四宮ひまわりは知っている。
 この眠気には抗えないのだということを。

 ふと気を緩めてしまえば、周りに犇めいている人の気配や声など、簡単に意識の水底に沈み広がっていってしまう。
 気が付けばそこは、茫漠と広がる、深海だ。
 だが、そこは暗くもなく、寒くも無かった。

 周りには何も見えない。
 何も見えないながら、温度だけで色を感じる。
 赤い。
 深い深い赤さだ。

 眼を開けていた時に見えていた暗闇から、滲みだすように瞼の裏に赤色が広がってゆく。
 起きていた時に震えていた冷たさではなく、暖かなヒトの温もりが、そこにはあった。

 体の周りから、世界の全てへと広がる、柔らかな赤。
 四宮ひまわりは、その色の深くへと潜ってゆく。
 息苦しさはない。
 ただ安堵感だけがある。
 周りに、ヒトを感じるのだ。

 あらゆるヒトの、体温でできた赤の中を、ゆっくりと彼女は泳いでいる。

 そうして、ひまわりは何かを探していた。
 何を探しているのかは、思い出せなかった。


    ≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠


「……イーシュケ……、ア、ラフタル……。
 ジョラーンナ……、テルチェ……」

 彼女の口が、ふと聞き慣れない言葉を呟いていた。
 その寝ぼけた声色に、ハッと少女が振り向く。

「Wake up……! 起きて、四宮ひまわり……!」
「……ふあ?」

 四宮ひまわりのほほが、軽く叩かれる。
 暗闇の中で、布束砥信の心配そうな表情が、彼女の目の前にはあった。

「ああ、布束さん、おはよう」
「お早うじゃないわ……。意識の持ってかれる頻度が増してる……!」

 苦い声を漏らす布束砥信は、その半眼を顰め唇を噛む。
 白衣を纏う布束の指先が、ひまわりの肌を撫でた。
 感覚が鈍い。
 横目で見やれば、布束砥信に触れられている左腕は、皮下を這い回る太い木の根で膨れ上がり、もはや人間の腕の形をしていなかった。
 顔もそちらに振り向けられないので、どうやら首筋から顔面にまで『童子斬り』の侵食が進んでいるらしい。

 薄ぼんやりとした暗い視界には、布束砥信以外に、間桐雁夜、田所恵、穴持たず104テンシといった面々の心配そうな表情が垣間見える。
 みな揃いも揃って、通夜にでも出てきたかのような沈鬱さでもって四宮ひまわりのことをのぞき込んでいた。

「ふふ……、どうしたのみんな。大丈夫大丈夫、何も心配ないよ。私はただ寝るだけだから」
「本当に大丈夫なの……!? だってそれ、龍田さんと戦ってたあの黒ずくめの人のなんでしょ!?」

 田所恵が、あまりに緊張感のないひまわりの言葉に声を絞る。
 だがひまわりは至って冷静に彼女に答えた。

「間違いなく大丈夫。だってあの黒い変人は間桐さんがわざわざこの木を抜いたせいで狂ったんだから。
 龍田がやられたのはむしろ間桐さんのせい」
「ちょっと待ってくれよ!? どうしてそうなるの!?」

 ひまわりに指を突きつけられ、間桐雁夜は抗議の声を上げる。
 まだひまわりの、右腕は動いた。

「……確かにそれはそうかも知れない。でも、そもそも示現エンジンが崩壊しかけたのは童子斬りのせいではない?
 思考も清明なようでいて、すでに何かしら影響を受けている可能性があるわ、四宮ひまわり」
「あ、あの……。寄生虫の中には、患者さんの免疫能力を抑える物質を分泌するものが多いです。その木も、そういう種類なのかも……」

 雁夜のフォローというわけでもなく、布束砥信はひまわりの言動を分析する。
 穴持たず104も付け加えたように、医療者の立場からみれば四宮ひまわりの状態は一刻の猶予もない。

 既にどれだけの組織が侵食されているのか。
 一体どうすれば除去できるのか。
 除去したところでこの後、四宮ひまわりは果たして無事でいられるのか。
 神経精神医学者に過ぎない布束と、ヒグマの医療者とはいえ研修中の看護師に過ぎないテンシとでは、その予測もたたない。
 そもそも、倒壊した診療所の下に半ば生き埋めとなり、流れ落ちてはさらなる地下に消えてゆく下水道の津波に肝を冷やしている現状では、この場の誰一人の命すら、生存の予測ができなかった。


「うん……。まあ脳内分泌を操作されてるのは明らかだよね……。
 私がこんなに落ち着いてられるのも、この木のおかげかな……」


 四宮ひまわりは、そうして現状を認識しながらも、ひたすら冷静だった。
 慌てたり恐れたりしようとしても、できない。
 この木の危険性も、この状況の危険性も認識しながら、彼女は自分でも驚くほど、安堵しか感じなかった。

 上を倒壊した診療所、下を深い地下洞と水脈に塞がれているこの空間を、彼女たちが自力で脱出するめどは立たない。
 ただ彼女たちは、上からならば暁美ほむらたちが、下からならばビショップヒグマが、生き残って助けに来てくれることを待ち続けることしかできないのだ。
 だが裏を返せば、待つだけでいい。
 その現実を四宮ひまわりは、ただ淡々とした安堵を以て見つめている。

 そんな中で彼女たちにできることは、ただ会話を、続けることだけだった。


「私、さっき……。赤いジャムの中で、泳ぐ夢を見てた」
「赤い、ジャム……?」


 ひまわりの呟きを、間桐雁夜が拾った。
 彼の応答に続けてその場の全員から言葉が返る。

「覚醒剤のトリップの症状みたいに聞こえるわ……。
 この童子斬りが、何か幻覚でも見せているのかしら」
「甘そうで……、息苦しそうな夢ですね……」
「プリザーブドスタイルだったんですか……?」
「それがぜんぜん苦しくなかった。プリザーブドだったかはわかんないけど。
 赤くて広くて、暖かくて……。ここにいるみんなの体温を、感じられた」

 思い思いに皆が言う中で、雁夜だけは、暫く思考を巡らせてから言葉を返した。


「わからないが……、夢や無意識の中で見えたそういう大きなイメージなら、『阿頼耶識』かも知れない」
「荒屋敷?」
「人間の集合的無意識。世界の抑止力を形成する莫大な力のことだ」

 間桐雁夜が語ったのは、魔術師の間では半ば常識といってもいい、その道の代表的な障害についてだ。
 そもそも魔術とは、根源の渦に到達するための手段であるが、本来至ってはならぬその極限への道には、常にその歩みを妨げようとする内在的な力が存在している。
 それが、魔術師自身を含む全人類の無意識によって構成される力、『阿頼耶識』である。
 有り得べからざる異端に進もうとする歪みを修正し、排除し、世界を安定させる方向へと常に働く力だ。

