《D-6 市街地の路地裏 PM16:30頃》
火の手の上がる路地裏に、また大群が舞い飛んでいる。
阿紫花英良、
フォックス、隻眼2、ケレプノエという一行のもとに押し寄せているその大群の名は――、
浅倉威。
全くのクローンとして増殖した全裸の彼らが20体、新たな獲物に向かって襲い掛かっていた。
――ホントこりゃ、しばらく退屈せずに、済みそうですわ。
「獣人の兄さん方は、敵ってことでいいんですよね?」
その時、阿紫花英良は押し寄せるヒグマ人間の大群を前にして、笑いながらそう言った。
言いながら、彼は脇に控えさせていたプルチネルラの棍棒を猛スピードで振り抜かせる。
彼にはこの状況を、楽しむ余裕すらあった。
コンクリートを容易く砕くその一撃は、走り寄ってくる男たちを一瞬で肉片にするかと見えた。
「甘ぇんだよ!!」
「なっ――!?」
しかし、隆々とした裸体で迫る男たちは、一糸乱れぬ動きでその棍棒を跳ね上げた。
人一人の力では間違いなく不可能なそのいなし方は、彼らが全く意志の統一された同一人物であることを示しているかのようだった。
予想していなかった彼らの動きに、阿紫花は虚を突かれ、その隙に一斉に浅倉威の裸体に襲い掛かられて見えなくなる。
「うわー!? 死ぬ! 死んじまうよぉ! 助けてくれぇ! この通りだぁ!!」
「フォックス様!?」
「あぐるる!?」
津波のような浅倉威に飲み込まれ消えた阿紫花の姿に、フォックスは絶叫した。
そして、自分に抱きついていたケレプノエの体を隻眼2の方へ投げ飛ばすと、阿紫花英良を越えて走り寄ってくる彼らの前に、命乞いをしながら仰向けとなった。
無防備な腹を晒しながら震えるだけのフォックスは、見る間に5人の浅倉に取り囲まれてしまう。
そして懇願するようなフォックスの眼差しにも、彼らは冷徹な笑みで答えるのみだった。
「はっはっは、助けねえよ。じゃあな」
「――ヒャオッ!! 跳刀地背拳ッッ!!」
そして彼らの爪が振り降ろされた瞬間、地面に仰向けとなっていたフォックスは信じられない挙動でその爪を躱しながら上空に飛び上がり、両手の鎌で周囲の浅倉の首を纏めて刎ね飛ばしていた。
三下ロールからの跳刀地背拳。
これで初見の者相手ならば、周りを囲んでいる4、5人を確実に殺せる。
しかしこの場には4、5人どころか20人もの同じ姿の男たちが殺到してきているのだ。
遠巻きにしていた残りの浅倉たちは、一様にそのフォックスの姿へ舌打ちを送った。
挙動がわかってしまえば、跳刀地背拳はそうそう2度も通用しない。
「コメツキムシかよ、イライラさせるキモさしやがって……!!」
「畜生多すぎんだよ……! 20人兄弟とかどんだけ大家族だよふざけんな……!!」
距離を開けて睨み合いながら、浅倉とフォックスはお互いに対して苛立ちをぶつける。
しかしその均衡を崩すように、浅倉達の背後から軽い調子の声が響く。
「……近頃はそういう筋肉だけで取る笑いが流行ってんですかい?」
浅倉達は残り15名がここにいたはずだった。
しかし立ってフォックスに向かい合っているのは9人しかいない。
振り向いた彼らは、巨大な人形であるプルチネルラにもたれながらふてぶてしく笑う阿紫花英良と、その周囲に倒され、頭を潰された6人の同胞の死体を見た。
「ダメですぜ勢いだけじゃ。せめてフォックスさんみたいに、体張った芸にも細かさがないとね」
「……なるほど、面白れぇ!!」
阿紫花英良は、浅倉達に飛び掛かられたと見えた刹那、蜘蛛のような4本足で駆動するプルチネルラの高い機動力をフル活用していた。
屈みこみながら人ならざる挙動で繰り出されたプルチネルラの足払いは、阿紫花を襲おうとしていた浅倉達の体勢を一斉に崩し、地面に横倒しとした。
そして阿紫花は次々と彼らの頭部に重い棍棒を叩き付け殺害していたのである。
余裕綽々たる阿紫花英良を指さして、フォックスは激しい口調で叫ぶ。
「阿紫花ァァ!! もう俺にできること終わったぞ!? あとおめぇがやれよ!? マジでだぞ!! 俺は逃げる!!」
「わかりやしたよ……。100メートル先で待っててくだせぇ」
「うるるるる!!」
「フォックス様ー、ケレプノエも連れて行ってくださいー!」
残る9人の浅倉を後にして、フォックスは振り返るや否や一目散に路地の先へ駆け出した。その後を隻眼2とケレプノエが慌てて追ってゆく。
本当は既に死んでいるのだから今更もう一度殺されたところでどうなるものでもないのだが、フォックスとしては二度も死の恐怖を体験するのは御免こうむりたかった。
浅倉はそんな彼らを追いはしない。
彼らの興味は既に、鮮やかな人形繰りで同胞を返り討ちにした阿紫花英良の方に移っていたのである。
「そのデク人形がお前の契約モンスターかぁ!? せいぜい楽しませろよ!!」
「あんたも芸人の端くれなら、自分の楽しみで動いちゃいけませんぜ」
自分たちの屍を踏み越えて、再び浅倉たちは阿紫花英良に躍りかかる。
彼らを前にして、阿紫花はプルチネルラの棍棒を大きく担ぎ上げる。
「客をもてなすつもりでいませんとね!」
そして振り被られた棍棒が、再び横薙ぎに揮われた。
出会い頭に放った一撃よりもさらに勢いと威力を増した攻撃だ。
それでも浅倉たちは、息を合わせた挙動でその棍棒を跳ね上げてのけた。
そしてさらに、その動きのまま足払いを避けるように高く飛び上がり、彼らはその爪で上空から阿紫花の首を狙った。
「もてなしってのはそれで終いかぁぁ!?」
「まさか」
その時、阿紫花がオートヒグマータから奪っていた鎖付きベアトラップが、下から浅倉たちの体に纏めて絡みつく。
プルチネルラは、片手で全力の殴打を繰り出しながら、反対の手でその鎖を放つタイミングを計っていたのだ。
「なんだとぉ!?」
「おいでなせぇ、グリモルディ!!」
9人の浅倉は纏めて太巻きのようにされて地に落ちる。
彼らが何とか這い出そうとしている間に、その上には巨大な影が差した。
キャタピラの回転する絶望的な機械音が、彼らの上に降り注ぐ。
「さーて、簀巻きをおっちめるのも久々だな」
「うぎゃぁあああぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ――!!」
「グリモルディはこういうとき低速のトルクが強くていいねえ」
プルチネルラを仕舞いながら、代わりにデイパックよりグリモルディを解放させた阿紫花英良が、簀巻きの浅倉たちをまとめて轢き殺してゆく。
グリモルディの巨大なキャタピラが回るたびに、浅倉威の骨肉は血飛沫となって周囲に飛び散った。
キャタピラが浅倉たちを押し潰し轢き潰し乗り越えている間に、その中の浅倉威のうち3人が、方々の骨を砕かれながらも息も絶え絶えに這い出していた。
そうして辛うじて生き残った3人の浅倉威に、阿紫花は微笑みと共に語り掛ける。
「どうもお粗末さんでした。あたしは阿紫花英良。しがねぇ身ですがこの島から脱出するための仲間を集めてます。
今回の公演はこれにて一旦閉幕ですから、獣人の兄さん方も、名前だけでも憶えておくんなさい。
ぶっ殺しに飽きて島から出る気になったら、ちゃんと服着てからまた来てくだせぇ」
6人を踏み越えたキャタピラをそのまま加速させて、阿紫花はグリモルディに乗って悠然と過ぎ去っていった。
あくまで、阿紫花もとい
武田観柳の一行は、脱出するための仲間探しに散開しているのである。
出会い頭に襲い掛かられたため今回は戦闘になったが、敵意がなければどんな相手でも基本的に協力したい方針ではあるのだ。
それにつけて今回の阿紫花英良は、希代の殺人鬼すら惹きつける芸出しから、きちんと自己紹介と宣伝をしながら立ち去る点まで、何から何まで芸人の鑑だったと言えよう。
浅倉の心に鮮烈な記憶を残したまま旋風のように去っていった彼を見送り、浅倉威はしばらく呆然とした後、くつくつと肩を揺らして笑った。
「クックック、面白れぇ……。人形が踊るみてぇだったぜ……」
死に絶えた17人の自分の死体に囲まれて、彼らは興奮に叫び上げる。
「女装の人形使い、阿紫花英良……!
