幽霊船


 くるみ割りの魔女。その性質は自己完結。歯はこぼれ頭蓋はとろけ目玉も落ちた。かつて数多くの種を砕いたその勇姿も壊れてしまっては仕様がない。もう種を砕けない頭には約束だけが惨めに植わるが、起源の歯が中途半端に切り裂いた魔女はそれでもまだ魔法少女の姿を色濃く残す。
 数多の戦友を自分の責任で死なせてしまったこの魔女が最後に望むは自身の処刑。だが首をはねる程度では魔女の責任は取れない。この愚かな魔女は永遠にこの此岸で処刑までの葬列と謝罪を繰り返すだろう。
 この魔女に供物を手向けてくれる参列者は、本当は彼女が思っているよりもずっと多いのだが、目玉の落ちたこの魔女はそれに果たして気づけるのだろうか。


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 暁美ほむらは、心臓に病を患った、虚弱で内気な少女だった。
 鹿目まどかたちに魔女の手から救われた彼女は、まどかを慕い始める。
 しかしまどかたちは、ワルプルギスの夜との戦いで命を落とした。
 彼女は、時間を巻き戻し、鹿目まどかを守り救うことを決意する。

 そうして彼女は、魔法少女となった。

 しかし繰り返す時間の中で、愛していた者たちは大いなる敵となっていった。
 絶望に堕ちた魔法少女は魔女となる。
 その事実を話しても、友たちはそのあらましを実際に目にするまで信じなかった。
 そして、知った折には心を乱した。

 もう誰にも頼れない。
 そんな閉鎖した一ヶ月が、呪いのように繰り返された。
 繰り返す度に、友たちは、鹿目まどかは、ことごとく死んでいった。
 彼女はたった一人で、壊れたレコードの円盤の上をくるくると回り続けた。
 それは針飛びしては虚しく始めに戻る、出口のない檻だった。

 檻の構造を知るために、彼女は展開図を描いた。
 展開図の檻から終着点に逃げるには、その者自身も展開図になる必要があった。
 その者は自分に描けるだけのありとあらゆる可能性の展開図を描いた。
 しかし本当に首尾よく逃げるには、いつもそれより一枚多い展開図が必要だった。
 最後の展開図は、彼女一人では決して描くことができなかった。

 そして周りにいた人が死に絶えた時、終着点に続く道の展開図が絶対に見えなくなってしまったことを、彼女は悟った。
 彼女に残されたのはただ、悪夢のように鬱積した繰り返しのツケと、真っ暗な絶望だけだった。
 砕けぬはずのダイヤモンドでできていたレコードの針は、もう、磨耗しきっていた。


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 滑車の音が夜を刻んでいる。
 幻燈を回すような過去の映像が、そうして参列者の前に仄々と映し出されていた。
 葬列が続く見滝原の街で、歪んだ使い魔たちが演じ映すエンディングビデオ。
 まるで葬儀の場で死者を悼むように映し出される、生前の赤裸々な映像そのものだ。
 誇張も虚飾もなく、それこそ暁美ほむらが、幾多の時間軸で踏み越えてきた破滅した分岐の回想だった。

 巴マミとゴーレム提督は、その一部始終を呆然と見上げていた。
 巨大な魔女と変わり果てた暁美ほむらが、彼女たち参列者の前を、使い魔たちに牽かれてゆく。
 彼女は斬り落とされた頭に彼岸花を咲かせ、ぼろぼろとそこから歯の涙をこぼして泣いていた。


『輝きと、後悔だけしか……、もう、思い出せない。
 ああ……、これが、私の……、絶望……』


 暁美ほむらの魔女――ホムリリィは、そうして地を震わせるような声で慟哭した。
 手枷をはめられた体は全身が骨と化し、腰のリボンが手となって、牽かれていく己の歩みに必死に抵抗している。
 リボンが地を掴む度に、偽りの見滝原は壊れた。
 全ては徒労だった。

 彼女の姿は、支流を拓く時の舳先で曳き波を追い、そしてついに追いつけなかった者の、無念の影に見えた。

「あ……、ああ……」


 巴マミは、膝から地面に崩れ落ちた。


「そうよね……。泣きたいわよね。暁美さんは、今までずっと頑張ってたのよね……」

 巴マミは知った。
 循環する閉じた時の中で、暁美ほむらが如何に惨憺たる孤独な道を歩み続け、奮戦してきたのかを。
 あったはずの分岐で、己がしてきた所行の数々も。
 その分岐の先々で、友たちを待ち受けていた悲嘆の未来も。

