「研究で使う素材が足りない?」

 日中であっても一切陽の光が届かないその部屋には、魔術で焚かれた灯りに照らされ、様々な本や見慣れない機材が所狭しと乱雑に並べられている。
 その一角、多数の魔術書が収納されたアルマリウムに軽く体重を預けながら腕を組んで部屋の主に聞き返したのは、帝国軍軽装歩兵部隊に所属する腕利き女戦士、ライーザだった。

「そうなのよ、今ちょっと備蓄が足りなくて」

 そんな彼女に向かってリラックスした様子で話かけているのは、コーヒーカップを置くのが精々か、というほど隙間なく物が積み上げられた机を前に腰掛けた、年若い女。
 帝国の長い歴史でも殆ど類を見ない程の若年で試験を突破し、栄えある宮廷魔術士としてアバロン宮殿に務める才女、エメラルドである。

「まぁ確かに、ちょっと前まではヘビーな大遠征ばかりだったしねぇ。おかげで常備資材はどこも厳しいらしいとは聞いてたけど、ここも例に漏れず、ってわけか」
「そういうことなのよ。かといってジェラール様の遠征時にお使い頼むわけにもいかないし、守備隊の方でどうにかならないかなと思って。個別に礼は弾むから、お願いできないかしら」

 エメラルドがその場で淹れてくれたコーヒーを受け取りながら、ライーザは軽く思案する。
 バレンヌ帝国第31代皇帝ジェラールが先帝レオンの崩御によって即位し、それから僅か1年少々。
 その間に皇帝ジェラールはゴブリン一党の掃討、七英雄クジンシー討伐、七英雄ボクオーン配下の占拠するヴィクトール運河解放と、立て続けに大偉業を成した。しかしその一方で、連続した大きな戦により国が疲弊していたのも事実であった。
 当然この状況は聡明なる皇帝ジェラールも理解しており、今暫くは内部備蓄の増強を優先する時であるという国政方針を掲げている。
 自身と同部隊出身のジェイムズと違いジェラール身辺警護の任についていないライーザは、ジェラールがアバロンを離れている際は守備隊として帝都護衛が最優先任務だ。
 しかし逆にジェラールが帝都アバロンにて内政に集中している現在は、比較的自由に動けるといえば動ける。

「まぁ、態々言うからには急ぎなんでしょうし・・・いいわよ、引き受けても」
「良かった、助かるわ」

 いかにも人懐っこそうな表情でにっこりと微笑んだエメラルドは、予め用意していたらしいメモ紙を机の上に会った本の間から引き抜くと、ライーザに差し出す。

「早速で悪いんだけど、明日の朝には出発出来るかしら。集合場所と時間、持ち物はそのメモに書いてあるわ」
「集合って、私以外にも誰かいるの?」

 そう言いながらエメラルドのメモを受け取ったライーザは、そこに記された走り書きにさっと目を通す。
 確かにそこには集合場所と時間、そして依頼内容が書いてある。そして他にも、幾つか記載事項があった。だが、どうにもその内容がおかしい。

「・・・ねぇ、なんでこれ服装が兵装以外の指定なの」
「そりゃ勿論、非正規依頼だからよ。ジェラール様が最近帝国法を改善してるのは、貴女も知っているでしょう。兵士の休息に関する項目も、改正入ったのよ。司令部経由の正規任務着任時以外は休息・鍛錬期間とする、ってね。なのに兵装してたら可笑しいでしょ」

 何なら確認する?と言いながら真新しい写本を一冊、エメラルドが差し出してくる。
 普段から書と接する機会の多い宮廷魔術士は平時、貴重な帝国蔵書の写本業務も一部引き受けている。なので法律改定の際の原本写本も此方に回ってきているようで、その辺りには人一倍詳しいのだ。

「あー、流行りの働き方改革ってやつね・・・なんだか変なところで面倒になるのね。まぁ、わかったわ」

 そう言いながらライーザは丁重に帝国新法写本の受け取りを断りつつ、引き続きメモへと視線を落とす。

「じゃあ非兵装は百歩譲っていいとして・・・この『外行きの正装』っていう服装指定は一体なんなの。目的地がソーモンなら、馬でしょ。なら旅慣れた服のほうが・・・」
「ノンノン、それは駄目。仕入れてきてほしい素材を扱ってるソーモンの貿易商、気難しい人なの。礼儀がなっていない相手と取引してくれないのよ。だから馬車を用意するから、それに乗っていって頂戴」

