満月ポトフー


 きめ細かな泥の中に、足先が沈む。
 降り積もった火山灰の上に流れ込んだ津波が、街並みをぬかるみで澱ませている。
 めたり、めたり。と。
 一歩ごとに、足の裏がけだるい音を立てる。
 少女の脚だ。
 靴も履いていない、裸足だ。
 重い足取りを引き摺るようにして進む少女は、佐天涙子だった。
 彼女の制服は至る所に、カギ裂きが出来て襤褸になっている。
 だがその状態に反して、色だけは漂白剤に晒したかのように汚れ一つない。
 長い黒髪は、傷んで艶を失っている。
 白い花の髪飾りには、劣化したようなひびが入っている。
 3つのデイパックを抱え、彼女は据わった眼のまま、ただ逸る心に引き摺られるようにして、歩んでいた。

 その後ろに、泥の上を進んでいる脚がある。
 重い水面を裂くようにして巡行するのは、軽巡洋艦の脚だ。
 目の前の少女を案じて、眼帯の奥に息を澱ませている。
 天龍型一番艦の天龍は旗艦として、果たして何を為すべきなのか、案じている。
 彼女もまた、2つのデイパックを抱えていた。
 託された旗艦の熱を背に受けて、天龍はようやく、声に口を突かせていた。


「なあ、涙子」
「どうしたの、天龍さん……」
「本当にこっちで、いいのか?」


 天龍の問いに、佐天涙子は足を止めた。
 振り向き、空を仰いだ彼女は、今一度鼻腔の中に大気を吸い込む。
 佐天の声は、熱に浮かされたようにうわついていた。

「……ええ。間違いない。だって、血が……。血の臭いが、するんだもの」
「わかった。それならいい。ただ、早まらないでくれ」

 あたりの建物は切れ始めており、街の左手は森に近い。
 北東から漂ってくるという血臭は、佐天の感覚が正しければ、その森の先のはずだった。

 真っ黒な佐天の瞳には、光が見えない。
 目が乾いていて、光を照り返すような艶が角膜にない。
 手を離せば、佐天は今にも、そんな真っ暗な場所へと転がり落ちてしまいそうに見えた。

 彼女の肩に手を差し伸べてみれば、それはデイパックの重みで崩れ落ちてしまいそうな細さだった。
 言葉を慎重に選んで、天龍は語り掛ける。


「お前のその力は決して、人を殺すようなものじゃない。……と、思う」


 佐天は、天龍が言わんとしていることを察して、口許を歪めた。
 眼を閉じて軽く嘲るように笑い、右手の指先を見せる。
 その人差し指と中指は変形し、鱗のようにざらざらとした小片を皮膚に生じていた。

「……天龍さん、無理に慰めてくれないでいいから。
 これが人殺しの……。バケモノのものでなくて、なんなの?」

 眼を開く。
 だが依然として佐天涙子の瞳は、潤いなく乾いていた。

 くしゃ、と、顔が歪む。
 泣きだしてしまいそうなほど、眼に力がこもる。
 それでもやはり彼女の目には、一滴の涙も生じなかった。
 嗚咽が漏れた。


「その証拠に、もう私は、涙も出ない……!」
「それは脱水症状っていうんだ。水を飲め」


 崩れ落ちそうだった佐天涙子の体が、抱き留められる。
 天龍が、彼女を支えながらペットボトルを差し出していた。


「お前がバケモノだっていうなら、俺の存在だってそうだ。
 結局は俺たち艦娘も、戦うために作られた兵器なんだろう。
 だがそれだって、それ自体が善いとか悪いとか言えるもんじゃない。なんだって使いよう、気の持ちようだろ、そんなもん」

 諭すように天龍は言う。
 佐天は差し出されるボトルの水を見て、口をへの字に曲げた。
 ひったくるようにしてそれを奪い、腰に手を当てて一気に飲み下す。
 そして息を荒げたまま、眼を見開く。
 仁王立ちする佐天の眼は、まだ乾いていた。


「……ほらやっぱり出ない!」


 渾身の声で、佐天は言い放った。
 意地になっている。
 天龍は額に手をやった。

「……ウィルソンの力を殺意で歪ませたと思ってるのかもしれねぇが、お前は歪んでなんかいねぇ。
 よしんば歪んでたとしても、きっとその歪みこそがお前の美しさを、作るはずだ。
 あの蒼黒い力だって、生命を壊すためにあるものじゃ、ないはずだ」

 不安定な佐天に向け、天龍は真摯に語り続ける。
 佐天はその言葉に黙然と視線を落とし、掴んだペットボトルを握る。

 その手に、蒼い光が生じた。
 ほろほろと薄蒼く、彼女の右手にわだかまった光は、ペットボトルの樹脂を急速に捩り、白濁させ、見る間に砂のように砕いて風に吹き散らしてしまう。

 『蒼黒色の波紋疾走(ダークリヴィッドオーバードライブ)』。
 と、ウィルソン・フィリップス上院議員の名付けた蒼黒い力が、それだった。
 佐天は冷ややかに天龍を見た。


「……天龍さんは、私みたいな歪みを経験したことないから、わからないだけじゃ、ないの?」
「おい、甘く見るなよ涙子。俺たち艦娘ほど歪んだ存在がどこにいると思ってるんだ」


 威嚇のように灯される佐天の蒼黒い光にも、天龍はひるまなかった。
 むしろ肩をすくめ、気楽に笑うほどだった。

「もともと俺たちは何十年も昔の船だったんだぜ? 鋼鉄の。
 それがある日眼を覚ましたら、生身の人間の娘になってたっつうんだから。
 悪いがあの時の俺の驚きは、今の涙子の比じゃなかったと思うぜ?」

 見慣れたはずの武装。
 全く見慣れない衣服。
 親しかったはずの仲間。
 全く親しめない生身。
 馴染んだはずの戦術。
 全く見知らない敵性。

 思い返すだに、想像するだに、それは困惑しか覚えなかった。
 佐天は深く息をつく。
 その手からは、蒼黒い光が消えていた。


「うん……。確かに……」
「それこそ散々悩んださ。主に存在意義について。だが結局、どうなったって自分は自分だった。
 俺は俺なんだってことを自覚できた時、苦悩は吹っ切れた。
 殺し合いを止め、命あるもの全てを救う。救世済民の覚悟は今も昔も変わらねぇ」


 天龍が佐天の肩を叩く。
 その言葉は佐天の耳に、温もりを持って響いた。


「俺たちは唯一無二の異形だ。自分を嫌わないで、怖がらないでいいと、俺は思う」


 人殺しは、死ななくてはならない。
 死んで裁かれなくてはいけない。
 佐天はそう、思っていた。

 佐天が蹴り殺したのは、佐天涙子だった。
 佐天が誹り打ったのは、佐天涙子だった。
 佐天が指し咎めたのは、佐天涙子だった。
 許せないのは、自分自身だった。
 自分自身を許せないのを許せないのも、自分自身だった。

 初春飾利は彼女を赦した。
 北岡秀一は彼女を赦した。
 天龍は彼女を赦した。
 ウィルソン・フィリップスも、皇魁も、彼女を赦していた。

 いつまでたってもその咎を背負い続けているのは、佐天涙子の心だけだ。

 だが、その罪を赦してはならないと、未だに佐天はそう思う。
 百貨店の屋上という議場で、壮大な無罪判決を受けてなお、佐天はそう考える。
 それは彼女の最後の、人間としての意地だ。

 人殺しは人殺し。

 他人が何と言おうと、自分が人を殺し、また殺そうとしていた人間であることは変わらない。
 その罪から逃げてはいけない。
 でも、死ぬのは逃げだ。
 重圧に潰れるのは甘えだ。
 罪を重ねるのはバケモノだ。

 粛々と罪を償う。
 人々を助ける。
 未来永劫、人殺しの咎を背負って人命を救う。
 それだけが、自分に許された生き方なのだろう――。


 そんな滅罪の円環に実際に生きる軍艦を仰ぎ見ながら、佐天は深々とうなじを垂れた。

「ありがとう……。まぁ、頑張ってみるわ。できるだけ……」


 もう金輪際、誰の命も奪うまい。
 そう佐天涙子は、心に誓った。


    ○○○○○○○○○○


「――取り込み中失礼する。軽巡洋艦天龍とその随伴官とお見受けする」
「――!?」


 その時二人に、遠くから声が掛けられていた。
 振り向けば、街道のぬかるみの上をヒグマがやってくる。
 軍服に身を包んだヒグマだ。
 それが総勢50頭ほども、整然たる方陣を成して行進して来ていた。

