「……ミッション・コンプリート」

 司波達也は、そう呟きながら、崩壊したしろくまカフェの上空で自らの妹の体を再生させていた。
 妹である司波深雪――穴持たず46・シロクマは、ムーバルスーツに身を包んだ兄の姿を見開いた目で見つめ、そして、眼下の光景に視線を落とす。

 自分と兄のために作り上げたカフェは、群がっていたモノクマたちとともに跡形もなく瓦礫となり、そして、その遙か向こうには、焼け焦げたヒグマの肉体が転がっている。
 カフェの跡を挟んだその反対側にもだ。
 彼女を助けに駆けつけてくれたヒグマたち――、キングヒグマと、ツルシインだった。

 爆心地には何も残ってはおらず、瓦礫は周囲に飛び散り、一帯は一切の生命の気配がしない空間となってしまっている。
 シロクマの感覚はそこから、言いようのない恐怖と不安と罪悪感とを司波深雪の身に抱かせていた。

 目を落としたまま戦慄いているシロクマの様子に、達也は不思議そうに声をかける。


「……どうした、深雪?」
「なんで……、なんで。あんな広範囲を破壊する技で、彼らまで巻き込んだんですか!?」


 達也は、シロクマの言っている意味が分からず、首を傾げた。

「それは、やつらがヒグマだからだよ。別に、彼の者の掃討に巻き込んだところで、深雪にはやつらの生死など関係ないだろう」
「だっ、だって……! キングさんは私を真っ先に助けに来てくれて……!
 お兄様が私の危機を知ったのも、彼の能力あってのことでしょう!?」
「そうかも知れないが、俺たちが高校生活に戻るに当たっては全く無関係で無意味だ」
「私はもう、純正な人間じゃありません……! 魔法演算領域も、純潔も壊されて……。この期に及んで前の生活に戻るなんて……」


 ベアマックスというロボットの白くモコモコとした巨体に包まれたまま、シロクマは再生している両腕で顔を覆った。
 司波達也は、その妹の挙動をいまだ理解しかねて、眉を上げたまま答える。


「……別に、あんなものは俺が今から再生魔法をかけてやればどうとでもなる。
 深雪の魔法演算領域や、手術の痕跡やなんかも、帰った後でゆっくり元に戻せばそれで済むさ」
「それで――! まるっきり元に戻るっていうんですか!?
 お兄様さえも――!?」


 シロクマは、空中に泰然と佇むその兄の姿に向け、悲痛な叫び声を上げた。


「私たちのやってきた所業や生活が、元に戻るわけないじゃないですか!!
 国を裏切ってお兄様を拉致し、STUDYに入り。
 STUDYを裏切ってヒグマ帝国を建て。
 ヒグマ帝国を裏切ってあの女と繋がって……」
「……それは全部深雪の所業じゃないのか」
「全部、お兄様のためにやっていたんです!!」
「……揉み消せばいいじゃないかそんなもの」
「そんな……」

 司波達也は、ほとんど何の感情も見えない冷たい目で、シロクマに向けてそう言った。
 シロクマは、そんな兄の言葉に、知らず知らずのうちに涙を流していた。


「……お兄様は、完全に、元に戻ってしまったというのですか……?
 喜怒哀楽の感情のない、かつてのお兄様に……」


 司波深雪の今までの行動は、全て、自分の兄に、感情を取り戻させたいが故のものだった。
 自分を決して女性として見ることのなかった兄に感情を与えるべく、ヒグマとの融合をさせた。
 高校や国家への口利き。
 STUDYの有富春樹への取り入り。
 ヒグマ帝国指導者陣との秘密裏の設営。
 江ノ島盾子との接触。
 そのために彼女が費やしてきた労力と時間、立ち回りの危険さは、計り知れないものである。
 そして今となっては、どう考えてもそのまま以前の生活に戻るには、彼女たちは道を踏み外しすぎていた。

 国防兵器を連れ出したのだ。
 司波達也自身はまだしも、司波深雪は咎を免れまい。
 そこで達也がまた短絡的にいざこざでも起こせば、すぐに身分は実験動物に格下げだろう。
 そうでなくても甚だしい白眼視は免れず、今まで通りの暮らしなどは到底ありえない。


 司波深雪は、その覚悟全てを織り込み済みで、シロクマとなった。


 破られ、砕かれた司波深雪の処女性は、確かに今まさに、肉体としては再生されてきている。
 彼女の肉体に刻まれた『HIGUMA』としての要素も、司波達也がそうしたように、取り除けるのかも知れない。
 だが、処女性よりも遙かに前にあっさりと破壊されていた魔法演算領域は、果たして回復するのか。
 自ら踏み壊し、捨て去ってきたかつての生活など、回復するはずがあろうか。


 記憶の障害があったとはいえ、感情の片鱗を自由すぎる形で表していたシバが、完全に、もとの司波達也に戻ってしまったとなれば。

 ――それは、今までの彼女の努力が、水泡に帰すということを意味している。


「ハハ、なんだ、そんなことか」


 司波達也は、妹のそんな言葉を聞き、おかしそうに肩をすくめた。


「大丈夫だ深雪。俺はきちんと自分のしてきたことも覚えているし、深雪が教えてくれた感情も身につけている」
「本当ですか――!?」

 司波深雪の顔は、その一言でとたんに明るくなる。
 司波達也は、彼女へ満足げに頷き、微笑みかけながらその肩に手をおいた。


星空凛は最高だな深雪。心が豊かになる」


 その言葉の理解を、シロクマは無意識下から拒絶しようとした。
 しかし、彼女の兄は微笑みながら、なおも言葉を紡ぎ出していった。

「アイドルはいいものだな。生まれて初めて恋愛感情というものの何たるかを学んだ気がする。ありがとう。
 クックロビンも、見所あるラブライバーだ。
 ああそうだ。あいつくらいは一緒に島外に連れ出してもいいかも知れないな」

