【無毀なる湖光(アロンダイト)】
ランク:A++ 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1人
――他二つの宝具を封印することにより初めて解放される
ランスロットの真の宝具。
この剣を抜いている間、
ランスロットの全てのパラメーターは1ランク上昇し、
また全てのST判定において成功率が2倍になる。
さらに龍退治の逸話を持つため、
龍属性を持つ英霊に対しては追加ダメージを負わせる。
(『Fate/Zero material』より抜粋)
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金色の光で描き出されていた広大な樹形図が、その根元の本幹で断ち切られていた。
島内のエリア一つを優に横断した強烈な剣閃は、地下深く、広くに根を張る『童子斬り』の分枝の多くを分断し、その機能を停止させた。
『七日行く風』と呼ばれた龍田のその斬撃は、彼女の由来である龍田川と、その流域に連なる生駒山地の山々に端を発する。
その一帯の山嶺に時節の区別なく吹く風は、秋には紅葉を散らし、春には桜を落とす。
中でも、平城京の西に位置する龍田山(現在の奈良県生駒郡三郷町の西方)の神霊『龍田姫』は、風と秋の女神としての神格を持っている。
そのままでも『裁つ』という起源に通じ強大な魔力を有する龍田の風は、ヒグマの肉体から製造された強化型艦本式缶により増幅・集束されることで運動量を増大させ、風の断層による「究極の斬撃」として放たれていた。
高密に圧縮された風の斬撃が通り過ぎる際に空気はプラズマ化し高熱を発生させるため、結果的にそれは光の帯のように見える。
一陣の閃光が吹き抜けたその管理室の辺りは、見る間に生気を失った童子斬りの根が萎びてゆくにつれ、誰からともつかない感嘆のどよめきに包まれていた。
「……驚いたわ。まるで精密機械ね、あなた」
「え? 私? 私なんてまだまだだよ~」
幻覚に投影された対象の座標で、正確に童子斬りは断ち落とされていた。
地上を見上げる布束の呟きに、陣風を放ち終えた龍田が柔和な声音で手を打ち振る。
「良かった……、エンジンもまだ無事……!」
「間桐さん、やりましたね!」
「ああ……、良かった。ようやくサーヴァントの主導権が返って来た……!」
残る人間たちも、
四宮ひまわり、田所恵、
間桐雁夜と、次々に快哉を上げ始める。
4頭のヒグマたちも、ほっと胸を撫で下ろした様子で顔を見合わせた。
幻覚を共有して龍田の照準を補助していたシーナーが、その固有結界を解除して振り向く。
「……これで当座のところ、危機は去ったとみてよろしいでしょうか、ツルシイン」
「そうだろ、早ぇとこ研究所に上がってシバたちの様子を見てやらにゃあ……。あのクソロボットが何仕込んでたんだか……」
「ヤイコとしましては、シーナーさんと
灰色熊さんは早急にご自身の治療を受けた方がよろしいと思いますが……」
灰色熊、ヤイコと、その場のヒグマたちは口々に次の行動を相談し始めるが、その中で唯一、ツルシインだけが、水晶の鼻眼鏡を正して眉を顰めていた。
白濁した目を細めながら見やる地下の壁の先は、先程龍田が切り込んだ西南西の方角である。
「いや……、これはまだ……、もう一波乱あるぞ?」
怪訝に呟いた直後、彼女の視線は、目の前の間桐雁夜の元まで落ちる。
田所恵に支えられながら自身のサーヴァントをコントロールしようと集中していた彼は、それとほとんど同時に、突然電流を浴びたかのように跳ね上がっていた。
「お……、ゴハァッ!?」
「ひゃ……っ、ま、間桐さん!?」
突如身を捩って吐血した雁夜は、そのまま膝を折って通路の床へ傾ぐ。
駆け寄ったツルシインが驚く田所と共に彼を支え上げ、一瞬にして呼吸の細くなった雁夜を問いただす。
「あんたはさっき、その手の魔力で何をしたんじゃ!? 何故お主にこのような縁起が返ってくる!?」
「い、いや……、コントロールは、戻ってる、はず、なのに……!
もういいんだ、仕舞え! もう終わったんだから、『無毀なる湖光(アロンダイト)』を仕舞ってくれ……!!」
間桐雁夜の魔力は途轍もない勢いで吸い上げられていた。
『無毀なる湖光(アロンダイト)』は、
バーサーカーであるランスロットの、真の宝具である。
それゆえ本来の性能を発揮した際、正体を隠蔽して戦ったエピソードの具現である『己が栄光のためでなく(フォー・サムワンズ・グローリー)』及び、本来の武器を使用せずに戦ったエピソードの具現である『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』の二種の宝具とは、そもそも併用不可能なものだ。
この特性を利用して、雁夜は『童子斬り』の支配力を封じ、同時にそれを武器として再びバーサーカーが手に持つことのないようにするつもりであった。
しかし、そのバーサーカーの意識は再び雁夜の手を離れ、何かに怒り狂うかのような暴走状態に入っている。
――これは、何だ。
彼の中で数時間ぶりに活性化し、一斉に肉体を食み始めた刻印虫に力を奪われ、雁夜はふらふらと崩れ落ちてゆく。
両手から落ちる吐瀉物のバケツや木の根の切れ端の音を聞きながら、彼は朦朧とした視界の先に彼女の姿を見る。
「間桐さん……? 大丈夫かしら~?」
管理室の中から見やってくる唐紅の瞳は、先程、バーサーカーの足元へ正確に斬撃を届かせた少女だ。
その黒いワンピースや、鎧のような艦橋と艤装の姿が、色彩さえ揺らぎ始めた雁夜の脳内で、あるサーヴァントの姿と重なる。
恵とツルシインに布束までもが加わり、側臥位で地に横たえられた雁夜は、呻きながら血を吐いた。
「セ、セイバー……、だと……?」
「え!? 何ですか間桐さん!? 苦しいんですか!?」
「体内の刻印虫が再び励起し始めたみたいね……。魔術師はサーヴァントに魔力を吸われるというから、その所為……?」
「それにした所で吉祥の減殺が早すぎるわ……、このままじゃと死ぬのも時間の問題じゃぞ!?」
雁夜は誘拐される前に、幾度かバーサーカーがこのような制御不能の状態に陥ることを経験していた。
その時にバーサーカーが襲い掛かっていたのは、アインツベルンの魔術師・衛宮切嗣のサーヴァント、セイバーである。
龍田と同年代の少女に見えるそのサーヴァントは、その姿に似合わず、剣の英霊然とした鋭い太刀筋を有していた。
――龍田さんの剣閃に、その女を見たとでも言うのか!?
「ふ、ふざけんなよバーサーカー……。な、なに考えてやがる……!?」
「ん……、なるほど、これはちと……、よろしくないのぉ」
「え!? え!? お二人とも、何が見えてるんですか!?」
地上への岩盤を見上げて唸りを上げる雁夜とツルシインを、田所恵はおろおろと見回すばかりだ。
残るヒグマや布束も一様にその地上の果てを見透かそうと視線を飛ばしていたその時、龍田の電探上の空間に、西南西から炎が上がった。
「なぁに~……? 私に、御用なのかしら~?」
火矢のように走り来る、憤怒の塊のようなその敵機に向け、龍田は冷ややかな笑みをレーダーに載せて投げた。
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準備万端。
接敵用意。
対空対潜の探知機を備え、龍田は止水の如く、身の回りに立ち湧く害意をたちどころに映し、かつ強化型艦本式缶の速力で即時の対処を取り得る。
西南西1500メートルの地点から突如、一瞬にして近距離にまで寄り来た高速の敵影にも、彼女は過たず迎撃の体勢を取っていた。
――清眞の構え。
右手は耳元に添い、足元で上向いた切っ先は腰もとの左手にてピタリと据わる。
自然と胸元にかかる鋼鉄の柄は、その細さの中に半身の体勢の全てを翳としていた。
自分の身を守りながら、攻め入る相手の死角となる足下・下段を即座に奇襲しうるその万全の姿勢で、彼女は急速接近する敵を待った。
話によれば、この敵には、地上でも戦っている相手がいたはずだ。
それは、地下に侵入してきていた木の根の挙動からしても明らかだろう。
その敵がこちらに潜行してくる――。
それは、地上で戦っていた何者か――、参加者の誰かが、悉く殺害されたのだろうことを容易に推察させた。
対空電探のソナーに映りこむ程の激しい魔力を有した敵は、島内の地中を、龍田の切り込んだ風に沿うようにして一直線に航行してくる。
龍田がその機影を捕捉した直後から僅かに活力を取り戻した間桐雁夜が、血の霧を吹きながら呻いた。
「龍田さん……! あいつは、あんたを狙ってる……ッ。すまない、とめて、くれっ……!」
「あの死にたい本体でしょ~? 沈ませちゃったらごめんなさいね~」
「だ、ダメだ……、甘く見ないでくれ……ッ!!」
布束と恵に抱えられながら、雁夜はその右手で拳を作り、龍田にそれを向けて叫んでいた。
「俺のサーヴァントは最強なんだ!!」
「――ッ!?」
その叫びと同時に、龍田は驚愕に身を竦ませた。
敵機との距離、既に30メートル。
もう、敵は管理室の壁を突き破って、その姿を目視できていなければおかしい位置だった。
ツルシインが息巻いて叫んだ。
「――!? もう来とるぞッ!!」
10メートル。
速い。
電探の取得座標が間違っているわけではない。
明らかに敵はそこにいるのだ。
しかし、見えない。
風も動かない。
そこには、何も物質は存在しないのだ。
ただ、怒りに満ちた魔力だけが――。
西南西2メートルの位置に。
「――なっ」
幽鬼のような形相の騎士が、黒々とした大剣を振りあげ、踏み込んでいた。
「Arrrrrrrthurrrrrrrrr――!!」
咄嗟の反応で右の元手を繰り出し、左脚を引き、龍田は忽然と出現したその男の斬撃をいなそうとした。
柄の中程から一気に隅へ引き落とし、男の体勢を崩す――。
一瞬のうちに、龍田はそこまで思考できた。
そして、実行した。
しかし、その剣閃は、彼女の速度よりもなお速かった。
「ひ――ッ」
薙刀の柄を滑った長剣は、その下に据えられていた龍田の左手を切り裂く。
4本の指先が手袋ごと基節骨から刎ね跳び、紫檀の枝のように宙に踊った。
戛然とたった一太刀。
それだけで龍田の全身は、電流に撃たれたような激痛に襲われていた。
『龍』という名を含んだ自分の魂そのものに深々と牙を突き立てられたような。
そんな形容しがたい痛みが、龍田から力を奪う。
――指を落とされただけでこの状態……!?
