—カラカララン…コロロロン…——

「いらっしゃい」

 イスカンダールから見て左側の扉が軽快に開き、それと同時にドアベルがけたたましく響き渡る。
 その音に合わせて一切隠すつもりのない大きめの靴音を響かせながら店内に入ってきたのは、十代と思しき様相の少女だった。
 その少女の外見的特徴に、思わずイスカンダールも眼を細める。
 相剋関係にあるはずの朱鳥と玄武の力がどうしてかその小さな身体には宿っており、それを象徴するかのように左右の瞳がアクアマリンとルビーに煌めく。
 またその特性を自身も理解しファッションに取り入れているようで、黒を基調としながらもトリッキーに蒼と紅を大胆にポイント配色した服装でもって、己を着飾っていた。
 ここまで個性的な特徴を盛り込んだ人物はこの店の来店客にも中々いないだろうな、とイスカンダールは内心で一人、勝手に関心してしまったほどだ。

「へぇ、バンガードにこんなところあったんだ。結構オシャレじゃん」

 そう言いながら物怖じする様子なくカウンターまで進んできた少女は、座っていいか、のジェスチャー代わりにカウンターの椅子を指差しながらイスカンダールを見て、片眉を上げる。
 イスカンダールが、勿論と言わんばかりに口の端を釣り上げながらウインクすると、少女は勢いよく飛び乗るように椅子に腰掛けた。

「実は結構前からやっているんだがね。見つけた人はラッキーな、隠れた名店、がコンセプトなのさ」
「名店って、それ普通自分で言うもの?」
「ふふ、これは痛いところを突かれたな。まぁあくまで期待を込めての、経営戦略的な観点さ」

 そう言いながらイスカンダールは少女にメニューを手渡す。

「ここは一応バーだからアルコールがメインなのだが、君は酒はいけるクチなのかい?」
「ちゃんと飲んだことはないかな。水は自前で用意できるから困らないしね。あとお酒とか飲んだら多分、ママがすごい怒りそう」
「ふふ、それはいいことだ」

 ご丁寧に肩の高さに持ち上げた掌から小さな水の塊を浮かび上がらせつつ少女が言うと、イスカンダールはニヤリと笑いながら返す。
 水に比べて腐り難いアルコール飲料は、文明レベルによっては大人だけでなく子供のころから飲料として常飲されることも多い。
 それだけ水の確保は文明の発展段階により難易度が大きく異なるのだが、この少女のように術文明が栄えている環境だと、それで用意することができるというわけだ。

「では、ノンアルコールカクテルなど如何かね。まぁ言ってしまえばジュースの類だが、折角バーに来たんだ、雰囲気だけでも楽しんでいってもらわねばな」
「じゃあそれで」

 心得た、とばかりに胸に手を添えながら浅く一礼したイスカンダールは、顎に手を当てふむと一瞬考えた後、即座に材料となるボトルのピックアップを始める。

「完全なノンアルコールも勿論出来るんだが・・・数滴垂らすことでアルコール感はほぼ全く感じず本場の風味が加わる、という程度のアクセントはありかな?」
「ん、それくらいなら多分大丈夫かな。昔、おじさんとおばさんが飲んでた術酒を舐めたことくらいはあるし」

 術酒とは、魔術を扱う幾つかの世界で定番の、魔力補給を目的として作られる薬酒のことだ。魔術師にとって魔力の枯渇は死活問題なので、彼らは小さな頃から少しずつ術酒を飲んで体に慣らす。そのため副次的に、魔術師は海賊にも負けず劣らずの酒豪なんてこともザラなのである。
 だが見たところこの少女は、どうも内包する魔力量が常人とは比較にならない様子。これならば、術酒の類に世話になることはそうそうないだろう。
 これは末恐ろしい才能もあったものだとイスカンダールは内心で肩を竦めながら、オーダーに則りカクテルの準備を進めていく。

—カランカラン…コロロン…——

 イスカンダールがぐりぐりとオレンジを絞っていると、いつもの様に先程の少女とは反対側の扉が開き、そこからおずおずと店内に入ってくる人影があった。
 その来客には流石にイスカンダールも少々驚きの表情を浮かべたが、しかし直ぐに冷静を取り戻して何時ものように落ち着いた声で語りかける。
 いつだってここに来る客とは、来るべくして来るものなのだから。

「いらっしゃい」
「・・・ここは・・・って、イスカンダール?」

 店に足を踏み入れたのは、一見してさしたる特徴のない、年若い青年だった。
 青年はどうやらマスターたるイスカンダールのことを見知っているらしく、彼を見て驚いたような反応をする。
 一方、先に来店していた少女は青年から感じる不可思議な「なにか」を敏感に感じ取り、俄然興味津々の様子で青年へと視線を投げかけた。