 巴マミはようやく、今まで自分が暁美ほむらに感じていた不思議な感覚の正体に気づいていた。
 彼女はマミの後輩であり、同時にまた先輩でもあった。
 同じ時間を繰り返し、その悲惨な運命をどうにかして変えようと足掻き続け、足掻き続け、そしてついに磨耗し尽くしてしまった同郷の士の心情も察せず、すれ違い続けてきてしまった自分を、巴マミは深く恥じた。


「球磨さん……。碇さん……、それに、ナイトさん……」


 辺りには、つい先ほどまで生きて共に戦っていたはずの者たちの、酸鼻な死体があった。
 この魔女と使い魔の行進は、紛れもない葬列だった。
 暁美ほむらの戦友の葬列。そして他でもない、暁美ほむら自身の葬列だ。
 飛び回るカラスや、ホムリリィの周りに犇めく衛兵のような使い魔は、マミたちの方に襲いかかろうとはせず、ただ粛々とその主人を牽いてゆくだけだった。

 呆然とその光景を目に映していたマミの意識に、ふとその隅で蠢く茶色い固まりが上る。

「うっ……、ひどい……。球磨ちゃんの綺麗な皮が、機銃で穴だらけ……」
「……あなたは?」

 マミから声をかけられて、その泥状物はびくりと身を竦ませた。
 倒れている球磨のもとから振り向いたその泥には、ヒグマの顔があった。


「わ、私は穴持たず506……ゴーレムってヒグマよ。一応、医療班のジブリールたちの同僚だった。
 あなた、下で戦ってた患者さんよね!?
 第10かんこ連隊の奴らから助け出そうと思ってたんだけど……、下はどうなったの!?」
「医療班のかた……」

 ゴーレムと名乗るそのヒグマは、焦った様子でまくし立てた。
 巴マミはぼんやりと、ビショップヒグマと似たような能力のヒグマなのかと、そう思った。
 彼女の問いに思い返せば、この場と同じように、死に溢れていた地下の様子が脳裏によみがえる。
 絞られるような声で、巴マミは呟いた。


「……私と一緒にいた人は、私以外、全員死んだわ。他は……、わからない」
「死んだ……!? そんな!? 早く降りなきゃ……。
 って、降りれないのは……、というか、総合病院とは全く違う場所になってるのは、どういうことなのよこれ!?
 球磨ちゃんまで沈めやがった瑞鶴の野郎を叩き殺して、早く助けなきゃ、いけなかったのに……」

 ゴーレム提督は、人間に発見されてしまった焦りと、マミから伝えられた訃報と、目の前に転がる艦娘の無惨な死体に、涙をこぼして乱れた。

 この魔女の結界という異様な空間の状況を把握しようとして、一番初めにゴーレムの目に留まったのが、見知った艦娘の球磨だった。
 球磨が倒れているのを見て、看護師として艦これ好きとして、ゴーレムは初め、彼女を助けようとして駆け寄った。
 そして彼女が死んでいるのを確認した後、一度はその生皮を手に入れるチャンスだとも考えた。
 しかし彼女の遺体は、機銃の弾痕がいくつも刻まれて傷物となっている。
 ゴーレム提督に残ったのは悲しみと、さらに募る瑞鶴への怒りだけだった。

 球磨に寄り添うゴーレムの元へ、巴マミはゆっくりと歩み寄りながら言う。


「……艦これ勢の中にも、やっぱり良い人はいたのね」
「――!? か、艦これ勢って、私のこと――」
「だって、あのゴーヤイムヤさんってヒグマの仲間でもなければ、その詳しい所属や攻め込む場所なんてわかりようがないわよね?」
「はっ――」

 巴マミは、沈んだ表情のまま淡々とゴーレムにそう指摘した。
 彼女の才覚は、こんな状況下に置かれても、ゴーレムの隠した正体を見抜くほどに冴えわたっている。
 何とかこの場を凌ごうとしていたゴーレムにとっては、ここで戦っていた人間に自分が艦これ勢だとバレるのは、避けるべきことだった。


「……板挟みだったのね。職場と趣味の集いと。
 でも、ゴーレムさんはこちらの仲間を助けてくれようとしていた……。十分よ」

 しかし戦々恐々とするゴーレム提督に対し、巴マミは静かだった。
 ジブリールからゴーレムの話が出た時、マミはまだ診療所の外だったが、このわずかな会話で彼女の苦しい立場は十分に察せた。
 球磨に対する様子から彼女に敵意がないだろうことは見えたし、よしんば敵だったところで、そうわかった時に対処すればいいだけだ。