ならばもしこの剣をまともに喰らったら、死――。
その瞬間黒い剣士は、体勢を崩した龍田が倒れるよりさらに速く、彼女の指を刎ねた剣を返し、その体へ逆袈裟に斬りつけていた。
「――ガッ、ハァ――!?」
体当たりのような入り身の勢いを流すこともならず、薙刀の柄で受けたまま正面からその衝撃を喰らった龍田は、後方の示現エンジンの元にまで跳ね飛ばされた。
ぐわん、という、厚い金属板のたわむ音が室内に響く。
ほとんどの者の眼には、龍田が突然、何の前触れもなく吹き飛ばされたようにしか見えなかった。
管理室の内部に忽然と現れた黒い襲撃者の存在に気付くのは、そのあと。
龍田が示現エンジンの外壁に叩き付けられると同時に、間桐雁夜が噴水のように血を吹いて意識を失った。
「いつの間に――」
「た、龍田――!?」
「間桐さん!? 間桐さん!?」
突然の予想もできぬ事態に、管理室前の人間たちの間には狼狽が走る。
ヒグマたちの中でも、それに反応できたのは、シーナーとツルシインの二頭のみだった。
「霊体化ですか――!?」
「おい、シーナー!!」
「――わかっております!!」
この襲撃者――、間桐雁夜のサーヴァントであるバーサーカーは、その身を霊体化させることで、龍田の剣閃の軌跡を辿り、ここまで高速で来襲してきたのだった。
聖杯戦争で召喚された英霊である彼らサーヴァントは、実体を持つ姿と霊体のみの状態を自在に切り替えることができる。
電探に映りこむほどの魔力を有したその霊魂も、何の魔術的能力を持たぬ肉眼では視認しえない。
――しかし、実体を持てば別だ。
生物に備わる五感で捉えられる対象は、悉くシーナーの『治癒の書(キターブ・アッシファー)』の中に捕捉されうる。
エンジンの壁面へ、龍田を追撃すべく跳び発とうとするバーサーカーの姿を、シーナーの真っ黒な双眸が捕えた、その時だった。
「――コッチヲミロォォォォ~~♪」
妙に低く間延びした声が、管理室前の彼らのすぐ傍らからかかっていた。
そして一斉に、3人と4頭はその声を発したモノを、見た。
「なっ――!?」
「グオッ――!?」
その直後、ツルシインとシーナーが、何かに撃ち抜かれたようにして後ろへ弾き飛ばされていた。
通路の瓦礫の中に倒れて呻きを上げる二頭へ向けて、神経を逆撫でするような笑い声がかかる。
「うっぷっぷっぷっぷっ……! 引っかかったねシーナークン~!!
さぁ、キミたちはここで終わりだよッ!! 絶望的にねぇ!!」
「モノ、クマ、さん……ッ!!」
「き、『起源弾』かい……!!」
彼らの前には、大口径拳銃トンプソン・コンテンダーを構えた、一匹の小さなぬいぐるみが笑っていた。
白と黒とに塗り分けられた体躯で睥睨するそのロボットに、縁起を手繰る彼らの視界は、塞がれた。
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示現エンジンの外壁に叩き付けられた際、龍田の意識は一瞬飛んだ。
ヒグマの血肉で作られた軽巡洋艦である彼女の肉体を軽々と吹き飛ばし、なおかつその中枢に脳震盪を与えるほどにまで、バーサーカーの筋力は向上している。
彼女が眼球という双眼鏡へ自身の艦橋から意識を繋ぎ直すまで、それでも数秒はかからなかった。
だがその時には、彼女へと飛び掛かったバーサーカーの剣は、既にその目の前まで迫っていた。
「くッ――!!」
ボイラーを急点火させた龍田が壁を蹴って、示現エンジン周囲を取り巻く調整用通路に転げた直後、彼女の艦橋の形に凹んだエンジンの外壁を、バーサーカーの剣がバターのように切り裂いていた。
その剣――『無毀なる湖光(アロンダイト)』は、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』の姉妹剣であり、決して刃毀れすることのない神造兵装であるとされる。
午前までにバーサーカーは、『己が栄光のためでなく(フォー・サムワンズ・グローリー)』で正体を隠蔽しつつ揮うことで、アロンダイトを無理矢理行使していたことがある。
しかし、その隠蔽を取り払い、真の宝具として開帳した際の性能は、その折に振るわれていた威力とは桁違いのものであった。
体重の乗った最大威力で振るわれたその剣圧は、数十センチの厚みがある外壁の鋼鉄を容易く突き破り、童子斬りの朽ちかけた根が蔓延っている内部隔壁を3層斬りこんで破断させていた。
既に童子斬りによってスポンジの如く穴だらけの姿にされていたその隔壁は、凄まじい撃力を誇る湖光の一撃で見る間にひび割れを拡大させ、崩壊を始めてしまう。
「エ、エンジンが――っ!!」
外周200メートルを超える純白の円筒として鎮座している示現エンジンの周りは、たちまち赤いランプの光とサイレンの警報に埋め尽くされていた。
もはや、現状のままではエンジンは持つまい。
――むざむざ爆発を起こさせることがあってはならない。最低でも島一つ、下手をすれば地球が丸ごと消し飛ぶ。
――背に腹は代えられない。停止させなくては。
声を裏返らせ管理室の中に駆け込もうとした四宮ひまわりの行く手を遮って、ぬいぐるみのようなクマ型ロボットが拳銃を突きつける。
「おおっと~、行かせないよ四宮ちゃん。オマエラはみ~んな、ここで死ぬんだよ~ん」
「何よそれ。誰あなた。いまさら銃の一丁二丁で私たちが引き下がると思ってるの!?」
「うぷぷぷぷ……、ひまわりさんは知らないようなので教えてあげますが、これは『起源弾』!!
撃たれた傷は絶対に治らず致命的になり、魔術や超能力で防いだら防いだだけ、演算領域がパーンとハジける素敵な武器なんだよ~ん。
ほら、ツルシインさんもシーナークンも、見ただけで眼をやられてご覧の有様!! ケダモノがバカみたいな力を持つからそうなるのさ!!」
「……わかった。さっき放送で暴れまくってたヒグマの頭が、あなたね」
周囲に目を走らせながら舌打ちする四宮ひまわりの後ろから、灰色熊やヤイコがじりじりと
モノクマの側面へ回り込もうとしていく。
その動きを牽制して、モノクマというそのロボットは管理室前の一団に向けて銃を振り回した。
「おっと! 動くんじゃねぇぞオマエラ! キミもキミも、能力を使った瞬間に再起不能だぜ?