「ユングの提唱した『元型(アーキタイプ)』ね。
 フロイトが無意識を個人的なものに限って考えたのに対し、ユングはさらにその底に人類共通の生来的な無意識の相があると考えた。
 それが意識化されるとき、ある種の類型化されたイメージとなって現れる。とは言われているわね」

 雁夜の説明を、ある種、腑に落ちたように布束砥信が繋いだ。
 心理学の分野においても、この魔術の概念に相当する存在は提唱されている。

「緩衝液(バッファー)みたいなものでしょうか? 血液とか……、リンゲル液みたいな」
「そうね、両極への動きを緩衝しようとする力としては近いのかしら。
 陶淵明の三つの自己でいう、『神』のようなものでしょうから」

 頭をひねっていたテンシが、持っている知識で近いものを挙げる。
 体内の環境を酸性にもアルカリ性にも傾きすぎないように調整している血液は、一種の強力な緩衝液であると言えた。

「血液の……、ジャムですか……?
 見た目としてはブラッドプディングみたいな代物になるんでしょうか」
「プリンかどうか知らないけれど、代表的なイメージには……。
 男性における女性のイメージの『アニマ』、女性における男性イメージの『アニスム』などがあるらしいわ。
 《魂》《風》《呼吸》《心》《生命》などを意味するものね」

 田所恵が挙げた料理は、プリンはプリンでも、動物の肉や内臓、血液で作られたプリンであり、実際のところはソーセージに近い。
 好みは分かれるが美味であり、栄養価も高い。
 聞いていた四宮ひまわりの口の端から、よだれがこぼれた。


「あ……、美味しいよね……。恵ちゃんのブラッドプディング……」


 その呟きに合わせるように、暗闇の中でもはっきりわかるほど、ひまわりに巣喰う童子斬りの根が蠢いた。
 同時に急速に意識を失いかけるひまわりの頬を、布束が慌てて叩く。
 ひまわりが再び目を覚ますまでのわずかな間にも、狼狽する一同の元にその根は這い寄り始めていた。

「起きて! 起きて! しっかりしなさい!!」
「痛い……。布束さんそんな強く叩かないでよ……」
「こっちの痛覚はまだ生きてるのね!? 良かった……」

 互いの皮膚が赤く腫れるほどの勢いで強くひまわりの右頬を叩き、布束砥信は息をつく。
 四宮ひまわりが目を覚ますのに必要な刺激も、徐々に増してきていた。
 その様子に、雁夜は濁った左目を歪ませて唸る。

「食欲だ……! 今まで見てたので確信した。結局こいつの性質は刻印虫どもと一緒だ。
 魔力にしろ何にしろ、吸い上げられる養分なら何でも吸い上げたいんだ。そして宿主の組織に置き換わる……!」

 周囲の地盤のほとんどには、既にこの分枝した童子斬りの根が蔓延っている。
 もはや延びる場所がなくなったために末端があふれ出てきたのか、それとも雁夜たち自身を狙って延びてきたのかは判然としないが、どちらにしても、相当切羽詰まった事態であることには変わりがない。

 木の根に現在進行形で侵食されてゆく四宮ひまわりの姿は、刻印虫に蝕まれていた雁夜自身の姿に重なって見えた。
 可愛らしかったその少女の身が、徐々に徐々に、一年前の自分のように痛ましく侵されてゆくのを看過することなど、雁夜には耐えられなかった。


「なぁ、さっき、何か詠唱してただろ。ひまわりちゃんはあれでこの根っこを抑えてたんじゃないのか?
 体を侵食するこの根を逆に魔術回路として利用して、自己封印をかけるんだ……!」


 そうして考えを巡らせた末に、雁夜は一つの解決策を思いついていた。
 先ほど目を覚ます直前に彼女が呟いていた奇妙な言葉が、雁夜の記憶の片隅に引っかかっていた。

「……私、何か言ってた?」
「あ、うん、確かに言ってたよ。イーシュケ・ア・なんとか、ジョラーンなんとかとか」

 田所恵が、ひまわりが寝ぼけたように呟いていた言葉を、思い出せる限りで復唱する。
 ひまわり自身もよく覚えていないその言葉に、雁夜は顎をかいて思考を巡らせた。


「ゲール語……、アイルランドとかケルト系の言葉に聞こえたな。
 Uisce(イーシュケ)が水、Deora(ジョラー)は涙とか、そんな意味だったはずだ」


 大した間もあけずその口から訳語が飛び出すと、その場はしばらく沈黙が支配した。
 その周囲の反応に、語った雁夜がまごつく。

「ど、どうしたみんな?」
「ア……、アイルランドって……!?」
「ん? イギリスの一部だよ。クー・フーリンとか、そこそこ有名な英雄がいたところ」
「いや、そうじゃなくて……。間桐さんアイルランド語なんてわかるの!?」

 四宮ひまわりが、驚きに口を開けていた。
 ほかの者も、暗闇の中でそれぞれに同意しているのが伺える。
 純粋に彼女らは驚いていたのだが、雁夜はどうにも、今まで自分が軽んじられてきた感を強く覚えて嘆息した。

「いやそれは、ジャーナリストだし魔術師だし……。俺だってそれくらいは知ってるよ」
「それで、それが詠唱というのと関係があるの? 医学的に除去困難だから、それこそ魔術にでも頼るしかないわ」
「まあ、無意識下の領域で出てきた言葉だし……。俺が刻印虫にやられてた時みたいに、本能的な自己防衛が働いてもおかしくないんじゃないかと」

 布束砥信からの問いに、雁夜は自分の経験と重ね合わせながら答えた。


「そういえばあなた、童子斬りに命令を与えてすらいたわよね」
「あれは英語だったし……。単純な入出力系にならプログラミングみたいにできるかと思っただけ」

 布束が思い出したのは、示現エンジンの管理室で、四宮ひまわりが初めてその切れ端を手に取った際のことである。
 その際彼女が使っていた言語は、もちろんアイルランド語などではなかった。
 だが雁夜は、憮然としたひまわりの言葉に首を振る。

「魔術も、つまりは肉体を回路としてプログラムを実行させる手法だ。
 詠唱はその回路に流すソースコード。合う合わないは確かにあるが、その人の回路が理解できるなら何語だって別にいいんだ。
 遠坂はドイツ語使うし。間桐はロシア系だが。まあうちの呪文をドイツ語で言おうが日本語で言おうが魔術は使えるんだ」
「結局、自分の体がコンパイラになってるというわけね。一度、あなたは確かに童子斬りというアプリケーションにプログラムを実行させたのよ」

 四宮ひまわりは、無言のままに彼らの話を聞いた。
 つまり彼女は、既に童子斬りという妖刀に適合しているのだ。
 魔術回路として組み込まれている、神経系が接続している、プログラミング言語をコンパイルできる。
 状態を示す言葉に差はあれど、それはひまわりが、童子斬りの侵食を逃れ、助かるかもしれない確かな可能性を示していた。