 司波達也はそしてスマートフォンを取り出し、そこに映っているカードの柄を見せた。


「ほら、見てみろ。エリーチカのSRもあるんだぞ。
 深雪を助けに行く前にチケット回したら当たった!
 ヒグマになっていたせいで日本円が手持ちにないからまだ無課金だが、帰ったらもっとアイドルのために回せるぞ、深雪!!」


 彼はそれを、心底嬉しそうにシロクマへ報告した。
 シロクマが、記憶喪失の兄をなんとかケアして、楽しんでもらおうと画策した手段の結果の一つが、それだった。

 しなくていい報告だった。

 するべき報告は、連絡は、相談は、いろんな者に対して、いろんな物があったはずなのだが。
 司波達也は、それらを踏み倒して、そんなことをシロクマへ報告していた。


 妹は、いつまでも妹に過ぎなかった。
 兄にあれほどまでに抱いてほしかった恋愛感情は、画面の中の、別の女に向けられていた。


『……汚らわしい……。都合のいい空想の女子の尻を追うような者どもの気持ちなんか、解りたくもありません……!』


 かつてキングヒグマに向けて言い放った自分の発言が、司波深雪の脳にはぐるぐると渦巻いていた。

 自分の兄は、自分の所業のせいで、その『汚らわしい者ども』と同列の存在に成り下がっていた。
 そしてやっぱり、ヒグマ帝国内で円やウェブマネーを稼ぐなど無理だったではないか。そもそも貨幣経済なんてここにないんだから。
 なぜこんな兄の言葉に、自分はあの時、手放しに賛同してしまったのか――。
 そんなことならむしろ、元に戻ってくれた方がマシですらあった。
 元に戻っても、戻らなくても、司波深雪の願いに突きつけられる結果は、絶望だけだった。


「そうだ深雪。帰ったら一緒にコンサートに行こう」

 やめろ。

「会場の者はみんなラブライブのファンだ。きっと楽しいぞ」

 やめてくれ。

「あ、帰る前にここの島で聞いてもいいな。今地上でクックロビンがテーマパークを作ってるはずなんだ――」

 お願いだから、これ以上、こんな壊れたお兄様の姿を見せないで――!!


 司波深雪がそう願った瞬間、目の前で笑っていた兄の口から、真っ赤な血液が迸っていた。

「……え」

 そう呟いた瞬間、シロクマは自分の下腹部にも、焼けるような痛みが溢れていることに気づく。
 背後のベアマックスの浮力が、途切れるのがわかった。

 司波達也たちはほとんど一塊となって、そのまま地面へと落下していた。


    ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


「ガッ……、カハッ……!?」
「お、お兄、様……!?」

 残存していたベアマックスのボディがクッションとなり、二名は地面に落ちてなお、その息を保っていた。


 シロクマは、目の前で仰向けに倒れる兄の様態に驚愕する。
 その、たいていの魔法にすら耐性を持つムーバルスーツを纏っている胸には、ぽっかりと大きな穴が開き、内部の心臓や肺門が消し飛んだ風穴となっていた。
 どくどくと鮮血が流れ落ちてゆく中、司波達也には自動的に自己修復術式が発動する。


【胸部臓器全損 心肺機能代償不能 出血多量を確認】
【生命機能維持困難 許容レベルを突破】
【自己修復術式/オートスタート】
【魔法式/ロード】
【コア・エイドス・データ/バックアップよりリード】
【自己修復――完了】


 そして自己修復が完了した彼の体は、そのままだった。

「なっ――」

 そのままだった。
 胸に大穴が開き、依然として心臓と肺が消し飛ばされた状態で、彼はどくどくと血を流している。
 シロクマの驚きの前で、再度自己修復術式が発動する。
 だが、司波達也の死亡寸前の状態は全く変わらない。


【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】
【自己修復術式/オートスタート】


 バグを起こしたプログラムのような、抜け出すことのできない永久ループに、彼の魔法演算領域は埋め尽くされていく。

 ――バックアップしていた、万全な状態の彼のコア・エイドス・データが、彼の現在の状態と同じように、破壊されている。

 衛宮切嗣の、起源弾の効果だった。
 ムーバルスーツの防御力の源も、バックアップデータも、ことごとく『切断』され、てんでバラバラに再『結合』されていた。

 司波達也は気力を振り絞り、再生と死亡のわずかな間隙で、残存する演算領域を妹の方への再生魔法行使に用いる。
 シロクマもまた、下腹部に大穴を開けられていた。
 それは、背後のベアマックスの丈夫なボディに緩衝されてなお、の損傷である。
 ベアマックスの白い体は、ほとんどが穴になってしまっており、ドーナツというよりもむしろ、白い輪ゴムの残骸といった方が正しいような、五肢が輪郭で繋がっているだけの姿になっていた。

 なぜ、周囲から狙われ放題の上空で、司波達也は再生魔法などを行使し始めたのだろうか。
 恐らく、目の前の敵を倒したため、拠点を制圧完了したのだと、思いこんだのだろう。
 慢心。
 そして、環境の違いだった。


「……いや~、大言壮語なさるお兄様には、いつ現実を突きつけてやろうかとずっと楽しみに待ってたんだけどね。
 ま、自尊短児。吊り橋なんかそもそも渡るな。相手が勝ち誇ったとき、そいつは既に敗北している。ってことかな。
 ちょうどいい感じで深雪ちゃんの絶望フェイスがもらえたんで、ベストショット! いただきました~」


 その場に、いやに陽気な声が響きわたった。
 体の半分ずつが白と黒とに塗り分けられた小熊のロボット――モノクマが、笑いながらシロクマと司波達也にカメラを向けていた。

「あ、あ、あなっ……、な、なんで……」
「はいはいは~い、絶望的な種明かししてあげるよ~。
 まず始めに、ボクのした攻撃手段のことからかな~」

 シロクマの戦慄きに、モノクマは、先ほど自分が歩いてきた、しろくまカフェから遙かに離れた瓦礫の周辺を指さす。


「あそこ見える~? あ、見えてもわかんないかな?
 お兄様が散らかしてくれたお陰で、他の物品と同じスクラップにしか見えないもんね。
 いや~、やるだけやりっぱなしで片付けのできない男ってサイテーだよね~」
「ぎ、『擬似メルトダウナー』……!?
 でも、だって、あれは、そもそも島の電気が落ちた時点で、ただのデクの坊じゃ……!?」
「不勉強で遊んでばっかいたお兄様はそう思うだろうね~。
 でも深雪ちゃん、キミは気づいても良かったんだぜ?」