脱出なんかよりも、テメェと遊んでる方がよっぽど面白ぇ!!
前座には勿体ねぇ。大トリ扱いでブチ殺してやるぜぇぇ!!」
そしてぴゅるっ。ぴゅるっ、ぴゅるっ、ぴゅるっ――。
叫ぶ彼らの周囲では、17の大群の股間から、さらに膨大な数量の、白い大群が溢れ出して来ていた。
「――お、良かった、来やがった。武田呼び続ける必要なかったか」
「どうしたんですかい? 兄さんがたの方にも何かあったんで?」
「いや、どうしてかテレパシーの通信が繋がらなくてよ」
その頃、路地を抜けた先100メートルの地点という、阿紫花の魔力が届くぎりぎりの位置では、やきもきとした様子でフォックスたちが待っていた。
到着した阿紫花がグリモルディから降りると、彼は焦り混じりに胸のテレパシーブローチを示す。
浅倉威の襲撃に対して、武田観柳に助けを求めようとしていたところ、全く連絡がとれなくなっていたのだという。
「観柳の兄さん! 返事してくだせぇ!」
それを聞いて、阿紫花も試しに念話を送ってみようとするが、意識を集中させても、テレパシーには砂嵐のようなノイズが乗ってくるだけで、全く声が聞こえない。
「繋がりやせん……! なんですかね、誰かがどっかで妨害電波でも出してんですかね……?」
「魔法に妨害電波って効くのか!?」
「知りやせんけど、妨害魔法なのかも」
不可解な現象に首を傾げる阿紫花とフォックスの隣でその時、隻眼2が何かを訴えるように唸り声を上げる。
「あうあうあぐるるる!」
「ああ……、おめぇ、それでか」
「シャオジーさんがテレパシー使えなくなってるってことは、本当に兄さんの魔力が妨害されてるってことじゃないですか……! 参りましたね」
思えば先程から、隻眼2の声は何時の間にか人語として理解できない唸りになってしまっている。
これはやはり武田観柳のテレパシーが妨害されている証左といって差支えないだろう。
それでも必死に何かを訴えている隻眼2を見かねて、フォックスは自分の腕に抱きついているケレプノエに翻訳を頼んだ。
「ケレプノエ、シャオジーはなんて言ってんだ?」
「『また奴らが来ました』とおっしゃってますよ~」
「え?」
ぼんやりと言われた少女からの返答に、フォックスと阿紫花は路地の先を驚いて見やる。
くすぶる家々の奥から、そうして、毛むくじゃらの肢体が姿を現してくる。
「……カーテンコールが早すぎやしませんかね?」
「面白れぇ芸人にアンコールかけるのは、当然だろ?」
路地から歩み出てきた血塗れの浅倉威たちは、その背後に大量の白濁液を従えていた。
【101人の2代目浅倉威@仮面ライダー龍騎 17人死亡(残り84人)】
《E-6 市街地 PM16:30頃》
「おかしいですね……!? なんで義弟さんにも阿紫花さんにも念話が繋がらないんでしょう」
その頃、阿紫花たちよりも1エリア東の市街地で、マシンウィンガーを2ケツで駆って人探しのランデブーに興じていた武田観柳たちも、自らのテレパシー網に発生した異常に気が付いていた。
定期連絡を取ろうとして念話を送っても、ノイズしか聞こえなくなってしまったのだ。
運転していた
操真晴人も、一旦バイクを止めて後部座席の観柳に問いかける。
「突然でしたよね?」
「ええ、ついさっきまで全く清明でしたのに、急に砂嵐みたいな音ばかりになってしまって。
場所も掴めなくなってしまいました。キュゥべぇさん、原因分かりますか?」
『……ううむ。……恐らくは』
「なんですか、キュゥべぇさんともあろう方が歯切れの悪い言い方ですね」
こんな時は、魔法のことに関しては何でも屋の御用聞きであるキュゥべぇの活躍が期待されるところだったが、どうにもその反応は苦々しい。
観柳が再三せっつくと、ようやく彼は無表情のままぽつぽつと語り出した。
『言うタイミングを逃していたんだけれどね……、先程から今に至るまで、信じられない魔力が島のあちこちに発生しているんだよ』
「どういうことですか? 詳しく」
覚悟を決めた様子で、キュゥべぇは言葉を続けた。
『北北東に5キロ以上離れたところで、凄まじい複数の魔力の昂ぶりと激突が観測されている。
北東に2、3キロのところには、計測不可能な魔力が発生して、方向を変えつつかなりの速度で移動中……。
また、西に1キロちょっとのところに、さっきまで魔女がいた。と思ったらまた計測不可能な魔力が発生した、ような気がしたんだが……。こちらは今は鳴りを潜めている。
そして南西に3キロほど離れたところに、現在進行形で急激に大きくなってきている魔力ができている。
観柳のテレパシーを妨害しているのは、恐らくそこから発散されている魔力だ』
「なんですかそれ……!?」
『ボクだって知りたいよ……。午前中からだって、実のところ似たような強力な魔力はちらほら観えていたんだ。
ただここに来て明らかに、その強さも発生数も持続時間も莫大に増えてきている。異常だ』
観柳は自分の地図にその『強力な魔力』の大まかな位置を記しながら、その得体の知れない事態の示すことに冷や汗をかいていた。
キュゥべぇでさえ計測不可能だというそれらの魔力が、決して自分たちの味方になってくれるとは限らない。
現時点でもそのうちの一つが、観柳の通信網を妨害していることはほぼ確実だという。
脱出のための仲間探しのために一行を分散させたのは、ここに来て裏目となった公算が強い。