勿論、能力を使わなきゃこの『起源弾』は防ぐこともできないだろうがなぁ!!」
「ちっ……! 煮ても焼いても喰えねぇクセに邪魔だけは一丁前にしてきやがって……」
「既にヤイコたちは囲まれています……。瓦礫のせいで気付くのが遅れました……」
管理室前が膠着する間も、刻々と時は流れてゆく。
このタイミングで現れたモノクマは、白兵戦に秀でた龍田がバーサーカーの襲撃で封じられている隙に乗じて、この場の者を皆殺しにする算段のようだった。
持ち出してきた起源弾で、ヒグマたちの持つ能力を押さえ込んでしまえば、後に残るはただの人間ばかり。
蔓延った太い根の間からイナゴか何かのように同形のロボットが何体も湧き出してきて、身構える彼らを包囲していた。
ランプの光が踊る管理室まで跳び退った龍田は、その間にも再びバーサーカーに襲いかかかられている。
「Arrrrrrr――、thurrrrrrr――!!」
「ぃやッ――!!」
切り立ててくるアロンダイトの剣風を、龍田は薙刀の石突き側で下から跳ね上げる。
両者の得物が共に上段へ振り上がり、龍田の刃はボイラーの高温を受けて赤熱した。
「たぁッ!!」
即座に斬り降ろす龍田の踏み込みは、艦橋から噴射する重油の霧を伴っている。
薙刀の軌跡に沿って爆炎を噴射する即席火砲『紅葉の錦』。
その業火を、あろうことかバーサーカーは『薙刀の刀身を横に蹴って』躱した。
炎は鎧具足の爪先を炙るに留まり、そのほとんどは天井の岩盤に飛んで熱風を煽る。
蹴られたことで体勢を崩した龍田は、そのまま管理室の床の上を転げていった。
「……なんて速さ……ッ!」
剣戟を弾かれた隙に差し込まれた高速の斬り降ろしを、横に蹴り飛ばすほどの反応速度と敏捷性。
それは、強化型艦本式缶で高速化した龍田のそれを上回って余りある。
左の指先から血を枝垂れさせて龍田が立ち上がった時には、もうバーサーカーは足を踏み替えて、彼女の方へと再び突進していた。
身構える間もなく魔剣が頭上に閃く。
しかしその瞬間、龍田は笑っていた。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
龍田川 錦おりかく 神無月 時雨の雨を たてぬきにして
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龍田の頭上を襲うバーサーカーの、更にその頭上から、彼に襲い掛かるものがある。
それは、管理室の一面を埋め尽くすほどの水。
管理室に備え付けられていたスプリンクラーが、先程の『紅葉の錦』にて再び起動させられていた。
しかも、続々と這い回っていた童子斬りの根に荒らされた水道管は、一度通水するやそこここで破断し、天井の一面から叩き付けるような豪雨を成して水を吹く。
つんのめるようにして水を被るバーサーカーの眼に、龍田の左手が鮮血をぶつけながら走った。
「『時雨』――」
縦に真っ赤な4本の線を描きながらバーサーカーの顎先から左の鬢までを捻り上げた彼女の左腕が、そのまま彼の頭部を押さえる。
倒れ込んでくるバーサーカーの右脇から、走り抜けるように逆手の薙刀が背に回る。
薙刀のなかごは、体を捌いた龍田の左膝の上に乗る。
バーサーカーを仰向けに押さえつけながら、龍田の右足は彼の大腿を絡め取った。
「『織り懸け』ッ!!」
身一つに倒れ込みながら、龍田は全体重をバーサーカーに向けて落とした。
頭部を床に押さえつけた左腕は、同時にその肘を、薙刀を持つ右手の上に重ねている。
その薙刀は龍田の左膝の上で刃を晒し、もう一方の右脚は、バーサーカーの下半身を地に落としていた。
――バーサーカーの脊柱は、そのまま椎体の直上に薙刀の刃を喰らう。
落下の衝撃と、てこの原理で増幅された、刃持つバックブリーカー。
滝のような水と共に叩き付けられたその一撃は、その漆黒の鎧を砕き、背骨の間から深々と椎間靭帯まで突き立った。
「urrrrrrrrrr――!?」
「――っく!」
力任せに組み合いを振りほどいたバーサーカーに、龍田は水上へ振り飛ばされる。
――浅かった! 耐久力も戦艦並みなの!?
龍田渾身の投げ技は、並の肉体だったならば脊髄を分断することはおろか、その上下半身を泣き別れにしてもおかしくない威力を持っていた。
スプリンクラーの水が降り注ぐ管理室の地面にふらふらと身を起こすバーサーカーは、見る限り脊髄損傷すら受けてはいない。
常軌を逸した硬さであった。
降り注ぐ滝を警報のランプが赤く染めるその空間で、龍田は同じく水上に身を起こしながら、息を整えつつバーサーカーの状態を観察する。
龍田が眼潰しに叩き付けた血液を拭いもせず眼を見開くその形相には、てらてらと水濡れた長髪が振り乱され、漆黒の鎧にはそこここに傷が刻まれていた。
――傷……?
バーサーカーの鎧には、その表面に無数の傷があった。
しかし不思議なことに、まるで内側から何かに抑えられていたかのように、そこに一切の凹みなどはない。
むしろ注意して見なければ、元からそのような鎚起加工を施されていたもののようにすら見えた。
そこに唯一異彩を放つのは、彼の左脇から胸元にかけて斬りこまれた、5本の爪痕のような傷。
恐らく、それらは全て、地上の戦闘において彼が被ったものだ。
――彼も、無敵ではない。私がもう一度斬りこめさえすれば、斃せる……!
龍田は、雨のように管理室を埋める水の上に立ちながら、その無事な右手に薙刀を振り回した。
対するバーサーカーは、その水中に膝元までを浸からせている。
破断したスプリンクラーは、戦場を大きく龍田に有利なものへ変化させていた。
童子斬りの木片で排水機構が詰まった管理室は、破断した示現エンジン側の壁を越えてその調整用通路の先の奈落へ零れ落ちる水位まで、一面の湖となる。
水上を滑走することこそが本分の艦娘はその速力を大きく上昇させ、また逆に脚を取られるその他の敵は、大きくその機動力を低下させる。
「風吹けば――、沖つ白波たつた山――」
――この瞬間に、決める!!
大きく右手で旋回させる薙刀は風を起こし、龍田の立つ水上に波を生む。
その飛沫を巨大な水柱として巻き上げた彼女の姿は、その内部に消失した。
白い波濤に紛うようにして、彼女はバーサーカーへ走る。
強化型艦本式缶による高速襲撃は、脚を水没させたバーサーカーには、躱しようのないものだった。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「……あなた、起源弾と人海戦術ごときで、私に勝てると思っていたの?」
「布束さん……!?」
「あぁん……? なんだいシノブちゃん、見世物でもするつもりかな?」
管理室が赤いランプと水に埋められていく頃、管理室への入り口を塞ぐモノクマの前に歩み出ていたのは、つまらなそうに両手を白衣のポケットの中に突っ込む、
布束砥信だった。
ただの人間。
STUDYの研究員という肩書はあれど、一般人代表の一人でしかない彼女が無謀にも対峙してきたことに、モノクマは思わず失笑した。
「『寿命中断(クリティカル)』だっけ……? 大層な超能力を持ってるらしいけど、ロボットや銃弾にそれが効くかよ!
よしんば効いたところで、『起源弾』に干渉した時点で、キミは終わりだよ!!」
「……そのSimple little brain(クソ軽い脳みそ)でよく有冨やヒグマを手玉にとれたわねスポンサーさん。
よっぽどLots of luck(幸運続き)だったのかしら。Congratulations(おめでたいわ)」
田所恵や四宮ひまわりが緊張に息を飲む中、事態を飲み込んだ布束はひどく平然とした様子で、容赦ない挑発をモノクマに叩き込んでゆく。
モノクマは、その外皮に苛立ちを表象しながらも、その鼻持ちならない自信の根源をほじくり出して絶望させるべく、布束を問いただしていた。
「ふざけるなよッ!! なんでただの人間の分際でボクに勝てるつもりなんだい!!」
「『令呪』は、その魔力を所有者とは異にしていることをご存知かしら――?」
モノクマの怒声を、布束は静かな声で喰らう。
「間桐雁夜たちが集めた地脈の霊気を一部拝借して、令呪にして身に着けることなど造作もないことよ。
起源弾と相殺したところで痛くもかゆくもない。あなたが私を撃ち殺したところで、関係なく発動するしね」
「なに――ッ!?」
布束が意味ありげに白衣に突っ込んだ両手。
そのどちらかに、令呪が刻まれているとでもいうのだろうか。
データを参照しようとしても、シーナーと分かれてから今までの布束の動向、特に津波が来ると思われた海食洞での動向はモノクマの監視下から外れている。
どこまでが本当のことなのか、布束の言葉はモノクマに見切れない。
モノクマたちが瞠目して布束の手に注目していた、その時だった。
「令呪を以って布束砥信が命ず――。喰い尽せ、『刻印虫』――!!」
布束の『足』が、その背後から何かを蹴り上げていた。
爪先に柄を引っ掛けて振り上げられたのは、間桐雁夜が自身の虫を吐き戻していたバケツ。
未だに活きのいいその虫は、人肉を容易く噛み千切る牙を有している。
通路の天井高くまで跳ねとんだそのバケツからは、肉色の雨のように、親指程の太さがある大量の芋虫が降り注いでいた。
――喰われる!?
