—カランカラン…コロロン…——
「いらっしゃい」
イスカンダールから見て左側の扉が優雅に開き、それと同時にドアベルすら、どこか雅な音色で響き渡る。
いつもと異なる音色の様子にイスカンダールが思わず片眉を上げながら扉へと視線を向けると、店内に入ってきたのは、明らかに一般人とは異なる雰囲気を纏った人物であった。
その人物は一見すると男性のようだが、どこか性別を超越したような独特の空気を纏っている。服装は白のスーツのようだが、しかし随所に施された刺繍やスーツそのものの型取りが非常に独創的で、単なるオーダーメイドを超えた唯一性を強く感じさせる逸品だ。
そしてスーツとセットになっているであろうデザインのシルクハットを被っており、その下には直視するものを魅了するかのような紅い瞳が、妖しげに煌めいている。
間違いなく、人ではない。
即座にそう判断したが、かといってイスカンダールは、何食わぬ顔で手元のグラスを拭き続けるのみ。
なにしろ来店客を人間に限定した覚えはないので、時にはこういう来客もあるだろう、という程度に思っただけの話であったからだ。
「ほう、ここは酒場か」
「ご明察。お好きなお席へどうぞ」
少ない動作で店全体を見渡した人物の呟きに応え、イスカンダールは視線でカウンター席を示す。
すると白スーツの人物は存外素直に近くのカウンター席へと腰掛け、どこか物珍しさを楽しむように、酒棚のボトル群をじっくりと眺め始めた。
「お客さんは・・・ほぅ、連接領域からのおいでか。流石にここに生き血は置いていないが、アルコール類の品揃えにはそれなりに自信がある。好みの味わいを言ってもらえれば、おすすめも出そう」
「・・・なるほど、私が闇の王であると一目で見抜いたか。なかなか魅力的な目を持っている」
シルクハットを脱ぎながら白スーツの人物がどこか愉快そうに声を上げると、イスカンダールは肩を竦めて微笑んでみせた。
「ふふ・・・そりゃあどうも。まぁ闇の王様かどうかまでは流石に分からなかったんだが、種族的には、なんとなくな」
予想通り、どうやら今日の来客は吸血鬼のようだ。
どちらかというとイスカンダールの元いた世界では敵対する類の種族なのだが、案外吸血鬼という種族はポピュラーなもので、彼は様々な世界に同様の特徴を持つ種族がいるこをと確認していた。
なので、雰囲気などで分かりやすいと言えば分かりやすいのだ。
ただ、この白いスーツの人物はどうもイスカンダールの知る吸血鬼とも少々異なる様子。
どの世界でも吸血鬼という存在は力ある存在で、その力に比例してプライドも高い傾向にある。その上、この人物などは自らを『王』と名乗る始末。となれば、相当に気位が高そうなものだろう。
だというのに、この人物からはどこか、気が置けない柔らかな物腰をすら感じさせる。
なんとも不思議な人物だ。
「そうだな・・・月並だが、あんた方が好んで飲む類の品揃えにもそこそこ自信がある。よければ、セラーからおすすめを一本お出ししても?」
「献上品ということか、殊勝な心掛けだな。許す。私が満足できるものを出してみせよ」
白いスーツの人物はカウンターの上に両肘を着き、絡めた両手の指の後ろからゆらりと揺らめく紅い瞳で愉快そうにこちらを見つめる。
イスカンダールは当然この手の瞳に精神干渉を受けることはないが、それでも首筋に少しむず痒さを感じるので、あんまりそういう目で見てもらいたくないものである。
まぁ、彼らの場合は当人の意思に関わらず瞳にそういう作用がある場合がほとんどなので、言っても仕方のないことではあるが。
「さて、どれにするかな・・・」
—カランカラン…コロロン…——
イスカンダールがカウンター内から出て客席側に設置してあるワインセラーの中身を物色していると、先ほどの人物とは逆側の扉から、入店を知らせるベルの音がこれまた優雅に響き渡る。
「いらっしゃい」
ちらりとそちらに視線を向け、イスカンダールは少し目を細めた。
なんと此度の来店者もまた、人ならざる者のようだ。なるほど、今日はそういう日というわけか。
「ほぅ、城の扉がこんな所に続いているとは・・・これはまた異な事だ。少しは楽しめると良いのだが」
物珍しげに店内を見回しながら後ろ手に扉を閉めて足を踏み入れてきたのは、一目でわかる高貴な地位の者が纏うであろう豪奢な燕尾服を身に纏う、血のように紅い長髪をした美しい人物であった。
