OH MAMA!


 壁を隔てた向こう側に、エンジンの音が聞こえた。
 水上を滑る車輪の音。
 豪雨の中を漕ぐような、ハイドロプレーニングを起こしながら進み来る車の走行音が聞こえていた。

「追っ手……!? まさかさっきの、凶暴な分身男……!?」
「いや……、浅倉威の乗機は、使うとしてもバイクのはず。彼は殺したはずだし、この水音は四輪」

 ひとまずの休息をとっていた家屋の中で、扶桑と戦刃むくろは一瞬身を竦ませる。
 先程のわずかな戦闘で、既に両者とも満身創痍だ。
 外部の物音でまず考えてしまうのは、自然と敵のことになってしまう。

 戦刃むくろが仕入れている情報によれば、浅倉はカードデッキを鏡面に映して変身する仮面ライダーのはずだ。
 なんで獣のような体毛が生えていたのか、なんで分裂していたのかは定かではないが、とりあえずそれは確かなはずだ。
 メルセレラの能力の強さも情報通りではなかったが、それくらいは確かであってほしい、とむくろは願う。
 何にしても、彼は扶桑の砲撃を受けて爆死したはずだ。
 それだけは、誓っても確実なはずだった。

 戦刃むくろは、ずっと入れっぱなしだった超小型通信機のスイッチを切る。
 先程から江ノ島盾子の連絡は無い。
 どうやら島中が停電に陥っているらしく、ラマッタクペの襲撃以降に彼女からの指示が得られなかったのもそのためだ。
 ヒグマを反乱させた際にどさくさで電源が落ちてしまったのだろうか。
 どうにか繋がっては欲しいが、かといってこの場面で急に声を掛けられたら外の何者かに気付かれてしまう。
 相手が誰か定かではないが、自分たちが満身創痍であるこの場は、通り過ぎてもらうのが一番だった。


「……またあれから分裂した浅倉が出てくるとか言うならもう知らないけど。とりあえずこれで気づかれる要素はないはず……」
「うん、重油の臭いがするね。たぶんこの家だ」

 だが、むくろがそう呟いた直後、玄関の前でエンジン音が止まった。
 扶桑とむくろは目を見合わせた。


 重油。
 扶桑の内燃機関の臭いを嗅がれたらしい。
 あまりにも盲点な事柄だった。

 むくろは大量の冷や汗を流しながら、扶桑に向けて指を唇に当て、喋らぬよう指示する。
 低めの声は女性のもののようで、擦過音が強い。
 つまりはヒグマのメス。それで四輪車を扱うものとなれば、相手はグリズリーマザーに違いない。

 水面に降りてくる足音は、人間が1、2、3。
 細身のヒグマのような音が1。
 グリズリーマザー自身は降りてこないようだ。
 総勢5人。

 地底では既に江ノ島盾子が反乱を起こしている。
 つまり彼女らは追っ手として来た訳ではなく、地下から逃げながら参加者を拾っているということだ。
 そこで扶桑の砲撃音を聞きつけてやってきたというところだろう。

「……ふむ。ドアは閉まっているようだが。本当にこの家に件の『艦これ勢』とやらはいるのか?」

 男の声。
 声の質と位置から推測するに、上背はかなり高い。成人男性で、かなり鍛えられている。
 格闘家だ。
 その声はなぜか、憮然とした苛立ちか怒りのような色が強い。

 なるほど第二回放送の内容を知っていれば、『艦隊これくしょん』に関与している者は、参加者にとって敵対的な者だと捉えられておかしくない。
 なおかつ、艦これ勢はヒグマ帝国の者にとっても敵と認識されうるだろう。
 ここで発見されてしまえば、多勢に無勢。
 殺されてしまいかねない。

 扶桑が恐怖で奥歯を震わせている。
 むくろは足音を立てずに台所までにじり、冷や汗に湿る手でフライパンをせめてもの武器として取る。
 所持していた拳銃は後ろの腰に差し隠した。

 外からドアノブが弄り回されているが、そこに完全に鍵が掛かっているのがせめてもの幸運だった。


「艦これ勢とは限りません。彼らから追われて逃げた相手とも考えられます……。
 すみません、どなたかいらっしゃいますよね? 我々は危害を加えるつもりはありません!」


 外からもう一人の声がする。
 妙齢の女性のものだ。
 ヒグマのようには聞こえないが、果たして参加者にそんな年齢の女性がいただろうか――?
 相手の正体を推測していたむくろは、そこでぶるぶると首を振る。

 相手が何であろうと、まず間違いなくこの状態で真っ向から戦闘になれば、むくろと扶桑に勝ち目はない。
 このまま玄関を開けずにじっとしていれば、おそらくこの家には誰もいないか、既に移動したものだと考えて立ち去ってくれるだろう。 
 もしそれでもこじ開けて入ってくるようなら、ドアの開けざまに相手を張り倒して一気に飛び出し、全速力で逃走する――。

 むくろは扶桑に向けて、身振りでそう指示を出した。
 震えながらも扶桑はなんとかそれに頷いた。


「……物音はせんぞ。一応入ってみるか?」
「そうですね、間違いなく臭いはここからしますので、入りましょう」


 玄関前の男女はそう語っている。
 むくろは扶桑と目を見合わせて頷き、フライパンを握り締めた。
 ドアが開かれた瞬間にフライパンで相手の顔面を殴打し、扶桑に抱えてもらって逃げ出す。
 まだぬかるみになっている地面なら、恐らく扶桑の航行の方が相手より速い。
 十中八九上手くいくはず。

 そうして、むくろと扶桑はその意識を玄関のドアに集中させた。


「あー、やっぱりいたいた。神父さん、智子さん、生存者発見だよ」
「なっ――!?」
「ひぇ――!?」


 だがその瞬間、まだ幼い少年の声が、むくろと扶桑の横から聞こえる。
 驚愕に振り向いた彼女達の前で、いつの間にか廊下に面した寝室の中に金髪の子供が立っていた。

「あ、あなっ――、どこから――!?」
「え? 窓が割られてたから。お姉さん達ここから入ったんでしょ?」

 フライパンを構えてばたばたと後ろに下がるむくろに、その少年――クリストファー・ロビンは、朗らかに寝室の窓を指差す。
 扶桑が割った二重窓だった。

 むくろは頭を抱えて悶絶したくなった。
 そこは完全に意識の外だった。

 こうなれば、ヒグマに襲われた参加者の振りをして、なんとかこの場を切り抜けるしかない。
 姉の江ノ島盾子にだって、戦刃むくろは完璧に変装できたのだ。
 怯えた参加者のフリくらい容易い。

 彼女は目に涙をため、千切れた腕をこれ見よがしに振りながら、震えて声も出ない扶桑に代わり、ロビンに向けて精一杯の声を張った。


「こ、来ないで、クリストファー・ロビン!! あ、あなたも殺し合いに乗ってるんでしょう!?」
「……お姉さん、なんで僕の名前知ってるんですか?」


 だが、むくろが叫んだ瞬間、笑顔だった少年の顔は氷のような無表情になった。
 むくろは慌てた。
 よしんば参加者の名前を知っていたが故に、思わず名前を呼んでしまった。
 わたわたと手を振りながら、むくろは必死に思考をめぐらせる。


「だ、だって、首輪……! そうよ、首輪に名前が書いてあるじゃない!」
「……よく見てくださいね。僕はもう、外してもらってるんですよ、首輪」


 目の前の少年は、突き刺すような視線を据えたまま、ゆっくりとシャツの襟ぐりをおろす。
 そこには、首輪などなかった。
 参加者が解除方法を知るはずなどないのに、だ。

「ど、どうして……」
「……どうして首輪をしてないのか聞きたいのは僕の方ですけど。
 まぁ……、要するに例のバトルシップお姉さんたちがあなたなんですよね。
 なるほど。確かにヒグマでも夢中になるくらい綺麗ではあるのかも」

 クリストファー・ロビンは、扶桑の背負う艤装を眺めまわしながら淡々とそう言った。


 ばれている。
 むくろたちの境遇は完全に彼らにバレたと見て間違いない。
 窓からは他の人間たちも入り込んでくる。
 戦刃むくろは震えながら、フライパンを掲げた。
 そして、隣で固まっている扶桑の艤装を、ひっぱたいた。

「ふ、扶桑ッ、斉射――ッ!!」
「ちょっと、話くらいしようよ」

 だがその瞬間、扶桑が返事をするよりも遥かに早く、クリストファー・ロビンが何かを投擲していた。
 両の手に6つずつ掴まれた石ころが、6基12門の扶桑の連装砲の全ての砲口に命中し、その管腔に嵌り込んでしまう。


「さっき艦これ勢ってチームと対戦して、その大砲は何回も詰めたからね。撃つと自爆しますよ」
「い、いやぁ……」


 扶桑は塞がれた自分の砲塔を見回し、へたへたと床に崩れ落ちてしまう。
 わずか5歳という年齢に見合わぬ泰然とした佇まいで、クリストファー・ロビンの言葉には威圧感すらあった。

 窓から続いて入って来た上背の高い男は、魔術師にして武闘家の神父・言峰綺礼だった。
 地下で捕まっていたはずだというのに、抜け出してきたのか。
 そして、ヒグマ帝国医療班のヤスミン。
 ヒグマではあるものの、ナース服を纏った骨格はほとんど人間の女のそれだ。声で判別できないわけだ。
 また、参加者の黒木智子が、窓の外に待機したままじっとこちらの様子を伺っている。
 既にそこには青毛のヒグマ、グリズリーマザーの姿もあった。


 絶体絶命――。


 その状況を察して、戦刃むくろ――、穴持たず696は覚悟を決めた。
 もはや先の知れた命。
 ならばここで刺し違えてでも敵戦力を削ぎ、扶桑だけでも逃がす――!


「呼吸が荒いですね。どこか腹部に怪我をなさって――」
「ふんッ!!」

 一歩踏み出してきたヤスミンに向け、むくろは思いっきり右手からフライパンを放り投げた。
 瞠目したヤスミンは避けようとしてバランスを崩し、脇のベッドに横転する。
 空を切ったフライパンは、半開きになっていた窓を砕いて大量のガラスを外の黒木智子とグリズリーマザーの上に撒き散らす。

「どぅえぁ――!?」
「マスター!!」
「扶桑! あなただけでも逃げて――!!」


 黒木智子を抱えて伏せたグリズリーマザーの姿を尻目に、むくろはそのまま叫びながら、目の前の言峰綺礼に向けて突進した。
 走り込みながら振り上げた右の上段蹴りは、ほとんど不意打ちながら容易く躱されてしまう。
 だがそれは、むくろの想定の範囲内だった。

 このまま隠し持っていた拳銃で接射――。

 そうして、蹴りを振り抜いた動きのままむくろは背に手を回し、拳銃を抜き放ちながら脇に避けた言峰を撃とうとする。
 しかしその手は、何にも触れなかった。


「――お姉さん。危ないよこんなピストル持ってたら」
「なっ」


 脇を通りすがっていたクリストファー・ロビンが、その手に、むくろの隠し持っていた拳銃を掴んでいた。
 むくろは彼を、凄腕とはいえただの野球少年と思っていた。
 だから攻撃の対象に狙わなかった。
 しかしその彼の動体視力は、駆け抜ける戦刃むくろの姿を確実に捉え、その背から素早く拳銃を抜き取るには十分すぎるものだった。

「――吩ッ」
「ぐ、あ――!?」

 そしてむくろは腕を極められながら、なす術もなくなったその身を言峰綺礼に押さえ込まれていた。


「くっ――、殺せ――! 拷問されても、私はあの子の情報なんて決して喋らない!!」


 むくろは精一杯の力を振り絞って叫んだ。
 逃げられなくとも、せめて江ノ島盾子の情報だけは死守せねばならない。
 だが舌を噛んだところで、この場にはヒグマ帝国医療班のヤスミンがいる。恐らく死にきれない。
 むくろはもどかしさに身を捩った。


「『あの子』……、『殺せ』……? お前たちはもしや、本当に、参加者では、ないのか?」
「え……?」


 かくなる上は肩関節を抜いてでも這いずり、割れたガラスの破片を口から脳に突き刺して死のうともがいていたむくろに、上から言峰神父が怪訝そうな声で尋ねていた。
 見回せば、ヤスミンもクリストファー・ロビンも、めいめい面食らった表情をしている。


「襲われて傷だらけの参加者ともなれば、一時的に恐慌状態にあることも十分考えられるとは思っていたのですが……」
「え……!?」
「なんか支給品に写真付きの名簿でもあったり、そっちの船のお姉さんが首輪の構造を解析したりしたのかと思ってたんだけど。
 なんだ、そっか、お姉さんたちは正真正銘、あのヒグマたちを煽ってた一味かぁ……」
「あ、あ……」


 むくろは絶句した。
 支給品に写真付きの名簿なんて無いし、素人が解析できるほど首輪はチャチではない。
 よしんば主催者側にいた江ノ島盾子から情報を得ていたがゆえに、戦刃むくろは、純然たる実験参加者たちの思考を、読み切れなかった。

 彼らは、参加者にも艦娘は当然いるだろうと思って行動していたし、首輪を外す方法はグリズリーマザーの宝具以外にも当然あるだろうと思っていた。
 まさかこんなところに、黒幕の仲間が潜んでいるとは露ほども思ってはいなかったのだ。


「……まったく残念な女だな、お前は」


 押さえ込む力を強めた言峰綺礼の冷たい言葉に、戦刃むくろは歯を噛むことしかできなかった。 


    **********


「――さぁ、拷問したいならしなさい!! 爪を剥ぐなり電気を流すなり!!
 車裂きでも、あなたたちの獣欲に任せた辱めでも、なんでも受けて立ってやる!!」

 戦刃むくろは、ベッドに縛り付けられていた。
 暴れられぬよう、荷造り紐で両の脚と、無事な右腕がベッドの脚に結び付けられ、胴体も胸元がベッドに括りつけられている形になっている。

