—カララン…コロン…——

 カウンター内のイスカンダールから見て左側の扉が僅かに開き、それと同時に控えめにドアベルが響き渡る。
 開いた小さな隙間から先ず店内に入ってきたのは、右足と思しき靴先。
 そして外から何やら重いものを持ち上げるような音が聞こえたかと思うと、今度は勢いよく扉が開ききり、両手で荷物を抱えた筋骨隆々の男が店内に入り込んできた。
 同時に男の背後から強烈な冷気も侵入してくるが、しかしイスカンダールは気にせず涼しい顔だ。

「あぁ、おつかれさん。そこの桶の上に頼む」

 カウンター内からイスカンダールが視線だけ向けてそういうと、男は無言で荷物を持ち上げ、カウンター上に置かれた大きめの桶の上に抱えていた荷物を置いた。
 そこに置かれたのは、切り出されたばかりと思われる巨大な氷の塊だ。

「いつも助かるよ、エイリーク。やはりナゼール南方で取れる氷は、質がいいな」
「いや、我々もこのような場所で商売ができ、助かっている」

 氷を届けてくれた男の名は、エイリーク。
 とある世界の極寒地域であるナゼールという場所に住む男で、ムーという動物と共に遊牧生活をするサイゴ族の族長をしているらしい。
 なぜ彼が開店前のこの店にこうして来ているのかといえば、もちろんそれはイスカンダールが依頼したからだ。
 なにしろBARイスカンダリアで使う氷は良質な物でなければならない、という並々ならぬ拘りを持っているイスカンダールなのである。
 それゆえ、地元世界はトーレ村で採れる永久氷を筆頭に、他世界ではゆきだるま族の住む氷銀河、ノルミ辺境州の流氷、そしてこのナゼール地方南方の氷など厳選された氷のみをイスカンダリアでは使用しているのである。
 特にナゼールの氷はサイゴ族がムーと共に海峡を南に渡っている時期限定なので、その間は彼から氷を仕入れることにしている。
 エイリークも最初は氷原に忽然と現れたこの場所に随分と驚いていたものだが、彼の世界に点在する古代人の遺跡技術を用いているのだ、という設定でとりあえずは納得してもらっている。

「そういえば今日は、以前聞かれたムーの肉も少し持ってきたが、いるか?」
「お、是非買わせてもらおう。クラウンか、それとも食料と交換がいいかね?」
「食料で頼みたい。以前もらった果物などがあれば嬉しいな。子供たちが喜ぶのでね」

 そう言いながらエイリークは、再度店の外に出ると、すぐに人間の頭くらいの大きさの骨付き肉の塊を持ってきた。
 イスカンダールはカウンター越しにそれを受け取ると、代わりに藁編みの籠いっぱいに詰め込んだ果物盛り合わせをエイリークに手渡す。

「たくさん食べさせてやってくれ」
「あぁ、助かる」

 籠を受け取りながらエイリークが頷くと、イスカンダールも口の端を釣り上げて笑いながら応えた。
 そのままエイリークは会釈と共に籠を持って店の外に出ようと扉を開くが、扉を少し開けた瞬間にゴウンという音と強烈な風圧が起こり、横殴りの吹雪が店の中に舞い込んできた。
 それに動じずエイリークが体で扉を支えながら、とにかく一旦その吹雪を押し戻すように戸を閉める。

「急に外が吹雪いたみたいだな。弱まるまで、ここで少し休んでいくといい」
「・・・すまないが、そうさせて貰うよ」

 イスカンダールの厚意に甘んじるようにエイリークは頭に被っていた特徴的な帽子を脱ぐと、軽く体についていた雪を払って椅子に腰掛けた。

「いい氷と、更にいい肉まで届けてもらった礼だ。開店までまだ時間もあるし、何か一杯サービスしよう」
「重ね重ねすまない。ではそうだな・・・何か温かいものをお願いできるか?」
「お安い御用だ」

 エイリークのリクエストを快諾すると、イスカンダールは何を出そうかと数秒思案した後、思いついたとばかりに指を鳴らしながらカウンターの隅へと向かい、壁に掛けられていた小鍋を手に取る。
 そのままカウンター端に設置された釜の中に極小の炎の矢を打ち込んで木材に着火すると、次にすぐ近くにあるカウンター上の樽の栓を捻り、鍋に樽の中身を注いでいく。
 鍋の中になみなみと赤い液体が注がれると、イスカンダールはそのままそれを火にかけ始めた。

「ええっと、スパイススパイス・・・っと」

—カランカラン…コロロン…——

 何やら呟きながらイスカンダールが釜近くの引き出しを漁っていると、今度は彼のすぐ近く、エイリークが来たのとは逆の扉が開き、これまた先ほどに引けを取らぬ強烈な寒気が店内に流れ込んできた。
 その寒気と共に店内に入ってきたのは、これまた手に荷物を抱えた人物。しかし今度は女だ。