 雁夜がひまわりの元ににじり寄る。
 ぼんやりとした彼女に向け、やさしく語りかけていた。

「あのなひまわりちゃん。まさか、うちのクソジジイの言葉を人に教えることになるとは思わなかったが。
 こういう輩を『支配』するには、まず心を通わせることが必要になるらしい。
 体を食われながらも、家族や相棒、ペットのように……。無意識からそう思い込んで、阿頼耶識の力すら使う気概で。
 ……俺が究められたかどうかは甚だ疑問だけどな」


 彼の言葉は、ひまわりの耳に遠く届いた。
 既に彼女の眼は、瞼の裏に真っ赤な海を見ていた。

 太陽のように赤く燃える、ユニティーなヒト科の音を立てて、指先に甘い温もりが、触れていた。


    ≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠


「待っててね龍田さん……! すぐにゴーヤイムヤたちと合流するから!」
「しっかりして! もうすぐよ! すぐ助けてもらえるからね!」
「ええ……」

 島のさらなる地下には、水浸しになりながら水脈を漕ぐ、幾十頭ものヒグマの群れがいた。
 彼らが抱えているのは、傷だらけになった一人の少女だった。

 その少女、艦娘の龍田は、半身を爆傷に焼かれ、半死半生のままヒグマたちの腕に力なく横たわっている。
 探照灯で照らす地下水脈の中を踏み歩き、水圧に抗って懸命に彼女を運んでいるヒグマたちは、龍田提督率いる第七かんこ連隊の面々だった。

「龍田提督、なんか水かさが増してない!?」
「ええ、音が聞こえたわ天龍提督。ゴーヤイムヤが下水道を割ったのかも! 龍田さん濡らさないでね!」
「わかったわ!」

 野太い彼らの声音を聞きながら、龍田はぼんやりと、頭に浮かんだ疑問を問う。


「……ねぇ、あなたたちって、結局、どういう集まりなの? なぜ私を助け、なぜこの国と、争っているの?」
「何って……、え? 龍田さんわからないの!?」
「わかるわけないでしょう……? 私はヒグマ提督とやらにも会ってないんだから……」

 先頭から振り向いた龍田提督は、驚くのもそこそこに、探照灯を振り振り、答えた。

「そうねぇ……。結局、ただアチシたちは『艦これ』が好きなだけのヒグマよ。でもこのヒグマ帝国は、ただのそれだけのアチシたちの話を聞いてくれなかった。
 欲求不満が溜まって溜まって。それでパッションがスプラッシュしたって、それだけのことよ。
 とにかく上層部の奴らを取り押さえて、言うことを聞かせられればよかった……。それなのに……」

 彼が思い出していたのは、第七かんこ連隊の一同を、身を挺して守った形になる、ツルシインのことだった。
 敵対していた相手なのにも関わらず、彼女の計略のおかげで、彼らは傷一つなく喫茶店での戦闘から生還していたのだ。

「イッちゃった後って、本当に虚しいのねぇ……。初めて、アチシたちは目の前で死というものを見てしまったわ。
 艦娘が轟沈してしまった時のような悲しみ。虚しさ。画面の向こうではなく、実際にそんな衝撃を経験してしまったのは、本当に初めてを喪失した時みたいだったわ……。
 子日提督ちゃんとか、卯月提督ちゃんなら、きっとわかってくれるかもしれない。
 もうそろそろ、何をするにしても穏便に交渉するのがいいはずだわ」
「そう、ね……」

 龍田提督が語ったのは、規模が小さければ、何の変哲もないグループ内の不満でしかなかった。
 事実、背後で頷いている第七かんこ連隊のヒグマたちを含め、第一、第四、第五、第六、第八、第九、ヒグマ提督など、艦これ勢の多くは元々タカ派ではなくハト派寄りだったと言える。
 『パッションがスプラッシュした』とは言っても、ある種の事件をきっかけに不満が爆発しただけにしては、不自然な点も多い。


「……でもあなたたち、ただ激情で動いたにしては、組織立ち過ぎてるわ」
「ああ、それは穴持たず677――、ロッチナがうまく采配してくれたから。
 近い仲間で固めてくれたから、喧嘩もせず過ごせていいわ♪」

 続く龍田の疑問に、龍田提督はキャハッ、と華やいだ声を上げる。
 聞き慣れないうちは一瞬背筋が寒くなりそうな裏声だった。

「アチシたち『姉妹丼勢』はね、本当姉妹が大好きなの! 見るもよし、なってもよし、ヤッてもよし!
 本当に姉妹って素敵! 女の子同士の強固な繋がりって、やっぱり男なんていう汚らわしいブタどもにはない崇高さがあると思うの! ね、そうでしょ?」
「そうなの! この第七かんこ連隊はみんな、心の通じ合った義姉妹(ぎきょうだい)なのよ!」
「……そう」

 周囲で浮かれあう重低音の声には突っ込みどころしかなかった。
 何しろ全員ツッコむものがツイてるくらいなのだが、龍田には生憎と突っ込む体力などなかった。
 代わりに彼女は、龍田提督に向けて、前々から気になっていた不安を恐る恐る切り出していた。


「……ということは、あなたなんかは、私や天龍ちゃんを、手籠めにしたいと思ってるわけ?」
「え、アチシが!? いやいや、そんなわけないじゃない! 勘違いしないでちょうだいな龍田さぁん!」
「そうよそうよ! 俺らなんかが龍田さんや天龍ちゃん襲うなんて、そんな失礼なこと有り得ないわ!」
「……どの口が言うのかしら」

 先の喫茶店でこの連隊の50頭は、中破状態だった龍田のセクシーポーズに惹かれるようにして地下水脈へ落下していた。
 どう考えても龍田には、彼らが自分の色気に惹かれた、引いては自分に性的欲求を持っているものだとしか思えないのだ。
 だが彼らは、雁首を揃えて龍田の言葉を否定する。


「龍田さんは絶対に天龍ちゃんに看病してもらわなきゃ!
 そうして、命を懸けていた妹の姿に涙を零す姉! 熱に浮かされながらも気丈に微笑む妹!
 傷だらけの肌に光る玉の汗! 透けるほどに濡れる下着! 少しずつ近づく唇!
 ベッド脇に生まれる、力強く甘い姉妹愛の花園! これよ! このシチュこそ最強でしょ!!」
「わかった。わかったわ……。わかりたくないけど、まぁ……」

 龍田は熱弁を振るう彼らの主張を、頭痛を感じながら聞き流す。
 とにかく自分や天龍などに危害を加えるつもりはないらしいことが分かっただけで、龍田には十分だった。

「あなたたちは、自分の好きな艦娘の名前を冠してるようだったから……。誤解するのも仕方ないでしょ?」
「ああ、それもそうかしら……。みんな基本的には、好きなものを名前にしてるものね」
「全員そうなの……?」
「ええ、チリヌルヲなんかは、深海棲艦みんな好きなの。それで特に、その『散りぬる(命が尽きてしまう姿)を』愛してるから。
 深海棲艦どころじゃない守備範囲だから、今の龍田さんなんかは絶対にアイツの前に行っちゃダメ。トドメを刺されちゃう」

