見上げれば、そこには満天の星空と見紛うほどの煌き。そこに輝く数多の光がいったい何処まで続いているのか、見上げども見上げども、一向に見当もつかない。
 その場所を氷の銀河と名付けたのは、一体誰であったのだろうか。それはもう、この世界の誰も覚えていないことなのであろう。
 だが一つ確かなことは、この場所を見ることができた希少な者たちは、その誰もがこの場所を『氷の銀河』という以外に呼びようが無いと確信するであろう、ということだ。
 それは今まさに氷の銀河を征く五人の冒険者も、そして三百年前にここを訪れたという、かの聖王も、等しくそう確信したことだろう。
 更にいうならば五人の冒険者と聖王には、今この場においてもう一つの共通点が存在する。
 それこそは、今まさに彼らの後ろをついてきている「雪だるま族」の存在だった。
 それは精霊が雪の塊に命を宿し現界した姿で、嘗て聖王がオーロラに導かれて氷の銀河を征き、その先で氷の剣を手に入れた時も、こうして精霊「雪だるま」を連れて行ったのだという。
 しかも聞けば驚くことに、ユリアン達についてきた雪だるまは三百年前にも聖王と共に氷の剣を取りに行った雪だるまと同一個体なのであるそうだ。
 とはいえ、雪だるまがついてきたのは単なる好奇心や懐古心のそれでは無い。それは、必然であるから付いてきているのだ。
 抑もこの「氷の銀河」という極寒の異世界を人の身のままで征くには、雪だるま族の持つ氷雪の加護が必要不可欠なのだという。それが無ければ、ものの数十分で生身の人間など氷漬けになってしまうのだそうだ。
 故にその雪だるまのお陰で一行は、その身がこの異界に在っても普段と変わらぬ身軽な服装で行軍する事が出来ていた。

「うおおおらああああ!!!」

 自身の倍以上の背丈であろう、単眼の不気味な巨人が繰り出してきた拳に、ウォードが自分の得物である大剣を合わせて気合いと共に振り下ろす。
 鈍い衝撃音と共にぐしゃりと骨肉の砕ける音がして拳を潰され巨人が怯んだところに、ロビンが背後に回り込み脚の腱を突いて姿勢を崩しにかかった。
 そして思惑通りにロビンの攻撃で巨人が膝をついたところで賺さずウォードの背後から飛び上がったモニカが、軌道の読めない畝る蛇のような動きの強烈な突きを巨人の眼球に見舞い、頭部を突き抜けて絶命させる。
 そうして彼らが一体の巨人を駆逐している向こうでは、雪だるまの玄武術によって足止めを食らった別の巨人が、その体の上下をエレンとユリアンによって斬り飛ばされていたところであった。

「・・・おかしいのだ。ここは原初の精霊の集合意識体が作った、絶対零度の不可侵領域なのだ。そこに、こんな妖魔が沸くはずがないのだ」
「成る程、これは異常事態なのですね」

 レイピアに付いた血が拭き取るまでもなく外気によって瞬時に凝固し崩れ落ちる様を物珍しそうに眺めた後、モニカは雪だるまへと視線を移しながら、そう答えた。

「まだまだこの辺りには巨人の気配があるようだし、偶然迷い込んだ、というわけではないのだろうな。これが異常事態だというのなら、その原因が何処かにあるはずだが・・・」

 モニカと同じく血糊がすっかり落ちたレイピアを仕舞いつつ、ロビンが周囲を探るように見回した。
 彼らは今、広大で分厚い流氷の上に立っていた。
 氷の銀河と呼ばれるその場所は、どうやら途方もなく大きな空洞となっているようだった。その中にある巨大にして極寒の湖に、いくつもの氷原が浮かんでいるといった格好なのだ。
 陽の光が一切届かぬ周囲は空洞の上下左右から放たれる淡く蒼い光に溢れているが、それでも見通しはあまり良くない。
 暗がりからの奇襲を警戒しつつ極力戦闘を避けるべく、周囲に細心の注意を払いながら五人と一体は進んでいくことにした。

「・・・ねぇ、あそこ見て。なんかある」

 聳り立つ氷塊の物陰に身を隠しながら先陣を切って進んでいたエレンが、突然後続に止まれと手振りで伝えながら、自らの前方を指差した。
 ユリアンらが指さされた先へと視線を向けると、その先で暗がりの中に浮かび上がってきたのはなんと、氷漬けの人間と思われる氷像であった。