「おぉ、ティシサックじゃないか。ひょっとしてもう獲れたのか。流石に早いな」
「あぁ。狩りは慣れている」

 ティシサックと呼ばれた女は、手にしていた藁包みをカウンターの上に置く。その中には、新鮮な鳥類のものと思しき肉。
 狩人であるティシサックには、彼女の主たる居住地である北東界外周辺で獲れる良質なジビエ素材を仕入れてもらうために、最近になって不定期配送を依頼したのである。
 近頃は料理にも手を出し始めたイスカンダールが店で出す一品を研究するために、今回は丁度いい野鳥を仕入れてもらいたいと言っていたのだった。
 ちなみに彼女の世界では星神を中心とした超常の存在が力を振るっているようなので、北東界外に突然このような店が出現したことにも、彼女はそこまで驚いていなかった。いや、あまり驚かないのは星神云々など関係なく、元々の彼女の気質なのかもしれないが。

「おや、これは・・・血抜きと毛毟りまでやっておいてくれたのか。すまないな」
「構わん。慣れている」

 肉に目を向けたイスカンダールの言葉に何でもないという様子で短く返したティシサックは、ふとカウンターに座っているエイリークへと視線を向けた。
 次に、すぐさま彼の羽織っている見慣れない毛皮の外套に目が留まり、僅かに視線を細める。
 そして間髪入れずにすたすたとエイリークの元に近寄っていったティシサックは、彼のすぐ真横で足を止めた。

「わしの名はティシサックだ」
「私はエイリークという。して、何か用かな、ティシサック殿」

 唐突な名乗りにもエイリークがいかにも族長らしい余裕で持って対応すると、ティシサックはこくりと小さく頷きながらエイリークの羽織る毛皮へ再度視線を落とした。

「見慣れぬその毛皮が気になった。これは猪の一種か?」
「いや、これはムーの毛皮だ」
「ムー。聞かぬ名の動物だ。触ってもよいか」
「あぁ、構わんよ」

 エイリークが頷くと、ティシサックは彼の隣の椅子に腰掛けながら彼の外套を興味深そうに触り始めた。

「・・・ふふ、狩人としては気になるか」

 ちょうどそこに、二つのカップを手にしたイスカンダールが近づきながら声をかけと、ティシサックは無言で頷きながらもふもふと毛皮を触り続けている。

「エイリーク、お待たせしたな。よかったらティシサックも飲んでいってくれ。獲物の下処理をしておいてくれた礼だ」

 そう言いながらイスカンダールは2人の前に、カップを置く。
 するとカップから立ち上る芳醇にしてスパイシーな香りに、思わず2人は鼻腔を向けた。

「こいつはグリューワインだ。2人とも寒冷地住まいなら、体を温めるにはやはりこれだろう。冷めないうちに飲むといい」

 ほんわかと立ち上る魅惑的な香りの前にエイリークとティシサックはごくりと喉を鳴らし、お互いの顔をチラリと見てから、カップを手に取る。
 鼻を近づければその香りは更に強くなり、その奥にアルコールの香りもしっかりと感じられることから、これが間違いなくワインであるということがわかる。
 そして2人が同時に一口含むと、まるで2人ともシンクロしたように目を見開き、驚いたような表情を浮かべるのであった。

「おぉ、これは美味い・・・!」
「うむ、飲んだことのない味だ。甘いが、生姜のような風味もある」
「ご明察。グリューワインは砂糖や蜂蜜などで甘みを付けつつ、スパイスや生姜などを入れて体を内側から温めるためのドリンクなのさ」

 イスカンダールの説明を聴きながら、2人は少しずつカップを傾けていく。
 先ほどまで寒気が店内に忍び込んでいたのも手伝い、今ならば格別の味わいであろう。

「甘みやスパイスは現地にある物でなんでも代用出来るので、もしワインが手に入ったらそちらでも作ってみるといい」

 イスカンダールは2人が味わいながら飲んでいるのを見て満足そうにニヤリと笑ってそう言うと、思い出したようにいそいそと開店準備に取り掛かることにした。
 うっかり接客の流れになってしまっていたが、今はまだ開店前。先ずはエイリークが持ってきてくれた氷を、さっさとアイスピックで割っていかなければ。
 今日届けてもらった肉たちで色々と試行錯誤するのは、また今度のお楽しみになりそうだ。

「ムーのことについて、もう少し聞きたい」
「あぁ、構わない。ムーとは我々サイゴ族とずっと昔から暮らしてきた動物でな、ナゼールでは伝統的な・・・」

 イスカンダールがアイスピック一本を手に大きな氷塊とカリカリ格闘しているその側で、遊牧民と狩人の世間話はグリューワインが無くなるまでの束の間、ささやかに行われたのであった。






登場したお酒
  • グリューワイン
いわゆる「ホットワイン」ですね。ホットワインは日本で分かりやすく呼称したもので、原産のヨーロッパでは上記の他、ヴァンショーとかグレッグなんて言われたりもします。
お好みのワイン(赤白ロゼどれでも)を飲みたい分だけ鍋に入れ、蜂蜜や砂糖などで甘みを加え、あとはシナモンやクローブ、スターアニス、生姜などお好みのスパイスを入れて沸騰させる手前まで温め、濾しながらカップに入れれば出来上がりです。濾す少し前にオレンジやレモンのスライスを風味づけに入れても美味しいです。
冬の定番ドリンクとして私もよく飲んでいますが、めんどくさがりなので、いつもマグカップにお安い赤ワインを入れてレンチンし、砂糖or蜂蜜とシナモンパウダーをぶち込んで飲んでます(笑


最終更新:2023年09月10日 08:20