 シロクマは、自分と兄を穿った攻撃が、STUDYに配備された四足歩行ユニット・擬似メルトダウナーの砲撃によるものだとまではわかっていた。
 そして、この大威力の『原子崩し(メルトダウナー)』を放てる性能を有するのは、恐らく、小佐古研究員が自分専用にカスタマイズしていた機体であろう。

 布束砥信の『HIGUMA特異的麻酔針』。
 有富春樹の『HIGUMA特異的致死因子』。
 桜井純の『白い貝殻の小さなイヤリング』。
 関村弘忠の『艦娘建造ノ書』。
 斑目健治の『擬似メルトダウナー斑目カスタム』。
 小佐古俊一の『擬似メルトダウナー小佐古カスタム』。

 役に立つものかどうかはさておき、STADYの主要研究員は、それぞれが独自かつ、半ば秘密裏に、ヒグマに対抗するための切り札を開発していた。
 しかし中でもその擬似メルトダウナーは、ついさっき、示現エンジンが停止したことによると思われる停電で、使いものにならなくなっているはずであった。
 それどころか、ここにいるモノクマ自体、すぐにでも機能停止していておかしくない。
 だが事実、これらは先ほど司波深雪の会陰部に、平気で『電動』ドリルを突き立てたりすらしている。
 そしてメルトダウナーには――。


「あっ」
「……気づいたろ? キミは放送室で見てるし。
 擬似メルトダウナーには、一発以上撃てるだけの予備燃料が積んであるんだよおバカさん」

 そして恐らく、モノクマはさらに、自分たちを稼働させて余りあるだけのバッテリーか何かを保有しているのだ。
 だから誰かがモノクマの打倒を狙って行なったのだろう全島停電にも、これらは慌てる様子なく、シロクマに対する拷問を続けていたのだ。

 司波達也は、大量の武装を有しているだろうモノクマが、自分たちのボディだけで肉弾戦を挑んでこようとしていた時点で。
 いや、それよりももっと前から、『起源結界』などというとんでもない代物が開発されている時点で、敵戦力をどれだけ警戒してもし足りなかったのだ。
 起源結界および起源弾において、『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』の損傷を仄めかされ、それを封じられてしまえば、もはや意識外からの光速の攻撃は避けようがなかった。

 記憶喪失時分の工作品であるグリズリースーツやベアマックスを引っ張り出してくる暇があるなら、『精霊の眼(エレメンタル・サイト)』を封じられた分、忍術を使ってもうちょっと敵地周辺を落ち着いて探索しても良かったかもしれない。
 もしくは、折角記憶喪失時に学んだ遊戯王を活かして、不意の事態にも対応できるよう、速攻魔法や何かを袖口に伏せカードとしておいても良かったはずだ。


「……キミはただのエサだったんだよ深雪ちゃん。なんか知らん情報伝達手段で、キミが助けを求めるだろうとは始めから計算済み。キミの態度で確信。
 だもんで、起源結界はその援軍を狩るための罠その1。
 起源弾性能付き擬似メルトダウナー小佐古カスタムがその2。
 3、4と、罠はまだまだあったんで、どれくらい攻略してくれるか楽しみにしてたんだけど、わざわざ出してやるまでもなく、お兄様は盛大にドヤ顔フレンドリーファイヤしてくれたんで、お披露目はまたの機会ね」


 無中生有、暗渡陳倉、調虎離山、抛磚引玉、金蝉脱殻、苦肉計、連環計……。
 江ノ島盾子がモノクマを用いて今回張り巡らせていた計略は、ざっと兵法に照らし合わせても以上のようなものがある。
 そもそもが那由他を擁するのではないかとすら思われるモノクマは、例えそれ自体が一千、一万破壊されたとしても物の数ではなかった。
 敵戦力を見誤り、有効でない交戦形態で敵陣に乗り込むなど、本来避けねばいけないことのはずだった。
 身動きできぬ司波達也の目玉を手慰みにほじくりながら、モノクマは滔々と語る。
 ほとんど無意味な自己修復でかろうじて命を繋ぎつつ、妹の体を修復している彼を、無慈悲に引き離しつつ、ゆっくりとその体をいたぶってゆく。


「私様みたいな、孤独で陰険な絶望の化身が、解りやすくて親切なショーウィンドウで勝負をすると思うかい?
 隠密もできず武器回収の任務に失敗して人殺し。
 意味もなく津波をぶっ飛ばしてヒグマも人間も半殺し。
 吹っ飛ばした後に建てるつもりだったのは自分の趣味のテーマパーク。
 適当な口実つけて艦娘と遊ぶのはカードゲーム。
 思いつきで深海棲艦産んじゃ、面倒も見ずにネグレクト。
 『おれはしょうきにもどった』かと思えば仮装大賞じゃねぇんだからもっと真面目に攻めて来いよ。
 てか、不必要に派手な魔法で仲間まで焼き殺すとかアホすぎ。あいつらが生きてればちょっとは結果変わっただろうに。
 何が『まだ実力の半分もこの島で使っちゃいない』だよ。私様なんか掛け値なしにモノクマの実力の一億分の一も使ってねーわ。
 メクラインさんの許可ももらわずにカーペンターズは私用するし、ちょっとは維持管理に責任を持てって。
 臆面もなく全部覚えてるとか言うて、そんなんこの世から引責辞任ものやろ。
 自分が万能だとでも思ってるんでしょうか?
 これだから近頃のゆとり世代は困る。もうちょっと謙虚になろうぜ、なあ?」