 球磨の遺体の前にひざまづき、マミは彼女を覗き込む。
 弾痕の周囲には、わずかに再生しかかっていた組織がある。
 暁美ほむらが、その残り少ない魔力を全て使って回復魔法をかけたのだろうことは、容易に察せた。
 しかし、それは足りなかったのだ。
 もう少し、あとほんの少しでも早く、自分が間に合っていれば、ここまでの惨状が巻き起こることはなかったのかも知れない――。
 そう巴マミは唇を噛んだ。


「……あんた、まさか球磨ちゃんが沈んだのは自分のせいだとか考えてないわよね。
 それは違うわ。瑞鶴を仕留め損ねた私のせいよ。工廠を悪用されてできた狂った艦娘なんて、早く解体する以外の選択肢なかったのに……。
 中途半端に恩情かけた私がバカだったんだわ……」

 潜水勢が水上艦に異様なまでの敵愾心を抱くに至ったのは、ヒグマ提督に作られた島風にスイマー提督を惨殺された事件が大きい。
 そのため、島外から来ただけの球磨や天龍といった参加者の艦娘については、程度の差こそあれヒグマ謹製艦娘より、潜水勢の憎しみは明らかに弱い。
 デーモン提督でさえそうだったのだから、初めから診療所の者を助けようとしていたゴーレム提督に至っては言わずもがな、艦娘に対しての親しみの方が勝る。


「そう……、ゴーレムさんも間に合わなかったのね。
 ここまで全員が奮戦しても、こうなってしまった……。
 暁美さんが絶望するのも、わかるわ」
「割り切るしかないわ……。さっさとしないと誰も彼も犬死によ」

 巴マミと一緒にいた者が死んだからといって、一体誰から誰までが死んだのかは、はっきりしない。
 幸い、瓦礫と水に埋もれただろう診療所の内部でも、ゴーレム提督の動きは制限されない。
 彼女としては、死者を悼むよりも、一刻も早くこの訳の分からない空間から脱出し、少しでも早く生存者を探したいというのが本音だった。


「早くここから出ましょう。わかるんでしょ、ここが何だか」
「そうね……。暁美さんを早く元に戻してあげましょう」

 涙を拭って、巴マミはそう言う。
 ゴーレムは耳を疑った。

「あんたちょっと待ちなさいよ! 深海棲艦を艦娘に戻すなんて聞いたことないわよ!?」
「巴マミよ、ゴーレムさん。私も、魔女を魔法少女に戻すなんて聞いたこと無かったわ」


 ゴーレムはマミの口振りから、『暁美さん』というのが、どうやら今目の前を連行されてゆく巨大な骸骨の女を指すらしいことは推測できていた。
 それは艦これ勢の視点からすれば、どう見ても『暁美』という死んだ艦娘が深海棲艦になってしまったのだろうとしか考えられない存在だ。
 それを、ろくな戦闘物資もない状態で、「撃破する」どころか「元に戻す」と言い出すなど、ゴーレムにはとても信じられなかった。


「だけどそれは……、きっと今まで誰も気づかずに、考えたこともなかったからなんじゃないのかしら」


 しかし巴マミは、球磨の遺体を挟むゴーレム提督に、まっすぐな眼差しでそう言う。
 それは確かに、今ここにいる球磨ですら、考えなかった可能性だ。

 割り切れ。と、あの時球磨は巴マミにそう言ったはずだった。
 確かにそれで一瞬、マミの心が拓けたことは確かだ。
 だが結局、マミの信じた正義は、割り切る方向には進まなかった。
 そして、それはそれでいい。と、そう言ったのもまた球磨たちのはずだった。
 ありのままの思いをさらけ出しても、それでいいのだ。
 それを受け入れるのが友であり仲間だ。

 だったら、魔女となるほどの絶望を抱えた友を慰め救う方法は、殺すことではない――。

 それが巴マミの至った結論だ。


「……私はさっき一人、連れ戻して来たわ」


 纏流子を、マミはそうしてヒトへと連れ戻した。
 彼女が本当に魔女だったのか、魔法少女だったのか、それは巴マミの知るところではない。
 しかしその経験は、マミに確かな自信をもたらしていた。

 ゴーレムには終始、意味不明だった。


「何言ってんの!? 全員死んだって言ったのはお前じゃない! 気でも狂ってんじゃないの!?
 さっさと逃げる方法を教えなさいよ! ここにいたってあの深海棲艦に沈められるだけよ!
 もっと現実的に効率的にモノを考えなさいよこのぱーぷりん!!」
「――ソウルジェムが魔女を生むなら! みんな足掻くしかないじゃない! あなたも、私も!!
 私はそう諭されたわ。そう悟ったわ!
 救助船が、望みを捨ててしまったら、難破した船からいったい誰が助かるというの!?」