 その彼女に睨みつけられている言峰は、『何を言っているんだこいつは』という表情をしながら、その荷造り紐を結び終えた。


「……そもそもな、お前が暴れようとしていなければ、こうして拘束する必要すらないんだが」
「嘘よ――!! どうせ扶桑に吐かせるつもりなんでしょう!! 彼女より私を拷問しなさい!!」

 嘆息する言峰の背後で、扶桑は艤装を外され、室内に正座していた。
 グリズリーマザー、ヤスミン、黒木智子と車座になっている形だが、何の拘束も彼女にはされていない。

「お姉さんさぁ……、そこの扶桑さんって人を守りたいのはわかるんですけど。本当に何もしないからね僕たちは」

 部屋の片隅で、扶桑の主砲に詰めていた石ころを抜きながらクリストファー・ロビンが苦笑する。
 その苦笑に乗って、言峰もくつくつと肩を笑わせた。


「ふん、そんなことを言っていると却って拷問したくなってくるぞ?
 確かに、紐も満足に結ばせてくれん貴様より、彼女の方が色々と扱いが楽だろうしな」
「誰が緊縛のとっかかりもないまな板よ!! 死ね!! 死になさい!! 死んでしまえ!!」
「そんなこと言ってないだろう!!」

 平坦な胸部を精一杯反らせて、むくろは自由にならない体で精一杯もがく。

「むくろさん……、もう良いんです。不幸なのは私なんですから……。拷問も私が受けます」
「扶桑……」
「でも、すみません皆さん……、何をされても、口を割ることは、できません」

 その彼女に、扶桑がようやっと静かに口を開き、三つ指をついて周囲の一同に深々と土下座をしていた。
 グリズリーマザーが、辟易とした様子で首を振った。


「やれやれ……、どうしてアタシたちがアンタらを拷問することが前提みたいになってんだい?」
「……何にせよ、あなた方もそのままで継戦できるような状態ではないでしょう。
 傷病者に敵も味方もありません。お話するしないはあなた方の自由ですから、そういうお返事でしたら、まずは怪我の治療をさせていただきます」


 続けて、大きく頷いたヤスミンが立ち上がり、見るからに重篤な状態に陥ってきている戦刃むくろの方に歩んでくる。
 縛りつけられた彼女の顔は蒼褪め、呼吸は荒く、全身が汗で湿っている。
 それが決して興奮や恐怖のせいだけではないのは明らかだ。


「……あなた方は人間に見えますが、この臭い。HIGUMAなのですね。
 左腕は……、爆傷ですか? 応急処置はしてあるようですが……、腹部も失礼します」
「くっ――。あっ、痛ッ……」

 ヤスミンはむくろの手首を強く握りながら、彼女の制服のブラウスを捲り上げた。
 ついに凌辱される時が来たかと戦刃むくろは思ったが、ヤスミンは診察しているだけである。


「……痛むのはここですよね。肝臓破裂……、カレン徴候だとすると膵臓まで損傷している可能性もあります。
 血圧70のパルス140。……もう出血が2リットル近い。早急に手術いたします」
「や、やめて……、手術なんて!! こ、今度は恩を売って、情報を吐かせようとしてるんでしょう!?
 わ、私には、解るんだから……!!」

 むくろの声は、えずきに変わっていた。 
 ただでさえ少なくなっている水分が、涙となってぽろぽろと零れていってしまう。


「ごめんなさい……。盾子ちゃん、ごめんなさい……。私なんてさっさと死ねばよかったのに……。
 こんな、絶望的に醜くて、絶望的に汚れてて、絶望的に役立たずなお姉ちゃんでごめんなさい……」


 先程からとっくに、戦刃むくろの意識は朦朧としていた。
 大量出血と共に落ちてゆく脳機能は、彼女にただ不安と恐怖だけを見せて、正常な思考能力を奪っていた。
 どんどんと判断機能が薄れていく彼女の心に最後に残ったのは、ただ自身の妹への想い。それだけだった。

 手を止めたヤスミンを押しのけるようにして、そこに扶桑が走り寄る。
 彼女はむくろの手を握って、必死に呼びかけた。
 扶桑もまた、その眼から涙を零していた。


「む、むくろさん!! そんなこと言わないで……!! 生きてください! お願いします!!
 全部私が不幸だからいけなかったんです!! 私だけあの時死んでいれば良かったのに……!!」


 暫くその室内には、すすり上げる泣き声しか聞こえていなかった。
 だから微かに、黒木智子が口の中で呟いた言葉も、多くの人の耳に届いた。


「……ふざけんなよ」


 ロビン、言峰、グリズリーマザー、ヤスミン、扶桑、そしてむくろまでもが、その押し殺した低い声に、彼女を見た。

「ふざけんなよ」

 彼女はもう一度、はっきりとそう言った。
 黒木智子は、鬼女のように乱れた前髪の奥で、隈の濃い目尻を強く引き攣らせていた。

 グリズリーマザーの脇から、青い作業服の姿で幽鬼のようにふらふらと立ち上がり、無造作に束ね上げたポニーテールを振り立たせて、智子は扶桑たちに指を突き付けた。


「……何が不幸だよ。綺麗な髪して、そんな恵まれたわがままボディしてるくせに。
 ハイビスカス風の洒落た巫女装束乱れさせて、男子の視線釘付け狙いなんだろこのビッチ。
 何が『口を割ることはできません』だ。おしとやかに不幸アピールすれば構ってもらえると思ってんのか、あざといんだよ!!
 不幸なのは、こんなアホみたいな重装備背負える体しときながらそれで抗う方法も見つけられねぇ甘ったれたテメェの頭だ!!
 テメェこそそのカマトトぶったドタマ手術してもらいやがれ!! おまえも――!!」


 煮えたぎった汚泥のような罵声を一気にまき散らし、智子の言葉はさらに続く。


「『くっ殺』とかリアルじゃ流行んねぇんだよ馬鹿が!! ここはテメェみたいにフライパンでガラスの雨降らせるような血腥い界隈だろうが!!
 テメェみたいに強くて有能な美人が醜くて汚くて役立たずなんて自虐したら私の立場はどうなるんだよ!!
 そばかすは萌えポイントだし、テメェみたいな胸はまな板じゃなくて美乳ってんだよ甘えんな!!
 ……なんだよその上姉妹愛アピールとか。そんなビッチが軽々しく死ぬとか言うんじゃねぇよ!!
 ……私の方が何百倍も、……何か月も前から死にてぇわ!! ふざけんなぁ!!」


 裏返ったようなだみ声で叫びながら、智子の顔は既に嫉妬と後悔の涙でぐちゃぐちゃになっていた。
 智子は先程から戦刃むくろと扶桑の様子を見ながら、その怒りにも似た感情をずっと押し殺していた。
 智子から見れば、戦刃むくろも扶桑も、余りに恵まれた素養を持つ人物だった。
 それは例えむくろたちが傷だらけでも変わらない。
 彼女たちが何を目論んでいる者であったとしても関係ない。

 彼女たちには、それでも状況に立ち向かい、事態をどうにかできるような能力もチャンスもあったはずだった。
 というか、この場面それ自体がそうだ。
 それにも関わらず、彼女たちはその好機を一切無視して、自分たちの境遇を笠に着て嘆き始めた。

 許せなかった。

 その感情は自己嫌悪にも似ていた。
 智子だって他人のことは言えないかもしれない。
 それでも、智子は智子なりに、この殺し合いの会場で、どうにか生き残ろうと必死に奮戦してきたつもりだった。
 それなのに、自分より遥かに精神的にも肉体的にも恵まれた輩が早々に諦めようとしているなど、一体何様のつもりだ。と思うのだ。


「……ムキムキでイケメンで神父で強いクソ外道とか。凄腕のピッチャーで天才のクソガキとか!!
 獣のくせにスタイル抜群で敏腕のメスヒグマとか、料理が上手くて優しいおふくろモドキとか!!
 恵まれたクズしかいねぇのかよここにはよ!! ああそうだよ私が一番のクズだよ私がよ!!
 死ぬんだったら、何のとりえもない、モテない、クズの、私からだろうが!! 馬鹿ぁッ!!」


 もはや後半は、自分でも何を口走っているか判然としなかった。
 力の入らぬ腕で扶桑とむくろの頬をはたき、智子はふらふらと廊下の先に駆けだしてしまっていた。


    **********


「か、カマトト……」
「美乳……」

 智子にはたかれた両者は、暫し廊下の先を呆然と見やっていた。

「……一体どうしたというのだあの少女は。私のことを言うに事欠いてクソ外道だと……?」

 扶桑とむくろの呟きに、『意味がわからない』と首を傾げながら言峰が言葉を重ねた。


 グリズリーマザーは、扶桑の艤装から石を取り出していたロビンに目を合わせる。

「……ロビンくん、悪いけど、マスターのところ、行ってきてもらえないかい?」
「ちょうどそうしようと思ってたところさ……。ヤスミンさん、これ」
「ありがとうございます。これが必要でした」

 ロビンは、手早く荷物から一枚のクッキーを取り出してヤスミンに渡し、智子を追って廊下を駆けていった。
 その姿を見送って、戦刃むくろはゆっくりとヤスミンの方に向き直った。
 深さを取り戻した息で、彼女は言葉を絞る。


「……ごめんなさい、不本意だけれど、もう少し生かしてもらえるかしら。妹以下の年の子にあんなこと言われたら、死ぬに死ねないわ」


 江ノ島盾子からかつて言われた、『ふーん、言われたことしかできないんだ……ねぇ、お姉ちゃんって本気のバカでしょ?』という言葉が、むくろの脳裏に思い返された。
 指示待ちしかできない意固地な堅物だという評価を、妹以外の輩から下されるのは、心外に過ぎた。
 柔軟な対応を見せて、指示がなくとも妹の役に立てるのだという証左を見せてやらねば、気が済まない。

 それによくよく考えてみれば、肉親の死などという絶望的な場面を、妹の知らぬところで行なってしまうのは彼女のためにならない。
 通信装置が使えない以上、せめてむくろはモノクマの目の前で死んでやる必要があった。


「そういうことでしたら、喜んで治療いたしますよ」

 ヤスミンはごく淡々と、微笑みながらむくろに答えた。
 むくろは目を伏せて、悔し紛れのように言う。

「それでも、……あの子のことは絶対に話さないから」
「わかったわかった……。もう良いよ、これ以上何も言わなくていいから、大きく息を吸って、落ち着きな……?」

 グリズリーマザーは、見かねたように彼女をなだめて、その頭を撫でる。


 もう既に、今までの戦刃むくろの発言から、地下でヒグマの反乱を煽っている黒幕(あの子)が実は彼女の妹らしく、その名前は『盾子』というらしいところまで完全に露見している。
 本人は隠し通せているつもりらしいが、言葉の端々からボロが出まくりなのである。
 確かにむくろは『あの子』と『妹』を使い分けてはいるが、彼女の態度からしてどう考えてもその子は同一人物だ。
 ミスリードというのも、動転しきっていた状況からして有り得ないだろう。

 これ以上口を開かせるのは、彼女の肉体的にも立場的にも毒だ。
 だからグリズリーマザーは、その事態を理解している言峰とヤスミンと静かに顔を見合わせて頷き、ただただ彼女の髪を撫でてやった。
 そこに扶桑も、唇を引き結んで言葉を挟む。


「ヤスミンさん、でしたよね。すみませんが、手術のお手伝いを、させていただけませんか……?
 一応戦時中に、船医さんの処置を、何度か拝見したことはありますので……」
「願ってもないことです。キレイさんとグリズリーマザーさんだけでは手が足りないかも知れないところでした。
 後であなたの治療もさせていただきます、扶桑さん」


 俯き加減のまま扶桑は、どうして自分が自分のことを不幸だと考えるようになってしまったのか反省する。
 恐らくそれは、嫉妬だ。
 他の戦艦たちが、自分より強い装備を得て自分より活躍して、自分より持て囃されていた様を見て、それを自分のせいだとは思いたくなくて、『不幸』という何かのせいにしたくなったのだ。
 私が活躍できないのはどう考えてもお前らが悪い、と。

 だが本当に『不幸』だったのは、妹の山城の方だ。

 扶桑には、取り立てて不幸なエピソードなど存在しない。
 装甲は不十分だったし、主砲の配置は問題だらけだったし、艦橋はまるでだるま落としか何かのようだった。
 それでも、彼女はむしろそのお蔭で、多くの船員や修理工から丁重に扱ってもらっていた。
 甘ったれていた、構ってちゃんだった、と言われれば、そうなのかも知れない。

 傍から見れば、扶桑の嫉妬など、隣の花が赤かったり芝生が青かったりするだけの、目くそ鼻くその違いなのかも知れなかった。
 戦艦サマだから抱ける大層なお妬みである、と駆逐艦などからは思われていたかも知れない。

 あの油気のない髪の、病的になまっちろい、隈だらけの眼の、成長期を脱落してしまったかのようなみすぼらしい少女からそれを指摘されれば、不思議と『ああそれはそうかも』、と納得せざるを得なかった。


「麻酔は無いのでそれこそ拷問並みに痛いですが、覚悟はいいんですよね。HIGUMAですし」
「え、ちょ」
「セクティオ(切開)!」
「――~~!!」

 洗面所からタオルなどを大量に持って来たヤスミンは、むくろに淡々と猿轡を咬ませる。
 そして消毒もそこそこに、縛られたままの彼女の腹部を鉤爪で掻っ捌いていた。
 戦刃むくろは痛みに呻き跳ねた。
 それでも彼女が耐えられたのは、むしろその体がきちんと緊縛されていたからに他ならない。