――本当に!?
――その前に潰さなきゃ!?
――銃撃は!?
――間に合わない!?
――布束を撃っても無駄!?
降ってくる刻印虫の大群にモノクマたちが一斉に上を向いたその瞬間、爆竹のように銃声が数発連続した。
管理室前面にいたモノクマたちが、一様に顎先から頭部を撃ち抜かれて機能停止する。
「……幸福なディストピアのたまわく、『Shoot first and ask questions later(考える前に撃て)』」
銃声の主は、布束砥信である。
ばらばらと地に芋虫が落ちるその中で、彼女は両手でしっかりと、Dr.ウルシェードの形見であるガブリボルバーを構えていた。
その手の甲には、どこにも令呪の文様など存在しない。
刻印虫は落ちた後も地面でのたうつだけで、特に何もおこらなかった。
もとより単発式の起源弾では、屠れたところで一人二人。
気絶しながら吐血を繰り返している間桐雁夜を外しても、その場の人員は7名もいる。
最初から捨て身の覚悟でいた布束には、何も恐れるところなどなかった。
「行くわよ四宮ひまわり! 爆発する前に、エンジンを停止させる!!」
「……了解!!」
「させるかぁあああっ!! こうなりゃ一斉攻撃じゃぁあああっ!!」
壊れたモノクマたちを踏み越えて管理室の中に躍り込もうとする二人や、通路に残る者たちに向けて、残る数十体のモノクマロボットが飛び掛かっていた。
「……布束特任部長に引き続き、『The more haste the less speed(急くほどに鈍る)』との言葉をヤイコはお送りします」
そしてそのロボットの大半は、空中に咲いた電流の花に撃ち抜かれ、たちどころに機能停止する。
穴持たず81、『電撃使い(エレクトロマスター)』のヤイコにとっては、生半なロボットなど鉄くずと同義である。
「……なぜ起源弾と人海戦術ごときで、ヤイコたちに勝てると思っていたのでしょうか?」
また別の一団のロボットたちは、その爪をヒグマの背中に次々と突き立てていた。
だがその突き立ったように見えた爪は、悉く折れていただけである。
くるりと首を振り向けるそのヒグマの顔には、狂ったような笑みが張り付いている。
「……お帰りなさいませモノクマ様~。ご注文は何になさいますかぁ~?」
「アッ、ハイ、出直します――!」
「本日は石臼挽きソバがお勧めでぇ~す、はいご一緒にィ!!」
怖気の奮うようなドスの利いた声と共に、灰色熊は背面から通路の壁に体当たりをしていた。
起源弾の牽制が外れると同時に、石英のような強度にまで固溶強化されていた彼の肉体は、全身にとりついたロボットを悉く粉微塵にすり潰す。
「クソッ、非戦闘員だけでも仕留めてやる――!」
「ひっ――!?」
灰色熊に敵わないと見るや、そこのモノクマたちは、息も絶え絶えとなった間桐雁夜を抱える田所恵の方へと飛び掛かる。
しかしその内のほとんどは、空中で飛来した数本の包丁に頭部を分断される。
ヒグマの爪牙包丁を投擲していた灰色熊は、慄く恵に向けて叫んだ。
「恵ぃッ!! こいつらは、『チヌ』だッ!!」
「『チヌ(黒鯛)』――!?」
包丁の弾幕を抜けた一匹のモノクマが、空中から恵に向けて拳を振り下ろす。
恵はその姿を見ながら考えた。
――なるほど。これは黒くて、白く光沢を放つ、活きのいい動物だ。
黒鯛なのかもしれない。
うん、よく見れば美味しそうじゃないか。
ならば活きのいい魚を前に料理人がすべきことは、何だ。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
~黒鯛(モノクマ)基本の下拵え~
【材料(1人分)】
黒鯛(モノクマ) 1尾
[道具]
ヒグマの爪牙包丁 1本
(よく切れる安物ナイフや出刃包丁でも可)
【作り方】
1:
「――エラの付け根を、刺します」
「ゲエ……ッ」
「黒鯛は骨が堅いですが、力を入れてエラをこじ開け、アゴを切り離しましょう。
頭部を使わない場合、エラと頭とのつなぎ目をえぐるようにして、バッサリと頭を落とします」
2:
「返す刀でエラ下から包丁の刃を入れ、腹ビレの間を通って肛門まで切り開きます。
腹ビレは硬いので注意しましょう。一直線が無理そうだったら外側を迂回してもいいです」
【トピック】
「あまり深く包丁を入れて内臓を潰さないようにしましょう。
え? 潰した方が好都合? ……なら適当に切り裂いても構いませんけど」
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「できました!! 灰色熊さん、どうすれば良いですか!? 三枚おろし? アラ割りします?」
「よし!! 素材は最悪だから捨てとけ!!」
一瞬にして丁字型に体を分断されていたモノクマは、地面に汚らわしい油と内蔵部品を散らばらせて崩れ落ちる。
ハァハァと息を荒げて興奮していた恵は、数秒後に自分のしていた行動の実際に気付き、驚愕に素っ頓狂な悲鳴を上げていた。
他のモノクマでは、管理室の水上に踏み込む布束と四宮ひまわりを襲う一団がいる。
彼女たちは龍田とバーサーカーの戦闘位置を迂回しつつ、水没しかけたコンソールに向かって浅い水面や木の根の上を全速力で渡っていく。
振り向きながらのガブリボルバーによる布束の射撃を躱しつつ、モノクマが狙っていたのは四宮ひまわりであった。
示現エンジンが崩壊しかかっている今、彼女はパレットスーツを装着することはできない。
引いては、彼女がモノクマの襲撃に対抗する手段はないはず――。
「――対象捕捉:相対的動勢力(セット:レラティブ・キネティクエナジー)」
しかし、ひまわりは布束の後を走りながら、脇に握り隠した何かに向けて呟いていた。
「――自動成長(オートグロース)、刺突(スラスト)!!」
瞬間、ひまわりの背後へ大樹の枝が繁った。
管理室内に入り込んだモノクマたちは一匹の討ち漏らしもなく、その枝先に貫かれて停止する。
彼女が持っていたのは、先程まで間桐雁夜が掴んでいた、切り落とされた童子斬りの根の一本であった。
「……流石ね、もう童子斬りの行動法則を見抜いたの?」
「……まぁまぁ。でも危ないし、もう使わない」
布束の賛辞を受けながら、ひまわりは握っていた根を放り捨てて走った。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「クソッ……クソッ……、せめてこいつらにトドメを……!」
最後に残ったモノクマの残党は、瓦礫の上に崩れ落ちているツルシインとシーナーの元に襲い掛かっていた。
彼らの拳が迫った時、ツルシインは自分の鼻眼鏡を外して、むくりと起き上がっていた。
「よっ」
「――なっ」
そして彼女は、そのふわふわとした前脚で、迫るモノクマたちの体に軽く触れた。
その瞬間、モノクマたちは次々と体内から機械油を吹いて炸裂する。
最後の一体として残ったロボットが、瓦礫の山にその鉄くずが落ちてゆく様子を、震えながら見つめていた。
「ど、どういうことだよ……!? なんなんだよそれ!?」
「『油圧破砕工法』な。駆動部の圧力に過負荷をかけてやって、自壊してもらったわ」
「お、オマエ、その眼、潰れたはずだろぉおおおっ!?」
ツルシインは平然と鼻眼鏡の水晶レンズを毛皮で拭き、再びその白濁した目元に据える。
「己(オレ)は普段から大分、眼の感度を絞っておるからの。眼鏡なしじゃと色々見えすぎて困る。
あんたは眼の一か所を焼かれた程度で失明するかい? ん? せんじゃろ?」
「……網膜光凝固術は、眼科の治療として一般的に用いられている手法ですしね」
そしてツルシインに続き、黒い霧のようにふらりと立ち上がったのは、シーナーである。
モノクマは、壊れた同型機の握っていたトンプソンコンテンダーを掴み直し、その真っ黒なヒグマに向けて構えた。
「このメクラは軽傷で済んだようだが、キミは無事じゃ済んでないだろシーナークン!! キミだけでもここで殺ぉす!!」
そして、モノクマは起源弾を放つ。
純粋な身体能力では一般的なヒグマに劣るだろうシーナーは、その銃弾を避けることは出来なかった。
「……あれ?」
だがその銃弾は、シーナーが避けるまでもなく、彼の足元の地面に着弾する。
