きみが壊れた(答)


「佐天さん……、ちょっと帰って来てからおかしいですよ……? 何かあったんですか……?」

 アニラたちが装備を検分している頃、パラソルの陰では、顔を覆う佐天に初春が心配そうに声を掛けていた。
 その様子は、見回りながら、ちらちらと北岡も気にしてくるほどだった。
 ウィルソンたちが見守る中、暫くして、押し黙っていた佐天はぽつりと呟いた。


「……初春にも、言ってなかったけど。私ね……、夜中にあの、工藤さんという人間を殺してしまった後、夢を見たのよ」
「夢、ですか?」
「……そう、とんでもない悪夢。世界の全てがぐにゃぐにゃに歪んだ場所で、歪んだ人々や、歪んだ初春から、逃げ惑う、夢」
「私も出てきたんですか……?」
「そう、それで……。あの時の初春を、その夢の続きだと思い込んで、攻撃してしまったの」


 佐天の言葉に、ウィルソン・フィリップスがぴくりと反応していた。

「……佐天くん。その夢の最後に、何か出てこなかったかね。何か、『動物』が」
「動物というか……、『観音様』が出てきたわ。子供みたいな、小さな」
「カンノン……。仏教における女神の一人だな。それで、佐天くんは、彼女に対してどうしたのかね?」

 ウィルソンの真剣な問い掛けに、佐天は見開いた眼を、振り向けた。


「……蹴り殺した」
「なに……!?」
「蹴り殺しちゃったのよ。何にも危害を加えてはこない観音様を。ただそいつの言葉に、苛立って、むしゃくしゃして……。
 それからずっと……、私はずっと背中に、足元に、私の中に、見えるはずのないものをいっぱい見てしまってる。
 それが怖くて……。そして、他のやつらの言動の一つ一つにも、気持ちがささくれて、歪んで……」


 胸を押さえて息を荒げ、佐天は言葉を絞った。
 コーラまみれのテーブルに倒れそうになる彼女を、ウィルソンが台車のままにがっしりと支えた。
 低く張りのある声で、彼は瞳を光らせ、佐天に言い聞かせる。


「……いいかね佐天くん! キミはその時恐らく、『ビジョン・クエスト』を行なったのだ。
 自分の脊柱を下り、自分の意識下の世界で、『守護動物(パワーアニマル)』を発見するための旅だ。
 そして恐らく、キミはその第一のクエストに、失敗した……!!」
「『ビジョン・クエスト』に、失敗……?」
「ああそうだ。無意識の力の象徴である『守護動物(パワーアニマル)』は本来、クエスト時点で良好な関係を持てるほど、キミと近い存在になっていなければおかしいのだ。
 ただ、自己の中への旅で、『守護動物(パワーアニマル)』は4度、違った角度で出現する。
 まだ佐天くんの旅は、一度目だ。キミの精神はあと3度、立ち直るチャンスを有している……!」

 ウィルソンの言葉に頷き、初春も胸元のパッチールを抱え上げて佐天を励ます。


「そうです、大丈夫ですよ! 北岡さんは、バッファロー。ウィルソンさんはイーグルとダイナソーらしいです。
 私も、このパッチールさんと、お互いに『守護動物(パワーアニマル)』になろうと思うんです!
 私もこの子も、互いを知りません。人を殺してしまっているのかも知れません。でも、天龍さんの仰ったとおり、今心を入れ替えているなら、過ぎたことです。
 今から分かり合っていきましょうよ佐天さん! ね?
 そうでしょう? ヒグマ提督さんも!」


 エレベーター建屋前の片隅で蹲るヒグマ提督へも、初春はそうやって声を掛ける。
 振り向いたのは、陰鬱としてベタ凪いだ、澱んだ視線だった。


「パワーアニマルとか言って……。島風ちゃんに痛めつけられた残りかすごときで、命を守れたら世話ないよ……」
『……ッ』

 泣き腫らした視線からの呟きは、パッチールの心を疼かせた。
 佐天がヒグマ提督の方へ身を乗り出す。


「あんたねぇ……! こっちはあんたを受け入れてやろうとアプローチしてやってんのよ!? わからないの!?
 ――何なのよその態度は!!!」


 佐天の声は、あたかも爆音のようだった。
 いや、もしかすると、実際に爆音だったのかも知れない。
 ヒグマ提督はたじろぎながらも、必死に佐天へ言葉を返す。


「わ、私と艦娘は命を狙われてるかも知れないんだぞ!? こんなので安心できないよ!!」


 彼と金剛を狙撃した犯人の存在は、確定してはいない。
 『深海棲艦』という単語が現実に襲い来る可能性を思い浮かべてしまってから、ヒグマ提督の恐怖は臨界値スレスレをずっと右往左往していた。
 だがどこまでも自己中心的なヒグマ提督の姿に向かい合い、佐天の視界は、どしゃ降りの中のぬかるみのように歪んでいった。
 どろどろと熱を帯び、泥炭のような怒りが自身を埋めてゆく。

 佐天には、ヒグマ提督が許せなかった。
 他人を良いように使い、相手が自分の思い通りに行かないとなれば途端に不満を抱く。
 その姿に、どうしようもない怒りを覚えていた。


「なぁ教えてくれよ! 金剛はちゃんと埋葬してくれたんだろ!? 彼女は怨んで深海棲艦になんてならないって、保証してくれよ!!」
「――怨みっぱなしよ彼女は!! 私は『信じてた』のに、あいつは、あいつは――!!」


 溶岩のようになった佐天の地面の中から、ヒグマの爪のように、白い切っ先が生える。
 佐天は顔を伏せ、屋上のある一点を指さす。
 怒りのままに、指してしまったその右手の指先に、地面から生えた白い刃が絡みつくのを、佐天は感じた。

 言ってはいけない。
 言ってしまったら、終わる。
 そう感じていたのに、佐天の口は、そのまま動いてしまった。


「あのバケモノは、金剛さんの脳を、喰ったのよ――!!」


 そう咽喉から炎を吐いた瞬間、佐天は自分の心のガラスが、焼け落ちてしまうのを見た。
 なぜ自分が、ヒグマ提督を許せなかったのかが、わかってしまった。


 ――他人を良いように使い、相手が自分の思い通りに行かないとなれば途端に不満を抱く。


 その者は、艦娘に対する、ヒグマ提督であった。
 その者は、アニラに対する、佐天涙子であった。
 幽霊船の汽笛を恐れているのは、ヒグマ提督であった。
 死者たちの足音を恐れているのは、佐天涙子であった。
 ヒグマ提督は、佐天涙子だった。
 本当のバケモノは、自分自身だった。


 信じてる。信じてる。信じてる。
 そんな身勝手な言葉で思考を停止させ、相手の内面を理解することなく過ごしてきた結果が、それだった。
 その言葉が包む意図の違いと、本当の意味と淋しさを理解することなく過ごしてきた結果が、それだった。


 ――一度『可愛くない』要素が露呈してしまったらその瞬間、あなたがその子に抱いていた『可愛い』の幻想は即座に崩壊し、もう二度と元に戻せなくなっちゃいますからね。
 ――もしこの子があなたに楯突いたらどうするのだ。
 ――もしこの子が人食いだったらどうするのだ。
 ――外見だけで勝手にイメージしていた幻想が崩壊したとき、きっと、今まで愛玩していたその態度は掌を返すだろう。
 ――それは、他者に対しての明確な裏切り――。

 初春はその瞬間、友の心が崩れたのを、はっきりと見た。


 佐天が蹴り殺したのは、佐天涙子だった。
 佐天が誹り打ったのは、佐天涙子だった。
 佐天が指し咎めたのは、佐天涙子だった。
 許せないのは、自分自身だった。
 自分自身を許せないのを許せないのも、自分自身だった。

 佐天涙子は、自分を許せない自分自身を、焼き殺し続けることしか、できなかった。

 n回繰り返した360度の歪みの果てに、佐天は自分の選択が、永遠に自分を蹴り殺し続けることしかできなくなる選択だったのだと、初めて悟った。


 指先に纏わったのは、ほそほそと笑っている、白い三日月だった。
 自分が信じていた、皇魁という人間を裏切ったことの、確かな証拠だった。


「……しまっ――!?」


 言い出した次の瞬間には、佐天は自分の発言を後悔した。
 指さした先で、アニラの真っ赤な瞳と目が合った。

 ――ごめんなさい。私を、許して下さい。

 と、佐天はそう祈って彼を見た。
 だが返ってくるのは、佐天自身の、殺意の塊のような真っ赤な視線だけだった。

 ――ああそうだ。『殺して下さい』と頼んだのは、私自身じゃないか。

 佐天は、自分の歪みを映してくれていた鏡の存在に、誰にも聞こえないように、口の中でだけ呟いた。


 そしてほとんど同時にその声は、続けざまに響いた巨大な爆轟の音響に、吹き飛ばされていた。


    ,,,,,,,,,,


 その『敵』の存在を認識していたのは僅かに、黙然と『仕事』に従事していた、北岡秀一ただ一人であった。
 ギガランチャーとギガキャノンを携え、東西30m、南北40m程の屋上の辺を、フェンスに沿って彼は周回していた。