 ライーザが言い終わる前に、エメラルドから訂正をされる。それを訝しながらライーザがメモを見ると、確かに貿易商らしき店と、購入指定物の記載があった。

「一兵卒に礼儀作法まで求めるとか・・・そもそも私に依頼するのが間違っている気がするけど」
「あら、貴女自分で気がついていないかも知れないけれど、一番その辺も上手いわよ。流石は何でも器用に熟す軽装歩兵部隊さんよね?」
「もはや馬鹿にしてんでしょそれ・・・はぁ、まぁいいわ。謝礼、期待しとくからね」

 そう言いながらメモ紙を腰のポシェットにしまい込んだライーザはコーヒーを飲み干すとマグカップを返し、なに故かやたらニコニコとしながら手をふるエメラルドに見送られ、その場を後にした。




 明くる日。
 雲も少なく快晴の気持ちいい青空を時折見上げながら、ライーザは帝都アバロンの大通りを真っ直ぐ南に抜け、城門近くの駅馬車乗り場へ向かった。
 その様相はいつもの兵装ではなく、上品な布地に一部刺繍のあしらわれたワインレッドのロングスカート、体のラインを美しく際立たせる白いドレスシャツ、そして短めの腰丈に裾が調整されたブラウンの女性用ジャケットという出で立ちだ。
 ライーザは比較的裕福な家柄の生まれながら軍に志願したという風変わりな経緯の持ち主であり、そのためか他の帝国兵よりも外部の情報や作法などにも明るい。
 なので近年領地となったミラマーを経由して帝都に流入するようになった南バレンヌやロンギット地方の流行も把握しており、併合を機に数着購入していたのだった。

(今度またテレーズにでも着させてジェラール様に突撃させようかなと思ってたけど、まさか先に自分で着ることになるとはね・・・)

 そんな事を考えながら駅馬車乗り場まで辿り着くと、そこで待っていると言われた同行人と思しき人影を、直ぐに見つける。
 その背丈はライーザよりも少し低く、風に揺れる明るい栗色の髪の下に見える表情は、まだまだ幼さが残る少年の特徴を備えている。
 周囲を随分とソワソワした様子で見渡しているその少年を、ライーザは見知っていた。

「・・・ライブラ君?」
「え・・・あ、ラ、ライーザさん・・・!」

 ライーザが声をかけると、びくりとしながら反応した少年が彼女に反応して振り向き、駆け寄ってくる。
 少年の名は、ライブラ。
 あの才女エメラルドをして「自分を超える才覚の持ち主」と暗に認める、史上最年少で宮廷魔術士試験を突破した天才少年だ。
 以前は先輩魔術士であるアリエスの補佐だったのだが、先帝レオン崩御を機にアリエスがジェラール身辺護衛の任に着いたことで現在はエメラルドに何かとこき使われている、なにかと不憫な少年でもある。

「エメラルドが言っていた同行人って、ライブラ君だったのね」
「はい。先輩が、その・・・手伝ってこいって。すみません、僕たちの用事なのに他部署のライーザさんに頼ってしまって・・・」

 そう言いながらぺこぺこと頭を下げるライブラ少年に対し、ライーザは肩を竦めて苦笑する。全く、遠慮のないエメラルドに比べてこの対応。余程先輩よりしっかりと気の回る少年である。

「別に構わないわよ、丁度今は任務なかったし。っていうかライブラ君こそ、仕事忙しいでしょうに手伝いなんて押し付けられて、災難だったわね」

 ライーザがそういうと、しかしライブラは慌てふためいて首を横に振った。

「あ、い、いえ!全然そんなことないです!む、むしろ僕は・・・あの・・・一緒に行きたい、といいますか・・・」
「え?」
「い、いえ・・・!と、兎に角そろそろ馬車が出ると思いますから、行きましょう・・・!」

 途中の声が小さくて上手く聞こえなかったライーザが聞き返すが、しかしライブラは何故だか強引に会話を切ると、我先にと駅馬車乗り場へ向かい歩き出す。
 その背中を見ながら2,3度まばたきをしたライーザは、自分も気を取り直して彼の後を追いかけることにしたのであった。




