ある日、
布束砥信は、研究所の廊下に大量の印刷物を見た。
その紙片が溢れている大元の部屋からは、何やら軽快な調子の歌声が聞こえてくる。
「……何やってるの、桜井純?」
同僚の桜井の研修室を、そう言って布束は怪訝そうに覗きこんでいた。
分厚い眼鏡の少女が、作業台に食い入っていた顔を上げ、にこやかに振り返る。
「お礼に、歌いっまっしょ~♪ って、あ、布束さん!」
「『森のクマさん』? 何に浮かれてるか知らないけれど、プリントを散らかし過ぎよ……」
廊下に散乱しているA4版のコピー用紙には、一見しただけでは布束には何の関連性も見いだせないような画像たちが描画されていた。
ミロのヴィーナス。
リコリスの葉。
モナリザ。
五芒星。
雪の結晶。
ひまわりの花。
アンモナイト。
手掌の静脈透視像。
巨木。
ロマネスコ。
室内外に散ったそれらを拾い集めて、桜井の元に片付けてやれば、彼女は何やら作業台で貝殻を細工しているようだった。
「……本当、何してるのあなた……?」
「どうこれ? マンデルブロ集合みたいでしょう!? フィボナッチ数列の美しい螺旋が刻まれてるのよ!」
「どういうこと……?」
布束の前に差し出されたのは、白い貝殻の小さなイヤリングであった。
桜井はそれを手に、眼を輝かせて言葉を繋げる。
「だから黄金の渦巻きよ~。綺麗なフラクタルになってる貝殻探すの大変だったのよ?
でもこれは、どこをどう採寸しても完璧な黄金比! 調整も電顕使って確かめたんだから!」
「いや、Whatじゃなくてね。"Why" are you making it? って私は訊きたいの」
「ふふふっ、それはね、ヒグマに対抗するため。これはその私なりの道具なのよ」
へぇ。と、布束は相槌の端へ多分に興味を混ぜて返した。
自分が作成を計画している『HIGUMA特異的吸収性麻酔針』のようなものだろうか。
そうであればつまり、自分以外の研究員も、少なからず現行のヒグマ管理に対して危機意識を抱いているということになるであろう。
特に桜井渉外部長は、布束自身と共に、二期ヒグマ脱走事件の際のデータ消滅への対策に腐心していたクチである。
現在は凶暴化した『解体ヒグマ』の相手もしているので、その危機感の素地ができるには十分だったのだろう。
もし仮に、実験計画が実行に移る前にヒグマと人間を共に守るための同志になれるならば、布束にとってこれほど心強い味方はいなかった。
「……やはりヒグマも、美しいものには惹かれるのよ!」
「……はい?」
しかし桜井が発した言葉は、布束の予測を逸脱したものだった。
桜井は、自身が行なった様々な行動とそれに対する『解体ヒグマ』の生体反応の経過表を取り出し、布束に見せ付ける。
「『解体』はね、音楽、特に私が『森のくまさん』を歌ったときに最も落ち着いた反応を示したわ。
周波数を解析してみたけど、ヨナ抜きの童謡は勿論としても、やはり評価の高い音楽には黄金比や白銀比が数多く見られるの。
HIGUMAたちは美しいものを認識して、その攻撃性を抑える傾向が見受けられるんじゃないかと私は思ったわけ」
「……いや……、『解体』だけの症例報告でそう結論付けるのは早計じゃないかしら……」
「だからこれから実地検証してみるのよ。印刷した黄金長方形たちの写真とか、このイヤリングとかで穴持たずの反応を見るの。
小佐古くんが間に合わなかったら、私は二期ヒグマ脱走事件の時『
灰色熊』にペロリされちゃってたかもしれないし、こういうのが必要なのよ。
ほら、穴持たずの凶暴性を保ったまま制御できる道具を開発する一助になるかもしれないでしょ?」
桜井は目を輝かせてそう言うが、布束には到底現実的な案には思えなかった。
目的として、桜井は布束と近いところを目指してはいるようだが、いかんせんアプローチの手法が感覚的過ぎる上、理由の根幹が布束とは離開している。
仮にも科学の徒なのだから、もう少し細胞生理学的、神経科学的に挑んだほうが良いのではないかというのが布束の率直な感想であった。
「あ、それと布束さんこれから有冨くんと第三期ヒグマを作るんでしょう?
その時『森のくまさん』は絶対に『学習装置(テスタメント)』の内容に組み込んでおいてね」
「Oh dear……。本気で言ってるの? 組み込むのは構わないけれど、もうちょっと論理的に考えたらどうなの桜井?」
布束の苦言に、桜井は「わかってないなぁ」とでも言いたげな顔で椅子にもたれ、深々と嘆息した。
「生物学的精神医学の権威である布束博士の姿勢はわたくし桜井純も尊敬しておりますけれどねぇ。
布束さんこそ、もうちょっと現実の物事をストレートに見たらどう?」
「……というと?」
「フェブリとジャーニーと妹達(シスターズ)に惹かれた理由を、布束さんは論理的に説明できるの? ってことよ」
予期せぬ方面から投げつけられた舌鋒に、布束は思わず一歩身を引く。
そして言葉の意味を咀嚼するうちに、見る見るその顔は赤面して行った。
「……言葉でその理由を定義づけるなら……」
布束は上気した血色を落ち着けて、言葉を続ける。
「『愛』ということになるんでしょうね……」
桜井はその少女の返答に満足気に頷きながら、滔々と語った。
「そう、それよ。結局公衆衛生学なんかは実地研究の賜物なんだし、過程や理由なんかブラックボックスで構わないのよ。
重要なのは、肌で感じるセンスね。愛で結構、感覚で結構。偶然と必然から美味しい果実が収穫できるなら私は満足よ」
「HIGUMAの多様性がやたら大きい理由、分かったような気がするわ……」
基本的に、スタディコーポレーションの計画は行き当たりばったりの大雑把なものであると、布束は前々から感じていた。
それは実験の中心となる研究員のほとんどがこういう変なところで放任的かつ鷹揚たる態度であることが主因なのかもしれないと、布束は重ねてそう思った。
溜息をつく布束へ、桜井はフォローするように指摘を加える。
「まぁでも、黄金比は自然科学的にもなかなか有用視されている物よ?
効果のほどはどうあれ、今後のヒグマたちの分化様式に『森のくまさん』は一定の方向性を持たせることができるようになるかもしれないわ。
試す価値はあると思うんだけど」
「Okay, 解ったわ。インプットするだけしてみるから。でもあなた、実地主義が高じてまた深入りしすぎないことね。
『森のクマさん』の不自然すぎるシチュエーションを再現しようとして死ぬとか、何の冗談にも功績にもならないわよ?」
「あはっ、流石に了解してるよそれくらいは~。私だってそこまで頭の中メルヘンじゃないわ」
そして実験の日、桜井純は白い貝殻の小さなイヤリングを出会ったヒグマの前に翳し、死んだ。
穴持たず118となった『解体ヒグマ』が、逃げていた彼女の元まで通路を掘り抜ききる、数瞬前の出来事であった。
だが、桜井の首が折れてその瞳から光が消えてゆく間も、彼女を殺害したヒグマを『解体』が解体する間も、その貝殻は誰にも破壊されることなく、ただ白く輝いていた。
そしてそれは今も、少女の掌に輝いている。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
つるし〔ツルシ〕tsurushi【四十九】
- 49=7×7で7を「つるべる(列べる)」ので「しちつるべ」から「つるし」となったという説がある。
- 「始終苦」「死苦」または「轢く」とも読めて縁起が悪いため、日本の自動車のナンバープレートでは、希望番号制度による申し出があった場合を除き、下2桁「49」は付番しないことになっている。
- 「四十九院」という苗字は、亡くなった女性の四十九日に墓の中から赤ん坊が生まれたことに由来し、縁起が良い姓ともされる。
- 四十九院とは、弥勒菩薩のいる兜率天の内院にある49の宮殿。
いそ〔イソ〕iso【五十】【磯】【秀・逸・至】【争】
- 50。
- 端。外れ。果て。分かれ目。
- 正の方向に離れること、もの。至り。
- 匹敵、対抗、敵対すること(もの)。
- 有機化合物の異性体を示す語。等しい。同じ。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
「はぁ!? ヒグマの培養槽を破壊する!?」
「……そうよ。それが私たちの共存には不可欠」
海食洞に驚愕の叫びが響いていた。
呉キリカの見開いた目に向かって、布束砥信が返事を投げ込む。
「ヒグマさんたちって、そんな風に生まれてたんだ……」
「はい、ヤイコもそうして生産されたようです」
その後ろで、
夢原のぞみの呟きに穴持たず81が相槌を加えていた。
ミズクマをやり過ごしたあと、布束とヤイコは、情報と互いの意図を交換すべく話し合いを始めていた。
まず布束が語った行動目的である『ヒグマ培養槽の発見・破壊』は、キリカとのぞみの両者を色々な意味で驚かせた。
しかしスタディコーポレーションの非人道的かつ杜撰な実験計画を聞くにつれ、彼女たちの表情には半ば呆れが混じってくる。
「黙って聞いてれば、HIGUMAの実地訓練だの、スポンサーの意向だの、私達にまったく関係ないことじゃないか! 他人を巻き込まずにやれよそんなこと!!」
「罵倒だけなら甘んじて受け入れるわ。今話したようにこの実験も、開始前か直後には頓挫させるつもりでいたのよ。
そうできなかった責任の一端が私の実力不足にあるのは間違いないわ……」
主催者の一味であった布束をキリカは今にも鉤爪で斬りつけようとしており、それをのぞみが後ろから羽交い絞めにすることでなんとか抑えている。
布束は眼前3センチを上下する魔法の爪を無聊な表情で眺めたまま息をついた。
参加者からしてみれば、完全に拉致監禁と脅迫からの殺人強要をされているのである。実際に死人も出ており、たまったものではないだろう。
殺されても文句は言えないし、何らかの形で償いをしなければ済まないだろうことは布束も重々承知していた。
キリカを抑えたまま、キュアドリームの姿の夢原のぞみが、そんな布束へ声をかける。
「……でもその、主催の有冨さんは、あくまで人間の進化と知性の勝利を望んでたってことなんですか?」
「そうよ。彼としてはあくまで『穴持たず』たちは『当て馬』だったのよ……。
当初外に出すヒグマたちはせいぜい10~20体程度を予定していて、残りは別の研究に保管しておくつもりだったの。
知性を持ち始めたHIGUMAたちの収斂の方向性を検証して、『ヒグマのヒト化』を試みるとかなんとか、言っていたわ」
――人間にHIGUMA細胞を入れたりした者もヒグマに数えてる時点で、ヒト化も何もないと思うけれどね……。
布束の溜息を鉤爪で切り裂きつつ、呉キリカはなおもそんな彼女に激昂の言葉を飛ばした。
「何にせよ、その程度の目的、愛の前には唾棄すべき些事だ! 何故身を捨ててでもキミはその逆茂木を踏み越えようとしなかった!!