 まるで軍事パレードか示威行為のように、泥上に一糸乱れぬ足取りで彼らは航行してくる。
 歩行ではない。航行だ。
 彼らは軍服の上から、天龍たち艦娘と同じような艤装を纏っていた。
 その足にも、櫂やスクリューの備えられた艦娘の靴を履いている。
 にわかには信じられぬ光景だった。

 緊張を詰めて身構えた二人の前に、その方陣の列から一頭のヒグマが進み出てくる。
 そのカーキ色の軍服を着た青い毛のヒグマは、槍のようなマストを地に突いて、佐天と天龍に名乗りを上げていた。


「我こそは穴持たず667番。第二かんこ連隊、連隊長のムラクモ提督だ。
 戦艦ヒ級の撃沈、まずは旗艦天龍および随伴官佐天に感謝しよう」


 マントをたなびかせ、ムラクモ提督と名乗るヒグマは朗々と言い放った。
 二人の疑問は深まった。
 このヒグマたちの正体は、ヒグマ提督と同じように『艦これ』に心酔したヒグマ、艦これ勢なのだろうことは間違いない。
 第二回放送で地下を壊滅させ、江ノ島盾子らに踊らされているのだろう連中の筆頭だ。

 だが、目的が見えない。
 江ノ島盾子の指示でここに来たのならば、その目的は、あの百貨店屋上から生還した佐天たちの掃討だろうということは想像に難くない。
 それにも関わらず、ムラクモ提督以下、第二かんこ連隊と名乗るヒグマの一群は、天龍に向けて感謝と敬礼の姿勢を見せている。

 何にしても天龍の意識を逆撫でしたのはまず、同士への聞き捨てならない蔑称だった。


「……戦艦ヒ級? ……おい、勝手に大和を深海棲艦扱いしてんじゃねぇぞ。
 上手くもなんともねぇんだよそんなネーミング。
 あいつはあんな姿になっても、大和のままだったんだ。ふざけるな」
「ただの識別用の呼称だ。他意はない。
 貴艦らのおかげで、戦艦大和の名誉は守られたことだろう」


 苛立ちと共に構えられた天龍の刀を見ても、ムラクモ提督の毅然とした態度は崩れなかった。
 『戦艦大和の名誉』という言葉に、天龍の眉が上がる。

「大和の名誉……? 一体どういう意味だ」
「彼女がこれ以上暴虐を尽し、戦艦大和という存在に泥を塗ることを未然に防げたからな。
 貴艦らが討ち果たせなかったならば、いずれ我々が彼女の名誉を守るつもりだった」
「……まだ艦娘としての意識があったうちに死ねて、良かった。って言いたいわけか?」
「そう解釈してもらって構わぬ」


 ムラクモ提督は、心の底から感謝をしているようだった。
 天龍は、徐々に刀の切っ先を下げていく。

 佐天の脳裏には、ヒグマ提督の『あいつらがそんな大それたことするわけない……! みんな「艦隊これくしょん」が好きなんだぞ!?』という言葉が蘇った。
 彼らの態度を見る限り、むしろ江ノ島盾子に踊らされていたのはヒグマ提督を始めとする少数派で、大多数は『艦これ』を純粋に案じる者なのかも知れないとすら思える。

 それでも天龍は、不用意な隙を見せなかった。


「……それで、お前がここに来た用件は、何だ」
モノクマ殿の情報を受け、貴艦を撃沈しに来たまでのこと」


 佐天と天龍は身を固くする。
 だが、第二かんこ連隊の50頭は、目的を明かした後も、奇襲をかけてくるようなそぶりを見せない。
 膠着はすぐに止んだ。
 佐天涙子が口を開いたからだ。

「……初春はどこ!?」
「知らぬ」

 ――モノクマというロボットの傘下なのであれば、誘拐された初春の所在も知っているはず。

 佐天の逸る心は、ただそれだけで一杯だった。
 親友の安否だけが、今の佐天を動かしていると言っても過言ではない。
 ムラクモ提督の言葉を聞くや、眼を見張った佐天の周囲には、風が舞った。


「――しらばっくれるんじゃないわよ。あのロボットが連れ去ったんだってことは、判ってるんだから」
「我々は名誉を守る。貴嬢の同胞の安否などで、つまらぬ嘘はつかぬ。
 モノクマ殿ならば知っているのやも知れぬが、我々はそこまで聞き及んでおらぬだけのこと」

 佐天から刺さるような敵意を向けられてなお、ムラクモ提督は顔色一つ変えない。
 彼の言葉が嘘か本当か、佐天には読めなかった。

 天龍は佐天を後ろへ庇うように、じりじりと半身の姿勢になった。
 未だ攻め来るそぶりを見せない連隊のヒグマに警戒を続けながら、口を開く。


「……おい、一応話をする気はある、ってことか?
 俺に感謝してて、艦娘の名誉を守ろうとしてるくせに、俺を撃沈したいってのがわからん」

 天龍は、ムラクモ提督に言葉を投げながら、佐天に目配せをしていた。
 逃げよう――。
 と、いう意味合いだった。

 彼らの目的は掴み切れない。
 だが、総勢50頭ものヒグマだ。
 もし戦闘にでもなったならば勝ち目が見えない。
 その上、足元は泥。
 天龍ならばまだしも、佐天はこのような足場では機敏な動きなど到底できないだろう。
 彼女を抱えて急ぎ逃げる――。
 それが一番の安全策だと、天龍は思っていた。

 だが、その天龍の手を、佐天が押し留めていた。

 佐天には、逃げるつもりなどなかった。
 戦闘になっても、自分の負ける姿が、思い浮かばなかった。
 危機感などなかった。
 ただ、引き出せるだけ初春の情報を引き出そうと、そう思っているだけ。
 そうして佐天は、ムラクモ提督を煽っていた。


「ああわかった。あなたたちの業界じゃ、『撃沈』って言葉にエロい意味でもあるんでしょ。
 あのヒグマ提督の仲間だもんね。天龍さんを手籠めにしたいとか、呆れるわ」

 空気が硬直した。
 天龍も、第二かんこ連隊の隊員も、息を呑んでいた。
 ムラクモ提督が溜息をついて、首を横に振る。


「呆れるのは貴嬢の頭の足りなさ加減だ、随伴官佐天」
「なっ――」
「我々がそのような艦の名誉を貶す行為を犯すわけがなかろう。さぞ学業の成績も悪かったのだろうな」
「は――」


 佐天は真顔になった。
 震えが隣の天龍にも伝わるほどだった。
 煽ったつもりが真面目に反論され、しかも的確に煽り返された。
 顔を真っ赤にして押し黙ってしまった佐天を一顧だにせず、ムラクモ提督はようやく動きを見せた。

「貴艦らには解らぬようだから、沈める前にお教えしよう」

 語りながら彼が手を上げると、隊列を組んでいた第二かんこ連隊の隊員が、一斉に散開した。
 天龍の反応も許さず、一瞬で逃げ道を塞ぐように、ヒグマたちは佐天と天龍を取り囲んでしまった。
 ヒグマ提督は、円陣の中央に囲まれた二人へ、滔々と語り続ける。


「……実験開始以前、軍艦が我々を沸かせるのはその威厳のためだった。
 だが現世(うつしよ)の島に幾人もの艦娘が訪れた現状が如何に異常であるか。
 現の肉体を持ってしまったがために、瞬く間に艦娘たちは自らの尊厳に汚泥を塗っている」

 艦娘という在り方に落とし込まれてはいても、かつてはまだその存在は、霊的な畏敬と崇拝の念を以てヒグマたちに受け止められていた。
 それがヒグマ提督が歪んだ艦娘を生み出し、侍らせて以降はどうだ。
 現実の女体をあてがわれ、精神を蝕まれ、媚びへつらう姿はまるで淫婦。
 子すら為せぬ異種族でありながら、ヒグマの中からもその淫靡たる様態に踊らされる者が頻発した。

「そしてこの先に待つのが破滅である事は論を俟たない。
 ――生身の艦娘に価値は無い――。殺してでも艦の名誉を守るべきだ」

 生まれ落ちてきてしまったがために心身を犯され、その御魂までも穢されるなど言語道断だ。
 艦娘と軍艦たち自身のためにも、現実の肉体など、最終的には殺してしまわねばならない。

「しかしヒグマ提督はその事実からずっと目を背けてきた。
 ならばこの島と艦娘自身の未来の為に、自律出来ない同胞の為に。
 この私が元帥となり最終戦争という名の救済を授けねばならぬことは自明。
 無論、私は艦種や所属国、賢愚邪正貴賎を区別しない。皆平等に殺して差し上げる……!」
「むちゃくちゃだ……ッ!!」