 つらつらと事実をあげてたしなめながら、モノクマは無為な再生を繰り返す司波達也の目玉に血を塗りたくって、リンゴ飴を作っていた。
 かろうじて生体機能を維持できる程度にまで兄に回復させられていたシロクマの体も、既に何匹ものモノクマに押さえつけられている。
 モノクマは、司波達也が盛大に吹き飛ばしたことなど何もなかったかのように、既に、先程までカフェに詰めていた数よりも遥かに多い頭数が、無限定の手足のように、どこからともなく湧き出してきていた。
 シロクマは、モノクマたちが次に何をするのかを察し、もがく。


「や、やめて……!! お兄様は、お兄様だけは、殺さないで……!!」
「いや~、深雪ちゃんの苦労はわかるわかる。私様も、こういうバカガキどもを十何人も世話したりしてたしさ~。
 早く殺されろって思うよねこんな出来の悪いお兄様」
「は、話します……!! ヒグマの秘密も話しますから……!!」
「あ、ヒグマの生まれる謎はもう話さなくて良いっす。キミはさっきから用済み。
 ここらへんの拷問はサービスだから、まぁお兄様の目玉でも食べて落ち着いてほしい」
「あぐぅ――ッ!?」


 既に、停電時にヒグマ培養槽の停止を察し、同時に本懐の達成目処もついた江ノ島盾子にとっては、モノクマを使ってそういった情報を聞き出すことは、二の次になっていた。
 先程からカフェで不必要に悪趣味な拷問を続けていたのは、単に彼女の趣味と、そして、様子を窺いに来るだろう援軍から冷静さを失わせ、煽るためだけの行為であった。

 シロクマは口内に兄の目玉を押し込まれ、顎を押さえられて無理矢理それを咀嚼させられる。
 ぶるぶるとした硝子体の食感や、血液の生臭い味が、絶妙な吐き気を催す逸品であった。


「あれ? 吐いちゃうの? お兄様の遺品になるかもしれないんだからありがたく拝領すればいいのに」
「……!!」


 真顔で問いかけられたモノクマの言葉に、司波深雪の思念はしばし逡巡した。
 遺品になるかどうかはともかく、司波達也は、再生する時はきちんと全身再生するだろう。
 目玉の有無は関係ない。
 それならば兄の成分を摂取するか、拒絶するかの選択に、司波深雪の判断は迷いようがない。

 彼女は、くちゅくちゅと歯ごたえのある兄の目玉を、しっかりと噛み締めて飲み込んだ。


「おおー! 惚れ惚れする食べっぷり! その変態加減はいっそ清々しいわ。すげぇよ深雪ちゃん」
「……うるさい!! 私は、お兄様が好きなんです!! 愛しているんです!!」
「せやな。それならそのお兄様のお返事を聞いてみよか」
「――やっ」


 モノクマは司波達也の頭に手を当てて、非常にあっさりと、彼の魔法演算領域を破壊していた。
 シロクマの制止が、発される暇もなかった。
 自動修復術式の停止した彼は、最後にもう一度だけ死に始めるところに戻り、大量の血を吐く。


「シバくんシバくん。妹さんに向けて辞世の句はある?」
「す、まない、み、ゆき……」
「お兄様――!!」

 司波達也は、光の落ちた瞳で、ふらふらと妹の方に向けて手を伸ばした。
 その先には、先ほど一緒に落ちた、スマートフォンがあった。
 その画面に血の線を引いて、司波達也は呟いた。


「凛の、UR――。手に、入、らな、かっ、た――……」


 記憶喪失の時分からけなげにスクフェスを勧めてくれた妹の思いに応えようと、彼は最期の最後に、精一杯の謝意を投げて、死んだ。


「『出題者の意図を根本から取り違えています』。
 ……落第だよ、劣等生」


 モノクマは、溜息をつきながらそう言った。


「……ぎゃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ――!!」


 司波深雪の絶望がそこに響いたのは、理解が精一杯の親切心で遅刻してきた、その瞬間だった。


    ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


「いや~♪ 最後くらい綺麗なお別れになるかと思ったんだけどね?
 思いに反して絶望的な回答だったね? ゴメンネ、てへ♪」
「ひぃいいぃぃぃいぃぃぃ――!! いやぁあぁぁああああぁあぁあぁ――!!」

 心にもない謝罪を述べながら、モノクマは狂乱する司波深雪の前で身をくねらせた。


「あ~もう、深雪ちゃんほんといい声と表情で啼くねぇ~。絶望のさせ甲斐があって、私様ダイスキだよキミみたいな子☆」
「うわぁ、うわぁあぁあああぁぁぁ……。うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!」
「ほんじゃ、この最高の絶望の瞬間に死のうか! あー、お兄様って、ほんとバカ~。お兄様っに、嫌われた~♪」


 節をつけて歌いながら、原住民の祭祀のような踊りで、モノクマは司波深雪の首を斬り落とす爪を伸ばしてゆく。
 その歌のフレーズを耳に繰り返し、その爪が首筋に当てられた時、シロクマは自分の唇を噛んで、涙を堪えていた。


「……お、ついに覚悟が決まった? 私と深雪ちゃんのナカだし、辞世の句ならしたためてあげるぜ~」
「ああ、そうですか……。なら、聞け。聞きなさい……ッ!!」


 お兄様は死んだ。
 私の真意に気づくことなく死んだ。
 助けはもうない。
 お兄様が後先考えずに爆殺してしまった。
 私ももう死ぬ。
 お兄様に振り向かれることなく死ぬ。

 頭いいにも関わらず、私は大勢の仲間を殺した。

 それでも、これだけは、はっきり言っておきたい。
 裏切り者でも、バカでもクソでも汚職指導者でも。
 これだけは、私の本心だ。
 例えこの身が絶望に染まろうとも――!!