 ライブラと出会ったのは、彼が初めて宮殿に来た時だったとライーザは記憶している。
 宮殿内ですっかり迷った様子のライブラ少年が泣きそうな顔をしながら壁際に佇んでいたので、見るに見かねて声をかけたのであった。
 宮廷魔術士選抜試験で史上最年少の合格者が出たという話は、手前にエメラルドから聞いていた。なので背格好からも恐らく噂の子では、とはなんとなく察しもついていたのだ。
 その時に魔術棟までの道案内をしたのが縁の始まりで、以後ライブラ少年とは不思議と宮殿内で会うことがちょくちょくあり、その度に軽く話をする程度の間柄になったというわけである。
 彼の栗色の髪の毛が実家で飼っていた犬とそっくりで愛らしく、会うといつも懐いてくる子犬のようなライブラ少年を、内心とても微笑ましく彼女は感じている。

「実は僕、アバロンを出るの初めてなんです。ソーモンは港町なんですよね。海、見てみたいと思っていたんです」
「ふふ、お使い中に楽しみがあるのは良いことじゃない。私も初めて海を見た時は驚いたわ」

 二人は他愛もない話をしながら、馬車に揺られて街道に沿ってソーモンへと向かう。
 周辺の魔物や七英雄クジンシーがジェラール皇帝により討伐されたことで、アバロン、ソーモンを含む北バレンヌエリアの通行難易度は非常に下がり、以前に比べてかなり快適なペースで行き来が出来るようになっている。
 それ以前の街道を知るライーザはそれとなく警戒の視線を外に向けてはいるが、それも結局役に立つことはなかった。

「でも普通に馬を走らせるよりは流石に時間掛かるから、これは向こうで一泊して戻る感じかしらね。ライブラ君は予定大丈夫だった?」
「・・・・・・」

 どこまでも長閑な外の風景を眺めながらライーザが何気なく予定を伺うが、それに対する返事がない。
 それを疑問に思ったライーザが正面のライブラに視線を向けると、ライブラはどうにも心ここにあらずといった様子でぼうっとした表情をして、ぼんやりと此方を見つめている。

「・・・どうかしたの?」
「・・・・・・え、あ、いえ、なんでも!・・・ないです・・・」

 我に返ったのか、慌てた様子で顔を赤らめながらわたわたと手を振るライブラ少年。こういう仕草が一々小動物っぽくて、可愛いものだ。
 しかし、何やら先程の表情は思い悩むというか、そんなふうに見えたのが多少気にかかる。
 互いに知らない仲でもないし、ソーモンまでの道のりはまだ暫くあるしで、折角だからライーザは少し探りを入れてみることにした。

「なにか考え事?大した相談相手にはなれないけど、話くらいなら聞こうか?」
「いや・・・あの・・・・・・。えっと、じ、じゃあ・・・一つだけ聞いていいですか・・・!」

 言うか言うまいか随分と思い悩んだ様子のライブラが、なにか意を決したように声を上げる。
 あれ、これはひょっとして結構重ための相談か?などと思いながら、とはいえ聞いた以上は年長者として対応せねばなるまいと思い、ライーザは笑顔で頷いた。
 流石に魔術的な質問だと自分には回答が難しいが、宮殿内の人間関係とかは得意分野なので力にはなれそうだし、仮に少年特有の悩みが出てきたなら、それはそれで見知った帝国兵の中からアドバイザーとして適任な人員を見繕うことも可能だろう。
 ライーザはそのように、大凡の予測と方針を脳内で立てる。

「あの・・・ライーザさん、その・・・」

 非常に言いにくいことなのか、膝の上に置いた両手をギュッと握りしめ、うつむき加減になりながらも懸命に話そうと上目遣いで此方を見てくるライブラ少年。
 その視線のやり方は母性本能への攻撃力が大きいぞ、なんて思いながら、しかしライーザはドンと構えて言葉を待つ。
 するとようやく気持ちが整ったのか、ライブラは顔を上げ、頬を真っ赤に染めながら真っ直ぐにライーザを見て、こう言った。

「ライーザさんは今、お付き合いしている人とか居るんですか!?」
「・・・・・・はい?」

 果たして、ライブラ少年から放たれた質問は、年長者の余裕を醸し出そうとしていたライーザの予測の、はるか斜め上をいくものであった。




 要約すると、だ。
 初めて宮殿に足を踏み入れた時、そこで自分に声をかけてくれたライーザに、一目惚れをした、と。
 初めてライーザを見たときのことを彼は今も鮮明に覚えているそうで、世の中にこんなにきれいな人がいたのか、という衝撃で頭が真っ白になったそうだ。
 ライブラは自分がライーザに一目惚れをしたのだということを、その後まもなく自覚した。
 そしてその想いを抱えたままライーザを見かけてはとにかく走り寄る、を繰り返しながら1年少々が経ち、今に至っている。
 ということらしい。