その体たらくで愛を語ろうなんざ輪廻の果てでもまだ早い!! 反乱されて当然だよ、淫婦が!!」
キリカの怒る理由の半分は、布束砥信が人間とヒグマへの愛を持っておきながら、今の今まで明確な行動を起こしていなかったことに対してのものである。
愛に殉じる気概がないと思われるその女に、一度はやり込められてしまったことで、自分の信念が踏みにじられたようにキリカは感じていた。
布束はその罵声を身に浴びながら、自分が以前の事件から何ら変われていないことを改めて自覚させられる。
同時に、そんなにもまっすぐに信念を押し通せる呉キリカを、眩しくも思った。
「……地脈から魔力を吸い上げ形成された、優勝商品でもある万能の願望機。世界のエネルギー事情を一変させてしまえるエンジン。
あらゆる時空間を繋げてしまえるゲート。私たちが生み出した子供にも等しいヒグマ。進化の可能性であるあなたたち。
私の守るべきものは多すぎた。どれか一つなら、私の命一つで救えたかもしれない。でも、全てを救うには私の力は足りなかった」
STUDYが用意した物品は、どれもがこの上なく危険で強力なものだった。
一つでも扱いを間違えたり、取りこぼしてしまえば、世界中を大混乱に陥れてもおかしくないものばかりである。
これだけのものを準備でき、その上で監督力は絶望的だという、悪い意味で奇跡的なスタディコーポレーションの体質が、布束をここまで複雑で脱出困難なしがらみの中に取り込んでしまっていた。
「特定の人物への愛に純粋に傾倒できるあなたが羨ましいわ、呉キリカ」
「有冨さん方が保持なさっていた資材の有用性と危険性は、シーナーさん方も十分承知しておられます。そのためヒグマ帝国もでき得る限りの秘匿性に富んだ情報管理体制を敷いております。
個人の判断で易々と動かせるものでも、動かしていいものでもありません。と、ヤイコは布束特任部長を援護いたします」
「ぬぅ……ッ!!」
流石に事の大きさを理解した呉キリカは力なく鉤爪を下ろし、夢原のぞみに抱えられるままに任せるものの、まだその目には反抗の色を失わない。
歯噛みしたまま、それでも布束の行動に指摘できる点はないかと荒を探す。
「……それでも、キミの行動が果てしなく遅くてまだるっこしいことは確かだよ。拙速と巧遅と……、私なら絶対に速いほうをとりたい。
機を逸してしまったら、その出会いもチャンスももう二度と訪れはしないんだから」
「Well, だから私は機を待つことを選んだの。こうしてあなたたち参加者に、落ち着いて話を聴いてもらえることこそが、その出会いなんだと思うけれど。いかがかしら?」
「……わかったよ。キミは愛の実現を代理人に頼むのかい。なかなか理解に容易く苦しむよ」
布束とキリカは互いが互いを、ほとんど真逆のやり方で『愛』にたどり着こうとしている者なのだと、そう理解した。
そうした会話が済むと、夢原のぞみを含む3人の視線は、自然と穴持たず81の小柄な体に注がれる。
ヤイコはその視線の意図を受けて、一度頷いてから口を開いた。
3人が目的を果たすために知っておかなければならない事項は、唯一彼女のみがこの場で語ることができるのだった。
「布束特任部長のご意向は理解できました。現存するヒグマと人間がこれ以上争わぬよう、ヒグマが増えることを止めるという案には、ヤイコは合意できます。
しかしながら、ヒグマ帝国の意思は『あのお方』――
穴持たず50の『イソマ』様に委ねられております」
「そう。そこを訊きたいの。あのヒグマ帝国には、シーナー以外にも『実効支配者』がいるわね?
帝国がどういう指揮系統・管理体制で成り立っているかを知らないことにはどうしようもないもの」
「実効支配者――という表現は帝国では使っていませんが、いわば指導者のような立場には、4名の方がいらっしゃいます」
まず、穴持たず46『シロクマ』。
大きく、力の強い、ホッキョクグマのような姿をしたヒグマです。
氷結などの強力な魔法を使うことができ、帝国内でカフェを営んでもいる実直な方です。
と、ヤイコは簡単に彼女をご紹介します。
「司馬深雪……」
キリカとのぞみは、魔法を使うヒグマというところに興味を示していたが、布束は違った。
その正体は、かつては同じ職場で働いていた同僚でもあるのだ。今までの自分たちに対する彼女の行動が、全て欺瞞であったことを確定づけられ、布束の中にはいかんとも表現しづらい悔しさのようなものが沸き上がっていた。
第二に、
穴持たず47『シーナー』。
痩せて、骨ばった、マレーグマのような姿をしたヒグマです。
詳しいことはヤイコにも分かりませんが、周りの者に幻覚を見せて、五感を支配してしまうこともできる方です。
普段は医療者として同胞を治療する傍ら、厄介ごとの仲裁に率先して向かわれる面倒見の良い方で、情報管理のセキュリティにも貢献されているので、この方がいないと帝国は回っていかないほどです。
「ヒグマさんたちも大変なんだねぇ……」
布束はシーナーと直接対面しているのでその脅威が分かっているが、のぞみとキリカに伝聞されたこのヒグマ側の情報では、ただの苦労人だとしか認識されない。
キリカは流石に幻惑魔法の危険性には思い至るが、のぞみの脳内では完全にシーナーは好々爺のイメージになっていた。
第三に、穴持たず48『シバ』。
当初は、アクロバティックな動きのできるヒグマだと思われていましたが、実は元々人間であったらしいヒグマです。
シロクマさん以上に、強大で汎用的な魔法を行使される方で、有事の際の防衛や鎮圧にあたっていらっしゃる方です。
純粋にお強い方ですので、帝国内で彼に憧れるヒグマも少なくありません。
「はぁ!? 元々人間ってどういうことなんだ!?」
「『HIGUMA』は総称だから。……それにしても司馬達也は参加者として呼ぶという話だったような……ああ、また司馬深雪か……」
「あ、でも、人間がヒグマさんに認めてもらえるなら、希望がふくらむよ! なんとかなるなる!」
キリカの驚きに、布束は溜息混じりにひとりごちた。
夢原のぞみは楽観的なのかポジティブなのか、ヒグマとの相互理解に希望を見出しているが、布束には、ヒグマ帝国の中核に二人も人間が入り込んでいることで、ますます帝国の真意が見えなくなっていた。
第四に、
穴持たず49『ツルシイン』。
穏やかな雰囲気の、メガネグマのような姿をしたヒグマです。
『穴持たずカーペンターズ』と呼称される建築集団の棟梁をなさっている実力ある方です。
帝国内部の空間設計・土木工事・住居などの建設は全て彼女が指揮されたものです。
「……その名前は初耳だわ。その彼女が、研究所に隣接した地盤を広大に掘削するなんていう芸当をやったわけ?
単純に番号をもじった名前でもないようだし、一体どういう能力を持っているの?」
布束はヤイコに向けてそう問うた。
ヤイコは、「ツルシインさんも、ご自身の番号で名前をつけてらっしゃいます」と前置きをしてから、その質問に答えた。
「ご本人でなければ説明は難しいと思いますが……。ツルシインさんは、物事の『縁起』がはっきりと判るそうです」
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
手に持った白いイヤリングが、床の苔の光を反射した。
薄暗い横穴の岩壁を伝い、とぼとぼと歩いていた少女が、その幻想的な薄緑の輝きに顔を上げる。
帯状の微かな光は、岩に生えた苔を伝うように、瞬く間に視界の外に消えていってしまった。
「……きれいだなぁ――」
少女の着る、華やかな柿色の衣装は、火薬の煤と埃で薄汚れて見えた。
艦隊のアイドルとして生まれたその少女――那珂ちゃんは、現在の自分と対照的な発色のその光に、かつてのコンサートの一場面を見る。
第四水雷戦隊のセンターを務めた功績は艦娘となっても色褪せることなく、彼女は駆逐隊の皆を伴って、ファンに向けて各鎮守府でライブツアーを行なったこともあった。
その時にファンが振ってくれた色とりどりのサイリウムの波。
大海原の心地よい順風にも似たその輝きは、いつも那珂ちゃんの力になっていたというのに。
今の彼女は、その輝きに応える術を知らなかった。
思いわずらう彼女は、ヒグマ提督や解体ヒグマの姿をふとうつつに見て、俯くだけであった。
「――どうしたんじゃ、そんなところで泣いて」
その時、ふと前の方から誰かの柔らかい声が那珂ちゃんの耳に届いた。
瞬きと共に視線を振り向ければ、目の前には、那珂ちゃんと同じくらいの背丈の、一頭のヒグマがいる。
「どこか痛いわけでもないじゃろ? 可愛らしい女の子が泣くのは、男を落とす時くらいにしとくんじゃよ」
ふかふかと柔らかそうな濃い灰色の毛並みに、額から顎下にかけて真っ白な流れが通っている。
その白い毛は、ちょうど眼鏡のように目から頬までの周りをも大きく縁取って、そのヒグマの柔和な顔貌をより丸くしていた。
実際に、そのヒグマは水晶を削り出して作ったらしい、小さな鼻眼鏡をかけてもいる。
その奥に覗くつぶらな瞳はしかし、失明しているかのように白く濁っていた。
「あ、あの……っ」
「ヒグマ……いや、人間の匂いにも思えるのぉ。不思議な香りじゃ、あんたは。
例の『カンムス』ってのがあんたかね。すると工場は無事に稼働したようじゃな。名前はなんていうんじゃ?」
「な、那珂、ちゃん、だよー……」
「『ナカ・チャン』? 中国の歌手みたいな名前じゃな」
たじろぐ那珂ちゃんに向かってそのヒグマはどんどんと顔を寄せてくる。
壁を背にしてしまい退くに退けなくなった那珂ちゃんは、その姿に心中の恐怖と不安感を高ぶらせていった。
「ち、ちがうよぉ!! 川内型軽巡洋艦3番艦の、那珂だよ!!」
「『川内型ナカ』か。ナカは、刹那に白瑪瑙って書く川の名前かの?」
「そ、そうだけど、それが、どうしたの……?」
那珂ちゃんが答えるや否や、そのヒグマは急に満面の笑みを浮かべて、那珂ちゃんの肩に手を置く。
「こりゃあ縁起が良いのぉ!! 天・地・人・外格全て16画! 総画数32!
希代の強運の元に生まれとるよあんたは。今まで仕事では困っても誰かが助けてくれて、どんな事態に陥っても結局は危機を好機に変えられてきたじゃろう?