 基本的に、艦これ勢の面々は生まれてからの生活のほとんどが艦これだったため、それ以外のもので自分を命名するというのが難しい傾向にある。
 艦これに関連するものの中で一番自分の好きなものを名前にするというのは自然な流れであろう。

 そうなってくると気になるのは、先ほどから第七かんこ連隊が合流を目指している、『ゴーヤイムヤ』というヒグマだ。
 名称からは、2体の潜水艦の存在が漂ってくるのだが、『2体』というのはやはり特異な例に思える。


「さっきからあなたたちが期待している、ゴーヤイムヤというのは? 伊58と168が好きなわけ?」
「ゴーヤイムヤは……、色々複雑な事情があるのよ。
 もともとあの子『たち』は、穴持たず158『苺屋(イチゴヤ)』さんと、穴持たず168『仏屋(ホトケヤ)』さんって呼ばれてた」

 チリヌルヲ提督の例とは違い、龍田提督はその話を切り出す前にわずかに悲しげな顔を見せた。


「……ヒグマ帝国の事務班にいたの。シロクマさんの下ね。あの方はなんかお店の名前を付けるのが好きみたいで。
 イチゴヤさんはすごい精度で胃の中のものを吐き出すことができて、ホトケヤさんは牙で色々な精密機械細工をすることができた。
 帝国の発足当初は、色々忙しく働かされてたみたいよ、シーナーさんたちの身代わりとして研究所で振る舞ったりとか。
 根回しとか計画性とか技術とか全部身に着けて……、大変だったでしょうねぇ……」

 龍田提督の知っている限りでも、シロクマさんもとい司波深雪による研究所への欺瞞工作において、苺屋と仏屋という二体のヒグマは大きな役割を担っていたらしい。
 消化液や胃石を吐き出して方々に侵入経路を作り、監視カメラや防犯機構に小細工を施していくなど、その活躍はなかなかに目覚ましいものがあったようだ。

「……でもそのうち、彼女たちはシロクマさんから忘れられていった。
 楽しみにしていた喫茶店からも追い出されて、今までの功績なんてなかったかのように、一顧だにされなくなった」

 同僚だったヤイコが、それでも粛々と事務を続けていたのに対して、シロクマの直属として大役を担っていた彼女たちの思いは、そんな風に我慢できるようなものではなかった。


「……第十かんこ連隊は、みんなそれこそ、潜水艦のように内に潜めた恨みや欲望を抱えたヤツばっか。
 でもそれには、ちゃんと理由がある。みんな性根は、どこまでも真っ直ぐなヤツなのよ。
 きっとあなたのことも助けてくれるはずだわ、龍田さん」
「そうデスか。アナタ方もみな共謀者でアルと」

 龍田提督がにっこりと微笑んだ時だった。
 水面から突如、おどろおどろしい淀みのような声が湧いた。

 直後、その周囲一帯の水が逆巻き、瞬く間に50頭の第七かんこ連隊の全員を取り囲んでいた。
 手足を封じ、首筋にぴたりと地下水が張り付いてくる。
 そうしてその水は、驚愕に動けぬ龍田提督の耳元に、牙を剥き出して口を開いた。


「真っ直ぐだろうガ捻くれてヨウガ。私はアナタ方全員、3秒で溺死させてやれまスから。
 ……覚悟してクダサイ。この、テロリストども……!」


    ≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠


「Wake up……! Wake up――!!」
「起きろ! 起きるんだひまわりちゃん!!」
「起きて! お願いだよぉ!!」
「お願いしますうぅ――!!」
「……ふあ?」

 四宮ひまわりが再び目覚めた時、周囲の人々の声は以前と違い、あまりにも必死だった。
 ぜぇぜぇと上がる、荒い息の音が辺りを埋めている。
 よくよく目を凝らせば、先ほどまではがらんどうだったはずの防空壕の空間には、道路の植え込みのように木の枝が茂っていた。
 彼らは、暗闇の中で伸びてくる童子斬りの根を、ひまわりに強く声をかけながら踊り逃れ続けていたのだ。

「ひまわりちゃんが意識を失ってから、この根っこ、明らかに俺たちを狙って伸び始めやがった……!
 もう壁も床も天井も根っこだらけだ……!」
「ああ……、ごめん。なんか、のどが渇いて……」

 ひまわりは右手でぎこちなく頬をかき、息をつく間桐雁夜に向けて平謝りする。
 触れ合う自分の肌は、かさついている。
 根は、ひまわりの右半身の方にまで侵食してきていた。


「そういえばひまわりちゃん、さっきまでお肌ぷにぷにだったのに……」
「そうか、海水だから……。塩分が高すぎて相対的に水分不足なんだわ。
 そのために、手当たり次第に水分や養分を取ろうと根を伸ばしてきてるわけね」

 田所恵が気づいたひまわりの異常に、合点がいったように布束砥信は舌打つ。

 ここには、確かに大量の水が今も流れ込んで来てはいる。
 しかしそれは津波によって流れ込んできた海水だ。
 それは植物にも人体にも塩分濃度が高すぎて、逆に脱水をもたらす。
 今まで童子斬りは土に染み込んでいた地下水を吸っていたために影響が出なかったが、それを吸い尽くしてしまえば、今度は流れ込む海水によってどんどん渇水状態になっていく。

 どうにかしてひまわりの意識を保っておくことしか、今の彼らに童子斬りの伸長を防ぐことはできなかった。


「……どうやって、私の眼、覚ましたの?」
「撃ったわ。……そうするしかなかった。ごめんなさい」

 ひまわりが当然の疑問を口にすると、布束は、童子斬りの生け垣の向こうから、彼女の右肩口を指さした。
 視線を落とすと、ひまわりの肩には大きな銃創が開いている。
 伸びてくる童子斬りのせいで近寄ることすらできなくなった布束が、最後の手段として、ドクター・ウルシェードのガブリカリバーで射撃していたのだ。
 しかしその風穴にも、既に童子斬りが伸びてきて、傷を塞いでいる。
 腕が動かしづらいのはこのせいだったか、と、ひまわりは一人納得した。


「お水! お水が必要ですよ! あの、あの、診療所には生食も蒸留水もあります!」
「点滴パックを瓦礫の中から掘り出すつもり……?」
「下には地下水脈があるようですけど、どちらにしろここから動けないことには……」

 穴持たず104も田所恵も、方々に真水の行方を模索するが、その思考は大いなる不可能性に阻まれるだけだった。

「でも、朗報があるよ」

 なおも沈鬱さに満ちる周囲に向け、ひまわりは努めて明るく言葉をかけた。
 顔を上げた皆に向けて指をさす。


「服が完全に乾いた」


 そこには、龍田のワンピース、布束の制服、恵の割烹着が童子斬りの根にひっかけられて揺れていた。
 間桐雁夜を運ぶ、担架を作った際の衣類だった。
 一瞬期待のこもった周囲の視線は、一気に愕然としたものに変わる。