「いやー・・・その、なんていうのかな。あ、ありがとう・・・?」

 唐突な告白に、流石のライーザも上手い返しが思いつかない。
 なのでとりあえずこんな年上相手によくそんな感情を抱いてくださった、という意味を込めて、礼など述べてみる。
 因みにライーザには今、特定の相手は居ない。
 軍属になる前は居たこともあったが、それは随分昔の話だ。今や未練も記憶もない。
 ただそういう話を持ちかけられることは軍属以降で何度もあったが、とはいえお互いいつ死ぬかもわからない中で依存し合うのは彼女の趣味ではなかったし、なにより大抵の男よりも前線での立ち回りに自信がある彼女は、周囲の兵に異性として魅力を感じることがなかった。
 なので正直、このままフリーでも悪くないなんて思っている自分もいたくらいだ。
 まぁ取り敢えずその辺の内心をよそに「いま相手は居ない」という事実だけは、先程ライブラ少年にも回答として伝えた。
 まぁそうしたら、洪水のように想いの丈をドドっと曝け出されたわけなのだが。

(いやでも待って、ライブラ君って確かまだ15とかだったわよね・・・え、私25だよ、流石にこれは犯罪・・・っていうか待て待て私、それこそライブラ君とか対象外でしょ・・・確かに可愛いって思うけど、あくまでそれは弟みたいっていうか、小動物みたいっていうか・・・)

 口元に手を当てつつ脳内で高速回転思考しながら、ライーザは自分のことを真剣な眼差しで見つめるライブラへちらりと視線を投げかける。

(・・・いや確かにやっぱり可愛い顔してるけど、もう数年しないうちに背も伸びて顔立ちも凛々しくなって多分美形になるんだろうなーとは思うけど、でもそんな将来有望な少年とアラサー女がそういう関係になるのは流石にアウトでしょ・・・)

「あの、ライーザさん」
「え、な、なに!?」

 先程とは打って変わって慌てた様子のライーザに対し、想いの丈を述べたことである程度冷静さを取り戻した様子のライブラは、赤面したままだが随分と落ち着いた様子で言葉を続けた。

「僕は、今の自分がライーザさんに釣り合っているなんて思ってません。でも僕がライーザさんを好きだってことだけは・・・とにかく伝えたかったんです」
「え・・・う、うん」

 何故だか立場が逆転したような態度でしおらしくライブラの話を聞くライーザに対し、ライブラはどこまでも真剣な眼差しを崩さない。

「でも、僕はいつかライーザさんに釣り合う人間になりたいと・・・そう思っています」
「・・・そっか」

 なんとも気まずい沈黙が、その場を支配する。
 すっかり年長者の余裕でお悩み相談、なんて状況ではなくなってしまったことに内心で頭を抱えつつ、ライーザは脳内で今後の展開について考えていた。

(・・・まぁ恐らく一時の気の迷いってやつだろうし、なんとかして思い直してもらう方がいいよねぇ・・・こういう場合はどうするかなー、兵士連中みたいにはっきり振って変に気落ちされても可哀想だし・・・)

『お客さーん、そろそろソーモン着くよー』

 重苦しい沈黙を破るように馬車の外から御者の声が届き、二人はぎょっとしながら窓の外に目を向ける。
 するとそこは確かに、広大なオレオン海を臨む港町ソーモンが見えていた。
 あまりの話の展開に、完全に時間の経過を忘れていたようだ。

「と、とりあえずはお使い、済ませましょうか」
「あ、はい・・・」




 初めての海を見て感動しているライブラ君。
 港町にあつまる珍しいものを見ながら感心しているライブラ君。
 アバロンとは少し異なる様式で建てられた建造物に興味を示すライブラ君。
 コロコロと表情が変わる彼を見ていると、可愛らしいという感情は確かに湧く。
 一方、そんな年相応の可愛らしさとは別で、しっかり者の一面も垣間見えた。
 例えば件の気難しい貿易商とやらを相手した時などは、とても礼儀正しく相対していて問題なく取引を主導していたので、なんなら自分は必要なかったんじゃないかとすら思ったほどだ。
 時折、彼がこちらを見ては、はにかむように笑う。
 これも以前から見知っていた彼の顔だが、彼の想いを知った後では少し別の見え方がする。そりゃまあ、悪い気はしない。