 天龍は歯噛みした。
 艦娘を尊敬し、感謝し、それでいて彼女たちを殺そうとする。
 そんな理路整然と狂った理念が、天龍の身の毛をよだたせた。

 思わず怖気に震えた天龍の前に、佐天が進み出てくる。
 佐天は、笑っていた。
 ヒグマに周りを取り囲まれてなお、彼女には危機感がなかった。

 その体には、薄青い光がわだかまってくる。
 戦艦ヒ級の肉を抉り、砂に変えた月の牙。
 そんな凶暴な笑みを湛えて、佐天には自信しかなかった。
 その上このヒグマたちには、謂れも無い侮辱で煽られたのだ。
 不安と言うならばむしろ、戦闘になって、このヒグマたちを殺さないよう手加減できるかどうかの方が不安だった。


「大丈夫よ天龍さん、こんなやつら、私がどうにだって料理してやれる――」


 だからそう言って、佐天はムラクモ提督に向き直ろうとした。
 だがそんな佐天の視界に、ムラクモ提督の姿はなかった。
 体の横を、突風が吹き抜けた。

「こっちだ」
「おごぉ――!?」

 触れていた天龍の体温が、消えた。
 振り向いた視界の端で、天龍が体をくの字に曲げて、宙を吹き飛んでいた。
 そうして街道の遥か先のぬかるみに、飛沫を上げて落下した。

 ムラクモ提督は、先程まで天龍の立っていた位置で、正拳突きの構えを取っていた。
 残心を切って左前脚を納め、そのまま彼はするすると泥上を航行してゆく。

「羅馬提督。随伴官の処理はキミに任せる」
「了解いたしました」

 呆然とする佐天を一瞥もせず、ムラクモ提督は隊の円陣を抜けて、墜落した天龍の元へ粛々と去っていった。


「……え?」


 単純な話だった。
 ムラクモ提督の突進速度は、佐天涙子の反応を、超えていたのだ。


    ○○○○○○○○○○


「私は穴持たず668番。ムラクモ提督配下、第二かんこ連隊副長の羅馬(ローマ)と申します。
 当連隊の決定により、貴嬢の投降を要請します。直ちに武装を解除し我々の指示に従って下さい」

 佐天を取り囲む49頭のヒグマの中から、そんな呼び掛けがあった。
 次第に包囲を狭めてくる連隊の中で、紅白の縞に塗り分けられた特徴的な艤装を帯びるヒグマだった。

 佐天は歯噛みして唸った。
 こんな奴らに付き合うつもりは毛頭ない。
 吹き飛ばされた天龍を早く追わねば、と焦るのみだ。


「……聞くだけ無駄だとは思うんだけど。従わなかったら、どうするつもり?」
「その場合、僭越ながら、私どもの方で貴嬢を撃沈させていただく所存です」
「……ハンパな勇気なら、やめとけば?」

 佐天はヒグマを威嚇した。
 唸る彼女の全身に、蒼い光が灯った。
 それに応じて、第二かんこ連隊のヒグマたちは次々と砲や魚雷発射管を構えていく。


「首にアタマ、ついてるうちにさ!」
「――総員、撃ち方始め!」


 叫ぶと同時に、佐天は走った。
 周囲から、嵐のように大量の弾薬が放たれる。
 轟音と粉塵が佐天を覆う。

「『疲労破壊(ファティーグ・フェイラァ)』……」

 しかし、佐天涙子は依然五体満足でその場に立っていた。
 構える手を、脚を、全身を、蒼黒い獰猛な光が覆っている。
 足元のぬかるみが、水分を奪われてさらさらとした火山灰層に変わっていく。

 風を八つ裂きにするように、光が揺らめく。
 集中放火された砲弾や魚雷は、悉く佐天に届く寸前で崩壊し、砂のように吹き散らされていた。


「無駄よ。あんたたちが何を撃ち込んでこようが、全部崩れるだけ……!」
「なるほどそのようです。その兵装は、貴嬢の体をも崩してゆくもののようですが」


 だが周囲のあらゆるものを風化させてゆくその光を見ても、羅馬提督たちは怯まない。
 佐天の周りを隙間なく取り囲んだまま、再び弾丸を撃ち込む隙を伺っているのみだ。


「その攻性防御を維持できるのは何秒ですか? 何分ですか?
 私どもは貴嬢が肉体の損耗に耐えきれず、防壁を解除した瞬間を狙うのみです」


 佐天は蒼黒い光に呼吸を合わせたまま、立ち尽くすことしかできなかった。
 足元のぬかるみはどんどん水分を奪われて火山灰に戻っていく。
 そこが泥であっても、砂であっても、佐天の脚が埋まっていることには変わりなかった。
 走っても、満足に進めない。
 始動に砲撃を合わせられれば、なおのこと先程のように、迎撃に集中せざるをえなくなる。

 佐天のこめかみに、汗が浮いた。
 浮いて、次の瞬間には蒼い光の中に蒸発する。

 羅馬提督は、睨み合いを続ける形の佐天に向け、憐れむような眼差しを向けていた。


「……力を持て余しただけの素人が、私どもミリタリーガチ勢に勝てると、本気で思っていたのですか?」
「なによ、それ……」


 佐天のつける髪飾りから、白い花弁が一枚、劣化して崩れ落ちた。


    ○○○○○○○○○○


「『桧』……、『陣笠』……」

 路上のぬかるみに吹き飛ばされた天龍は、全身を泥まみれにしながらも、体勢を立て直しつつあった。
 起き上がる彼女の側頭部に、二つの耳のような黒い独立機動ユニットが飛行し戻ってくる。
 ムラクモ提督の突進に合わせ咄嗟に胸元へ展開していた即席の盾だったが、それでもヒグマの拳撃を真正面から受け切るには足りなかったと言える。
 肋骨に響く衝撃で、天龍はぬかるみに片膝を突いたまま息を上げていた。


「……大人しく沈んでおれば良かったものを。苦痛が増えるのみだぞ、天龍」
「お前……」

 彼女の元に、ヒグマの影が差す。
 ムラクモ提督が、マストの槍を携え仁王立ちしたまま、泥の上を航行してくる。
 ふらつく体に喝を入れ、天龍は立ち上がっていた。
 艤装の刀を向けながらも天龍は、苦しい表情で彼に懇願していた。


「……頼む。こんなことはやめてくれ」
「すまぬが、命乞いを聞くことはできぬ。これは貴艦のためでもあるのだ」

 立ち止まったムラクモ提督の言葉に、天龍は首を振る。


「……命乞いじゃねぇ。俺は、ヒグマも人間も、もう殺したくない。
 俺はむしろお前たちを保護したいくらいなんだ。戦いを止めてくれ」


 天龍から返ってきたセリフに、ムラクモ提督は一瞬きょとんとした。
 そして、その意味するところを理解し、笑った。
 天龍は言葉は暗に、戦いになれば、ムラクモ提督を殺してしまいかねない。ということを示している。
 現実を理解していない。と、彼には思えた。


「ふふふふふ、ははははは! ほう……、やる気か。
 完成なったこの『新型高温高圧缶』……。旧式の貴艦に勝機は無い」
「戦いたくねぇ、って言ってんだろ……!!」


 ムラクモ提督は、言うが早いか、ぬかるみの上を高速で駆動していた。
 幻惑するかのように縦横へ動くその足捌きは、天龍には信じられぬほど機敏だった。
 ダカダカと足音高く泥を跳ね上げるその歩法が、更に彼の下半身の動作をほとんど見えなくさせている。

「――見切れるか?」

 そのさなか、ムラクモ提督の肉体が高速で肉薄した。
 体ごとぶつかってくるようなその動きに、思わず天龍は防御姿勢をとる。
 だが激突するかと見えたその瞬間、ムラクモ提督の姿は天龍の前で霧散する。
 水蒸気だった。

「なぁ――!?」

 新型高温高圧缶の機能による幻惑――。そう気づいた瞬間、足元の泥中に異音があった。
 わずかなぬかるみの起伏、波動から、天龍はその正体を察知して身を捻った。

「くうっ――!?」

 魚雷が、天龍の足元で爆発する。
 ムラクモ提督が走りながら、泥中に魚雷を隠匿しつつ投射していたのだ。

「そこだ!」
「『桧陣笠』ッ!!」

 吹き飛ぶ天龍に、加速したムラクモ提督の本体が追いすがる。
 高速で突き出される正拳を、落下しながら天龍は両耳の艤装に受ける。
 しかしその瞬間、天龍は悪寒を覚えた。
 足元の泥が、沸騰した。