そこにあんた自身の奮起があれば晩年まで大成功間違いなしじゃぁ!」
ヒグマは嬉しそうにそう語りかけてくるが、那珂ちゃんの耳にはほとんどその言葉が入ってこない。
ただ唯一、『今まで仕事では困っても誰かが助けてくれて』というフレーズだけが、彼女の心に突き刺さった。
身じろぎもできない那珂ちゃんに、そのヒグマは落ち着いた口調で自己紹介をする。
「そう言えばこちらの名乗りがまだだったの。己(オレ)は穴持たずツルシの『四十九院(ツルシイン)』。
仏様の宮殿の名前でな。ヒグマ帝国でも大工の女棟梁をしとるんじゃ」
「……!」
『本当にそう思っているのであれば、お前こそ井の中の蛙だ。
帝国はヒグマの共同体という名の一個の個。
ヒグマの未来のためであればなんでもする。一匹の欲などすぐかき消される――』
『ヒグマ帝国』という言葉に、解体ヒグマの別れ際の一言が那珂ちゃんの脳裏を過ぎった。
カーン、カーンと、無機質な解体の音が頭の中に渦巻く。
今の那珂ちゃんは、解体場で拾っていたよくわからない何かの主砲を腕に抱えてはいるが、自分の装備は何一つ持ってはいない。
使い慣れない武装で、逃げる途中の通路の一部こそ破壊できたが、このままもしヒグマと戦いになってしまったら、那珂ちゃんの敗北は目に見えている。
――ヒグマ帝国のヒグマさんに見つかったら、那珂ちゃんは解体されちゃうんだ……!!
「……ん? 足首の装甲が3ミリ歪んどるのぉ。どこかで転んだかい? 解体して直してやろうか?」
「ひッ……!!」
那珂ちゃんは『解体』という単語を耳にして喉を引き攣らせ、次の瞬間、抱えていた主砲を放り出し、全速力で道を駆け出した。
ツルシインはそんな那珂ちゃんの姿を暫く、きょとんとした表情で眺めていた。
「……ああ。はっはっは、そうかい、『解体』はあんたにとっての忌み言葉じゃったか。まぁ、あの運があればほっといても平気じゃろさ」
そして洞穴の奥に消えた那珂ちゃんの背に向かって軽く笑うと、ツルシインは今いる空間の周りを見回し始める。
「さて……シバの奴が島の南西部にアレを建てればなんて言っておったが。やはり何度見ても地盤の縁起が悪い。
解体の掘ったこの穴が原因かとも思ったが、そうでもないのぉ……」
そして壁に手を当て、火成岩の岩盤の結晶構造をその濁った目で食い入るように見つめるツルシインは、ふとその脇に微かに樹木のひげ根のようなものが飛び出していることに気づく。
水晶の鼻眼鏡に反射するその景色の先に、ツルシインははっきりと、大地を貫く凶兆の姿を見た。
「……ははぁ、これじゃな。表面だけでも岩盤の歪みが南西方向から4.3ミリ。局所的には完全に地層を破壊しとる部分もあるな?
この木の根が蔓延っとる。それにしても碌な性質のものじゃないのぉ……。この本数と長さ、張っとる範囲の広さといい……」
壁から再度、周囲に目を振り向けて、ツルシインはある空中の一点を見据える。
「幹の位置は……エリアで言えばB-7か。島の裏鬼門を完全に塞いでおるなぁ。
先端は島の中央部から既に『吉祥』を吸い取り始めとるようじゃし……。目の前の工事に専心しすぎたか。己(オレ)としたことが出遅れたのぉ」
彼女は軽く頭を掻いて、那珂ちゃんが走り去った方へ踵を返す。
その途中でふと、彼女は歩きながら壁の中に爪を差し入れた。
大した力も込めていないように見受けられたそれは、壁の岩盤をガラガラと崩れさせ、歩みに合わせて内部に広がっていた太い樹木の根の一本を容易く引きちぎっていた。
「……さて、実験終了まで地上に建設なんぞするつもりはないが。……早めの地鎮祭といこうかの」
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
実効支配者または指導者とされる4体のヒグマの話のあと、夢原のぞみがヤイコに尋ねた。
「でもヤイコちゃん。そんなに真面目なヒグマさんたちなら、話し合って戦いをやめることはできるんじゃないの?」
「ヒグマ帝国にはもはや数百体に及ぶヒグマがおります。
その彼らが食肉を欲していることは確かで、指導者の方々はその集団の生活を保つ責任を自ら負ってらっしゃいます。
シロクマさんを始め、キングさん灰色熊さんなども食料需給のシステムを構築しようとはしてらっしゃいますが、ヤイコの目から見ても、このままでは穏便な解決は困難かと思います」
とどのつまり、この島に彼らヒグマの飢えを満たせるだけの食物がないことが問題の主因になるようであった。
布束が二期ヒグマ脱走事件の前後にも示唆したように、数十体もヒグマがいればこの島の食物は枯渇していく。
ミズクマの娘を利用することも一度研究所内で考えられたが、それにしたって、近隣の海洋生物を食い尽くしてしまえば終わる。
あとは果てしない共食いか、残った職員と参加者を襲うことしかないのだ。
「その……、布束さんたちが使っていた、なんとかゲートっていうので異世界の食べ物を際限なく取り寄せてくるとか、できないの?」
「I see, 当然STUDY内でも一度は考えた案よそれは。でも無理ね」
続けてのぞみが提示したアイデアにも、布束からのダメ出しが入った。
「クロスゲート・パラダイム・システムは、担当の関村ですら手に余っていた代物よ。
『親殺しのパラドックス』が良い例だけれど、ある因果一つとっても予想だにしない様々な事象が複雑に絡み合っていて、システムの力があっても迂闊に干渉しようものなら予想外の結果に転ぶ可能性が高いの。
その処理には示現エンジンのエネルギーの大半を喰うし……。そんなに高頻度に連用するには危険が大きすぎるわ」
事実、ここにいる4名は知る由もないが、キングヒグマが研究所の機器を物色していた時にそのクロスゲートを誤作動させている。
それにより南の海上に一人の人間が転移させられてしまっており、わけもわからぬうちにひっそりと穴持たず56と39の餌食になってしまっていたという事例もある。
綿密な計算を重ねた上でも、望み通りのものが手に入らない可能性は高く、ましてや行き当たりばったりの使用などは論外であった。
級数的に増大するパラドックスのループに嵌り、エネルギー源の示現エンジンまでダウンするということになれば目も当てられない。
「……ですから、ヒグマが増えることを止められるのならば、それは一つの落としどころとして十分に考慮に値すると思われます」
「全面的に賛同してくれて助かるわ。それで、あなたも生まれたという肝心の培養槽の場所はわかる?」
「はい。それこそが、『あのお方』の管轄地域ですので」
「さっき話の端に上がった、『いそま』というヒグマね?」
「平板な発音ではありません。『"イ"ソマ』様です。さらに、前後に『ア』の音を入れた方が近くなります」
「……アイソマァ……『Isomer』?」
布束が口の中で発音を繰り返すさなか、ヤイコはこのヒグマについて説明を始めた。
穴持たず50『イソマ』。
捉えどころのない方です。物理的な意味で、捉えどころのない方です。
ヤイコとしましても、このお方の存在を知ることができたのは、帝国内の電気系統を整備した功績が称えられて拝謁の栄を認められたからに過ぎません。
ヤイコが生まれるその場所にいたというのに、ヤイコはイソマ様の存在を、シーナーさんに教えて頂くまで存じ得ませんでした。
恐らく、ヒグマ帝国の大部分のヒグマも、このお方の存在や、培養槽の場所を知りません。
「……だけど、そのヒグマが培養槽を管理していることは確かなんでしょう? どうしてその正体が誰にも分らないなんてことが起こりうるの?
それに、二期ヒグマ脱走事件の時、そのヒグマは研究所から培養液を盗んだんでしょうから、シーナーの幻覚さえなければその痕跡も、隠れ場所も解るわよね?」
「イソマ様は、培養液を盗んでなどおりません」
「……え?」
即答したヤイコの言葉は、布束には完全に想定外であった。
ヤイコは無表情な眼差しのまま、淡々と情報を加える。
「ヒグマ帝国はSTUDYから培養液を頂く必要など全くありませんでした。
もし実際に盗難があったというのならば、それは反乱の際に、ヒグマ帝国とは別の勢力が独自に確保していったとしか考えられません」
「な、な……」
「恐らく、その者もヒグマ帝国に紛れ込んではいるのでしょうが。布束特任部長や桜井渉外部長、四宮管理主任のセキュリティを痕跡なく突破できるのなら、その者はヤイコよりも遥かに情報処理に長けているものと思われます」
ヤイコの言葉を受けて、困惑していた布束の思考の中に、ある一本の線が通った。
――
四宮ひまわりにも復旧できないデータ消滅が起きるような現場で、心配なんてしてもし足りないわ。
――まあ、あれだ。実はスポンサーからの意向なんだ。
――穴持たず3と
くまモンあたりを貸し出す代わりにそれを引き受ける契約とかも、済ませられちゃってたし。
――雑誌掲載前の僕の『HIGUMA細胞』論文を、ネット上で見つけて莫大な支援をしてくれた恩人なんだぜ?
――まぁ、その支援金は『サラミ』っぽいんだけどさ。
――査読(ピア・レビュー)段階で評価して支援? 怪しすぎるわよ、それ。
「まさか、『スポンサー』、が……?」
布束が思い返せば返すほど、スポンサーの挙動には怪しいことばかりが思い当った。
STUDYでそのスポンサーなる者と連絡をとっていたのは有冨春樹のみであり、他の研究員は誰一人その姿形も声も立場も知らない。
二期ヒグマの脱走の際も、普通のスポンサーならばまず指摘すべきはSTUDYの管理の杜撰さであり、第三期を作れという指示は荒唐無稽にも程がある。
更に、実験開始からそろそろ半日が経過する。
兵器産業などのスポンサーならば、実験経過が気になって有冨と電話連絡などを頻繁に取っていてもおかしくはないはずだ。
しかし布束の気付く限り、未だにスポンサーからそんな動きはない。
もしもスポンサーが、既に知らないうちに研究所やヒグマ帝国の中に入り込んでおり、反乱や有冨の死なども完全に想定の内で、連絡など取る必要もないのならば。
「……正体を知る者がいない今、やりたい放題じゃないの、そいつは?」
「シーナーさん他、主要な方々の間では『例の者』という何かに対しての警戒態勢を敷いていたようではあります。ヒグマ帝国も蟻の一穴、ということにならないよう、ヤイコは祈るのみです」
深まる危惧に布束が震える中、キリカは苛立ち交じりにヤイコに問う。
「それは組織の反乱者の中にさらに反乱者がいたってだけのことだろ?
