—カランカラン…コロロン…——
「いらっしゃい」
イスカンダールから見て左側の扉が勢いよく開き、それに合わせて軽快にドアベルが響き渡る。
やけに背後が騒がしい外界から自然体で店内に入ってきたのは、最新の流行とは言い難い、黒でキメたシャツとスラックス、そして淡いピンクのネクタイが特徴的な男だった。
店内に足を踏み入れたその男は、カウンターのイスカンダールに視線を寄越すと、少し驚いたように瞳を見開く。
それに合わせて、イスカンダールはイタズラっぽくニヤリと笑って見せた。
「やぁ、ロスター捜査官。なかなか久しぶりじゃないか」
「おいおい、イスカンダールのおっさんじゃねーか。いつの間にマンハッタンに店繋げたのよ・・・ってかロスター言うな。ヒューズでいい、ヒューズで」
黒い男-ロスター捜査官もといヒューズは、肩にかけていた特注ジャケットを椅子の背に放ると、どかりと席に腰掛けた。そして早速胸ポケットから紙煙草とライターを取り出し、箱から直接煙草を口に咥え、火を着ける。
その一連の動作に合わせて、こちらもガラス製の灰皿を彼の前に出してやった。
このヒューズという男、BARイスカンダリアには珍しい「常連」の一人だ。
イスカンダールの知る中ではかなり科学文明が発達している世界である「リージョン」と呼ばれる世界の住人で、なんでも治安維持に関わる国家公務員なのだそうだ。
科学がかなり発達した世界にいるからか、彼はこの店が何らかの技術により独立した空間である、ということにも気がついている。彼流に言わせれば、ここは彼らの世界の何処かにある「イスカンダリアという名のリージョン」ということらしい。
「ふぅ〜・・・。ったく、トリニティのお膝元は気兼ねなく煙草吸える場所が最近めっきり減っちまったから、ここは助かるぜ」
「ふふ、マンハッタン周りは随分そのあたりの規制も厳しくなってきたらしいからな。クーロンあたりで飲む方が肌に合ってるんじゃないか?」
「まぁな・・・俺だって好き好んでマンハッタンなんざ来たくねーけど、仕事だったんでな。でもクーロンはクーロンで飲むといっつも何かしらトラブるんだよなぁ・・・。ほら、やっぱ俺って仕事出来ちまうからさ、事件が俺を放っといてくれないのよ」
そう言いながら、ヒューズは左手でグラスを振るジェスチャーをする。これは彼が「いつもの」を飲みたい時にする仕草だ。
「まぁクーロンは事件のない日なんてないだろうからな。敏腕捜査官は大変だな」
ヒューズの軽口にニヤリとしながら返しつつ、イスカンダールは背後の棚からウィスキーのボトルを一本取り出す。
彼がこの店に来た時には、実は同じボトルしか飲まない。
そういった好みの酒が決まっていてそればかりを飲む客は案外バーでは珍しくないが、この男ほどそれが徹底しているタイプは流石に珍しい。
おっと、ならばそのボトルを買って家で飲んだ方が安上がりでは、なんて思ってもらっては困る。
お気に入りの一杯を、バーで飲む。そこにこそ、大いなる意味があるのだから。
丁寧に磨き上げられたロックグラスを、そっとグラス棚から取りあげてヒューズの前に置く。そこに予めアイスピックで削り出しておいた丸氷を氷室から取り出し、軽く整形し直して落とす。
あとはウィスキーをボトルからそっとグラスに注いでやると、パチパチと氷が液体を浴びて溶けていく魅惑的な音が店内に響く。
薄暗いオーセンティックバーのカウンターで、煙草を燻らせながらこの甘美な音に耳を傾けている瞬間。それは、さながら教会でマリア像を前に跪き祈りを捧げるが如く、儀式的な様式美すらも感じる。
「そうそう、偶には敏腕捜査官にも休暇が必要なのさ。このアクアヴィーテと共にな」
アクアヴィーテとは『命の水』を意味する言葉だが、お気に入りのウイスキーが命の水とは、実に彼らしい言い回しだ。
そう言いながら目の前に差し出されたロックグラスを手に取り、さっそく軽く一口飲む。
そしてすかさず右手の指に挟んでいた煙草を咥え、新緑を前に深呼吸するかのように深く息を吸い、細い煙と共にゆっくりと吐く。
そして、お決まりの至福の表情を浮かべるのだ。
全く、いつもながら実に美味そうに酒と煙草を嗜む男である。
普段の言動は残念ながら三枚目そのものなのだが、こうして黙って酒を飲んで煙草を燻らせていたなら相応にモテるだろうに、とは思いつつも、口にはしない。そういうところも含めて、ヒューズという客なのだ。