「・・・あれは!」

 ユリアンらに遅れて最後にそちらを見た雪だるまは何やら随分と驚いた様子で、そのまま一気にエレンを飛び越して一目散にその氷像へと駆け寄った。
 その様子にエレン達も周囲の警戒をしながら其方へ駆け寄ると、なんとその先ではあまりに驚くべき光景が起こっていた。
 なんと氷像が滑らかに動きだし、雪だるまの頭を撫でていたのだ。
 あまりのことに驚きを隠さないままエレンたちが近づいてよくよく見てみると、氷像は人間の女性を形取っており、またその姿はまだ年端も行かぬ少女のもののようであった。
 そしてその体は氷漬けである他に仄かに青白く光を纏っており、その少女が人ではない何かである事を窺わせた。

「雪だるまさん、その方は・・・」

 モニカが語りかけると、雪だるまと共にその氷の少女がモニカへと振り向く。

「この子は・・・最初の少女なのだ」
「最初のって・・・」

 雪だるまの言葉にエレンがあまり理解していない様子で反応を返す。その横でその言葉を脳内反芻していたユリアンは、そう言えばと思い当たる事があったようで、口を開いた。

「それ、ひょっとしてさっき暖炉のところで言ってた設定の話か・・・?」
「そうなのだ・・・一部は事実なのだ。でも一体なんで・・・。それに三百年前には、ここには何もなかったはずなのだ・・・」

 後半は問いかけるようにしながら雪だるまが疑問を呈するが、まるでそれに応えるかのように、氷の少女は薄っすらと微笑んだだけだった。そしてしばし微笑みを浮かべていた少女は、彼女の体の一部のように思われた胸元の氷の花を取り外し、雪だるまへと差し出してきた。

「これは・・・ま、まさか、永久氷晶なのだ!?」

 驚いた様子の雪だるまに対し、目の前で行われているやりとりの意味がいまいち理解できないユリアン達は、とても不思議そうにその光景を眺めていた。
 だが雪だるまが受け取った永久氷晶と呼ばれる氷の花からは、只ならぬ空気が感じ取れるのは確かだ。

「・・・これは、氷の剣以上に精製に時間を要する至宝なのだ。この氷晶があれば僕ら雪だるまは大きく力を増し、その気になればこの絶対零度の世界の外で活動する事さえ出来るようになるのだ」

 見た目からは全くわからないものの声色からは十分に高揚した様子が伺える雪だるまがそう言っているのを、氷の少女は静かに微笑みながら聞いていた。そして氷の少女はやがて右腕を掲げ、氷の銀河の一点を指差した。
 そして何かを囁くように口を動かすが、そこから紡がれる言葉はエレン達には聞き取る事が出来ない。

「・・・この先に、氷の銀河に起きている異変の元凶がいるらしいのだ」

 唯一少女の言葉を理解した雪だるまが少女の示した方角へと向き直りながらそう言うと、エレンは何かを確信した様子で笑みを浮かべながら腕を組む。

「じゃ、間違いなく氷の剣もそこね」
「ですわね」

 そこにモニカも上品に腕を組みながら同調すると、ユリアンとロビンはやれやれといった様子で肩を竦めながら彼女らの後ろに控えた。

「ま、そりゃ行くんだよなぁ・・・。ったく、この仕事はエライ高くつくぜ・・・?」

 ウォードが半ば破れかぶれ気味に得物の大剣を担ぎながらそう言うのを合図に、一行は少女の指し示した氷の銀河最深部へと向かい始めた。


 それまでと同様に物陰を上手く利用しつつ氷原を徘徊する巨人を避けるように進んで行くと、氷雪の加護があるにも関わらず次第に肌に感じる冷気が強く濃くなってきたように感じられてくる。
 加護があるにも関わらず寒気を感じるのは、雪だるまが言うには最早、外気温が生物の住める温度をとうに下回っていることの証明なのだそうだ。
 そして極寒の世界を進んで行った先に、遂に一行は漸く氷の銀河の異変の元凶と思しき存在を、その視界に認めた。