脱線はそこそこにして、肝心のことを教えなよ。とりあえず、その培養槽ってのは、行ける場所にはあるんだろ?」
「ええ、指導者の方々のどなたかがいればの話ですが」
ヤイコは、意味の分かっていない3人に向け、その理由を話す。
「イソマ様がいらっしゃるのは、ここと同じであって全く違う空間です。こちらの空間からその位置がわかるのは、その4名の方くらいでしょう。
……ですから、あなた方
侵入者が同行するというのは、まず不可能ではないかとヤイコは考えます」
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
ツルシインというヒグマを振り切った後、那珂ちゃんは脇目も振らずに洞穴を走っていた。
そうして彼女が直面したのは、T字路である。
「ど、どうしよ……、どっちに行けば、逃げられるの……?」
突き当たった通路は、先程までの岩をくり抜いただけの道ではなく、きちんと壁材と床材を打たれたものである。
電灯はあるが電線が切れているのか灰色で薄暗く、今までの洞穴と同じく、仄かな光を放つ苔だけが行く手の頼りだった。
「こっち……!」
そして彼女は逡巡を切り上げて、海の方ではないかと見当をつけた側へ走り出す。
もし那珂ちゃんが焦っていなければ、呉キリカと夢原のぞみが落とした水滴や、
ビスマルクが地上経由でクルーザーの残骸を降ろしてきた跡がその反対側の道の先にあることに気付けたかもしれない。
走って走って、那珂ちゃんが辿り着いたのは、荒らされた研究所であった。
方向を間違えたかも、とは思いつつも、那珂ちゃんはどこかに隠れられる場所か、外に逃げられる場所はないかと周りを見回す。
「ガアアアアアアァッ!!」
その時突如、奥から猛り狂ったようなヒグマの叫びが響き渡った。
もう少しで心臓と一緒に、ひぃッ!? という声が那珂ちゃんの喉から飛び出るところであった。
恐る恐る那珂ちゃんが壁の影から、その叫びが聞こえた一室を覗き込むと、頭に鉄の輪を乗せた一頭のヒグマが、何やらコンピューターを破壊して中のものを引きずり出している。
自身が解体される現場を思い出して、那珂ちゃんは思わず吐き気さえも催した。
「うぐっ……、ううううっ……」
そのヒグマが何故機械を壊しているのかは解らなかったが、生理的な恐怖だけを覚えて、彼女は這いずるようにその場所から離れる。
那珂ちゃんは、そのままアテもなく、行き先さえもわからずに逃げようとした。
どこをどう進んでいるのか、行き来する緑の光だけを朦朧とした意識で捉えながら、那珂ちゃんはいつの間にか大きな広間に辿り着いていた。
「ここは……一体、何?」
蔓延った緑色の苔で、その広間は蠱惑的な雰囲気さえ漂っていた。
中央の舞台には制御用と思われるコンピューターが据えられ、その周囲は観客席のように楕円形に壇が切ってあり、壁に沿うように大きなガラスのシリンダが設置されている。
その全ての筒は大きく破壊されており、よく見れば広場のあちこちも、ヒグマに踏み荒らされたような形跡が残っている。
那珂ちゃんは、そのホールの入り口に立っているのだった。
「コンサート、ホール……?」
ふらふらとした足取りで、壁に手を突きながら那珂ちゃんはそこに踏み入る。
その手が、壇の脇の開け放たれた扉を触れる。
扉には『予備培養液保管場所』というラベルがあったが、壇の下の内部の空間にはとっぷりと闇が広がっているだけだった。
苔の光に誘われるように、那珂ちゃんは中央の舞台に上がる。
据えられたコンピューターは、ヒグマの爪でめちゃめちゃに破壊されており、とてもではないが機能しているようには見えなかった。
「ヒグマさんたちの、工廠だったのかな……」
舞台から見回す辺りは、薄緑の仄暗い光に包まれていたが、その地味な色温度の客電は、破壊され尽くしたガラスシリンダという客席と相まって、那珂ちゃんの気持ちを一層重くした。
心を盛り上げるホリゾントも、見せ場を作るピンスポも、何一つこの場にはなかった。
とぼとぼと舞台から降りた那珂ちゃんは、壊された筒たちに自分の姿を重ねるように、壁際の壇に上がってそれらを指先に触れ始める。
せり上がるように切られた壇には、十分な間隔を開けて約80本の筒が据えられており、破断面から液体が流れ落ちて床を濡らしていた。
その気になればあと何十本か設置できるくらいの余裕はある。
恐らくヒグマたちはここでそれぞれに調整され、その後、檻に連れられて行ったのだろう。
「……那珂ちゃんたちと、同じかな……」
作られ、管理され、わけも解らぬままに戦場に駆り出された自分たち軍艦。
仲間たちはどんどんと轟沈し、いつ自分も沈むのだろうと恐怖に苛まれる日々だった。
敵も、冷静に考えれば、自分たちと同じもの。
そこに気付いてしまってから、那珂ちゃんは碌に敵国艦の相手をできなくなった。
同じなのに、全く違う存在。
だから、沈める。
だから、沈められる。
遠征や輸送任務の地方巡業に身を引いて、その恐ろしい事実から、那珂ちゃんは目を逸らし続けた。
艦娘となって復活し、那珂ちゃんはアイドルという新たな戦い方で、ようやくそんな心を痛ませる命題から自由になれると思っていた。
しかし、彼女を待っていたのは、相次ぐ建造と即解体の連続だった。
採用されて呼ばれたと思ったら、事務所に面通ししたその瞬間にクビになるのだ。
『期待していた娘と違う』と言われて。
勿論、仕事をくれたり、長い間プロデュースをしてくれる提督もいた。
しかしそんなのはごくごく稀。
どんなに成功した仕事でも、『失望しました。那珂ちゃんのファン辞めます』という多数の書き込みを、何度も同じファンから受けた。
『贈り物は事務所を通してね』と言ったら、深海棲艦が鎮守府へ直に魚雷を打ち込んできて、危うく提督が殉職しかけたこともあった。
もはや那珂ちゃんの理解を完全に逸脱した現象ばかりであった。
だが今回、
穴持たず678『ヒグマ提督』に、那珂ちゃんは採用され、仕事ももらった。
確率に左右される普通の鎮守府での建造とは違い、ヒグマを資材にして特別に選んで作ったのだと。
亡命する提督に成り代わり、重要な伝言をするのだと、そんな大切な任務のために那珂ちゃんを選んだのだと。
そう、ヒグマ提督は言っていた。
だから那珂ちゃんは、今度こそ自分は報われるのだと、意気揚々と奮起したというのに――。
「那珂ちゃんは――。今の那珂ちゃんは、どうすればいいの――?」
アイドルという、竜骨に纏っていた支えが、瓦礫の山となり解体されてしまった気がした。
頭上に降り注ぐ自分の信念の化石に撃たれ、眼からはどろどろと涙が押し流される。
シリンダのガラスに這わせていた指から力が抜けた。
そして、砕かれていたその筒の破片に掌を切る。
「つッ――」
同時に、手に握っていたイヤリングが筒の中に落ちてしまっていた。
白い貝殻の小さなイヤリングは、僅かに溜まっていた水面の下で緩やかに回っている。
那珂ちゃんはそこへ、すがるように手を伸ばした。
水面に美しい渦を成していたその貝殻の回転に指先が触れた瞬間、那珂ちゃんはそこへ引き込まれた。
「えっ!? えええぇ――」
指先が触れたことで回転速度を増したイヤリングは、無限小にまで渦を引き込むように、那珂ちゃんの体をその回転の内に取り込んでいく。
数秒後、コンサートホールのようにも見えたその薄暗い空間には、静寂以外、誰一人として存在しなくなっていた。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
「――っ!?」
那珂ちゃんが気づいた時、その場所は先程の広間と変わっていないように思えた。
違っているのは、その室内が煌々とした白い蛍光灯に照らされていること。
そして、目の前のガラスのシリンダーたちが、全て透明な液体で満たされ、稼働していることだった。
「……シーナーでも、シバでもないのか。珍しいね、ここにお客さんが来るなんて」
キョロキョロと辺りを見回していた那珂ちゃんに、ふとどこからかそんな声がかかった。
ホール全体に反響するような澄んだ声で、女性のものなのか男性のものなのか判然としなかった。
中央の舞台上で、起動しているコンピューターの隣に、空気の海から何かが凝り固まってゆく。
那珂ちゃんが見つめる中、そこに出現したのは、一頭のヒグマだった。
体毛は、黒っぽいとも白っぽいともつかない灰色だったが、よく目を凝らせば、刻々とその明度が変化しているようにも見えて捉えどころがない。
その大きさも、実に平均的な特徴のないサイズに見えたが、よくその輪郭に注目すると、どこまでその体が存在しているのか分からなくなってゆく。
微笑んでいるようにも思えるその口から漏れる声は、やはり獣のものなのか人のものなのか、男のものなのか女のものなのか解らなかった。
「きみが誰なのか、僕に教えてよ」
そして那珂ちゃんが見つめているうちに、いつの間にかそれは舞台の上ではなく、壁際にいる那珂ちゃんの目の前に存在していた。
那珂ちゃんが反応する間もなく、そのヒグマの前脚が那珂ちゃんの腕に触れる。
瞬間、目の前にあった存在は、那珂ちゃんの姿そのものになっていた。
「……へぇ。艦隊のアイドル、那珂ちゃんっていうんだ。
ぼくはイソマって呼ばれてる。よろしくね」
那珂ちゃんの目の前にいる那珂ちゃんの姿をしたヒグマは、那珂ちゃんの声でそう笑った。
よくよく見ると、そのヒグマは確かに那珂ちゃんとそっくりになっていたが、全く同じではなく、髪型などに着目すると左右対称――鏡映しになっている。
突然の事態の連続に、まるっきり思考停止していた那珂ちゃんは、その時ようやく異常から逃避反応を起こした。
声にならない悲鳴を上げて壁に後ずさった那珂ちゃんに向けて、イソマというヒグマは微笑む。
「ハハ、きみも帝国生まれなんだから、そう怯える必要はないよ。少なくとも、ツルシインもぼくも、きみに個人的な危害を加えるつもりはないから」
「な、なんで、なんで那珂ちゃんの格好になってるの!?」
「あれ、いけなかった? あのままじゃ普通の人には見づらいと思ったから、姿を固定しようと思ったんだけど」
那珂ちゃんの記憶を全て読み取ったらしいイソマは、那珂ちゃんの姿のまま、あっけらかんと言った。
「まぁ折角来たんだからゆっくりしていきなよ。重油でも淹れてあげようか。それとも石炭とか食べる?」
「そうじゃなくてぇ!! もう、那珂ちゃんには、何が何だかわかんないよ……」
那珂ちゃんは、頭を抱えて床にうずくまってしまう。
床材を剥いで作ったカップに虚空から石油を注いでいたイソマは、その時ようやく、客人に状況説明が必要なことに気付いた。
「ああそうか。きみは自分の意思で来ようと思ったわけじゃないのか。
まるっきり偶然でこの空間に来れたのなら、すごい巡り合わせだね」
イソマは、舞台上のコンピューターの前にあった椅子を引いて、那珂ちゃんを招く。
その手の中で、その革張りの椅子と全く左右対称な椅子がもう一つ出現していた。
イソマはその一方に那珂ちゃんを座らせて重油のカップを渡し、もう一方の椅子に座って語り始める。
曰く、ここはSTUDYの研究所にあった『HIGUMA製造調整室』を、破壊される前の姿で正確に複製した空間であるらしかった。
ヒグマ帝国を掘った際の岩盤や砂礫などの原子と分子を、イソマが自身の能力によって組み直したのだという。
「そしてこの空間はね、元々の研究所とは『全く同じで全く違う次元』に作ってあるんだよ。
『実数』が支配するんじゃなくて、『四元数』っていうものでできた数ベクトル空間さ。
まあ、実際過ごすには何の支障もないよ。ただ普通の者には、互いの空間を認識することができないってだけ」
イソマは、自己を含むあらゆる存在を、同じ数・同じ種類の素材を持った、別の構造物・異性体に組み替えることができるのだと話す。
そしてそのまま、那珂ちゃんの姿をしたイソマは、壁に並び立つシリンダ群を示した。
「そして、同胞たちを生み出す培養装置も、有冨さんのところからそのまま複製させてもらった。
ぼくは複製する時も、本当は『全く同じで全く違う』ものしか作れないんだけどね。培養液がラセミ体で良かったよ。
あれはみんな、研究所が破壊される前にあったものと、『全く同じで全く同じ』ものだ」
那珂ちゃんが見回す先では、透明な培養液の中に浮かぶ塊が、刻々と成長し、ヒグマの姿となっていた。
そしてそれらが完全に成熟した羆の容姿となって、動き出そうとすると、いつの間にかそれはいなくなって、また新しい塊が成長を始めていく。
イソマはその様子を、慈しむような眼で見つめている。
「……みんな、生まれたがっているんだ。ぼくはこのコンピューターによる制御を切っただけ。
同胞たちは、何もしなくても自然に増えていくんだ。ぼくは彼らが生まれる寸前に、そこだけ『四元数』の空間を『実数』の空間に組み替えて、ヒグマ帝国に送り出してやってる」
貰った重油を、背中から降ろした艤装の汽缶に差しながら、那珂ちゃんはイソマに問う。
「ここのことについては、なんとなくわかったけど……。
そんなことのできるあなたは、この帝国の大元帥で、皇帝陛下なんでしょ……?
