—カランカラン…コロロン…——
「いらっしゃい」
イスカンダールから見て左側の扉が軽快に開き、それと同時にドアベルが賑やかに響き渡る。
扉の外から吹きつける寒気を含んだ風と共に店内にするりと入ってきたのは、身のこなしから見ても随分に腕が立ちそうな、勝気な雰囲気の女だった。
女は薔薇を思わせる赤い色調の衣服を身に纏い、色素薄めな金髪を赤のバンダナでまとめ上げたラフな出立ちだ。そしてその女と共に吹き込んできた風が含む懐かしい世界の香りに、イスカンダールは思わず目を細め、うっすらと笑みを浮かべる。
地元世界と繋がるのは、中々久しぶりだ。
「へぇ・・・ニバコリナにこんなところがあったなんてね。知らなかったよ」
そう言いながら後ろ手に扉を閉めた女は、衣服にうっすらとついた雪を入り口で払い、物珍しそうに店内を眺めながらカウンター席へ腰掛けた。
「ニバコリナは案外入り組んだ作りの街だからな・・・目立たないところに店を構えていると、案外分からないもんさ」
「そんなんで商売やっていけんのかいってツッコミは、やめておくよ」
「そうしてくれると助かる」
そう言いながらイスカンダールはニヤリと笑い、カウンター下から取り出した温かいおしぼりを女に手渡してやる。
女はそれを受け取るとその暖かさでしばし悴みかけていた手を解し、次いでカウンター内のボトル棚に並ぶ酒瓶たちへと視線を向けた。
「こりゃあ、かなりの品揃えだね。見たことのないものも多い。あたしもそこそこ酒は飲んできた方だけど、こんなに知らないのがあるところは初めてだよ」
「ふふ、品揃えにはちょっとした自信があってな。好みの味があれば、幾つかおすすめも出せるが」
イスカンダールの言葉を流しながらボトルたちを順々に眺めていた女の目に、見慣れぬ絵柄のラベルが貼り付けられた瓶が飛び込んでくる。
そのボトルには、一角獣と薔薇を模したと思われる紋章のようなものが貼り付けられていた。
「そいつは、どんなやつなんだい?」
女が指差したボトルを見たイスカンダールは、ほう、と物珍しげに声を上げながら、棚からボトルを取り上げる。
「月並みな物言いだが、中々にお目が高い。こいつは、ローザリアという国で作られる林檎を原料としたブランデーでな。毎年ローザリア独立の記念日に合わせて献上される、本数限定の逸品だ」
「へぇ、林檎のブランデー。じゃあそいつを貰おうか。そのまま飲んでも良いんだろうけど・・・せっかく腕の良さそうなバーに来たんだ。それで何か一杯、カクテルでも頼むよ」
「お安いご用だ」
オーダーを受けたイスカンダールは、早速カクテル作りに取り掛かろうと、まず材料となるボトルを幾つか取り出し、女の前でカウンター越しに並べていく。
次いでシェイカーを手に取って目の前に設置すると、滑らかな手つきでメジャーカップを手元から掬い上げ、順々にカクテルの材料を計量しながらシェイカーの中へと注いでいった。
—カラン…コロン…——
ちょうどイスカンダールがこれからシェイカーに氷を入れようかとしているところで、彼から見て右側の扉がゆっくりと開く。
そこから中に入ってきたのは、凛々しくも何処かあどけなさが残る印象の青年だった。その服装は明らかに高貴な身分の出身であることがわかる、美しい刺繍の施されたものを身に纏っている。
「・・・ここは・・・もしかしてシフが言っていた・・・」
「いらっしゃい」
青年が何やら呟きながら店内を見渡している中、イスカンダールが声をかけると、青年はそれに気がついてぺこりと軽く頭を下げ、カウンター席へと近づき、腰掛けた。
イスカンダールは青年にもおしぼりを出すと、メニューも一緒に手渡しながら、シェイカーへ氷を入れる作業に戻る。
その間も青年は、物珍しげに店内を見渡していた。
そして、何故だか随分と驚いたような様子で自分のことを見ている先客らしき女と視線がかち合い、何事かというかのように軽く首を傾げる。
「あの・・・私に何か?」
「あ、あぁ・・・すまないね。ちょっと、あんたの雰囲気が知り合いに似ていたもんだからさ」
「そうでしたか。私は、イスマス侯ルドルフの息子、アルベルトと申します。お名前をお伺いしても?」
アルベルトと名乗った青年がカウンターのイスから半身だけ女に向けて胸に手を当てながら応えると、女はそんな様子にも一々目を丸くしながら、次にはふっと懐かしげに微笑んでアルベルトに向き直った。
「あたしはローラ。ここの町外れで、子供らに読み書きを教えているんだ」
ローラと名乗る女のその微笑みに、何故だかアルベルトも何かを感じ取ったかのように目を瞬かせ、そして優しげに微笑み返した。
「ローラさん・・・ですか。偶然ですね、貴女の雰囲気も、どこか私の知り合いに似ています」
「そうなのかい。それは何だか、出来すぎた偶然だね」
そう言いながらはにかみ笑いし合う二人の前でシェイカーを振っていたイスカンダールは、ローラの前にすっとショートグラスを差し出した。
その美しい色合いに思わずローラがへぇと呟くと、つられてアルベルトもそのグラスを見て目を見張る。
「・・・見事なヴェルニーグラスですね」
「おや、あんたはこれを知っているのかい」
アルベルトが呟くと、ローラはグラスとアルベルトを交互に見た。
「はい。ローザリアの特産であるヴェルニー合金を用いたグラスはどれも美しい光沢を放ちますから、分かり易いのです。それにしても、ここまで薄く均一な形のものは珍しいですね」