 見回りというそのルーチンに動きながら、北岡は恐らく、この場の誰よりも佐天涙子のことを気にしていた。
 それはまた、この場の誰よりも彼が、佐天涙子とヒグマ提督を、『信じていなかった』からでもある。
 それどころか彼は、この場に存在する人員の何者をも、信じてはいなかった。

 それはある意味正しい選択だったが、ある意味、行き過ぎた選択だった。

 見回りをしながら彼の視線の2割は佐天涙子に注がれ、2割はヒグマ提督に注がれ、2割は屋上にいる残りの人員に注がれ、残りの4割が百貨店の周囲に渡っていた。


「あんたねぇ……! こっちはあんたを受け入れてやろうとアプローチしてやってんのよ!? わからないの!? 何なのその態度は!?」
「……あれ? 鳥……じゃなくて、艦娘の偵察機じゃねぇか?」


 そのため、佐天涙子が叫び出し、爆音が聞こえ、島風が見回りの役に立っていなかったことが判明した瞬間、彼は真っ先にその事態に反応できた。
 双眼鏡で、上空に飛ぶ小さな飛行機のような機影の正体を、視認したのだ。


 それは白い、骨ばった身に皮膜の翼を有したヒグマだった。


 彼は瞬時に、視線を地上に戻していた。

 艦娘。深海棲艦。
 第二次世界大戦中の船の魂を有した少女と、その怨念。
 にわかにその概念は信じがたかったが、彼女たちの保有する装備の凶悪性だけは、同じく火砲を主装備とする北岡には手に取るように解った。


 ――あのヒグマが『偵察機』なら、相手は『深海棲艦』であり、なおかつ既に捕捉されている――!!


 北岡は歯を噛んだ。
 大和型の46cm砲の最大射程距離は、優に42キロ。
 単なる12.7cm砲であっても、30キロ圏内には届くのだ。
 北岡のギガランチャーですら、数キロの距離までは余裕で届く。
 いかに艦娘に合わせてミニマイズされていたとしても、この直径7キロあまりの島では、ある程度大口径の主砲であれば、恐らく届かぬ位置などない。


 北岡は、自身が今まで見回して来なかった、ある場所に向けて走った。
 『艦娘』という者の存在を知るまでは、アニラも、彼自身も、ほとんど注意を向けていなかったある方角。
 ――南東。
 1エリア丸々、湖のようにして温泉の水面が広がっている、開けた場所だった。

 水面など、誰も歩いてくる訳はない。
 その上、そこは高台から視認され放題の場所である。
 なおかつ、この1エリアには、氷の斜面が防衛機構として存在している。
 下から、自分たちの存在が目撃されることは有り得ない。

 だから北岡は、そんな場所の水面の存在を、却って意識から欠落させてしまっていた。


 南東の隅で北岡が双眼鏡を構えた瞬間、彼はその視野に、数百メートル先で満面の笑みを浮かべる女性の顔を捉えていた。
 目が合った。
 はっきりとそう、北岡にはわかった。
 女性の唇が動いた。


『本当に、大和を深海棲艦と間違えるなんて失礼しちゃいますよね。
 皆さん早いところ正気に戻ってくださいー、って感じですマッタク』


 彼女の唇は、そう言っていた。
 そして彼女の下部に据えられた異形が、動いた。
 『深海棲艦』――。
 北岡はそう認識した瞬間、直ちにギガランチャーをフェンスの隙から差し出し、彼女を砲撃しようとした。


 だがその時、一瞬だけ眼をさらに近距離へ落とした北岡は、さらに信じられないものを目撃してしまった。


「――しまっ……!?」


 その可能性は、アニラから確かに伝えられていた事項だった。
 自分自身も、かすかに意識はしていたはずのことだった。
 だが、そんなことは有り得ない。と、『艦娘』の存在と同様に、彼はその可能性を頭から否定してしまっていた。


 ――やっぱり俺たちは、やっすい感情にほだされてる暇なんて、無かった……ッ!!


 北岡秀一は、自分がパラソルの陰を訪れ、佐天涙子にコーラを差し出してしまったことを、激しく後悔した。
 彼はこの事態を、何とか他の人員に叫び、報せようと思った。

 だがその一瞬の迷いのうちに、双眼鏡の先の深海棲艦は、早々と彼に『挨拶』をしていた。
 そしてほとんど同時にその声は、続けざまに響いた巨大な爆轟の音響に、吹き飛ばされていた。


    ,,,,,,,,,,


 その瞬間、その場にいた人員の鼓膜は、一様にビリビリと打ち震えた。
 空振が屋上の一帯を襲い、立ち上がっていた佐天と初春は爆風で転んだ。
 建物の南東の端で、大爆発が巻き起こるのが見えた。

「ぬあっ――!?」
「島風っ!!」
「私は大丈夫! だって速いもん!!」

 破壊された鉄筋コンクリートの破片が散弾のように、屋上南部に屯していた天龍、天津風、島風、アニラを襲った。
 島風とアニラは互いにそのステップで礫を躱し、転げた天龍へは、天津風が自身と彼女の艤装を抱え上げて盾と為し、それを防ぐ。

 遅れて、屋上の床面には、空中にくるくると赤い緒を曳いて吹き飛ばされていた何かが、重い水音を立てて落ちてきた。


「……ひ、い、いやあああぁぁぁああぁぁああぁ――!?」


 初春が、その物体の正体を理解してしまっていた。
 その絶叫の先で赤い水たまりの中に落ちたのは、根元から千切れ跳んだ、北岡秀一の左腕だった。
 彼の体とその武装たちは、百貨店の屋上から、跡形もなく消え去ってしまっていた。

 ――地上から狙撃された。

 その事実に艦娘たちが気づくのには、それほど時間は要さなかった。
 天龍が地面から立ち上がりながら、大きく叫び上げる。


「――敵艦隊に捕捉されたんだッ!! 既に触接されてる!! 総員、対空防御――ッ!!」


 その声とほぼ同時に、屋上から見える空に、ワッと雲霞の如く白いヒグマのような艦載機が飛来してきていた。


「天龍、対空装備なんてないよ!?」
「連装砲ちゃんがあるだけマシだろっ!!」
「天龍、魚雷一本だけ、返して」


 屋上の南から、北側にあるエレベーターの建屋に向かい、天龍は走った。
 慌てる島風の脇で天龍とすれ違うように、天津風が飛来する艦載機の群れに向かって踏み出す。


「……昔はよくやったわよ。旋回不能になった砲を、素手で無理矢理動かしてさ……」

 彼女はそのまま、高高度を飛行している艦載機たちへ、勢いよく61cm魚雷を放り投げていた。
 そして続けざまに天津風は、その華奢な体からは想像もつかぬ怪力で、自分の頭上へ連装砲くんを抱え上げる。


「『人力対空砲火』」


 呟きと共に放たれた砲弾は、上空で自身の投擲した魚雷を撃ち抜いていた。
 その魚雷の爆轟に巻き込まれ、一気に艦載機群の4割ほどが吹き飛ばされ、墜落してゆく。

「島風、仰角最大!! 急降下爆撃が来るわよ!! 手数ッ!!」
「お、オゥッ!! 連装砲ちゃん、行くよ――!!」

 屋上の南端で、島風と天津風が、自身の連装砲たちを駆って対空砲火を始める。
 しかしその効果は微々たるもので、既に百貨店の直上まで回り込んでいた5割ほどの艦載機には、その砲撃が届かない。


「――アニラくん、もう一段後方を頼む……ッ!!」
「……了解であります」


 その時、台車を蹴って南側に屋上を進み来たウィルソンが、小刻みなバックステップで距離を測っているアニラとすれ違う。
 急降下し、口吻から機銃を放ってくる機体群の火線の隙に、ウィルソンは狙われた台車を転がり落ちながら中空に抜刀した。


「――『獣電ブレイブフィニッシュ』!!」


 瞬間、剣先から放たれた巨大な閃光の斬撃が、ウィルソンを狙って飛来してくる艦載機たちを両断していた。


「――大丈夫か涙子、飾利!! 急いで建屋の陰に隠れろ!!」

 天龍は、吹き飛ばされ横倒しとなったパラソルのもとで、佐天と初春を助け起こす。
 続けざまにエレベーター建屋の裏へ回り込もうとする彼女たちのもとに、残り8機となった飛行する白いヒグマたちが襲来した。

 ――ジャッ。

 その航空機たちが急降下し始めたタイミングにぴったりと合わせて、アニラが地面から踏み切っていた。
 彼は後方宙返りのようにして、真下から勢いよく、上空に自身の尾を走らせる。