「……やはりかなり出血してますね。創の縫合と、それから……」


 剥き出しになった肝臓から溢れてくる出血を、グリズリーマザーが水で洗浄して洗面器に流しつつ、扶桑がタオルで吸う。
 ヤスミンがヒグマのカットグット縫合糸でその傷口を縫っている間、隣で言峰綺礼が治癒魔術を使っていた。
 瞬く間に傷を縫い合わせるや、ヤスミンはその手に、一枚のクッキーを取り出す。
 扶桑がその物体を判じかねて首を傾げた。

「クッキー、ですか……?」
「いいえ、乾燥したHIGUMA細胞です。恐らくこれで、戻ります」

 ヤスミンは腹腔内に残った血液を浚いつつ、クッキーを割ってその3分の1ほどを浸した。
 するとその血を吸って、ぽろぽろとした質感のクランチだった塊は、ぷくぷくと瑞々しいカルスのように柔らかく膨れた。
 その一部を肝臓の裂けた場所に塗れば、傷にたちまち染み透るようにして細胞が馴染む。
 切開した腹の皮膚も、縫い合わせながら塗られたその細胞塊がほとんど傷を塞いでいく。

 さらに、千切れとんでいた戦刃むくろの左腕の断面を残りの細胞塊で覆うと、筋肉や骨の覗いていたその部分の痛みも無くなってしまった。
 戦刃むくろは、猿轡のまま目を丸くする。
 あとはそれらの部位をヒグマの体毛の包帯で覆ってしまえば、ものの数分で手術は終了だった。


「ふ、ふほい……」
「ええ。未分化のHIGUMA細胞はすごくて貴重ですから、解体さんにも必死に集めてもらっていたわけです。
 ロビンさんがこれを持っていたのが幸運でした。後々免疫反応が起きるかもしれませんが、当座のところは大丈夫でしょう。あなたがたもHIGUMAのようですし」


 ヤスミンは早くも扶桑の衣服を脱がせ、さらに3分の1のクッキーを水で戻していた。
 彼女を風呂場に連れて行って、水垢離のようにバケツで頭から水を浴びせて汚れを落とし、深い傷には細胞塊を落とし込み、浅い傷は包帯で巻いて塞ぐ。
 破損していた装備も、それに伴って粗方修繕されていた。
 ヤスミンが縫合糸で繕ってくれた服を着なおして、扶桑は深々と一同に頭を下げる。


「治療……、ありがとうございます。これで、いけるかしら……」
「ああ……、それにしても、扶桑ちゃんと、むくろちゃんだっけ?
 あんたら一体、誰にこんな手ひどくやられたんだい? それくらい話してくれてもいいだろう?」


 寝室の方に戻り、グリズリーマザーは二人に問うた。
 彼女たちの目的はどうあれ、その両名をこれだけ痛めつけるような相手は、一般の参加者にとっても危険なことが容易に想像できる。

 戦刃むくろは拘束を解かれて、屋台より持ち出された蜜入りハーブティーを言峰神父から受け取っていた。
 人肌に温んでいたそのお茶で水分を取り戻しつつ、むくろは口を開く。


「……浅倉威という、ほぼ無差別に生物を嬲り殺していた参加者よ。不意を突かれてしまって。
 でも、心配ないはず。扶桑の砲撃で彼は、欠片も残さず吹き飛んだはずだから――」


 はず。
 そう言った後、戦刃むくろは、ふと自分の言葉に疑問を感じる。
 今まで、そんな情報に基づいてきた自分の思考は、悉く裏目に出て来た。
 しっかりとした確証をとらず、伝聞にあぐらをかいていたがゆえに、戦刃むくろはここまで追い詰められてしまったのだ。

 ラマッタクペには謀られ。
 メルセレラには腕を吹き飛ばされ。
 浅倉威は分裂していて。
 扶桑の砲撃は乗員にクリティカルヒットし。
 ヒグマたちには簡単に砲音を聞きつけられ。
 グリズリーマザーには容易く潜伏場所を発見され。
 黒木智子には叱咤された――。


『「くっ殺」とかリアルじゃ流行んねぇんだよ馬鹿が!! ここはテメェみたいにフライパンでガラスの雨降らせるような血腥い界隈だろうが!!』


 その言葉を思い返して、むくろは背筋にぞくりと悪寒を覚えた。
 痛みが消え、糖分を摂取し、循環血液を取り戻してゆく超高校級の軍人の脳はその時、とある絶望的な可能性を導き出していた。


「――、すぐに、ここから逃げましょう!!」


 そう叫んだ直後、地響きのような激しい爆音が、この家屋を揺すった。


    **********


「……智子さん」
「おごっ……、ほぐっ、おぐうぅ……」

 クリストファー・ロビンがそこに辿り着いた時、黒木智子は汚らしい声でえずきながら、リビングの隅に蹲っていた。
 ロビンが手を伸ばすと、彼女は逃れるように窓辺ににじり、カーテンの中に自分を巻き込んで隠れてしまう。
 その様子に、ロビンの口元は思わず緩んだ。


「……いいよ。暫く、気の済むまでそこに居なよ」
「あぐっ、ぐぅ、ふっ……そう、だよ、なぁ? よ、ようやく初対面の、人前で話せた、言葉が、あれとか。
 こ、こんなクズ、ほっといた方が良いんだ……。いねぇ方が良いんだ……」


 遮光カーテンの塊が、すすり泣きで震えていた。
 ロビンは、その中の彼女に見えぬと知りながら、穏やかに首を横に振った。


「それは違うな……。智子さんはクズじゃないし、いた方が良い。いや、いてくれなきゃ困る」
「え……?」

 カーテンの震えが止まった。
 そこにゆっくりと歩み寄って行って、ロビンはその塊をギュッと抱きしめる。


「ひ、ひにぇ……!?」
「ようやく気付いた。智子さんは、僕にとって、なくてはならない人だったんだ……」


 カーテンの中の少女が、一瞬にしてがちがちに硬直したのが解った。
 彼女の耳元で、ロビンはカーテンの上から訥々と囁く。


「智子さんには、他の人にはとても真似できない素晴らしい取り得があるじゃないか。
 あのみんなへの力強い言葉……。僕は感動した。あれで僕は、智子さんに心奪われたんだ……」
「うぇ!? へ、ど、どっどっ、うぇ、ひ、が!?」

 もはや智子の声は言葉にならなかった。
 上気した熱量が、カーテン越しにも伝わってくるようだった。

 この5歳児が何を考えているのかどこまで本気なのか智子にはわからないが、彼の言葉はどう聞いても愛の告白か何かにしか聞こえない。
 抱きしめられたカーテンの中でひぃひぃと喘ぐようにもがき、智子は必死に言葉を組み立てる。


「だ、だて、あれ、あれは、嫉妬……! 嫉妬まみれで! 下衆な、喪女の、たわごと……!!」
「モジョ……。うん、確かにあれは『Mojo(モジョ)』だ。パワーを得られる魔法の呪文だよ。
 魅力や才能……、智子さんは、あらゆる人の良いところを、見た瞬間に気づいてるんだ。
 これは本当にすごい取り柄だと思う。誰にでもできることじゃない」


 もじょ。
 漢字で『喪女』と書いてしまえば、それはモテない女を指すだけの冴えない言葉かも知れない。
 だがその発音が『Mojo』として捉えられれば、それは溢れんばかりの魅力や魔力、そしてそんな能力を引き出す魔法を指す言葉だった。

 本人からすれば、一面から見れば、彼女の発言は嫉妬まみれの罵詈雑言だったろう。
 だがまたある一面から見れば、彼女の発言は的確で親身な賞賛と指摘に他ならなかった。

 美徳も、慣習も、常識も、視点も、文化によって人によって全く異なる。
 クリストファー・ロビンという英国の少年にとって、黒木智子という、エキゾチックで純朴で恥ずかしがり屋でかつ鋭いこの少女は、この上なく魅力的な女性に他ならなかった。


「あなたに傍にいてもらって、ずっと見ていてもらえれば、僕はきっと、もっと成長できる……」
「ふぇ、ふぇぇ……」


 智子の脚は興奮で震えていた。

 やっべでもこいつ精通まだだよなキスどまりか!! とか。
 こいつが5歳だっていうなら結婚できるまであと13年、アラサーだがむしろ私は適齢期か!? とか。
 そのころこいつはきっとメジャーリーガーだし玉の輿じゃんやべー先行予約ゲットォおぉ!! とか。
 それまで同棲生活では私が逆に養ってやるんだうふふ源氏物語かよ子宮が高鳴りますな!! とか。

 氾濫するどうしようもない妄想を抑えるので精いっぱいだった。


「こんなに素敵な女の子は、あなたしかいない。智子さん、僕とこれからずっと、一緒にいてください――」


 そしてついに続けざまの一言で、智子の脳は沸騰する。
 完全に告白だった。
 耳の穴からピーッと音を立てて、湯気でも吹き出すんじゃないかと思えた。
 腰が抜けてへたへたと崩れ落ちそうになる彼女を、カーテンを押し開きながらロビンが支える。

 筒状のカーテンの闇に入って来る凛々しい少年に、智子はばくばくと脈を打つ胸を抑えて口を開く。
 彼の告白に返事をしようと、蕩け落ちそうになる思考能力を掻き集めて、彼女は意を決した。


「ロ、ロビン、わ、私も……!」
「いいんだ、智子さん。喋らないで」


 ロビンはそんな智子を真っ直ぐに見つめて、低い声でそう語る。
 肌の温度が触れ合い、息遣いが聞こえ、鼻先がくっつきそうになるほどの距離。
 夢見てたほどの、あまりにロマンチックなシチュエーションだった。

 その暗がりに見える口元に、智子は目を瞑って、唇を突き出した。
 そしてそっと、その唇に何かが優しく触れる。


「……敵が来てるから」
「――!?」


 智子の唇に触れたのは、ロビンの人差し指だった。


 ロマンチズムに駆け巡っていた血が、サッと頭から下に降りたようだった。
 カーテンの中に隠れたままロビンは、その隙間から窓の外を伺い、智子にそれを指し示す。

 窓の外にはいつの間にか、異形の怪物が何体も近寄って来ていた。
 空を飛ぶ巨大なエイ。
 機械的な質感を有した巨大なヒグマ。
 青白いゴリラのような、両腕が刃物になっている巨大な熊のような何か。
 そして、それらに指示を出す、毛深く筋肉質の、人間とも熊ともつかぬ誰か。


「ああ……、それにしても、扶桑ちゃんと、むくろちゃんだっけ?
 あんたら一体、誰にこんな手ひどくやられたんだい? それくらい話してくれてもいいだろう?」
「……浅倉威という、ほぼ無差別に生物を嬲り殺していた参加者よ。不意を突かれてしまって。
 でも、心配ないわ。扶桑の砲撃で彼は、欠片も残さず吹き飛んだはずだから――」


 意識の冷めた智子の耳に、寝室側からグリズリーマザーと戦刃むくろの声が届いてきた。
 チッ、とロビンが隣で舌打ちをする。
 日光に光る、窓の外の誰かの首元。

 その、皮膚ともスーツとも毛皮ともつかない剛毛の内の首輪には、『浅倉威』と刻まれていた。


「――き、気づかれてる」

 智子が息を詰めた時、空飛ぶエイの上に乗っている彼らは、この家の屋根の上に向かっていた。
 ロビンが叫んだのは、寝室のむくろと同時だった。


「――、すぐに、そこから逃げろッ!!」


 そう叫んだ直後、地響きのような激しい爆音が、この家屋を揺すった。


    **********


 浅倉威は分裂していて。
 ヒグマたちには簡単に砲音を聞きつけられ。
 グリズリーマザーには容易く潜伏場所を発見された。

 戦刃むくろが仕入れている情報によれば、浅倉はカードデッキを鏡面に映して変身する仮面ライダーのはずだ。
 なんで獣のような体毛が生えていたのか、なんで分裂していたのかは定かではないが、とりあえずそれは確かなはずだ。

 ――そう。
 浅倉威は、鏡の中にバイクで入り込むことが、できた。

 分裂していて、ヒグマのような形態を得ていて、そんな能力を持っているなら、扶桑の砲撃で殺し切れたと考える方が、むしろおかしかったのだ。


 ――ファイナルベント。


 爆音と共に、家の屋根が崩れる。
 崩落する天井に、寝室のめいめいが、てんでバラバラの方向に転げた。
 ほぼ中央にいたヤスミンはその崩落を避けきれず、下敷きとなった。
 上から聞こえて来た高笑いは、戦刃むくろと扶桑には忘れることもできぬ獣の声だった。


「グッハッハッハッハァ――!! 追ってきてみりゃ、おあつらえ向きに活きのいい食材が勢揃いかァ!! おぉら謝肉祭だぜぇ――!!」
「浅倉――!!」


 崩れ落ちた天井を避けて、むくろはベッドの端、部屋の角に追いやられていた。
 そこへ、回転怪獣ギロスが鋏のような爪を振りかぶって躍りかかる。
 部屋の反対側の隅に転げた言峰綺礼には、ヒグマプレデターが、酸の唾液を迸らせながら飛び掛かった。
 廊下から玄関に転がり出た扶桑にはエビルダイバーが飛び、同じく廊下から、リビング側へ黒木智子を守ろうと走り出したグリズリーマザーには、浅倉威自身が追いすがっていた。


 なんて完璧な奇襲――!!


