—ガタッ・・・カララン…コロン…——
「いらっしゃい」
イスカンダールから見て左側の扉が聞き慣れぬ音を発した後にそっと開き、それと同時にドアベルが控えめに店内に響く。
その音を不思議そうに聞きながら店内にするりと入ってきたのは、ゆったりとした布を重ね合わせたような衣服に身を包んだ男だった。
その服装の特徴は、幾つかの世界で同様のものを見たことがあるイスカンダールにはすぐに分かった。これは確か、ハカマ、と呼ばれるものだったか。
正確には袴にも様々な種類があるはずだったが、流石のイスカンダールもその詳細までは承知していない。
「お好きな席へどうぞ」
随分と物珍しいのか、扉や店内をキョロキョロと見回していたその男に対し、イスカンダールはにやりと微笑みかけながら着座を促した。
「む、これはかたじけない。では・・・おぉ、これは帝国式か・・・?」
そういいながら男は、バーカウンターに並べられた椅子一つにも、どこか物珍しい視線を向ける。
「お客さんは・・・・・・ほぅ、リャンシャンのおいでか。ふふ、うちの店は南蛮かぶれでね・・・いや、ヤウダでは南蛮とも言わんか・・・。まぁ、要するに『西の文化』を基調とした店なのさ」
「そのようだな。このリャンシャンに、斯様にハイカラな茶店があるとは存じなかった。この辺りも日夜警邏をしていたはずだが・・・」
そう言いながらも物怖じする様子なく椅子に腰掛けた男は、今度は真っ直ぐにイスカンダールを見つめる。
「私はセキシュウサイの孫、ジュウベイと申す。若輩ながら、この地方を守護するイーストガードの一翼を担っているものだ。不躾ですまぬが、店主よ。このリャンシャンにおける商いの認可証を拝見してよろしいか」
「おっと、こいつはお勤めご苦労さま、だな。私の名はイスカンダール。この店はイスカンダリア、という名前で許可を取っているよ」
そう言いながらイスカンダールはカウンター内の隅にある引き戸に向かい、ごそごそと中を漁った後、丸められた書簡を一つ引っ張り出して戻ってきた。
「こいつでいいかな、ジュウベイ殿」
「拝見しよう。どれ・・・・・・・・・!!!これはっバレンヌ皇帝の認可証!!陛下の御用商とは知らず、大変な無礼を申し上げた。済まない、イスカンダール殿」
「いやいや、しっかりお勤めを果たしてくれていることを、むしろ皇帝も喜ばれることだろう」
深々と頭を下げるジュウベイに対し、丁寧に返された認可証を受け取りながらにやりと笑って返すイスカンダール。それに合わせジュウベイは再度軽く頭を下げながら、かたじけない、と付け加えた。
「さて、そうするとお勤め中のようではあるが、ここは茶店というより居酒屋寄りでな。折角だから一杯、いかがかね」
イスカンダールが認可証を元あった場所にしまいつつ、まるで試すかのように声を掛ける。これは、状況をわかっての声かけであろう。
ジュウベイも当然そのように受け取り、これには口の端を少し吊り上げて困ったように苦笑してみせた。
「む、確かに警邏中ではあるが・・・陛下の御用商殿のお誘い、断る道理もなし。有り難くいただこう。とはいえ、西の酒には詳しくなくてな。なにか、此方の酒に近いものがあると有り難いのだが」
「酒に近い、ね。まぁ酒そのものもあるが、それではつまらんしな。さぁて・・・」
イスカンダールはしばし酒棚と向き合い思案した後、どうやら思いついたようにうっすらと微笑み、棚下から小瓶のような材料を取り出した。
その中身を少し小皿の上に取り出して、ぬるま湯に浸けていく。
—ガタタッ・・・カララン…コロン…——
イスカンダールがテキパキとオーダーの準備を進めていると、今度はイスカンダールから見て右側の扉が、先ほどと同じように妙な音を立てた後にゆっくりと押し開かれる。
