不明領域


―――有富によってゲームの開始が告げられる約24時間程前―――

「……あった。」

破壊された複数のパワードスーツ型全自動警備ロボの残骸が転がる地下施設の倉庫の様な場所。
筋肉質な体つきを後裾の長いブレザー制服で隠した少年が鞄の中に仕舞われていた小銃を手に取る。
ゲームが始まったら自分に支給される予定だったと思われる魔法工学製品・攻撃特化型CAD(術式補助演算機)だ。

通学中にスタディのスタッフに誘拐された国立魔法大学付属第一高校に通う高校生、司馬達也は
移送されている最中に無意識で催眠方法を解析することで早期に回復し脱出、単独で施設の内部に潜入して
身を隠しながら現在誘拐犯グループへの反撃の機会を窺っている。

「しかし、この首輪爆弾付きか?これでは俺も、誘拐された被害者達も、逃げることができないな。」

そう呟きながら右手で首輪に触わった司馬達也は腕からサイオン(情報想子)で構築された
魔法陣のような光の文字列を発生させる。次の瞬間、首に巻かれた首輪がバラバラに分解され飛び散った。

「……これでよし。後は首謀者の居所を突き止めて叩き潰すだけだな。」

かつて「超能力」と呼ばれていた能力の使用法を「魔法式」として体系化し、幅広い汎用性を得た、
事象に付随するエイドス(個別情報体)を改変する力を行使する者、「魔法技能師」である彼は
その両目に宿るエレメンタル・サイト(精霊の眼)で首輪のイデア(情報体次元)にアクセスし
首輪を分析、構成している構造情報に干渉して自前の専用魔法で解体に成功したのである。

もはや行動を制限する要素の無くなった彼は、詳細は不明だが今から始まろうとしている
恐ろしい実験を阻止し、被害者を救助するべく倉庫の扉を開けて廊下に飛び出した。
そして駆け出そうとした彼は場違いな物目にする。

「なんだ、あれは?」

通路の奥から巨大な哺乳類が獣臭を放ちながら四足歩行でゆっくりこちらに向かっているのだ。

「ヒグマだと?確か日本では北海道にしか生息していない筈。
 ということは、ここは……しかし何故ヒグマが人間の建物の中に?
 それに、部屋を出る前に廊下のイデアの生物のエイドスを読み取って
 廊下には誰も居ないことを確認した筈だが。」

不可思議に思っていると、ヒグマが急に走り出してこちらに向かってきた。
あの只ならぬ様子からして相当餓えているのだろう。司馬達也は溜息をついた。

「……まいったな、銃器も持っていない野生動物か。こういう相手は深雪や千葉さんの方が得意なんだがな。」

司馬達也は魔法師ではあるが加速、放出などといったオーソドックスな系統魔法の行使を苦手としている。
魔法を発動させるための起動式と魔法式の構築に時間がかかり過ぎて普通の工程では使い物にならないのだ。
そのため魔法理論が学年一位にもかかわらず劣等生扱いの二期生に甘んじている。
では、この野生動物とどう戦うのか?

「まあ、仕方がない。」

司馬達也はまるで瞬間移動したかのような異常な速度でヒグマに突撃した。
忍術使い九重八雲の弟子でもある彼は加速魔法を使わずとも身体技術だけで
人間離れした動きが可能なのである。そしてヒグマの懐に飛び込んだ彼は
右腕に魔法式を出現させ、単純なサイオンの衝撃波を撃ち込む無系統魔法、
幻衝(ファントム・ブロウ)を発動させる。
彼が苦手なのはあくまでカリキュラム通りの工程。
六工程以上必要な複雑な術式でなければ瞬時に魔法式を構築できるのである。
ヒグマは体の構造上、腕を内側に曲げることが出来ない。離れているより密着する方が寧ろ安全なのだ。
だが、確実に鼻先に叩き込むはずのサイオンを込めた一撃が空を切った。