操真晴人の空間移動魔法も、阿紫花英良や
宮本明たちの正確な場所がわからなければ意味をなさず、分散した仲間と合流することが非常に困難になってしまったのだ。
武田観柳が歯を噛んで今後の方針を思案している間、キュゥべぇもまた内心の不安を吐露するように語った。
『実はボクはね、リチョウと同じく、この「ロワイアル」だか何だかいう殺し合いを経験してはいるんだよ』
「え!? そうなのか!? 早く言ってくれよキュゥべぇちゃん! 生き残りの秘訣とか聞かせてほしいのに!!」
『ボクの場合は、その戦いの最終局面、「クロスゲート攻略戦」の最中に存在確率の一部が直接この会場に迷い込んでしまっただけみたいだからね。
生き残りというわけじゃない。あの最終決戦が、結局どうなったのかもわからず仕舞いさ』
操真晴人が驚きと共に話の続きを促すが、キュゥべぇは「期待には沿えない」といった様子で首を横に振る。
『そこでは、「全開」とかいう謎の題目を掲げた者たちが得体の知れない力を次々と発揮し、そのエントロピーで宇宙を滅茶苦茶にするような戦いが繰り広げられていた。
かく言うボクも一度、全身ムキムキの逞しい男になったりしたこともあってね。感情とかいうものもわずかばかり抱いたよ』
「それはそれは……、まさにこの島の混乱状況もかくや、ではありませんか?」
『いやいや……。だから滅多なことでは驚かないつもりでいたんだが。
この島の現状は、あの「全開ロワ」以上かもしれない。
あの魔法少女となった鹿目まどかと同等以上の魔力が、こうも次々と現れるなんて……。
いや、それだけなら「全開ロワ」も大概だった。それこそ全てを破壊して爆散するほどの勢いがあった……!』
武田観柳が聞く限り、キュゥべぇが以前経験していたバトルロワイアルは、このヒグマ島における戦いとそう変わらないように思える。
だがキュゥべぇは、件の『全開ロワ』と比べてなお、この『ヒグマロワ』は異質だと言う。
『しかしこの島では、それらの魔力は、発生し混乱を生じさせるたびに何時の間にか喰らわれ、そしてまるで、また自ずと新たな秩序と平衡状態を形成するかのように振る舞っている。
螺旋を描くようにその位相を高めながらも、決してその総体を崩すことがない。
……言うなれば“食物連鎖”のようにだ』
キュゥべぇの口調には、ある種の畏怖が込められていた。
『最強の力を有した捕食者でも、いつかはちっぽけな微生物に分解され下等生物を育むように。
そしてその1サイクル毎に、生命全てが次なる進化を経験していくように……。
単なる破壊に留まらぬ、有機的で複雑な動きだ。全く今後の予測がつかない。
ボクは未だかつて、強力な魔力たちがこんな振る舞いをしたことを見たことがない。
……わけがわからないよ』
第四波動習得時の
佐天涙子。
火山噴火時の
カズマ。
出現時の鷲巣巌。
アルター結晶体と戦闘時の劉鳳。
バーサーカーと龍田の戦闘。
その他、強力な魔力が観測された時点は幾つもあった。
しかしその昂ぶりが観測されたのはわずかの間だけであり、すぐにその力をどこかに潜めてしまっている。
この点からして、キュゥべぇには全く理解不能だった。
かつ消え、かつ結ぶ泡沫のように、魔力は次々とこの島に生じては鎮まっている。
しかしその強さは、時を経るごとに、収まるどころかさらに激しさを増していく。
川が逆巻き、低きから高きに上って行くような、あり得ない事態なのだ。
そして今や、現在進行形でこの島には4か所以上、史上最強の魔法少女と同等か、それに準ずる危険性を孕んだ魔力が発生し継続している。
『全開ロワ』に生じた魔力は、結局のところエントロピーを増大させ破滅に向かうようなものばかりだった。
しかしこの島の魔力は、キュゥべぇの手を介さずとも、自ずからネゲントロピーを生じさせているようにすら思える。
キュゥべぇは初めての経験に、畏れと不安を抱くほかなかった。
「……『いんふれーしょん』、でしょうか」
そこで今まで思案していた観柳が、ぽつりと呟く。
「貨幣経済においても宇宙においても、勢いは螺旋状に高まってゆくものと聞きます。
しかし、それが未だ『ばぶる崩壊』の気配も見せず、キュゥべぇさんにも予測がつかないというのは、……面白いですね!
しかもその投資家の一人が、身の程知らずにもこの大商人に妨害工作を仕掛けているというのならなおのこと!」
彼は、興奮した様子で地図を叩いた。
そこにはしっかりと、キュゥべぇの語った『強力な魔力』の位置が記されている。
「……その投資合戦、受けて立ってやろうではありませんか」
そして武田観柳は、島の南西部、B-8エリアの印を指で示す。
彼は知らない星の生き物のような、ぞっとするほどの笑みを浮かべていた。
《G-5とH-5の境 墓地 PM16:45頃》
『……確かに、あの
黒騎れいという女の臭跡は、ここで途切れている』
一頭の黒いヒグマが、夕暮れに沈みかける墓地の周囲で、しきりに鼻を鳴らしていた。
墓地といってもそこは、たった2つの真新しい墓石が安置されているだけの、廃墟にほど近い平地だ。
そこは確かに、激しい戦闘があった証拠となる、強力な爆薬と血と死の臭気に溢れている。
一通りその周囲を嗅ぎ回った黒いヒグマ――ヒグマン子爵は、気が済んだように身を起こした。
『その他に、男の血と、カラスと、ヒグマと、強い爆薬の臭い……。