「……ひまわりちゃん。君自身だけが頼りなんだ。君が童子斬りを支配することが唯一の解決策なんだ」

 布束たちが呆れながらもパリッと乾いた衣服を回収している間、雁夜は必死にひまわりに向けて呼びかけていた。
 彼女の顔面は、今や雁夜と同じように左半分を引きつらせていた。
 左の眼は、もう濁って見えていないだろう。
 壁にもたれるまま、もう動くことすらできない彼女の姿に、雁夜は自分の身を、そして蟲蔵に囚われ続けているのだろう遠坂桜のことを、思わずにはいられなかった。


「さっきも言いかけたけど、ちょっと試してみてくれ。心を通わせて……」
「申し訳ないけど、間桐さんなんかの指示に従いたくない」


 だが、雁夜の呼びかけは、ひまわりににべもなく突っ撥ねられる。
 彼女は今まで、ろくに雁夜の言うことに耳を貸してこなかった。
 そしてそれは、これからも同じである、と、目を伏せた彼女の声音が如実に物語っていた。

「……いくら良い人ぶっても、あんな心の中見た後だし。
 ロリコンで人妻寝取ろうとしてる人なんて最低……!」
「くそ……、ひどい言われようだ……ッ!」
「だって否定できないでしょ」

 ひまわりは、歯噛みする雁夜を鋭くにらみつける。
 四宮ひまわりには、この魔術師が、肉体的にも精神的にも汚らわしい男にしか思えなかった。
 だから、ここまでの彼の言動も、全て偽善に思えるのだ。
 シーナーの手によって一般公開されてしまった雁夜の独善的な妄想は、彼女にとってそれほど気味が悪く、衝撃的なものだった。

 ひまわりの反応に溜息をつき、雁夜は慎重に言葉を選び、切り出した。


「確かに桜ちゃんや凛ちゃん、葵さんは特別だ……。
 だが俺は……、女の人や子供はみんな――、好きなんだ!!」


 童子斬りの生け垣の奥から身を乗り出し、拳を握りしめ、雁夜は力強く言い放つ。
 一帯は、水を打ったように静まり返った。
 女性陣は暫く絶句した後に、声に多少の恐怖を込めながらざわつく。

「……より一層ひどくなってませんか?」
「……輪をかけてキモい」
「Helplessね……」
「ペ、ペドフィリアの治療法、今度シーナーさんから聞いておきます……」
「違う! 違うから! 頼むから最後まで聞いてくれ!!
 どうしてこうなるんだ!! 葵さんにはホモ疑惑まで持たれるし……!!」

 雁夜は一同の反応に頭を抱えて唸った。
 彼にできることはもはや、半ばやけくそに叫ぶことだけだった。


「俺はそもそも、こんなに可愛らしい女子供が、ひどい目に遭うのが、許せない。耐えられないんだ!!」


 そのまま彼は、爆発するかのように思いの丈をまくしたてた。

「恵ちゃんの料理はいつも美味かった。身に沁みるほどの心配りは、絶対にいいお嫁さんになれる。
 ひまわりちゃんは機転も利くし、今も十分可愛いのにすごい伸びしろがある。モデルになっても大成できるかもしれない。
 布束さんは自己演出の方法がわかってる。とても妖艶で、あえて抑えているのになお美しさが溢れてる!
 あんただって、看護師としちゃ落第かもしれないけど、人間だったらこっちが守ってやりたくなる愛くるしさに満ちてるんだよ!
 魅力的だろ!? みんな素敵だろ女の子って!? これで好きにならずにいられるかってんだ!」

 田所恵、四宮ひまわり、布束砥信、穴持たず104と、次々に指をさしながら雁夜は語る。
 堰を切った津波のように、その言葉は止まらなかった。


「世界のニュースから悲しみが溢れて、人々は小さな虫みたいに蹂躙されていった……。
 見るたびに痛ましさだけが募って。だから俺は、間桐の家を出奔してから、ジャーナリストになった。
 中東への取材はいつも命がけだったよ。でも撮らずにはいられなかった」

 それは身内にも、思い人にも言ったことのない、彼の率直な心情だった。
 既に夫のある初恋の人への感情を、仕事によって断ち切ろうとしていたせいもあるかも知れない。
 だがその職を選んだ根底はやはり、そんな初恋の人のような素敵な女性たちの命が、心無い争いによって奪われていく現実を、変えたいからに違いなかった。


「報道によって、世界の抑止力を振り向けることで、俺は彼女たちを守りたかった!
 偽善でもいい。ロリコンと罵られてもいい。結局その行為は、俺がヒーローとして持て囃されたいだけの自己顕示欲なのかもしれない。
 そのくせ最後は世論頼みの他力本願かよ間桐の血筋乙、とか言われてもいいよ!
 だけどな、ひまわりちゃん! 俺はただ君を、この場にいるみんなをどうにかして助けたいんだ!
 その心は誓って本当だ……!!」


 肺の中の空気を絞りつくして、雁夜はへたり込んだ。
 全身が傷みきった彼の体は、そうして大声を張り続けるだけでも、すぐに限界を迎えるのだった。
 静まり返っていた女性陣は、しばらくして、互いの顔を見合わせた。

「か、患者さんから褒めてもらったの、初めてです……! 照れちゃいます」
「う、うん。それに、実は間桐さん、すごい尊い思想を持ってらしたんですね……」
「でもねぇ……。言ってるのが間桐さんだから、ちょっとありがたみ薄いね」
「面白いわね。男の人って魔法使いになるとみんなそういう思考になるの?」
「魔術師!! 魔法使いっていうと違う意味に聞こえるからやめてね!?」

 布束から振られた淡泊な言葉に、雁夜は最後の力を絞って嘆く。
 これでも言葉は届かなかったのかと、力なく彼は四宮ひまわりを見やる。
 だが視線が合うと、彼女はかすかに、笑っていた。


「……ありがたみは薄いけど。真面目に聞くだけの価値は……、あったかな」
「そう……、か……! 良かった!」


 雁夜は、顔をくしゃくしゃにして、笑っていた。
 例えようもないほど醜いその表情も、なぜか今のひまわりには、すがすがしいものに見えた。

「じゃあもう一度だ! まず心を通わせるんだよ。この根っこになりきるような気持ちでさ!
 無意識からそう思い込んで、阿頼耶識の力すら使う気概で……」
「……ああうん、ありがたみが薄いっていうのはさ。最初からそんなこと、わかってたから」