「ふふ、これは私のちょっとした趣味でな。まぁ気にせず席に着くといい」

 青年は、とりあえずイスカンダールに促されるままにカウンター席につこうとし、そして間もなく自分を凝視している少女の存在に気がつく。
 そちらをそっと伺うと、隠すこともなく真っ直ぐにガン見されているのが直ぐに確認できた。だがこの少女のことを青年は全く知らないので、なぜ自分が見られているのかは分からない。
 その出自やこれまでの経験上、出会った人の顔と名前については正直かなりの精度で把握しているつもりの彼だが、それでもその少女のことは全く記憶になかった。つまるところ、彼女はかつて彼が見てきた世界の住人ではない、ということだけは確かなようだ。

「あの・・・なにか・・・?」
「・・・貴方、人間なの?」

 開口一番、少女はとんでもないことを口走る。
 その言葉に青年は素直に驚いたように目を見開き、カウンター内のイスカンダールは何故だか関心したように微笑んだ。

「・・・あ、こういう時は先に名乗らないのって失礼なんだよね。あたしはジョセフィン。みんなにはジョーって呼ばれてるわ」
「・・・私はリベルっていうんだ、よろしく。・・・ところでジョー、なんで私が人間じゃないって思ったのかな?」

 リベルが改めて椅子に腰掛けながらそう問うと、ジョーはうーんと腕を組みながら首を傾げてみせた。

「・・・なんとなく。あたしもちょっと変な生まれなんだけど・・・でも貴方には、あたしとも異界の戦士とも違う、別の不思議な何かを感じるの。あ、気を悪くしたならごめんなさい」

 リベルは「謝る必要はないよ」と応えつつもジョーの第六感とも言うべき直感に驚きながら、状況の説明を求めるようにイスカンダールへ視線を寄越す。
 しかし、イスカンダールはニヤリと笑いながら肩を竦ませるだけだった。
 どうやら、喋る気はあまりないらしい。

「ま、続きはドリンクを用意してからでどうかな。さて、リベルは何を飲むかね」

 何方にとも無くそう言うと、イスカンダールはメニューをリベルに手渡した。
 訳は分からない。が、イスカンダールのやっていることならば大丈夫かとリベルは思い直した。彼にとってイスカンダールは、命の恩人といえる存在だ。そのイスカンダールのやっていることならば、そう不味いことにはならないだろう。
 リベルは素直にメニューを受け取り、ぺらぺらとめくって中身を見る。
 シンプルな文字によるメニューのみの記載だが、中々に分厚い。店の規模にしては随分と種類があるようだ。

「うーん、普段あまり飲まないから、こうもメニューが豊富だと悩むね・・・そしたら、何かおまかせで貰っても?」
「お安い御用だ。そうだな・・・お前さんにディミルヘイムのものを出しても味気ないし・・・」

 そう呟きながら腕を組んで数秒思案したイスカンダールは、何かを思いついたのかカウンター下にしゃがみ込み、ゴソゴソと棚下を漁る。
 そしてようやくお目当てを見つけたのか、よっこらしょ、と言いながら一本の古びた瓶を抱えて立ち上がった。

「お前さんには、こいつでどうだ。こいつはな、そこのお嬢さん・・・ジョーの世界では幻の酒とも言われている、極上の代物だ」

 そう言いながらリベルの前に置いたのは、陶器で作られた酒瓶だ。
 自分の名前を呼ばれたジョーも身を乗り出しながらその瓶をまじまじと見るが、酒を飲まない彼女にはいまいちその価値は分かりかねた。

「ふふ、こいつは術酒の系統の頂点にある代物でな、神酒、と呼ばれる。文化や信仰の違いにより、ネクタールやソーマなどと呼ばれることもあるな。まぁ要するに、回復力のすごいお酒、ということだ」

 何が回復するのかはさておき、イスカンダールは酒の紹介のあと、改めてカクテル作りに戻る。
 予め用意しておいたボトルや絞った果汁などをシェイカーの中に入れ軽くステアし、手際よく氷を詰めて蓋をし、鮮やかな動きでシェイクする。アルコールを入れていないので、シェイクのし過ぎには注意だ。
 そして出来上がった代物を少し大き目のカクテルグラスに注ぎ、ジョーの前に差し出した。

「これは、とある地方にある町の名前を関したノンアルコールカクテルでな。名を、フロリダという。禁酒法というバー泣かせの法律が制定されていた時代に考案されたとされる、お酒みたいな雰囲気を味わえるカクテルさ」
「へぇー。見た目は、濃い目のオレンジジュースだね・・・イカ焼きには合わなそう」

 ジョーがくんくんとカクテルの香りを嗅いでいるのをよそに、次にリベルの前に置いていた酒瓶を開封し、少し大きめの猪口に神酒を注いでいく。
 リベルがその液面を興味深そうにみると、ボトルの外観から想像していたものとは異なり、中身は無色透明だ。香りも主張が激しいわけではなく、しかし華やかでフルーティーな香りが立ち上る。