 感情が、互いの口をついて溢れた。
 激高するゴーレムから守るように巴マミは、球磨の遺体を抱え、抱きしめていた。
 それは暁美ほむらが、最後まで望みを捨てずに救おうとしていた命だった。
 あと一歩が足りず、一分だけ増援が遅かったのだとしても、その試みは決して、初めから切り捨てていいものではないはずだった。


「まだ生きてるかもしれないじゃない!
 ええ、生きてる、生きてるわ、暁美さんも! 私たちも!!
 多くの人たちが、私たちに繋いでくれた、生なのよ――!!」


 球磨を抱えたまま、巴マミは涙を流してゴーレムに詰め寄る。
 その安らかな死に顔を見せつけるかのように掲げ上げる。

 その時、揺すられた球磨の腕が、胸の上から下に落ちた。
 球磨の手が掴んでいたあるものが、せめぎ合う彼女らの指先に触れていた。


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 檻の構造を知るために、ある者は展開図を描いた。
 展開図の檻から逃げるにはその者自身も展開図になる必要があった。
 その者は『檻』と『自分』と『研究所』と『ヒグマ』の展開図を描いた。
 しかし本当に首尾よく逃げるには、『檻』と『自分』と『研究所』と『ヒグマ』と『夢』の展開図が必要だった。

 その者は夢の展開図を描こうとしたが不可能だった。
 だがその者には安堵だけがあった。

 悪夢にうなされる誰かの元に、死んだ者からの手紙が、きっと届く――。
 その者が描けなかった最後の展開図を、描ける者が、きっと来る――。


 ――その展開図が記していたのは、声なき幽霊船の汽笛だった。


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 その展開図を、巴マミとゴーレムは閃光のように知った。
 球磨の手が掴んでいたその物を、巴マミはまじまじと見やった。


「これ……」
「……球磨さんは掴んでいたんだわ。この島の根源を」

 ゴーレムとマミの激情は、氷水に浸かったかのように冷めていた。
 そして代わりに別種の興奮が、ふつふつと背筋から立ち上ってくる。

 暁美ほむらは、あまりのショックに気づかなかったのかも知れない。
 しかしそれは明らかに、球磨が彼女に宛てて書き、手渡そうとしていた手紙だ。
 ほむらが行使した魔法は、決して無駄ではなかった。
 彼女が与えたそのほんのちょっぴりの時間で、球磨はこの手紙を、その手に抜き出すことができていたのだろうから。


「これは……、もし本当に球磨ちゃんの考え通りなら。万が一が、あり得るわけ……?」

 ゴーレムは、巴マミが球磨の手から取り上げた物を見て、固唾を飲んだ。


「ええ……! 暁美さん、あなたにも教えてあげる……!
 あなたの築いてきた道は決して無駄なんかじゃなかったのだということを。
 この先に、必ず未来はあるんだということを!!」
『マミ……、さん……?』

 自分に向けて掛けられた叫び声に気づき、ホムリリィは悄然と牽かれるがままになっていた体に意識を取り戻す。
 球磨の思いを手に、今にもホムリリィの葬列へ駆け込まんとする巴マミを、ゴーレム提督は慌てて差し止めた。


「ちょっと巴マミ! だからって、これをあの深海棲艦に渡して本当に元に戻せる保証はないわよ!?
 そもそもまずどうやって渡しに行くつもり!?」
「大丈夫よ……。まだ暁美さんには人としての意識がある。私たちを襲ってもこない。
 今まで出会った魔女とは違うわ、これは望み以外の何でもない」

 叶うと決めた、未来は示されている。
 目の前を過ぎてゆく、この熱砂を行くような巡礼の列にだ。

 魔女に意識があり、その使い魔も人間を襲ってこない。
 こんなことは、巴マミの今まで出会ってきた魔女ではあり得ないことだった。
 それだけまだ、彼女は魔法少女に近いのだろう。
 ならばマミが彼女へ球磨の思いを届けるのは、簡単なことに思えた。


「ちょっ……、どうなっても知らないわよ!?」
「ええ、わかったわ。ゴーレムさんは、結界が解除されたらすぐに地下の救助に行けるよう準備しておいてもらえばいいから」

 言うが早いか、ゴーレムが伸ばす泥の手にかかずらうこともなく、巴マミは壮大な葬列の方に駆けだしていってしまう。
 引っ込めた手で、ゴーレムはぐしゃぐしゃと自分の頭部を掻いた。