「――ハァッ!!」


 逆手に持たれた白刃が、天を切り裂くように地面から舞った。
 新型高温高圧缶の熱量で加速・加熱された、マストの槍だった。
 天龍はその軌道上に刀を翳していたはずだった。

 だがその斬撃は、彼女の他愛も無い防御など、簡単に貫徹してしまっていた。

 艤装の刀が、弾かれて宙に飛ぶ。
 背後のぬかるみに突き立つ。

 もんどりうって地面に転げた天龍の感覚に、遅れて激しい痛みが襲ってきた。


「ぐ、おぉ、あぁ――……!?」
「……あの状態から、私の斬撃をかろうじてでも凌いだことは賞賛に値しよう。
 だが、やはり無駄な足掻きよ」


 二つに裂けた眼帯が、天龍の顔から落ちる。
 ぐじゅぐじゅと頬から気泡を立てて、赤黒い浸出液がにじんだ。
 左の眼球から、焦げた硝子体が涙のように落ちる。
 天龍の左の顔面には、下から上に大きな切創が刻まれていた。


「その程度の力では到底、我らを殺すことも、保護することもできぬわ。
 艦娘はこの世に出て来ずとも良いのだ。貴艦らは提督に任せ、自重しておれ!!」


 倒れ伏す目の前に白熱した槍の穂先を突き付けられ、天龍は固唾を飲んだ。
 焦げて血も出ぬ頬の傷から、泡立った息が漏れた。


    ○○○○○○○○○○


 佐天は、動けない。
 動いたならば先程のように集中砲火で足止めを喰らうだけだ。
 かといってこのまま『蒼黒色の波紋疾走』を展開し続けることもできない。
 自分の肉体をも、演算を漏れた殺意が破壊していってしまう。
 展開を止めることもできない。
 防御がなくなれば佐天は、ぬかるみの上に突っ立つだけの的になってしまう。
 もどかしさだけが、残った。


「……ねぇ、教えてよ。なんであんたたちは、私や天龍さんたちを、殺そうとするわけ?」


 行き詰った佐天は、空を仰ぎながら、周囲のヒグマたちに問うていた。
 そうしている間にも蒼黒い光に蝕まれて、佐天の髪のキューティクルは剥げ、肌は荒れてゆく。

「最終的には、艦隊これくしょんや我々、ひいてはあなた方自身の名誉のためです。
 貴嬢も、これ以上生き恥を晒しても、仕方がないのではありませんか?」
「……生き恥、かぁ」


 羅馬提督と名乗るヒグマから返ってきた言葉に、佐天は溜息を漏らす。
 なるほど。
 第二かんこ連隊の言う通り、佐天の人生は、恥と罪の連続だったのかも知れない。

 大きなところでは『幻想御手(レベルアッパー)』の一件に始まり、初春や多くの人に迷惑と恥を晒して続けてきた。
 島に誘拐されてからは人を殺し、狂乱し、殺意と贖罪の間で揺れ動きっぱなしだ。
 なるほど。
 ここで死んでしまえば、そんなみっともない恥の上塗りを続けることは、なくなるのかも知れない。


『どんな強力な能力でもねじ伏せる純粋な力。圧倒的なナチュラルパワー。
 無能力者である自分の境遇と重ね合わせ佐天は不謹慎にも少し高揚していた』
『人間を棄ててヒグマになってまで強くなりたいの?冗談じゃない!』
『もっと歪めもっと歪め、みんなと同じぐにゃぐにゃに曲がれ』
『――うるさいから、消えてよ』
『来ないで!! 私は、初春を、殺してしまう!!』
『助けを求めている人がいたら、今度は私だって、全力で助けるよ――』
『私だって、あなたの体半分フリーズドライにして、もう半分をミディアムレアに焼いてあげることくらい簡単なのよ?』
『もっと貪欲にならなきゃ。
 もう一度、全身をこの歪みで溢れさせることになっても――』
『……彼女だけは、潰すわ』
『これが人殺しの……。バケモノのものでなくて、なんなの?』


 二転三転し続ける、怒りと後悔の往訪だ。
 まるでこの蒼い光のような、加熱と冷却で劣化し続ける因果の応報だ。
 その根本の原因は、一体何なのだろうか?

 よくよくそうして自分の考えを省みて見れば、要するに憧れと、自惚れだ。
 格好をつけたがって、その場その場ですぐに嫉妬して。
 味方にしろ敵にしろ、そいつに匹敵したくなって仕方がなかった。
 そして力を手に入れれば、割とすぐ調子に乗る。
 根本的に、『幻想御手(レベルアッパー)』に手を出したあの頃と、何も変わっていない。
 何が“蒼黒色の波紋疾走”だ。
 怒りと一緒に周りのものをしっちゃかめっちゃかに壊せるだけのどうしようもない技術ではないか。
 この程度で、自惚れと哀しみを一緒くたにして、何かに至ったかのようなニヒリズムをぶちまけていたなんて、本当に恥ずべきことだ。


『……今の涙子ちゃんに、ヒグマを倒せる力はないだろ。右手を折られて、ほっぺには青タン。
 密着しさえすれば、確かに俺を脅したように相手を焼き氷にできるんだろう。だが、さっきのロボット然り、ヒグマがそれをやすやすと許すと思うか?
 あの時だって、もし1歩俺たちが離れていたら、本気でやってたら死ぬのは涙子ちゃんの方だったんだ。自分を過信するなよ?』

 北岡秀一の言葉が思い出される。

『……ゆめ虚心坦懐であれ、佐天くん。キミのブレイブは、もっともっと輝けるのだから……。
 その「蒼黒色の波紋疾走」に呑まれることなく、わしらの代わりに……、どうか最後まで、生きてくれ……』

 ウィルソン・フィリップスの言葉が思い出される。

 色んな人から言われていたではないか。
 佐天涙子はまだまだ未熟な人間にすぎないのだと。
 それこそもう、ヒグマにも指摘されるほど、佐天は恥まみれのしょうもない小娘なのだろう。


「――でもやっぱり、死ぬのは甘えだわ」


 空から視線を落とし、そう言った。
 佐天はむしろ嬉しかった。
 バケモノの証拠だと思っていたこの力を、こんなに簡単に攻略されてしまったことが、だ。
 自分はまだ人間なんだ。と、はっきりと自覚できた。

 こんな殺意ごときでバケモノを自負するなど、本物のバケモノに失礼だったかも知れない。
 そもそも、防衛の手段に殺意を用いるという時点で、なってない。

 ――もう金輪際、誰の命も奪うまい。
 そう、心に誓ったばかりではないか。


『では、その覚悟を試される時が来たのかも知れません』


 皇魁の言葉が、脳裏をよぎる。
 正面にて魚雷発射管を構える羅馬提督に向け、佐天は微笑みかけていた。
 羅馬提督はただ粛々と、手を上げて連隊員に指示を出すだけだった。


「……あのさ。恥をかいたまま死ぬより、汚名を濯ぐために足掻いた方が、まだマシなんじゃない?」
「……総員、攻撃準備」


 陽の傾く空に、まだ星は見えない。
 見えるのは足元の、きめ細かな泥の一粒だ。

 泥臭くて、優しくて、とてつもなく愛おしくて、会いたい。
 そんな憧れの少女の笑顔を思い浮かべて、佐天は呼吸する。

 佐天の体から、蒼黒い光が、消えていた。


    ○○○○○○○○○○


 泥中に倒れたまま、天龍は口を開いていた。

「……何か、あったのか」

 天龍の口から漏れていたのは、嘆息だった。
 刃を突き付けるムラクモ提督を、傷の痛みに耐えながらも、天龍は真っ直ぐ見上げていた。

「なんだと?」
「……俺たちに会う前に、艦娘と何かがあったんだな?
 お前たちがそういう覚悟を決めなきゃならなくなる、何かが」

 天龍の指摘に、ムラクモ提督は苦々しく口元を歪めた。
 推測は当たっていたらしい。
 言葉を続けながら、天龍は焼き切られた顔の傷を押さえ、慎重に立ち上がろうとする。


「島風の様子は見た。天津風から若干は話も聞いた。
 大和も……、どうしてああなっちまったのか不思議なくらいだ。
 ……だが、間違っちまったなら、それを正しく戻すことだって、可能かも知れねぇ。
 なぁ、教えてくれ。殺す以外に道はあるかも知れねえだろ? 協力できるかも知れねぇ」
「おのれ……、世迷言を……! そうして貴艦が迷うことこそ軍艦の名折れよ!!
 命惜しさに貴艦はそのような妄言を吐くのか!! たたっ斬ってくれるからに、そこへ直れ!!」