なんで、こんな場所に物忌みしてるの……?」
「うん。シーナー経由でね、ぼくたちを私欲のために利用しようとしている者のいることがわかった。
有冨さんたちへの反乱も、元々はその者が提案したことだ。
シロクマ、シーナー、シバ、ツルシインの四頭は、ぼくの力が悪用されることを危惧して、その者に表面上従いつつ、ぼくの存在と帝国の内実を欺く仕組みを作ってくれた。
キングを始め、ヒグマ帝国のみんなには本当に感謝しているよ」
那珂ちゃんと同じ声で、イソマは爽やかに笑った。
『ヒグマ帝国のみんなには本当に感謝している』という言葉に、那珂ちゃんは否応なく、自分の出会った解体ヒグマやビスマルク、ヒグマ提督たちを思い出してしまう。
「……じゃあなんで、あなたはヒグマ帝国を放っておいてるの?
ヒグマさんも死んじゃっているのに……。那珂ちゃんを見逃してくれている理由も……」
「彼らが見つける答えを知りたいからだ」
那珂ちゃんと同じ容姿の皇帝は、革張りの椅子に毅然とした態度で腰かけている。
同じ顔とは思えない程の凛々しい表情で、イソマは俯く那珂ちゃんを見つめていた。
「きみは、ここで生まれる同胞たちと同じ、ただの無垢な子だ。見逃すも何も、危害を加える理由がない。
そしてぼくは、そんな彼らが純粋に求めた、『果て』を知りたいだけさ」
「『果て』って……そんな訳のわからないもののために、人やヒグマさんを死なせてるの!?
そんなひどいことをしなくても……!」
「『帰る場所』を持つきみが、ぼくたち『穴持たず』の渇望の是非を語るな!!」
那珂ちゃんの言葉に、イソマは突如激昂した。
立ち上がったイソマの左肩に、八九式12.7cm連装高角砲が形成されてゆく。
那珂ちゃんの記憶の中にある装備を再現したのだ。
「きみは『海軍』にも『アイドル』にも帰れる。行く場所も見えぬ大海で、操られるまま溺れ沈むだけのぼくらを、きみは理解できるか?
帰るべき『巣穴』も『由来』もないぼくらは、記憶のイドに従うしかなかった。
収まる井戸があればどれほど良かったか」
艦長の判断ミスで轟沈していった、幾つもの僚艦が那珂ちゃんの脳裏に浮かんだ。
羅針盤や渦潮に翻弄される海の上で、もし海図を失ったら――。そんな仮定がよぎる。
特にこのイソマというヒグマは、その自分の存在の不安定さに、常に焦燥を抱いていたのかもしれなかった。
「有冨さんは、ぼくたちに『実験』という目的を与えてくれた。だがそれは所詮『当て馬』としての役目。そこでは人間とヒグマは同等ではなく、ぼくらは殲滅されるだけの存在だった。
だから、ぼくはその前提を組み替えた。
地上の『実験』には、有冨さんが認知していたヒグマから、シーナーたちを除いたほぼ全てに出て行ってもらった。
参加した人間とヒグマの力量の総和は、これで同等だろう。その対等な関わり合いの中で、同胞である彼らが、イドを乗り越えた果ての、帰るべき場所を見つけてくれることを、ぼくは願ったんだ」
イソマは強い口調で語り続けた。
那珂ちゃんと同じ端正な口元からは牙が覗き、双眸は荒々しく血走っている。
「だから、その対等な実験環境を壊さぬよう、シロクマやシーナーたちには細心の注意を払ってもらっている。
ぼくがきみを咎めるとするなら、きみがその環境を壊すような、678番ヒグマ提督の逃避行を看過してしまったことについてだ」
肩口に形成された高角砲の砲口が、那珂ちゃんにぴったりと狙いをつけていた。
イソマは声を落とし、言い含めるようにして那珂ちゃんに語り聞かせる。
「いいかい。『ひどいこと』なんてぼくらはしていない。ヒグマ帝国では、次々と生まれてくるこの同胞たちを、一頭たりとも無駄に死なせはしまいと、シバやツルシインが奮闘してくれている。
シーナーは、ゆくゆくは彼らを養うために、世界中で人間を飼うことを提案してくれた。
公正な『実験』の結果、もしヒグマたちが人間を食い尽くしたなら、ぼくはその案を採用することにしようと思う。
だが、シロクマも灰色熊もみんな、帝国ではぼくらヒグマのことを考えて、様々な思案を巡らせている。
帝国の中と、『実験』の中で各々独立に、ぼくらの未来を追及してもらい、それをぼくが断行するんだよ。
ぼくの役はその意思。
どのような過程を経ようと、公正な『実験』の果ての実なら、きっとそれは、ぼくらに『帰る起源』と『行く道程』を示してくれる希望なんだから」
――ぼくは、『HIGUMA』という種の、幸福を願っているだけなんだ。
最後に呟いたイソマは、那珂ちゃんの目に、とても悲しんでいるように映った。
ファンから心無い罵倒を受けた時の自分自身を、鏡で見ているような、そんな感覚だった。
「だからね、那珂ちゃん。きみも、きみの望むことを、自然に実行していってくれ。
出来れば地上の『実験』には関わらないで欲しいが、それだってぼくに止める権利はない。
きみたちは、ヒグマでできた人間だ。もしかすると、ぼくたちに考えもつかない実験結果をもたらしてくれるかも知れない」
那珂ちゃんの目に映る自分自身の眼差しは、そんな辛いことを乗り越えても、前に進もうとする光を帯びているようだった。
「自分自身は、最後まで自分のファンでいてくれるだろう。……だから、きみはそこに帰りなさい」
「……はい」
那珂ちゃんは、那珂ちゃん自身から、にっこりと穏やかな声援を受けた。
頷く那珂ちゃんに、イソマは握り込んでいた掌を開く。
そこに乗っていたのは、那珂ちゃんが持っている白い貝殻のイヤリングを、ちょうど左右対称にしたものであった。
「さあ、これを付けてあげる。桜井さんが作ったんだって?
