当然、本編でも資料集にも、全くそんなことは書かれていません。
が、間違いなくロマサガ3 の世界には「聖王教会」があったものと筆者は妄想しています。
理由は主に二つで、まず一つは「聖王による規律が世界中にしっかり広まっていること」です。
ゲーム本編内部の様子を見る限り、聖王に纏わる伝説や理念はどの地域でも遍く伝播しているように見受けられます。当然そうでないとゲーム進行上で不都合がでるから、という点があるのでしょうが、そこに素っ頓狂な理由をつけるのが妄想というものです(笑
聖王の教えが広く世界に伝わっているからこそ、各国の均衡が危うげながらも成り立っている面が大きいと考えています。
NTT出版の「プロローグ」等で見られる歴史記述でも、聖王による四魔貴族放逐の後に西方世界で国が滅んだのはゲッシア王朝くらいのもので、ほかには特段大きな争いなどの記載はありません。
無論ドフォーレによる麻薬流通など、聖王による教えから逸脱した行為がないわけではないでしょうが、あそこまで世界規模で三百年もの間しっかりと規律が守られるには、間違いなく「継続的で強力な啓蒙」が不可欠です。
聖王記の内容を流布する程度ならば吟遊詩人らでも担えるでしょうが、ここまで徹底した啓蒙度合いの実現には、それこそ「それを担う機関」でもなければ不可能でしょう。
それが、教会の存在理由だと考えた次第です。
また、ロマサガ3には「神」の描写がほとんどありません。
聖王記の中には「聖王、神より十三の武具を〜」という描写がありますが、その「神」が信仰されている様子は全くなく、唯一ゲーム本編で出てくる神らしき描写とは「神王」くらいのもの。
しかもそれを拝する「神王教団」は、当時メッサーナ王国最高責任者であった近衛軍団長クレメンスから「異端」とされました。
異端があるなら、逆の「正統」が存在するはずで、それこそが「聖王」である、と考えられます。聖王を神格化し、それを唯一神のように扱っているからこその世界規模の啓蒙統治ができている、ということですね。
それを揺るがそうとする神王教団なんて存在は、そりゃあメッサーナからしたらとんでもなく厄介な存在であったことでしょう。
ただ、神王教団には信者が多く集まり、それこそ一国を滅ぼすほどに膨れ上がった。ということは、聖王の神格化による統治という時代が、三度目の死食を機に終焉を迎えようとしていたということもまた、間違いはないのかもしれません。
理由の二つ目です。こちらの方がもっと現実的かもしれません。
「識字率の高さ」です。
これまたゲーム進行上で不都合が出るからなのでしょうが、主人公勢は全員が文字を読める様子です。ゲーム上ではそうと取れるシーンや場面が、いくつかありますね。
そりゃ王族や貴族といった地位ならば教養として読み書きが出来るのは当然でしょうが、ど田舎中のど田舎(失礼)であろう開拓村シノンの面々も全員文字が読めるというのは、とても興味深いことです。
文化背景的に中世ヨーロッパあたりを例に考えると、当時の農村部の識字率は5%以下と言われています。
その中でシノンの四人は、なんと全員が文字を読める。書けるかまでは不明ですが。
トーマスやサラならばキャラ的にも興味持ちそうですからなんとなくわかりますが、正直その辺に興味がなさそうなエレンやユリアンまで読めるというのが、非常に不思議です(超失礼
このことから、この世界には「住民に文字を教える仕組み」が存在していたのだと考えられます。
勿論、教会ではなく学校が個別に存在している可能性も考えましたが、残念ながらリユニ的な侯国大学みたいなものがあったとは考えづらいです。
それこそ都市部ならばまだしもですが、死食直後でただでさえ大変な世界で、開拓村にまで学校が個別にあるものなのか。これは正直、あると考える方が難しいですね。
なので、その状況にあってこの識字率の高さに関わったのも、やはり聖王教会が大きく寄与したのだと考えました。
おそらく文字を書くことまでは教えておらず、聖王記などを教科書代わりとして「読む」ことだけは広く教えられたのではないかと妄想しています。
聖王の教えを学ぶとともに、文字を学ぶ。そんな場として、聖王教会という存在は、この世界において必然性があると考えます。
あとは「銀行」のような機能も一部担っていたら面白いなぁとは思いますね。
トレード内でも見られるように、大都市では商会や銀行そのものがその機能を担っているのがわかりますが、例えばキドラントやシノンみたいなところには、銀行機能があるとも思えません。
こういう時にも、現実世界のそれを参照するとすれば、教会の果たす役割としてありえるものです。
もしロマサガ3の世界に独立した銀行がなければ、いわゆる十字軍時代のテンプル騎士団のような組織運営が聖王教会として動いていたかもしれませんね。
話がずれました。
とまぁ大まかには二つの理由から、聖王教会という存在の必然性を妄想し、妄想本編ではその存在や「聖王教」というものを描いています。
最終更新:2024年01月11日 08:55