血を流す間もなく、粉微塵に吹き飛んだということなのだろうな……』
佐倉杏子たちを振り切りここまで辿り着いた彼は、その場の状況にそういう結論を下す。
今、彼はそこはかとない疲労を感じていた。
ここに辿り着いて黒騎れいの臭跡を探り始めてから、なぜか彼は微かな眠気に襲われているのだ。
滅多にないことではあった。
佐倉杏子という少女が、彼の内心を寒からしめる、かなりの強敵であったためかもしれない。
その彼女を振り切ったという一時の安堵感が、鼻を眠気に鈍らせている可能性はある。
しかし、ここで黒騎れいの臭いが途切れているということだけは、確かなことだった。
『まあ、そういうことならば仕方があるまい』
「――ようやく見つけたぞ、てめぇ!!」
その瞬間、彼の隣に一瞬にして何者かの気配が生じた。
ヒグマン子爵が腰元から『羆殺し』を発剣するのと、何者かが彼の喉元に槍の穂先を突きつけるのは、全く同時だった。
両者はその体勢でピタリと膠着する。
「……れいはどうした」
首筋に刃を突きつけられながらも爛々と眼を燃やしている真紅の修道服の少女。
――佐倉杏子だ。
灼熱の業火のような幻覚を以てヒグマン子爵を威嚇する彼女は今や、キュゥべぇが観測した『計測不可能な魔力』の一人でもあった。
『……貴様の言ったとおりだったようだな。黒騎れいは確かにここで死んでいるようだ。まぁ、これが現実だ』
彼女の鬼気迫る表情に、ヒグマン子爵は内心の焦りを隠して飄然と唸った。
まさかこのような早さで追いつかれ、背後を取られるとは思ってもいなかったのだ。
その言葉で、杏子の眉はにわかに顰められる。
「……!?」
『カカカ、見るからに残念そうだな。あの女に生きていて欲しかったのは貴様も同じか』
方や獲物として、方や友としてという違いこそあれ、黒騎れいの生存を願っていたのは、確かにヒグマン子爵も杏子も同じだ。
そんな皮肉めいた嘲笑の前に、杏子は何も言えずに立ち尽くす。
『杏子! ヒグマン! 良かった、また殺し合っているのではないかと心配したぞ!』
「速すぎますわ杏子さん! 置いていかないで下さいまし!」
「デネデネ!」
「きゅぴ~」
その背後から、
デデンネと仲良くなったヒグマの背に乗って、
円亜久里とアイちゃんらが駆けつけてくる。
彼らが駆けつけ、ヒグマン子爵と突きつけあっていた刃物を下ろしてなお、杏子は暫く黙ったままだった。
『……どうした杏子?』
『同行者が本当に死んでいたことが、思いの外こたえたらしい。何とも軟弱な心だ』
デデンネと仲良くなったヒグマの心配そうな唸りには、ヒグマン子爵がせせら笑いで答える。
「気を落とさないで下さいまし……」
「ああ……」
しかし杏子が眉を顰めていたのは、後悔や口惜しさのためではなく、ヒグマン子爵の発言が、彼女の認識と明らかに異なっていたからだ。
(……どういうことだ? れいが白井さんにミサイルを撃ち込まれたのは、ここじゃないぞ!?)
佐倉杏子と黒騎れいの一行が、あの仙人の如きヒグマ・シーナーと戦闘になったのは、ここから1キロばかり離れた街中だったはずだ。
そこでシーナーに操られた
白井黒子から、『伏龍・臥龍』のミサイルを受けて、黒騎れいは消息を絶っていた。
そこから1キロも、彼女の肉体が吹き飛ぶはずはない。
杏子はただ、ヒグマン子爵の後を全速力で追ってきたに過ぎず、決して黒騎れいの死んだ場所に戻ってきたのではない。
それなのになぜ、ヒグマン子爵はここにいるのか。
そしてなぜ、ここには確かに、れいの臭いと、戦いと血と死の臭いが漂っているのか――。
この謎の答えを考え続ける杏子の眼に、その時、一人の青年の姿が映った。
その姿は、デデンネと仲良くなったヒグマと佐倉杏子の、ただ二人にだけ見えるものだった。
その青年は、得意げに眼鏡を上げると、彼らにしか聞こえない声で、静かに語った。
『教えてあげようか――。でかしたのさ、“彼”がね――』
墓に刻まれたその青年――
西山正一の語ったその軌跡は、佐倉杏子に、まるで神託のように感受された。
廃墟の草むらが、キラリと光るようだった。
そして彼女は、電撃を受けたようにうち震えた。
(れいは生きてる……! 生きて地下に降りたんだ! ここに下水道への入り口があるんだ!!)
杏子は確信した。
ヒグマン子爵が嗅ぎ取った戦いの臭跡は、この西山正一ともう一人の彼岸島の人間が、また別のヒグマと戦った痕跡であった。
黒騎れいは、知ってか知らずか、ある方法によってヒグマン子爵の追跡を振り切っていたのだ。
西山の作り出した高性能爆弾の臭いが、ヒグマン子爵に『伏龍・臥龍』のミサイルを誤認させた。
ここで死んだ西山たちの血潮が、ヒグマン子爵にカズマや劉鳳たちの血を誤認させた。
そして、ここまで生きて逃げ延び、地下へと降りた黒騎れいの奇跡が、彼女自身の死をヒグマン子爵に誤認させた。
(幸運……だったのか? それは、わからない。だが確かなのは……)
杏子の脳裏に、
狛枝凪斗の謎めいた笑みが過る。
彼の持つ幸運は、彼の死という不運を代償にして、その力を佐倉杏子と黒騎れいに与えたのだろうか?
今更その真実を知る術はない。
だが杏子は、自分の中でふつふつと湧き上がる確信と自覚に、武者震いが止まらなかった。
(アタシも、れいも、千載一遇の――、一期一会の――、『出会いを拾った』んだ!!)