 気を取り直して立ち上がった雁夜に向け、ひまわりは微笑んだまま呟く。
 言うさなか、彼女の体には、目に見えて童子斬りの根が侵食を始めていた。


「でもおかげで確信はできたよ。阿頼耶識の力……。
 『元型(アーキタイプ)』の、『発動機(エンジン)』、ね……」

 息苦しさはない。
 やはりただ、安堵感だけがある。
 ひまわりは自分の周りに、数多のヒトを感じている。

 そうして、彼女は何かを探すのだ。
 何を探しているのか、もう少しで思い出せそうだった。


「……私もおなか、空いてたんだ」


 そうして四宮ひまわりはまた、赤いジャムの中で泳ぐ夢を見る。


    ≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠


「……投降してくだサイ。少しでも怪しい動きをすれば、皆殺しデス……!!」

 ビショップヒグマが第七かんこ連隊の一同を脅しつけていたのは、滝のように上層から下水が流れ込んでくるその地点、診療所の真下だった。
 方や南方、方や北方から診療所を目指して地下水脈を渡ってきていた両者が、タイミング良くこの位置で出会ってしまっていたのである。
 わずかにでも聞こえた会話から、この大量のヒグマたちが艦これ勢という反乱分子の一味であると推定することは、ビショップヒグマにとってあまりにも簡単なことだった。


「ピ、ピースガーディアンのビショップさんね!? 良かった! 投降するに決まってるじゃない!
 アチシたちは捕虜にでもなんにでもなるから、早く龍田さんを診療所で治療してあげて!!」
「……ハァ?」

 だが、取り押さえたヒグマから返ってきた返答は、予想外のものだった。
 ビショップヒグマが反応できないでいる間にも、50頭のヒグマは喜び勇んで抱えていた装備を手放し始める。
 良かった良かった、とか、これで龍田さん助かるわぁ、とか、診療所に他に姉妹いるかしら、など、口々に和んだ会話を始める一同に、ビショップヒグマはひたすら困惑した。


「あの、ちょっとちょっと……。アナタ方は診療所を襲ってきた艦これ勢の仲間では無いのデスカ?」
「え? 仲間だけど。ビショップさんがここにいるってことは、さしものゴーヤイムヤも返り討ちにあったってことでしょ?
 アチシたちは投降するから、早く龍田さんを上にあげてあげてよ」
「あ、うん……。そうできたらよかったンデスけどネ……!」

 まだ拘束を続けているのにも関わらず、龍田提督から返ってきた緊張感のない言葉に、ビショップは思わず苛立ちを噴火させずにはいられなかった。


「そのゴーヤイムヤとかいう輩のせいで診療所は倒壊シマシタよ!! 力不足であいスミマセンでしたネェ!!」
「えぇ!? 倒壊!?」


 驚くのにもいちいちシナを作る龍田提督の言動の一つ一つが、今のビショップには神経を逆なでするもののように思えた。
 それでもようやく彼も状況を理解できたようで、切羽詰まった声音で問い返してくる。

「第十にはゴーレムちゃんがいるはずよ!? 制圧されるにしても穏便に済んでないの!?」
「何言ってるんデスか!! 殺意マンマンでシたよ!?」

 そうして一斉にざわつき始める第七かんこ連隊の様子に、ビショップはやりづらさばかり感じた。
 ゴーレム提督、またはレムちゃんという存在は、艦これ勢の一員でありながら、直近までこの診療所に勤務していた者に他ならない。
 診療所を制圧しに向かっていた潜水勢の中に彼女がいたことから、第七かんこ連隊のメンバーは当然、診療所は無血開城ないしそれに近い形で決着するのだろうと予想していた。
 どうやら互いにとって、この状況は本当に想定外だったらしい。


「ゴーレムちゃんは作戦行動から外されてるのかしら……。
 ゴーヤイムヤの恨み節だけだったら、確かに診療所みんなヤられかねないわ。
 ヤスミンさんが人間と通じてたって前科もあるし……」
「なんデスかその言いがかりは……! 仮にそうだったとしてもヤスミンさんだけの問題でショう!?」
「組織の者の失態は、トップや組織自体の責任なのよ。特にゴーヤイムヤにとってはね……」

 龍田提督は一度唸った後、首元に這い登ってくる水に向けて、屈んで無理やり上目づかいを作りながら、嘆願した。

「まだ戦闘は続いてるのよね!? ゴーヤイムヤはアチシたちが説得するわ!
 それが終わったらアチシたちはどうなってもいい!! 何でもするわ!! 女に二言はないもの!!
 だから、龍田さんは助けてあげて!! お願いよ、ビショップさん!!」
「龍田サン……、ですか……」


 あなたは生物学的にオスじゃないか、とビショップはよくよく言いたくなったが、あまりにも彼が真剣だったために、野暮な突っ込みはいつの間にか喉の奥から消えていた。
 見やれば、龍田提督の後ろで隊員に抱えられているのは、全身を傷だらけにした少女だった。
 片腕は千切れ、半身を広範な爆風に焼かれて意識も朦朧として見える。
 騒動に目は覚ましているようだが、状況が把握できていないのか気力がないのか、口を開きはしない。
 だがその少女は間違いなく、示現エンジンへ向かい、ヒグマ帝国に協力してくれたという艦娘、龍田に他ならなかった。

 的確に送られていた苔の通信文を思い返し、ビショップは嘆息した。


「上に、テンシさんがいるハズでス……。急ぎ、診てもらいまショう……!」
「ありがとう! そうこなくっちゃ♪ ビショップさんも良かったらアチシたちの姉妹にならない?」
「遠慮サセテクダサイ。イヤ、マジデ」


    ≠≠≠≠≠≠≠≠≠≠


 間桐雁夜が四宮ひまわりに思いをぶちまけていた直後、穴持たず104の耳に、届くものがあった。
 それはこの根っこだらけになった防空壕のさらに下層から、彼女の名を呼ぶ声だった。

「あっ! ビショップさん! ビショップさんですよ!! ビショップさんが戻ってきてくれました!!」
「Really!? この上ないタイミングだわ。これ以上ここが持つかわからなかったもの」
「テンシさん、ちょっとドイテくだサイ! ここちょっと広げますノデ!」

 地下水脈を逆走してきたビショップヒグマの声は、即席防空壕に押し込められていた一同には救世主に聞こえた。
 そして救世主は、さらなる助っ人をつけて、来訪したようだった。


「みんなぁ! トコロテンで、おしとやかに仰角つけなさぁい!!」
「はにょぉおぉぉぉぉおぉぉぉ!! イクよぉおぉぉおぉぉ!!」


 身を引いたテンシや布束の前で、地下の泥が下から次々と吹き飛ばされた。
 控えめながら数多くの高角砲の砲弾を受けて、地下水脈へと流れ落ちていく滝口が広がり、そこからヒグマが這い上がってくる。