拳銃を握っていたモノクマの腕は、何者かに食い千切られていた。
「はぁ!? なんだこれ!? なんだこれ!? はぁ!? はぁッ!?」
「……モノクマさん。あなたは、私の『治癒の書』の発動条件を、根本的に勘違いされているようですね」
狼狽するモノクマに向けて、シーナーがゆっくりと歩み寄っていく。
「……『治癒の書』は、私が五感で認識することがまず『前提として』必要なのです。見ると同時に発動するわけではありません。
なので、私は起源弾を普通に目視しただけの一般的なヒグマと変わりありません」
「でも、でも……! 吹っ飛んでたじゃねぇかオマエぇ!!」
シーナーは、その朽木のような首を傾げ、長い舌をペロリと出して笑った。
「……都合のいい幻覚でもご覧になりましたか? 一度お医者様に診てもらった方がよろしいですね」
「――演技かよぉおおおおおっ!!」
「『喰い尽せ、刻印虫――』」
モノクマの体は、布束が床に散らばらせていた刻印虫によってむさぼり喰われていった。
シーナーが先程から幻嗅や幻聴で誘導していたその芋虫たちは、モノクマのボディを雁夜の肉体だと思い込み、嬉々として喰らう。
なお、田所恵がモノクマを黒鯛だと誤認してその攻撃を行なった際も、実のところシーナーの一助がある。
布束砥信が突破口を作っていなかった場合でも、無力化されたフリをしたシーナーとツルシインは、自分たち二頭で隙を見て攻勢に出る算段であった。
「あとは示現エンジンを止められさえすれば――!」
「間桐さんと――、そして龍田さんは――!?」
モノクマの軍団を殺滅して、通路の端から駆け戻るツルシインとシーナー。
管理室内に身を乗り出すヤイコ。
瀕死の間桐雁夜を抱えたまま震える田所恵と、その彼女をさらに抱える灰色熊。
彼ら全員が、その時の管理室の光景を目の当たりにしていた。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
龍田姫 たむくる神の あればこそ 秋の木の葉の 幣と散るらめ
わたつみの 神にたむくる 山姫の 幣をぞ人は 紅葉といひける
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波飛沫の立つ、湖と化した管理室の端で、布束とひまわりは示現エンジンのコンソールへと辿り着いていた。
童子斬りの侵入だけではエネルギーの減少で済んでいたこのエンジンであるが、童子斬りの本体が朽ちたことで、その出力は100%まで回復してしまっている。
童子斬りの陥入で劣化し、アロンダイトの斬り付けで崩れ落ちてゆく隔壁では、回復しきった示現エンジンのエネルギーを抑えきれなかった。
「原子炉とかいう、発電効率悪い上に停止もできない湯沸かし器とは違うでしょ――? 急ぐわ!」
「龍田は大丈夫――!?」
「航海士と戦闘軍人は役割分担よ!!」
操作画面下のキーボードを高速で打ち込みながら、布束とひまわりは息巻く。
四宮ひまわりが心配の視線を横目で投げる先では、龍田が波濤の裏に身を隠し、今まさにバーサーカーに向けて突撃しているところだった。
時速60キロを超える駆逐艦並みの速力から、彼女はバーサーカーの側方に旋回し、飛び掛かっていた。
一閃に突きかかるのは、兜の防護の無い、彼の左側頸部。
しかし、ギリギリまで攪乱した死角からの奇襲を、それでもバーサーカーはアロンダイトの一振りで受け流した。
「はぁああああぁぁぁぁ――ッ!!」
「Urrrrrrrrァァ――!!」
龍田は引かなかった。
速力をそのままにボイラーを湧かし、タービンを回し、三室の嵐のごとき猛々しさで、機関銃のように薙刀の穂をしごき突く。
水底でバーサーカーの脚は押される。
彼の瞋恚に燃えた眼はしかし、その瞳に真っ黒な湖光を映して、吼えた。
「アァァァァァァァァァァァァァ――!!」
「――!?」
漆黒の剣の閃きは、加速する龍田の薙刀の手数を、さらに上回った。
風にうねる湖畔の陽光のように、清冽な刃音が、龍田の穂先を跳ね上げる。
「サァァァァァァァァァァァァァ――!!」
突き出される漆黒の一刀が、龍田には、自身の命を奪った一本の魚雷のようにも見えた。
被弾のその瞬間。
全身に叩き付けられた激痛は、それを龍田に、『自身の竜骨が微塵に砕かれた』と思わせるものだった。
「あきゃあぁぁあああぁぁあああああああぁぁぁぁ!?」
「龍田ぁ――!?」
示現エンジンの管理室に、この世のものとは思えない絶叫が響き渡っていた。
黒い手袋と長袖に包まれた細い腕が、赤い緒を曳いて宙に刎ね跳んだ。
『無毀なる湖光(アロンダイト)』に付け根から左腕を斬り飛ばされた龍田は、そのままガクガクと痙攣して水上に膝を落とす。
全身の力を奪われた彼女は、そのまま腰が抜けたように、放心した眼差しで下半身から水没してゆく。
左の肩口から溢れ出す真っ赤な血液は、川を流れる紅葉のように水面を彩った。
――轟沈。
『私』は、今の一撃で、間違いなく轟沈していた――。
と、龍田は微かな意識の中でそう思考する。
全身は、魂と切り離されてしまったように麻痺して動かない。
ある種の呪いのようなものだと、彼女はこの現象をそう理解した。
恐らく、『龍』にゆかりのあるものを、悉く破壊するような呪い。
龍田のみならず仲間内でも、天龍、龍驤、蒼龍、飛龍などの艦船はこの剣の攻撃をまともに受ければ、自身の存在の根源にある『龍』を破壊され、一撃で轟沈してしまうだろう。
――斬られたのが天龍ちゃんじゃなくて、本当に良かったぁ~……。
目の前で漆黒の剣を逆手に持ち替え、今にも自分の胸に突き落とそうとしている剣士の姿をぼんやりと見つめながら、龍田が考えるのはただそんなことばかりだった。
半身を水漬かせ、紅葉のような血液を水面に散らしながら、龍田は微笑む。
旅の道中安全を祈願するものとして、古来より神に手向けるものに、『幣』というものがある。
細かく切った綺麗な紙などを散らして神に捧げるものであり、秋の折には、はらはらと山川に散る紅葉の有様を『幣』になぞらえて歌った歌が数多く作られた。
しかしここで、龍田山の紅葉を幣と見た歌人のうちに、ふと疑問を抱く者がいた。
――龍田山の神・龍田姫は、そもそもが風と秋の神だ。
――それならば彼女は、一体何の神に対して、幣を捧げているのか……?
そしてまたそこに、この疑問へ答えを見出した歌人がいる。
――龍田川を流れて下る紅葉は、その先の大海に落ちて、その海を豊かにする。
――紅葉の幣は、綿津見(わだつみ・海)の神に対して、捧げられたものである。
今の龍田個人としては、海神の他にさらにもう一柱、幣を手向けるべき神が存在している。
――この蝦夷地に作り上げられた私に、もう一つの根源を与えてくれた神。
――この地の『山の神(キムンカムイ・羆)』に、私は感謝しなくちゃ……!
龍田の艦橋に燃える強化型艦本式缶が、その水没した船体の裡で静かに湧き立つ。
常の方法とは異なるヒグマの血肉を素材として作られた彼女の艤装は、轟沈しかかった龍田の魂を、今生にしっかりと繋ぎとめていた。
「アァアー……、サァァァァァァァァァ――……!!」
「……『海神の』」
龍田は仰向いたまま微笑んで、管理室を埋める湖水に、脱力した肉体を没させる。
「『幣』」
唐紅の水面に沈みゆく唇がそう呟いた瞬間、その一帯に紅葉が舞い散った。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「龍田ぁ――!?」
断末魔のような龍田の叫びに振り向いていたのは、四宮ひまわりだった。
スプリンクラーの飛沫を浴びながらも布束と共に配管の一本一本を遮断し、エンジン炉心の反応を冷却していた彼女は、コンソールを放り出して水中を渡り始めてしまう。
「あなた!? 何を考えているわけ――!? 死ぬわよ!?」
「龍田が来なきゃ昼前に死んでた!! あと布束さんやって!!」
バーサーカーはもう、すぐにでも龍田の胸に剣を突き刺し、止めを刺してしまうだろう。
間に合わせる。
あの剣士の脚を引っ張るなり腕にむしゃぶりつくなりして、絶対に止めてやる――!