 ムラクモ提督は牙を噛み、諸手で持つ槍を大上段に構えた。
 そのまま激情を押し殺すかのように、彼は震えながら言葉を漏らす。

「貴艦らが現身を持つ意味がどこにある。
 深海棲艦とは、沈没した船の怨念より成ったものだと言う。
 なればそれと戦う艦娘は、後にやはり深海棲艦となる者。
 生身の艦娘など、永久に怨憎の輪廻を回るだけの存在に過ぎぬではないか」

 その言葉はまた、彼が自分自身に言い聞かせているもののようにも、聞こえた。

「覚悟を決めよ。我々が責任を持って貴艦らを荼毘に付してくれる。
 これでもう二度と、軽巡天龍の名誉が穢れることはない!!」
「……悪いが、これだけは言わせてくれ」


 毅然として言い放つムラクモ提督の前に、天龍は溜息を吐きながら立ち上がった。
 左手を顔の傷から離し、彼女は強い眼差しで叫ぶ。


「俺たちは、お前に計られるほど浅ぇ覚悟で、生きちゃいねぇッ!!」
「――ハァッ!!」


 その叫びに、ムラクモ提督の裂帛の気合が重なった。
 新型高温高圧缶の熱に白光を放つ槍が、脳天より天龍を唐竹割りにせんと振り下ろされる。
 その閃きに合わせ、天龍の左腕が下から振り上がる。

「『紅葉』――!」
「ぬぅ――」

 逆手の投げナイフが、強化型艦本式缶の熱量に赤熱されながら槍の穂先に噛み合う。
 その勢いを側面に引っ外しながら、天龍はムラクモ提督の懐に踏み込んだ。

「せいっ!!」
「くおぉ――!!」

 全身を揮って右手を突き出す正拳、八糎単装高角拳。
 鼻っ柱に相対攻撃として刺さるかと見えた鋭い天龍の拳に、ムラクモ提督は咄嗟に蒸気を吹きながら後方へ跳び退った。
 そして跳びながら、中空で大量の魚雷を構える。

「――玉と砕けよ!!」
「『強化型艦本式』――!!」

 天龍の上空に、魚雷がばら撒かれた。
 空爆のように降り注いでくる魚雷の一つ一つを、天龍は無事な右眼で追った。
 背中のボイラーが急速に過熱する。

「――『暴れ天龍』ッ!!」
「こっちだ!」

 両腕を高速で振るい、天龍は投げナイフと右掌で降りしきる魚雷の雨をことごとく弾く。
 しかし、周辺に落下する魚雷の爆発に紛れて、ムラクモ提督は、ぬかるみの上を高速で天龍の背面へと回り込んでいた。

「くっ――!?」
「華と、散れィ!!」

 ムラクモ提督の足元の泥が、沸騰する。
 大気を焼くような白光と共に、槍が高速で天へと跳ね上がる。
 死角となっている左方向からの裏周りに、天龍は振り向ききれなかった。

 その穂先が、背面攻撃となって天龍の胴を両断するかと見えた。


「『鷹歸る』――」


 その瞬間、天龍の体は、ムラクモ提督に背を向けたまま宙に浮いた。
 彼女のいた位置に蒸気だけを残して、天龍は身を捻るように前方へ跳んでいた。

 そして、空を切って振り抜かれた槍の下に、彼女はそのまま急転回をして宙を滑り込んだ。

「『崖』」
「なにっ――!?」

 天龍の背部艤装から、大量の蒸気が吐き出されていた。
 強化型艦本式のボイラーから排出される高圧水蒸気によるホバー移動。
 天龍峡十勝の一つ“歸鷹崖”はその名の通り鷹の帰ってくる崖であり、その昔、天龍川流域に住む仙人が鷹狩りをした際の岩であるとされる。

 渾身の斬撃を躱されたムラクモ提督の隙に、天龍の体が踊り込む。
 中空で転身しながらの鋭い回し蹴りを、ムラクモ提督は左側頭へ強かに差し込まれていた。

「――これしきッ!」
「『竿垂れる』――」

 踵の櫂をこめかみに喰らい、視界に火花を散らしながらも、ムラクモ提督は体勢を立て直す。
 しかし空を踏むようにして更に跳んでいた天龍は、その時既にムラクモ提督の真上からナイフを振り被っていた。

 高高度から、重力と蒸気圧とで加速された振り降ろしが、彼女の全体重と共にムラクモ提督の頭頂に迫る。


「『磯』ッ!」
「ウッ――!?」


 天龍川において過たず魚群を狙うカワセミのように、その一撃は鋭く速かった。
 天龍峡十勝の一つ“垂竿磯”はその昔、天龍川流域に住む仙人が苔むしたその巨岩に腰をおろし、好んで釣り糸をたれたものだとされる。

 咄嗟に、ムラクモ提督は頭の上に両手でマストの槍を構えていた。
 赤熱するナイフの勢いを受けて、その駆逐艦叢雲の槍は、たわんだ。
 ムラクモ提督の顔が青ざめた。


「ぐあぁ――」
「……!?」


 天龍のナイフが、ムラクモ提督の胸板を切り裂く。
 ムラクモ提督の手から、槍が取り落とされていたのだ。
 天龍はその手応えに違和感を覚えた。
 全力で急降下する『竿垂れる磯』の勢いも、ヒグマの膂力なら、耐え凌ごうと思えば凌げたように思えたからだ。


「おい、お前――」
「まだだッ――!!」


 思わず、天龍は彼に声を掛けようとした。
 だがムラクモ提督は、焼き切られた傷を押さえ、天龍に向けてなおも拳を振り上げ、躍りかかっていた。

「ちっ――」

 天龍は舌打ちした。
 得物を手放し、激情を顕わに襲い掛かってくる彼の動きを、強化型艦本式缶で加速された天龍の反応速度は、完全に見切ってしまっていた。


    ○○○○○○○○○○


「――総員、撃ち方始め!」

 羅馬提督の号令が、辺りに響いていた。
 そしてその場を、暫しの沈黙が包んだ。 
 構えられた第二かんこ連隊の砲口からは、何も出て来なかった。

「――え……!?」
「ふ、副長殿――、点火が、点火ができません――!!」

 羅馬提督は、驚愕した。
 連隊の面々の顔にも、揃って驚きの表情が張り付いている。


「初春と出会ったのは……」


 体が動かない。
 そしてとてつもなく、寒い。

 佐天涙子が、円陣の中心で立ち尽くしていた。
 静かに彼女は、微笑んでいた。


「――この、『凍結海岸(フローズン・ビーチ)』だった……」


 佐天涙子を中心として、一帯のぬかるみが、凍結している。
 結氷し、霜が降りたその領域は、第二かんこ連隊の円陣の元にまで届き、その足元から艤装までを氷に埋めていた。
 夜の森の中、ダイヤモンドダストを掻き分けてやってきた緑の少女。
 初春飾利の姿を思って、佐天は呼吸している。

 時間がたつごとに、羅馬提督たちの艤装や体表面はどんどんと結氷してゆく。
 もう、砲から掌が離れない。
 櫂が凍結して、航行も歩行もできない。
 思わず問わずにはいられなかった。

「こ、こんな広範囲へ同時に特殊攻撃を……!? 一体どうやって……!?」

 羅馬提督たちは、天龍に同行しているこの少女が、熱を操作する能力を有していることまでは把握していた。
 しかしその能力は、モノクマロボット1体にすら返り討ちにされ指を折られる小規模なものだとしか、聞き及んでいなかった。
 佐天は羅馬提督を見つめ返す。


「……そうよね。私も気付かなかった。自分の体に熱量を溜めてたから耐えられなかった、ってことに。
 一箇所を冷却したら、その都度違う場所に熱を発散させればいいだけ……」


 半径十数メートルの円形に結氷している一体の街道は、厳密には、佐天の周囲数十センチだけ、もとのぬかるみのままだ。むしろ、そこだけは暖かいほどだった。
 佐天の習得する『第四波動』は、端的に言えば空気中や任意の対象から熱エネルギーを奪い、それを増幅して掌などから放出する能力である。
 この熱吸収の段階で、左天はその熱量をガントレットに溜めることで大規模な熱操作を可能としていた。
 これが無い状態の佐天涙子では、自分の肉体が耐えられる分量の熱しか、一度に扱うことができない。