—カランカラン…コロロン…——
まるでヒューズの一連の儀式が終わるのを待っていたかのようなタイミングで、ヒューズが来たのとは反対側の扉が、またしても軽快なドアベルの音と共に開く。
「・・・うぉっ、こりゃマズったか・・・?」
こちらにも聞こえるように一人呟きながら店内を覗き込んできたのは、都会的なヒューズとは対照的に冒険者風の格好をした男だった。
歳の頃は、ヒューズとそう変わらないくらいか。短めに切り揃えられた逆毛にうっすらと無精髭を生やした、いわゆるワイルド系イケメンといったところだ。こりゃあ女泣かせだろうな、というのがイスカンダールには見ただけで分かる。
「いらっしゃい。おたくは・・・ほう、ヴェスティアからか。その風貌だと、ディガーかヴィジランツってところかね。なに、そんなに心配しなくても大丈夫。ここは格安でやっているんでね」
「こんな高級そうな構えしてて、ホントかぁ・・・? 俺はカネはあんまりもってないぜ?」
そう言いながらも、男は特段物怖じした様子もなく入ってくると、ヒューズと一つ飛ばしの位置の椅子に腰掛けた。
「心配の必要はないぜ。このおっさんの言うことは本当さ。なんならツケもきいちまう、最高の店だ」
「お、そりゃ有難いね」
「おいおい・・・せめて原価分くらいは回収させてほしいもんだがな」
早速ヒューズが軽口を交えて新規来客を歓迎すると、男もすぐさまそれに反応してニヤリと笑いながら返す。
この感じ、どうやらこの2人はなかなか馬が合いそうだ。
「俺はリッチ。ディガーだ」
「なんだ、すげぇ金回り良さそうな名前じゃんか。俺はヒューズ。天下のIRPO様よ」
「ははっ。まぁ、名前と違ってカネはないんだけどな。だが美人を引っ掛ける時の鉄板ネタなんで重宝してる。よろしくな、ヒューズ」
そう言いながら2人は軽く握手を交わす。
「お、なら是非ともお手並み拝見と行きたいとこだな。よし、俺から一杯だすから、チャンスあったら一枚噛ませろよな。おっさん、俺からリッチに一杯!」
「お、いきなり悪いねぇ。じゃあエールをもらえるか?」
「・・・ヒューズ、出したからには今日ツケはダメだからな?」
そう言いながら、イスカンダールは足元のビア樽とビアサーバーをセットする。
この店ではエールビールも樽生形式で用意しているのだが、毎回のサーバー清掃が面倒なので、オーダーされない限りは繋げていないのである。きっとこれはBARあるあるだろうと、イスカンダールは勝手に思っている。
「へぇぇ、ディガーってのはつまりお宝探しをしている冒険家ってことか。そのロードレスランド?っつーリージョンは俺は知らないが、冒険家っつーのはロマンがあっていいねぇ」
「はっはっは、何ならロマンしかねぇけどな。むしろこのご時世でディガーを知らん奴にあったことの方が俺は驚きだが、どうやらここは俺の勝手知ったる場所とは違うっぽいしな・・・別に嫌な感じじゃないが、随分と独特のアニマを感じるよ」
ピルスナースタイルのグラスで入れたところで、リッチはすぐに飲み干してしまいそうだ。なので、初来店サービスのつもりで大きめのジョッキにエールを注いでいく。
この店の樽ビールはいくつか種類があるが、エールビールはペールエールという種類を用意している。ペールエールは一般的なビールに比べても色が淡く、麦のコクが強めだったりホップが効いているのが特徴のビールだ。イスカンダリアでは、その中でも柑橘系のホップが感じられるペールエールを用意している。
「はいよ、お待ちどうさま」
「おぉぉ、ガラス製のジョッキだなんて、なんか緊張するなぁ。そんじゃ、いただきます!」
「おう、かんぱーい!」
リッチとヒューズはお互いにグラスを掲げ、同時に杯に口をつける。
こちらにもしっかり聞こえてくるほど喉を鳴らしながらジョッキの半分くらいまでを一気に胃に流し込んだリッチは、軽く音を立ててグラスを置くと、とても驚いたような表情と共に息を吐き出しながらジョッキを見つめていた。
「こいつは美味いな!いつもの濁ったエールとは訳がちがうぞ・・・!」
そうだろうそうだろう、とイスカンダールは内心で頷く。
ここの酒はイスカンダール自身が様々な世界を飛び回り選抜した、極上のものばかり。美味くないわけがないのだ。