 その瞬間、パァン。と、何にも触れずして空気が破裂した。

 『牛追い鞭』のようにして音速を超えたアニラの尾の先端が衝撃波を巻き起こし、急降下していたヒグマたちの鼓膜を穿った。
 内耳まで破裂し、平衡機能を失した6機が、バランスを崩してそのまま屋上の地面に墜落する。
 だがそれでもあと2機が、彼らの即席の防空網を突破して天龍たちに迫っていた。

「きゃ……!?」
「伏せろ飾利ッ!!」

 天龍は、初春とパッチールを自分の身に引き寄せ、背に負った艤装で、迫り来る艦載機たちの機銃を弾いた。
 そして自分の上に近接して落とされる爆弾を、その隻眼でしっかりと捉えていた。

「あぎぃぃぃぃ……る!!」 
「ひぃいぃいぃぃいぃ――!?」
「くっ――!?」

 北岡秀一が吹き飛んだ始めの爆発から、ずっと腰が抜けていたヒグマ提督と、そして佐天の元にもう一機、白い小さなヒグマが飛来する。
 投下される爆弾を、佐天はかろうじて地に転げながら、包帯の巻かれた右手で受け止めた。
 瞬間、キャッチされた爆弾は氷に包まれる。
 さらに佐天は、肉薄して噛みつこうとして来る飛行するヒグマに、自身の左の人差し指と中指を、剣のように伸ばして突き出していた。


「『最小範囲・第四波動』ッ!!」


 瞬間、激突したヒグマの口から首の裏まで、佐天の指先が貫通していた。
 高熱を帯びて黒焦げになった貫通創に脊髄を分断され、その小さなヒグマは痙攣して死んだ。


    ,,,,,,,,,,


 ハァー 天竜二十五里 紅葉のなかを(ハオイヤ)
 舟がぬうぞえ 舟がぬうぞえ 糸のせて(ハ ソリャコイ アバヨ)


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 その時天龍は、自身の名が織り込まれた歌の一節を思いながら、身を捻り起こしていた。
 落下する爆弾に合わせ、天龍は自身の左手に持ったナイフを、逆手にして振り上げる。
 刃ではなく、ナイフの腹で。
 信管の先ではなく、弾体の中腹を払いあげるようにして、投下された爆弾を、来襲する艦載機の方に弾き返していた。


「あぎぃぃぃぃ……る!?」
「『紅葉の生絲』ッ!!」


 そして直後、背に回っていた右手の日本刀が、勢いよく大上段から振り下ろされた。
 ボイラーの熱を受け赤熱した彼女の刀が、踏み込みと同時に、ヒグマと爆弾を同時に唐竹割りとし爆死せしめる。
 彼女が姉妹艦と共に編み出していた、独自の近接格闘技術の一つが、それだった。


「天龍! 無事!?」
「てーとく! 提督は大丈夫!?」
「ああ! 天津風たちは損傷ないか!?」
「ひ、ひぎぃ……」

 屋上の端から駆け寄ってくる天津風と島風に、天龍が叫び返す。

「き、北岡くんは、死んでしまったのかね……!?」
「北岡氏の他部位はこの場に確認できません……!」

 ヒグマ提督が恐怖で呻くさなか、アニラがウィルソンを助け起こし、高速で台車に乗せて連れてくる。


「いきなりなんだってのよ……、こんな、戦闘機みたいな、翼竜みたいな……!」
「し、深海棲艦だ、深海棲艦の艦載機だ……!!」


 佐天が自分の串刺しにした、体長15cm、翼開長30cm程の異形の白色ヒグマの死骸に呟いた時、ヒグマ提督は、ふらふらと立ち上がりながら慄いていた。
 天龍とアニラが、急いで一行を取りまとめようと声を掛け合う。

「編隊が飛んで来たのは南東側だよな!? どうする、フェンスの際から俯角つけて撃ち下ろすか!?」
「……北岡氏を喪った以上、まず屋内退避から、逃走経路の確保が先決でありましょう。それに――」

 アニラの赤い瞳が、屋上の崩れた南東の角へ振り返った。


「――敵は既に登ってきております!!」
「なっ……!?」


 アニラが、普段の彼らしからぬ声量で喋った直後、砲撃で破壊された南東の角から、巨大なヒグマの掌が、ぬっと彼らの視界に伸び上がってくる。

 一同が立ちすくむ間に、その脚は、いくつものヒグマの顎と共に、その全容を現してきていた。
 少なくとも5つ、その胴体には口があった。
 その巨大な口は、体長4メートルはあろうかという巨体の毛皮のうちから生じ、その四肢のさらに上に、もう一つ体を有していた。
 そんな異形のヒグマの肉体に、無理やり接合されたような裸体の少女の身が、そこにはあった。
 血の気の失せた死者のような白い顔で屋上の端に上がり、彼女はにっこりと、微笑んでいた。


「提督、探しまシタよ♪ みんなデ礼砲ヲ撃ち合って再会なんテ、盛大で素敵デスネ♪」


 ああ彼女が、正気でありさえすれば、その微笑は本当に、美しかっただろう。
 その少女――、戦艦ヒ級の威容に、屋上の一同は、呑まれた。


「や、大和……、なの……?」


 震える艦娘たちの中で、一番初めに、彼女の正体を理解したのは、天津風だった。
 その言葉を耳にし、次いで彼女のことを正確に理解したのは、ヒグマ提督だった。


「う、うわぁあああぁぁぁああぁあぁあぁぁああぁあぁあぁぁ――!!」
「あが――っ!?」
「うおっ!?」
「きゃぁっ!?」
「ぱぁ!?」

 狂ったような叫び声と共に、ヒグマ提督は全速力で走り出していた。
 目の前にいた佐天を突き飛ばし、エレベーターホール前に立ち尽くしていた天龍と初春および、そこに抱えられていたパッチールを押しのけ、彼はエレベーター建屋内に逃げ込む。
 佐天が、即座に眦を怒らせて立ち上がっていた。


「ま、待て――ッ、どこに――!!」
「……アレ、提督? どこへ行くンデスか――?」


 そのヒグマ提督の動きを、戦艦ヒ級は、首を伸ばすようにして眼で追う。
 同時に、彼女の胴体正面下部に据えられている超大口径の連装主砲が動くのを、天津風は捉えた。


「大和――ッ!! 暴れないでッ!!」
「ほえ?」


 天津風は風を纏い、咄嗟に走り出した。
 ヒグマ提督に向けられ始めていた戦艦ヒ級の視線を、裂帛の気合をぶつけて自身に注がせる。
 高速で接近してくる天津風に、戦艦ヒ級の腕部の顎が、横薙ぎに彼女の体に喰らいつこうとした。

 だが、間違いなく天津風の頭部を噛み千切るはずだったその顎は、彼女の鼻先を掠めて空ぶった。
 天津風の速度は、大和が目視予測したものよりも、実際はかなり遅かった。
 自身の強化型艦本式缶の熱量で、相手に近づくように見える僅かな熱レンズ効果を周囲の空気に発生させ、対象に相対速度を誤認させる『速力偽装』――。
 それこそ、天津風が独自に編み出した操艦術の一つである。

 そのまま彼女は振り抜かれた顎の上に手をついて踏み切り、一気に大和の首筋へ、肩車をするように飛び乗っていた。
 背後から裸締めのようにがっちりと手足を戦艦ヒ級に絡め、天津風は連装砲くんを彼女のこめかみに突きつける。


「……悪く思わないで……! どうか安らかに、成仏して……!!」
「ア、天津風サン!? わ、悪いヤツに、操らレテいるンですカ……!?」


 唇を噛んで、天津風は大和の言葉に返事をすることもなく、即座に連装砲くんを斉射する。
 だがその直前、彼女の掴む連装砲くんは、蛇のように伸びた戦艦ヒ級の副砲の顎に噛まれ、腕ごと捻り上げられていた。

「なんて力……ッ!? ガハァ――!?」

 天津風の体は、そのまま引き剥がされ、振り回され、屋上の地面に叩き落とされる。
 もう既に大和の視線は、もんどりうった天津風ではなく、ヒグマ提督の立ち入ったエレベーター建屋に注がれていた。


「これではやっパリ、皆さんを正気ニ戻シテあげなきゃダメみたいデスね……」
「ひぃっ、ひぃぃ――!?」
「おい、開けなさい!! 逃げるな――ッ!!」


 その時既に、屋上に到達する唯一のエレベーターに乗り込んだヒグマ提督は、滅茶苦茶にボタンを押下して扉を閉め、下に降り始めようとしていた。
 逸早く追い縋った佐天がそこに入った時には既に、エレベーターの扉は閉まり切っていた。


「――佐天女史!! そこにいてはなりません――!!」
「あいつが――!! 全てあいつが元凶なのよ――!? 差し出して、責任を、取らせなきゃ――!!」

 続けざまにアニラが駆け寄った時、佐天は全身を怒りに燃やして、エレベーターの扉を叩いていた。
 億兆京那由他阿僧祇の月の歪みに身を任せて、その金属を削るようにして拳で噛みつく。
 ――『疲労破壊(ファティーグフェイラァ)』。
 彼女の左手が叩きつけられた黒い金属扉は、その部位が砂のように細かな粉塵となって砕けてゆく。