今、佐倉杏子には歴史が見えていた。
この場で起こった出来事の一部始終が、ほほに触れている。
西山正一とニンジャが、如何にして制裁ヒグマに応戦し、やられたのかが、聞こえている。
黒騎れいが如何にしてこの場に現れ、どんな言葉を語ったのかが、空気に味わえる。
彼女の黒髪が、ここには香っている。
それは、デデンネと仲良くなったヒグマがある出会いの中で知り、そしてまたそこからの出会いが脈々と気づかせた、『出会いを拾う』能力だった。
この場に残るわずかな分子と原子の存在確率が、かつてあったその姿を、佐倉杏子自身の魔力を用いて、その脳裏に幻覚として示している。
そしてそこに秘められた、わずかな好機(チャンス)を、気づかせてくれる。
ヒグマン子爵が嗅いだ上辺の虚像ではない、それは『まことの食べ物』のなせる業だった。
『同行者ごときの死にそれだけ時間とエネルギーを割けるとは、なんともおめでたいことだな。
……まあいい。私の狩りの邪魔をしなければ関係のないことだ』
黙祷を捧げるかのように立ち尽くすヒグマと人間たちを見守るのにも飽き、ヒグマン子爵は踵を返した。
彼が求めるのは、更なる獲物のみだ。
獲物となり得ない対象しかいないこの場に、もはや彼の興味はなかった。
しかし立ち去ろうとした彼の背中には、佐倉杏子が気だるげな調子で声をかけていた。
「……待ちなよ」
『また貴様と無駄な争いをするつもりはない。もう追ってくるな。貴様にとっても不毛だろう』
「どうせアンタが獲物にするってのは、人間なんだろ? なら、見過ごすわけに、いかないんでね」
『なるほど、人間ならばな』
ヒグマン子爵は、そこで白い眼を見開き、ニタリと笑いながら振り返った。
杏子の表情は、仏像のように落ち着いていた。
『だが、貴様はこの島に犇めく勢力を知っているのか? 人間の参加者とヒグマ、そして主催以外にも、その裏で糸を引いている黒幕がいるのだ。
貴様はその存在と正体を知っているか? ――機械だ』
「ほう、それで?」
『……ここから南西方向で、かなりの規模で家が燃えている。戦闘が起きているということだ。
そこで戦っているのが黒幕と参加者ならば、私は間違いなく黒幕を狙い、喰らうだろう。
このような窮屈な枠組みに私を落とし込んだ首謀者なのだからな。
つまりその点において、私は貴様らと利害を異にする者ではないということだ』
「なるほど、よくわかったよ」
杏子は、饒舌に語るヒグマン子爵から爪を突き付けられながら、彼のことを幼子を見るかのように微笑んで見つめていた。
彼の意図することが、今の杏子には本当に『よくわかった』。
つい先ほどまでのヒグマン子爵ならば、杏子に声を掛けられようと、問答無用で逃げ去っていただろう。
しかし彼は、佐倉杏子の『絶影(テルミナーレ・ファンタズマ)』からは逃げられないことを知ってしまった。
そして今の佐倉杏子は、例え全身を切り刻み叩き潰したとしても、その心を折らない限り、足止めは出来ても決して殺すことは出来ない。
その意味では、ヒグマン子爵は正面から彼女に決して勝つことは出来ないのだ。
ならば戦いを避け、むしろ一時的にでも敵対関係を払拭する方が得策だ――。
と、ヒグマン子爵がそう考えていることを、杏子は手に取るように彼の言葉から嗅ぎ知っていた。
「つまり、アンタはアタシと協力したいってことだろ?」
『違うな。私を追うのではなく、私と同じ目的地に行きたいというだけならば、私は構わぬと言っているのだ』
「見かけによらず面倒臭い奴だな。いや見かけ通りか」
『勝手に言え。私はもう行かせてもらう』
『ヒグマンお前な! もうちょっとこう、歩み寄れないのか!? 俺も一緒に行くんだから!』
『ヤイェシル・トゥライヌプ(自分自身を見失う者)が、でかい口をきくようになったな。
そこにいるのが人間だけなら、私が狙うのは人間だ。協力などできるものか』
全てを見透かした杏子からの申し出を突っぱね、ヒグマン子爵は舌打ち混じりに立ち去ろうとする。
デデンネと仲良くなったヒグマがそこに食い下がると、ヒグマン子爵の表情はいよいよ苦々しくなった。
なんだかんだと言っても、馴れ合うのは好かないらしい。
「人間を食わずに、黒幕打倒のために同行できる選択肢ってのはないのかい?」
『さあな。行く先に私の獲物となる者がいないことを祈れ』
「……それで良いんだな?」
ヒグマン子爵は、まだ頭にかかっている眠気を振り払うように吐き捨てた。
「これだけは言っておく」
杏子は、南西へと歩み始めた彼の背中に、重石を乗せるように呼びかける。
決して声を張っている訳でもないのに、その言葉はヒグマン子爵の耳にはっきりと届き、その背筋を泡立たせた。
「カインのための復讐が七倍ならば……。アタシが友のために行う復讐は、七十七倍だ」
『……フン、ほざいておけ』
ヒグマン子爵はそう呟くと、彼女たちの方を振り向くこともなく、夕暮れの町並みの方へと跳ね飛んでいった。
(この島で戦い抜いている生存者に、アンタの獲物になるやつが、今更そう居るとは思えねぇ。
もし居ても、アタシが守るだけだ。そいつらの流す血を、アタシが代わりに流すだけだ)
跳ねてゆく黒い背中を睨む杏子に、円亜久里が恐る恐る声をかける。
「……杏子さん、あの子爵のあとを、追うんですよね」
「ああ……、だが、れいは生きてる」
『やはりそうだったか……! 俺の鼻の方がヒグマンより優れていたようだ。
良かった、杏子の友人が生きていたなら何よりだ』
「そうだったのですか!? ではなにゆえ彼は勘違いを……」
「……何か、仕掛けてたみたいだな。後で本人に会って聞くさ」
杏子の心情を案じていた亜久里だったが、その心配は杞憂であった。
ヒグマン子爵のみが見失い、デデンネと仲良くなったヒグマと杏子のみがその安否を正確に理解し得たそのからくりの詳細は、杏子にも細部までは理解できないでいる。
だが今は、彼女が生きていることだけでも確証できれば、十分だ。
それが杏子の、新たな道標になる。
「アタシはれいと、百貨店で合流すると約束したんだ……。
あのヒグマと一緒に戦闘の状態を確かめたら、南を大回りしてそちらに向かう。いいかな、亜久里」
「ええ、もちろんですわ杏子さん。杏子さんに救って頂いた身、微力なれどお力添えさせて頂きます」
「デネ!」
「きゅぴ~!」
ヒグマの背に乗る円亜久里とデデンネ、そしてアイちゃんの一行は、各々快諾の意を顕わにする。
あたかも家族の大移動のようなこの道行きに、否はない。
杏子は今一度、約束を心に刻んだ。
黒騎れいが死んだのだと、折角ヒグマン子爵が誤認しているこの場では、いずれにしても杏子が彼女の後を追うことは出来ない。
ヒグマン子爵の後を追わなくては、彼の心に疑念を生むかもしれない。
彼女ができることは約束通り、『大回りしながら慎重に百貨店を目指す』、それだけだ。
そしてその道中で、ありったけの人々を、救うことだけだ。
デデンネと仲良くなったヒグマと杏子は、そうして互いに顔を見合わせる。
『行こう』
「行こう」
そういうことになった。
《E-6 市街地 PM16:45頃》
「私の念話を妨害している魔力というのは、確かにこの南西部の地点から発生しているのですよね?
鐚銭が流通しているのなら、そいつを作り流している大元を叩き潰すまでです!!」
佐倉杏子たちから南西に2、3キロの地点で、武田観柳がそう豪語していた。
キュゥべぇが危惧している4か所の魔力のうち、佐倉杏子のものとはまた別の、ほぼ島の南西の端に位置するものが、観柳の標的だった。
『確かに今ならカンリュウ。キミの魔力と同等か、弱いかも知れない……。
しかし魔法少女の力は、感情で強くも弱くもなるものだ……! キミとハルトだけで行くのは危険だよ!』
「今は私も、その魔法少女という者の眷属でしょう? その上、私は大商人ですから」
「……まあ何にしても、武田さんの魔法を妨害しているその子をどうにかしなきゃ、話にならないのは確かだよね」
尻込みするキュゥべぇと、やる気の観柳の間で、暫く黙っていた操真晴人が言ったのは、そんな言葉だった。
様々な状況を鑑みるに、合流の可能性の低いまま、この場で手をこまねいているよりも、妨害している相手がわかっているのなら早急にそちらをどうにかするべきだろうと、仮面ライダーウィザードとしての数々の戦闘経験から彼は考えを纏めていた。
観柳は相好を崩し、キュゥべぇはわずかに呆れかえった。
「お、いいことを言うじゃありませんか操真さん」
『ハルトまで乗り気なのかい……?』
「キュゥべぇちゃんの心配はもっともだけど、まずは行くだけ行ってみよう。そこの魔法少女にも、何か事情があるのかも」
「その通りです。そこを始末せねば行程が進みません。早速行きましょう」
『……仕方ない。ボクも付き合うしかないしね。……だが、くれぐれも気を付けるんだよ』
アクセルを回して南西に進路を取り始めたマシンウィンガーの後部座席で、キュゥべぇは最後まで歯切れの悪い口調で心配を口にしていた。
その様子に、彼を肩に乗せる武田観柳は苦笑するばかりだ。
「くどいですねぇ、キュゥべぇさんも。心配はいりませんよ、私の魔力も今は万全ですし……」
『……いや、待て! 何かが来る!