「何っ!?」

司馬達也の拳が当たる寸前に、突然ヒグマは後ろに大きく体をのぞけらせて回避したのだ。
そして、前足を地面に着くと同時に後ろ足を大きく振り上げ、ムーンサルトキックの様な
挙動で放たれたその足爪で司馬達也の肉を大きく抉り取った。

「―――がはっ!?」

体の前面を大きく傷付けられ血しぶきを上げながら吹き飛ばされる司馬達也。
これが野生の身体能力である。人は魔法をもってしても野生の力の前には無力なのか。
体勢を立て直したヒグマは致命傷を与えた筈の人間に止めを刺して捕食すべく
四つん這いになって前方を向き体勢を整える。


(―――自動修復術式オートスタート。コア・エイド・データバックアップよりリロード―――。)

だが、そこには血まみれの司馬達也の姿がなかった。
ヒグマが不審に思っていると、背後から何者かの声が聞こえた。

「……正直侮っていたよ。これが野生の力か。」

ヒグマが振り向くと、そこには服すら損傷していない無傷の司馬達也が立っていた。
後ろ向きに飛び跳ね構えを取るヒグマに彼は無表情で語りかける。

「残念だがどんな手段を取ろうと、俺を最終的に傷付けることは不可能なんだ。」

彼が学校において劣等生である理由の魔法式構築速度の遅さ。
それは術式を使うときに使用する脳内の仮想魔法演算領域が
産まれつき備わっていた二つの高難度の魔法を使う為に占領されてしまっているからである。

その魔法の一つが「再生」。
エイドスの変更履歴を最大で24時間遡り、外的な要因により損傷を受ける前のエイドスを
フルコピーし、それを魔法式として現在のエイドスを上書きする魔法である。
いわば『ケガを治す』魔法ではなく、『過去の状態に戻す』魔法。
ヒグマの斬撃を受けた直後にイデアにアクセスした司馬達也は十秒前の自己の肉体の個人情報をコピーして
現在の自分に上書きし、肉体の損傷の事実を無かったことにしたのである。
そしてこの魔法は危機に陥った時に無意識で自動的に発動されるのだ。

怯まず再度攻撃を仕掛けようとするヒグマに司馬達也はCADの銃口を向け照準をつける。

「やめておけ、貴様のエイドスの分析は完了した。もう勝負はついている。これ以上は容赦できない。」

飢えたヒグマは聞く耳を持たずに大きく口を開けて司馬達也に飛び掛かった。

「―――雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)。」

その鋭い牙が司馬達也の頭に触れようとした瞬間、ヒグマの全身の細胞物質が瞬く間に分子単位で分解され、
恐るべき野生動物はその場から痕跡も残さずに消滅した。

もう一つの専用魔法、「分解」。
物質の構造情報に直接干渉することにより、物質を元素レベルの分子またはイオンに分解する最高難度の魔法の一つ。
首輪の解体時にも使った、決して学校の実技試験では使えないこの魔法がある以上、実際の戦闘において彼に敵はいない。

しかし静まり返った廊下に立ち尽くす司馬達也は、勝ったにも関わらず険しい顔つきをしていた。

「なんだこの生き物は?ヒグマというのはここまでしないと倒せないものなのか?」

「……やれやれ、恐ろしい人間も居る者ですね。まさかゲームが始まる前に逃げ出してしまうとは。」

司馬達也が振り向き銃口を向けると、いつの間にか新たな二匹のヒグマが立っていた。
手足の長い細身な骨ばった個体と、先ほどのヒグマより二回りほど大きい白い体毛を持つ個体。

「最近のヒグマは喋れるのか?いや、ヒグマじゃないな…マレーグマと、ホッキョクグマか?」
「……まあ、種類はどうでもいいでしょう。少し大人しくしてもらえませんかね?
 今暴れられると私達の計画にも支障が出ます所以。」