「人語を話す深海棲艦って言ったら、姫か鬼の一種なだけな気がするけど……。
 ああもう……、何なのよあの子の信念は……」

 困惑した表情で、ゴーレム提督は巴マミを見送るしかなかった。
 泥の体が、ぶくぶくと泡立った。


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 巴マミは、聳え立つようなホムリリィに向けて踏み切り、宙を駆けた。
 するとすぐに被り物をしたカラスが、飛翔する彼女の前にはだかってくる。

「どいて! 私は暁美さんを連れ戻そうとしているだけ!」

 暁美ほむらの使い魔――。
 巴マミはその手に一本だけリボンを生成し、寄り来るカラスたちを払おうとする。
 しかしカラスたちは執拗に、巴マミを追い払うかのように攻撃を加えてきた。

「なっ――」

 先ほどまで全く襲うそぶりのなかった使い魔にしては、あまりに不自然に過ぎた。
 リボンを持つ手に力を込め、巴マミはカラスの黒い叢を切り裂くようにして急ぎ進まねばならなかった。
 見やれば、ホムリリィを牽いてゆく壮大な葬列の先は、偽りの見滝原市の彼方にある斬首台を目指していた。


「使い魔なのに、自分たちで魔女を殺そうとしてるの……!?
 そしてこの葬列を邪魔するものを襲ってくる……!!」

 この使い魔たちの行動原理を察知して固唾を飲んだマミの足元で、ガチャリと大きな金属音が立つ。
 下を埋める葬列から、眼鏡をかけたほむらのような姿をした衛兵の使い魔が、その掲げる銃剣から一斉に上空の巴マミに向けて発砲していた。


「くうっ……!?」

 豪雨のような銃弾のしぶきは、防壁も張れぬマミに避け切れるはずもなく、次々と彼女の体を掠めて皮膚に血の線を引く。
 ソウルジェムを手で守りながら空にたたらを踏んだ彼女は、錐揉みして後方の地面に墜落する。
 衛兵の使い魔たちは、その姿を確認するや、再び何事もなかったかのように隊列に戻り行進を続けていった。
 ホムリリィは、そんな魔法少女の様子に、また歯の涙を零して慟哭する。


『もういい……、やめて、マミさん……。魔力の残り少ないあなたでは敵わない……。
 せめて今のうちに逃げて。私は、あの斬首台で、自分を自分で処刑する……』


 巴マミのソウルジェムは、もう陰りかけている。
 疲弊と葛藤と浪費した願いが、その黄金色だった輝きを鈍らせている。
 もはや魔女に挑むには余りにも無謀としかいえない、僅かな魔力しかマミには残されていなかった。
 しかし、自分の帽子の宝石を確認してなお、巴マミは毅然と顔を上げる。


「そんなこと言って、あの地を噛んでるリボンは何よ!?
 死にたくないんでしょう!? 諦めたくないんでしょう!? 正直になってよ!!」

 構わず行け。と濁流に消えた、幾人もの仲間の姿が浮かんだ。
 立ち上がった彼女が、その手に掴むものがある。


『みんな、生きるんじゃぁ――!!』
『さぁ、行け……。数多の決闘者が、お前の導きを、待っているはずだ……』
『それじゃあよ……、これ、持っててくれねぇか?』


 纏流子の微笑みが、今マミの右手にあった。
 深紅の輝きを放つ刃、片太刀バサミだ。


「『フォルビチ・ラーマ』……、『デキャピタジオーネ・モード(斬首形態)』!!」


 片太刀バサミ・武滾流猛怒――。
 纏流子からの思いを胸に、唱えた文言は、魔力もなしにそのハサミの刃を異形の長大さへと組み替える。
 その大刀を手に巴マミは、遙か上にそびえ立つホムリリィの顔へ指を向け、声高に宣言した。


「私が断ち斬るのは、あなたの首でも命でもない。
 使い魔たちにまで遺伝してる、その意地っ張りな石頭よ、暁美さん!!」


    〆〆〆〆〆〆〆〆〆〆


 巴マミが舞い踊る。
 使い魔の群に斬り込んで、黄金のリボンと深紅の片太刀バサミを閃かせるその剣舞は、さながら優雅なバレエの一幕だ。

 連続してシェネ。
 翻ってアッサンブレ。
 返す太刀にてジュッテ・アントルラッセ。
 移動しながらのフェッテ・ロン・ドゥ・ジャンブ・アン・トゥールナン。
 巻き起こる鮮烈な陣風が、葬列という会場と観客と競演者を次々に飲み込んでゆく。

 満場の拍手の代わりに、使い魔たちの首が飛ぶ手が飛ぶ足が飛ぶ。
 踊る仕草の雅で、狙撃手の胸が割れる。割れる。砕かれる。
 そは金糸の鞭と深紅の刃。
 そは黄金の美脚と鉄火の拳。