「だ、誰!?」
「はぁい♪ あらあら、布束さんとか、人間も沢山来てたのねぇ~。アチシ、第七かんこ連隊の龍田提督よ♪」
「Enemyじゃないの……ッ!!」

 筋骨隆々たるそのヒグマに怖気づく田所恵の前に、布束砥信が立ちはだかって身構える。
 だが龍田提督は、ちょびちょびと爪を打ち振って否定の意を示した。

「敵になるつもりないわよ~! ここからもう一回上にあがって、ゴーヤイムヤ説得してあげるから!
 それよりテンシちゃん! お願いよぉ~! 龍田さん診てあげて!!」
「ひゃい!?」
「龍田さん……!?」
「龍田……!?」

 唐突に呼ばれた穴持たず104の前に、下から隊員の手によって慎重に少女の体が運び上げられてくる。
 奥で固唾を呑んでいた雁夜や、ぼんやりとしていた四宮ひまわりまでもが、思わず声を漏らした。


「What's happened to you!? 龍田、どうしたのよこの傷は!?」
「ひどい……、こんな火傷して……!!」
「あわ、あわわ、どうしましょう……!?」

 テンシがまごつく中、布束や恵が駆け寄ると、横たえられた龍田はかすかに微笑んだ。


「……シロクマさんというあの子、助けられなかったのよ。ここの王も、ツルシインさんも、戦死したわ」
「は……!?」

 龍田の言葉で硬直したのは、まだ階下から第七かんこ連隊の面子を引き上げ続けていたビショップヒグマだった。
 一度龍田と同行していた恵や布束も十分驚いたが、彼女にとって、その知らせはまさに寝耳に水だった。

「ちょ、ちょっと……! 待ってクダサイ!! キングさんや、ツルシインさん、シロクマさんが……、死んだ!?」
「シロクマさんはわからない……。でも私も、キングさん、ツルシインさん、皆、『シバさん』という男が起こした爆発で吹き飛んだ」
「あ、あ、あ……」

 ビショップヒグマは、微かな呻きだけを下層で絞り出し、動けなくなっていた。
 頭が真っ白になって、何が何だかわからなくなった。

 直属の上司が、大失態を起こしたのだ。
 大失態どころではない。人死にが出ているのだ。
 国会で妹が人質に取られているからと、防衛大臣が爆弾を持ち込んで国土交通大臣と総理大臣と秘書を巻き添えにその犯人を爆殺しにかかったようなものだ。
 そして結局、その犯人も妹も本人も生死不明であるという、国辱に等しい、いや、国辱というのすら生温い失態だった。

 誰もが絶句した中で、その時唯一動けたのは、間桐雁夜だった。


「経緯なんて、後でいいだろ! 今はとにかく、龍田さんの手当てだよ!」
「は、はふぃ!」

 自身もびっこを引きながら、雁夜は力の入らない腕で精いっぱいテンシの背を叩いた。
 こうした状況は、彼がフリーのジャーナリストとして駆け回っていたころに、幾度も遭遇した場面だった。
 考えるより先に、体が動いていた。

「何にもないから……、とりあえず応急処置を! 布束さん! さっきの乾いた服!」
「……あ、そ、そうね。取り込んでいたわ」

 雁夜は、後ろの布束に即座に指示を出した。
 先ほど乾ききった龍田のワンピースを受け取り、血と爆風で汚れたブラウスの代わりに龍田に着させようとする。

「……塩、吹いてるわ」
「あ……ッ」

 だが、その行為は、龍田の苦笑にさえぎられる。
 濡れたのが津波の海水だったために、当然乾燥した衣服には大量の塩がついていた。
 これを傷口の上に着させるなど、拷問以外の何物でもない

「……間桐さん、やっぱり汚しちゃったのね~……」
「くそ、済まない、龍田さん……!」
「洗って返してくれればいいわ……。返せたら、ね~……」

 龍田の微笑みは、諦観だった。
 自分の命が長くないだろうことを、悟っている表情だった。

 蟲蔵に放り込まれ続けていた遠坂桜のような、雁夜の大嫌いな表情だった。


「おおお――! 『Nachat'(セット)』!!」


 雁夜はその時、全身を震わせて叫んでいた。
 固く閉じた口から血が滴り、眼の端や鼻の血管が切れ、血しぶきを吹く。
 だがそれを意に介さず、雁夜は龍田の焼けただれた右半身に手を当てていた。


「『Golos v e'toy ruke(声はこの手に)』――。
 『Krov' spokoyno nad vami(血は静かにキミを巡る)』」


 雁夜の口から、ロシア語の旋律が溢れる。
 それは間桐家の魔術の、源流の基礎にあたる呪文だった。

 すると手を当てられていたところから、龍田の火傷の腫れが徐々に引いてくる。
 苦しげだった龍田の呼吸も、次第に深く、落ち着いたものになってきていた。

「これ、は……」
「間桐の魔術は、水属性の吸収と支配だ……。体液の分配を部分的に操作し、整流してる。
 火傷から少しでも体液の損失が防げるように……。ただの手当だけど、多少はマシになるかと……!」

 滴る口内の血を飲み下し続けながら、雁夜は必死に体力を振り絞った。
 それでも、彼が期待するほど劇的な変化は、龍田の体には見られない。
 彼の魔術回路を形成していた刻印虫が死滅したためだ。
 雁夜は生来のわずかな魔術回路を、ぼろぼろの肉体に鞭打つことでしか魔術を使えず、なおかつその効果もあまりに微々たるものに過ぎなかった。

「魔術回路が壊滅したから……。忌み嫌っていた間桐の魔術を使ってもこの程度しか……。すまない……!」
「あらそう~。その割には、しっかりしてるじゃない……?」

 涙がこぼれそうになる彼の様子に、龍田は、いささか張りの戻った声で、笑った。
 彼女が見つめる先には、胸元におかれた、雁夜の右手があった。

 それは爆風でめくれたブラウスの下にある、龍田の豊かな膨らみを掴んでいた。

「あ、いや、これは、違……ッ!!」
「その手、落ちても知らないですよ~?」

 慌てて手を離した雁夜の前に、勢いよく風が吹き抜ける。
 励起された彼の魔力に引き寄せられてきたらしい童子斬りの根が幾本か、まとめて分断されていた。

 尻餅をつく彼の前に、半身を唐紅に染め上げたその少女が、自前の薙刀を携えて微笑んでいた。


「龍田さんが……、立った……!」


 龍田提督が息を飲む。
 片腕を失い、爆風に焼かれ、襤褸のような衣服だけになっても、その風の神の名を冠した軽巡洋艦は、端然と地にその脚をついていた。


「ありがと~。それじゃあ、行きましょうか~? ここで立ち止まってても、仕方ないものね?」


【C-6 地下・ヒグマ診療所奥防空壕/午後】


【龍田・改@艦隊これくしょん】
状態:左腕切断(焼灼止血済)、大破、右半身に広範な爆傷、ワンピースを脱いでいる(ブラウスとキャミソールの姿)、体液損耗防止魔術付与
装備:三式水中探信儀、14号対空電探、強化型艦本式缶、薙刀型固定兵装
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:天龍ちゃんの安全を確保できる最善手を探す。
0:そうね。経緯なんて、後でいいわ。今はできることを、するの。
1:人間が自分から事故起こしてたら世話ないわよ……。
2:この帝国はなんでしっかりしてない面子が幅をきかせてたわけ!?
3:ヒグマ提督に会ったら、更生させてあげる必要があるかしら~。
4:近距離で戦闘するなら火器はむしろ邪魔よね~。ただでさえ私は拡張性低いんだし~。
[備考]
※ヒグマ提督が建造した艦むすです。
※あら~。生産資材にヒグマを使ってるから、私ま~た強くなっちゃったみたい。
※主砲や魚雷はクッキーババアの工場に置いて来ています。