 むくろは瞠目しながら、振り下ろされる回転怪獣の爪を横に躱す。背後の壁に穴が開いた。

「くっ――!!」

 その瞬間、むくろは自分の体重を下方に落としながら足を踏み出した。
 『膝抜き』と呼ばれる日本拳法の技法に乗せて、橈骨側からミサイルを撃つように、右手の拳頭を回転怪獣の会陰部に突き込んだ。
 彼女の全体重を砲弾として、その拳が股間の軟部にめり込む。

「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 ただの少女の徒手空拳に過ぎぬ一撃は、ヒグマの組織を破壊するには到底足りない。
 しかし、穴持たず696の、ヒグマとしての、超高校級の軍人としての的確な技術と狙いは、回転怪獣ギロスに耐えがたい激痛を与えていた。


「叱ッ!!」
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!?」


 そしてほぼ同時に、部屋の反対側からもヒグマの絶叫が響く。
 轉身下式で沈み込みヒグマプレデターの牙を避けた言峰綺礼が、そのまま震脚を踏み込んで撃襠捶をその金的に捻じ込んでいた。
 むくろと綺礼の、目が合った。


「言峰さん――!!」
「むくろとやら――!!」


 片や軍隊の格闘術、片や魔術を織り交ぜて奇形化した八極拳。
 片やヒグマ帝国を反乱させた首謀者一味、片やスタディに誘拐されていた一魔術師。
 全く立場は違う。
 加害者と被害者と言ってもよく、ほとんど初対面ですらある。
 それでも互いの動きを一目見ただけで、彼らは察した。

 回転怪獣とヒグマプレデターの四肢の隙から、転がるようにして天井の落ちた部屋の中央に走り出た二人は、そこでぴったりと背中合わせになる。
 両者の考えていることはその時、全く同じだった。


「こいつらを倒すわ――!! 協力して!!」
「こいつらを倒すぞ――!! 協力しろ!!」


    **********


「きゃぁぁぁ!?」

 爆発のようにして崩れ落ちた天井を避けて、扶桑は廊下に転がり出ていた。

「マスター!! マスター!!」

 隣にいたグリズリーマザーは即座に起き上がり、リビングの方の少年少女を守りに走り去る。
 よろよろと起き上がった扶桑へ、その首を掻き切るようにエビルダイバーがヒレを揮って滑空してきた。

「ひぅっ!」

 のけぞった扶桑は玄関のドアに倒れ込む。
 恐怖と混乱に苛まれながらも辛うじて、彼女はそのドアの鍵を開けることだけは間に合った。

「げぅ――!?」

 だが廊下から方向転換してきたエビルダイバーの突撃を真っ向から受けた扶桑は、そのまま開いたドアから外に弾き飛ばされてしまう。
 そして、火山灰の上に溜まった水が未だぬかるむ道路へと、彼女は転げ落ちた。
 呻く彼女に、なおもエビルダイバーが迫り来る。
 今度は真正面からではなく、そのヒレで斬りつけるような軌道だ。

 厚さ30cmの鉄板さえ切り裂けるとされるそのヒレを受けてしまえば、扶桑といえど艤装ごと両断されてしまうに違いない。


「ひぃぃ――ッ!」


 扶桑はぬかるみの中に半身を埋めるようにして、辛うじてその突撃を躱す。
 頭上数センチ上を、鋭い風が通ったのがわかった。
 泥だらけになった顔を上げれば、上空で旋回したエビルダイバーが再び扶桑に向けて滑空してくる。


「主砲が――! 副砲も……!!」


 扶桑の装備していた大砲類は全て武装解除され、今は寝室の天井の下だ。
 彼女が自慢としていた主砲の火力には今、頼る術がない。


 ――一体それ以外に、私は何を恃めばいいの!?


「い、いやぁあぁぁ――!!」


 迫り来る巨大なエイの毒刃を前に、扶桑は絶望的な叫びを上げていた。


    **********


「マスター!? 一体、どこに……」

 リビングに走り込んでいたグリズリーマザーは一瞬、黒木智子とクリストファー・ロビンを発見することができなかった。
 数秒見回してようやく、窓のカーテンの中に隠れているのだということに見当がつく。
 だがその時にはもう、追いついた浅倉威が背後から彼女を斬りつけていた。

「グアァ――!?」
「ゲハハハッハッハァ――!! いい肉付きじゃねぇかお前はよォ!!」

 背中の肉をばっくりと削がれたグリズリーマザーは、振り向きざまに勢いよくその腕で背後を薙ぎ払う。
 だが浅倉はそれを容易く沈み込んで避け、密着位置から執拗にベアサーベルでグリズリーマザーを斬り立てて行った。


「マ、マスターには、手出しさせない――ッ!! 『活締めする母の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』!!」
「おっと――!?」


 瞬間、毛皮を赤く染めながらも揮われたグリズリーマザーの爪が閃く。
 直感的に危険を察知した浅倉はその爪の軌跡から飛び退った。
 しかし躱し切れなかったその宝具は、浅倉の胸元に確かに3条の切り傷を刻んでいた。

 ――勝った。

 グリズリーマザーの爪は、攻撃が対象に傷を与えた場合、与えた損傷の大きさに関わらず対象を即死させる呪いの宝具だ。
 すぐにでも、この浅倉威という襲撃者の意識は飛び、死に至る。
 そのはずだった。


「クックック……。なぁんか、お前の爪には、隠し技でもあった、ってことだよなぁ……?」
「な、に――!?」
「だが……」

 だが浅倉は未だ、不敵な笑みを浮かべたままでその場に立っていた。
 その口元には、カードが一枚噛まれている。

 ――コンファインベント。

 相手が発動させたカードの効力を、例えそれがファイナルベントであっても無効化する。
 浅倉が仮面ライダーガイから、メタルゲラスと共に奪い取っていたカードの一つだった。


「残、念、だっ、た、な!!」


 浅倉はコンファインベントのカードを吹き捨て、スタッカートをつけて叫ぶ。
 たじろぐグリズリーマザーにむけ、彼がベアサーベルを振り上げたその時だった。
 突如彼の腕が、肘から弾けて吹き飛んでいた。

 大口径のライフルか何かで撃ち抜いたように、そのまま廊下の奥の壁に巨大な弾痕が刻まれる。
 吹き飛ばされた浅倉の腕の断面は、液体窒素か火炎で灼いたかのように爛れていた。


「……『スケスケだぜ』」


 その少年の声は、グリズリーマザーの背後、リビングの奥から聞こえていた。
 そこに立っているのは、右腕を振り抜いた投球姿勢で佇む、クリストファー・ロビンだ。
 彼は今の今まで、自身の魔球を投石に乗せて放つタイミングを、隠れたまま見計らっていたのである。
 その更に奥、カーテンの裏から、黒木智子が声援を送る。


「やっちゃえ――ッ!! グリズリーマザーッ!!」
「グリズリーマザーさん、今だッ!!」
「おおお――ッ!!」
「ジェアッ!!」


 ロビンたちが叫ぶより早く、グリズリーマザーは浅倉に向けて飛びかかっていた。
 だがその瞬間、浅倉は千切れ飛んだ自分の右腕を、その手に掴まれたベアサーベルごと左手で持って揮う。
 先程よりもさらにリーチの伸びた斬り付けに、思わずグリズリーマザーはひるんだ。

 その隙が、浅倉にさらにもう一枚のカードを、咬ませてしまっていた。


 ――コピーベント。


「なっ――!?」
「『野締めする羆の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』――ッ!!」


 その瞬間の光景は、その場にいた者の想像を絶していた。
 千切れ飛んだはずの浅倉の右腕が、肘の付け根からぼこぼこと再生し、凶悪な形態の鉤爪に変わっていた。
 鋭い光を放つその爪は、咄嗟に翳されたグリズリーマザーの腕ごと、彼女の体をトマトか何かのようにバッサリとスライスしてしまった。


「あ――」
「グリズリ、マ、ザー……?」


 グリズリーマザーの体は、暫くその体勢のまま固まっていた。
 だがその断面から果汁のように赤い血液が溢れ、袈裟懸けにされたその体は、ずるりと滑って廊下に崩れ落ちる。
 その場には、強大な怪物の爪を身につけてしまった浅倉の高笑いだけが、ただ響いていた。


「ガッハッハッハッハ!! やはり素晴らしいな!! ヒグマってヤツはよぉ――!!」


 近くにいるライダーの武器をコピーし使用できるようにするカード、コピーベント。
 浅倉がエビルダイバーと共に、仮面ライダーライアから奪い取っていたカードだった。


「う、わぁああああぁあぁぁぁあぁぁあぁ~~――!!!!????」


 自身のサーヴァントの、母のようだった温もりの、死。
 凄惨な赤に染まった彼女の死骸を眼にして、黒木智子の喉は、今生で二度と出せないような絶望の声を響かせていた。


    **********


「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」


 寝室で二体の怪物に挟まれていた戦刃むくろと言峰綺礼はその瞬間、背中合わせだった体を、それぞれ反対の側方にサッと移動させた。
 示し合わせたわけでもないのに、ピッタリのタイミングだった。

 それによって、彼らに飛び掛かっていた回転怪獣とヒグマプレデターは、ものの見事に部屋の中央で正面衝突する。

「せッ!!」
「叭ッ!!」

 そして身を躱した綺礼とむくろが、激突した怪物の後頭部へ同時に、側端脚と後ろ回し蹴りを浴びせる。
 叩き付けられた回転怪獣の角でヒグマプレデターの顔面は切り裂かれ、ヒグマプレデターの迸る唾液で回転怪獣の顔面は溶かされた。
 人間の拳でヒグマの装甲を貫けなければ、ヒグマで貫けばいい――。
 そんな攻撃手法だった。


「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
「GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!?」
「ちっ」
「くっ」


 だが痛みと混乱に狂い、回転怪獣は全身から刃を出して竜巻のように荒れ回る。
 それを避けて転がったむくろは風圧で部屋の壁に叩き付けられ、言峰は割れた窓から外に転げ落ちてしまった。
 回転怪獣はそのまま壁を砕くようにして、外に出た言峰に追いすがる。


 部屋の中では、痛めつけられたヒグマプレデターが発狂し、ほとんど所構わず酸の消化液を吐き散らして、蹲るむくろの方に迫っていた。

「ぐぅ――」

 壁に叩き付けられた衝撃で、むくろの腹部の手術痕が引き攣れていた。
 HIGUMA細胞で塞いだとはいえ、そこに走る痛みは、これ以上拳を揮えば再生させたばかりの傷口が再び開くだろうことを容易に想像させる。

 爪と消化液とを乱れ打ってくるヒグマプレデターの攻撃を、むくろは腹部をかばいながらふらつく足取りで躱し続けた。
 掠める爪の先や消化液の飛沫が、彼女の肌に浅く傷をつける。
 いつまともに喰らってしまうか、わかったものではない。
 直下にいるヤスミンが、苦悶に呻いているのが聞こえる。
 ヒグマプレデターの消化液は、むくろは愚か、彼女の上にまで落盤を溶かして届いてしまいかねない。
 だが、今の戦刃むくろには反撃手段すらない――。


「うぉぉ――ッ!!」


 窓の外では、家の前庭で言峰綺礼も窮地に追い込まれていた。
 高速回転するギロスの竜巻に、言峰は転がりながら砕けたガラスを投げつける。
 しかしその投擲片は、容易くその旋風に弾かれて内に届かない。
 竜巻と化したその突進速度は、言峰も大回りして躱す他なかった。
 退き込みの距離を見誤れば、いつその体を微塵に刻まれるかわかったものではない。

 そしてついに戦刃むくろの耳にも、言峰の体がドンと、家の壁にぶつかる音が聞こえる。
 そしてむくろの逃げた位置も、崩れた天井や壁も溶けていく消化液まみれの寝室の、その片隅だった。

 両者ともに退ける場所のない、絶体絶命の地点だった。


    **********


「――あぁぁ――ッ!!」


 絶望に叫びながら扶桑は、その腕を前に突き出していた。
 その艤装は、カタパルト。

『不幸なのは、こんなアホみたいな重装備背負える体しときながらそれで抗う方法も見つけられねぇ甘ったれたテメェの頭だ!!』

 胸の雲間に、黒木智子の叫びが鳴った。
 唇を噛んだ。


「伊勢、日向にはッ……、負けたくないの!!」
「――!?」


 彼女は搭載していた零式水上偵察機を、迫り来るエビルダイバーに向けて勢い良く射出していた。
 全長わずか十数センチの模型のような飛行機。
 攻撃能力のほとんどないその偵察機は、敵の攻撃機に発見されれば、あとは撃墜されるのを待つくらいのことしかできないものだった。
 だがそれでも、扶桑は自身の思考をその偵察機に同調させ、何倍もの大きさを持つそのエイに向け、『攻撃』を仕掛けさせる。
 その無謀すぎて却って予想外の突撃は、エビルダイバーを驚かせるには十分すぎた。

「お願いします、妖精さん――!!」

 同時に扶桑は叫びながら、勢いよく踵を返して水上を駆け出す。
 エビルダイバーの上をとった扶桑の偵察機は、そのすれ違いざま、何かを投下していた。
 直後、エビルダイバーの左眼が爆裂する。


 ――250kg爆弾。


 ほとんど攻撃力の無きに等しい零水偵の、数少ない武装の一つが、それだ。
 零水偵は爆撃機のような急降下爆撃能力もなく、自衛のための空戦能力にも乏しい。
 だがそれはあくまで、軍艦同士、艦載機同士の戦闘の場合だ。
 急降下するまでもない近接戦闘なら、機銃で迎撃されない相手なら、それでも十分、この水偵の攻撃は通るのだった。


「山城ッ……、私は、大丈夫……!!」


 爆撃を受けて左眼を潰されてなお、エビルダイバーは扶桑の背中に迫る。
 傍からは逃げているようにしか見えない彼女はしかし、その口の中で、しっかりと決意を声に出していた。
 走っていた扶桑が、ぬかるみの中から何かを掴み上げる。
 そして同時に彼女は、水上に急旋回した。

 ――振り向きざまに、張り倒す!