 佐天は、泣いていた。
 何もかも、許せなかった。

 悪意もなく人を奴隷としたヒグマ提督が。
 そのヒグマ提督を容認したような北岡秀一が。
 その北岡にさらに同調するようなウィルソン・フィリップスが。
 適当な言い分をつけて人を喰ったアニラが。


 そして何より、知らず知らずに人を殺し、恩人を裏切った佐天涙子が、許せなかった。


 自分の産み落とした歪みと罪を直視せずに逃げるなど、許されないことだった。

 ヒグマ提督を連れてきてしまったのは、佐天自身の罪だ。
 あの『深海棲艦』という者は、ヒグマ提督を追って来たのだ。
 あの時ヒグマ提督を殺していれば、こんな目に会うことはなかった。

 何も償う方法が無いなら、死ぬしかないのだ。
 死んで責任を取る意気地も無いのなら、殺されるしかない。
 殺すしかない。

 殺す。
 殺す。
 ヒグマ提督を殺す。
 自分自身を殺す。
 自分を殺して自分も死ぬ――。


 アニラが、彼女の右手を取った。


「佐天女史――」
「触るなッ、『人食い』の、『バケモノ』――ッ!!」


 そして佐天は、彼の手を振りほどいた。
 その勢いのままに振り向いた彼女の眼は、エレベーターホールの入り口で手を差し出した形のまま、きょとんと立ち尽くすアニラの姿を、見ていた。
 漆黒の鱗を纏い、鋭い爪と皮膜の翼を持ち、異形の巨体を有したその『人間』は、その表情に何の感情も表さず、ただそこに、あるがままにいる、だけだった。

「あ、あ――」

 ふらふらと足を踏み替えた佐天の目から、大粒の涙が零れた。


「ごめん、なさい――」
「……第一、第二主砲。斉射、始メ」


 佐天が口の中でだけ呟いた声は、続けざまに響いた巨大な爆轟の音響に、吹き飛ばされていた。
 屋上のエレベーター建屋に着弾した、24インチの徹甲榴弾2発は、その構造体を内部から木端微塵に爆裂せしめた。


「ガ……、ふ……」


 佐天は、自分の体が、コンクリートの破片と共に吹き飛ばされることだけはわかった。
 彼女の意識は紙屑のように吹き飛び、屋上東側のフェンスへ、それを根元から歪ませるほどの高速で激突した。
 爆風で挫傷した肺から喀血を吹き、彼女は自分の脊柱を下って下へ下へと落ちてゆく。

 彼女は自分の中の商店街を、また自分独りで、歩いて降りて行った。


    ,,,,,,,,,,


 戦艦ヒ級から放たれた主砲の一撃は、周囲にいた人員にも相応の被害を与えた。
 佐天に次ぎ爆心地に近かったアニラは、球状に丸まった耐衝撃姿勢を採ったものの、佐天の横のフェンスにやはり続けざまに激突した。


「うおぉお――!?」

 天龍は、ウィルソンと初春に覆いかぶさるようにして伏せていた。
 それでも飛来した爆風とコンクリートの破片で、服は裂かれ、艦橋から突出した主砲と副砲は叩き折られて吹き飛んでいた。


「提督!? 提督!?」
「ッッ、佐天さん――!!」
「良かっタ♪ これで提督のアタマも元に戻りましタネ♪ 後で大和が修理してアゲマスから、もうちょっと待ってテくださいネ♪」


 被害を免れたのは、爆風の圏内から高速で退避していた島風と、戦艦ヒ級の前に叩き付けられていた天津風である。
 狂ったような上機嫌で笑う戦艦ヒ級のもとから、天津風が急いで立ち上がり、走り出していた。


「ガ……、ふ……」


 意識を失った佐天涙子が、衝撃で歪み、折れつつあるフェンスごと、屋上の外に落下しそうになっていた。
 6階建ての百貨店の屋上から、2階までの高さを埋める氷までの距離は、約15メートルにもなろうか。
 そんな高さを意識のないまま落下してしまえば、即死は免れないだろう。

 強化型艦本式缶に点火し、全速力で天津風は、走った。
 爆風に耐えて体勢を崩している面々の傍を風のように通り過ぎ、ぐらぐらとフェンスを曲げて落ちようとして行く佐天の手を掴んでいた。
 手足と尾の全てを丸く抱え込んだ耐衝撃姿勢から逸早く復帰したアニラに、彼女はぐらつくフェンスの上から、佐天の体を投げ渡そうとした。


「皇さん――! 彼女を――!!」
「……次は天津風サンですかネ♪」


 その瞬間、戦艦ヒ級の砲が火を噴いた。
 駆逐艦の体を貫くには、主砲に次弾を装填する片手間の副砲で、十分だった。


「げぁ――……」


 佐天涙子の体をフェンスから投げた瞬間、天津風の胴体が、その砲撃で千切れ跳んだ。
 骨盤部から爆ぜた彼女の両脚が、その赤いソックスとガーターベルトを風に泳がせ、てんでばらばらの方向に飛んでいった。
 天津風の上半身は、胴部から内臓と鮮血を吹き零しながら、完全に折れたフェンスの一部もろとも、15メートル下の氷上へ、落下していった。


「あ、天津風ぇ――!?」

 白目を剥いて落下してゆく彼女に手を伸ばし、天龍は絶叫した。

「良かったァ~。無事命中でス♪ この調子で艦隊みんな直してアゲマスね♪」
「なんで!? どうして!? なんでこんなことするの、大和ォ――!!」


 悠然と歩み寄りつつ笑う戦艦ヒ級の前で、島風が呆然と立ち尽くしながら叫ぶ。
 戦艦ヒ級は、にっこりと首を傾げた。


「え? だってみんなトモダチじゃアリマセンか。トモダチを直してあげるのは当然デス。遠慮しなくて良いんですヨ?」
「――~~ッ、島風、砲雷撃戦、入ります――!!」


 3基の連装砲ちゃんを走らせ、島風は戦艦ヒ級に砲撃を開始した。
 目の前の相手は、深海棲艦になってしまったのだ。
 沈めなくてはならない存在になってしまったのだ。と、そう、彼女は理解した。


「し、島風ッ……! ――近すぎるッ!!」

 天龍は立ち上がりながら、島風に叫びかけた。
 島風は、肉弾戦で戦うような心づもりでいない。
 深海棲艦相手に、目の前3メートルも離れていない接近戦では、砲雷撃戦の挙動は隙が大きすぎた。

「ひゃっ――!?」

 戦艦ヒ級の腕部の2対の口が、それぞれ蛇のように動いていた。
 連装砲ちゃんからの砲撃を喰らって肉を抉られながらも、その蛇のような顎はほとんど痛痒も感じていないかのように、跳ねまわる連装砲ちゃんに食らいつき、噛み砕き、飲み込んでしまう。
 そしてすぐさま、その連装砲ちゃんの部品で修理が行われたかのように、砲弾を受けた損傷部も再生してしまった。


「天龍くん、まだわしやアニラくんの方がやれる――!! 彼女を退かせたまえ!!」
「退けぇ――、島風!! 俺らで撤退経路を確保する……ッ!!」

 この屋上からは、エレベーター一基の他、北東の隅にある非常用はしごしか、脱出できる経路は無かった。
 エレベーターが倒壊した今、そこにしんがりを置きながら降りていくしか、恐らくこの戦艦ヒ級から逃げる方法はない。
 起き上がったウィルソンが台車に跨り、天龍が初春を降ろして島風に檄を飛ばそうとしたその時、歯を噛んだ島風は、一歩ステップを踏んで、その場から忽然と消失する。

「私には誰も追いつけないッ! だって速いもん――!!」

 ポヒュッ。
 と、空気の収束する音のみを残して、強化型艦本式缶を全開にした彼女は、遥か上空に跳び上がっていた。
 そして彼女は、『速さの極み』によって到達したそんな高高度から、自身の誇る、五連装魚雷発射管を展開していた。


「五連装酸素魚雷、行っちゃってー――ッ!!」


 島風は元々、多数の魚雷発射管で遠距離から魚雷をばらまくという、先制雷撃に特化した艦として設計されていた。
 その速力と同時に、重雷装巡洋艦に迫る、五連装魚雷発射管×3の『十五射線酸素魚雷』を一度に投下する独自の戦法こそが、彼女の彼女たる所以だった。

 直上の上空から発射されてくる十五本の酸素魚雷を見上げてしかし、大和は依然として微笑んでいた。
 彼女の下腹の顎の両眼部に据えられている形の主砲が、信じられないほどの仰角をつけた。