水を吸って重くなった綿入れ半纏をかなぐり捨てて、ひまわりは必死に管理室の湖水を漕いだ。
「間桐さん!! 龍田さん!! 生きとるか!?」
「シ、シーナーさん――」
「とにかく早急に幻視で――……!?」
入り口に駆け戻るツルシインとシーナーに、田所恵の震えた声が届く。
皆まで聞かぬうちに、止めを刺される寸前の龍田を救助すべく、その時シーナーは管理室の入り口前から、『治癒の書』を眼下のバーサーカーに向けて発動しようとした。
しかしその瞬間、彼らの周囲に薄緑色の発光が走り抜ける。
――コケだ。
「おい!? これってキングの――」
「なぜこの階層に苔が侵入してきているのですかと、ヤイコはえもいわれぬ不安感を疑問に乗せます!」
灰色熊、ヤイコ、田所恵がめいめい辺りを見回した時、ツルシインの視界にも、北方にわだかまってゆくどす黒い凶兆が捉えられていた。
ツルシインは慌てて目を瞑り、頭を抱えて呻く。
「し、しもうた……ッ!! まず通信が先じゃ!! ここよりも遥かに北が『凶』! シバとシロクマが狙われとる!!」
「……戦力を分散させられた……!? 先程の襲撃はそのための陽動だったとでも!?」
シーナーは『治癒の書』の使用を止め、ツルシインの発言に従い、急いでキングヒグマからと思われる伝言の内容を再生した。
『彼の者しろくまカフェに起源弾以て結界張る。シロクマ拉致さる。シバと共に攻むるも苦戦予想。応援求む。キング』
その場にいたヒグマ4頭はみな一様に息を飲んだ。
――帝国の指導者3体が窮地に立たされている。
キングヒグマは、示現エンジン周囲で複数の実力者が何らかの侵入者に対処していることを認知している。
しかし、今まで苔を侵入させていなかったその階層にまで通信を送ってくるということは、その対処を捨て置いてでもC4のしろくまカフェへに応援に来て欲しいということに他ならない。
しかも『起源弾の結界』と来ている。
詳細は解らないが、その戦場では超能力や魔術の類が一切使用できないと見て間違いないだろう。
灰色熊、ヤイコ、ツルシイン、シーナーは、応援に行ったところで先程脅されていた状況を再現するかのように、それぞれ自分の最大戦力である能力を封じられることになる。
果たして行ったところでどれほどの増援になれるのか――。
奮戦を嘲笑うかのごとく立て続けに起こる危機の数々に、彼らはもはや歯噛みするしかなかった。
「アァアー……、サァァァァァァァァァ――……!!」
「……『海神の』」
「龍田ッ! 龍田――ッ!!」
その時、正に管理室の中も、火急のきわにあった。
沈みゆく龍田に向けて、ひまわりが手を伸ばす。
「Finally……! 示現エンジン、Shut――、DOWN!!」
布束のタイプするキーボードが、示現エンジンの停止コマンドを実行させたのは、それと同時だった。
がうん、と重い音をたてて、一瞬にして室内の明かりが落ちる。
「『幣』」
その暗澹とした湖面に祈りが手向けられたのも、その時だった。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「……おっと。停電かな?」
島内のあらゆる場所から隔絶され、それでも島内に確固として存在する空間で、空気が一人、そのような言葉を漏らした。
つい先ほどまで、煌々とした照明に包まれていたそのホールでは、林立したガラスのシリンダーの中で数多のヒグマが形作られていた。
「ツルシインたちか……。エンジンが爆発しないよう、そして『彼の者』にこの場所を奪われないように考えて、とのことかな……。
ま、確かに、背に腹は代えられない。……それに、彼女は、この行動が『彼の者』にとっての致命傷になることもわかっているはずだ」
製造の途中で止まってしまった培養液の中のヒグマが分解され、その空間に、姿を持った生物の存在を形作る。
瞬く間に形成されたテーブルと燭台の前に佇む、輪郭の曖昧なヒグマ――、
穴持たず50・イソマは、部下の行なった判断と行動へかすかに微笑んだ。
「……さて、『彼の者』さん。恐らくきみは僕の存在や、この培養槽などを狙っていたんだろう?
次はどういう手に出てくるつもりだい? それとももう終わりかな?」
止まってしまった生産ラインの一部をろうそくの油に固めて、イソマは燃え上がる穏やかなアトムの裡に、来たる日の行方を占った。
【HIGUMA製造調整所・複製(四元数環)/日中】
【穴持たず50(イソマ)】
状態:仮の肉体
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマの起源と道程を見つけるため、『実験』の結果を断行する
0:ヒグマ帝国の者には『実験』を公正に進めてもらう。
1:余程のことがない限り、地上では二重盲検としてヒグマにも人間にも自然に行動してもらう。
2:『実験』環境の整備に貢献してくれたものには、何かしらの褒賞を与える。
3:『例の者』から身を隠す。
4:全ての同胞が納得した『果て』の答えに従う。
5:はて? 割と近いところに、那珂ちゃんのお仲間みたいな子が覗いてるなぁ。ぼくのことに気付くかな?
[備考]
※自己を含むあらゆる存在を、同じ数・同じ種類の素材を持った、別の構造物・異性体に組み替えることができます。
※ある構造物を正確に複製することもできますが、その場合も、複製物はラセミ体などでない限り、鏡像異性体などの、厳密には異なるものとなります。
※ほむらの盾の中で違和感を覚えている球磨のことに気付いて、面白そうに見守っています。
※HIGUMAの生産ラインが、示現エンジンのシャットダウンに伴って停止しました。
※電源さえあれば、再生産は可能かもしれません。
※1日目日中にて、示現エンジン停止により島内が全域停電に陥りました。
※自家発電装置や蓄電池などを備えていない施設の電気設備は停止し、使用不能になります。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
「うっ、うっ、クソッ……! 結局エンジン止めやがった……! 島内の全電源が喪失した……ッ!!」
示現エンジンの存在階層にひっそりと隠蔽された工房の中で、一体のロボットが、真っ暗になってしまった部屋の壁を叩いて呻いていた。
モノクマ――、そして、それを操る江ノ島盾子にとって、示現エンジンのエネルギーを断たれることは、死刑宣告にも等しいことだった。
「しのぶちゃんとか……、そしてあのメクラインさんとかは、絶対わかって止めたよね……。
モノクマちゃんの操作や私様の維持に、多大な電源が必要だったってこと……」
示現エンジンのエネルギーを拝借して島内のモノクマたちを動かしていた彼女が電源を止められれば、確実に行動不能に陥ってしまう。
そうさせぬために、彼女は示現エンジン前のヒグマや人間たちを皆殺しにするつもりだったのだ。
それが叶わなかった以上、もはやその結果は厳然たる事実として提示される。
あとはバーサーカーとの戦いに決着がついてしまえば、この工房にも、灰色熊を筆頭として帝国の実効支配者連中が乗り込んできてしまうことは簡単に想像できた。
しょんぼりとうなだれたロボットは、とぼとぼと戸棚の中から乾電池を取り出し、テーブルの卓上スタンドにセットして、僅かながらも明かりを得る。
「ヒグマの生産にもエンジンのエネルギーを使ってるだろうから、私様が計画してた生産拠点のっとりもオジャン。
深雪ちゃんへのオシオキとか、まるっきり無意味だったぢゃんねぇ~……」
そしてロボットはそのテーブルの上に紙と筆を取り出し、重々しく文字を書き連ねていく。
「かくなる上はもう、私様は遺書でも書くしかないよ……。絶望だよ……」
電球の明かりの中でうなだれるモノクマは、そう呟きながら筆を置いた。
そしてその手は、卓上スタンドの明度調整ダイヤルの方へ伸びる。
この明かりを消してしまえば、あとは彼女は死を待つのみ――。
「……なーんて」
モノクマの手は、そのダイヤルを、『OFF』の方向とは逆に回し始めた。
「この江ノ島盾子ちゃんが言うと思ったかぁあ!? この程度のことで絶望とかぁあ!?