そして、先程のジュウベイの様子をリピートでもするかのように不思議そうな表情でドアベルの音を聞きながら店内へ物静かに入ってきたのは、これまたジュウベイと同じような姿格好をした男であった。
「いらっしゃい。ふふ、今日はそういう日か。お客人も、扉を引き戸と間違えたな?」
「・・・ここの店主か・・・これは恥ずかしいところを見られてしまったな」
そう言いながら柔和な面持ちでカウンターへ近づいてきた男は、先客であるジュウベイに視線を向けると、スッと目を細めた。
「先客は・・・武士様であったか。拙者は・・・退散したほうがよいですかな」
そう言って半身翻そうとしていた男を、ジュウベイが制する。
「待たれよ。私もここは初めてでな、気遣いは無用だ。むしろ私などに気を使い客人を返したとあっては、ここの店主に申し訳も立たぬ」
「・・・そうでござるか。では・・・」
ジュウベイに言われて足を止めた男は、気を取り直してジュウベイと一つ離れた椅子に腰掛けた。
「そちらさんは・・・ほぅ、大江戸からお越しか。ここは茶店というより居酒屋寄りだが、大丈夫かね?」
「・・・今日は寺子屋も休みゆえ、問題はない・・・」
「そうかい、それはよかった」
そう言いながらイスカンダールは男にメニューを手渡す。すると男は意外にも手慣れた様子でメニューを開き、記載されたメニューに視線を走らせていく。
「・・・様々な世界の酒があるのだな・・・」
「ほぅ、世界の概念をご存知か。するってぇとお客さんは・・・っと、余計な詮索はご法度、だな」
「・・・かたじけない」
途中で口を噤んだイスカンダールにペコリと頭を下げながらメニューを返した男は、お任せで、と短くオーダーをすると、腕を組み静かに待つ姿勢を見せた。
しかし、その男の静かな様子の奥に潜む鋭い眼光に気づいていたジュウベイは、居ても立っても居られず、早々に沈黙を破ることとした。
「もし、そこの御仁」
「・・・なにか」
ジュウベイの問いかけに頭だけ半分向かせ、男が応える。
「私は、ヤウダを守護せしイーストガードの一人、ジュウベイと申す。御仁、相当な腕前とお見受けするが、名を伺ってもよろしいか」
「・・・イーストガード・・・聞き慣れぬ名で。拙者は・・・名乗るほどのこともない、今は国を離れた・・・しがない浪人でござるよ」
イスカンダールは棚下から瓶を2本、そして上部の棚から幾つかボトルを取り出し、カウンター上に並べていく。
客人がどちらも近い土地柄の生まれ育ちのようなので、折角だから和のテイストをベースに作ることにした。
先ずはジュウベイに出す方として、ミキシング用グラスを取り出し、順番に3つほどの材料を手際よく注いでいく。
「ローニン・・・ですか。ではローニン殿。もしやその刀・・・村正ではありませぬか?」
「!!、なんと村正をご存知でござったか。しかし抜いてもおらぬ刀を言い当てるとは、ジュウベイ殿は、良い目をお持ちですな」
「いえ、祖父の教えの賜物です。私の持つ刀も祖父から譲り受けたもので、銘を千鳥と申します」
「千鳥・・・もしや、千鳥一文字!拙者、実は国元が岡山藩でしてな、千鳥一文字の奉納されていたという厳島神社には、何度か伺ったことがあるでござる。いや、なんという偶然か」
ミキシンググラスに氷を詰め、バースプーンで静かに中身をステアしていく。
ミキシングでステアするときは指の動きだけに集中し、静けさと滑らかさを維持することが重要だ。イスカンダールは、少しばかりこのステア技術には自信がある。
そして程よくステアした中身をショートグラスに素早く注ぎ入れ、あとは最後の仕上げを待つばかり。