「ローザリアっていうと、確かこのお酒の作られている国だっけか。あんた、詳しいんだねぇ」
ローラの前に差し出されたグラスへ、シェイカーの中身を注いでいく。
美しいルビーレッドのカクテルがグラスに満たされると、カシャリと音を鳴らしてシェイカーを引き戻したイスカンダールがお待たせしましたとばかりに一礼をして見せる。
「やはりこのボトルで作るカクテルと言えば、こいつだろう。ジャックローズという。どうぞ召し上がれ」
イスカンダールの紹介を耳にしながら、ローラはグラスの脚を手に取り、口に含む。
キリッとした柑橘系の酸味と林檎由来の奥深いブランデーの風味に、舌鼓を打つ。
「・・・こいつは美味いね。気に入ったよ」
「それはよかった」
その様子を見ていたアルベルトの視線が、今度はローラの前に並べられていたボトルに注がれる。
「それは・・・オーダージュですか。ローザリアブランデーの中でも最上級のものですね」
「ふふ、流石にお詳しいな」
アルベルトがボトルを見ながら熟成年数を言い当てると、イスカンダールはニヤリと笑みを浮かべながら返す。
するとアルベルトは、少し照れ臭そうに笑みを浮かべながら頭を軽く掻いた。
「イスマス領でも果樹園は多かったものですから、知識は一応。それに・・・散々酒にも付き合わされたので、少しは味も分かるようになりました」
「へぇ、若そうに見えるのに、随分と舌が肥えてるんだね」
アルベルトの話を耳に挟みながらローラが茶化すと、アルベルトはどこか親しみのある笑顔でローラを見返す。
「えぇ。丁度先ほど申した、貴女に似た雰囲気の方に付き合わされたもので」
「ふふ、それじゃあ、さぞ強いんだろうね」
「その人には全く敵いませんけれど、嗜む程度には。では私には・・・ウォッカをいただけますか」
アルベルトのオーダーを聞いたイスカンダールは、中々意外なチョイスだなと感じながらも快く引き受け、どのボトルを出そうかと暫し思考の海に浸る。
マルディアス世界のウォッカといえばバルハラント産だが、それでは芸もない。ここはやはり、こちらの世界のもので何か用意するべきだろう。
「ウォッカかい。この辺りじゃ見慣れたもんだけど、あんたの年頃とその身なりで呑むには、随分と渋いチョイスだねぇ」
「あはは・・・実は、これが初めて教えてもらったお酒なんです。シフというバルハル族の女性なのですが、彼女が好んで呑むのがウォッカだったもので」
そう言いながら笑みを浮かべるアルベルトの前にイスカンダールは早速、ショットグラスに注がれた透明の液体を差し出す。
「こいつは、彼女の住むニバコリナで作られるウォッカでな。バルハラントに負けず劣らずの寒冷地域さ」
「へぇ、ローラさんはそこに住んでいるんですね。益々シフとの共通点が増えますね」
そう言いながらアルベルトは、グラスの中身を舐めるように口に含む。確かに、強くはないが自分のペースで飲むタイプのようだ。
「・・・美味しい。味そのものはクリアですが、仄かな甘みを感じますね」
「あぁ、ニバコリナのウォッカは色々とフレーバーも多くてな。そいつは特に混ぜ物をしていないスタンダードボトルだが、その仄かな甘さは特徴的なものさ」
流石に味の違いを的確に突いてくるアルベルトに、イスカンダールはやたら満足げに頷きながらウンチクを添えた。
しかしそうして酒を飲む様にもなんだか外見のあどけなさとアンバランスさを感じ、ローラはそれを微笑ましく思ってしまう。
「あんたは、あたしの知り合いがもう少し成長したらそんな感じになりそう、って雰囲気だね・・・もしエスカータに寄ることがあれば、是非アンリって子を尋ねてみてほしいよ」
「アンリさん、ですか。分かりました。そのエスカータという国のことは存じませんが、いつか訪れることがあれば、是非お会いしてみたいと思います」
二人は、それぞれの知る親しい知人の話を交えながら、暫しの歓談を楽しむ。
ニバコリナやエスカータ等の地元ネタならばついつい口を挟みたくなるところだが、ここでのイスカンダールはあくまでバーテンダーである。
二人の会話に時折合いの手を入れるに留め、二人の談笑する様を、そのゆっくりとした時間を守護することこそが己の役目であると心得ている。
そうして一歩引いたところから穏やかにイスカンダールの見守る先で、二人の男女は初対面であるにも関わらず、どこか気の置けない雰囲気である相手に思いのほか饒舌になり、数杯のグラスを空にしながら話に花を咲かせていくのであった。
登場したお酒(一部架空物)
標準的な配分としては、アップルブランデー2:ライムジュース1:グレナデンシロップ1の割合でシェイクするショートカクテルです。元は「アップルジャック」という名前のブランデーで作られ、グレナデンの赤さが薔薇を思わせることから命名されたそうで。個人的には、フランスのカルヴァドスという林檎ブランデーで作る方が好みです。今回登場したのは、マルディアス世界はローザリア産の六年以上熟成された林檎のブランデーを材料と妄想しています。
アンリミテッドたるイスカンダールの出身世界にある、豪雪の街ニバコリナで作られるウォッカです。現実世界でウォッカといえばロシアのイメージですが、今回のウォッカは北欧産のアブソルートウォッカをイメージしています。色々なフレーバーのウォッカがあるので、飲める方であればお好きな味がきっとあるはず。
最終更新:2023年10月15日 15:26