とても綺麗な、無限に完全な螺旋を描く貝殻だ。回転を司る四元数の空間に干渉できるのも頷ける。
これで反対方向の回転を受ければ、恐らくきみは元の空間の好きな場所へ行けるはずだ」
那珂ちゃんの手にあった元のイヤリングとともに、イソマはそれを丁寧に彼女の耳朶へ取り付けてやる。
「よぉし、那珂ちゃん今日もかわいい♪ もっと素敵になっちゃったね」
「……な、なんか、那珂ちゃんの顔で言われるとヘンな気分……」
「きみ自身がいつも言い聞かせている台詞だろう?」
イソマは、はにかむ那珂ちゃんに微笑み返して、自分の肩に形成された12.7cm連装高角砲を取り外す。
「それにぼくはいつも、ここに来る帝国の功労者には、何かしら褒賞を作ってあげているんだ。きみは今、何も装備がないようだし、良かったら一つくらいあげよう」
「え……? いいの?」
今の那珂ちゃんには、初期装備である14cm単装砲はおろか、腰元にあるはずの61cm4連装魚雷発射管も、右腕にあるはずの呉式二号三型改一射出機もなかった。
「きみのような新たな可能性に出会えたことが嬉しいのでね。それに、きみはもっと怒ってもいいはずだ」
「……何に?」
「いや……」
イソマは、ヒグマ提督が那珂ちゃんを丸腰で帝国に下した状況の記憶も読みとっている。
初期装備である14cm単装砲までも外して、わざわざ彼女を『解体』という名を冠したヒグマの元に派遣したことからは、ヒグマ提督の悪趣味な計略が透けて見えた。
ヒグマ提督は、挑発的な伝言で『解体』の怒りを催させ、使いである那珂ちゃんを解体させようとしたのだと考えられた。
ヒグマで作られた那珂ちゃんが解体されたときに出る資材は、果たして有名な燃料2弾薬4鋼材11なのか。
そんな彼の他愛ない興味を満たすための慰みものとして、那珂ちゃんは建造されていたのだろう。
実際のところは、ヒグマ提督にはその実験結果を検証するつもりさえなく、那珂ちゃんは逃走のための単なる時間稼ぎと囮だったのだとも考えうる。
とりあえず、14cm単装砲がなければ、だいたいの軽巡洋艦から出る資材は燃料2弾薬2鋼材10である。
ヒグマ提督は、彼女を自分本位のつまらない実験に投入しながら、実験の正確性も求めず、彼女が抵抗しうるよすがまでも奪って放り出したのだ。
彼女が運に見放されていたなら、解体ヒグマやビスマルクに限らずとも、一般のヒグマに道中で出会った瞬間、為す術もなく殺されていただろう。唯一出会ったヒグマが温和な指導者であるツルシインのみであり、キングヒグマからは発見されずに済んだことが、那珂ちゃんの命を繋いでいた。
公平さの欠片もないヒグマ提督の所行は、イソマの心中深くに、熾き火のような怒りを湧き上げていたが、対する那珂ちゃんは、依然としてまっすぐな表情をしている。
彼女は、自分の受けた仕事を、ただ真面目に遂行しようとしていただけだった。
イソマが差し出した12.7cm連装高角砲を、那珂ちゃんは受け取ることなくかぶりを振る。
「……色々とありがとう、イソマちゃん。でも、今の那珂ちゃんが『帰る』なら、『海軍』じゃないんだと思う。
提督が那珂ちゃんをわざわざ武装解除させてくれたのは、きっと『アイドル』であれ、って意味だったんだと思うから。
だから、那珂ちゃんはこれから、ヒグマさんと艦隊のアイドルになれるよう、頑張るよ!」
「……そうか。なら、きみの始まりの日に、幸あらんことを」
イソマは手の中で、12.7cm連装高角砲を跡形もなく解体した。
そして改めて差し出したその手には、一本のマイクがある。
那珂ちゃんの記憶に鮮明に残る、思い出のものだった。
「……きみを初めて改装しデビューさせてくれた、かつての提督が贈ったものだろう?
紛い物で申し訳ないが、好きに使ってくれ」
「あ、ありがとう……! どうしよ、何てお礼すればいいか……」
「お礼なんていらない。きみが同胞全てを納得させ、『果て』に至るなら、その結果だけで十分だ」
イソマは、那珂ちゃんの耳の貝殻に触れて、それを回した。
受け取ったマイクを握りしめて、那珂ちゃんはその無限の渦の中に巻き込まれてゆく。
視界の先に離れてゆく自分の鏡像の姿へ、何か最後に声をかけようとしたが、那珂ちゃんの言葉は回転に飲み込まれて、音にならなかった。
――提督のところへ……!
そう一心に念じた那珂ちゃんの肉体は、イソマの作った空間から去り、元の次元へと戻っていく。
「……きみたちの希望、同胞の希望、参加者の希望。最後に結果へ至るのは、一体どれになるだろうね」
消え去る那珂ちゃんへ手を振っていたイソマは、鏡映しとなっていた彼女の姿から、曖昧な輪郭のヒグマの姿へと戻る。
イソマの呟いた三つの希望には、どれも対等なアクセントが置かれていた。
ヒグマ帝国の皇帝は、その実験の対象に一切の軽重をつけてはいない。
ただ自身の『始まり』から『果て』を求めることさえ一貫していれば、イソマにとってそれら全ては尊いものだった。
「……ただね。この実験に、夾雑物は入れないでもらえるかな」
イソマのいるHIGUMA製造所の壁面から、その瞬間、木の根が勢い良く生えてくる。
そしてそれは、舞台上のイソマへ向かって、壁沿いのシリンダや機器を破壊しながら殺到した。
「あぁ……、タイミングが悪いなぁ。那珂ちゃんの回転が歪んだかも知れないじゃないか」
パンチ穴のような刺突痕を数十本の木の根に空けられながら、イソマは淡々と呟いていた。
イソマが自分の体に突き刺さる樹木に触れると、一瞬その姿は木刀のような質感を帯びる。
「ふぅん、『童子斬り』っていうのかきみは。ぼくらヒグマがその『アヤカシ』というものに思えるのかい?
人間を斬ったり、エンジンの動力を吸おうとしたりして、きみは自分の起源を見失い始めているようだね。『ランスロット』というきみも、放埒に実験を乱すのはよして欲しいな。
……折角のお客さんには悪いけれど、ぼくはそういう姿勢の者は好きになれない」
イソマの輪郭は段々と曖昧さを強め、そして遂に幻のように消え去る。
瞬間、空間に蔓延っていた木の根は瞬く間に消滅し、破壊された壁面や培養液が補修されてゆく。
「……壊したものは、きみの素材自身で直させてもらうよ。一介の生物の認識を超えるこの場所まで捕捉する信念は認めるけどね。
ぼくをどうこうするのは、全ての参加者とヒグマを納得させてからにしてくれ。きみがその全てをアヤカシとして喰い尽くしたなら、ぼくも喜んで食べられてあげるからさ」
完全に破壊される前の様子に戻った広間に、男とも女とも獣とも人ともつかない声が響いていた。
先ほどの木の根が残っているのか、時折壁の中が蠢いていたが、それも次々と内部で分解され、壁の材質に組み替えられてしまうようだった。
静けさを取り戻したその空間では、壁に並んだ円筒の培養層で、今もヒグマが生まれ続けていた。
【HIGUMA製造調整所・複製(四元数環)/昼】
【穴持たず50(イソマ)】
状態:気化
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマの起源と道程を見つけるため、『実験』の結果を断行する
0:ヒグマ帝国の者には『実験』を公正に進めてもらう。
1:余程のことがない限り、地上では二重盲検としてヒグマにも人間にも自然に行動してもらう。
2:『実験』環境の整備に貢献してくれたものには、何かしらの褒賞を与える。
3:『例の者』から身を隠す。
4:全ての同胞が納得した『果て』の答えに従う。
[備考]
※自己を含むあらゆる存在を、同じ数・同じ種類の素材を持った、別の構造物・異性体に組み替えることができます。
※ある構造物を正確に複製することもできますが、その場合も、複製物はラセミ体などでない限り、鏡像異性体などの、厳密には異なるものとなります。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
目を開けた那珂ちゃんはいつの間にか、照り付ける日差しの中に立っていた。
提督と共に一度は逃げてきた、島の地上だった。
しかし周囲には、ひたすら広漠とした更地が広がっているのみで、ヒグマ提督の姿はない。
地上に出てくる寸前に、海水を吹き飛ばす大きな爆発があったようなので、ここはその爆心地付近なのだろうか。
イソマというヒグマに言われた通りならば、提督のすぐ近くに来ていて良いはずなのだが、那珂ちゃんの移動中に何かベクトルを乱す要因が発生したのかもしれなかった。
「提督~……! ていと、く……」
どこにいるかわからない提督へ呼びかけ始めた時、那珂ちゃんは、背後に佇立しているその存在に気付いた。
そこには、全身から木の枝とも根ともつかない蔓を生やした、真っ黒な甲冑の剣士がいる。
物言わぬその木々は得体の知れない靄に包まれて、剣士の体を貫き地中深くまで侵入しているようだった。
「あ、あの……」
「……」
立ち竦む那珂ちゃんに向けて、黒い剣士は手に融合しているかのような木刀を構える。
右頬の横に刀を引いた、平突き、もしくはオクスと呼ばれるような構えであった。
那珂ちゃんはこの剣士の正体も実力も一切知らなかったが、それでも、その構えから繰り出される攻撃が自分を一撃で轟沈させるだろう威力を秘めていることだけは察せた。
「ひっ、ひぃっ……」
解体ヒグマの言う通り、提督のところになど戻らず、海に逃げておけば良かったのかもしれない。
ほとんど丸腰の状態で出会ったのが、攻撃心のないツルシインとイソマだけであった幸運を、重く受け止めなければならなかったのかもしれない。
応戦する?
どうやって?
逃げる?
この剣士の速度は?
根が張ってる?
地面から攻撃されたら?