 エビルダイバーの驚愕した表情は、ちょうど彼女の振り抜かれる腕の、軌跡の上にあった。


「――肉弾戦よ!!」


 ゴズン。
 と、重いインパクトの音がした。
 爆弾で潰れて死角となったその左眼側から、鉄のフライパンが振り抜かれていた。

 戦刃むくろが放り投げ、道路の水上に落ちていたその武装が、超弩級戦艦のフルスイングでエイの頭部を殴り飛ばす。
 扶桑が就役した1915年は、ちょうど日本でも第1回の、全国中等学校優勝野球大会が開催された年だった。


「やっ……た!」


 家の垣根に叩き付けられたそのエイを見て、扶桑は快哉を上げる。
 そうなのだ。
 あの重装備に耐えられる体をしているのだから、単純な馬力を叩き付ける攻撃だけでも、扶桑は十分戦うことができた。
 今までの深海棲艦との戦いではそんなことをする意味も機会もなかった。
 武道の訓練も取り立てて重視していなかった彼女が、その戦法を思いつかなかっただけのことだった。

 絶望に停滞していた自分の心が、澄み渡ったかのようだった。
 まるで夢を見ていた後のように、扶桑は息の輪を吐く。
 見上げた空は、晴れわたっていた。
 すがすがしい達成感を胸に、扶桑は逃げて来た道を戻る。
 寝室付近では言峰綺礼と戦刃むくろも激しい戦いのさなかだった。


「むくろさん……! 今、掩護に向かいます……!」


 だがその瞬間、扶桑の全身は、激痛に襲われていた。

「あぎっ!? ぎぃ――!?」

 バチバチと扶桑の全身を駆け巡ったのは、電流だった。
 脳震盪から復帰したエビルダイバーが、その尾から津波のぬかるみに電気を流していた。

 力の入らなくなった扶桑はそのまま、人形のように水上に崩れ落ちた。
 エビルダイバーはそんな獲物を捕食すべく、ゆっくりとぬかるみの上を泳ぎ来る。


 火山灰の泥に沈みゆきながら扶桑は、そうして自分の轟沈した、レイテ沖海戦を思い出していた。


    **********


「ハッハッハッハァ! 次はお前だァ野球小僧!!」
「くっ――!!」

 浅倉は、斬り殺したグリズリーマザーの死体を踏み越えて、続けざまにクリストファー・ロビンを黙らせるべく飛び掛かっていた。
 ロビンは即座に、左手に掴めるだけの石6つを彼に向けて投げつける。
 利き腕の投擲でもない、ただの牽制に過ぎないその石礫を、浅倉は避けもせずに受け、爪を振りあげた。

「効かねぇなぁァ――!!」
「『ティガーボール』!!」


 だがそれこそが、ロビンの狙いだった。
 彼の右手は6つの投石に紛れて、浅倉の爪に向けて不可視の魔球を放っている。

 察知不能、回避不能の本命の石弾は、過たず浅倉の掌を抉り飛ばしていた。


「あぁん――?」
「チッ――!?」


 だがそれでも、浅倉の攻撃は止まらなかった。
 右手のど真ん中を弾き飛ばしても、その投石は浅倉の腕を再び千切るには足りない。
 貫通力に広範囲の破壊力までを両立させるには、彼がウォーズマンとの修行で身に着けた、あの魔球を用いるしかなかった。


「『野締めする羆の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』――ッ!!」
「おおお――ッ!!」


 ロビンは床に転がりながら、デイパックから一組の甲冑を引きずり出して翳していた。
 ――ウォーズマンの所持していた、ロビンマスクの鎧。
 その鋼鉄の鎧は、代々の先人たちの鎧を繋ぎ合わせた、ダメージ軽減・回復効果を持つ『歴史の鎧(ヒストリーアーマー)』とされる。

 その鎧は浅倉の爪をしっかりとガードした。
 鎧は爪の喰い込んだところから、あたかもその神秘と歴史が死んでいくかのようにボロボロと劣化して崩れていく。
 だがその隙にロビンは仰向けのまま、もう一度石を掴み、浅倉に向けて投球姿勢を採ることができた。


「『スケスケ――』」
「しゃらくせェ!!」
「ごぁっ――!?」


 その投球が放たれる直前、鎧に手を取られたまま、浅倉は力任せにロビンの体を蹴り飛ばす。
 大人と子供の圧倒的な体格差と、ヒグマと人間の圧倒的な筋量差から繰り出された前蹴りは、それだけで暴力的な威力だった。
 まるでボールのように軽々と、ロビンの体は天井に叩き付けられ、そして床に落ちる。
 デイパックが彼の腕から弾き飛ばされ、黒木智子の震えている窓辺まで吹き飛んだ。


「ひっ、ロ、ロ、ビ……!?」
「ハッハッハッハッハ、活きが良いのは良いことだが、あんまり暴れられても喰いづれぇからなァ」
「げっ、がッ……! ぎぃ――!?」


 恐怖で身じろぎもできぬ黒木智子の前で、胸と背を打ち付けて呼吸のできなくなったロビンの右手が、浅倉に踏みつけられる。
 蹴り飛ばされても離すことのなかったその手の石ころごと、浅倉はまず彼の手を踏み砕き、その危険な選手生命を絶とうとしているようだった。
 ロビンは激痛に耐えながら必死に、その手を踏みつける浅倉の脚を外そうともがいた。
 そして苦しい息を振り絞って、震える智子に檄を飛ばす。


「とも、こ、さん――!! あなただけでも、逃げ、てッ――!!」
「ああそうかァ、逃がすといけねぇな。じゃあさっさと殺すか」


 浅倉はロビンの言葉を聞いて笑みを深め、その右手の鉤爪を振りあげた。
 グリズリーマザーを殺し、ロビンを殺し、智子も殺す――。
 一人残さず皆殺しにしようとする冷たい鉤爪の輝きが、硬直していた智子の脳を、張り飛ばすかのようだった。


    **********


 真昼間から、自分という籠の中に閉じこもって、明日の絵を描いてきた。
 机に伏せた寝耳で、バス待つ列のさなかで、黒木智子は、いつか叶うだろう幸福な妄想を、描き続けて来た。
 その未来が、母のような温かいヒグマの手によって、この目の前の少年の手によって、実現するかも知れない――。
 そう思っていた瞬間だったのに。

 ――なぁ神様、ひどくないか?
 ――なんで私だけ、こんなに不幸なんだ?

 自問した智子の目に、映るものがあった。
 自然と彼女の口は、開いていた。


「――おい。その爪は、お前のじゃねぇよ」


 ロビンに向けて爪を振り下ろそうとしていた浅倉の動きが止まる。
 焼けただれた膿のように濁ったその声は、思わず浅倉の注目を奪うには、十分すぎた。


「手を上げて……、そのまま二度と降ろすな、ケダモノ……!!」
「と、智子さん……!?」
「クックックックック……、なんだそりゃァ。あぶねぇオモチャいじるのはよした方がいいぜェ?」


 眼を見開いた黒木智子が、窓辺でがっしりと両脚を開き、その両手で拳銃を構えていた。
 戦刃むくろが隠し持ち、ロビンが奪っていたその拳銃。
 それは先程、浅倉にロビンが蹴り飛ばされた際、デイパックと共に偶然智子の元まで転がってきていたものだった。


 ――そう。空は、神様は、いつだって私にチャンスをくれていた。
 ――渡る橋はいつも、私の胸の中にあった。


 銃を持つ手は重い。
 だが晴れた目には、その先に映る姿が、はっきりと見える。


 自己中心的で、醜い、当り散らすことしかできない、バケモノのような自分の姿だ。


 不幸なのは、鏡に映った自分すら見ることができず、明日を夢見ながら同じ昨日にしか歩けない、甘ったれたテメェの心だ。

 私には、それでも状況に立ち向かい、事態をどうにかできるような能力かチャンスがあったはずだった。
 というか、先程からの場面それ自体がそうだ。
 それにも関わらず、私はその好機を一切無視して、また、守りたい人々の裏に隠れて、傍観者を決め込んだ。


 許せなかった。


 鏡よ鏡。そこに映ってるのは、冴えない自分だけか?
 ならもう、いらない。
 お前は、いらない。
 そんな私は。
 一緒にいたい人すら手放してしまう私なんか、いらない。
 割れてしまえ。
 死んでしまえ。

 真っ先に死ぬべきだったのは、何のとりえもない、モテない、クズの、私だったのに。

 この怒りは。
 この許し難い自己嫌悪だけは、撃ち殺さなきゃいけない。
 私が――!!


「トーシロが銃なんざ撃っても当たんねぇぜぇえ――!?」
「うルせぇ腐れチンボコ野郎ォ――!! テメェの咽喉にクソゲロ詰めて死ねェエ!!」


 それはとてもいたいけな女子高生の口から発せられたとは思えない、最低最悪の罵声だった。
 黒木智子の形相は、獣のように狂う浅倉威を鏡写しにして、さらに大量の汚泥を被せたような、どろどろに濁った気迫すらあった。

 目に映る浅倉威の姿を、智子はたった2秒だけ、真っ直ぐに見つめられた。
 そしてその2秒で、十分だった。
 FPSで身に着けた射撃の腕が、その拳銃の引き金を、引いていた。


    **********


 両者ともに退ける場所のない、絶体絶命の地点――。
 その場所で、言峰綺礼と戦刃むくろは共にニヤリと、口の端を歪ませていた。

 壁を背とした言峰は、その脚にしっかりと大地を踏みしめている。
 彼にとっての背後の壁とは、更にその力を支える、大砲の砲架に他ならない。

 そしてまた、戦刃むくろが転げたその部屋の隅は、彼女がどうしても辿り着こうと狙い続けていた位置である。
 今は一切の反撃手段もない彼女が唯一、その寝室で必殺の武装を手に入れられる場所が、そこだ。


 退ける場所のない絶体絶命の地点に追い込まれたのは、回転怪獣と、ヒグマプレデターの方だった。


 ――令呪解放。皮膚硬化。
 ――右手屈筋、二頭筋、回内筋の瞬発力増幅……!!


 言峰は迫り来る回転怪獣の竜巻に向け、空を掻くように両腕を回してから腰に溜めた。
 八極小架預備式・金龍合口の構え。
 そうして装填された右腕という砲弾から、刻まれていた令呪が2画発光して霧散する。


「吩ッ!!」


 言峰は踏み込んだ体重を、右腕に全て乗せて竜巻に叩き込んでいた。
 戦艦の砲撃の如く撃ち出された拳が、回旋する刃を砕く。
 皮を破る。
 肉を裂く。
 肋骨を折り、胸骨を割り、心臓を弾き飛ばす。
 浸透する拳の衝撃は、その背骨までをも一瞬で抜き去って貫通する。

 ――八極小架・黒虎偸心。

 莫大な魔力をエンチャントされたその発勁は、回転怪獣のギロスの胴体を、一撃で粉砕した。
 竜巻は根元から爆裂し、その風が赤い飛沫に染まる。
 取り残された回転怪獣の首が、気ままなヘリコプターのようにへろへろと宙を舞って地に落ちた時、言峰綺礼は赤い血の雨を浴びて、深く残心の息を吐いていた。


 一方の戦刃むくろは、躍りかかるヒグマプレデターの口元に向けて、寝室の足元から何かを抱え上げていた。
 武骨な鉄色の砲塔。
 一抱えの小銃のような見た目のその大砲は、ミニチュアとなってなお、一介の銃火器に引けを取らぬ大きさだった。


 ――50口径四十一式15糎砲。
 ――口径152ミリ。砲身長7,600ミリ。砲弾初速850メートル毎秒……!!