この人物もまた男性と思われるが中性的な妖しく美しい顔立ちをしており、人ならざる魅力を醸し出している。
「なるほど、これは面白い。孤高の存在である我に居並ぶ存在と、このようなところで出会おうとは」
リラックスした様子でカウンターに座りながら新たな来店者に声をかけたのは、白いスーツの先客であった。
するとどこか態とらしく、その声で初めて存在を認知したかのように白いスーツの人物に瞳を向けた赤髪の人物は、少し伏し目がちに俯いてフッと笑みをこぼす。
「ふふ、これは驚いた。私と同じく悠久の時の中で無聊を託つ者が、こんな所に2人も居ようとはな」
そう言いながら赤髪の人物は、どこか興が乗った様子で白いスーツの人物と一つ間を開けたカウンター席に座った。
「どうやら今宵の集まりに、私は最後に参じたようだな。遅れた無礼を詫び、まず私から名乗ろう。私の名はレオニード。伯爵としてポドールイ地方を治めている」
「我が名はシウグナス。闇の王だ。だが・・・実は私も伯爵と呼ばれていたことがあってな。これはまた随分と奇妙な縁だ」
席を挟んで両名が名乗り合っているところに、一本のワインボトルを携えてカウンター内に戻ってきたイスカンダールも軽く肩を竦めながら口を開く。
「ふふふ、お二人さんとは少々事情が異なるが、無聊を託つ、という意味では確かに私も一緒なのだろう。私の名はイスカンダール。このBARイスカンダリアの店主を務めている」
そう言いながらイスカンダールは、ガラス棚の上で光沢を放つワイングラスを二脚取り出し、流れるような動作で2人の前に差し出した。
「2人に相応しい一本を用意させてもらおう。少し準備をさせてもらうので、待っていてくれ」
そう言ってイスカンダールは持ってきたワインを立たせると、丁度コルク部分の上あたりに手を翳し、慎重に息をゆっくりと吐きながら術式を練り上げる。
嘗て彼の隣で戦った大魔女ほど上手くは扱えないが、イスカンダールも長い年月の間に少々の術は齧ってきた。そのなかでワインを手早く最適なコンディションに整えるために丁度良いと思い、水行に属すると思われるクイックタイムという術を彼は会得している。
なにしろこれを使えば、横に寝かせていたヴィンテージワインを立てて澱を沈めたり、抜栓した後で適度にワインを開かせる時間が一気に短縮でき、非常に便利なのであった。
「ほほう、雪、か。最終皇帝のいた世界で見たな。そのポドールイという世界も、いずれは翠の波動の先に現れるかも知れぬな」
「ふふ、来てもらっても構わないし歓迎もするが、詰まらない場所さ。美しく退屈な宵闇に閉ざされた、眠気を誘う街だよ。私は、そのヨミという世界のほうがよほど興味があるがね」
2人の会話を聞き流しつつ、ボトルに術を施していく。
実のところワインとは市場に流通するものの大半が、早飲み向けだ。何年も寝かせることで深みを増すタイプの葡萄品種や製法は存外限定的で、大半のワインは収穫年から間を置かずに飲んでもらった方がいい。
更に最近は世界によっては従来のコルクではなくスクリューキャップを採用しているワインボトルも増え、実際そちらの方が衛生管理面など様々な面で優れる。
だが、ワインとはやはりサービスの所作まで含めて楽しむものという持論を持つイスカンダールとしては、多少面倒でもコルク製のワインがやはり好みだったりする。
コルクは呼吸をする。なのでワインを縦に置いておくと乾燥したコルクを通じ空気が多く入り込み、中身が酸化してしまうのだ。なのでコルク式のワインは横に寝かせて、コルクに液面が当たるように保存するのが基本である。
「様々な世界を訪れて魅力ある闇を探す・・・なんとも甘美な体験であろうな。領地に引き篭もっている私からしたら、素直に羨ましいと思ってしまうよ」
「あぁ、とても愉快な体験だ。しかし世界は、私が思う以上に多様でな。中には、我が力の通じぬ娘なども居た。あれには王たる私も流石に衝撃を受けたものよ・・・」
熟成向けのワインほど、瓶の中には葡萄カスなどの『澱』がある。そうしたワインは横に寝かせたままだと澱がボトル全体に沈んでいるので、あらかじめ飲む前に数時間ほど立てておき、澱を底に沈める必要がある。
また、熟成向けワインには抜栓してから中身が飲み頃になるまで、これまた数時間を要するものも少なくない。中には、飲む前日に抜栓しておくことが推奨されるものまである。
このようにワインが『開く』までの時間や、先ほどの澱を底に沈める時間を一気に短縮できるので、クイックタイムは非常に便利だった。