「……私は、スキをあきらめない――!!」


 その瞬間だった。


「――よく言ったッ!!」


 司波深雪の体を押さえつけていたモノクマの大群が、真下から弾け飛んでいた。
 彼女の体は、風のような何かに抱えられ、直ちに、モノクマが屯している区画から十メートル以上離れた場所へ飛び退っていた。


「たとえ世界が透明な嵐に包まれても、あなたならユリを見つけられる。私はそんなクマを求めていた。がう」


 シロクマを抱えているのは、一人の少女だった。
 見る限り、ただの中高生と思える人間の少女。
 しかし、彼女の耳は熊のもので、おかっぱ頭の高い位置にある。
 彼女の手足には、ヒグマのもののような、肉球と爪のある掌蹠が嵌っていた。
 少女は、シロクマをお姫様だっこしたまま、不敵に笑う。


「……同志、司波深雪よ。私は、あなたとの出会いを歓迎する――!!」
「な、なんなんだよオマエ――!! どっから出てきた――!?」
「ああ、落っこちた時に暫く気絶しちゃってたんだけどね。
 私は百合城銀子。人間を食べる、クマだ。がうがう!!」


 突然の少女の出現に、シロクマとモノクマは共に驚くばかりであった。
 しかし、抱えられている本人であるシロクマは、彼女の出現地点だけは、わかった。


 ――それは、胴体を大きく消し飛ばされている、ベアマックスの中。


 彼女は、ベアマックスをオーバーボディとしており、司波深雪の真下に敷かれていたそこから出てきていた。
 しかし、もはやその被覆に、人間サイズの生物が隠れられる場所など存在しない。
 彼女がベアマックスの中に入っていたのならば、それと同じように、胴体から頭部がまるっと消失していなければおかしいはずだった。

 百合城銀子と名乗ったその少女は、そんな疑念渦巻く周囲の視線を気にも留めず、スマートフォンに指を差し伸べた司波達也の死体を見つめている。


「……お兄様死んじゃったんだね。ねぇ深雪、後でイヨマンテ(クマ送り)しようね、イヨマンテ」
「後も前もねーよ!! 纏めて死んじまいなぁ――!!」
「わわっと」


 四方からモノクマが飛びかかり、シロクマと百合城を膾に刻もうとしたその瞬間、百合城銀子は、司波深雪の体を上空に放り投げていた。
 そして、殺到していたモノクマの爪は、百合城銀子のいたはずの空間で、なぜか空気だけを切り裂いていた。


「ひゃぁ……ッ!?」
「はいキャッチ」


 凄まじい怪力で放られたシロクマは飛行魔法も使えない身で慄くばかりだったが、その落下は過たず、いつの間にか遠方に出現していた百合城銀子本人に捕まえられていた。 
 その距離、約30メートル。
 百合城銀子は、シロクマを放り投げた地点から一瞬にして消失し、あたかもその距離を瞬間移動していたかのようであった。


「なんだいなんだい、瞬間移動!? オマエも魔法師とか何かってワケぇ!?」
「キマテク(びっくり)キマテク(びっくり)、カムイホシピ(神のお帰り)! 私はただの、クマである、がう!!」
「……あっそお」


 モノクマたちは、一斉にその手に拳銃を取り出だす。
 その中に込められているのは起源弾であろうか。


「おっ、銃か。マタギでもないくせに、私たちクマに銃向けて敵うと思ってんの? がう」
「別にオマエに敵うかどうかわからんけど。深雪ちゃん庇いながら戦うのは無理な能力だろ。とは、今思った」
「うん! それは無理だ!!」
「ええっ!?」


 朗らかに言い放った百合城の言葉に、シロクマは慄く。
 百合城はそのまま抱えたシロクマに向け、心配そうな視線で囁いた。


「深雪、あの弾幕から走って逃げられる? 逃げたら地上で落ち合おう、地上で」
「いや無理無理無理無理、無理ですって!!」


 司波深雪の体は、魔法演算領域の半壊した司波達也が必死に再生させていたものの、モノクマの妨害もあり、依然として傷だらけだった。体力の消耗も激しい。
 魔法が使えればいざ知らず、シロクマの魔法演算領域はとっくの昔に破壊されている。
 今の彼女は、ちょっとヒグマっぽい生命力のある、忍術習ってます系女子の範疇を出るものではなかった。
 とてもではないが生身で銃弾の雨を躱せるとは思えない。


「大丈夫! 私たちにはまだ、幸運が残ってる!!
 透明な嵐を破る、テロスの変革が――!! 一輪のユリがここに!!」


 しかし百合城銀子はその時、シロクマに向けて、力強く頷いていた。
 モノクマはせせら笑い、その凶弾を放とうとした。
 その瞬間、その中の一匹の脚が、掴まれていた。


「……『始終苦(シジュウク)に、轢(シ)かれよ』」


 その呪詛に似た声は、ただの焼け焦げた肉塊と思われていた物体から、発せられていた。
 脚を引かれた一頭のモノクマはしたたかに倒れ伏し、衝撃で放たれたその銃弾が地面に着弾する。

 その瞬間、着弾地点から大地にひびが走り、周囲の壁面、そして天井にまでそれが波及する。
 司波達也の魔法により脆弱化していた周辺の空間が、轟音をたてて、崩落を始めていた。


「――ツルシインさん!?」
「彼女だ。彼女のアルケーが、ユリとなりテロスを変革した!!」


 その、焼け爛れ、瀕死となっているヒグマ――ツルシインは、鼻眼鏡の取れた盲いた眼で、あとはぼんやりとシロクマと百合城銀子を見やっているだけだった。
 彼女の視界で、二名はまさに踵を返し逃げ出すところであった。


「そんなっ、道連れに死ぬなんて――」
「彼女のユリを落とすな!! 逃げるんだよ深雪!!」
「逃がすか――ばげらっ!?」


 シロクマと百合城に追いすがり、発砲しようとしたモノクマたちは、次々と崩落する岩盤に押し潰されてゆく。
 ツルシインは、残ったかすかな意識の中で、彼女たちの無事を、そしてこの国の未来を、祈った。