なにしろビールひとつとっても種類が豊富な上に、最近は小規模生産ビール、いわゆるクラフトビールが流行っているおかげでバリエーションが爆発的に増加しており、イスカンダールとしても店に何を置くべきであるのかという点は、非常に頭を悩ませる問題なのである。
その大いなる葛藤を勝ち抜いて店内に置かれているエールに、ハズレなどあろうはずもないのだ。
「いい飲みっぷりだねぇ!よしきた、折角だしおっさんも一杯やってくれよ!」
「ふふ、ではお言葉に甘えさせてもらおうか」
ヒューズが調子付いてきたので、ここはお言葉に甘えて自分も一杯頂くことにする。
こうも目の前で美味しそうに飲まれては、流石にこちらも飲みたくなるのは仕方がないことだ。それこそ、かみすらも認める人間のサガであろう。
イスカンダールが自分用のエールを注いでいる間にも、男2人はお決まりのような話題に花を咲かせていく。
「はぁー流石にモテるねぇ。で、リッチはそのディアナって子と今回のユリアって子、どっちか決めてんのか?」
「いや、なんつーか俺は根無し草でいいと思ってるタチだからなぁ。あんま1人に絞ろうって考えたことはないんだよなー。まぁ、もしガキでもできたら考えるって感じだな」
「羨ましい話だぜ。こっちなんか受付のかわい子ちゃんもべっぴんの同僚も全然相手してくんねーってのに。俺にも1人くらい紹介しろっての。そうだな、さっき話に出てたエレノアってオネーサンあたりがいいな」
「おいおいヒューズ、お前結構趣味悪いぜ。あいつは確かに見てくれはイイが、ありゃ優男をはべらすタイプだ。今回も若いのを連れてたしな」
2人の下世話な話の間を縫うようにして、イスカンダールが控えめにエールの注がれたグラスを掲げる。するとヒューズとリッチは再度お互いの杯を持ち上げ、本日2回目の乾杯の声が上がった。
こうなると、もう男3人での呑みの場だ。普段よりもペース早く、次々にグラスは傾けられていく。
「いやードールは絶対俺に惚れてると思うんだよなー。でもクールぶってる恥ずかしがり屋ちゃんだから、なかなか俺の誘いにノッてこねーのよ」
「さっき見せてもらった変なクヴェルに写ってた子か。確かにめちゃくちゃいいオンナだったな。俺の周りにはクール系ってあんまいないんだよな。あー、でもお袋が昔はちょっとそんな感じだったってタイラーさんが言ってたかな」
「タイラー?無責任そうな名前だな」
「いやいや、タイラーさんはすごい人だぜ。なにしろあのギュスターヴ公と戦地で肩を並べたことがある程の人だったんだ。俺もディガー始めたての頃、めちゃくちゃ世話になったもんだよ」
「ギュスターヴ公・・・確か、鋼の十三世、だったか。その名前は流石に私も聞いたことがあるな。ぜひ一度は会ってみたいものだがね」
男3人ともなれば、酔いも加速して話は次々に移り変わっていく。
はたして本日のお会計は、ツケにならずに済むのかどうか。
イスカンダールの唯一の心配事は、とにかくそこに尽きるのであった。
登場したお酒
特に産地がどうのというのは文中では触れていませんが、完全に勝手なイメージで、ヒューズが飲んでいるのは「ジャックダニエル(No7)」だと思っています。めっちゃ似合いそうだと思いません?(笑
なので、味的にはテネシー(バーボン)、原材料はとうもろこしのウイスキーということになりますね。流石にヨークランドでは作ってなさそうですかね。
さらに余談ですが、ヒューズが吸っている煙草の銘柄は、個人的にはラッキーストライクかなって勝手に思っています。ジャックと共にアメリカン合わせですね。
冒険者といえば、木製ジョッキで派手に「プロージット!(乾杯!)」のイメージですね。
これも作中で産地など触れていませんが、やはり現代日本で流通するビールのイメージが強いです。まぁアンリミテッドならきっとこの世界にも来れるんでしょう(適当
ペールエールはイギリス発祥で、アメリカでホップ強めが発展したとも言われます。筆者が好きな家飲みビールが「よなよなエール」というペールエールスタイルのビールなのですが、味は完全にそれをイメージしています・・・笑
元々一番好きだった「バスペールエール」が日本に輸入しなくなってしまったのが、非常に残念です・・・あれほど美味しいビールが(以下略
最終更新:2023年08月30日 08:01