 開かれたヒグマプレデターの口内深くまで、その砲口が突き込まれる。
 その砲は、落下した天井の下敷きとなり、埋まっていたはずだった。
 しかしその天井は今や、むくろが的確に誘導して吐かせたヒグマプレデターの消化液によって、狙い通りに溶かし落とされている。

 ――戦艦扶桑の副砲だった、『15.2cm単装砲』。

 彼女の威容に紛れた活躍の乏しいその砲はしかし、今のむくろにはぴったりと適合する。
 砲弾重量が45.4kgもあり人力装填の困難なその仕様は、ミニチュアであれば関係ない。
 旧式の海軍装備で扱いが難しくとも、むくろはその道の軍人なので関係ない。
 機能性に乏しい仰角も、手で持ってしまえば関係ない。
 単発しか撃てないその構造も、一撃で決めれば関係ない。
 消化液で砲身を溶かされても、とにかく撃てればいいだけなので関係ない。
 ヒグマの毛皮がある程度の砲撃に耐えられたところで、口の中には、関係ない。


「……発掘してくれて、ありがと」


 一切の迷いもなく、戦刃むくろはその艦砲を発射した。
 打ち上げ花火のような爆音と共に、寝室の中には大輪の赤い華が咲いた。
 消化液で溶け落ちてゆく副砲を、むくろがはらりと手から落とす。
 頭を失ったヒグマプレデターの首から下は、冠菊のように血の噴水を舞わせ、ふらふらとむくろの横に倒れ込んだ。
 その敵性生物の死亡を確認し、むくろはさらにもう一つ、落盤の中から掘り返していた存在を引き上げる。


「手術してくれた借りは……、これで返したから、ヤスミンさん」
「ふ……、それはどうも、ご丁寧に……」


 ヒグマプレデターの消化液で天井の壁が溶けきるギリギリを見計らって、むくろは生き埋めになっていたヤスミンを、助け出していた。


    **********


 1944年10月25日は、扶桑の命日だ。
 レイテ沖スリガオ海峡にて、司令官・西村祥治中将率いる第二戦隊の戦艦として、ほとんど最初で最後と言える実戦を行なった日のことだった。

 米海軍の魚雷艇部隊はスリガオ海峡の入り口に待ちかまえていた。
 妹の山城と共に砲撃を開始した扶桑は、魚雷艇部隊や駆逐艦隊に向けて砲弾を放った。

 だが午前3時、米軍駆逐艦隊が放った15本の魚雷のうち1本が、扶桑の第二砲塔右舷に直撃。
 午前3時10分には、第三、第四砲塔の弾火薬庫が誘爆した事で大爆発を起こし、彼女の艦体は真っ二つに割れた。

 魚雷命中後も扶桑では、反対舷への注水が行われ傾斜は徐々に復元して行った。
 しかし、2本目の魚雷が再度第二砲塔付近の右舷に命中した事で電源が破壊され、扶桑の艦内は暗闇に包まれた。
 総員退去が命じられ退去が始まった頃、右傾していた扶桑は左に急転倒してそのまま艦首から海底へ沈んでいった。
 彼女の艦首は海中に没し、後甲板だけが、海上に高く浮き上がっていた。


 ――ああ、また。目の前は、真っ暗。


 ぶくぶくと息を吐いて、力の入らぬまま、扶桑の上半身はぬかるみの中に沈んでいた。
 あの日と同じく、彼女は左側から沈没していく。
 火山灰の泥に覆われた黒い視界の中で扶桑は、やっぱり自分は、不幸艦だったのではないかと、自問する。

『……バカなこと言わないで。運のせいにするな。この失態は、全部あなたと私の実力不足。及び、その不足をきちんと把握できていなかったことに由来するのよ』
『……何が不幸だよ。綺麗な髪して、そんな恵まれたわがままボディしてるくせに』

 そしてその問いに、語られた記憶が答えを返した。


『……音に聞く西村艦隊とかいうのはこんな情けない輩の集まりだったわけ?』


 いいえ。違います、むくろさん……。
 皆さん、西村中将も、山城も、最上も、満潮も朝雲も、山雲も時雨も。みんな素晴らしい、人だったんです……。
 山城と西村中将は最期まで私と一緒に沈みながら、『各艦ハワレヲ顧ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ』と戦い続けました……。


『同じ軍人として反吐が出るわ。まんまと嵌められたまんまじゃ盾子ちゃんに顔向けできない。
 見返してやりたいとは、思わないわけ?』


 ああ……、そうですね、むくろさん。
 伊勢とか、日向とか……、彼女たちに嫉妬する前に。
 これじゃあ私は、妹の山城に、顔向けできないです。


『テメェみたいに強くて有能な美人が醜くて汚くて役立たずなんて自虐したら私の立場はどうなるんだよ!!
 ……なんだよその上姉妹愛アピールとか。そんなビッチが軽々しく死ぬとか言うんじゃねぇよ!!
 ……私の方が何百倍も、……何か月も前から死にてぇわ!! ふざけんなぁ!!』


 ごめんなさい、智子さん。その通りです。
 妹より、私の境遇の方が、恵まれていたはずでした。
 艦隊のみんなが戦い続けたのに、私だけが甘えるなんてそんなこと、しちゃいけないはずです……。
 でも、もう、私には、武器も、身動きも――。


 水底へ沈んでいく扶桑は、もはや腰元まで泥の中に埋まっている。
 その上にはエビルダイバーが泳ぎ来て、今まさに彼女を脚から喰らおうと、その口を開いたところだった。

 砲もない。
 武器もない。
 半身は沈没し、全身が痺れている。
 ほとんど史実通りに、扶桑の存在は死んで行こうとしている。
 そう、本当に、史実通りに――。


『……大破が何よ。武装の欠陥が何よ。頭ン中が大破してなければどうだってやりようはあるでしょう』


 その瞬間、扶桑の脳裏にある光景が閃く。
 艦首から第六砲塔に至るまで艦体の大部分が沈没し、逆立ちのようにして死んでいった扶桑には、だからこそ使える武装が、たった一つだけあった。

 弾薬庫が爆裂しても、砲塔が沈んでも、逆立ちした艦尾で最期まで動き続けていたその装備。

 ……そう。本当に不幸だったのは。
 こんな体をしておきながら、それで抗う方法も見つけられない、甘ったれた、私の頭だった――!!


「ああああああああ――!!」


 泥中で、扶桑は裂帛の気合を放った。
 右ふくらはぎへ食らいついたエビルダイバーの腹部ど真ん中に、扶桑は下から自分の左脚を逆立ちのようにして突き上げた。

 視界が、開けた。
 未だ水上を飛び回っていた扶桑の零式水上偵察機とリンクしたその視線は、水中から過たずそのエイの柔らかな下腹部を狙い打たせた。

 その脚。
 ぽっくり下駄のような底の厚い扶桑の靴の中央部には、彼女が艦娘であるからこその独特の推進機構が、未だ確かに存在していた。 


「――『螺旋櫂(スクリュー)』ッ!! 全速、前進ッ!!」


 靴から展開されたその構造。
 3枚のフィンで形成された鋼鉄のプロペラが、回る。
 ロ号艦本式缶4基、同ハ号缶2基の蒸気が、艦本式タービン4基4軸を旋回させる。
 戦艦扶桑の誇る、7万5000の軸馬力が、そのスクリューただ一点に集約された。

 ぞぶぞぶぞぶぞぶぞぶ。
 と、恐ろしい水音を立てて、そのスクリューは力強く、接触する一切を切り裂いて進む。
 身も骨も、肉も血も、彼女のスクリューはあらゆる海域を突き砕いた。

 そのエイの身体ど真ん中を貫き殺し、扶桑の脚は、あのスリガオ沖の未明のように、最後までその艦尾にスクリューを動かしながら海上に屹立していた。

 ――この世には長所となり得ぬ短所はなく、短所となり得ぬ長所もない……。
 ――山城。むくろさん……。私は最期に、少しは、見返せましたか、ね……?

 そうして、最後の力を振り絞った扶桑は、安らかに微笑みながら、その肺から息を吐き尽した。


「――扶桑ッ!! しっかりしなさい!!」
「……が――。ふぐッ……!? げほっ、げほっ……、げぶっ、はぁ、はぁ……!?」


 その瞬間、沈んでいた扶桑の体が、勢いよくぬかるみの上に引きずり上げられた。
 口の中を塞いでいた火山灰の泥を吐き、荒く息を取り戻した扶桑の顔が拭われる。
 開いた目の前に、泣き笑いのような少女の顔があった。

「良かった……! 間に合った……! 扶桑、あなた、本当はすごいんじゃない――!!」

 隻腕の戦刃むくろは、そう声を絞って、自分も泥だらけになりながら扶桑を抱きしめた。
 足元を見ればエビルダイバーは、その胴体に大穴を開けて絶命している。
 そのエイの死体は霞のように薄れ、発光するエネルギーの球のようになった。
 ミラーモンスターのエネルギーだ。

 その球体は、扶桑の体にスッと染み透るように吸収される。

 すると見る間に、エビルダイバーとの戦闘で負っていた扶桑の傷が癒えていく。
 それどころか、近代化改修でもされたかのように身体機能が強化されていくのが解った。

「……その光は、HIGUMAには特に効能が高いようです。無事で、何よりでした」

 むくろの後から扶桑の方にやってきたのは、ヤスミンだった。
 天井の下敷きになっていたはずの彼女もまた、傷一つない姿になっている。
 戦刃むくろが斃したヒグマプレデターのエネルギーを、彼女と二人で吸収していたのだった。
 扶桑はそんな辺りを見回して、慌てて問う。


「他の方は……!? さっきの獣男は、一体どうなって……!?」
「ご安心ください。もう全て、決着いたしました」


 ヤスミンは目を閉じて、静かにそう答えた。


    **********


「あ――」

 黒木智子は浅倉威を狙い、発砲した。
 それは確かなはずだった。

 だがその銃声が鳴った時、倒れていたのは智子の方で、立っていたのは浅倉だった。

 ――『M1911』。俗称コルト・ガバメント、またはハンド・キャノン。 
 1911年の開発ながら、その安定性と威力から、その後70年以上に渡って米軍の制式拳銃に採用されていた名銃だ。
 その知名度と有用性から、今なお海兵隊や多くの特殊部隊で愛用されている。

 戦刃むくろが所持していたこの銃を、黒木智子も確かに、使ったことがあった。
 グリップセーフティのことや、その遊底の仕組みなどを見たこともあった。
 ……ゲームと、本の中で。

 大威力で、かつ古式であるこの拳銃の反動は、かなり大きい方だった。
 衝撃に備えて立っていたつもりの智子でも、実銃を撃つのは初めてのことだった。


 だから腰の入っていない・体格の恵まれぬ・華奢な細腕の智子は、その発射と同時に、ものの見事に後ろへすっ転んだ。
 強かに床へ後頭部を打ち付け、目の前に激痛の星が飛ぶ。


 ゲーム画面の外に伝わってこない、知識と乖離した現象。
 その『反動』を、智子はもろに初体験してしまった。
 狙いのぶれた弾丸は、浅倉威のほほを掠め、リビングの壁に穴を穿っただけだった。
 一帯に浅倉の哄笑が響く。


「ククク……、ハハハ、ハッハッハァ――!! ……なるほど惜しかった!!」
「とも、こ、さん……ッ!!」
「あ、ああ、ロビ……ッ!!」


 悶える智子を前に、絶望を見せつけるように浅倉は、今一度右手の鉤爪を振り上げた。
 そして踏みつけたロビンへ一気に、容赦なく振り下ろした。


「良いセンスしてやがるが、終いだ、なァッ!!」
「……ああ、良い下拵えだった」

 その瞬間だった。
 浅倉の首の後ろから音もなく、青い体毛を生やした、太い腕が覗いていた。


「仕上げは、お母さんだ」


 二本の腕は、浅倉がその爪をロビンに触れさせるよりも早く、その首をグルンと上下に、180度捻じ曲げてしまう。
 ばぎっ。
 と、首の骨の折れる音がした。
 浅倉は、狂ったような笑顔を逆さまにしたまま、ゆっくりと倒れ、死んだ。


【浅倉威 死亡】


「『閼伽を募る我が死(アクア・リクルート)』……」


 その浅倉の後ろに悠然と佇んでいたのは、青毛のヒグマだった。
 先程、切り裂かれて死んだはずのヒグマ。
 その姿に、起き上がった黒木智子は夢でも見ているんじゃないかと、自分の目を疑った。

「グリズリーマザー……!?」
「あいよ。良くやったねぇ、マスター」

 智子の目の前で朗らかに笑い、クリストファー・ロビンを助け起こしたヒグマは、間違いなく、グリズリーマザーに他ならない。
 リビングの入り口で酸鼻な光景を形作っていた彼女の死肉は、その血さえ跡形もなく消滅していた。
 事態を理解できず混乱するロビンと智子に、グリズリーマザーは肩をすくめて見せる。


「マスターともあろう人が、この効果を忘れっちまったのかい?
 こっちの宝具こそ、アタシが召喚士(リクルーター)のキャスターとして呼ばれた理由なんだよ?」
「あ、ま、まさ、か……」


 智子は慌てて、自分の持っている聖遺物である、グリズリーマザーのカードを取り出す。
 グリズリーマザーの効果として書かれたテキストは、こんな文面だった。

『このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、デッキから攻撃力1500以下の水属性モンスター1体を表側攻撃表示で特殊召喚できる』

 カードを持つ手に刻まれている智子の令呪は、一画なくなっていた。
 『喪』というような形になっている文様の、左の丸が掠れている。


「マスターの令呪を消費することによって、アタシは自分が死んだ時、自分を即座に再召喚することができるのさ。
 もちろん、いざという時には、アタシの代わりに別の英霊を呼んできてやることだってできる。
 ま、アタシの代わりにマスターを任せられるようなヤツが、そうそういるとは思えないけどねぇ」
「あ、ああ……、グリズリーマザァあ……!!」

 智子はグリズリーマザーに駆け寄り、その柔らかな毛皮に顔を埋めた。
 『閼伽を募る我が死(アクア・リクルート)』は、そんな偉大なる母が、身を挺して子を守り続けるための宝具に他ならない。
 3画の令呪でちょうど、遊戯王カードのデッキ制限にかかる3枚分。
 グリズリーマザーは、マスターがそこにある限り、英霊の座から何度でも自分を呼び返すのだ。


「死んじゃっだがど……! わだ、わだじが、愚図だっだがら、マザーが死んじゃっだがど……!!」
「アタシゃいつだって、海の底からでもマスターのことを見てるさ。この男に隙ができるのを待ってたんだ。
 そうしたらマスターが、みごとにこいつの意識を惹きつけてくれたじゃないか。格好良かったよ!」

 すがりついてすすり上げる智子の髪を、グリズリーマザーは優しく撫でた。
 その隣で智子と一緒に抱かれながら、ロビンが彼女に微笑みかける。


「ええ。まるで智子さんの方がヴィラン(悪役)みたいで。僕もこの男も、だいぶ面食らいました」
「ふぇ、ふぇ……、ほ、褒めてねぇだろ、ロビン、それ……」
「うん。褒めてないよ。女の子にあるまじき気持ち悪さだったから。出来れば二度と見たくないし、して欲しくない」
「は、はは……、は……」


 頭から水を掛けられたように、智子の興奮は醒めていった。
 にこやかに貶してくるロビンの言葉は、智子の凄絶な自虐心と後悔を、再びもたげさせてくるかと思えた。

「……でも、智子さんが、僕らのためにそんな一面まで見せてくれたことは、カッコ良かったし、嬉しかったです。
 もう二度と智子さんにあんな姿をさせないよう、これからは僕が、きちんと守り抜きますから……!」

