥの両腕を抑えている手は同時にオレの自由をも奪っている。瞬時に手でガードすることは難しいだろう。
加えて、真上を見上げながら口を閉じるなんてことは、相当に意識していなければまずおろそかになる。
この二重三重にかけられたトラップ…さすがグゥと言っておこうか。しかしオレはそれをすでに看破している!

それは先ほどからピッタリと閉じ何も喋らないグゥのその口からも伺える。
グゥ…その口の中に、満田が入っているんだろう?皆の意識も、オレの意識も頭上を向いているところに、その口から
ゆるやかに満田を発射する。そのタイミングを計るためにその口に力を込めているのだ。
それは下手を打てば自爆しかねない諸刃の剣!敵ながら天晴れと褒めてやりたいが、しかし今度ばかりは失策だったな!
もはやオレは上など向かん!!さあ、素直に負けを認めてさっさと飲み込んでしまわないと大変なことに───

「どうしたハレ?早くどうにかしないと、頭の上で破裂してしまうぞ?」
「な────!!?」
くらりと、視界が歪む。
ニヤリと、口端を歪ませるそのグゥの邪悪な笑みは「かかったな」と言わんばかりであった。
何で、口をひらけるんだ…?
だってその口の中には満田が…入ってるはずなのに、なんで、何も入って……。

「ハレ、どうしたの!?」
「今、破裂したら顔中ベタベタになってまうで!」
「ってか、こっちにまで飛んでくるんじゃねーか?」
「…………」
グプタの声を契機に、後ろのほうでガタガタと椅子を揺らす音が響いた。恐らく皆、教室のすみっこにでも非難したのだろう。
…そうか…そう言う事か…。オレの口の中に満田が放り込まれる、なんて、オレ以外誰も思っちゃいなかったんだ。
朝の件で、オレはその口に満田を放り込まれると言う恐怖をすでに植え付けられていたと言うことか!
今のグゥにそんな執着は無い。オレに破裂した満田を浴びせるだけで十分だったのだ。
しかしそれだけでは被害が周囲にまで及ぶ。…パラシュートは、オレ以外に被害を出さないためのバリアとしての役目も
兼ねているというワケだ。ちくしょう、あまりにも符号が揃いすぎてるじゃないか…このままではグゥの思惑通り、
オレは全身ジャムまみれになってしまう。…何か、何か破裂を食い止める手は───

──その時、ハレに電撃走るっ!

「まだだ…まだ終わっちゃいない!」
ハレの目が輝きを取り戻す。かっとその目を見開き、力強く頭上を向いた時、パラシュートを着けた満田は今まさに
ハレの頭頂部に着陸しようとしていた瞬間であった。
その満田に向かい、ハレは大きく口を開け……
「な、なんや、何をするつもりや!」
「ま、まさか………!!」
そうだ、単純なことだ。満田の破裂を止める手段なんて、実にシンプルなものだったのだ。
破裂する前に、ただ噛み切る。そう、それだけでいい。ほんの少しの穴さえ開ければ、中のガスが抜け破裂は免れる。
ハレはその口にすぽんと満田をくわえ込み、そのまま思い切り歯を───

「ンむっ──!!???」

──瞬間、プツリと、思考が途切れた。

パサリと、何かが目の前を覆った瞬間。
唇に、何か柔らかく湿ったものがくちゅり、と押し付けられていた。
口が、開く。ゼリー状の滑ったものが下唇の裏をまさぐり、思わず顎の力が弛緩してしまう。
…その全てをハレが理解し終わる前に、その口内にはポコンと、丸い大きな満田がまるごと押し込まれていた。

「何だ、何が起こった?」
「ハレの様子がおかしいで!!」
「え?え?え?」
教室の壁から、ハレの後頭部を見ていた皆の目にはその詳細は解らなかったようだ。
その決定的瞬間を見逃し、何事か、と混乱するギャラリー。
しかし最も混乱しているのは当のハレ本人であろう。
…そう、ハレにも、よく解らなかった。目の前が何かに覆われ真っ暗になる前に、確かに眼前にグゥが迫って来た気がしたが、
今となっては解らなかった。グゥもいつの間にか、ハレの顔から離れ元の位置に戻っていたのだ。
ハレは、その口内に満田を押し込まれたままの形で凍りつき、頭からパラシュートをかぶり微動だにする気配も見せなかった。
(な、な、な………何!?今何が起こったんだ!?…オレの口に何か……?
 …てかそーゆー問題じゃない!!早く満田を…でもたしかにグゥの顔が──)
「ん…んんんんんんん~~~~~~~っ」
ハレの思考が混乱を極めている中、ぼむ、と、最後のトドメがその口内で炸裂した。
反射的に、必死に両手で口を抑えるも口内からあふれ出たジャムが指の間からボチュ、と飛び出す。
その勢いは凄まじく、口から噴出したジャムが頭を覆うパラシュートにぶつかりそのまま床に大量のジャムが撒き散らされた。
パラシュートの壁に防がれていなければ、グゥにまでかかっていただろう。
「……まだまだよの、ハレ」
その姿を満足げに眺めていたグゥは、不適な笑みを浮かべながらふふん、と鼻を鳴らした。

「……………」
その様子に一瞬、教室中がしぃん、と静まり返り……
「あははははは!!!ハレ最高~!!」
「すっげー!マジで破裂したぜ!!ぎゃははは!!」
「いやー最後ようわからんかったけど、白熱した攻防やったなー!ええもん見せてもろたわ」
「も~っ笑ったら可愛そうでしょ……ぷふっ」
「ハレ、大丈夫ぅ?」
次の瞬間、何かが爆発したかのように、ドッと大きな笑い声が教室中に鳴り響いた。
ハレはいまだポタポタとジャムをたらす指で口を抑えたまま、ただワナワナと震えるのみ。

(くっそー!またやられた…!結構いい線いってたのにな~もう一歩だったか…
 ってか…オレ、オレグゥに何を………ッッ!!?)
先ほどの光景を思い出し、また思考がぐるぐると乱れてしまうハレに更に追い討ちは続く。
(う……今の衝撃でいよいよヤバイ!もうオレも破裂しそう…っ)
ぎゅるるるるるぅ~~~、と、いよいよ最後の鐘の音がハレの腹の中で鳴り響く。
ぶわ、と冷たい汗が噴出す。眉間にピキピキと深い皺が刻まれていく。
もはや一刻の猶予も無い。この上で、この場で粗相などしようものなら、一生ものの辱めを受けることになるのは必至!
ハレは机に足をかけ教卓の前に飛び降りると、未だ頭にパラシュートを被ったままの姿で教室から飛び出して行くのだった。

「あはははは…は…行っちゃったね、ハレ…」
「…いつも思うけどハレとグゥって仲いーんだか悪いんだかわかんねーな」
「うーん、でもケンカするほど仲が良いって言うしね。いつものことじゃない」
「ケンカっちゅーかじゃれあってるっちゅーか…ハレが一方的にへこまされとるだけって感じやけどな~」
「…でも今日はなんだかいつもより怒ってた、よね、ハレ…」
「ん、言われてみれば…そやなぁ、あんな風に何も言わんと出て行くなんて、はじめてやで…」
「もう、みんなであんなに大笑いするからよ……」
「おめーも笑ってただろぉ。…グゥも、あとでちゃんと謝っといたほうがいいんじゃねーか?」
「…………」
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