—カラン…コロン…——
「いらっしゃい」
イスカンダールから見て左側の扉が静かに開き、控えめにドアベルが響き渡る。
音と同時に店内に入ってきたのは、如何にも怪しまれそうな見た目の、全身ローブ姿の人物。目深までフードを被っており、そのままでは来店者の表情は窺うことが出来ない。
しかし、イスカンダールは全くそんなことには構う様子もなく、ワザとらしくノーゲストの店内を見渡してから、どこでもどうぞ、と言わんばかりに相手にウインクをしてみせた。
「そろそろ来る頃じゃないかと思っていたんだ。依頼されていたもの、用意させてもらったよ」
イスカンダールがそう言いながらニヤリと笑うと、それに応えるように全身ローブの人物はあっさりと、そのローブを脱ぎ去る。
するとその内側からは、美しい金色の長髪をした眼光鋭い美青年が現れた。
その体躯は長身で細身ながら、無駄なく鍛え上げられた筋肉で引き締まっているのが衣服の上からでも分かる。そしてその衣装は、如何にも平民のような素朴なデザインで纏められていながらも、明らかに素材が高級であり不思議な違和感を感じるものだ。
「・・・そんな気がしたのでな、寄らせてもらった」
そう言いながら青年は、慣れた様子で席に腰掛ける。
彼の名は、ミカエル。
いつも来店時はローブ姿で忍んでいるつもりらしいが、明らかに王侯貴族の生まれだろう。
オーラというか雰囲気があり過ぎて、全然身分を隠せていない。そのことに、はたして本人は気づいているのだろうか。
彼が来る時に店の扉が繋がっているのはロアーヌなので、そこの統治者一族か何かだろう。が、イスカンダールが特段それ以上を聞くことはない。バーテンダーは、必要以上の詮索などしないのだ。
そしてこのミカエルという男、このBARイスカンダリアの数少ない常連の一人でもある。
そんな常連を相手に、今日はいつにもまして腕によりをかけオーダーに挑む、ちょっと特別な日でもあった。
実は以前ミカエルが来た時に、バーにしては珍しくフード込みでのオーダーを依頼されたのだ。
「お連れ様も間も無く着くだろう。メインの前に軽く一品出すが、それもワインはペアリングでいいかい?」
「あぁ、お任せしよう」
ミカエルの返答に満足げに頷くと、イスカンダールは早速前菜の用意に取り掛かる。
BARの簡易キッチンでは本格的なコース料理を提供することは難しいが、メインディッシュを焼いている間に簡単な前菜くらいならば、用意することができる。
—カラン…コロン…——
イスカンダールが木製の細長い皿の上に新鮮な生野菜を盛り付けていると、彼から見て左側のドアがゆっくりと開く。
そこから中に入ってきたのは、一見して寝巻きと見紛うような白い上下の衣服に身を包んだ青年。
だが、その人物もまた平々凡々を装った衣服では全く隠し通すことのできぬ、明らかな王者の空気を身に纏っている。
「いらっしゃい。タイミングぴったり、だな」
「やはり、だな。今日じゃないかと思っていたんだよ」
青年の名は、ジェラール。伝承法によって皇帝を定める運命にあるというバレンヌ帝国に住まう、自称一般帝国民だ。
こちらも慣れた様子で店内へと歩を進めたジェラールは、親しげにミカエルへ片手をあげて挨拶すると、当然のように彼の隣席へ腰掛ける。
そう、彼もまたこのBARイスカンダリアの常連の一人であり、自称ロアーヌ一般住民であるミカエルの『飲み友達』なのであった。
「息災だったか、ジェラール」
「あぁ、健康そのものだよ。ミカエルも元気そうで何よりだ」
二人は再会を喜び合い、にこやかにお互いの近況などを語り合う。
とはいえこの二人が並び座っていると周囲の空気がキラキラと凄いことになるのだが、この店には基本的に2名しか来客はないので、なんら問題はない。
イスカンダールは二人の間にカトラリーセットを置き、せっせと用意した前菜を二人の前に並べ、中央に蝋燭台を仕込める小さな陶器の器を置く。
火で温度を保たれた器の中には、香ばしい香りを漂わせるディップソースがたっぷり入っていた。
そして最後にワイングラスを二つ、其々の側に並べていく。
「前菜ってほど手が込んでいるわけではないが、まずは朝取れ野菜のバーニャカウダだ。ワインはキドラント産のものを用意させてもらった。ワイン大国に比べるとマイナーな産地だが、これが結構いけるんだ」
イスカンダールが料理の紹介をしながら、キリッと冷えた白ワインを二人のグラスに注いでいく。
二人は香ばしいディップの香りに食欲を掻き立てられ、早速カトラリーを手に取って目の前に盛り付けられた新鮮な野菜の征服にかかった。
「このソースに付けるのか。あまり私の地元では見慣れない食し方だな」
「ふむ、そうなのか。ロアーヌではこのスタイルは定着しているな。私は生野菜が好きで、よくこれも食べるよ」
二人はテンポよく野菜を口に運び、そして用意されたグラスを傾ける。
口に含むと白ワインらしい爽やかな柑橘系のアロマに青リンゴのような爽やかさもあり、バーニャカウダでオイリーになった口内をスッキルさせてくれる。そしてナッツ類を思わせるニュアンスも広がり、単にサッパリさせるだけではない複雑な後味でも楽しませてくれた。
「ほぅ・・・キドラントの白はあまり飲んだことがなかったが、美味いな。バーニャカウダともよく合う」