【龍田提督@ヒグマ帝国】
状態:『第七かんこ連隊』連隊長(姉妹丼勢)
装備:探照灯、高角砲など
道具:姉妹愛、姉妹、百合
[思考・状況]
基本思考:ヒグマ帝国を乗っ取る傍ら、姉妹愛を追い求める。
0:ロッチナの下で姉妹愛を追い求める。
1:姉妹愛の素晴らしさを布教する。
2:邪魔なヒグマや人間にも姉妹の素晴らしさを広める。
3:暫くの間はモノクマに同調する。
4:龍田さんを守る
※艦娘や深海棲艦の姉妹愛は素晴らしいとしか思っていません。
※『第七かんこ連隊』の残り人員は50名です。


【穴持たず203(ビショップヒグマ)】
状態:健康
装備:なし
道具:なし
基本思考:“キング”の意志に従う??????????
0:キング、さん……。シバさん……!
1:スミマセンベージュさん……。アナタを救えなかった……!!
2:……どうか耐えていて下サイ、夏の虫たち!!
3:球磨さんとか、通信の龍田さんとか見る限り、艦娘が悪い訳ではナイんでスよね……。
4:ルーク、ポーン……。アナタ方の分まで、ピースガーディアンの名誉は挽回しまス。
5:シバさんとアイドルオタクは何やってるんデスかホント!! アーもう!!
[備考]
※キングヒグマ親衛隊「ピースガーディアン」の一体です。
※空気中や地下の水と繋がって、半径20mに限り、操ったり取り込んで再生することができます。
※メスです。


【穴持たず104(ジブリール)】
状態:狼狽
装備:ナース服
道具:なし
[思考・状況]
基本思考:シーナーさん、どうか無事で……。
0:何が起きてるの!? 何が起きてるの!?
1:レムちゃん……、なんでぇ、ひどいよぉ……!!
2:ベージュさん、ベージュさぁん……!!
3:応急手当の仕方も勉強しないとぉ……!!
4:夢の闇の奥に、あったかいなにかが、隠れてる?
[備考]
※ちょっとおっちょこちょいです


【布束砥信@とある科学の超電磁砲】
状態:健康、ずぶ濡れ(上はブラウスと白衣のみ)
装備:HIGUMA特異的吸収性麻酔針(残り27本)、工具入りの肩掛け鞄、買い物用のお金
道具:HIGUMA特異的致死因子(残り1㍉㍑)、『寿命中断(クリティカル)のハッタリ』、白衣、Dr.ウルシェードのガブリボルバー、プレズオンの獣電池、バリキドリンクの空き瓶、制服
[思考・状況]
基本思考:ヒグマの培養槽を発見・破壊し、ヒグマにも人間にも平穏をもたらす。
0:暁美ほむらたち、どうか生き残っていて……!!
1:キリカとのぞみは、やったのね。今後とも成功・無事を祈る。
2:『スポンサー』は、あのクマのロボットか……。
3:やってきた参加者達と接触を試みる。あの屋台にいた者たちは?
4:帝国内での優位性を保つため、あくまで自分が超能力者であるとの演出を怠らぬようにする。
5:帝国の『実効支配者』たちに自分の目論見が露呈しないよう、細心の注意を払いたい。が、このツルシインというヒグマはどうだ……?
6:駄目だ……。艦これ勢は一周回った危険な馬鹿が大半だった……。
7:ミズクマが完全に海上を支配した以上、外部からの介入は今後期待できないわね……。
[備考]
※麻酔針と致死因子は、HIGUMAに経皮・経静脈的に吸収され、それぞれ昏睡状態・致死に陥れる。
※麻酔針のED50とLD50は一般的なヒグマ1体につきそれぞれ0.3本、および3本。
※致死因子は細胞表面の受容体に結合するサイトカインであり、連鎖的に細胞から致死因子を分泌させ、個体全体をアポトーシスさせる。


【田所恵@食戟のソーマ】
状態:疲労(小)、ずぶ濡れ
装備:ヒグマの爪牙包丁
道具:割烹着
[思考・状況]
基本思考:料理人としてヒグマも人間も癒す。
0:龍田さん! 大丈夫ですか!?
1:もどかしいなぁ……。料理以外出来ない私が……。
2:研究所勤務時代から、ヒグマたちへのご飯は私にお任せです!
3:布束さんに、落ち着いたらもう一度きちんと謝って、話をします。
4:立ち上げたばかりの屋台を、グリズリーマザーさんと灰色熊さんと一緒に、盛り立てていこう。


【間桐雁夜】
[状態]:刻印虫死滅、それによる内臓機能低下・電解質異常、バリキとか色々な意味で興奮、ずぶ濡れ
[装備]:なし
[道具]:龍田のワンピース
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯を桜ちゃんの元に持ち帰る
0:俺は、桜ちゃんも葵さんも、みんなを救いたいんだよ!!
1:俺のバーサーカーは最強だったんだ……ッ!!(集中線)
2:俺はまだ、桜のために生きられる!!
3:桜ちゃんやバーサーカー、助けてくれた人のためにも、聖杯を勝ち取る。
[備考]
※参加者ではありません、主催陣営の一室に軟禁されていました。
※バーサーカーが消滅し、魔力の消費が止まっています。
※全身の刻印虫が死滅しました。


【四宮ひまわり@ビビッドレッド・オペレーション】
状態:疲労(小)、ずぶぬれ、寄生進行中、『眠い』
装備:半纏、帝国産二代目鬼斬り(2/3)
道具:オペレーションキー
[思考・状況]
基本思考:この研究所跡で起こっていることの把握
0:……くそ眠い。
1:ネット上に常駐してるあのプログラムも、エンジンを止めた今無力化されてるか……?
2:龍田……、大丈夫……?
3:れいちゃんは無事なんだろうか……!?
4:この根を張ってるとお腹が一杯になる。どうにかいい制御法があればいいんだけど。
5:間桐さんは変態。はっきりわかんだね。
[備考]
※鬼斬りに寄生されました。
※バーサーカーの『騎士は徒手にて死せず』を受けた上に分枝したので、鬼斬りの性質は本来のものから大きく変質している可能性があります。

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最終更新:2016年03月04日 23:53