 このため、佐天は今までその行使回数を増加させてゆく方向に能力を磨き、『疲労破壊』や『分子間力』、『蒼黒色の波紋疾走』といった技術を身につけてきた。
 その延べ操作熱量は、既にガントレットのある状態に匹敵する程にまで、高まっていた。

 そして佐天の思考は、この窮地において、転換された。
 足元の地面から奪った熱を、同じ場所ではなく、体表面から空中に逃がす。
 対象から熱を奪い、同対象に熱を返す高速サイクルを行なう『疲労破壊』の加熱部分だけを、別の場所に行なったらどうなるか。
 一度には少ない熱量だが、それを一千回、一万回、億兆京那由他阿僧祇の回数だけ繰り返して行ったらどうなるか。

 ――『第四波動』は撃てなくとも、周囲を結氷させるほどの熱吸収ならば、今の佐天にもできる。

 そんな事実が示されることに、他ならなかった。

「……気づかせてくれて、ありがとう」

 佐天の表情は、晴れ晴れとしていた。
 殺さずに済んだ。
 もう周囲の者たちに、殺意と敵意で顔を合わせなくとも、済む。
 ヒグマでも敵でも、艦娘でも味方でも関係ない。
 いっそこの場にいるみんなをスキになってしまうかのような高揚感に、佐天は包まれていた。


「で、これからどうする? 投降を要請したら、直ちに武装を解除して指示に従ってくれたりする?」
「くっ……」


 身じろぎのたびに毛皮の表面にがりがりと氷を軋らせるしかない羅馬提督は、意趣返しのような佐天涙子のセリフに牙を噛む。
 示し合わせたわけでもなく、羅馬提督と佐天涙子は、同時にムラクモ提督と天龍の行った先を、見やっていた。


    ○○○○○○○○○○


 振り抜かれる右拳の脇を、半身で踏み込む。
 噛みつこうとする頭部を躱し、左脇の下に挟み込む。
 ムラクモ提督の左肩を右腕で抱え込み、彼の勢いを受けながら天龍は後方へと跳び上がる。
 蒸気で加速した膝を、胸部に叩き込んだ。

「ぐぁ――」
「『龍角の』ぉ――!!」

 水蒸気に包まれ、上空から天龍たちが落下する。
 脇に挟み極められたムラクモ提督の首筋には、ナイフが添わされていた。
 彼の視界は、真っ黒な地面で急速に埋まった。


「――『峯』!!」


 ジャンピング高角度ダブルアームDDT。
 天龍峡十勝の一つ“龍角峯”はその昔、湧き上がる雲烟に包まれて、深潭より神龍が昇天した際に残した龍の化身だとされる。

 頭頂ではなくあえて顔面が叩き落とされるために、その投げは受け身が取れなかった。
 投げ落とされるその首には、天龍のナイフが添えられていた。
 鼻骨が砕ける。
 自身の体重で、刃が喉笛にめり込む。
 めしめしと音を立てて、気管が潰れた。

 天龍と同体となって地に転げ、ムラクモ提督は勢いよく喀血した。


「グハァッ!? ……ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
「わかったか……? 多機能ゆえの脆弱ってのもある……。
 新型がいいってわけじゃねぇし、自分の主義主張がいつだって正しい訳でもねぇ……。
 この強化型艦本式缶は、どんな新型艦にも追い抜かせなかった、『日本一』のあいつの、なんだしな……」


 立ち上がろうとして、ムラクモ提督はぬかるみの上に倒れた。
 軟骨を砕かれた気管と鼻のせいで、呼吸がままならなかった。
 地面がぬかるみでなければ。
 もし天龍がナイフを過熱していれば。
 ムラクモ提督はそのまま完全に気管を潰されて窒息していたか、首を絶ち落されていたに違いない。


「よ、よもや艦娘が、柔術さえ身につけているとは……」
「俺は世界水準……、軽く超えてるからな」


 呟きながら、天龍もぬかるみの上に、膝を突いていた。
 全身の骨と筋肉が悲鳴を上げている。
 この短時間でも、無理矢理上げた肉体の反応や筋力の反動は、並々ならぬものがあった。


「天龍さん――! 無事!?」
「おう、涙子の方こそ……。大丈夫……、ではあったみてぇだな」

 駆け寄ってくる佐天涙子の方を見やって、天龍は半分驚きで呆れる。
 向こうの路上では49頭のヒグマを、佐天涙子がほとんど氷漬けにしてしまっていたのだから。
 百貨店周囲の凍結した津波の様相を思えばむべなることではあるが、なかなか圧巻の光景だった。


「――ムラクモ提督! ご、ご指示を!!」

 羅馬提督が、街道の先から震えた叫び声を上げていた。
 ムラクモ提督は、項垂れた。
 火を見るより明らかな、敗北。
 その場合もはや彼らの取り得る行動は、一つしかなかった。


「……軽巡天龍ならびに随伴官佐天、早急に我らを殺せ。元より名誉の戦死を遂げることこそ我らの悲願ぞ。
 情けと思って、何卒、この素っ首を刎ねてくれ」
「バカ……、殺さねぇよ」

 天龍は、立ち上がりながらぼりぼりと頭を掻いた。
 路上に落ちていたムラクモ提督の槍を拾い、彼の元に差し出してくる。


「これ、叢雲の槍だろ……? お前の名前もそうだが、何があったんだ?
 その格好といい戦術といい覚悟といい理念といい、ヒグマ提督みたいな半端者とは、色々な意味で違ってやがる。
 おい……。なんで、『槍だけ』なんだ?」
「くっ……」

 ムラクモ提督は、歯噛みした。
 大きな逡巡と迷いが、彼の中にあるようだった。
 しかし最終的に彼は、強く横に首を振る。


「……何も話さぬ! 我らは敵味方の関係だ! 貴艦に話すことは我ら全ての汚名となる!!
 ただ勝者は敗者を殺す、それだけで良い! さぁ殺し、沈めよ!! 今すぐに!!」
「ったく……、勝手に殺しに掛かってきてそれか。ふざけんなよ……。
 なんにもか? お前らの内実も過去も、なんにも話しちゃくれないのか?」
「無論だ」

 ムラクモ提督の燃えるような瞳を見て、天龍はただ無力感しか得られなかった。
 殺し合いを止め、命あるもの全てを救うと思っても、そんな信念程度では、このヒグマの心を変えることはできない――。そんな事実が、胸を打った。
 ムラクモ提督は、立ち尽くす天龍の前で、自分の下に酸素魚雷を設置していた。


「コレデヨイ……。かくなる上は、自沈するのみ。貴艦は安全域まで離れられい」
「ちょっと、勝手なことしないで」


 だがその時、ようやくぬかるみを漕いで辿り着いた佐天涙子が、二人の間に割り込んできた。
 設置された魚雷に彼女が拳を振り降ろすや、一瞬にしてそれは砂塵になって崩壊してしまう。
 佐天涙子は、苛立っていた。
 今までの一方的なムラクモ提督たちの言動を受けて、鼻息も荒く言い放つ。

「せこくて、鈍くて、くちゃくちゃ喋ったりちくちく絡んできたりするヤツに、私たちがそんな親切なことしてやると思ってんの?」
「おい、涙子――?」

 佐天の言わんとする内容を図りかねて、天龍は首を傾げる。
 だが佐天は、そんな天龍の背中を押して、ムラクモ提督の前に進み出させた。


「負けたのに生かされることがそんなに嫌だってんなら、一番嫌なことしてあげるわよ。
 生き残って、生き恥でもなんでも晒したら?
 ……私たちは今までもそうして生かしてもらって来たし、これからもそうするんだから。
 ……死んだり、また殺人を重ねるなんて甘えた逃げは、許さないんだから」

 佐天の言葉は、自分自身に言い聞かせているものでもあった。
 振り向いた天龍の前で、佐天は、涙をこらえるかのように、上を向いている。
 しかしその眼球はまだ、乾燥のせいか痛々しいほどに艶が無かった。
 天龍は嘆息して、ムラクモ提督の方に向き直った。


「……そうだな。お前が聞くのかどうか知らねえが。命令だ。
 ……自沈もするな。生きろ。そんで、頼むから無用な殺しもしないでくれ。
 お前に勝った艦からの命令だぞ? 名誉名誉言うんなら、敗者らしく従っても良いんじゃねぇか?」


 ムラクモ提督は、声もなく俯いているだけだった。
 離れた場所でいまだ氷中に動けぬ49頭のヒグマたちも、沈鬱な表情で沈黙を守っている。
 佐天と天龍は顔を見合わせた。