「――敵機捕捉。『三式弾』、全主砲薙ギ払エ」
「――えっ」


 島風が驚きに目を見開いた瞬間、戦艦ヒ級の主砲から、今までのものとは全く趣の異なる砲弾が射出されていた。
 次元信管で着火したその弾丸は、投射されてくる魚雷群を迎え撃つように、炸裂した内部から『焼霰弾』という焼夷弾子を円錐状に撒き散らした。
 冠菊の花火のように展開したマグネシウムの炎は、落下する十五本の魚雷をことごとく、到達前の空中で誘爆せしめてしまう。

 戦艦の主砲から放たれる対空用特殊榴散弾『三式弾』――。

 戦艦ヒ級が自身の培養試験管で生成できる弾丸は、なにも徹甲榴弾だけではない。
 ただそれだけの、ことだった。

 誘爆する黒煙の前を自由落下して突き抜けた島風が次に見たものは、上方に差し向けられる戦艦ヒ級の両腕部と、その口元から立ち上がる4基の機銃だった。


「あ、あ――、うわぁあああぁぁ――!?」


 重力に身を任せるしかない島風は、その両腕で顔を覆うことしかできなかった。
 軽妙な打楽器のように機銃は鳴り響き、島風の肉体を余すところなく穿った。
 鮮血で真っ赤になった『蜂の巣』と化し、島風は受身を取ることもなく一度屋上の床にバウンドし、壊れた人形のように赤い筋を引きながら、天龍の足元にまで転がり、止まった。

 ぐぷ。
 と、血の唾液を吐いて、穴だらけになった体に、彼女は最期の息を漏らす。


「速いだけじゃ……。ダメなのね……」


 その眼から光を落とし、島風は轟沈した。


    ,,,,,,,,,,


「……へっ、へげぇぇ……」

 3階のエレベーターのドアが、内側から無理矢理こじ開けられていた。
 その中のひしゃげたエレベーターボックスから、よろよろと一頭のヒグマが這い出てくる。

 ヒグマ提督の乗ったエレベーターは、戦艦ヒ級の砲弾が着弾した時、かろうじて6階と5階の境程度にまで下っていた。
 そのため、その爆轟の直接の影響は受けず、建屋の崩壊で千切れたワイヤーのお蔭で、むしろ3階まで直滑降できる形となった。
 2階以下は未だ結氷した津波に封じられているその階までエレベーターボックスは落下して止まり、その衝撃自体はボックスがひしゃげることで緩衝され、ヒグマ提督のダメージは軽いもので済んでいた。

 慄きの言葉を漏らしながら、ヒグマ提督はふらふらと百貨店の3階で、出口を求めてさまよった。
 方向感覚をも失している彼は、初めに入って来た窓の場所もわからなかった。


「なんで大和が……! 生まれてすらいなかったのに……!!」


 だが呟きながら、彼はその事実に、思い当ることはあった。
 親と言うべき自分にうち捨てられ、見はなされたまま放置されたその境遇。
 四肢の欠損と、それに無理矢理あてがわれたような異形のヒグマの肉体。


「比留子(ひるこ)……、まるで日本神話の、『ヒルコ』みたいな……」


 伊邪那岐、伊邪那美の神の最初の子であったが、不具の子として流された子供。
 その子供がもし流された先で生きていたとしたら、自分を捨てた親に怨みを抱かないことがあろうか――?
 海に揺蕩い、彷徨った寂しさを、晴らしたくならないことがあろうか――?


「……ひぃ、ひ、ひえぇあぁぁああぁああぁ――!!」


 ヒグマ提督は、恐怖に苛まれたまま走り回り、『開け放されている』窓をようやく発見した。
 彼は後先もわからず、そこから転がり出て、溶けつつある氷の上に飛び出しながら、かつ滑りかつ転び、無様な様相で街の中に逃げていった。

 彼は、その窓が、本当に自分が初め百貨店に入って来たときの窓だったかどうか解らなかった。
 だがそんなことは彼にとってどうでも良かったし、3階のフロアの内外に、何か変化があったかどうかなど気づきもしなかった。

 確実なことは、彼と天龍たちが百貨店に入って来た時、その窓は、『叩き割られていた』ということである。


【C-4 氷結した街/午後】


穴持たず678(ヒグマ提督)】
状態:ダメージ(小)、疲労(中)、恐懼
装備:なし
道具:なし
基本思考:責任のとり方を探す
0:深海棲艦化した大和から逃げる
1:大和……、なんで大和が……!?
2:こんなの、私の知ってる艦これじゃない!!


    ,,,,,,,,,,


「し、ま、か、ぜぇ――!!」
「天龍くん――ッ!!」
「す、皇さん――!!」


 天龍は、動かなくなった島風の元に屈み込み、慟哭した。
 ウィルソンが彼女を後ろへ押しやり、一度だけ振り向く。

 たじろぐしかない初春とパッチールの脇を、アニラが佐天を抱えたまま走り過ぎた。
 同時にウィルソンが、raveとBraveのガブリカリバーを握り締め、台車を蹴って戦艦ヒ級に駆けた。


「アニラくん――、エスケープラダーの確保を――!!」


 ウィルソンの言葉がなくとも、アニラの行動は既にその行為に走っていた。
 アニラ以外の人員は、北東部のはしごがなければ、とても15メートル下の氷上になど降りられないだろう。
 エレベーターが崩れた以上、そこしか退路は無かった。


「『獣電、ブレイブフィニィィィィィイイイイッシュ』!!」


 ウィルソンは着流しの袖をはためかせ、台車の車輪を打ち鳴らし、斃れた島風の隣を通り過ぎ、真一文字にその剣を振るっていた。
 そこから放たれた閃光の刃は、南側のフェンスの金網一面を真横に切断する。
 しかし、その一撃は戦艦ヒ級自体には、当たっていなかった。


「はじめまシテ♪ 友軍の司令サンですか?」
「くぉっ――!!」


 戦艦ヒ級は、その巨体からは想像もできぬ跳躍力で、真上に跳び上がっていた。
 そして上空から、ウィルソンに向けて俯角をつけ、両腕の副砲が向けられる。

 ウィルソンはその瞬間、台車のハンドル側に全体重をかけて意図的に転倒する。
 滑るように車輪を浮かせて吹き飛ぼうとするその台車へ無事な足先を掛けて、上方に蹴り上げていた。
 副砲の弾丸は、その台車のマットに命中して爆裂する。


「くっ、チェァッ――!!」
「アラ?」


 そして同時に側方に転げて残弾を躱していたウィルソンは、その回転のさなか、さらに抜刀する。
 その剣閃は、着地する戦艦ヒ級の両腕部前方の副砲を、ヒグマの顎ごと切断し落としていた。

「御嬢さん……。キミがこれ以上荒れるなら、わしが、全霊のブレイブで止めてみせる……!!」
「アラアラ、ダンスのお申込みですカ? 楽団の演奏ならよくアリましたケレド~」

 うつ伏せの体勢から一気に跳ね上がり、片足隻腕の剣士がガブリカリバーを彼女に突き付けた。


 その時既に、アニラは北東の隅の非常用はしごの元に辿り着いていた。
 そして彼はそこへ手を伸ばし、気絶している佐天涙子をまず階下に降ろそうとする。
 その瞬間だった。

 突如、はしごを屋上階に止めていたボルトが、外されていた。

 アニラの伸ばした手をすり抜け、そのはしごは氷上へと倒れてゆく。
 有り得ないことだった。

 ――各階の壁面に止まっている全ての留め具を外さない限り、こんな現象は起きない!!

 そう思考した彼が、はしごのあったフェンスの隙から下方を覗くと、彼の視線は、6階の窓から身を乗り出して見上げてくる何者かの視線と目が合った。
 それは、体の半分ずつが、白と黒とに塗り分けられた、小熊のようなロボットだった。


「うぷぷぷぷぷアニラくん! ここはいい感じで『風が吹き下ろしている』よね!!」
「――!?」


 そこに身を乗り出し、工具と拳銃を構えているのは、江ノ島盾子の操る、モノクマであった。
 挨拶と同時に発射された拳銃弾をアニラが屋上に身を退いて躱した時、彼の背後から、初春の悲鳴が聞こえた。


「いっ――!? きゃぁあああぁあぁぁ――!?」
「ぱぁ!? ぱぁ――!?」
「ひょっほ~、大漁大漁♪ サンキューアニラくん!!」


 更に別のモノクマが、天津風とフェンスの転落した西側の縁から、何かを初春の体に投げつけ、彼女をパッチールごと絡め取っていた。
 それは、島風が引っかかり、3階のフロアに外されたままの、『蚊幕』だった。
 小さな毛針を服や髪や肌に絡みつけられ、初春はそのままモノクマに掴まってしまう。