そらぁヌルイっすよ! 白熱電球から蛍光灯に変えた後の勉強机の天板温度くらいヌルイっすよ!!」
ダイヤルの可動域を超えてぐるぐると回し続けられた照明は、電球が作り出せる明度の限界を超えて、フィラメントを一瞬にして焼き切らせてしまった。
「……煽り文や前段落のヒキだけで、ハッピーエンドが確定したと思うんじゃねぇぞオマエラ……。
さぁ……、見届けてやろうじゃねぇか……、龍姫と愉快な仲間たちの雄志をよ……」
再び暗黒に落ちてしまった工房の中には、気味の悪い笑い声だけが、ひそやかにこだましていた。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
夜のように真っ暗になったその空間に、吹き上がる紅白の明かりが見えた。
水面から紅葉色の龍のように吹き上がったその眩い光――。
それは、龍田の艤装から噴き出されたものだった。
――水蒸気爆発。
四宮ひまわりがその現象の正体を認識した時、爆音と突風が彼女の身を襲っていた。
「ひゃ、ああぁ――ッ!?」
爆心地の直近にいた彼女は、その煽りを喰らって水面から吹き飛ばされる。
そのひまわりの手は、空中で誰かにそっと掴まれた。
「――んもう。任せてって言ったじゃない~♪」
「た、龍田っ!? 無事だったの!?」
ひまわりを抱えて入り口近くの水上に着水した龍田が、口に咥えていた薙刀を外して笑っていた。
指向性高圧水蒸気曝射攻撃・『海神の幣』。
龍田の背部艤装直下で、一瞬にして加熱させられた大量の水が突沸を起こし、彼女の脚元方向にいたバーサーカーに向け、避けようもない近接位置から爆風を叩きつけていたのだった。
龍田自身はその反動で後方宙返りから転身し、ようやく感覚の戻ってきた体で、同じく吹き飛ばされていたひまわりの身を確保していたのである。
「私はね~、もう『事故』はこりごりなのよ~。だから、せめて今生くらいは、上手くやってみせるわ~」
「『事故』……!?」
龍田は、ひまわりを床に立たせ、頭部に浮いている艤装のリングを口に咥えた。
そして彼女はそのまま、切断された左腕へ赤熱した薙刀の刃を押し当て、自ら焼灼止血を行なってしまう。
肉の焼ける痛みと異臭を、龍田は涼しい顔で、リングを噛む奥歯に堪えさせた。
「Fine……! 龍田も四宮ひまわりも無事ね!! You did it!!」
管理室外の通路から僅かに差す薄緑の光で、布束が二人の無事に快哉を叫んだ。
静けさを取り戻した暗い水面に、もはやバーサーカーの姿はない。
「よぉし、良ぉやって下すった!! とりあえずこの場は安心じゃ!!」
「ヤイコは皆さまの雄志に感激と賛辞を押さえられません!」
「……早急に、キングさんへの支援方法を考えねばなりませんね」
「ちょい待ちシーナー。この通路の奥が、オレの突き止めた『彼の者』の本拠地だ。ここの全員でそこ叩いた方がむしろいいんじゃねぇか? なぁ?」
薄いコケの明りに包まれた管理室入り口で、4頭のヒグマは口々に呼びかけてくる。
止血を終えた龍田は、駆け寄ってくる布束砥信に四宮ひまわりを託して、共に入り口の方へ彼女たちを差しやる。
「……ひまわりちゃん。私は、『事故』で大事な仲間の命を奪ってしまったことがあるの。
だから、あなたが必死になる気持ちはよ~くわかるし、私は、もう『事故』を起こさないよう、よ~く準備したの。 今回だって、大丈夫だったでしょう? 私を信頼して?」
「龍田――……!」
龍田の語り掛けに、ひまわりは息を詰めた。
震える手で、彼女は龍田へと指先を伸ばす。
「……ね?」
「――龍田ッ!!」
瞠目するひまわりが叫ぶ先で、漆黒に沈んだ湖水が、盛り上がっていた。
微笑む龍田の背後に、音もなく黒い双眸が立ち上がっている。
水濡れた鬼神の如く振り被る腕には、鈍い輝きを帯びた剣が、大上段に据えられている。
――バーサーカーは高まったその敏捷性を以って、水蒸気爆発の衝撃を、管理室の湖底に沈むことで緩衝していた。
「アァー……サァァァァ――ッ!!」
無防備に背中を向けた龍田の白いうなじに向け、無毀なる湖光がその刃を落としていた。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
――潜水艦には、近づいて欲しくないわね~。
もし龍田が、潜水艦についてどう思うかと尋ねられれば、彼女は恐らく、『潜水艦』と書かれたてるてる坊主を引き千切りながら、笑ってそう答えるだろう。
龍田は、1944年3月13日、サイパン島への輸送作戦のさなか、八丈島沖で米潜水艦サンドランスの雷撃により轟沈させられている。
潜水艦、潜水艦、潜水艦――。
みんなみんな潜水艦に――。
龍田の戦友である艦船たちは、何隻も何隻もそうして沈んでいった。
――だから、近づいて欲しくないのよ~。
自身の戦友である潜水艦を、彼女はそうして沈めてしまった。
――1924年3月19日。
数え6才といううら若き年に、龍田はその生涯に渡って心に刻みつけられる『事故』を起こした。
彼女は佐世保港外で演習中に、「第43潜水艦」と衝突事故を起こしたのだ。
この事故で「第43潜水艦」は沈没するも、なんとか7時間後に内部との通信が取れ、全員の無事が確認された。
龍田はほっと胸を撫で下ろした。
――良かった~。みんな助かるのね~。
そう呟いた彼女に、鎮守府の苦々しい声が届いた。
――潮流が速すぎる……? ねぇ、何を言っているのかしら? ねぇ、早く助けなさいよ。
――助けてあげてよ――……。
水深30メートルの海底。
佐世保沖を走る急流は、1日2日程度の時間では沈没した潜水艦を救い上げることを、許さなかった。
13時間後に、酸素の尽きた「第43潜水艦」との通信は途絶えた。
彼女が水底から引き揚げられたのは、一か月後だった。
乗員45名、全員が死亡した。
それでも彼ら乗組員はみな、死の間際まで静かに、己の職務を全うして過ごしていたことが、後にわかった。
――君に捧ぐる身にしあれば♪
――誰か命を惜しむべき♪
――されば千尋(ちひろ)の海底(うなぞこ)に♪
――君の御艦(みふね)を守らんと……。
――やぁんっ♪ 私の後ろから急に話しかけると、危ないですよ~?
だからもし龍田に、潜水艦が近づいてこようとしたなら、彼女は恐らく、『潜水艦』と書かれた己のはらわたを引き千切りながら、笑ってそう答えるだろう。
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
ちはやふる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
三式水中探信儀――。
艦隊これくしょん作中最強のアクティブソナーを、龍田はその身にしっかりと携えていた。
もう、事故はこりごりだから――。
背後から水底に迫るバーサーカーの存在を、彼女はしっかりと背中で見ていた。
だから彼女はそのまま、自分に向けて叫ぶ四宮ひまわりへ、微笑み続けていた。
――バーサーカーは知らない。
如何に彼が『無窮の武練』と呼ばれるほどにまで様々な武器と戦術に精通していても。
如何に彼が聖杯から現代の知識をもたらされていても。
そこには日本固有の伝承技術は記録されていない。
――薙刀には、『背を向けて退却する』という『攻撃』技術がある。
隙だらけのうなじに向けて振り下ろされた湖光の閃きは、そのまま龍田の首に紅葉を散らし、彼女の命をくくり染めにして沈めんとしていた。
その刃にしかし、左の首筋から擦り上がった薙刀の柄がかかる。
龍田の体は、湖上の渦のように回っていた。
石突き側からするりと、バーサーカーの剣圧はまるで水を切ったかのように何の抵抗もなく、前へと引き落とされていた。
無毀なる湖光――。
決して刃毀れせぬ硬さを持つその剣に対して、龍田の持つ薙刀もまた、決して刃毀れせぬ輝きを有していた。
天下水より柔弱なるはなし。
而れども堅強を攻むるは能くこれに先んずるなし。
その之を易(か)ふる無きを以てなり。
老子の言葉は、龍田の由縁を歌った一首の和歌にも、詠みこまれている。
――唐紅に水くくるとは。
この『水くくる』は通常、『龍田川の神が、紅葉を以って真っ赤に川水をくくり染めにした』と解釈される。
しかし、この和歌が作成された当時の日本では、『水くくる』を、『水くぐる』と発音していた可能性も高い。
くぐる――、つまり『潜る』という意味でこの歌を解釈した場合、果たしてそれはどのような意味となるか。
『数多くの血が破れ流れた神代でも聞いたことのない想像を絶する状況――、自身の川面が真っ赤に埋め尽くされるような時においても、龍田川の水は変わることなく、その唐紅の景色をかいくぐって流れるのだ』
柔らかく弱い水はむしろ、その本質の不変性において、堅く強いものを遥かに凌ぐ。
水は、紅葉に括られ、染められる存在ではない。
無毀なる水流はむしろ、その血潮のような環境を潜り抜け、鬼神をも攻め立てるような、攻撃的な存在である。
――だから、近づいて欲しくは、なかったのよ?