(でも、やっぱそういう仲になるってのは想像付かないかなぁ・・・。弟なら大歓迎なんだけど・・・)

 そんな事を思いながらも順調にエメラルド指定のお使いを終え、二人は宿へ向かった。
 そして宿に併設の食堂で夕飯を食べながら今日の様々な出来事についてライブラが楽しそうに話しているのを微笑ましく聞きつつ、ライーザは頭の何処かでやっぱり今後の事を考えていた。
 それが相手に伝わったのか、ライブラはふと口を閉じ、さみしげな表情をする。

「ライーザさん・・・やっぱり僕にあんな事言われて迷惑でしたよね・・・」
「え、あ、いや・・・迷惑とかじゃないの。っていうか嬉しいなって思う気持ちはあるわ。でも・・・」

 言わなければ。
 ライブラ少年の気持ちを蔑ろにしないためには、やはりちゃんと正面から言うべきだ。そう思い直したライーザは、意を決して話し始めた。

「でもね、君と私じゃ年も離れているし、やっぱり釣り合わないわよ。君はこれからもっと魔術士として成長して、帝国の将来を担う人になる。それに魔術って血筋と素養だから、それを後世に継承するために良いお相手もこれから見つかるはずよ。私に気持ちを向けてくれるのは嬉しいけど、でも私は君を、そういう風に見ることは出来ない。ごめんね」

 はっきりと、自分の気持ちを伝える。少し残酷かもしれないけれど、仕方がないことだ。変に気を使ってしまい逆に気を持たせ続けたら、その方が後々よろしくないのである。
 予想通り、ライブラは少し俯き加減で押し黙ってしまった。
 きっと、彼を傷つけただろう。
 それは心苦しく思うが、でも、これは必要なことだ。これで彼が次のもっと素敵な、彼にふさわしい出会いに向き合えるなら、それに越したことはない。
 そう確信しながらライーザがエールビールの入ったカップを傾けていると、ライブラがふっと顔をあげ、ライーザに向き合った。

「・・・やっぱりライーザさんは、素敵な人です」
「・・・・・・ん?」

 少し、予想していた反応と違う。
 それにライーザが疑問符を浮かべていると、ライブラは少し身を乗り出すようにしながら喋り始めた。

「多分そういう風に仰ることも、それは僕のことを考えてくれるからだってことも、分かってました」

 そう言いながら、ライブラ少年は更に勢いに乗って続ける。

「ごめんなさい・・・今日のお使い、実は僕からエメラルド先輩に頼み込んだんです。ほんとはもっとライーザさんに釣り合う男になってから色々言いたかったんですけど、ライーザさんがフリーっていのも先輩から聞いてはいたけど・・・今後もそうとは限らないって思うと、やっぱり不安になっちゃって・・・」

 そう言いながらライブラは、懐から小さな包みを取り出した。

「僕は、ライーザさんが好きです。確かに最初は一目惚れですけど、この1年ずっと気がついたら目で追っていて、いつもライーザさんは周囲の方への気配りとかしてて、とても優しい方だなっていうのも知って、もっと好きになりました。あ、今日の服もすごく素敵です!」
「え、あ、その・・・えぇと・・・ありがとう・・・」

 ライブラの熱量に、思わず気圧されるライーザ。
 ライブラは手を緩めない。

「実は今後、宮廷魔術士の中で選抜が行われるんです。それに選ばれれば、今建設中の術法研究所の創設メンバーに加わることが出来ます。これはかなりの狭き門になりますから、一流の魔術士でなければ選ばれません」
「そう、そんな話が進んでいたのね・・・」

 流石に宮廷魔術士の元には、政策に関する宮殿内事情がいち早く伝わるようだ。
 しかし、突然それがどうしたというのだろう。そうライーザが疑問に思うと同時、ライブラは熱のこもった視線で言葉を続けた。

「だから僕は必ず、創設メンバーになります。開設予定の2年後にそれが成し遂げられたら・・・僕にもう一度、チャンスをくれませんか」
「・・・・・・」

 ライーザは、このライブラという少年に対して少々思い違いをしていたようだ。
 この少年、どうやら彼女の想像以上にずっと逞しい。
 しっかりと事前に状況判断をし、その上で自分の勝ち筋を探しながら手段を選び、行動している。決して一時の感情で走るような短絡さではなく、しっかりと計画した上で、勝負に出ているのだ。