「あれは・・・」

 エレンがそう呟いた先に鎮座しているのは、拓けた一面の氷原の上にて微動だにせぬ、白銀の巨龍であった。

「ドラゴン・・・」

 その威風堂々たる佇まいは、まるで氷原の中に聳り立つ巨大な氷の彫像のようでもある。しかしそんなことよりも一行が大きく疑問に思うのは、それが本当に彼らの知る龍なのであろうか、ということであった。モニカやエレン、ユリアンの中に揺蕩う十二将達の戦の記憶には、どこを探そうともこの様な姿形の龍種の記録はないのだ。
 そして同時に、目の前の巨龍の力が既存の記憶にある龍種のそれとは大きく異なるであろう事も、その威風からして瞬時に察する事が出来た。

「・・・退くか?」

 抜剣の姿勢は崩さぬまま、小声でユリアンが問う。未知の龍種と戦うには、今の彼等は余りにも準備不足と言わざるを得ないからだろう。

「いや、もう遅いわ」

 エレンがそう言って腰に装着していた斧を取り外すのと、白銀の巨龍の青白い目が見開かれるのは、殆ど同時だった。
 既に、そこは巨龍のテリトリーの中であった。

「!・・・散って! なるべく距離とって!!」

 大気の揺らぎを最初に察知した先頭のエレンは、そう叫ぶや否や自分も後方の岩陰に滑り込みしゃがみ込む。
 全員がそれに習って付近の岩陰に身を隠した直後、世界が白く染まった。
 彼女らのいた空間を中心に周辺の岩を巻き込み、純白の爆風が十数秒にも渡ってあたり一帯を通り抜ける。

「うおおおおおおおお!!!?」

 余りに強力な衝撃波で岩の上部が吹き飛び、そこに身を隠していた最も大柄なウォードが堪らず数メートルほど後方に吹き飛ばされる。
 幸いにも湖面に落ちる前に氷原で止まる事が出来たのだが、彼が急ぎ起き上がってみれば、もう既に今のブレスから身を隠せそうな場所は粗方吹き飛んでしまっていた。

「あれがもう一度きたら耐えられない! 一か八か、速攻でいくよ!」
「ボクは補助に回るのだ!一度は必ず防ぐのだ!」

 エレンの掛け声と共に彼女を先頭に突破隊列を組んだ一行は、掛け声と共に龍に突撃をかけるべく駆け出した。
 まず先頭から斬りかからんとするエレンを薙ぎ払うように、白龍がその巨体に似合わぬ素早さで巨大な前足の鉤爪を振り抜く。するとエレンは、それを回避するように大きく飛び上がった。しかしそれを視線で追っていた白龍がそのまま彼女を噛み千切らんとし、大きく口を開ける。

「させるか!!!」

 エレンに一歩遅れるようにして龍の首をめがけて飛び込んだユリアンが、その首を刎ねるべく渾身の水平斬りを打ち放たんとする。
 だがそれを直前で予見した白龍は瞬時に首を引いてエレンへの攻撃を中断し、翼を羽ばたかせて強烈な衝撃波を起こし二人を目の前から吹き飛ばした。

「モニカ、ロビン!」
「はい!」

 吹き飛ばされながらエレンが叫んだ直後、左右に分かれて至近距離まで潜り込んでいたモニカとロビンが、其々白龍の左右後ろ足へとエストックを突き立てる。
 だが、やけに耳障りな甲高い衝撃音が響いたかと思うと、二人のエストックは白龍の強固な鱗に阻まれてしまい、その身に殆ど傷をつけることは叶わなかった。
 それでも多少の痛みは与えたようで、白龍は己の両足元へと意識が散っていく。

「まだだ、乗っかれぇ!」

 叫びながら吹き飛ばされたエレンが空中で体制を整える後ろで、ウォードが雄叫びを上げつつ大剣の側面を前にしながら豪快にアッパースイングで振り抜く。
 それに気付いたエレンが振り抜かれる最中のウォードの刀身に足を乗せ、擊ち出される大砲の如くに再び白龍への距離を一気に詰めた。

「っっらぁ!!!」

 振り抜かれた勢いに加えてたっぷりと自身の遠心力を乗せた一撃を、白龍の頭へと向けてエレンが放つ。

「グギャアアア!!!」

 耳を劈く様な苦悶の叫びと共に、白龍はなりふり構わぬ様子で翼を羽ばたかせる。
 それによって生まれた衝撃波でその場の全員が散り散りに吹き飛ばされ、直ぐに落ち着いた白龍は己の右眼を今の一撃で潰されながらも即座に臨戦態勢を整え、再度彼女らと対峙した。