 だがその直後のロビンの言葉が智子にもたげさせたのは、まったく別の感情だった。
 今度はカーテン越しでなく抱きしめられたその体が、沸騰して蕩けそうだった。

「ふ、ふふぇふぇふぇふぇ……」
「黒木智子! 無事か!?」
「ロビンさん、グリズリーマザーさん!」

 廊下から駆け寄ってくる言峰やヤスミンの声も、後頭部の痛みさえどうでもよくなる、甘美な感情だった。


    **********


 浅倉威の死は、入念に検分された。
 間違いなく死んでいることが確認された後、諸悪の根源であると推測された何組ものカードデッキをグリズリーマザーが悉く踏み壊した。
 彼が3つも所持していた支給品のデイパックは、中に怪しいものがないかヤスミンと戦刃むくろが丹念に調べる。
 元々の所持者を特定できそうなものは何もなかったが、2つのデイパックに残留する体臭は、どうやら両方とも、中学生ほどの少女のもののようだった。

 浅倉威がそんな相手まで無差別に殺戮していたのだろうことを知り、一同は改めて背筋の冷える感覚を得る。
 言峰綺礼が、座席に座って深々と嘆息した。


「……まさか参加者の方に、そんな凶行を働いている者がいるとはな。何が敵だか解りもしない」


 一同は、戦場となった家屋を後にし、表に止めていたグリズリーマザーの屋台バスへ乗り込んでいた。
 その後部座席には、火山灰の泥を拭き上げて、改めて武装解除された扶桑と戦刃むくろが大人しく座っている。
 扶桑の持っていた大砲はヤスミンがデイパック3つと共に預かっており、ある種、捕虜のような扱いとなっていた。

 彼女たちは、参加者を誘拐したSTUDYを潰したヒグマ帝国をさらに反乱で潰させようとしている黒幕の一味だ。
 間違いなく参加者の味方ではないのだが、今回の黒木智子たちは、彼女たちと共闘した形になる。
 共闘しなければ皆殺しになっていた可能性もあった。


「……ねぇ。戦刃むくろさんって言いましたっけ」
「ええ」
「あなたひょっとして、実はめちゃくちゃ良い人だったりしません?」
「いや……、そんなの知らないわ。私は超高校級の軍人で、超高校級の絶望だもの」

 クリストファー・ロビンが、席から後ろを向いて、戦刃むくろに声をかけていた。
 彼の負っていた傷も、言峰綺礼が斃した回転怪獣ギロスのエネルギーをヤスミンから受け渡されたことで、すっかり治っている。
 朝方からあった腕のしびれや、全身打撲の鈍痛などもすっかり消えて、ほぼ万全のコンディションだ。

 蓋を開けてみれば、彼女たちとの出会いと戦闘は、結果的に悪いことにはなっていないのだ。
 彼女たちに協力してもらえば、案外この島からは、すんなり脱出できるのではないかとすら思える。
 それでも戦刃むくろは、頑なに首を横に振った。

「その、『超高校級の絶望』っていうのは、何ですか?」
「それが私や、あの子のこと。私たちはこの島の全てに、絶望をもたらすんだもの。
 悪いけど、あの子のために、あなたたちには絶望してもらわなきゃならない」

 ロビンの問いに、むくろは毅然とした態度で言う。
 頭に『悪いけど』などと付けているあたり、やはり根は相当人が良いのではないかと、周りで聞いている者は一様にそう思った。
 ロビンは首を傾げる。


「……あなたたちより、さっきの浅倉さんっていう狂人の方が、だいぶ僕たちに絶望感を味わわせてくれましたけどね。
 そこら辺『超高校級の絶望』としてどうなんですか? その称号、返上した方が良いんじゃないです? それとも彼は『超社会人級の絶望』だったとか?」
「ぐぅっ……!?」
「ええ、まぁ……、あの男には、一生分の絶望を味わわされた気は、しますね……」

 たじろぐむくろの隣で、思わず扶桑がそう言って項垂れる。
 ロビンはそれに合わせて、なおもむくろを慇懃無礼に煽った。


「実際さ、あなたたちは僕たち参加者を絶望に落とそうとして地下から出てきて、逆にものの見事に参加者から絶望に落とされたわけですよね?
 その程度の人を使って島全体を絶望させるなんてどだい無理なのと違います? 僕がその子なら絶対にあなたたちみたいな人に期待しませんけど。
 本当は、その子はもっと別の計画を練って動いているんじゃあないですか? 今更あなたたちがどうなろうが知ったこっちゃないと思いますよ?」


 その言葉は、相手を煽りながらそれとなく情報を引き出し、なおかつ自然と協力体制に持ちかけようとする周到な声掛けだった。
 むくろは明らかにたじろいで、眼を泳がせる。
 『こいつ本当に軍人か?』と、その場の者は一様にそう思った。


「そ、そんなこと、は……、あるかも知れないけど。……なんにしても!
 これ以上のことは、何も言えないわ!! あの子のことは、拷問されても喋らない!!」

 むくろは発言の後半でようやく決意を思い出したか、焦った様子で再びそう宣言する。
 『あ、本当に何も聞かされてなくて、確信が持てないんだ』と、周りの者は一様にそう思った。

 扶桑は実際に駆紋戒斗の勧誘以降、何の具体的プランも聞かされていないので、間違いなくその通りだった。


「……ま、何でもいいさ。とにかく今回は、一緒に戦ってくれてありがとう、むくろちゃん、扶桑ちゃん」

 グリズリーマザーが、軽く笑いながら車のエンジンをかけた。
 扶桑がその言葉に、慌てた様子で頭を下げる。

「い、いえ……! 感謝しなくてはならないのは私たちの方で! 本当に、ありがとうございます……!!」
「ちょっ、扶桑……! 立場! 私たちはこいつらの敵で、捕虜なのよ……!?
 ……あ、いや、それでも決して私が感謝してないわけではないわ。ただもう、あれで借りは返したから!!」

 その扶桑を、隣からむくろが焦ってはたいた。
 そして続けざまに、むくろはさらに慌てて発言を取り繕った。
 黒木智子が、そんな彼女の様子を見て、思わず口の端を歪ませる。


「フッ……」
「な、何、黒木智子……!」
「いや、お前さ……、大変だなその性格。うん、私は好きだよそういうの。素直に負けを認める」
「一体何を言ってるの!?」

 常になく、智子はほとんど淀みない口調で戦刃むくろに語り掛けた。
 一皮むけたような、一段階達観したような慈しみ深い視線で、彼女はむくろを見つめている。


「お前、かわいいよ。モテるだろ、男子に」
「え……?」
「いやぁ――、そういうの、自然に滲み出てくるもんなんだな。深いわ、うん」


 黒木智子は、一人で納得してしまったかのように、中空に向けてうんうんと頷いている。
 むくろは、自分の顔が赤面していくのがわかった。
 こんな風に、『好き』だの『かわいい』だの言われてしまえば、同性と言えど意識しないのはどだい無理だというものだ。
 先程だって、『美乳』だの『萌え』だの『美人』だの散々褒めちぎってもらえたのだ。
 男子、つまり意中の相手である苗木誠にモテる、と太鼓判を押されてしまえばなおさら。
 むくろにとってこんなに話が盛り上がったのは、かつて苗木誠とミリタリーについて語らった時以来だろうか。

 むくろの得ていた情報では、黒木智子は学校でもほとんど友人のいない少女だったはずだ。
 それがまさか、ここまでコミュニケーション能力を有した聖人だったとは。
 あの浅倉威に対峙したという胆力もさながら、なかなか侮れない人物に違いなかった。


「……わかったわ、黒木智子」
「は……? 何が?」
「あなたがそこまで言うなら、同行してあげる。仕方ないわ、今は捕虜なんだし。
 不本意だけれど、虜囚は敵軍の指示に従わなくちゃならないものね……」
「は……?」


 むくろは頬を染めて、伏し目がちにそう言った。
 智子は、全く意味を理解できずに硬直した。
 その他の人員は、戦刃むくろの余りの安さに驚愕した。
 この子は本当に軍人としてやっていけたのだろうかと、扶桑は海軍の一員として真剣に心配になった。

 むくろはしゃっきりと姿勢を正して、堂々とした声を張る。


「さぁ、では敵軍さんは、一体私たちに何をしようとしているのかしら!?」
「煽動者の正体をお話しいただけないなら、あとは参加者や事態の収拾に同行してもらうくらいしかありませんが……」
「なるほど、敵軍の考えそうなことね。でも残念だけど、あの子は私程度を人質にしたところで止らないわよ。
 むしろ、私が死ぬところを見て、肉親の死という絶望に喜ぶから、あの子は」


 ヤスミンの苦笑に、むくろは趣旨を理解しているのかいないのか、真剣な表情でそう答えた。
 『やっぱり何の期待もされてないんじゃないかこの子』と、一同は思わざるを得なかった。
 同時に、ぽろぽろと情報の漏れてくる『盾子』という黒幕が、異様なまでに悪辣な存在であると次第に想像できるようになってくる。

 間違いなくその黒幕は、戦刃むくろと扶桑がどう動こうが、毛ほどの痛痒も感じないのだろう。
 恐らく、彼女が捕虜に取られるのも計算済み。
 その上で仮に反旗を翻そうと想定済み。
 そんな人物に違いなかった。

 言峰綺礼も、クリストファー・ロビンも、黒木智子も、グリズリーマザーもヤスミンも、滲み出る敵の威圧感に、伝聞だけで心に冷や汗をかいていた。


「あと参加者というなら……。東の廃墟には、さっきまで、穴持たず34だったような気がするヒグマカッコカリと、ヒグマン子爵。あと、デデンネという参加者がいたはずよ。
 ……そこで浅倉の襲撃に遭ったから、今はちりぢりだろうけど」
「ヒグマンさんですか……! なるほど、お話さえできれば、力になって下さるかもしれませんね」
「じゃあ、次はそこに行こうか。準備はいいね!?」


 ぬかるみを噛んで回っていたタイヤに力を込め、グリズリーマザーは屋台を発進させた。
 慣れた様子で車内に佇む言峰や智子を見て、扶桑とむくろは感心する。

 こんな調子で、ことによると地下のヒグマ帝国から彼らはずっと、方々の参加者を探して走り回っていたのだ。
 浅倉威の完璧な奇襲すら凌ぎきって見せた実力もある。
 扶桑やむくろの生半な干渉では、動じないわけだ。

 戦刃むくろは、胸ポケットに隠した超小型通信機を押さえる。
 島は停電だ。
 通じないのはそのためだろう。
 そうに違いない。

 だがクリストファー・ロビンに指摘されると、その返事の無さは、妹が意図してやっていることなのではないかという可能性も、にわかに思い浮かんできてしまった。

 返事が無くて慌てるむくろを見たい――。
 ありうる。
 指示が無くてまごつくむくろを見たい――。
 ありうる。
 混乱して怒り狂って大失敗をやらかすむくろを見たい――。
 ありうる。
 そんな中でヒグマや参加者から嬲り殺しにされるむくろを見たい――。
 ありうる。
 その結末をまとめて、むくろを罵りたい――。
 ありうる。

 最低最悪の捻くれ方をした愛しい妹ならば、あらゆる可能性が有り得た。
 何しろどんな形の絶望でも彼女はウェルカムの上、絶望的に計算高くて飽きっぽいのだ。
 もしかすると折角勧誘した駆紋戒斗を目の前で殺された時も、絶望で大喜びしていたかもしれない。
 その時から思い付いて、敢えて連絡を切っていたのだとしても、全く不思議ではなかった。


「はい、扶桑さん、むくろさん、グリズリーマザーさん特製のハーブティーだよ。ちょっとお話ししよう?」
「あ、ありがとうございます……」
「どういう風の吹き回しかしら。あの子のことは話さないわよ?」

 その時クリストファー・ロビンが、後部座席の方までティーカップを持ってやってくる。
 目的地まで談笑でもするつもりらしい。

「わかってるわかってる。智子さんも来なよ。僕はただ、友達になりたいだけなんだ。お姉さんたち二人とも美人だからさ」
「えっ……」

 そして彼は、さらっと歯の浮くようなセリフを言い放ち、あまつさえその場に黒木智子まで呼び寄せてくる。

「ロビン……。なんだよ、お前どんな女にもそういうこと言うのかよ……、タラシかよ……」
「いや、違う。特別なのは智子さんだけさ。でも、友達になって悪いことはないだろう?
 3人とも、違った方向で素晴らしい美しさを持っているんだ。僕も大いに参考にしたくてね」

 険しい表情でやって来た智子は、その言葉で傍目にもわかるほど相好を崩す。
 美人と言われて、良い気のしない女はいないだろう。
 例に漏れず、むくろと扶桑の警戒も、だいぶ和らいだ。
 セリフこそ気取っているようだが、ロビンの言葉はどこまでも正直で裏心がない。
 純粋な子供からそう褒められて、嬉しくならない方がおかしい。


「あら、そう……。じゃあ、どんなことを聞きたいの?」
「超高校級の軍人なんですよね? 扶桑さんも、バトルシップだとか。
 でしたらどうやって戦場でもその美しさを保ってるのかとか、是非聞きたいんですよね……」
「あ……、地味にそれ、私も聞きたいかも……」

 ロビンだけでなく、智子も真剣な表情で、彼女たちとの会話に加わろうとする。
 むくろの心は、自然と高揚した。
 そしてふと、思ってしまう。


 江ノ島盾子は、むくろが裏切って、自分の計画を打倒してくるという絶望を見たいのではないか――。


 ありうる。
 ありうるのだ。
 絶望的に臭い・絶望的に汚い・絶望的に気持ち悪い3Zと呼ばれた出来の悪い姉の、更にその模造品である出来損ないのHIGUMAごときに、壮大で完璧な計画をご破算にされてしまうという絶望。
 考えれば考えるほど、それはそれで妹が狂喜に悶えそうな素晴らしい絶望だった。


 ――盾子ちゃん。一体何をすれば、私は本当にあなたの為に、なれるのかな……?