「いい香り・・・」
「ふふ、そうだろう。この独特な華やかさは、吟醸香といってな。花弁や果実の香りに例えられる」

 そう言いながら瓶に封をしたイスカンダールは、召し上がれとばかりに二人に向い両手を広げてみせた。
 それに促され、両者はそれぞれグラスを手に持ち、唇につける。

「・・・あ、美味しい」
「ん、美味しい・・・」

 二人のシンプルな感想にも、しかしそれこそが最大の褒め言葉だと言わんばかりにイスカンダールが微笑んだ。
 大げさではなく、その一言があるからこそバーテンダーをしているのである。

「オレンジジュースを想像したけど、全然違うんだね。なんだろ、ハーブみたいな香りがあってなんか、大人っぽい感じ」
「それが、数滴だけビターズを垂らす効果さ。これの有り無しでは、仕上がりが全く異なるんでね」

 ジョーの素直な感想にイスカンダールが応えると、一方のリベルは無言で一通り香りと味を楽しみ、くいっと猪口を傾けて中身を飲み干した。

「お、いい飲みっぷりだねぇ。本当に旨い酒ってのは、気がついたら空っぽになってしまっているものだ。なので普通は飲み過ぎ注意なんだが・・・まぁ、お前さんなら大丈夫だろう」

 そう言いながらもう一杯追加で注いでやると、リベルははにかみながらそれを受けた。
 そして頂いた杯で再度唇を軽く濡らし、改めてジョーに視線を向ける。

「・・・ジョー。君の言う通り私は、確かに普通の人間というわけではないよ。少しだけ、普通の人よりも長い時間を過ごしているんだ。だから多少は他の人より見知ったものが多いけど・・・でも実は世界の事もお酒の味も思ったより知らない、そんなどこにでもいるような存在だよ」
「それは、長命種ってこと?・・・ロックブーケみたいな古代人とか?」
「ジョーもロックブーケを知っているんだね。うん、まぁ、そんな感じかな・・・?」

 リベルが曖昧に笑いながらいうと、ジョーはふぅんと返し、こちらもグラスを傾ける。

「君は、どうなんだい?」
「あたしは生まれつき、人よりちょっとだけ面倒な役割があるってくらいかな。まぁおんなじ境遇の弟がいるから一人ってわけじゃないし、そんなに大変でもないけどね」
「・・・君は、強い人なんだね」

 ジョーの言葉にリベルがそう応えると、ジョーは謙遜する様子もなく頷き、ニヤリと微笑んだ。

「うん、あたしは強いよ。最初から強かったけど、ママにも鍛えられたし、お姉ちゃんだし、もっと強くなった」

 彼女の言葉の意味はいまいち分からないが、それでもその言葉の中にはきっといろんな出来事があって、様々な経験の末に放たれている言葉なのだろう。
 独自にそう解釈したリベルは、目の前の若き才能に対して微笑み、再度杯を傾けた。

「ていうかロックブーケ知ってるってことは、リベルも異界の戦士なの?」
「異界・・・そうだね、多分そうなんだと思う。ジョーはどんな世界に住んでいるんだい?」
「え、外見れば分かるでしょ。ここバンガードのお店だよね?」
「あー・・・うん、ごめん、来たばかりで私自身がよく分かっていないんだと思う」
「そうなんだ、じゃああとで案内してあげるよ」
「それは助かるよ。あ・・・でも残念ながらちょっとこの後たぶん用事があるから、次に会えたら、その時にお願いしようかな・・・?」

 二人の中々噛み合いそうにない会話を聞きながら、イスカンダールはあくまで我関せずの表情で、使用したアイテムを洗って清潔な布巾で磨き上げていく。
 その後も二人の話題は共通の知り合いたちの話に移行するが、当然それも共通なようで共通ではない知り合いの話であり、そこはかとなく話が噛み合わない。
 この組み合わせは中々面白いなぁ、なんて好き勝手に思いながら、イスカンダールはそっと二人の会話に耳を傾け続けるのであった。





登場したお酒(架空物あり)
  • フロリダ
名前の通りフロリダで作られたとされるノンアルコールカクテル。一説では禁酒法の時代に作られたとも言われている。オレンジとレモン、シュガー(orグレナデン)シロップにアンゴスチュラビターズというお酒を数滴垂らしてシェイクしてつくる。お子様向けには、ビターズはないほうが飲みやすい。イカ焼きに合うかどうかは不明。

  • 神酒
RS3世界ではJPを全回復させるというほどの効力を持つ、幻のお酒。術酒、霊酒とは比べ物にならない回復量なので、その分希少性も高い。しかしながら、その希少性故に取っておいた挙げ句に結局使わずクリアしてしまう者も多いという(?)。
作中の味わいとしては、日本酒の吟醸酒をイメージした。吟醸酒の中でも辛口めのあっさりテイストが筆者的には好みです。



最終更新:2023年12月28日 16:48