 ――己(オレ)たちは、とんでもないものを相手にしているのかもしれん。

 しろくまカフェ周辺に凝り固まっていた、真っ黒な太陽のような凶兆は、司波達也がグリズリースーツを脱ごうが、第七かんこ連隊を辿り着かせなかろうが、起源結界をぶち壊そうが、依然としてこの場に残っていた。
 その凶兆は、司波達也の不必要な大規模破壊であり、隠されていた擬似メルトダウナーであり、そしてさらに重ねて塗り込まれていた司波達也殺害のための二重三重の計略であった。
 仮に司波達也が擬似メルトダウナーの一撃をかわしていたとしても、ここまでに積み重ねられた彼の敗因の数々が、必ずその計略のどこかで彼に死をもたらしていただろう。
 モノクマの語っていた罠の数は、嘘でも誇張でもなく、それらを攻略するには、司波達也はここまでに至る道の選択を誤りすぎた。
 そんな縁起が、抑制を解いたツルシインの眼には、読みとれていた。

 キングヒグマは、バリオン・ランスの爆心地にいたために即死。
 いくらか離れていたツルシインも、内臓や骨をことごとく衝撃で砕かれ、熱傷はもはやその下肢を炭にしている。
 ツルシインよりさらに距離があったとはいえ、当然、龍田も無事では済んでいない。


 ――託したぞ。シーナー、シロクマ、イソマ。そしてこの地に生きる者たちよ。
 ――己(オレ)とシバとキングは、ここで退場じゃ。


「やぁんなっちゃうね~、メクラインさん。
 後始末をこうするってことは、ボクの計画、相当読みとってたかぁ~。
 でもね~、オマエラもオマエラで個別にぶっ倒すつもりではいたんで、その手間がなくなったのは万々歳だね~。
 ま、深雪ちゃんにも、今一度希望を、抱いてもらうことにするよ~」


 ツルシインの近くで、モノクマの一体がそう語り、落盤に潰された。
 その間にも、次々と地盤は崩れ、司波達也やキングヒグマの死体を押し潰してゆく。

 彼の者は、ここで実効支配者たちの死体を持ち帰り、また新たな兵器か何かを作るつもりであった。
 ツルシインは、その最悪の結果に繋がる機縁だけは断ち切っておくべく、その残った視力全てを用いて、この地の運気を読み切っていた。
 この解体工事で、彼女に残された今生の仕事は、終わりだった。


 ――さて。己(オレ)のキャラ付けも、もう、仕舞いで良いじゃろ……。

 一帯のモノクマたちがことごとく押し潰されてゆく中で、ツルシインは息をついた。


「……みんなと一緒に仕事ができて、私は幸せだったよ。
 願わくはみんなの未来に、良い縁起がありますよう。
 縁があったら来世で……。また会おう、ね……」


 落ち着いた低い声ではなく、彼女の地声である涼やかな高い声で、ツルシインは呟いた。
 彼女の老人然とした口調や人称は、彼女が生来被りやすかった不運を、逸らすためのものであった。
 明るい灰色の毛並みと柔らかい物腰、小さな体に鼻眼鏡という要素で高齢に見られることは多かったが、ツルシインの肉体は、他のヒグマと変わらない、若々しいものだった。

 始終苦ではなく、四十九日の墓から幸運を生起させる行いを。
 天上の四十九院の如く、緻密な幸運の構築を――。
 常にそう心がけてきた彼女は、司波深雪の心が駆けていった道の先を最後に見て、笑う。


 ――合縁奇縁、多生の縁……。
 ――予期せぬ機縁が幸運をもたらすことも、確かにあるわ。
 ――あなたは独り善がりの時は『大凶』だったけど。
 ――最後くらいは、妹さんに、いい仕事できたんじゃない? シバくん……。


 彼女自身の上にも巨石は落ち、その身の墓標として、一帯を埋め尽くす。
 そうしてヒグマ帝国は、その指導者の大半を、失った。


穴持たず204(キングヒグマ) 死亡】
【司波達也@魔法科高校の劣等生 死亡】
穴持たず49(ツルシイン) 死亡】


※C-4エリアの地下一帯が、落盤で封鎖されました。


    ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


 龍田が、自分の眼という双眼鏡に艦橋から連絡を繋げられたのは、その眼に何か灯台のような明かりが投げられていたからだった。


「あっ、良かったァ!! 目を覚ましたわ!!」
「龍田さんが、息を吹き返した!! 息を、吹き返したのよ――!!」

 龍田の眼に映っていたのは、小さな探照灯のライトだった。
 彼女の周りでは、何十頭ものヒグマが、歓喜に咽んでいる。
 水のせせらぎのような音が聞こえる。
 探照灯や、内燃機関から漏れる明かりの他は、そこの空間は、苔の明かりもない、全くの暗闇だった。


「こ、こ、は……」
「ツルシインさんが……、ツルシインさんが……、アチシたちを助けてくれたのよ……」

 龍田の横に寄り添っていた、筋骨逞しいヒグマが、涙をこぼしながらその呟きに答えた。
 龍田提督と名乗るそのヒグマが説明することを聞きながら、ぼんやりとしていた龍田の思考も、次第にその時の記憶を思い出してくる。


 ここは、ツルシインが地脈を読んで第七かんこ連隊を落下させた、地下洞穴である。
 地下水が豊富なこの空間は、一頭たりともその落下で命を奪いはしなかった。
 龍田は直後、司波達也が大雑把な考えで行使したバリオン・ランスの爆風を受けて、同様にこの空間へ落下していた。

 幸いにも、ツルシインが落としていたためにバリオン・ランスの影響を受けなかった第七かんこ連隊は、爆風を受けて前後不覚になった龍田の容態に狼狽した。
 水中から、処置のできる岩場を探して上がり込んだ時、地下洞の上では岩盤が崩落し、この空間を完全な闇に閉ざしていた。

 爆風を受けた人物の中では、龍田が最も遠い位置にいた者である。
 しかしそれでも、爆風は彼女の右半身を痛々しく抉り、爛れさせ、その心肺機能を一時停止させていた。
 第七かんこ連隊の面子は、必死に龍田を甦生させようと、装備の旗を転用して傷口を覆い、人工呼吸と胸骨圧迫を繰り返して彼女の命を繋げていたのである。