 これ以上何を試みても、時間の無駄に思えた。


「……だんまり、か。……仕方ねぇや。
 探してるヤツと、弔わなきゃいけないヤツがいるんでな。……失礼するぜ」

 後顧の憂いを絶つためなら、また人を襲う可能性のあるヒグマなど、殺しておいた方が良いのかも知れない。
 だが、天龍も佐天も、進んで殺したくなどなかった。
 そして何より、天龍には、このヒグマたちに、更生の余地があるのではないかと、思えてならなかった。

 天龍は、ムラクモ提督の前のぬかるみに、駆逐艦叢雲の槍を突き立てた。
 路上に落ちていた自分の日本刀を拾い上げ、彼女は今一度振り向く。


「……おい、よく考えてみてくれ。叢雲は、お前にどんなことされれば、嬉しいのかな……?」


 そう疑問を投げかけて去ることが、天龍が最後にできる試みだった。
 再び北東に歩みを取りながら、佐天もまた、取り残される第二かんこ連隊の面々に呼びかけた。

「……そういや、知ってるの?
 あんたたちが従ってるモノクマってのは、ほんとは江ノ島盾子って人間の女が操ってるのよ?」

 そう言って、精一杯憎らし気に、吐き捨てた。


「あんな女の下に敷かれて、名誉も何もないでしょ、アホらしい」


 精一杯奮起させるように、吐き捨てていた。


    ○○○○○○○○○○


 ぬかるんだ路上で、ムラクモ提督は震え続けていた。
 天龍と佐天の姿が見えなくなってから、彼は堰を切ったように、激情を吐露していた。


「……我々のことなど、叢雲が知っておるはずがなかろう!! 大うつけが!!
 私がこの島で何をしようと、我が崇拝する叢雲は喜びも悲しみもせぬわッ……!!
 こんな狂った島やヒグマのことなど、叢雲は知らないでいて、良いのだッ!!」


 痛む咽喉を押さえ、大粒の涙を零しながら、ムラクモ提督は咽ぶ。
 目の前に突き立てられた駆逐艦叢雲の槍を掴み、額を寄せ、固く目を瞑る。

「……それに、モノクマ殿に信用を置けぬと言うことなど百も承知よ。
 だが我々の目的を達する手段と道具を得るには、彼の者やロッチナの下が最も適していた。それだけのこと……!!」


 ふらふらとぬかるみの上を戻りながら、ムラクモ提督は止め処なく心情を零してゆく。
 彼の言葉を聞く隊員たちも、震えていた。
 その震えは決して、氷漬けにされたことによる寒さからだけのものではなかった。


「初めは、私も期待に胸を躍らせていたことがあった。あの駆逐艦叢雲と語らい、共に作戦を遂行できることがあるのやも、と。
 ……ことによったらあの御御脚で踏んでもらえたりするのやも、とな。
 だが、ゴーヤイムヤたちと建造した現場にできていたのは……、彼女のマストだけだった」

 彼はそうして、結氷したぬかるみの上に、駆逐艦叢雲の帆柱を突き立てた。
 新型高温高圧缶からの熱を受けて、そのマストの槍から徐々に、隊員たちを覆う氷は溶けてゆく。


「私はその時悟ったのだ。艦娘の複製體を作ることなど、許されざることなのだとな。
 真に気高い軍艦ならば、我々ごときの要請に応じて肉体に降りてくることなど有り得ぬのだ。
 ……島風やビスマルクの有り様など、わざわざこの世へ狂いに来たとしか思えなかった。
 彼女たちの名誉は、彼女たちが存在しているからこそ、地に落ちてしまったのだ……!!」
「私どもも、ムラクモ提督とお気持ちを一にしております。
 我々のような戦うことしかできぬ下賤の者が、艦娘たちと交歓するなど、本来あってはならないことです。
 それは艦の名を穢す非行。世が世なら、考えるだけでも恐ろしい思想犯罪です。
 それに応じる艦娘など、癲狂者に違いありません……」

 羅馬提督が、悲哀に満ちたムラクモ提督の言葉に、応じた。


 ヒグマの肉から作られた、人間の姿をした、軍艦。
 捻じ曲がり、狂った己の出生や来歴に一切の疑問も抱かず、初めて見たばかりの獰猛なヒグマたちを提督と慕うような少女など、第二かんこ連隊の面々には気味の悪い異形にしか思えなかった。
 正しい精神をしているならば、まず己の着任した場所と、周囲の状況に驚き、悩むのが普通だろう。反発もするだろう。
 提督を罵るかもしれない。
 怯えるかもしれない。
 それでも、自分たちの憧れる艦娘ならば、そうした紆余曲折を経て、共闘できるかもしれない――。
 その馴れ初めの過程こそ、彼らの望んでいたものだった。
 そんな期待を、うっすらと抱いていた時期もあった。

 だが、ムラクモ提督は建造に失敗した。
 そして彼らの予感は、確信に変わった。

 崇高な艦娘ならば、自分の身をこんな乱痴気の島に落とすことは有り得ないのだ。
 いくら建造しても、出てくる訳はないのだ。

 艦娘を尊敬している。大好きでもある。
 その装備や戦術の一つ一つまで、愛さずにはいられない。
 だからこそ、見ていられない。
 ならばこんな不名誉を艦に与え続けている島の現状を、狂ってしまった羆製艦娘を、そしてゆくゆくは元凶たる自分たちヒグマの存在を、糺さねばならない――。
 そのための闘争と、邪魔者の殺滅。艦娘の掃討。そして最終的な自分たちの戦死。
 そこに一切の妥協は許されない。

 それが第二かんこ連隊の共通の認識だった。
 そう思っていた。

 だが羅馬提督は、体表と艤装の氷を溶かされながら、ムラクモ提督に向け、こうも続けた。


「……ですが天龍は、我々が作り出してしまった不憫な羆製艦とは、違うのではないのでしょうか?
 私どもは、この島のことしか知ってはおりません。
 彼女の帰るべき鎮守府には、帰るべき生活には、私どもの知り得ぬ名誉が、あるのではないでしょうか?」


 天龍は、球磨と共にこの島へ意に反して連れて来られてきてしまった、外来の艦娘だった。
 この島の羆製艦娘とは違う。
 思考から狂っている穢れた娘どもとは、違っているのかも知れない。

 羅馬提督からその事実を指摘され、ムラクモ提督は、暫し沈黙した。
 それはムラクモ提督が、羅馬提督が、彼女たちと戦った中で、漠然と抱いていた感覚でもあった。


「……軽巡天龍の撃沈は後に回す。総員、装備を整え南方へ向かうぞ。
 まずは未沈没の羆製艦の探索および掃討を優先する……!!」
「了解いたしました……!」


 動き始めた隊の先頭で牙を噛み締め、ムラクモ提督の心中にはもやもやと煮え立つ、払拭しきれぬ思いがわだかまっていた。


【D-4 街/夕方】


【ムラクモ提督@ヒグマ帝国】
状態:『第二かんこ連隊』連隊長(ミリタリーガチ勢)、輪状軟骨骨折、胸に焼けた切創
装備:駆逐艦叢雲の槍型固有兵装(マスト)、軍服、新型高温高圧缶、61cm四連装(酸素)魚雷×n
道具:爆雷設置技術、白兵戦闘技術、自他の名誉
[思考・状況]
基本思考:戦場を支配し、元帥に至る名誉を得るついでにヒグマ帝国を乗っ取る
0:天龍よ、今一度相見えよう……。
1:ロッチナの下で名誉のために戦う。
2:邪魔なヒグマや人間や艦娘を皆平等に殺して差し上げる。
3:モノクマを見限るタイミングを見計らう。
※艦娘と艦隊これくしょんの名誉のためなら、種族や思想や老若男女貴賎を区別せず皆平等に殺そうとしか思っていません。
※『第二かんこ連隊』の残り人員は、羅馬提督ほか50名です。


    ○○○○○○○○○○


「……ったく。もともとこっちのサーチライトは壊れてたとはいえ、これじゃやられ損だ。
 本当に、振る舞いさえまともなら何にも言わねぇのによ、俺らは……」
「まぁ……、私は色々、気づかせてもらったことは、あったけどね」

 森に近い街のぬかるみを歩きながら、佐天は天龍の顔の傷に手を翳していた。
 デイパックを抱え直し、切創に当てる腕には、山吹色の波紋が生じている。
 ムラクモ提督に斬りつけられた天龍の傷口は、もともと焼かれて止血されていたこともあり、程なくして塞がっていった。