虚ろな表情で喋るかける細身の熊の横で、白い熊がうなり声を上げている。

「……とはいえ、彼、穴持たずNo.46はあなたが大人しく逃げるのを許してくれないでしょうがね。
 やはり我が同胞の一体を殺した罪は貴方の命で清算していただくのが筋かと存じ上げます。」
「手を引くのはお前たちだ。さっきの戦闘を見ていなかったのか?俺には勝てない。」
「……ええ、たしかにあなたは恐ろしい。ですが、この世は数式だけで解析できるほど単純ではないのですよ。」
「何を言っている――――!?」

突然、白い熊―――ホッキョクグマが司馬達也の元へ突進してきた。
先ほどのヒグマと同じなら、油断も躊躇も出来ない。瞬時にホッキョクグマのイデアを解析し体組織の分解を。

「え?―――な、なんだ!こいつは―――!?」






グシャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!





司馬達也が構造を解析する時間を遥かに凌駕する速度で超重量のホッキョクグマの拳が顔面に直撃し、
顔を無惨な形状に歪ませた彼は激しく縦に高速回転しながら廊下を直線に吹き飛ばされ、
壁にぶつかって大きくバウンドした後、口から大量の吐瀉物を撒き散らして地面に倒れ込んだ。

「……ふぅ、どうやら私が手伝うまでもなかったみたいですね。分かりますか?
 これが地球上で最強の動物であるヒグマを超える数少ない存在、野生のホッキョクグマの力ですよ。
 現実はフィクションとは違う。……本来の彼は範馬勇次郎やジャック・ハンマーごときに後れを取るような
 生物ではないのです。ブリザードを耐え切る強靭な肉体と体毛は目視での構造の分析を困難にし、
 引っ掻くより抉ることに特化した雑菌だらけの爪の前では再生もままならない。」

手足を卍状に広げて床に突っ伏した瀕死の司馬達也は朦朧とする意識で
細身のヒグマ、穴持たずNo.47シーナーのセリフを聞きながら考える。

(……そんなわけ、ないだろ。)

先ほどイデアを読み取って解析しようと試みたがエレメンタル・サイトでは殆ど何も見えなかった。
つまりあの二体はこの世に存在しない物質で出来ている?そして、発動する筈の自動再生が何故か発動しない。
あのホッキョクグマはなんらかの理屈で自分の血肉と一緒に構成するエイドスやサイオンも抉り取っているのだ。
思考が追いつかないまま、ホッキョクグマが伸し掛かり内臓を引き摺り出して食べ始めた。

(なにが起こってるんだ?死ぬのか?俺が?)

考えたこともなかった。余りに意味が分からない。しかしこれだけの危機のも関わらず強い感情を引き出せない
司馬達也は冷静に今やるべきことは何かを考える。

(……深雪……。)

心に余裕がなくなった時、真っ先に思い浮かぶのはあの美しい妹のことだった。
どうなろうと、彼女だけは守らなくてはならない。司馬達也は静かに目を閉じた。

(このヒグマの姿をした得体のしれない生物はあまりにも危険すぎる。誘拐された者まで巻き込んでしまうが、
 連中を外に出すわけにはいかない。あれを使って、この施設もろとも全てを消し去る。)

マテリアル・バースト(質量爆散)
アインシュタインが特殊相対性理論の帰結として発表したE=mc2の方程式に基づいて
質量を光速度の二乗の倍率でエネルギーに分解する究極の分解魔法。
分解する質量が大きければ地球ごと消滅させることが出来る禁断の戦略兵器。

(それしかない、命と引き換えに奴らを殲滅する。深雪の為にも―――。)

不意に、自分の死によって心を壊して放心する深雪の姿が目に浮かんだ。

(……あ……。)

(何を考えている……正しいのか?それが本当に、深雪の為になるのか?)

(……俺は俺と深雪の日常を守る為に生きているんじゃないのか?)