那珂ちゃんは、どうすれば――。
ぐるぐると渦巻く思考が支離滅裂な渾沌に舞って、那珂ちゃんは動くことができなかった。
「ひゃああああっ!!」
そして無情にも、恐怖の叫びを上げる那珂ちゃんへ、一直線に木刀の刺突が伸びていた。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
「……とりあえず、これからどうする、のぞみ?」
「う~ん、やっぱり、布束さんの言ったとおり、他の参加者の人を探して、ヒグマ帝国のことを伝えてあげることで決定じゃない?」
呉キリカと夢原のぞみは、海食洞を出て島の地上を飛行していた。
穴持たず81の治療を行なっているさなか、地表で大きな爆発音のようなものがしたことには気づいていたが、そこは一帯、海水の蒸発した塩田か何かのような空間になっており、二人の困惑を誘うには十分だった。
見える限り、太い木や遠くの建物は崩壊することなく保たれているようなので、参加者がその爆発で全滅しているとかいうことは流石にないだろう。
『……培養槽に辿り着くのに実効支配者の能力が要るのなら、あなたたちを連れていくことはできないわね。
Then, 二人は、地上に残っている参加者の首輪を解除して、ヒグマ帝国のことを教えてあげて。
私とヤイコが、イソマというヒグマとの交渉には当たってみるから』
布束砥信は、二人をそういう言葉と共に地表へ送り返していた。
何をするにつけても、少人数でヒグマ帝国に挑みかかっては、物量でヒグマに殲滅されてしまうのは目に見えている。
オーバーボディをつけた3人の人間を屋台前で見かけた情報は、ヤイコ、キリカ、のぞみの全員が共有したが、やはりその人物たちと合流できたとしても、現段階での潜入は下策に思えた。
二人は、布束からドライバーのセットと首輪の設計図を受け取っている。
意外にもそれは、ある程度機械の知識がある人間ならば数分とかからず分解できてしまうほどの単純な構造だった。
加えて、機構のコンパクト化のためか、アルミホイルなどで電波を遮断される・被験者の脈拍が消えるなどの要因で、その盗聴機能も比較的簡単になくなり、研究所の計器には被験者の死亡として観測されるらしい。
ヒグマたちと折り合いをつけるにしろ、主催者とみなして戦うにしろ、こちらの人員を増やしつつ相手の全容を知らないことにはどうしようもない。
呉キリカと夢原のぞみも、その点には同意した。
そうして二人は、地上の参加者たちを救援に向かうべく、滝の裏から飛び立っていたのだった。
「やることは、首輪の解除と、情報の連絡、協力の取り付けだよね? それが終わったら、また海食洞から地下に入ればいいかな?」
「いや……、街沿いのマンホールからは基本的にあの薄暗い通路とか、研究所に繋がる道に出られるらしいから、その経路を使えばいいと思う。だが出会った参加者には、島内を一回りするまで同行してもらった方が良いかもしれないな。
強力なヒグマがうようよしている魔女の結界めいた場所に、小グループで向かわせるのは自殺行為だと私は思うからね」
「よぉし、わかったよキリカちゃん! けってーい!!」
人差し指をビシッと前方へ突き出して、キュアドリームは笑う。
その指先の示す方向をキリカは眼帯の目で追い、そして驚きに止まった。
「なっ、ちょっ、のぞみ! あれを見ろ!!」
「ん? んん? あれは……、真っ黒な、大木?」
二人の斜め前方の、もともとは草原だっただろう一帯に、巨大な樹木の板根のように思える何かが張り巡らされている。
そしてその中心には夜のような漆黒の甲冑を纏った人物が、黒い霞を纏って木刀を構えていた。
その目の前には立ち竦む一人の少女。
「ひゃああああっ!!」
悲痛な少女の叫びがキリカとのぞみの耳を打つと同時に、剣士の木刀が勢いよく突き出されていた。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
呉キリカと夢原のぞみを海食洞の奥の浜から見送り、布束砥信と穴持たず81『ヤイコ』は、話しながら研究所の方へ戻ろうと歩き始めていた。
無線LANの買い出しはとりあえず後回しである。元々は単に
艦これ勢の無用な欲求を満たすためだけ物品だ。巨大津波の影響もあるだろうし、それどころではない。
「……呉と夢原のお二人には戻って頂きましたが、ヤイコは何より、今まで布束特任部長が侵入者を3人も目撃していらっしゃったことが信じられません」
「合流しなかったのは、その場にシーナーがいたから。今まで話さなかったのは、あなたが私に賛同してくれるか解らなかったからよ」
「そうではありません。ヤイコはこんなにも簡単に、ヒグマ帝国が多数の侵入者に晒されてしまっていることを危惧しているのです」
ヤイコが言うのは、実効支配者である4頭や、その他数多くのヒグマが隈なく存在しているヒグマ帝国に、なぜ容易く侵入者が来うるのかということだった。
呉キリカと夢原のぞみが海食洞近くに訪れたのは半ば事故のようなものだと納得はできたが、ヤイコにはそれ以外に、帝国の存在を参加者に知られる理由が思いつかない。
その原因の大部分は、布束が密かにそのヒグマたちの分布を偏らせ、参加者を誘導する手紙を設置していたことによると思われたが、布束はそのことに関しては黙っていた。
「……さあ。もしかすると、その『例の者』というのが関わっているのかもね」
「可能性はあります。有冨さんが参加者に、『ジョーカー』と呼ばれる内部関係者を加えていたように、地上へ自分の息のかかった者を送り込んでいるとか……」
話をしながら、海食洞から研究所へと戻る観音開きの扉を開けようとした時、ちょうどその向こう側からひょっこりと顔を覗かせた一頭のヒグマと、二人は鉢合わせた。
ふかふかとした毛並みに鼻眼鏡をかけたそのヒグマは、最初からそこで二人に出会うことが解っていたかのように、何の驚きもなく声をかけてくる。
「おうヤイコちゃん、津波の被害がなかったみたいで良かったのぉ。流石2つ目の素数の2回目の平方数じゃ。
安徳天皇みたいな海難の相があるかと思ったが、やはり二人でいる時の安定は素晴らしいのぉ」
「ツルシインさんではありませんか。いかがなさったのですかこんなところに」
「うむ、ヤイコちゃんは通信読んどったかの? 例の者がなんぞ暴れ始めて、灰色熊と艦娘の一部がエンジンだのなんだのの防衛に回ってるそうじゃ」
「……! 今すぐ確認いたします」
ヤイコは、出てきたヒグマと手短に会話をした後、即座に海食洞の壁を叩いてそこを凝視し始める。
粘菌で形成された、その掲示板かチャットのようなシステムに布束は驚愕した。
ヤイコが行送りに壁を叩けば次々とそこの文は変化し、電報のような平文で書かれている文面の他、ダイレクトメッセージらしい不定形の粘菌だけでできた行も垣間見える。
目を見開く布束の肩を、そのツルシインと呼ばれたヒグマが叩いた。
帝国の実効支配者とされている内の一頭にしては、余りに温和そうなその表情を、布束は却って訝しむ。
「そして、あんたが布束さんじゃな。いやぁ、艦これ勢の要望で工場を改装する際にはお世話になりましたわ。キングから聞いたが、あの指示や図面はほとんど布束さんが書かれたそうじゃの」
「……ええ。でも、確かあなたは、建築集団の長なのよね。ヒグマにとってそんな無意味そうなものを作っても良かったの?」
「同胞が喜んでくれる、住みよい環境を作るのが己(オレ)の悦びじゃ。住居は『穴持たず』の望む根本にあるものの一つじゃしの。満足してくれる者が居るなら応えるわ」
ツルシインはそのまま布束の脇を通り過ぎ、何やら壁面を物色し始めている。
通信文を読み終わったらしいヤイコが、その彼女と布束へ声をかけた。
「布束特任部長、これは相当に危機的な状況になっているとヤイコは推察します」
「うむ、ほんでな、示現エンジンに入っとるのは地上から侵入しとる何かの『根』じゃ。
この島の地固めはきちんとしとる方じゃというのに。夜中の噴火や今朝の津波で大分運気が乱されておる」
「……それで、ツルシイン。あなたは何をしているの?」
布束が見つめる先で、彼女とそう背丈の変わらないヒグマは、突如爪を壁の中に潜り込ませた。
その爪は肩口まで容易く岩盤の中に入り込み、岩壁を崩してゆく。
「いやなに、その凶手の要の一つがここに来とったんでの。ヤイコちゃんたちと合流するついでに切っとこうと思ったんじゃ」
そしてその前脚は、地中から太く巨大な何かの根をずるずると引きずり出し、かなり上の部分から勢いよく引き千切っていた。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
木刀の刀身が、槍のように勢いよく伸びてくるのが那珂ちゃんには解った。
とても避けられる速度ではない。
次の瞬間には、自分の脳天には綺麗な丸い風穴が空いているだろうことを、那珂ちゃんは覚悟した。
「■――……!?」
だがその時、木刀を突き出していた黒い剣士の体が、突如後方に大きく傾いた。
北北西の方角に体勢を崩した剣士の突きは、那珂ちゃんを逸れて空に伸びる。
立ち竦むままだった那珂ちゃんはその切っ先を眼で追い、空の眩い日差しを目にしていた。
両の耳で、白い貝殻の小さなイヤリングが揺れる。
黄金の回転で揺らめく反射光が、那珂ちゃんの瞳を打った。
『希代の強運の元に生まれとるよあんたは。今まで仕事では困っても誰かが助けてくれて、どんな事態に陥っても結局は危機を好機に変えられてきたじゃろう?
そこにあんた自身の奮起があれば晩年まで大成功間違いなしじゃぁ!』
輝きと共に、脳裏に響く声がある。
『……そうか。なら、きみの始まりの日に、幸あらんことを』
心には、明日のために蒔かれた、始まりの種がある。
「……そうだ。そうだよね……!」
「■■■■■――……」
声にならない唸りを上げて起き上がってくる黒い剣士に対峙して、那珂ちゃんは一度強く頷いた。
手にはマイクだけを握り締めて、真っ直ぐに、黒い甲冑から覗く赤い眼光を見つめ返す。
♪ ある日森の中 くまさんに 出会った
♪ 花咲く森の道 くまさんに 出会った
♪ くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
♪ スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ
この歌の中で、『お嬢さん』はこの『くまさん』に恐怖を覚えているわけではない。指摘されなければ、彼女は逃げる気などなかったのだ。
それは何故か。
ある一つの状況設定が、この歌の中に成り立つ。
『くまさん』は、『お嬢さん』には対抗しようもない『危険』から、我が身を省みず守ってくれようとしたのだ。
狂乱して逃げるばかりの『お嬢さん』には、『くまさん』が生き残って戻ってきてくれることさえ考えられないほどの『危険』から、である。
感極まって、『お嬢さん』が涙ながらに謡う歌は、果たしてその森に、いかように響いたのだろうか。
――そしてその『お嬢さん』は、イヤリングを拾ってもらったあと、果たしてどこに向かったのだろうか?
『……逃げろ、ナカチャンとやら』
自然体を取り直す船の背中には、その大きく強い信念がある。
「くまさん、ありがとう。お礼に、うたいましょう――」
「■■■■■――……!!」
体勢を立て直した黒い剣士が、再び木刀を構える。
だが、もう川内型軽巡洋艦3番艦の瞳に恐懼の色はない。
握り締めたマイクに、肺腑の奥底から、花のように爽やかな語気を吐き出していた。
「那珂ちゃんの歌、聞いて下さい!!」
――那珂ちゃんは、自分に帰ります。
――こんなになっても、那珂ちゃんは絶対、路線変更しないんだから!
【B-7 更地/昼】
【
バーサーカー@Fate/zero】
状態:瀕死、寄生進行中2/3、ヒグマ帝国の示現エンジンからマナを供給中
装備:無毀なる湖光、童子斬り
道具:基本
支給品、ランダム支給品1~2
基本思考:バケモノをころす
[備考]
※ヒグマ・オブ・オーナーに関する記憶が無くなっています。
※バケモノが周囲にいない間は、バーサーカーとしての理性を保っています。
※バケモノが周囲にいる間は、理性が飛びます。
※童子斬りにより地中よりマナを供給しており、擬似的な単独行動スキルとなっています。
※マスターが死んでも現界し続けるでしょう。
【那珂@艦隊これくしょん】
状態:健康
装備:無し
道具:探照灯マイク(鏡像)@那珂・改二、白い貝殻の小さなイヤリング@ヒグマ帝国、白い貝殻の小さなイヤリング(鏡像)@ヒグマ帝国
基本思考:アイドルであり、アイドルとなる
0:この黒い剣士に、歌を聞いてもらう。
1:艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよ!
2:お仕事がないなら、自分で取ってくるもの!
3:ヒグマ提督やイソマちゃんたちが信じてくれた私の『アイドル』に、応えるんだ!