 オペラのような悲劇には、ミラクルのような喝采で。
 鮮やかな原色の旋風と、吹き散る瘴気の閃きが、百夜の夜を照らす。
 捕らわれ連れられてゆく悲劇のヒロインへ、踏み切って飛び立った巴マミが宙を駆け寄る。


 しかしその時、異様な葬列の構成者の中でも一際異質な挙動をとる使い魔たちが、急速に巴マミの元へ接近してくる。
 その様相も、画一化されたその他の使い魔たちとは異なる。
 小柄な子供たちを模したマリオネットのような見た目のその使い魔たちは、14人の各々が、統一感のない原色と黒の入り交じった衣装に身を包み、手に手に黒く巨大な編み針のごとき武器を持ってマミの前に立ちはだかってくる。

 振り抜く片太刀バサミが、人形の一人に編み針で受け止められる。
 しかして、その針ごと両断するかと見えたその一閃を、人形は編み針を脇に傾けて受け流した。
 そしてその勢いのままに、その人形は巴マミに肉薄する。

『Fort――!』
「う、動きが――!?」

 巴マミはとっさに空中で身を翻した。
 後方宙返りと共に跳ね上がった彼女の爪先が、迫っていた人形の顎先を目前で跳ね上げ弾き飛ばす。
 しかしその隙に、体勢を乱した彼女の側面や背後を狙って、宙にステップしたその人形たちが針を突き出してくる。
 驚愕と共に身を捻ったマミの頬が切り裂かれ、血の雫が飛ぶ。


「――こ、この人形たち、ただの使い魔じゃない!!」


 まるで暁美ほむら自身のような俊敏さと狡猾さ、怜悧さを以て、その14人の人形たちは巴マミに襲いかかっていた。


『逃げてと言ったでしょう!? 見ないで! 戦わないで!!
 それは私の、私の――、醜い心たち――』


 自大。陰鬱。虚勢。冷酷。強欲。侮蔑。加えて愚鈍。
 嫉妬。怠惰。慢心。軟弱。蒙昧。卑屈。おまけに狷介。
 こんな頭のおかしい狂人が、浅ましくも人々を率いるなど、あってはならないことだったのでは――?
 それが暁美ほむらの自己評価だ。

 イバリ、ネクラ、ウソツキ、レイケツ、ワガママ、ワルクチ、ノロマ。
 ヤキモチ、ナマケ、ミエ、オクビョウ、マヌケ、ヒガミ、ガンコ――。

 この偽りの見滝原という街に住まう子供たちは、そんな名前を有していた。
 それは紛れもない、暁美ほむらの一部分だ。
 彼女の培い肥え太らせた人格を体現した14の欠片たち。
 その戦いぶりは、暁美ほむらから一切の容赦を取り払ったものかのようだった。


 巴マミは瞬く間に追い込まれた。
 間断なく突き込まれる針の筵に、応じる片太刀バサミの動きは寸秒ごとに遅れる。
 そしてついに、子供たちの突き出した針がマミの右手首を貫いた。

「あぐッ――!?」

 片太刀バサミが、マミの手から滑り落ちて結界の地面に落下する。


『やめて……! もうこんな私のために、死なないで……!!
 私はもう何度も、何度もあなたたちを見殺しにしてきた……。
 もう誰にも、私の崩れた道の上で死んで欲しくない……!』
「まだよ……、まだ! これをあなたに、届けるまでは……!!」


 巴マミは、左腕のリボン一本で、周囲に群がる偽街の子供たちを叩き飛ばす。
 そしてほとんど捨て身とも思える全力の勢いで、一直線にホムリリィへと飛んだ。

 懺悔する強者。突破する敗者(ルーザー)。
 しかしそれは、偽街の子供たちにとって格好の的に他ならなかった。

 擲たれた針が、太股に刺さる。
 脇腹に刺さる。肩口に刺さる。胸元に刺さる。
 その度に、脇目も振らず飛び急ごうとする巴マミの勢いは、殺がれた。
 そして血を流し、喘ぎ、這うように空を進むようになったマミの全身に、ついに14本の巨大な針が突き刺される。

「がふ……」
『ああ……、マミ、さん……』

 巴マミの手は、ホムリリィの白い首筋のすぐそばで、虚しく宙を掻いた。
 そして彼女を牽く葬列は無情に、暁美ほむらの存在を、マミの手からさらに遠くへ粛々と離してゆく。
 その間にも偽街の子供たちは、中空に磔となった巴マミの周りを回り、その針で彼女をねじ切ろうとしていた。