全く同一の存在がぞろぞろとこちらにやってきている……。鉢合わせるよ!?』
しかしその時、キュゥべぇから返って来た返答は、観柳の予想せぬものだった。
ひと気の無い街角の交差点に差し掛かろうとしていた晴人のバイクの目の前に、その時、右側の路地から何者かが飛び出してくる。
「ハッハァ――!!」
「うおおっ!?」
それは毛むくじゃらの偉丈夫だった。
男は叫びながら、根元から折った道路標識を手にして、直進する晴人たちに向かって猛然と襲い掛かってくる。
目の前で横薙ぎに揮われる大剣のような道路標識に、操真晴人は恐懼した。
そして咄嗟に彼は、マシンウィンガーのギアを一気にローへと入れ、クラッチを切っていた。
「掴まれ観柳さぁん!!」
「ひえぇえ!?」
『うわっ!?』
その瞬間、マシンウィンガーはその前輪を高く浮かし、男の揮う道路標識の上を取る。
武田観柳とキュゥべぇが、その急激な動きに耐えて晴人にしがみつく。
「ぬりゃぁぁ!」
「チィッ――!」
そして刹那のタイミングで、操真晴人はリアブレーキを踏み込んだ。
ウィリーの状態から急激に沈み込んだバイクは、男の持っていた道路標識の上を踏んで叩き落とし、同時に彼の背後へと飛び越えていた。
「ってて……。なんだ一丁前の
ライダーか、てめぇも。まぁ食い甲斐があるなら、いいことだ」
「こっちにも人手を割いて来て正解だったなぁ」
「まだまだこの島には食えそうな相手が沢山いそうだな」
「せいぜい楽しませてくれよ?」
驚愕も冷めやらぬまま、急停車して振り向いた晴人たちの前には、10人もの全く同じ姿をした毛むくじゃらの全裸の男が、路地からぞろぞろと歩んでくるところだった。
「な、なんだ!? なんなんだあんた!?」
「一体なんですかあなたたちは!?」
「「「浅倉威ってんだよ!」」」
不敵に笑う、その浅倉威という大群は今や、かなりの広範囲にまでその種子を広げていた。
《C-5 街 PM16:45頃》
なおその時、別の大群に襲われ、それを切り抜けていたあの彼も、浅倉威の軍勢に襲来されるころだった。
「ハッハッハァ!! ほぅら躍れ!」
「ひぁあぁ――!?」
基地を確保して体勢を立て直してしまった瑞鶴の航空部隊の襲撃を辛くも凌ぎ、彼女をも救い出そうと決心したその者――ヒグマ提督。
彼が浅倉威の群れに強襲を掛けられたのは、その決心を胸に歩み出してから程なくのことだった。
瑞鶴を探そうにも、彼女の位置を特定できるものに彼は暫くの間思い至らなかった。
彼が三角測量を試してみようという結論に至り、動き始めるまで、彼の思考のほとんどはそちらに費やされ、密かに接近してくる浅倉威たちに気づかなかったのだ。
「お前らはなんだ!? なんなんだよ!? ヒグマ!? 深海棲艦!? 提督!? いや、艦娘!?!?」
「人間だ!」
浅倉威たちは街の家々の屋根を飛び移り、下の路地を逃げ惑うヒグマ提督を包囲していく。
その数、実に11人。
逃げ道を塞ぎながら、屋根から飛び掛かっては退いてゆく彼らの巧妙なヒットアンドアウェイに、ヒグマ提督一頭だけならば、為す術もなく蹂躙されていただろう。
「シュゥゥゥ――!!」
「あぎぃぃぃぃる!!」
「ハッハッハッハ、まさに見世物小屋だなテメェらは!」
「金剛!! 艦載機のみんな!!」
だが、襲い掛かる浅倉たちを蹴りつけ、引っ掻き、銃撃を浴びせている仲間が、今のヒグマ提督にはいる。
ヒグマ提督が作り出した
戦艦ヒ級――、もとい、戦艦大和から生まれ出でた沿岸配備兵器・砲台小鬼と、4機のMXHX特殊攻撃機・羆嵐一一型だ。
浅倉たちに応戦しているその部隊に護衛されていたからこそ、ヒグマ提督はここまでの数分間、なんとか逃げ延びていられた。
しかし、浅倉もその深海棲艦たちの実力を見誤ってはいない。
だからこそ彼はヒットアンドアウェイに徹し、銃撃を家屋や塀といった遮蔽物で躱しながら死角をつけ狙い続けているのだ。
「きゃるぉぉぉ――!?」
「ハッハッハァ、命中ぅ!」
そしてその戦いの趨勢は、徐々に頭数の多い浅倉威たちの方に傾いていた。
砲台小鬼が砲撃で砕いていた塀のコンクリートブロックを、浅倉威は物陰からいくつも放り投げ続けており、その一つが、飛び回る羆嵐一一型の1機についに命中してしまったのだ。
「うぁぁ!? だ、大丈夫かい!? しっかりするんだ!!」
「くるるるるぅ……」
骨組みが砕かれ、節々から潤滑油を流し、羆嵐は力なく地に墜ちていた。
ヒグマ提督はその白い機体に慌てて駆け寄り、傷ついた小鳥を扱うように急いで抱え上げる。
「終りだな」
「――!?」
だがその瞬間を、浅倉たちはしっかりと狙っていた。
砲台と直掩機による防御陣形の外に駆け出してしまったヒグマ提督の上に、四方の屋根から飛び掛かる、浅倉威たちの影がかかっていた。
《E-7 鷲巣巌に踏みつけられた草原 PM16:45頃》
同様の事態は、島の西部から南部にかけての街のみならず、さらに南の草原地帯においても発生していた。
「ぐるおおおおおおおおお――!! おだつん(調子に乗る)なぁぁぁ――!!」
「この野郎ぉぉ!! 人間まで『質より量』を求めて増え始めたってのかよ!!」
F-9の崖から北上してきていた
メロン熊と穴持たず59、そしてヤイコという3頭のヒグマたちが、浅倉威の群れに襲撃されている。
メロン熊は当初、穴持たず59たちと同行するつもりもなく、独りで復讐相手である制裁ヒグマを探しつつ、怒りを露わにしながら練り歩いていた。
そこに気絶したヤイコを担ぎながら穴持たず59が追いすがり、なんとかメロン熊に協力してもらおうと懇願し続けていたのだ。
彼にとっては、理解できない状況の島に来てしまってから、初めて出会った頼れる先輩だったため、必死にもなる。