「お水飲めるかしら、龍田さん……」
「暫く休んで、助けを求めましょう……。ね?」
「ゴーヤイムヤたちが回ってるのって、この階層じゃないわよね……」
「ええ、たしか下水道……。連絡手段がないわ」
「本当、シバみたいな男は最低のケダモノね……!!」


 周囲のヒグマたちは、手狭な闇の中で、口々にそう言って解決策を模索していた。


 ――ツルシインは、死んだのだろう。
 彼女よりさらに離れていた自分がこの状態では、いくら直前で『縁起』を読み、損害を軽減したとしてもたかがしれている。
 爆心地のほぼ直下にいたキングヒグマは言わずもがなだ。
 シバという指導者は、一体何を考えてそんな魔法を行使したのだろうか。
 とりあえず敵にはミサイルぶち込んでおけばええねんなどという思考、どこの歪んだ米帝だ。

 そして結局、その後上が崩落したということは、その大雑把な魔法ではあのロボットたちに勝てなかったということだ。
 敗戦計、特に苦肉計の類を得手としているだろう相手に、真正面から突っ込むなど、思うつぼだ。

 飛んで火に入る夏の虫。
 というかむしろ、火のないところに核爆弾を投げ込んで、自分で火の海にした町にダイブする夏の虫と言っても過言ではないかもしれない。
 大迷惑だ。


「うっ、くっ……」
「龍田さん、どうしたの!? 大丈夫!? どこか痛い!?」


 龍田は、深い火傷に爛れ、腫れ上がった右手で、震えながらその顔を覆う。
 その指の隙間からは、一筋の涙がこぼれていた。


「本当……。誰が味方よ。誰が敵よ。私たちは何のためにあんたらの援護に行ったと思ってるの……!?
 まっとうな振る舞いをする者だけが割を食って、まともな作戦行動もとれやしない……。
 ふざけないでよ。いい加減にしてよ……。
 バカみたいじゃない、こんなの……」


 第七かんこ連隊の面子には、彼女の嘆きを止める言葉が、見つからなかった。


【C-4の地下の地下 地下洞/午後】


【龍田・改@艦隊これくしょん】
状態:左腕切断(焼灼止血済)、大破、右半身に広範な爆傷、ワンピースを脱いでいる(ブラウスとキャミソールの姿)、第七かんこ連隊が手当中
装備:三式水中探信儀、14号対空電探、強化型艦本式缶、薙刀型固定兵装
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:天龍ちゃんの安全を確保できる最善手を探す。
0:出撃できないわよこんな状況じゃ……。
1:人間が自分から事故起こしてたら世話ないわよ……。
2:この帝国はなんでしっかりしてない面子が幅をきかせてたわけ!?
3:ヒグマ提督に会ったら、更生させてあげる必要があるかしら~。
4:近距離で戦闘するなら火器はむしろ邪魔よね~。ただでさえ私は拡張性低いんだし~。
[備考]
※ヒグマ提督が建造した艦むすです。
※あら~。生産資材にヒグマを使ってるから、私ま~た強くなっちゃったみたい。
※主砲や魚雷はクッキーババアの工場に置いて来ています。


※第七かんこ連隊が地下洞へ落下しました


    ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪


「キングさん、ツルシインさん、お兄様……」
「ねぇ深雪、死者に思いを残すのはそこそこにして、道を教えてよ。まだ私来たばっかでここのこと良く解ってないんだ」
「良く解ってない分際でしゃしゃり出て来たんですか!?」
「うん。深雪のお兄様に呼ばれたんで」


 崩落していくエリアを避け、精一杯の速度で走り逃げていたシロクマと百合城銀子は、そんな会話を行なっていた。

 百合城銀子の話を聞くに、彼女は、STUDYが保有していたクロスゲート・パラダイム・システムによってシバに呼び出されていた人物であるらしい。
 午前中にキングヒグマが誤操作し、海上にヴァンという人物を呼びだしてしまった例のアレである。

 その彼女を、着込んだグリズリースーツというオーバーボディの中の、ベアマックスというオーバーボディの中に仕込んでおくことこそが、司波達也が最後に行なった仕事であり、切り札だった。
 二重のオーバーボディという言葉は、そういう意味でもある。
 記憶喪失の時分と変わらず、なぜそれが切り札になるのか常人はおろか彼以外の誰も理解できないだろうが、とにかくそれが切り札だったのだ。


「一体あのスペースにどうやって……!?」
「それは勿論、私がクマだから」


 言うや否や、シロクマの隣で微笑んでいた百合城銀子の肉体が消失する。
 そしてすぐに、何か小動物のようなものが、司波深雪の肩によじ登ってくる感覚をシロクマは捉える。

「うん、いいねこれ。深雪が走れるんだから暫く乗っけてもらおう」
「うえぇ!? これ、あなっ……、百合城さんなの!?」

 走り続ける司波深雪の肩には、手のひらに余るくらいの、非常に小さな黒い子熊のようなものが乗っかっていた。
 一見してこれが先ほどの百合城銀子だとは信じられないが、彼女の衣装の腰元に着いていたのと同じ、ピンク色の大きなリボンをそのクマも身につけている。

 これが先ほど、モノクマの攻撃を彼女が回避できた理由である。
 人間の体躯から一瞬にしてこの子熊への転換を行い、視線の眩惑により、あたかもその姿が消失したかのように錯覚させるのだ。


「……あなた、本当に人間じゃなかったのね……」
「いや、私は人間でもある。れっきとしたホモサピエンスね。がう」
「ええっ!?」
「クマでありヒトであることに、一体何の矛盾があるの?」

 ただでさえ質量保存の法則がどうなっているのか困惑していた司波深雪の頭は、続けざまに発された百合城の言葉でさらに混乱した。


「いい? クマは人間を食べる。クマはクマを食べることもある。
 ことによると人間がクマを食べることもある。そういう生き物でしょ?
 それじゃあ一体、クマと人間の間に、どんな違いがあるというの?」
「……意味が分かりません!!」