つづいてはローニン殿の分だ。此方は直接グラスに作る、ビルドスタイルで提供する。
まず足のついたロングスタイルのグラスを用意し、そこに2種の材料を注ぎ入れ、最後にお湯を入れておいた魔法瓶の中身を注ぎ込んだ。
「がーでぃあん・・・ですか。そのような組織があったとは存じませんでした。秘宝・・・七英雄が狙いそうです。これは陛下にご報告すべきだな・・・」
「イーストガードという組織も拙者は存じてなかったでござるが、ジュウベイ殿を見ればその組織が良き志の集いであるのは分かるというもの。その七英雄という存在も、将軍同様に注視せねばならぬ存在のようでござるな・・・」
ジュウベイに用意したグラスには戻しておいた桜の塩漬けを最後にそっと入れ、ローニンのグラスには、スライスしたレモンを入れる。
これで、完成だ。
「さ、お二人とも。おまたせしたな」
そう言って差し出されたグラスを、2人は物珍しそうに覗き込む。
ジュウベイのグラスは淡いグリーンの色合いに、沈んだ桜の花が見えるショートカクテル。そしてローニンのものは、ほんのり湯気のたつ淡い琥珀色のロングカクテルだ。
「これらはどちらも、さる著名なバーテンダーが考案した和酒ベースのカクテルでな。和酒はそのまま飲んでも勿論美味しいんだが、実はカクテルの素材としても非常に魅力的なんだ」
イスカンダールの口上を聞きながら、2人は早速グラスを手に取り、一口啜る。
「・・・おぉ、これは美味い。中身は酒と・・・茶の風味?」
「御名答。そいつには純米酒の他にグリーンティーリキュールを使っていてな。今日は確か、桃の節句(*2024/3/3掲載話)だったろう。だから仕上げの塩漬け桜がポイントなのさ」
言われてジュウベイがグラスを持ち上げると、揺らめくグリーンの中に沈み込んだ桜の花びらが、ゆらりと揺蕩う。
「此方も、とても美味だ。店主、これはひょっとして、焼酎を使っているのか?」
「ふふ、ローニン殿も流石だな。そいつは焼酎にチェリーブランデーを入れたものだ。こっちもチェリーで桜繋がり、というわけだな。甲類ではなく乙類・・・本格焼酎を用いるのがポイントでね、焼酎の種類によって様々に風味が変わる。今回は、麦焼酎で作ったものさ」
イスカンダールの説明を聞きながら、2人はグラスを再度傾ける。
「そうか、今日は桃の節句だったな・・・。うむ・・・おたま殿に、何か手土産でも・・・」
「・・・ほぅ、ローニン殿、そのおたま殿とは、いい仲なので?」
「あ、いや、その・・・そういうわけでは・・・!」
杯を傾けながら和やかに談笑するサムライ2人を前に、イスカンダールも余った戻し桜の花びらを小さな赤い盃に乗せ、そこに酒を注ぐ。
「そういえばどこぞの世界では、もうすぐ春か。花見に繰り出すのも、悪くないな」
そんなことをつぶやきながら、イスカンダールはちびりと盃を傾けた。
登場したお酒(今回は2つとも、バーテンダー上田和男氏のレシピを使用)
日本酒、ストリチナヤウォッカ、グリーンティーリキュールをステアしてグラスに注ぎ、そこに戻した塩漬け桜を入れたお洒落カクテル。桜を戻しすぎないのがコツらしい。グリーンの色合いが美しく、程よい桜の塩気も相まった雅な仕上がり。使う日本酒は辛めのものが個人的には合うと感じる。
乙類焼酎、チェリーブランデーをグラスに直接注ぎ、あとはお湯でアップ。最後にレモンスライスを入れて完成。乙類焼酎とは芋・麦・米など様々な素材で作られる「本格焼酎」の類で、種類も様々。そのため、使用する焼酎で風味が結構変わるカクテル。まだ肌寒い新春に飲むのにぴったりの一杯。材料さえあれば簡単に作れるので、寝酒にもよし。
最終更新:2024年03月03日 17:22