 天龍が島風に気を取られ、アニラが屋上の反対側に離れ、ウィルソンが戦艦ヒ級に対峙していた、完璧なタイミングでの奇襲だった。

「さ、佐天さん、皇さぁ――ん!!」
「か、飾利ッ――、『紅葉の錦』――ッ!!」

 手を伸ばして叫ぶ初春を掴むモノクマに向け、一番近い位置にいた天龍が咄嗟に、自身の赤熱した日本刀を振るっていた。
 艦橋から噴霧した重油を炎として投射するその即席火砲はしかし、初春が連れ去られたあとの空を撫でるだけだった。


「初春くん――!?」
「ダンスの最中にヨソ見するとアブナイですヨ?」


 余りに突然の事態に、ウィルソンは戦艦ヒ級の目の前で、背後を振り返ってしまっていた。
 直後、戦艦ヒ級が横薙ぎに振るった前脚が、彼の無事な右脚を綺麗に払っていた。

「ガッ――!?」

 ベキ、ベキ。
 と、それだけで、彼の脛骨と腓骨は纏めて解放骨折し、宙に跳ね上げられたウィルソンは何回かきりもみ回転をして屋上の床に落ちた。


「わわ、スミマセン。大丈夫デスカおじさま? ですから、ダンスはアブナイんですっテ!
 でも安心してクダサイ! 大和がきちんとおじさまも直しテあげますカラ!!」
「ぐ、ぎ、が……ァ……」


 激突と骨折の痛みで地にもがくウィルソンの背後で、戦艦ヒ級は、半分心配そうに、半分朗らかに、全体的に10割狂った調子で笑った。

 彼女としては、これでもレディとして真面目にダンスをするつもりでいたのだ。
 致し方ない。


    ,,,,,,,,,,


 こうして数分のうちに百貨店の屋上は、瞬く間にして絶望の暴風に包まれていた。
 その激しい逆風の中で、天龍は、アニラは、ウィルソンは、自身の向かうべき目的地を、構えるべき魂の方角を、必死に見極めようとした。

 その大時化に見舞われる海路の中、天龍の抱く沈没したはず船が、ふと、その旗を立てていた。


「……島、風……?」


 自分の抱きかかえている、先程までピクリとも動かず、心臓も止まっていたはずの血まみれの少女が、天龍の手を、握り返している。

 コロン。
 と、何か小さな金属片が床に落ちた。
 機銃の弾丸だった。

 島風の全身に穿たれていた弾丸が、次々とその肉からせり出して落ちてゆく。
 強化型艦本式缶が再点火され、血潮の拍動がその体内でタービンを駆動させる。
 ガクン、と、機械的に首をもたげた島風の双眸が、一気に開いた。


【――緊急ダメコン発動!!】


「お、『応急修理要員』……!?」


 ヒグマ提督が彼女に託した、秘蔵の装備――。
 何があろうと、どんな大ダメージを喰らおうと、一度だけ、轟沈によるロストを回避する、ダメージコントロールの神業を有した妖精の加護。
 『応急修理要員』の効果だった。


「……『昭和十六年八月八日』。……私の心は、あの日に還る」


 今までの駆逐艦・島風のような、無邪気に過ぎる笑顔は、そこに浮かんではいなかった。
 鮮血に塗れた双眸を開いて、駆逐艦・丙型一二五は、厳かな低い声で汽笛を上げる。

 ――ああそうして、幽霊船の汽笛は届く。

 彼女と同様に、自分の中という水底から二度目の浮上を試みる少女も、未だここに、微かな息を保っている。


【C-4 街(百貨店屋上)/午後】


【佐天涙子@とある科学の超電磁砲】
状態:気絶、肺挫傷、疲労(小)、ダメージ(大)、両下腕に浅達性2度熱傷、右手示指・中指基節骨骨折(エクステンションブロック法と波紋で処置済み)、頬に内出血
装備:なし
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:対ヒグマ、会場から脱出する
0:私は……、私を裏切った……。
1:人を殺してしまった罪、自分の歪みを償うためにも、生きて初春を守り、人々を助ける。
2:もらい物の能力じゃなくて、きちんと自分自身の能力として『第四波動』を身に着ける。
3:その一環として自分の能力の名前を考える。
4:『分子間力(ファンデルワールスフォース)』……!!
5:私の奥底に眠る、『在り方』って……?
6:ごめんなさい、ごめんなさい皇さん……。ごめんなさい……。
[備考]
※第四波動とかアルターとか取得しました。
※左天のガントレットをアルターとして再々構成する技術が掴めていないため、自分に吸収できる熱量上限が低下しています。
※異空間にエカテリーナ2世号改の上半身と左天@NEEDLESSが放置されています。
※初春と協力することで、本家・左天なみの第四波動を撃つことができるようになりました。
※熱量を収束させることで、僅かな熱でも炎を起こせるようになりました。
※波紋が練れるようになっているかも知れません。
※あらゆる素材を一瞬で疲労破壊させるコツを、覚えてしまいました。


【島風@艦隊これくしょん】
状態:轟沈(緊急ダメコン発動!!)、全身に機銃の弾痕、キラキラ
装備:連装砲ちゃん×3、5連装魚雷発射管、強化型艦本式缶(備品)
道具:13号対空電探、基本支給品、サーフボード
基本思考:??????????
0:??????????
[備考]
※ヒグマ帝国が建造した艦むすです
※生産資材にヒグマを使った為、基本性能の向上+次元を超える速度を手に入れました。
※速さの極みに至った場合、それはただの瞬間移動になり、攻撃力を持ちません。
※エネルギーを失えばその分減速してしまうため、攻撃と速力の極限は両立しません。
※全身を蜂の巣にされるという重大な損傷からダメコンで復帰しています。思考回路が今までの状態から大きく変化してしまっているかも知れません。


ウィルソン・フィリップス上院議員@ジョジョの奇妙な冒険】
状態:大学時代の身体能力、全身打撲・右手首欠損・左下腿切断(治療済)、右下腿解放骨折、波紋の呼吸中
装備:raveとBraveのガブリカリバー、浴衣
道具:アンキドンの獣電池(2本)
[思考・状況]
基本思考:生き延びて市民を導く、ブレイブに!
0:完全に虚を突かれた……ッ! 若人だけは……! 若人の未来と勇気だけは、守らねば……!!
1:折れかけた勇気を振り絞り、人々を助けていこう。
2:救ってもらったこの命、今度は生き残ることで、人々の思いに応えよう。
3:わしは『守護動物』も『波紋』も持っていて、未だこれだ。さらに伸びしろのある人物は……?
[備考]
※獣電池は使いすぎるとチャージに時間を要します。エンプティの際は変身不可です。チャージ時間は後続の方にお任せします。
※ガブリボルバーは他の獣電池が会場にあれば装填可能です。
※ヒグマードの血文字の刻まれたガブリカリバーに、なにかアーカードの特性が加わったのかは、後続の方にお任せします。
※波紋の呼吸を体得しました。


アニラ(皇魁)@荒野に獣慟哭す】
状態:喋り疲れ、脱皮中
装備:『行動方針メモ』
道具:基本支給品、発煙筒×1本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、缶詰・僅かな生鮮食品、簡易工具セット、メモ帳、ボールペン
[思考・状況]
基本思考:会場を最も合理的な手段で脱出し、死者部隊と合流する
0:現状で最大戦力を生存させる方法は……!?
1:この屋上が絶対的な風上であることをさらに考慮しておくべきだった……!!
2:佐天女史……! 自分は、何がいけなかったのでありましょうか……!?
3:参加者同士の協力を取り付ける。
4:脱出の『指揮官』たりえる人物を見つける。
5:会場内のヒグマを倒す、べきなのでしょうか。
6:自分も人間を食べたい欲求はあるが、目的の遂行の方が優先。
[備考]
※脱皮の途中のため、鱗と爪の強度が低下しています。


【天龍@艦隊これくしょん】
状態:小破、キラキラ
装備:日本刀型固定兵装、投擲ボウイナイフ『クッカバラ』、61cm四連装魚雷
道具:基本支給品×2、ポイントアップ、ピーピーリカバー、マスターボール(サーファーヒグマ入り)@ポケットモンスターSPECIAL
基本思考:殺し合いを止め、命あるもの全てを救う。
0:島風……、大和……、一体何が……!?
1:迅速に那珂や龍田、他の艦娘と合流し人を集める。
2:金剛、後は任せてくれ。俺が、旗艦になる。
3:ごめんな……銀……
4:初春とパッチールは……!? 天津風は……!? 北岡は……!?
[備考]
※艦娘なので地上だとさすがに機動力は落ちてるかも
※ヒグマードは死んだと思っています