 ぽつぽつと、自分の記憶する戦場の話を黒木智子たちに語りながら、戦刃むくろはそんなことを考えてしまう。
 気づかぬうちに、彼女たちの心は、この一行に惹かれてゆく。

 クリストファー・ロビンの、思惑通りだった。


【F-4 街 午後】


【穴持たず696】
状態:左腕切断(処置済み)
装備:なし
道具:超小型通信機
基本思考:盾子ちゃんの為に動く。
0:捕虜になってしまったから。参加者との同行も仕方ない。
1:良かった……。扶桑は奮起してくれた!
2:盾子ちゃんのことは絶対に話さないわ!
3:智子さんと話すと盛り上がるね……。彼女、すごく良い子だ……!
4:言峰さん、強いわ……! すごい実力ね……!
5:ロビンくんも、5歳にしては将来有望よね……!
6:盾子ちゃん……。もしかして私は、盾子ちゃんを裏切ったりした方が盾子ちゃんの為になる?
※戦刃むくろ@ダンガンロンパを模した穴持たずです。あくまで模倣であり、本人ではありません。
※超高校級の軍人としての能力を全て持っています。


【扶桑改(ヒグマ帝国医療班式)@艦隊これくしょん】
状態:ところどころに包帯巻き、キラキラ
装備:零式水上偵察機、鉄フライパン
道具:なし
基本思考:『絶望』。
0:山城、やったわ……! 西村艦隊の本当の力、見せられたかも……!
1:ああ、何か……、絶望から浮上してくるのって、気持ちいいですね……!
2:他の艦むすと出会ったら絶望させる。
3:絶望したら、引き上げてあげる。


【クリストファー・ロビン@プーさんのホームランダービー】
状態:悟り、《ユウジョウ》INPUT、魔球修得(まだ名付けていない)
装備:手榴弾×1、砲丸、野球ボール×1、石ころ×76@モンスターハンター
道具:基本支給品×2、ベア・クロー@キン肉マン
[思考・状況]
基本思考:成長しプーや穴持たず9を打ち倒し、ロビン王朝を打ち立てる
0:智子さん、麻婆おじさん、ヒグマたちと情報交換し、真の敵を打倒する作戦を練る。
1:投手はボールを投げて勝利を導く。
2:苦しんでいるクマさん達はこの魔球にて救済してやりたい
3:穴持たず9にリベンジし決着をつける
4:その立会人として、智子さんを連れて行く
5:後々はあの女研究員を含め、ヒグマ帝国の全てをも導く
6:真の敵は相当ひねくれた女の子らしいね……。
7:さぁて、お近づきになって、情報を聞けるだけ聞き出しますかね……。
[備考]
※プニキにホームランされた手榴弾がどっかに飛んでいきました
※プーさんのホームランダービーでプーさんに敗北した後からの出典であり、その敗北により原作の性格からやや捻じ曲がってしまいました
※ロビンはまだ魔球を修得する可能性もあります
※ヒグマ帝国の一部のヒグマ達の信頼を得た気がしましたが別にそんなことはなかったぜ。


【黒木智子@私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!】
状態:ネクタイで上げたポニーテール、気分高揚、膝に擦り傷
装備:令呪(残り2画/ウェイバー、綺礼から委託)、製材工場のツナギ、コルトM1911拳銃(残弾7/8)
道具:基本支給品、制服の上着、パンツとスカート(タオルに挟んである)、グリズリーマザーのカード@遊戯王、レインボーロックス・オリジナルサウンドトラック@マイリトルポニー
[思考・状況]
基本思考:モテないし、生きる
0:グリズリーマザーと共に戦い、モテない私から成長する。
1:ロビンやグリズリーマザー、ヤスミンに同行。
2:ロビン……、メジャーリーガーと結婚かァ……。うへへへへ……。
3:グリズリーマザーとロビンがいるなら何でもいいや。
4:超高校級の絶望……、一体、何ジュンコなんだ……。
5:即堕ちナチュラルボーンくっ殺とか……、本当にいるんだなそういう残念な奴……。
※魔術回路が開きました。
※グリズリーマザーのマスターです。


【グリズリーマザー@遊戯王】
状態:健康
装備:『灰熊飯店』
道具:『活締めする母の爪』、『閼伽を募る我が死』、穴持たず82の糖蜜(中身約2/3)
[思考・状況]
基本思考:旦那(灰色熊)や田所さんとの生活と、マスター(黒木智子)の事を守る
0:マスター! アタシはあんたを守り抜いてみせるよ!
1:あの帝国のみんなの乱れようじゃ、旦那やシーナーさんとも協力しなきゃまずいかねぇ……。
2:とりあえずは地上に残ってる人やヒグマを探すことになるかしら。
3:むくろちゃんも扶桑ちゃんも難儀だねぇ……。
4:実の姉を捨て駒にするとか、黒幕の子はどんだけ性格が歪んでるんだい……?
[備考]
※黒木智子の召喚により現界したキャスタークラスのサーヴァントです。
※宝具『灰熊飯店(グリズリー・ファンディエン)』
 ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:4~20 最大捕捉:200人
 グリズリーマザーの作成した魔術工房でもある、小型バスとして設えられた屋台。調理環境と最低限の食材を整えている。
 移動力もあり、“テラス”としてその店の領域を外部に拡大することもできる。
 料理に魔術効果を付加することや、調理時に発生する香気などで拠点防衛・士気上昇を行なうことが可能。
※宝具『活締めする母の爪(キリング・フレッシュ・フレッシュリィ)』
 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1~2人
 爪による攻撃が対象に傷を与えた場合、与えた損傷の大きさに関わらず、対象を即死させる呪い。
 対象はグリズリーマザーが認識できるものであれば、生物に限らず、機械や概念にまで拡大される。
※宝具『閼伽を募る我が死(アクア・リクルート)』
 ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 自身が攻撃を受けて死亡した場合、マスターが令呪一画を消費することで、自身を即座に再召喚できる。
 または、自身が攻撃を受けて死亡した場合、マスターが令呪一画を消費することで、Bランク以下の水属性のサーヴァント1体を即座に召喚できる。


【言峰綺礼@Fate/zero】
状態:健康、両手の裂傷をヒグマ体毛包帯で被覆
装備:令呪(残り7画)
道具:ヒグマになれるパーカー
[思考・状況]
基本思考:聖杯を確保し、脱出する。
1:黒木智子やヤスミン、グリズリーマザーと協力体制を作り、少女をこの島での聖杯戦争に優勝させる。
2:ロビン少年に絡まれると、気分が悪いな……。ロビカスだな……。
3:布束と再び接触し、脱出の方法を探る。
4:『固有結界』を有するシーナーなるヒグマの存在には、万全の警戒をする。
5:あまりに都合の良い展開が出現した時は、真っ先に幻覚を疑う。
6:ヒグマ帝国の有する戦力を見極める。
7:ヒグマ帝国を操る者は、相当にどす黒いようだな……。
※この島で『聖杯戦争』が行われていると確信しています。
※ヒグマ帝国の影に、非ヒグマの『実効支配者』が一人は存在すると考えています。
※地道な聞き込みと散策により、農耕を行なっているヒグマとカーペンターズの一部から帝国に関する情報をかなり仕入れています。


【穴持たず84(ヤスミン)@ヒグマ帝国】
状態:健康
装備:ヒグマ体毛包帯(10m×9巻)
道具:乾燥ミズゴケ、サージカルテープ、カラーテープ、ヒグマのカットグット縫合糸、ヒグマッキー(穴持たずドリーマー・残り1/3)、基本支給品×3(浅倉威、夢原のぞみ呉キリカ)、35.6cm連装砲
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国と同胞の安寧のため傷病者を治療し、危険分子がいれば排除する。
0:帝国の臣民を煽動する『盾子』なる者の正体を突き止めなければ……。
1:エビデンスに基づいた戦略を立てなければ……。
2:シーナーさん、帝国の皆さん、どうかご無事で……。
3:ヒグマも人間も、無能な者は無能なのですし、有能な者は有能なのです。信賞必罰。
※『自分の骨格を変形させる能力』を持ち、人間の女性とほとんど同じ体型となっています。


    **********


 浅倉威の死体は、荒れ果てたその家屋に放置されていた。
 参加者であるらしいとはいえ、彼は半分ヒグマのように変形した異形だ。
 なおかつ、明らかな敵意を持って襲撃してきた狂人でもある。
 敢えて彼を埋めるなりどうこうしようと考える者は、誰もいない。
 一応は聖職者である言峰綺礼も、素で彼への弔辞を失念したほどだった。

 そうしてグリズリーマザーたちの一行が屋台に乗って去って行った後、ふと死んでいたはずの浅倉威の体が動いた。

 動いたと言っても、生き返ったわけではない。
 ただ何かが、皮膚の下、肉の下を爬行しているような、蠢きだった。

 ぴゅるっ。

 と、音がする。
 浅倉の股間が、湿り気を帯びた。

 ぴゅるっ。ぴゅるっ。ぴゅるっ。

 と、彼の股間から白い液体が溢れ続ける。


 そしてぴゅるっ。ぴゅるっ。ぴゅるっ。ぴゅるっ。


 彼の皮膚の下から、口の中から、眼の奥から、その全身を食い破るようにして、ゼリー状の粘液でできた白濁するゲル状物体が現れてくる。


 それは浅倉威の『精』だ。


 浅倉威の死骸を吸収して出て来たその大量の『精』は、ぶるぶると蠢動しつつ、意志を持つかのように辺りを見回した。
 そうして空気中に残る臭いに、なんと5体ものメスの香りが残っていることにそれは気付く。
 『精』はそれに気づくや否や、かなりはやい速度で巨大なスライム状の自身の粘液を伸ばし、割れた窓から臭跡を辿ってぬかるみの上を走り始めていた。


 ……浅倉威は、ミズクマの能力を吸収したという。
 ミズクマの能力は、『幼生生殖』だ。
 自分の生殖細胞だけで、幼生の段階から無融合状態で次世代を発生させることのできる能力であり、決して単なる体細胞分裂ではない。
 分裂によって、体細胞から自分と同一の存在を複製させるというのは、実際にはミズクマの能力とは全く異なっている。

 恐らく、彼の体内にはヒグマ遺伝子という何かが暴れ回っていたようなので、たまたまミズクマを捕食した際に発現しただけで、分裂能力はむしろそちらのお蔭なのだろう。
 もしくは、本人も気づいていなかっただけで元から浅倉威には、ヒグマを食べた分だけ分裂するなり能力を吸収する性質があったのかも知れない。
 そもそも加熱調理した肉を食っただけで遺伝子がどうこうというのは、もはや生物学的遺伝子の話ではなくなるような気もするのだが、もう今となっては何もわからない。


 何にしても、彼が真にミズクマの『幼生生殖』――、引いては単為生殖の能力を発現させてしまった場合、こうなる。
 彼は男なので、『雄性生殖』だ。
 自分の精子だけで、子供ができる能力だ。

 そのおぞましさを想像できるだろうか。
 恐らく腐女子と呼ばれる人種でも喜ばない。

 だが安心して欲しい。
 幸か不幸か人間の精子は、それだけで発生を続行できるほどの養分をその内に蓄えられない。
 発生をするには、卵子と受精することが必要なのだ。


 ……そしてその場合、卵子の中の遺伝子を排除して、元から2倍体として確保していた精子自身の遺伝子セットで乗っ取り、自分自身の発生を始める。


 こんな形態の再生産様式であっても、シジミの一部では実際に行なわれている。
 つまり、母親の産んだ子が、父親と同一人物になるということ。

 その上、今ここにいる浅倉威の精は、そうして自身の死骸の養分を喰い尽して増殖に増殖した、数十兆を超える生殖細胞の群体だ。
 数十兆対1の圧倒的物量差を有したレイプ。
 わかりやすく言えば、地球上の全男性で、たった1人の少女を犯すようなものだ。
 そんな地獄のようなシチュエーションは、薄い本でも滅多にやらないに違いない。


 そのおぞましさを想像できるだろうか。
 恐らく吐き気を堪えることで精いっぱいになるだろう。

 だが安心して欲しい。
 実際に彼に交接されてしまった雌は、恐らくそんなつわりの吐き気も覚える前に、高速発生した浅倉威に、内側から瞬く間に食い殺されるだろうから。


 ……願わくはもう二度と、こんなシチュエーションが起こりませんように。


【F-4 街(とある住宅) 午後】


【浅倉威の精@仮面ライダー龍騎】
状態:大量の精
装備:周りの精漿
道具:自分の遺伝子
基本思考:雌と交接して肉体を得る
0:一つでも多くの雌を食いまくる
1:腹が減ってイライラするんだよ
2:女ぁ……
3:大砲を背負った女とその背中にいた黒髪の女を追って喰う
4:密集している女たちを襲う
[備考]
※一度にヒグマを三匹も食べてしまったので、ヒグマモンスターになってしまいました。
※体内でヒグマ遺伝子が暴れ回っています。
※ミズクマの特性を吸収しました。本当にミズクマの特性を吸収したのならたぶんこういうことになるから。分裂と能力の吸収は浅倉さんオリジナルだよきっと。
※卵子に受精すると、母胎を喰い尽して雄性発生で元の浅倉威になろうとするでしょう。

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最終更新:2015年05月17日 12:20