「ぐ、あ、あ……!!」


 巴マミは全身の筋肉で、自分を引き千切ろうとしてくる子供たちの力に抗った。
 しかし偽街の子供たちは、彼女がそれに抵抗していると見るや、彼女を磔にしたまま眼下の葬列へと高度を下げてゆく。
 その間にも、マミの体にはカラスが群がり、そのくちばしで肉や皮が次々とついばまれてゆく。
 さらに見やれば眼下では、衛兵の使い魔たちが、手に手に銃剣を取って落ちてくる巴マミを狙っている。

 もし全身が鉛玉に穿たれれば、もしソウルジェムが撃ち抜かれてしまえば――。
 いくら自分の特性を知った魔法少女とはいえ耐えられるまい。

 ホムリリィが、牽かれてゆく歩みを止めてマミの元に戻ろうと必死に身を捩る。
 マミが突き刺さった針を抜き、カラスを払おうとしても、子供たちに全身を掴まれて、彼女は動けない。
 使い魔たちの銃が、巴マミに向けてついに発砲されようとする。


「い、嫌……! そん……、な……!」
『あ……、ああ……! マミさん――!!』


 自分は、思いを届けることもできずに、死ぬのか。
 自分の信じてきた道は、行いは、正しくなかったのか――。
 行き止まりに陥ったこの顛末を前にして、マミの心は、そんな絶望感で塗りつぶされようとする。
 目に涙がにじむ。
 マミが、ホムリリィが、そうして悲痛に喉を鳴らしたその瞬間だった。

 眼下にいた使い魔の一体が、突如近隣の衛兵仲間たちを、その手の銃剣で切り裂き始めていた。
 そして奪い取った銃を乱射し、瞬く間にマミを狙っていた使い魔の一群を殲滅してゆく。
 振り向いたその衛兵が、聞き覚えのある声でマミに向けて叫んだ。


「行きなさいマミ!! 雑魚はこのゴーレム提督の潜伏技術が、一浚いにしてやるわ!!」
「ゴー、レム、さん……!!」
「さぁ早く!」


 牽制のように彼女が上空へ発砲するたびに、カラスは恐懼して飛び去り、偽街の子供たちはその様子に困惑して怯む。
 穴持たず506・ゴーレム提督は、その泥状の肉体を以て、密かに暁美ほむらの葬列を構成する使い魔たちの体内に入り込んでいた。
 この結界を抜け出すには、暁美ほむらをどうにかせねばならぬことを悟ったというのもある。
 しかし何よりも、独り奮戦する巴マミの姿に、心打たれたというのが正直なところだった。


『ほら、見ての通りだ』
『キミの信じた正義は、他者を導く素晴らしい信念だった』
『遠慮も躊躇も、恥じ入りもする必要ない。キミが信じるだけ、力は自ずと後をついてくる』
『思い出しなよ』
『マミちゃんは、僕なんかがいなくたって、初めからずっと強くてカワイかっただろ――』


 マミは眼下で戦うゴーレムの姿に胸を打たれ、息を呑む。
 耳元で、どこかで聞いたような、聞き覚えのない笑い声がしたような気がした。

「……ふふ。どこでだったかしらね。こんな言葉を聞いた気がするの」

 それにつられるように、マミの口元は、自然に笑顔となっていた。


「ねえ暁美さん。『ギャップ萌え』って、知ってる……?
 優等生がふと自分の弱い面を曝け出したその瞬間。そういう時こそ、むしろ人気が高まるんですってよ?」
『マミさん……?』

 巴マミはそっと、自分を串刺しにしている偽街の子供たちの頭を、撫でていた。


「……本当、その通りみたいじゃない? 醜くなんてない。恥じる必要もない。
 ……だからこそ、この子たちも暁美さんも、すごく強くて、カワイイんだわ」

 口角に血を流しながら、巴マミは強く微笑む。
 その帽子のソウルジェムが、黄金に輝いていた。


「『レガーレ・メ・ステッソ(自浄自縛)』!!」


 巴マミの体が、弾けた。
 膨大なリボンの渦となったマミの存在が、子供たちの針を逃れ、逆に彼女たちを空中に縛り付ける。
 そしてリボンの端から再構成された巴マミは、ホムリリィの背中に向けて、再び宙を走った。

 粉々に展開された自分の姿を他人の中に見て、マミは自分の辿ってきた道筋の正義を確かめられた。
 死んだりょうしんから逃げて、りょうしんの遺灰に還ったその道は、その正しさを担保された。

 今度は彼女が、暁美ほむらをすくう番だった。
 他人の中にだけある、ほむら自身だけの道を、星屑だけが散らばるような深い闇の中から、すくい上げる番だ。
 星屑の砂で描かれた一枚の地図を、ほむらへと手渡す番だ。
 死んだ者の描いた一枚の海図を、ほむらへの手紙とする番だ。
 百年も閉ざされていたようなその闇の奥には、確かに今朝、彼女が東の威光の中に見た道が、続いているはずなのだから。