【戦艦ヒ級改flagship@深海棲艦】
状態:精神錯乱、両腕前部副砲切断
装備:主砲ヒグマ(24inch連装砲、波動砲)×1
副砲ヒグマ(16inch連装砲、3/4inch機関砲、22inch魚雷後期型)×4
偵察機、観測機、艦戦、艦爆、艦攻、爆雷投射機、水中探信儀、培養試験管
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ提督を捜し出し、安全を確保する
0:ヒグマ提督とみなさんを直してあげますヨ♪
1:ヒグマ提督の敵を殲滅する
2:ヒグマ提督が悪いヤツに頭を乗っ取られているなら、それを奪還してみせる。
3:あの男の人は、イイヒトだった。大和の友達です。
4:私を助けてくれたメロン熊さんはイイヒト。大和の友達です。
5:皆さんが悪いヤツに頭を乗っ取られているなら、正気に戻してあげなくちゃですね!
[備考]
※資材不足で造りかけのまま放置されていた大和の肉体をベースに造られました
※ヒグマ提督の味方をするつもりですが他の艦むすとコミュニケーションを取れるかどうかは不明です
※地上へ進出しました
※金剛の死体を捕食したことでヒグマ30~40匹分のHIGUMA細胞を摂取しました
※その影響でflagship→改flagshipに進化しました


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 初春飾利とパッチールは、各階の窓から身を乗り出しているモノクマに、リレーのようにして放られ、氷の地面に降ろされていた。
 蚊幕のテグスで全身を縛られ、身動きが取れないようにされた上で、彼女は数匹のモノクマに取り囲まれてしまう。

「え、江ノ島さん――ッ!! どうして、どうしてあなたがここに!?」
「うぷぷぷぷ~。そりゃぁずっと、私様の正体を知るヤバイやつらを陥れるタイミング狙ってたからに決まってんじゃ~ん。
 北岡くんの見回りの視界はまさに灯台もと暗しだし。全容がわからず警戒してたアニラくんのトラップも、ご丁寧に全部外してもらっちゃったからね!
 温度差で風向きも上々とくれば、こりゃ3階から6階まで入り放題だったわけよ!!」

 モノクマがこの百貨店を攻めあぐねていた決め手の一つとして、鳴子の存在があった。
 ふとしたタイミングで鳴子に引っかかり、その騒音で屋上に待機している面子に存在を知られてしまえば、その侵入は初めから大失敗となる。
 だが逆に、それさえなくなってしまえば、この百貨店という拠点は、見回りの視線を容易く掻い潜れ、絶対的な風下側から忍び寄れる、隙だらけの場所に変わってしまうのだった。

 それを察して、初春は震えた。


「……わかりました。ええ、痛いほどよくわかりました。ならば何故、私を生かしておくんですか……?
 天龍さんたちのご友人にあんな、おぞましい改造を施して、一体何がしたいんですか!?」
「そりゃぁ、大和ちゃんと同じよ、私様の個人的な、U☆RA☆MIってヤツ!!
 特にてめぇには大層赤っ恥かかせてもらったからなぁ初春ちゃんよぉ!!」
「あなたなんか旅の恥ごと脳みそ掻き捨てちゃえばいいんですよ!!」
「うっせ黙れ、絶望しやがれ!」
「――うあっ!?」


 殴り飛ばされた氷上の先でそして、初春は余りにも酸鼻なものを見てしまった。
 顔を背けようとしたところをモノクマに押さえつけられ、初春は間近に、その物体を見せ付けられてしまう。

「ほぉら、よぉく見てみな……。これがオマエラの末路だよ。佐天も、アニラも、ウィルソンも天龍も、みぃんなこうなっちまうんだぜ~?
 初春ちゃんには、その全員の死に様を堪能してもらってから、極大の絶望のままに死んでもらうぜ!」
「ひ、ひぃ――!?」


 その白いはずの氷上は、真っ赤な血溜まりに没していた。
 その中央に、白目を剥き、息もせぬままに、銀髪の少女の上半身が転がっている。
 駆逐艦・天津風と呼ばれていた少女だった。
 彼女は背中の艤装からもぶすぶすと煙を上げ、爆裂した胴体から、その内部の臓物を血溜まりの一面にぶちまけている。
 力なく、無造作に横たわる腕は当然、ピクリとも動くことはなかった。

 燻される煙の悪臭と、屠殺場のような臓物の血臭が目前に迫り、初春は吐き気を堪えるので精一杯だった。


『――「ばかぢから」ッ!!』
「ぬ……っ!?」


 その時突如、初春を押さえつけていたモノクマを、背後から殴りつけた者がいた。
 パッチールだ。
 初春が氷上に降ろされるまでに振り落とされていた彼が、初春を守ろうと、決死の思いを小さな体に込め、彼は立ち向かっていた。


『「ドレインパンチ」ッ!!』
「無駄無駄無駄~。弱すぎんだよ素のままのキミなんざさぁ~」

 しかし彼のパンチは、ほとんど体格の変わらないモノクマに平然と受け止められてしまう。
 そしてそのまま掴みあげられた彼は氷に叩きつけられ、天津風の血溜まりの上に蹴り飛ばされた。

『ぐっ、ガハぁ――!?』
「パッチールさん!?」
「自分の無力さを呪うんだね~。迷走を続けたキミは、そのまま野垂れ死ぬのがお似合いだよ!
 かつて人を怨んだキミが、今また人を助けようとするなんて、おこがましいにも程があるっての!」
『く、くそぉ――、ま、待て……! その子を、放せ……!!』
「ひゃっひゃっひゃ~、悔しかったら追ってみな! この大量のボクらモノクマに勝てると思うならね~!!」
「パッチールさん、パッチールさぁ――ん!!」


 呻きながら初春へ手を伸ばすパッチールをせせら笑いながら、百貨店の各階の窓からモノクマが何体も何体も飛び降りて初春を西の町並へ運び込んでゆく。
 そのまま、手出しされない遠くから、屋上の惨劇を初春に見せ付けるのだろう。

 血溜まりの中で、パッチールは、身をよじって泣いた。

 自分の心を助け出してくれた少女を、彼は助けることができなかった。
 彼に手を差し伸べてくれた人間は、またしても彼の元から、離れていってしまった。


【C-4 氷結した街(西側)/午後】


【初春飾利@とある科学の超電磁砲】
状態:健康
装備:叉鬼山刀『フクロナガサ8寸』
道具:基本支給品、研究所職員のノートパソコン
[思考・状況]
基本思考:できる限り参加者を助けて、一緒に会場から脱出する
0:佐天さん!! 皇さん!! みんな、どうか逃げて――!!
1:ヒグマという存在は、私たちと同質のものではないの……?
2:佐天さんの辛さは、全部受け止めますから、一緒にいてください。
3:パッチールさん、パッチールさん!!
4:皇さんについていき、その姿勢を見習いたい。
5:有冨さん、ご冥福をお祈りいたします。
6:布束さんとどうにか連絡をとりたいなぁ……。
[備考]
※佐天に『定温保存(サーマルハンド)』を用いることで、佐天の熱量吸収上限を引き上げることができます。
※ノートパソコンに、『行動方針メモ』、『とあるモノクマの記録映像』、『対江ノ島盾子用駆除プログラム』が保存されています。


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 天津風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ


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『くそ、くそっ、クソッ……!! どうして……、どうしてボクには、力がない……!!
 どうして、どうして――!! なんで彼女を、彼女一人すら、ボクは、守ることができない――!!』
「……至誠に悖る、勿かりしか?(真心に反する点はなかったか)」


 数十体に及ぶモノクマたちの波が過ぎ去った後、呻いていたパッチールの隣から、信じられない声が聞こえた。
 振り向いたパッチールの横に、先程まで白目を剥いていたはずの少女が、真っ直ぐに彼を見上げて、静かに言葉を紡いでいた。


「言行に恥づる、勿かりしか?(言行不一致な点はなかったか)」
『あ、天津風さん――!?』
「気力に缺くる、勿かりしか?(精神力は十分であったか)
 ――あ、手ぇ空いてたら私の内臓拾うの手伝って」


 驚愕するパッチールをよそに、天津風は上半身だけの身を起こし、つらつらと訓戒を述べながら、腹膜を引っ張って氷上に散らばった自分の小腸を集め始めていた。


「努力に憾み、勿かりしか(十分に努力したか)。
 不精に亘る、勿かりしか(最後まで十分に取り組んだか)――。
 結局はね、作戦を遂げて目的地にたどり着けるかは、これだけにかかってるのよ、パッチールさん」
『天津風さん、死んでたんじゃないんですか――!?』
「そう見えたでしょ? 昔っから得意なのよ、『轟沈偽装』は」


 得意げに言った彼女は、偽装に刺さっていた発煙筒を、用済みのものとして氷に突き刺した。
 そうして彼女は、自分の腹からはみ出した内臓を全て腹腔内に詰め込んで、自分の服とガーターベルトで縛って留めてしまう。
 パッチールは、理解を逸した光景にたじろぐのみだ。


『この血は――!? こんな量の血はどう見ても致死量――!!』
「3分の1くらいは私のだけど、残りは北岡さんからもらった血糊。腹大動脈は落ちながらカタ結びにしといたんで、出血の心配なら無用よ」
『うぇ!? うえぇ!?』
「言っとくけど私は、胴体が半分に捻じ切れてからが本番だから。このまま飲み食いせずとも一週間は余裕ね」