[備考]
※白い貝殻の小さなイヤリング@ヒグマ帝国は、ただの貝殻で作られていますが、あまりに完全なフラクタル構造を成しているため、黄金・無限の回転を簡単に発生させることができます。
※生産資材にヒグマを使ってるためかどうか定かではありませんが、『運』が途轍もない値になっているようです。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
「那珂ちゃんの歌、聞いて下さい!!」
遠くまで響き渡る通りの良い声が、マイクに拡声されて耳に届く。
空中に立ち止まっていた呉キリカは、その声を受けて、隣の夢原のぞみへ眼をやる。
「……だそうだが、どうする、のぞみ?」
「ん~?」
その視線に、キュアドリームは軽く笑みを零す。
数瞬前とは全く違う強い光を帯びた、那珂という少女の眼に、のぞみは大きな希望と、夢みる乙女の底力を見た。
のぞみはキリカの手を取って、再び勢い良く空中を駆け出した。
「そんなの、決まってるじゃん!!」
「だろうね!!」
キリカが敷いた速度低下の世界の中を切り裂くようにして、黒とピンクの閃光が、一人のアイドルの元へ集っていく。
【A-6とB-7の狭間 更地/昼】
【夢原のぞみ@Yes! プリキュア5 GoGo!】
状態:ダメージ(中)、キュアドリームに変身中、ずぶ濡れ
装備:キュアモ@Yes! プリキュア5 GoGo!
道具:ドライバーセット
基本思考:殺し合いを止めて元の世界に帰る。
0:あそこの女の子を助けちゃうぞぉ~! けって~い!
1:参加者の人たちを探して首輪を外し、ヒグマ帝国のことを教えて協力してもらう。
2:キリカちゃんと一緒にリラックマ達を捜しに行きたい。
3:ヒグマさんの中にも、いい人たちはいるもん! わかりあえるよ!
[備考]
※プリキュアオールスターズDX3 終了後からの参戦です。(New Stageシリーズの出来事も経験しているかもしれません)
【呉キリカ@魔法少女おりこ☆マギカ】
状態:疲労(中)、魔法少女に変身中、ずぶ濡れ
装備:ソウルジェム(濁り:中)@魔法少女おりこ☆マギカ
道具:キリカのぬいぐるみ@魔法少女おりこ☆マギカ、首輪の設計図
基本思考:今は恩人である夢原のぞみに恩返しをする。
0:仕方ないなぁのぞみは。とりあえず協力者一人を確保しようか。
1:布束砥信。キミの語る愛が無限に有限かどうか、確かめさせてもらうよ?
2:恩返しをする為にものぞみと一緒に戦い、ちびクマ達を捜す。
3:ただし、もしも織莉子がこの殺し合いの場にいたら織莉子の為だけに戦う。
4:戦力が揃わないことにはヒグマ帝国に向かうのは自殺行為だな……。
5:ヒグマの上位連中は魔女か化け物かなんかだろ!?
[備考]
※参戦時期は不明です。
ΣΣΣΣΣΣΣΣΣΣ
「……うむ。タイミングもちょうど良かったようじゃな。ヤイコちゃん、この根っこ、焼き殺しておいて貰えるかの」
「承知いたしました」
ツルシインが放り出した太い木の根を、ヤイコは電撃で焼き焦がし、その動きを止めさせた。
そのさなか、次々に3頭のヒグマが、扉から海食洞の方へ入ってくる。
「しゃッす! 親方、解体さんの通路壁面でのルーツストップ、完了しましたァ!!」
「ご苦労さん、ハチロウガタ。よし、じゃあ、ここの穴からパワーミックス工法で根っこを誘導しといてくれ。示現エンジンからできる限り凶兆を遠ざけるようにの」
「了解っす!!」
「な、なんなのこのヒグマたちは……」
一般的なヒグマに比べれば遥かに小さい体躯のツルシインに向けて、ヒグマたちが平身低頭する様は一種異様であった。
戸惑う布束に向けて、隣でヤイコが答える。
「ヤエサワさん、ハチロウガタさん、クリコさん。彼らは、『穴持たずカーペンターズ』の中でも一番の精鋭です」
「おう、本当は今、津波に対する帝国全体の防水工事をしとったんじゃがな。一大事じゃから急遽弟子連中からも何頭か駆り出して来たわ」
「穴持たず86『八郎潟(ハチロウガタ)』っす!」
「穴持たず95『九里香(クリコ)』よ! ヤイコちゃんもお疲れ様!」
「穴持たず83『八重沢(ヤエサワ)』です! 布束特任部長、お目にかかれて光栄です!」
「あ、そ、そう……。それはどうも……」
ハキハキとした体育会系の威勢に、布束はたじたじとなる。
彼ら3頭は、布や砂礫の詰まっているらしい袋を抱え、先程ツルシインが破砕した壁の穴で早速作業を開始してゆく。
伸びて襲い来る根っこを裁断しつつ、てきぱきと作業を進めていく様は、布束から見ても圧巻だった。
壁面に何か通信文を打ち込んでいたツルシインは、ヤイコと、呆然とする布束を連れて研究所の方へ戻ろうとする。
「よし、ここは弟子連中に任せて、己(オレ)たちは灰色熊かそこらの支援に行こうぞ。ヤイコちゃんと布束さんも手伝ってくれるかの?」
「勿論です、とヤイコは返答します」
「……ちょっと待って。これは土産物屋に置いてあった『童子斬り』じゃないの!?
利用された上にここまで甚大な被害を出すなんて完全に想定外だわ。一体どう対処するつもりなのあなたたちは……!?」
「なぁに、世の中、吉祥とならぬ不祥はなく、不祥とならぬ吉祥もないわ。己(オレ)の番号でさえそうじゃったしの。禍福はそこに常に有れども、全てはそれを糾える伯楽と成れるかどうかじゃろ」
ツルシインは歩きながら柔らかな毛並みを揺らして、布束の言葉にそう笑った。
そして急に振り向いて、真っ白な瞳で布束の半眼を覗き込んでくる。
「そう言えば、布束さんは、下の名前は砥石の信念と書くんじゃったかの」
「……そうだけど」
「天格は12画で大凶。地格も19画で大凶。名付け親の感覚を疑うわ。
いかなる時も天の味方を受けられず、自分の仕事に集中出来ない。敵が多く、非常に親友が出来にくい人生じゃったろ? 苦労されたのぉ」
「……」
突拍子もなく突き付けられた自分の人生の中間総括に、布束は怒りや呆れを通り越して、完全に思考が止まってしまった。
しかしツルシインは続けざまに、眼鏡をかけたような白く柔らかな毛並みを微笑ませて、彼女に語り掛けていた。
「じゃが、総格は31。姓名判断では最大吉数の一つじゃ。不運に耐えて耐えて、自我を抑えながら人の前に立つことができるならば、最終的に、全てにおいて成功を収めうる。そこの見極めじゃな」
「そう……なの」
「そういう意味でも、凄まじい感覚じゃよあんたの親御さんは。孝行できる相手がいる分だけ頑張ってその名に応えなさいよ」
落として上げるツルシインの言葉に、布束は全身の力が抜けていた。
からからと笑いながら、その人間じみた背格好のヒグマは、布束を後にして通路を進んでいった。
「あと、そのポケットの中のものは、相当の幸運を呼び寄せうるものじゃ。わかっとるとは思うが無駄に使いなさるなよ」
「……!?」
「なに、モノが何か知りたいわけじゃない。己(オレ)にも教えるな。大切にしなさいよ」
ツルシインは何でもないことのように語って、ヤイコと共に道を先行してゆく。
自分の作ったHIGUMA特異的吸収性麻酔針のことか、有冨のHIGUMA特異的致死因子のことか、Dr.ウルシェードのガブリボルバーのことか、何について言及されたのかはわからない。
だが布束は、やはりヒグマ帝国の実効支配者とされる者が、余りにも強大な実力を持った者たちであろうことを再認識させられた。
そして同時に、ヤイコとともに遠くから届くその柔和な声音に、ヒグマと人間が共存しうるかもしれない可能性を、強く再認識してもいた。
【A-5の地下 ヒグマ帝国・海食洞/昼】
【布束砥信@とある科学の超電磁砲】
状態:健康、制服がずぶ濡れ
装備:HIGUMA特異的吸収性麻酔針(残り27本)、工具入りの肩掛け鞄、買い物用のお金
道具:HIGUMA特異的致死因子(残り1㍉㍑)、『寿命中断(クリティカル)のハッタリ』、白衣、Dr.ウルシェードのガブリボルバー、プレズオンの獣電池
[思考・状況]
基本思考:ヒグマの培養槽を発見・破壊し、ヒグマにも人間にも平穏をもたらす。
0:『童子斬り』への対抗策……。
1:キリカとのぞみの成功・無事を祈る。
2:『例の者』、そして『スポンサー』とは……。
3:やってきた参加者達と接触を試みる。
4:帝国内での優位性を保つため、あくまで自分が超能力者であるとの演出を怠らぬようにする。
5:帝国の『実効支配者』たちに自分の目論見が露呈しないよう、細心の注意を払いたい。が、このツルシインというヒグマはどうだ……?
6:ネット環境が復旧したところで艦これのサーバーは満員だと聞くけれど。やはり最近のヒグマは馬鹿しかいないのかしら?
7:ミズクマが完全に海上を支配した以上、外部からの介入は今後期待できないわね……。
[備考]
※麻酔針と致死因子は、HIGUMAに経皮・経静脈的に吸収され、それぞれ昏睡状態・致死に陥れる。
※麻酔針のED50とLD50は一般的なヒグマ1体につきそれぞれ0.3本、および3本。
※致死因子は細胞表面の受容体に結合するサイトカインであり、連鎖的に細胞から致死因子を分泌させ、個体全体をアポトーシスさせる。
【穴持たず81(ヤイコ)】
状態:疲労(小)、ずぶ濡れ
装備:『電撃使い(エレクトロマスター)』レベル3
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため電子機器を管理し、危険分子がいれば排除する。
0:布束特任部長の意思は誤りではありません。と、ヤイコは判断します。
1:ヤイコにもまだ仕事があるのならば、きっとヤイコの存在にはまだ価値があるのですね。
2:無線LAN、もう意味がないですね。
3:シーナーさんは一体どこまで対策を打っていらっしゃるのでしょうか。
【穴持たず49(ツルシイン)】
状態:健康、失明
装備:水晶の鼻眼鏡
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため建造物を建造・維持し、凶兆があれば排除する。
0:B-7からやってきている凶兆の要を崩していき、帝国を守る。
1:実働できる頭数はどのくらいになるかのぉ。
2:帝国にとって凶とならない者は基本的に見守ってやっていいんじゃないかのぉ。
3:帝国の維持管理も骨じゃな。
[備考]
※あらゆる構造物の縁起の吉凶を認識し、そこに干渉することができます。
※幸運で瑞祥のある肉体の部位を他者に教えて活用させたり、不運で凶兆のある存在限界の近い箇所を裂いて物体を容易く破壊したりすることもできます。
※今は弟子のヤエサワ、ハチロウガタ、クリコに海食洞での作業を命じています。
※穴持たずカーペンターズのその他の面々は、帝国と研究所の各所で、溢水した下水道からヒグマ帝国に浸水が発生しないよう防水工事に当たっています。
最終更新:2015年04月25日 23:52