しかし島の内情を調査しようと考えている彼に対して、メロン熊は復讐が最優先であり、彼らの主張はいつまでたっても平行線だった。
そんな状態で口論を続けながら数十分も歩いていれば、草原をひっそりと迫り来る浅倉威たちに気づくのが遅れるのは、当然だった。
「俺は質も量も最高級なんだよ! 残念だったなヒグマども!!」
遮蔽もない、草だけの広大なその空間でヒグマが人間に取り囲まれるなど、あまりにも不覚なことだった。
目の前の事態と口論に白熱してしまい、二足歩行と人語の会話という、本来の羆の体構造からは不得手な行動に思考の大半を取られてしまっていたが故のことである。
メロン熊と穴持たず59が気づいたのは、風下から近寄ってきていた浅倉威たちが、一斉に飛びかかってきたその瞬間だった。
「くっそぉぉ!!」
「掻裂(かっちゃき)ィ!!」
メロン熊たちは咄嗟にその爪で応戦する他なかった。
本来ならば、人間など造作なく切り裂けるその爪はしかし、浅倉威の軍勢を返り討ちにするには足りなかった。
なにしろ数が違う。
この場に集まっていた浅倉威は、実に30体だ。
「単純すぎるんだよバカが!」
「ぐあぁぁ!!」
「チィッ――!?」
既に、切り裂かれ絶命している浅倉威も、この場には4、5人転がっている。
しかし、穴持たずたちが目の前の1人を倒している間に、彼らの背後には3人の浅倉が襲いかかる。
そんな構図で、瞬く間に彼と彼女の体には、浅倉威の鋭い爪でつけられた傷が増えてゆくこととなった。
そしてついに、ヤイコを抱えながら片手で応戦していた穴持たず59が、横からの不意打ちを食らって地面に倒されてしまう。
均衡の崩れたその瞬間、メロン熊は焦りに舌打ち、浅倉は残忍に笑った。
「もらったぁ!!」
四方ががら空きになったメロン熊と、地面に倒れ伏した穴持たず59に、それぞれ10人以上の浅倉が攻めかかる。
しかし刹那、襲いかかった彼らの目の前で、獲物たちは消失した。
「――俺の命はそんなんじゃ穫れないぜ!!」
「死ね! たくらんけ(バカ野郎)ェェ!!」
穴持たず59は、その全身を一瞬にして高速回転させ、地面に穴を掘って浅倉威たちの攻撃を躱す。
そしてメロン熊は、体得した瞬間移動能力で浅倉の包囲を脱し、一気に草原の彼方へと移動している。
彼女の口が、叫びとともに大きく開かれた。
――獣電ブレイブフィニッシュ。
「や、やった……!」
「なまらムカつく相手だったわ……。ほんとクソ」
ヤイコを抱いて穴から這いだした59は、焼け焦げている死体ばかりの地上に出てガッツポーズを取る。
その様子に、メロン熊も溜息をついてその場に歩み寄ってくる。
だが彼女は歩みながら、衝撃的な事実に気がついた。
焼け焦げ転がっている死体は、たった5体しかなかった。
「グガガアァァ――!?」
そして気づいた瞬間、穴持たず59が突然力を失って崩れ落ちる。
驚愕に見やったメロン熊の前に、彼の掘っていた穴から、笑みを浮かべて浅倉威が這い上がってくる。
浅倉威たちは全員、メロン熊が何らかの遠距離攻撃をするだろうと見るや、穴持たず59の掘っていた穴へと続けざまに潜り込んでいたのだ。
そして攻撃が収まるのを待って、穴持たず59の背中を、背後から手刀で突き刺していた。
「一度殺したくらいで図に乗るなよ……。もう俺らは、何回か死んでる」
「グルルルルルルオオオオオオ……」
声にならない怒りでメロン熊は唸る。
背後に穴の塹壕を確保した状態で、浅倉威たちは瀕死の穴持たず59とヤイコを人質のように取り囲みながらメロン熊と睨み合った。
だが、その時間はほんの一瞬で途絶える。
ぴゅるっ、ぴゅるっ、ぴゅるっぴゅるっ――。
黒こげになった死体たちのあちらこちらから、そして突然、一斉に噴き出してきたものがあったからだ。
メロン熊は瞠目した。
「な、な……!? まさかその白いのは……!?」
「……死んでは生まれ、喰らい喰らわれる度に、進化し続けてきたって寸法よぉ」
真っ白な、蠢くその大量の液体は、メスに対する凶悪な兵器だった。
【101人の2代目浅倉威@仮面ライダー龍騎 5人死亡(残り79人)】
《D-6 擬似メルトダウナー工場 PM16:45頃》
「イライラさせんなよぉ! 楽しいだろぉ!?」
「なんで!? なんであなたは戦うの!? ――ダメだ問答無用だ、那珂!」
炎に包まれゆく工場の中で、爪と爪とがぶつかり合う激しい音が響いている。
浅倉威の軍勢と、那珂ちゃんと
くまモンとが戦っている音だ。
人数で圧倒している浅倉威に、手数の多さに優れているくまモンたちも苦戦を強いられている。
しかし彼らの戦いづらさは、決して数で負けているからではなかった。
――こいつは、人間だモン……! ボクは人間は殺せないモン……!!
「それは、那珂ちゃんも同感! ――この期に及んで正気かよ……!!」
――どうにか、この戦いを切り抜けてバッテリーだけ頂くモン!!
目の前でくまモンたちに攻めかかっている男たちは、曲がりなりにも一度は
モノクマの攻撃から助け出した者たちだ。
くまモンはゆるキャラとして、そして那珂ちゃんは艦娘として、人間を殺すことはどうしても避けたかった。
顎先や鳩尾、延髄などを狙って気絶させようとはしてみたが、浅倉たちにはそんな狙いが見え見えの攻撃はことごとく捌かれてしまう。
そこで二人は、浅倉威を説得できないまでも、防戦に徹しながらどうにか当初の目的であった機材のバッテリーだけは確保しようと、じりじりと移動をしていた。
那珂ちゃんの中に魂だけで存在している
呉キリカは、そんなまどろっこしい戦闘に歯噛みする。
「こいつか? ハッハァ、この機械欲しさにここに来たってことか。読めたぜ」
「あっ――!?」
――しまったモン!?