 天津風は今まで、落下したままに死んだふりをしながら、攻め込んできたモノクマたちの戦力と概況をつぶさに観察し続けていた。
 アニラにトマトケチャップを吹きかけられた際も即座に迫真の死んだふりができたほど、天津風にとって自分の死の偽装は、手慣れに手慣れた十八番だった。
 そうして、彼女はモノクマが隙を見せ、攻勢に転じることのできるタイミングを、今の今まで伺い続けていたのである。


『で、でも、天津風さん――、い、痛くないんですかその怪我で』
「そりゃめちゃくちゃ痛いわよ。でも、痛いだけ。まだ十分動ける。帆を張るだけの風は、吹いてる。
 いい、パッチールさん。あなたの願いが、この程度の痛みで諦められるようなものなら、さっさと諦めてしまいなさい」
『うっ――』
「……でも、それでも諦められない目的地なら、自分で風を吹かせなさい。
 『決死』の覚悟で、『必死』の絶望を、吹き飛ばすの。
 どれだけ傷めつけられようと、魂の磁針に乗って動ける限り、私たちは進めるんだから――!!」


 パッチールは、天津風の熱い語気を受け、そして、ゆっくりと一度だけ、頷いていた。
 天津風は彼に微笑んで、一緒に落ちてきた屋上のフェンスを掴み、その骨組みを素手でギリギリと折り曲げてゆく。


「……提督は、逃げられたのね。ふふ、『まだ誰も死んじゃいない』。この屋上に、目的地への展望は開けている。
 あの初級士官さんはようやく、ゲームじゃない世界を、自分で進み始めた。鞭打った甲斐があったわ……」
『え……?』
「こっちの話よ。さぁパッチールさん。あなたの目的地は、どこ?」

 空中に鼻を鳴らした後、天津風は微笑む。
 その微笑に向けて、パッチールはしっかりと、唸った。


『ボクは、ボクの心を――、魂を救ってくれたあの子、初春さんを救いたい! それだけです!!』
「おー、それはまた奇遇ですな。私の目的地も、『人命救助』なのよね。それじゃあまずは初春さんとこ一緒に行く?」
『へ、へへ……、お願いします……』
「それじゃあ、乙女の姿、しばし留めに行きましょうか……」

 わかりきっている返事を、おどけた口調で発し、天津風はその船体にパッチールを載せた。


「逆風満帆――。訓練にはいい日ね」


 そう彼女は、自分のマストに二水戦の魂を掲げて笑い、腕だけで走り始めていた。


【C-4 氷結した街(西側)/午後】


【パッチール@穴持たず】
状態:重傷
装備:なし
道具:なし
基本思考:ボクの罪を、償う
0:ボクを救ってくれた初春さんを、救う――。命に換えても。
1:ボクは今まで、なんて恐ろしいことを考え、行なってきたんだ……。
2:マスターが愛想を尽かしたのには、本当はもっと、理由があったのでは……。
[備考]
※ばかぢから、ドレインパンチ、フラフラダンス、バトンタッチを覚えています
※カラスに力を奪われてステロイドの効果が切れました


【天津風・改(自己改造)@艦隊これくしょん】
状態:下半身轢断(自分の服とガーターベルトで留めている)、キラキラ
装備:連装砲くん、強化型艦本式缶
道具:百貨店のデイパック(発煙筒×1本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、救急セット、タオル、血糊、41cm連装砲×2、九一式徹甲弾、零式水上観測機、MG34機関銃(ドラムマガジンに40/50発)、予備弾薬の箱(50発×5))、フェンス
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ提督を守る
0:まずは初春さんの救助が先決……!!
1:ヒグマ提督は、きっとこれで、矯正される……。
2:風を吹かせてやるわよ……金剛……。
3:佐天さん、皇さん……、みんなきちんと目的地に辿り着きなさい……!!
4:大和、あんたに一体何が……!? 地下も思った以上にやばくなってそうね……。
[備考]
※ヒグマ帝国が建造した艦娘です
※生産資材にヒグマを使った為、耐久・装甲・最大消費量(燃費)が大きく向上しているようです。
※史実通り、胴体が半分に捻じ切れたままでも一週間以上は問題なく活動可能です。


    ,,,,,,,,,,


「……逃げれば良かった、と。人は思うかも知れない。実際、思わなくもない……」


 津波に洗われた街並みの中に忽然と、男の声が現れていた。
 その男は双眼鏡の先に、遥か路地の先の、百貨店の様子を見ていた。

 屋上のフェンスがとともに天津風が砲弾を受けて転落し、体長4メートルはある異形の生命体が、何かしら暴れまわっている。
 島風が上空に飛んで攻撃したが、撃墜されてしまった。
 百貨店には既に、モノクマロボットが何体も侵入して虎視眈々と屋上の隙を狙っている。
 佐天涙子を抱えたアニラも、島風を抱えた天龍も、生命体に対峙するウィルソンも、それに気づいていない。
 今、女の子が絡め取られて氷の上に下ろされてしまった。
 初春飾利と、パッチールだ。


「……でもまぁ、今更逃げたところで、無意味なんだよねぇ……」


 気だるい声で呟き、双眼鏡から眼を外した男は、北岡秀一だった。
 ライドシューターというバイクに跨ったスーツ姿の彼は、千切れ飛んだ左の肩口から、真っ赤な血液を噴き出し続けていた。

 目の前には、引き裂かれて半分以上中身が吹き零れた、コーラのボトルがある。

 彼は戦艦ヒ級および、百貨店の壁面や窓に見え隠れするモノクマの姿を確認した瞬間、ボトルのコーラの黒い鏡面に自身の姿を映し、ミラーワールドに逃れていた。
 それでも回避動作が間に合わず、間近で爆風を受けて左腕が千切れ飛んでしまった。

 バイクで逃げても、もはや彼にその出血を止める術はない。

 刻一刻と朦朧としてくる意識の中、そうなった時の彼の決断は、一つだった。


「やっぱりさぁ……、やっすい感情にほだされまくってたら『仕事』にならないっての。
 ちゃんと自分の仕事してからじゃないと、ひと様に意見なんて、しちゃいけないんだからさ……」


 彼は力の入りづらい指先で、ベルトのバックルからもどかしい動きで一枚のカードを取り出す。
 『ファイナルベント』のカードだった。


「『部下』であるお嬢ちゃんたちが反抗的なんなら、きちんと立場をわからせてやればいいんだよ。
 ……本当にてめぇが、お嬢ちゃんたちの『上司』にふさわしい仕事をこなしてるならな。
 ……そうじゃなきゃ、立場をわからせられるのは、てめぇの方だって、ことだ」


 北岡がヒグマ提督に向けて言い放っていたのは、純度100%の皮肉だった。
 その真意を理解することもできず、得意げにしていたヒグマ提督を、北岡は内心せせら笑っていたわけだが、まさか佐天涙子までがその真意を理解できていなかったとは、彼にはあまりに予想外だった。

 本当に、ガキは嫌になる。
 世間を知らない癖に、可能性だけは、その前に十全に開けているのだから。
 不治の病に侵されている北岡にとっては、どうしようもなく、うらやましい存在だった。


「……でもなぁ、ガキはガキでも、俺はこの仕事受けちゃったからなぁ……。
 ウィルソンさんと飾利ちゃんに契約されちゃった手前、やり遂げないと、沽券に関わるんだわ」


 彼はカードを掴んだまま、目の前にある、破裂したコーラのボトルを掴み上げ、少しの間だけでも命を繋ぐ水分を求めて、その爪痕から口をつけた。


「……俺は、『クロをシロにしてしまう』スーパー弁護士だから。まぁ、謝礼に見合う、仕事はするよ。
 だから被告人はな、泰然としてくれてていいんだぞ。……涙子ちゃん」


 その真っ黒な、佐天涙子の思いに裂かれた糖液を飲み干し、仮面を外した弁護士が今、壇上に上がる。


【B-4 街/午後】


【北岡秀一@仮面ライダー龍騎】
状態:仮面ライダーゾルダ(マスクは外している)、左腕欠損、大量出血、全身打撲
装備:カードデッキ@仮面ライダー龍騎、ギガランチャー、ギガキャノン、双眼鏡
道具:基本支給品、血糊の付いたスーツ
[思考・状況]
基本思考:殺し合いから脱出する
0:仕事はさ……。受けた以上、やり遂げなくちゃ、な……。
1:飾利ちゃんにやりこめられたようで悔しい。
2:涙子ちゃん……。いつまでもガキのままでいるんじゃねぇぞ……。
3:皇さん……、涙子ちゃんを、ちゃんとしつけてくれよ……。
4:涙子ちゃん。ちょいと怖いところあるけど、津波にも怪我にも対応できるアレ、どうにかもっと活かせないかねぇ……?
[備考]
※参戦時期は浅倉がライダーになるより以前。
※鏡及び姿を写せるものがないと変身できない制限あり。

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最終更新:2015年04月14日 16:19