「・・・惜しい。頭ごとぶっ潰せれば良かったんだけど・・・」
「なに、今のであの姉ちゃんは彼奴の視界を半分奪った。次はもう少し楽に決められる筈だ」

 白龍と正面から対峙する形で同じ方向に吹き飛ばされたユリアンとウォードはそう言いながら立ち上がり、ユリアンは再び剣を握りしめる。
 そして左右、及び龍の後方に分かれて吹き飛ばされたエレン、モニカ、ロビン等に伝える様に、声を張り上げた。

「今度は俺が撹乱する!全員、隙を突いて一気に頼む!」

 言葉と共に一人白龍の前へと躍り出たユリアンは、ロビンとの一騎打ちで放ったものと同じく己の分身を創り出すほどに気配を分散させた動きを展開する。
 白龍は視線でそれを追ってきたが、しかし闇雲に繰り出された鉤爪がユリアンを捉えることはない。
 この瞬間を好機と捉え、エレン、モニカ、ロビンは渾身の攻撃を繰り出さんと白龍へ距離を詰めた。狙うべきは、強固な鱗に覆われていない体の底面付近や、同じく足の付け根あたりだ。
 だが、白龍はそんな彼女等の思惑を嘲笑うかのように、巨大な翼を羽ばたかせ一気に空中へと舞い上がった。

「おいおいあの巨体で飛ぶのかよ・・・!」
「気をつけろ! あれ来るぞ!!」

 愕然とした様子のユリアンの呟きに合わせてウォードが叫ぶのとほぼ同時に、後ろに控えていた雪だるまが先ほどまで白龍のいた場所に集結していたエレン等の側に飛び込む。
 そしてそれらと合わせるかのように、劈く雄叫びと共に白龍の強烈な冷気のブレスが空中から垂直に地面へと向かって放たれた。

「舐めてもらっては困るのだ!」

 雪だるまの言葉は、爆発音にも似た様な暴風の炸裂音で掻き消される。
 直撃していないにも関わらずとんでもない余波で周囲に巻き起こった衝撃波に、離れていたにも関わらずウォードは再び吹き飛ばされた。
 爆風により辺り一面が氷と雪によって白に覆われ、空中にいた白龍も爆心地から数メートル離れた場所に着地して慎重に視界が晴れるのを観察している。
 そして待つこと十数秒で視界が晴れると、思惑と違ったその光景に白龍は低く唸り声をあげた。
 鋭い龍の眼光が見つめる先には、雪だるまを含めた五体の彼の獲物が、なんとまるで無傷で立っていたからだ。

「凄いじゃない。ありがとね!」

 エレンは斧を構え白龍から視線を外さぬまま、雪だるまへと感謝を述べる。

「どういたしましてなのだ。氷銀河に永久氷晶があれば、フリーズバリア多重展開もお手の物なのだ。でも、連発はちょっと厳しいのだ」

 くたびれた様子を器用に表情で表しながら雪だるまがそう答えると、残るユリアンとモニカ、ロビンも自身の得物を構えて白龍へと向き直った。

「次で決めなければいけませんわね」
「だな。だが同じ手は通じなさそうだしな・・・」

 モニカの言葉にユリアンが答えるが、彼の奥の手である分身剣は先ほど白龍に看破されてしまっている。
 すると、まるで己こそが真打と言うかの如く一歩前に進み出たのは、外套をはためかせたロビンだった。

「では、ここはこの怪傑ロビンにお任せいただこう」

 構えの定石とは違いエストックを対峙する相手と反対側に掲げ、徒手の左手を白龍へと向けながらロビンが言った。

「また飛ばれたら厄介だ。翼を狙う。その隙に」
「オーケー」

 エレンが了解で返すと、ロビンは不敵に笑い、そのまま間を置かず一気に飛び出した。
 軌道は、最初のエレンの突撃と同じ直線。対する白龍は牽制をするかの様に、その鋭い鉤爪をロビンに振るう。
 瞬間、白龍の左前方に飛ぶ様に、黒い影が舞う。
 左目だけが生きている白龍が即座にその影を追うと、その影はなんとロビンが先ほどまで装着していた漆黒の外套であった。