しかしそんな二人の様子に疑問を抱いていたのは、何も呉キリカだけではない。
浅倉威も、戦うにしてはあまりに不自然な那珂ちゃんとくまモンの動きから、その狙いを読み取ってしまっていた。
十数人におよぶ浅倉たちのうちの一人が、工場奥に鎮座している擬似メルトダウナーの上に登り、その爪を振り降ろそうとしていた。
周りを取り囲む浅倉威たちに攻め返すことなく守りに徹していたくまモンたちでは、気づいたところで、そこまで走り寄ることも出来なかった。
「目の前の戦い以外のことにかまけてんじゃねえよ、こんな祭りでよぉ!!」
「――ふッざけるなぁ!!」
しかしその時、爆発のような蒸気の噴出と共に、那珂ちゃんの体がその場から消失していた。
浅倉威の垣根の一角が吹き飛ばされ、次の瞬間、擬似メルトダウナーの上にせせら笑っていた浅倉の断末魔があたりに響く。
「ごあがぁァ――!?」
「愛には愛を、死には死を……。そんな道理もわからないなら、私が見せてあげるよ、那珂!!」
煮詰めたタールのような低い声が、那珂ちゃんの口から溢れた。
那珂ちゃんの体の操舵権を奪い、呉キリカが速度低下魔法と蒸気機関をフルに利用した高速突進で、浅倉威をその手の爪に刺し貫いていたのだ。
そして彼女は、右手に刺したその死体を高々と掲げ、眼下で瞠目する一同を睥睨した。
「――ワンインチ……。いや、ワンマイル――」
かつて
夢原のぞみが行なった命名に倣うように、キリカは静かに、そして爆発するようにその必殺技を叫ぶ。
「ヴァンパイアファング!!」
彼女は、掲げていた爪を振り被り、勢いよく振り降ろしていた。
高速で伸びたその爪は先端の浅倉威の死体を錘として、モーニングスターかパイルバンカーのような、高質量と急加速を以て地上の浅倉たちを襲った。
その衝撃で工場の床は抉れ、瓦礫が吹き飛ぶ。
くまモン以外にその攻撃を完全に転げ逃れられた浅倉威は4人程度で、残りの10人程の浅倉は大なり小なりその衝撃にダメージを受け、悲痛な叫びを上げた。
そして痛みに動きが鈍ったそれら手負いの浅倉の首を、キリカは黒い疾風のようにその爪で刈り取っていく。
体を操られながら、その光景に那珂ちゃんが悲鳴を上げた。
「キ、キリカ先生、いくらなんでもやりすぎだよ!?
――やりすぎも屋久杉もあるかバカ! バッテリーを持って帰らなきゃ終わりなんだぞ!?」
浅倉たちの血の赤のただ中で、呉キリカと那珂ちゃんの意志は拮抗して立ち尽くした。
ワンマイル・ヴァンパイアファングの衝撃で吹き飛んだ浅倉たちも体勢を立て直しつつあり、くまモンが応戦を始めている。
急いで狩り尽さねば――。
と、キリカがそう思った時だった。
ぴゅるっ、ぴゅるっ、ぴゅるっぴゅるっ――。
「うそ!? 何これ何これ!?」
――大丈夫かモン!?
キリカが殺したばかりの10人の浅倉たちの股間から、一斉に白濁液が迸り始めたのだ。
その異様な光景に、那珂ちゃんもキリカもそろって怖気を震う。
彼女が立ち尽くす工場の陥没地点は、くまモンが起き上がって応戦している場所からかなり離れていた。
そこで、残る浅倉たちへの応戦をくまモンが優先してしまったのは、大きな失策だった。
「も、も、もしかして、もしかしなくても精のつくアレ!? アレってこんな動くの!?」
「そうなんだよ。何時の間にか、死ぬと精が出る体質になっちまったみたいでな」
「うわー!? 勘弁してくれ! 織莉子以外のヤツに散らされるなんて感覚だけでも御免だ!!」
「よそ見してる場合か?」
那珂ちゃんとキリカの両女子は、周囲の死体から湧く白い噴水の異様な光景に、ただただ混乱し恐怖した。
そしてその背後に、首を刈り漏らした浅倉威の残党が迫っていることに、気づかなかった。
ドン、と蹴り飛ばされたと理解した時には、彼女は既に、陥没した床に溜まった大量の白濁液の中に落ちてしまっていた。
「っがぁ――!? あああ、体中にアレがぁぁぁ――!?」
「そんなに汁まみれになったらもう逃げられねえよ。諦めな」
――おい、その子に何をするつもりだモン!?
「お前の相手はこっちだよ!」
大量に溜った体液は、中の細胞たち一つ一つが意志を持っているかのように、那珂ちゃんの体に絡みついてくる。
彼女がもがいてももがいても、ぬるぬるとした液に保護された精細胞たちはいや増しに活発になるだけだ。
くまモンが焦って那珂ちゃんに近付こうとするが、4人の浅倉は行かせまいと巧妙に攻め手を繋いでくる。
くまモンが問うまでも無く、この蠢く精液たちが何をしようとしているのかは、キリカにも那珂ちゃんにも、おぞましさと共に理解できてしまっていた。
「よ、よし、閃いた! ――何、キリカ先生!?」
魔法少女衣装の下にまで白濁液に入り込まれようとしていたその時、呉キリカがハッとした様子で表情を明るくする。
そして精の中に居住まいを正して座り込むと、その体である那珂ちゃんに向けてにっこりと宣言した。
「那珂! お前に操舵権を開け渡す! 元はお前の体だ! 後は任せた!!
――え!? ちょっとこんなところで代わらないでよキリカ先生!! キリカ先生!?」
そして次の瞬間、呉キリカの魔法が那珂ちゃんの肉体から消え去る。
眼帯も魔力も燕尾服も霞のように消滅し、白濁液まみれのドレスのみとなってしまった那珂ちゃんは、絶望感に打ちひしがれた。
その隙に、液体は那珂ちゃんの体へ殺到した。
「やめてよ!! 枕営業なんてしたことないのに!! 気持ち悪いぃぃ!!」
「アイドルかなんかだったのか? 最初で最後が俺なんだ、喜べ」
――いい加減にするモン!! そこをどくモン!!
その重量に一気に押し倒され、那珂ちゃんは身動きが取れなくなる。
足をばたつかせて拒もうとしても、下着の間からそれは無情にも入り込んでくる。
その様子を、陥没の縁で浅倉威の残党がせせら笑いながら眺めている。
猛然と浅倉たちに当身を喰らわせながら、くまモンが寄ってくる。
が――、間に合わない。
「うあっ、やだっ――。お腹ふくれちゃう……!! あぁあ、あぁあぁぁぁぁぁ――!!」
――那珂ちゃん!!
くまモンが手を伸ばした時、軽巡洋艦・那珂は見る間に痩せさらばえて行き、そしてその腹部だけが、餅のように膨れ上がっていた。
「ハッハッハッハッハァ――!!」
臓物と血の赤が、くまモンの視界に舞い飛ぶ。
成熟しきった新たな浅倉威が、那珂ちゃんの腹部を引き裂いて、生まれ落ちていた。
【101人の2代目浅倉威+3代目浅倉威@仮面ライダー龍騎 10人死亡(残り70人)】
最終更新:2017年04月23日 15:33