「・・・それは2年後にもう一度、私に告白するっていうこと?」
「・・・はい。そのとき僕がライーザさんに相応しいかどうか、もう一度判断して欲しいんです。それで、あの、これ・・・」

 そう言いながらライブラは、先ほど取り出した小さな包みをライーザに差し出す。
 ライーザは取り敢えずそれを受け取ると、ライブラに促されるままに包みを開く。すると中には、花柄があしらわれた銀製の小さな髪飾りが入っていた。

「・・・これ、私の好きな露天のやつ。エメラルドの入れ知恵ね?」
「はい・・・あ、でも、ちゃんと選んだのは僕です!ライーザさんに、似合うかなって思って・・・」

 そう言いながら赤面して俯くライブラを見ていると、なんだかこちらの方が気恥ずかしくなってくる。

「僕がライーザさんに釣り合うまでには、まだ少し時間が掛かります・・・。その間にライーザさんがもし素敵な人と出会ってしまったら身を引くしかないですが・・・僕にまだチャンスがあるうちはその髪飾りを付けて、時々会って欲しい、です・・・」

 どこまで狙っているのか狙っていないのかももう分からないが、彼の作戦は、確実に効いている。それは間違いないな、とライーザは場違いに自己分析した。

(これもエメラルドの入れ知恵だろうけど・・・確かにここまで準備されて譲歩案まで出されたら、こっちだけの考えで無碍に出来ないじゃん・・・くっそ、いじらしい手を・・・)

 今頃アバロンで下世話に笑っているであろうエメラルドに脳内で呪詛を送りながら、ライーザはライブラの視線に向き合った。
 きっと、彼の気持ちは一時の気の迷い。もっと彼に相応しい子は、いつかちゃんと現れる。そう思うのは、今も変わらない。
 だけど。
 だけど今はこんな風に時間をかけてでも自分に向き合いたいという、そんな彼の気持ちまで一方的に振り切れるほど、もうライーザは彼のことを無碍には出来ない。

(そもそもこんな純度100%の好意自体、ズルいわよ・・・。あー、私、そんな年下趣味とかなかったはずなんだけど・・・これはもうテレーズのことをからかえないわね・・・)

 年下にして護衛対象であるジェラール皇帝に熱を上げている同僚の事を、ふと思い出す。
 そして自嘲気味に口の端を吊り上げて笑いながら、兎に角ライーザはまっすぐに自分を見つめ続けている少年の提案に応えるべく、口を開いた。






 ソーモンから帰ってきた後輩ライブラ君のご機嫌っぷりといったら、協力したことを少し後悔するほどにウザったい。
 エメラルドはそんな事を思いながら、幸せオーラを撒き散らす後輩の横で、あからさまに嫌そうな顔をしながら日々の写本や魔術研究に勤しんでいた。
 とはいえ彼が研究に入れ込む情熱は以前を更に上回るほどなので、それはそれで良しとする。
 やはり彼は魔術理論の扱いにかけては天才的で、その研究成果も既に上がり始めていた。正直、術法研究所に彼を入れない理由はないだろうな、とエメラルドは踏んでいる。

 一方ライーザは、態度にいつもと変わった様子はない。
 お使いの礼として後日ガッツリ酒席を奢らされたが、個人的には胸キュンセッティングが礼のつもりだったから予想外の出費だった。
 ただ一つ変わったことがるとすれば、ライーザは最近、可愛らしい小さな銀の髪飾りを身につける様になった。
 密かにライーザを狙っている男連中の間では、ついに相手ができちまったのか、なんて噂が飛び交っているらしい。

 時折、後輩ライブラは前日に分かりやすくソワソワして、非番であるその翌日には意気揚々と城下町へ出かけるようになった。
 エメラルドが直接見た訳では無いが、偶に魔術棟にも顔を出す諜報部隊キャットのタレコミによれば、私服姿のライーザと仲良く街を歩いているのだそうだ。
 エメラルドはそんな話を聞きながら半眼でコーヒーを啜り、自分にもそろそろいい相手が見つからないものか、なんて思ったりするのであった。





最終更新:2024年01月21日 10:53