 佐天の言葉に、天龍が問い返す。

「……あの、氷漬けか?」
「それもあるけど……、あのヒグマたちって、こっちから来たじゃない?
 江ノ島盾子の本拠地がこっち側にあるのなら、やっぱり初春の連れ去られた方角も、これで合ってるんじゃないかって」


 手当を終えた佐天が指し示したのは、今向かっている東側の街並みだ。
 北東方向へ路地を進んでいくにつれ、佐天の鼻に届く臭いはどんどんと強くなっていく。
 ムラクモ提督たちがやってきたのも、このE-4方向の街並みからだった。
 この近辺に、地下へと繋がる通路か何かがあるのかも知れない。
 天龍が頷く。
 佐天の予感には正直半信半疑だった面があったのだが、状況証拠を鑑みるに、可能性は高く思えた。

「……確かに。島風と出会ったのも、山の真北だった。
 もし艦これ勢の輩とあの女が繋がってるとするなら、やはりこっち方面、なのか……」
「……初春を、奪還する……!」


 武者震いのように、佐天は眼を見開いた。
 その髪も肌も、みずみずしさを失っている。
 ボロボロの制服は、漂白された色を通り越して、繊維が劣化して縮れてきている。
 白い花の髪飾りは、花弁がひとつ欠けてしまっている。
 3つのデイパックが、細い肩に食い込んでいた。


「……怖いか?」


 天龍は、不安と共に問わずにはいられなかった。
 折れてしまいそうに細いその少女は、眼を見開いたまま、はっきりと言った。

「大丈夫、怖くない」

 そして今一度、念を押すように、頷きながら言った。


「私、自分が怖くない」


 その目は、依然として乾いていた。
 だが、その奥の黒さだけは、深かった。


「言ってくれたよね天龍さん。自分を怖がらないでいいって。
 本当、そう思う。ありがとう、天龍さん」


 そうして佐天は笑顔を浮かべる。
 乾いた肌でも、その笑みには、力強い張りが感じられた。

 その笑顔を見て、天龍は自問した。

 ――良かったのだろうか。
 自分には佐天涙子という少女に、こんな修羅の道を歩ませようとしている。
 彼女は内地の女学生だ。
 自分が、守ろうとしていた対象のはずだ。
 だが彼女は、自分を超える強大な力を手に入れてしまった。
 鬼神のような、力だ。

 49頭。
 自分がヒグマ1頭と一騎打ちしている間に、彼女は実に49頭ものヒグマを手玉にとってしまっていた。
 自分のアドバイスが、本当に彼女のためになったのか、それがわからない。

 提督も、僚艦も、既に誰も、天龍の行動の是非を判断してくれる者はいない。

 幼少の頃より人を斬って来た少年兵などは、陸軍だけでなく、海軍の天龍も、戦地ではよく見かけていたものだ。
 それは戦争が生み出してしまった、若い修羅だ。心に鬼を飼う修羅だ。
 佐天涙子の目が、天龍にはそんな兵士たちのものに、重なって見えた。


 裡に鬼を飼う。
 それは程度の差こそあれ、あらゆる人間の有り様には違いない。
 鬼を飼い慣らす手段を知らねば、食い殺される。
 なおのこと戦地においては、それは紛れもない事実だ。
 それは天龍もわかっている。
 だがそれを、こんな少女に強要せねばならなくなる己の力不足が、もどかしくて仕方が無かった。

 今回は、たまたま殺さずに済んだ。
 たまたまだ。
 天龍ですら、完全に非武装非応戦でムラクモ提督を無力化することは、できなかった。
 だが今後、どんなに心で不殺を誓っていても、また命を奪わねばならない局面は訪れるだろう。
 その時に、今度こそ彼女の心が持つのか、天龍の不安は収まらなかった。


 考えを巡らせているうちに、二人の足取りは、森の端に掛かろうとしていた。
 佐天が、鼻腔に息を含ませながら、素足の歩みをその内部に踏み込ませてゆく。

「この、森の先からよ……」
「そうか……、皇たちを弔える場所も、あるといいんだが……」

 デイパックを抱え直し、二人は意を決して歩んでゆく。
 江ノ島盾子の、艦これ勢の本拠地が、この先にあるのかも知れない――。
 そんな予測で、踏み込んでいた。

 だが二人の考えは、その一歩目で、裏切られていた。 


「え……!? なに……、これ」
「なんでこんなに、大量の血が、こびりついてるんだ……!?」


 森の内側に踏み込んだとたん、その異相は一目で彼女たちにもわかった。
 真っ赤な血液にしゃぶり尽され、立枯れたような木々が、その森の中の大部分を占めていた。
 何があったのか、わかりようも無い。
 ただ確かなのは、只事ではない危機と戦闘が、この森の一帯を通り抜けていったのだろうということだけだ。

 佐天は、息を呑んで、北東の方へ走り出していた。
 天龍が、慌てて追い縋った。


「初春……ッ!!」
「あ、おい――、待て、涙子、逸るな!!」


 暗い暗い森の奥を、赤い色を追って、走り抜ける。
 心よりも速く速く、あの笑顔を追って、歪の先へ。


【E-3とE-4の境 森の端/夕方】


【佐天涙子@とある科学の超電磁砲】
状態:深仙脈疾走受領、アニラの脳漿を目に受けている、右手示指・中指が変形し激しい鱗屑が生じている、衣服がボロボロ
装備:raveとBraveのガブリカリバー
道具:百貨店のデイパック(『行動方針メモ』、基本支給品、発煙筒×1本、携帯食糧、ペットボトル飲料(500ml)×3本、缶詰・僅かな生鮮食品、簡易工具セット、メモ帳、ボールペン)、アニラのデイパック(アニラの遺体)、カツラのデイパック(ウィルソンの遺体)
[思考・状況]
基本思考:対ヒグマ、会場から脱出する
0:初春……、初春……、初春……。
1:人を殺してしまった罪、自分の歪みを償うためにも、生きて初春を守り、人々を助けたい。のに……。
2:もらい物の能力じゃなくて、きちんと自分自身の能力として『第四波動』を身に着ける。
3:その一環として自分の能力の名前を考える。
4:『凍結海岸(フローズン・ビーチ)』……。
5:本当の独覚だったのは、私……?
6:ごめんなさい皇さん、ごめんなさいウィルソンさん、ごめんなさい北岡さん……。ごめんなさい……。
[備考]
※第四波動とかアルターとか取得しました。
※左天のガントレットをアルターとして再々構成する技術が掴めていないため、自分に吸収できる熱量上限が低下しています。
※異空間にエカテリーナ2世号改の上半身と左天@NEEDLESSが放置されています。
※初春と協力することで、本家・左天なみの第四波動を撃つことができるようになりました。
※熱量を収束させることで、僅かな熱でも炎を起こせるようになりました。
※波紋が練れるようになってしまいました。
※あらゆる素材を一瞬で疲労破壊させるコツを、覚えてしまいました。
※アニラのファンデルワールス力による走法を、模倣できるようになりました。
※“辰”の独覚兵アニラの脳漿などが体内に入り、独覚ウイルスに感染しました。
※殺意を帯びた波紋は非常に高い周波数を有し、蒼黒く発光しながらあらゆる物体の結合を破壊してしまいます。
※高速で熱量の発散方向を変えることで、現状でも本家なみの広範囲冷却を可能としました。
※ヒグマードの血文字の刻まれたガブリカリバーに、なにかアーカードの特性が加わったのかは、後続の方にお任せします。


【天龍@艦隊これくしょん】
状態:小破、キラキラ、左眼から頬にかけて焼けた切創
装備:日本刀型固定兵装、投擲ボウイナイフ『クッカバラ』、61cm四連装魚雷、島風の強化型艦本式缶、13号対空電探
道具:基本支給品×2、ポイントアップ、ピーピーリカバー、マスターボール(サーファーヒグマ入り)@ポケットモンスターSPECIAL、サーフボード、島風のデイパック(島風の遺体)
基本思考:殺し合いを止め、命あるもの全てを救う。
0:涙子の嗅ぎ当てた方向に向かう。
1:本当に大量の血が……!? 一体、この先に、何がいるんだ……!?
2:迅速に那珂や龍田、他の艦娘と合流し人を集める。
3:金剛、後は任せてくれ。俺が、旗艦になる。
4:ごめんな……銀……、島風、大和、天津風、北岡……。
5:あのヒグマたちには、一体、何があったんだ……。
[備考]
※艦娘なので地上だとさすがに機動力は落ちてるかも
※ヒグマードは死んだと思っています
※ヒグマ製ではないため、ヒグマ製強化型艦本式缶の性能を使いこなしきれてはいません。

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最終更新:2016年01月05日 14:09