 それを思い出したとき、巴マミは、あり得なかったはずの自分の奥底から、溢れ湧き出すような魔力を感じていた。


「人間も見上げたものだわ……。この空間が、そして彼女たちの有様が、ゴーヤイムヤや私たちの追い求めた『深き力』の一端……。
 己の深みより湧き出て道を切り拓く力ってわけね……!」

 衛兵の使い魔たちを蹂躙しながら、ゴーレム提督が感嘆の声で見上げる。


「螺旋――、あなたを打ち砕く!!」

 宙を滑り、マミはその手のリボンを勢いよく前へ突き出した。
 衝突のような勢いで、ホムリリィのうなじに細く伸びたリボンの刃が突き立つ。


「『トッカ・スピラーレ』!!」


 ドリルのように回転するリボンはしかし、ホムリリィの白い首筋で耳障りな音を立てて上滑りする。
 ホムリリィの足元で上を見上げるゴーレム提督が、声を絞った。


「し、深海棲艦の装甲が堅すぎるんだわ!?」
「ここにいるのは――、私だけじゃない!!」


 巴マミのリボンが、地面へと伸びる。
 そしてそこから、突き立っていた一本の刃を掴んで撥ね戻る。
 それは真っ赤な、情熱のような色をした片太刀バサミだ。


『頼む……。あたしのだけじゃ、切れなかった。だが、父さんの作ったハサミは、こんなものじゃなかったはずだ。
 ピカピカの、どんなものでも切れる……。ああ、そんなハサミだったに違いないんだ……!』


 ――纏さん、どうか、力を貸して!!

 マミの握っていたリボンが、ハサミの動刃の形を取って固着していく。
 纏流子の持っていたハサミの静刃にも、マミの魔力が浸透してゆく。

 手に取ることで、マミにはわかった。
 纏一身がその作品に込めた理念の一端が。
 その計算された刃角が、硬度が、噛み合わせが。

 ゴーヤイムヤ提督に向けて二人でその刃を揮った時は、足りなかった。
 その時マミは、流子と共に行動はしても、その手は取らなかった。その心は重ならなかった。
 人意一体となる境地に、両者は歩みきれなかった。
 それが最後の最後でハサミの切れ味を鈍らせた瑕瑾だった。

 遅蒔きだったとは思う。
 遅すぎたのかも知れない。

『……じゃあすまねぇが、その時は代わりに火を、斬ってくれ』
『……わかったわ。フリットゥーラ(揚げ物)は、得意だから』

 あの約束の時ですら手を取れなかった纏流子を、しかし今、巴マミはこの手に感じた。
 傍らに、纏流子の意志を感じる。
 そう。今の巴マミは、纏流子の代行者だ。
 彼女の意志に手を取られ、無念とおもひ(火)の殻を斬り、人々をすくい揚げる、一振りのハサミだった。

 そして彼女は高らかに、一体となった思いを振り上げる。


「――『フォルビチ・インシデーレ(断ち斬りバサミ)』!!」


 ハサミは、その総体を陽光のような金色に輝かせる。
 それは紛れもなく一対の、完成された裁ち鋏だった。

 巴マミが万感の思いを込めて揮ったその一閃は、くるみ割りの魔女のうなじに、深々と切り込んだ。
 その中には、ソウルジェムともグリーフシードともつかない、犬歯の突き刺さった暁美ほむらの魂があった。


「あああああ――!!」


 斬り込んだ割面に突進するようにして、マミは暁美ほむらの中へその身体をねじ込む。
 そして、半ば砕け、壊れかけた彼女の魂に、巴マミはその手で一枚の円盤を突き刺した。
 それはまるで、彼女が今まで回り続けてきた、小さな一ヶ月のレコードのようでもあった。
 しかしその円盤はレコードではない。
 彼女を壊れたレコードの檻から解き放つ、最後で、最期の展開図だ。

 黒い蒸気を上げる暁美ほむらの魂に深く深くその展開図を差し込みながら、巴マミは叫んだ。


「教えてあげる! これが、球磨さんの、纏さんの、私たちみんなの、想いよ!!」


 全きキミは、すぐにも来ると。
 ああ、幽霊船の汽笛は届いた。
 巴マミが夜を裂く。
 ああ、衝撃の先陣の汽笛を鳴らし。

 さあ、斬首台の幕を引け。
 これは、晒される賢人の物語である。


【『侵入者』へと続く】

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年11月10日 15:06