そういえばどこぞの世界ではこの術でラスボス完封なんて救済策もあるらしいが、あいにくとイスカンダールには縁のない話である。
「魔王と聖王・・・なんとも魅力的な存在ではないか。死に魅入られる、という点が特に良い。300年毎にそのようなことが起こるとは、そちらも中々面白い世界のようだな。ますます訪れてみたくなった」
「ふふ、逆にそれ以外には何も面白味がない世界、とも言えるがね。だが確かに、宿命に翻弄される短命種の生き様というのは、稀に素晴らしい物語を見せてくれるものだよ」
ある程度ワインが開くまで術を施した後、仕上げにデキャンタージュしていく。こうしてボトルからデキャンタに移す過程で更に空気を含み、ワインは一気に花開くのだ。
あとはデキャンタの中身をワイングラスに注ぎ、2人の前にグラスを滑らせる。
「お待たせしたな。今宵のワインは、こいつだ」
イスカンダールは澱部分を僅かに残したワインボトルを、エチケットが見えるように丁度2人の間に置く。
「こいつはロアーヌが世界に誇る最上級ワイン銘柄の一つ、エンプレス・ヒルダ。ヴィンテージは299年だ」
「299年・・・死食にて全ての新しい生命が失われる前年、生命の輝きが近年で最も多く花開いた年か。グランドヴィンテージとまでは言わぬが、非常に良い出来の年だな」
「ほう、これは其方の世界のものか。先ほどの死食とやらに纏わる年代のものとは、実に興味深いな」
イスカンダールの説明に合わせてレオニードが訳知り顔で顎に手を当てながら頷くと、シウグナスも興味をそそられたのかワインボトルのエチケットを繁々と眺める。
「このランクのワインのグランドヴィンテージとなると、入手には金より運が必要だからな。このヴィンテージにしたって、入手するのにかなり苦労したんだ。さ、アテにフロマージュを用意するから、まずは先に一口、味わってみてくれ」
イスカンダールに勧められるままに2人はグラスを軽く回し、グラスの内側を滴るティアーズや色合いを眺め、香りを楽しみ、そして少量を口に含む。
口腔に広がるのは、女帝の名に相応しい、淑やかでありながらも力強い味わい。
シルクのような舌触りと一緒に鼻腔へと至る香りは、黒スグリの印象から、幾つもの花々を思わせる複雑なものへと変わっていく。
その味わいも香りも全てが実に芳醇で、フィニッシュも非常にリッチな余韻。
飲み込んだ後の両名の口元の緩みを見れば、しっかりとお眼鏡に適ったと判断していいだろう。
そうして2人がワインの味わいを楽しんでいる所に、いくつかのチーズをプレートに盛り合わせて出しながらイスカンダールは口の端を釣り上げて微笑む。
「しかしお二人さんとも、これ以上ないくらいに赤ワインが似合うな」
古今東西の吸血鬼が手にする血液以外の飲料といえば、赤ワインである。中でもこの2人が赤ワインを手にすると、赤ワインとはまさに彼らのためにこそ作られた飲み物ではなかろうかとさえ思えてしまう。
カウンターに並ぶ2人と赤ワインは、それほど絵になる様相であった。
「女帝の名を冠するワインならば、王たる私が飲むにも相応しかろう。良い物を選んでくれた、イスカンダールよ」
「ふふ・・・私は実際にヒルダとも面識あるが、確かに彼女の持つ美しさや力強さを、このワインは体現している。これを作った偉大なるロアーヌの大地と職人たちに敬意を払いながら、ゆっくり頂くとしよう」
「王と伯爵にご満足いただけて、光栄の至り、ってね」
2人の孤高なる存在はグラスを揺らし、時折チーズを摘みながら、彼らの過ごす時間の中の本当に一瞬の煌めきともいえるこの瞬間を余すことなく楽しむように、会話を弾ませていく。
ところでこの場の平均年齢は一体何歳なんだろうなぁ、なんてことを唐突に思ったりしながら、イスカンダールもまた2人の口から出る様々な話には流石に興味をそそられ、いつしかグラス片手に話に加わっていった。
登場したお酒(架空物)
RS3世界にて古くからワインの名産地として名高いロアーヌ地方の、歴史あるワイナリーが作り上げた至高の赤ワイン銘柄の一つ。ロアーヌ侯国初代侯爵であるフェルディナントの妻ヒルダの名を冠するこのワインは世界的に有名らしい。生産本数は多くないため、価格が高騰しがち。更に出来のいい年のものは金を積んでも中々手に入らないという、愛好家泣かせの一品でもある。
最終更新:2024年06月18日 09:24