「へぇ、ミカエルはこのワインの産地を知っているのか。確かにこれは美味しいな。うちの国はまだまだ国外の品の流通が少ないから、他国のワインにも知見があるのは羨ましいよ」
二人が談笑しながら食べ進めるのを他所に、イスカンダールはこの日のために店内で急拵えしたオーブンの中を覗き見る。
中のメインディッシュも、焼き加減は順調の様子だ。
「あれ、ミカエルってまだ結婚してなかったのか。いい相手とかもいないのかい?」
「ううん・・・。しよう、と思えば出来ないことはないのだ。周囲がそれを望んでいるのも、察してはいる。ただ、イマイチ私は・・・その辺りに消極的でな。いや、全く候補がないわけでもないのだが・・・」
「あー・・・何となく分かるなー。私も以前はそうだったよ。でもちょっと事情というか立場が変わってから、中々そうも言ってられなくなってね。今はもう3人娶ったよ」
「ジェラールは、見かけによらず結構やり手なのだな・・・?」
頃合いを見てオーブンからメインディッシュ用の肉を取り出すと、店内に食欲をそそる魅惑的な焼成香が漂う。
思わずその香りに、会話を弾ませていた二人が振り向く。するとイスカンダールはニヤリと笑いながらも肉汁を落ち着かせるために先ずは肉を寝かせつつ、すっかり平らげられた前菜の空き皿を片付けはじめた。
メインの皿のスペースを空け、その脇に焼きたてのパンを添える。先ほどとは形の異なる新たなワイングラスを用意し、メイン用の調味料と思しき小皿を設置。
そして漸く、今か今かと待ち侘びている二人に対して見せつけるように、特製のメインディッシュを切り分けにかかった。
「さぁ、こいつは絶品だぞ。ナゼールの牧草で育ったグラスフェッドムーのオーブン焼きだ。ベースの味付けはシンプルに塩胡椒のみ。何種類かのソルトに、変わり種で『わさび醤油』という調味料も用意した。好みで付けてみてくれ」
二人の前に、焼きたての骨付き肉がワイルドに盛り付けられ、提供される。
牧草飼育は脂の差しが少なく引き締まった赤身肉が特徴だが、中でもとりわけムーの肉は柔らかさも併せ持つ絶妙な肉質で、非常に美味とされる。
それに合わせ、イスカンダールはカウンター近くに予め開店前から用意していた抜栓済みのワインボトルを手に取り、慣れた手つきでデキャンタージュしていく。
「そして合わせるのは、モウゼスでワインの女王とも称される高貴な赤だ。モウゼスは早飲み向けのライトなワインが多い国だが、これは近年流行り始めた熟成型でな。ロアーヌの熟成型ワインよりは軽やかで、味わいはパワフルさと繊細さが共存し、余韻も実にエレガント。ジビエ系にももってこいだ」
ワインの講釈を聞きながら、二人はデキャンタからグラスに注がれる鮮やかなルビーレッドの色合いを楽しみ、次にはグラスを手に取ってその香りを堪能する。ブランデー漬けの果実を思わせるような濃密なアロマに、トリュフ、シガーなどのようなニュアンスも混じる芳醇な香りが鼻腔に広がる。
そして口に含むと、そのアロマに輪をかけて広がる果実味と、しっかりとしたタンニン。それでいて口内をシルクのように包み込む滑らかな舌触りと余韻が続く、満足感のあるフィニッシュ。
これは間違いなく、類稀なる美味なワインだ。
二人とも堪らず、そのままの勢いでカットした肉を頬張る。
すると口内に一気に広がるのは、凝縮された肉の凄まじい旨味。
しっかりと中に閉じ込められていた肉汁が口の中で溢れ、そして想像以上に柔らかい肉質が口の中で踊り、あっという間に胃の中に消えていく。
そして再度ワインを口に含めば、これはもう完全にイスカンダールにしてやられたな、と確信するのであった。
強い意志を持って手を止められねば、もはや永久機関となって食べては飲んでを繰り返してしまいそうなほどである。
「これは・・・思っていた以上のマリアージュだな」
「あぁ・・・うちの料理人にも、これは作れないなぁ。ムーってこんな美味しかったんだな。是非に流通させたいものだが・・・ルドン高原越えかー。ちょっと考えてしまうな・・・」
二人の舌を満足させたことにイスカンダールは隠す様子もなくニヤリと笑みを浮かべ、そして自分も切り分けておいた肉を口の中に放り込む。
「・・・ん、美味い。またエイリークにお願いして取り寄せるかな」
その後も二人はたっぷりとワインと肉を楽しみ(ミカエルはピンクソルト、ジェラールはわさび醤油が気に入ったようだ)、更には食後酒までしっかりと堪能し、その日はいつもよりも長い時間、食事と共に談笑を楽しんだ。
ここから其々の国に戻れば、二人にはまた終わることのない激務が待っているのであろう。
なればこそ、ここでしっかりと英雄たちには英気を養ってもらいたいもの。
その微かな一助となることができたのなら、それはBARイスカンダリアにとって、この上ない喜びであると言えるだろう。
登場したお酒(架空物)
RS3世界にて、北海の畔にある小さな村、キドラントで作られる白ワイン。寒冷地独特のキリッとした味わいに、あまり流通していない土着品種による独特の風味が加わり、一部の酒好きの間で噂になっているらしい。
同じくRS3世界のモウゼスで広大な農地を保有する「モウゼスワイン」ブランドが手掛ける、至高の一本。その歴史は思いの外浅く、近代化に伴う品質管理技術の向上によって生み出された新時代ワインといえる。
最終更新:2023年10月16日 15:31