幼少時、先天的な要素で二つの魔法以外が使えない司馬達也に普通の魔法を使わせるため、
彼の脳に人工魔法演算領域を植え付ける手術が行われた。手術は成功したものの、
副作用によって強い情や欲求が失われた。どのようなことになっても怒りに我を忘れることも、
恨みを持って憎しみを持つことも、非難に暮れることも、異性に心を奪われることもない。
――――――だが、妹が絡めば話は別だ。

(……駄目だ、こんな所で俺は!死ぬ訳にはいかない……!)

「う……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

既に体を半分以上捕食されながらも、強い意志と共に両目を見開き司馬達也は咆哮した。
再生が出来ないなら別の方式で生き延びる。今、新しい魔法を生み出すのだ。
そうだ、分解できるなら、再構築も出来る筈だ。ホッキョクグマに削り取られて
不足したサイオンを何かで穴埋めする。今、魔法式を―――。

危険を感じたホッキョクグマが飛びのいた次の瞬間、司馬達也の体は分子レベルで分解されて消え去った。
その様子を呆然と見るシーナーとホッキョクグマ。

「……一体なんでしょう?自分を分解したのですか?自殺ですかね?……ん!?こ、これは……!?」

シーナーとホッキョクグマが気配を感じて顔を上げると、そこには――――。



◆  ◆  ◆


地下のヒグマ帝国ではなかなか体感することは難しいが、第一放送も過ぎて時間的には朝。
そこにある小さな喫茶店の中で、一匹のエプロンを身に付けてグラスを拭く白いホッキョクグマと、
カウンターに座る小柄な緑がかった背中にファスナーのついたヒグマが炭酸水を飲みながら静かに語りあっていた。

「地上で随分同胞がやられているようだな。」
「ええ、なんだか乱入者まで現れたそうですよ。」
「……そうか。」

シーナーと共にヒグマの帝国を作る計画に加担した実効支配者の一員である二匹は
仲間の危機に憂いを感じている。ふと、カウンターに座ったヒグマが炭酸水を見つめながら呟いた。

「炭酸の泡がまるで雪のようだな。これを見ると、あの美しい少女を思い出す。」
「ふむ、それ以外はなにか思い出せませんか?彼女の名前とか?」
「いや、何も。俺は人間からヒグマになったのかもしれないが。可憐で神秘的なあの娘の姿以外は。
 だが、この娘の為に、生きることを選択したような気がする。なら、やることはあるさ。」

ヒグマは感情を感じさせない瞳で遠くを見つめ、席を立った。

死の間際、自身の肉体を空中に霧散させた後、最初の戦闘で分解して空中を漂っていたヒグマの分子で
足りない部分を補い個別情報体をもとに肉体を再構成してヒグマと一体化したことで一命を取り留め、
人間だったころの自分を殆ど忘れた司馬達也は、店の外へ向かって歩き出した。


【??? ヒグマ帝国・喫茶店しろくまカフェ/朝】

【穴持たず48(シバ)】
状態:健康、記憶障害、ヒグマ化
装備:攻撃特化型CADシルバーホーン、ヒグマのオーバーボディ
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため、危険分子を監視・排除する
0:地上に出て増えすぎた参加者と侵入者を排除する
[備考]
※外装はオーバーボディで中に司馬達也が入っています
※司馬深雪の外見以外の生前の記憶が消えました
※ヒグマ化した影響で全ての能力制限が解除されています

【穴持たず46(シロクマさん)】
状態:健康
装備:不明
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため、危険分子を監視・排除する
0:頑張ってねー
[備考]
※突然変異で生まれたホッキョクグマです
※詳細は不明ですが孫悟空を瞬殺したヒグマ以上の力を持っているようです
※現在は暇なのでヒグマ帝国で喫茶店を経営しています


No.102:海上の戦い 本編SS目次・投下順 No.104:鷹の爪外伝 北海道周辺より愛をこめて 接触編
本編SS目次・時系列順
司波達也 No.115:羆帝国の劣等生
穴持たず46 No.122:帝都燃えゆ
穴持たず47 No.097:気づかれてはいけない

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2015年11月18日 13:55