前方に崩れゆくバーサーカーの顔と、回りながら向き直った龍田の顔は、触れ合うほどの距離にあった。
艦橋に灯る舷灯が、内燃する強化型艦本式缶と共に、水面へ一振りの秋水の如き光を映していた。
もし時と場所が違えば、この光景は、舞踏会にて踊る一組の男女のようにも見えていたかも知れない。
――『強化型艦本式』。
ヒュウと一陣、甲高い笛のように風が通り過ぎる。
――『神くくる水』。
踊る仕草の雅で、龍田の右手が大きく旋回させた薙刀の刃は、バーサーカーの胸を叩き割っていた。
彼の鎧に刻まれた5条の爪痕のひとつを深々と哆開させ、肋骨を砕き、肺を断ち、胸骨に至って止まる。
バーサーカーの口が喀血を吹いた。
彼はそのまま、龍田の胸に力なく崩れ落ちる。
振り下ろされていた無毀なる湖光が、その湖面に融けるように消え去っていた。
「……美事」
彼は龍田の胸元で、静かに笑いながら呟く。
「我が王にも見紛う……、お美事な、腕前でした――……」
「……なぜ、最後に斬りかかって来たの……? だって、あなたはあの時、もう――」
「あなたと……、最後まで手合せをしたかった……。カリヤにも、皆様にも、ご迷惑をおかけしましたが……」
バーサーカーとしてその眼を曇らせていた混沌は、ランスロットの体から消え去っている。
龍田には、掻き抱く彼の体が、薙刀を叩き入れる遥かに前から、既に致命傷を受けていたことがわかった。
内臓も、筋肉も、ヒグマの打撃と童子斬りに荒らされ続けていたその肉体は、アロンダイトが魔力を喰らっていくにつれ、通常よりも遥かに早く、彼にサーヴァントとしての死をもたらしていた。
もし仮に、ランスロットが万全の状態でアロンダイトを抜いていたとしたら――。
その場合、龍田は彼の最初の奇襲において、その体を示現エンジンごと真っ二つに両断されていたことだろう。
消滅の寸前に、バーサーカーからはその『狂化』のスキルが消え去る。
次第に自我を取り戻していたランスロットには、目の前の少女が、自分の追い求めた理想ではないことも、解り切っていた。
それでも、曇った眼に映った幻想は、彼が聖杯に夢見た程の、願いであった。
「ですが……、あの娘たちや、あなたの命を奪わなくて、良かった……。そこだけは、騎士としての矜持を捨てずに、済みました……」
「『あの娘』……?」
「あなたの宝具の一閃が私の曇りを払った時……、黒と、ピンクと、オレンジの、ドレスを纏った娘たちが、私と戦っておりました……」
管理室の入り口で身じろぎもせず、4頭と3人は龍田とランスロットのやり取りに食い入っていた。
その彼の言葉に、布束とヤイコが僅かに反応する。
「……誰も、殺してはいないの?」
「フフ……、いいえ。男はかなりの人数、討ち取ってしまいました……。なにせ私はこの通り、円卓の騎士でも最強ですので……」
龍田の肩を掻き抱き、龍田の胸元に顔を埋めて、ランスロットは微笑みながら消えて行く。
「愚かな私を……、どうか叱って下さい……、アーサー、王……」
家に居れば、愛する人の胸に抱かれて、優しく諌められていたであろうに。
霞のように彼の声が消え去った後には、ただ広漠とした暗い湖面に、淡く緑の光が揺蕩っているだけであった。
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皆々様よ永久に幸あれよ我(われ)は笑つて死につけり
(第43潜水艦乗組員の遺書の一文)
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時はわずかに遡る。
「あ、あ、あ――……」
「urrrrrrrrrrr――!!」
彼女の目の前にはその時、天に向かって吠える、一人の狂戦士がいた。
もはや叫ぶ声も枯れ果てた
夢原のぞみが呆けた目で見据えていたのは、その男の足元に散らばった、彼女の友人の肉片だった。
「キリ、カ、ちゃ――……」
その腕に、必死の思いで助け出した那珂ちゃんの体を抱え、彼女はふらふらと、真っ赤な血だまりに浮く
呉キリカの肉片の元へとにじっていく。
顔も、腕も、胸も腹も、ことごとく断ち割られて内部を曝け出した酸鼻な様相の彼女の上へ。
夢原のぞみは、自分の衣装が血に浸るのも構わず、それでもキリカの体を守るかのように、その身を寄せていた。
「Ar■■■■――……」
そのキュアドリームの動きに気付いて、バーサーカーはその髪を振り乱し、足元に寄って来た彼女を見やった。
「ねぇ……、あなたは、どうしてこんなことをするの……? あなたに、何があったの……?」
「A――……?」
蹲って震えるキュアドリームの手には、最後までキリカが差し伸べていた、彼女の手首が握られている。
もうその体とも繋がっていないキリカの手に額を寄せて、血だまりの中に涙を落としながらのぞみは尋ねた。
「こんなひどいことをしたくなるほど、あなたは辛い目にあっていたの……? 私たちの話だったり、歌だったりじゃ、ほぐしてあげられないほど、辛かったの……?」
「ur――!?」
その問いが絞り出された時、バーサーカーの表情に動揺の色が過った。
幽鬼のような形相の剣士は、キリカを屠った魔剣を右手に携えたまま、その蓬髪を掻き毟って唸る。
「A、A、Ar――……」
のぞみが顔を上げた先で、彼はたたらを踏み、頭を抱えて呻く。
その様子に、のぞみは畳みかけるように叫んでいた。
「ねぇ!? 誰なの!? 誰だったら、あなたの心を、元に戻してあげられるの――!?」
「Arrrrr――thurrrrrrr――!!」
その問い掛けを喰らうように、狂戦士の慟哭が空に伸びた。
瞬間、そねくりかえった男の体は、猛獣のように躍り上がる。
どす黒いその魔剣の刃を陽光に吸わせて、彼はのぞみの頭上にその刀身を振り下ろしていた。
「――ッ!!」
のぞみはその瞬間、涙を散らして、那珂ちゃんとキリカの体を自分の下に抱え込んでいた。
切り落とされたキリカの手を強く握って、自身に剣が突き立つその時を待った。
そしてのぞみは、ふと気づく。
キリカの白い指先には、今まで彼女が持ってはいなかったものが嵌っていた。
――青紫色の小さな宝石が嵌った指輪。
のぞみの握り締めたその身の下で、その宝玉は一瞬輝き、そして指輪と共に霧のように消えていた。
「えっ……?」
「urrrrrrrr――!!」
剣が空を切った。
けたたましい金属音が響いた。
地が抉れ、ばらばらと石礫が吹き飛んでは落ちた。
だが、呆然と顔を上げたのぞみの体には、その魔剣はかすってすらいなかった。
「……黙って聞いてればさぁ――、人生相談か何かかっての」
のぞみの前には、黒い燕尾服を纏った少女が立ちはだかっていた。
その両手には5本ずつの鋭い鉤爪が形作られており、体の左脇へ傾斜を成すようにして構えられたそれが、ランスロットの魔剣を地に受け流していた。
「Ar――……?」
「十手の一手だ!! さぁ、逃げよう!!」
「キリカちゃ――!?」
立ち上がったのぞみの手が、握り込んでいたキリカの手の代わりに、その少女に掴まれる。
眼帯を身に着け、不敵に笑うその少女は、呉キリカではない。
頭の両脇でお団子にしたその髪と、魔法少女の衣装のそこここで覗く艤装の部品が、彼女のアイデンティティを辛うじて示していた。
「八つ当たりなら、よそでやりなッ!!」
「ur――!?」
黒い衣装を翻す少女はバーサーカーの左に滑り込みながら、振り上げた爪を彼の鎧に叩き付け、その鎧に5条の鋭い傷跡を刻み付ける。
彼女は、反対の手に夢原のぞみを掴んだまま加速した。
――『速度低下』。
魔法陣を踏んで跳びながら空中で向き直った少女の顔を見とめ、のぞみは彼女の正体に驚愕する。
「な、那珂ちゃん――!?」
「言っただろのぞみ? とっておきがあるって。とりあえずは上手くいった!」
彼女の肉体は間違いなく、川内型軽巡洋艦の艦娘・那珂ちゃんのものである。
その声は幾ばくか鋭く、その口調はぶっきらぼうなものとなっているが、魔法少女衣装の下で回るタービンも、ブーツの脇から風を吹く煙突も、間違いなく彼女のものだ。
しかし、今、那珂ちゃんの体を駆動させるエンジンは、彼女ではない。
瞬間の段取りで、形に意志を降ろしたその魂こそ。
「……キリカちゃんなんだね!!」
「ああ、一か八かだったが、これで『三人』全員だ!!」
軽巡洋艦・那珂に乗り込んだ呉キリカは、過たず彼女の機関を駆動させている。
元々が建造された肉体に魂を降ろされた彼女たち艦娘の肉体は、バーサーカーの宝具に侵食されたことでさらにその係留を緩ませ、キリカの魂がそこに食らいつける程の余裕を生むようになっていた。
「Arthur――……。Arrrrrthurrrrrr――!!」
彼女たちの背後で慟哭するバーサーカーの声に、のぞみは振り返っていた。
荒野の上で、彼は強大な剣閃が通り抜けた彼方の空を望み、そして霞のように消え去る。
彼が立っていた場所には、カラン、と微かな音を立てて、小さな首輪とデイパックだけが落ちていた。
「ランスロットさん……」
その首輪に刻まれていた名前を思い出し、のぞみは口の中で微かにそう呟いた。
【バーサーカー(ランスロット)@Fate/Zero 死亡】
※B-7に、ランスロットの首輪と、デイパック(基本
支給品、ランダム支給品1~2)が落ちています。
最終更新:2014年11月19日 00:01