「フェイントは小剣使いの十八番だよ」

 フェイントに一歩遅れて白龍の死角である右側に飛び込んだロビンは、強く握り締めたエストックに己の全身を用いた最大回転を加え、渾身の突きを放つ。

「父直伝のスクリュードライバーだ。君が雌なら、クリティカルだな」
「ギャアァァァァァァアアアア!!!」

 ロビンの放った強烈な突きが、白龍の右の翼を抉り千切る。その痛みに白龍が残る片翼を羽ばたかせつつ大きく身を仰け反らせるが、浮かび上がる事は叶わない。そしてこの瞬間ガラ空きになった白龍の懐にエレン、ユリアン、モニカが次々に飛び込んでいた。
 まず硬い鱗を打ち破る様に、エレンが加速した勢いに遠心力を乗せて強烈な一撃を白龍の喉元に叩き込む。
 次いで飛んだユリアンが、鱗の千切れ飛んだ箇所目掛けて渾身の飛水断ちを打ち込んだ。
 二人の攻撃は会心の出来栄えであったし、それに苦悶する龍の咆哮と共に盛大に血飛沫が舞うが、それでもまだその首を落とすには至らない。

「はああああ!!」

 そして最後に飛んだモニカは、構えたエストックにて超速の五段突きを見舞う。
 まるで夜空に煌めく十字星を描いたかの様な強烈な連撃の最後の一突きが、ついに白龍の首を貫通して背中に向かう鱗と断末魔ごと切り飛ばした。

「うおおおお!! やったじゃねーか!!」

 龍の首が地面に落ちるのと殆ど同時に、ブレスの余波で吹き飛ばされていたウォードが、丁度戻ってきつつ歓声を上げる。

「ナーイスモニカ!」
「恐れ入りますわ、エレン。でも、これは皆様のお陰です」

 互いの動きを讃える様にハイタッチを交わしたエレンとモニカは、頭部を失い鈍重な動きで地面に崩れ落ちる白龍の胴体の向こう側へと視線を投げる。
 その先には、氷原の中に突き立てられた一振りの剣があった。

「あれが、氷の剣なのだ」

 白龍の死骸を回り込む様にしてその剣へと真っ先に近づいた雪だるまに続き、五人と一体がその剣の前へと集まる。
 彼らの目の前に突き立つその剣は、名の通り正に全体が氷で形成された不思議な剣だった。
 エレンが徐にその柄の部分を握ると、地面に突き刺さっていた根元部分を覆っていた氷がひとりでに崩れ落ち、氷原の支えを失う。

「へー。まぁ冷たいけど、氷を握っている感じはないねこれ。全然平気」

 ぶんぶんとその場で二、三度振り回し、エレンはユリアンに向かって放る様に投げて渡す。
 それを難なく受け取ったユリアンは、しっかりと両手で握りしめ、カタリナがよくピドナの庭先でやっていた様に構えて刀身を見つめた。

「つ・・・ついに念願の・・・」
「おっと、それ以上はやめたほうがいい」

 思わず口をついて出た遠い昔の口伝をロビンに遮られたユリアンは、気を取り直して氷の剣を構え、数度素振りをしてみる。
 すると通常の剣からは感じられない独特の波動、あるいは霊威のようなものを感じ取ることが出来るが、しかしユリアンが扱うにはこの剣は多少重量があるようだった。大別するならば、これはカタリナが好んで扱う「大剣」の部類だろう。今のチームでいうなら、ウォードが扱うのが適任に思われた。
 しかし、それを差し出されたウォードの返事は随分とつれないものだった。

「おいおい、勘弁してくれよ。一介のハンターに聖王遺物なんて、其れこそ、豚の前に真珠を投げるってもんだ」

 そう言ってウォードは氷の剣を一時的に受け取ることも拒否し、代わりに俺はこれだとばかりに、白龍の死骸を解体し始めた。
 ハンターたる彼にとってそれが宝の山にも等しいものである事は、他のものにもわかる。何しろ龍の体は、実に様々な部位が貴重であり役に立つからだ。主たる部分でいうならば、龍の鱗は呪具や祭事の際に重宝される他、鍛治の素材としても非常に高値で取引される。
 爪はそのまま短剣にできそうなほど鋭く、角も武具となる他、磨り潰して霊薬としても使われる。
 その血肉もまた非常に貴重なものであるとされ、龍の肉を喰らったものは不老長寿を得るなどという伝承まであるのだという。

「でも気になるのは、そのお味よね。折角だし持って帰って食べてみようよ!」

 ウォードが難儀しながら解体している横で、エレンはそう言いながら手にした斧で豪快に龍を捌き始めた。
 ユリアンやモニカ、ロビンの得物は残念ながらそれを手伝える装備ではないので、実に楽しそうに龍を解体する二人をただ興味深げに見守るだけだ。