 シロクマは、肩口の百合城を振り落とすようにして立ち止まった。

 意味不明な百合城の言動には、これ以上付き合っていられない。
 兄に呼ばれ、自分を助けるために遣わされた人物ではあるらしいが、先ほどから彼女の言葉は要領を得ないものばかりで会話にならない。


「ねぇどこ行くのさ深雪!」
「……決まっているでしょう。お兄様のところで私も死にます」
「お兄様自身の意志や、ツルシインっていう人の遺志に反して?」
「仕方ないでしょう!! お兄様がいなくなった以上、私はもう生きる意味を失いました!! 絶望ですよ!!」


 引き返そうとする司波深雪を人間の形態に戻って追いすがる百合城へ、シロクマはそう吐き捨てた。
 百合城はその彼女の肩をつかみ、通路の壁に押しつける。


「それは違うよ! よく思い出して。私は聞いたよ。
 この島には、『万能の願望器』があるんじゃないの!? それを使えばいいんだよ!!」
「……あっ」


 シロクマはにわかに思い至る。

 穴持たず50・イソマ。
 シロクマたちが決死の覚悟で守り通してきたそのヒグマこそ、『万能の願望器』――聖杯の器そのものだった。
 この島で生き抜き、イソマに願いを叶えてもらえさえすれば。

 奇行に走らない。
 後先をきちんと考える。
 他人を思いやる。
 ちゃんと喜怒哀楽がある。
 魔法は実技も筆記もピカイチ。
 自分を一人の女性として愛してくれる。

 そんな理想のお兄様を復活させられる。
 それこそ生き残った妹としての責務ではないだろうか――。


「……そうでした、百合城銀子。イソマさんに頼めればお兄様を……」
「お兄様を忘れられるぐらい素晴らしいユリの園を作れるよね……!!」
「違うわ!!」


 舌なめずりする百合城銀子の恍惚とした表情に恐怖を感じて、司波深雪はシロクマの速度で百合城の腕の間から滑り出た。
 身を抱えておののく司波深雪に、百合城は両手を広げて近寄って来ていた。


「ん~、デリシャスメル……。じゅるり。
 良いユリが咲くよ深雪は。早く食べたいなぁ」
「なっ、なっ……! さっきからユリユリ言って、その『百合』!?
 私はそんな趣味ありません! お兄様一筋です!!」
「そうでもあり、そうでもない。深雪の麗しい処女性に敬意を表しているだけだよ」
「処女、って……。私はもう、汚されました……」


 彼女の会陰部は、モノクマの腕によって貫かれていた。
 魔法演算領域よりも、そちらの喪失を恐れるだろう司波深雪の心理を良く突いた、助けがくる前の最後の拷問だった。
 処女膜は何の感慨もなく再生されているが、そういう問題ではない。


「汚された? 私が見る限り、深雪は汚れてなんかいない。
 まだ食べられていない、純潔の初ユリだ。
 透明でもない。人間を食べる、アルケーから咲くユリだ」
「意味不明な言葉でわめくのはやめてください!!」
「じゃあこう言おう」


 百合城銀子は、司波深雪の手を取って、その目をまっすぐに見つめていた。


「……あなたのスキは、本物、でしょ?」
「……はい。この身が尽きても、絶望に落ちても、それだけは誓って、本物です」


 ――私は、百合城銀子のその念押しに、深く頷いていた。

 信用もない。力もなくした。
 今まで敵しか作ってこなかった私が、たった一つ残されたその思いだけを標にして、道を辿る。
 私とお兄様の間に築かれた、死という断絶の壁を踏み越えるべく、私は今一度、シロクマとなろう。
 幾億幾兆の命から、激しく排斥される運命が待ちかまえていることは、間違いない。
 それでも私は、私のスキを、諦めない。

 一億分の一というほんのちっぽけな確率に身をゆだねてもがいていた私の父のように。
 私はあがこう。
 その高みに咲く大輪の花に届く、その幸運を手に入れられることを祈って。
 私の縁起は、再出発する。


【C-5の地下 ヒグマ帝国/午後】


【穴持たず46(シロクマさん)@魔法科高校の劣等生】
状態:ヒグマ化、魔法演算領域破壊、疲労(大)、全身打撲
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:兄を復活させる
0:諦めない。
1:とにかく江ノ島盾子の支配区域からは早く離脱する
2:江ノ島盾子には屈しない。
3:私はヒグマたちに対して、どう接すれば良かったのでしょうか……。
4:残念ですが、私はまだ、あなたが思うほど一人ぼっちではないようです。有り難いことに……。
[備考]
※ヒグマ帝国で喫茶店を経営していました
※突然変異と思われたシロクマさんの正体はヒグマ化した司馬深雪でした
※オーバーボディは筋力強化機能と魔法無効化コーティングが施された特注品でしたが、剥がれ落ちました。
※「不明領域」で司馬達也を殺しかけた気がしますが、あれは兄である司馬達也の
 絶対的な実力を信頼した上で行われた激しい愛情表現の一種です
※シロクマの手によって、しろくまカフェを襲撃していた約50体の艦これ勢が殺害されました。
※モノクマは本当に魔法演算領域を破壊する技術を有していました。


【百合城銀子@ユリ熊嵐】
状態:健康
装備:自分の身体
道具:自分の身体
[思考・状況]
基本思考:女の子を食べる
0:早いとこ地上に逃避行しようぜぃ
1:まずは司波深雪を助け、食べる
2:ピンチの女の子を助け、食べる
3:数々の女の子と信頼関係を築き、食べる
4:ゆくゆくはユリの園を築き、女の子を食べる
[備考]
※シバに異世界から召還されていた人物です。
※ベアマックスはベイマックスの偽物のようなロボットでシバさんが趣味で造っていました
※ベアマックスはオーバーボディでした。
※性格・設定などはコミック版メインにアニメ版が混ざった程度のようですが、クロスゲート・パラダイム・システムに召還されたキャラクターであるため、大きく原作世界からぶれる・ぶれている可能性があります。

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最終更新:2015年01月25日 22:31