 ガキンッ
「うぇっ!?」

 すると順調に解体を進めていたはずのエレンが、不可思議な金属の衝突音と共に斧がはじき返されたことに驚いて声を上げた。

「どうかいたしましたの?」
「いや・・・なんかこいつ・・・うわ、なにこれすご・・・」

 モニカが肩越しに覗き込む前でエレンが白龍の体から取り出したのは、なんと一振りの槍だった。

「ほらみて、こいつなんか槍飲み込んでた!」
「へえぇ、凄いじゃん。龍槍ってやつ?」

 ユリアンも何やら感心した様子で槍に注目したが、その槍がどれだけの代物であるのかはよく分からなかった。
 それを取り出したエレンから興味本位で受け取ったモニカが、彼女の中に渦巻く十二将の戦の記憶を頼りに構え、軽く振ってみる。
 するとその大きさからは想像もできないほど軽々と、しかし驚くほどの力強さを備えた太刀筋が垣間見えた。十二将の記憶の持つ戦闘技術を抜きにしても、この槍は間違いなく他の市販の武具とは一線を画した品であることに間違いは無いだろう。

「これは・・・わたくしには詳しい事は分かりかねますが、かなりの業物の様に感じます」
「槍って言ったら、トーマスやシャールさんかな。氷の剣以外にも、いいお土産が出来たね」

 何食わぬ顔で龍の解体を続けながらエレンがそう締めくくり、そのまま二人の解体作業終了を待ってから一行は間もなく帰路へと着いたのだった。

 帰り道に再度氷漬けの少女の元を尋ねると、少女は雪だるまにしか伝わらない言葉で何かを囁いた様であった。
 それを聞いたゆきだるま曰く、彼女は此処でまた数百年の時をかけて再び永久氷晶を作るのだという。それが今の彼女の存在理由であり、またそれを成すことが彼女の夢であるのだという。
 少女がこの地で最後に見た夢は、彼女が作ったゆきだるま達と共に、彼女の生まれ故郷で自由に遊ぶ事なのだ。氷の銀河が存在する限り、いずれ彼女のその夢は叶うはずだ。

 それから数日、エレン達は雪だるまの村に滞在した。
 理由としては何のことはない、帰るためのオーロラの出現を待っていただけの話である。雪だるまによればこの時期の雪の街には、なんと夜が訪れないのだという。ウォードが言うにはそれは白夜と呼ばれる現象であるそうだ。
 その数日の間にエレンたちは何度か雪だるまを連れて氷の銀河を往復し、巨龍を可能な限り解体して食料や素材の確保を行なった。
 因みに食料らしい食料も龍の肉しかなかったために数日の食事はそれで過ごしたのだが、思いの外、龍の肉は美味であったと一同の中では結論づけられた。基本的に龍は肉食のはずだが、この地にあっては肉も何もなかったから何か別の形で栄養の補給を行なっていたのではないか、というのが畜産の経験も豊富なエレンとユリアンの意見であった。
 そして雪の街滞在から四日目、いよいよオーロラの出現を確認することができた。

「ありがとうなのだ。君らのおかげで、最初の少女にも会うことができたのだ」

 雪だるまがそう言ってぺこりとお辞儀の仕草をすると、一行が口々に応える。

「わたくしたちこそ、お世話になりました。お陰様で氷の剣も手に入れられました」
「ありがとうね、すっごい楽しかった!」
「また来るよ」
「共に冒険をした証に、このロビンマスクの予備を一つあげよう」
「世話になったなぁ。飲みの席の話題が一つ増えたぜ」

 そうこう言っているうちにオーロラがエレン達を覆っていき、視界が極彩色に染まっていく。

「君たちに、精霊の加護があらん事を、なのだ。時が来れば、僕らも必ず・・・」

 雪だるまの最後の言葉は、オーロラにかき消されて殆ど聞こえなかった。
 そして程なくしてオーロラが晴れると、エレン達は冷たい風の吹きすさぶ小さな崖の上に立っていた。
 背後にはウォードの組み立てかけのテントが、雪を被った状態で放置されている。そして周囲は暗く、夜が確かに訪れている事を告げている。
 どうやら、無事に元の場所へと帰ってこれたようだ。

「よっし、ユーステルムに戻ろう!」

 エレンの掛け声と共に、一行は意気揚々とユーステルムへの帰路に着いた。








最終更新:2019年06月12日 18:56