数日の後。

 その日のバレンヌ帝国首都アバロンは、まるで街全体が俄かに浮き足立っているかのようだった。
 生憎の曇り空で迎えたこの日、バレンヌ帝国第31代皇帝ジェラールが即位後間も無い頃に発案し、即座に建設に取り掛かったという術法研究所の完成記念式典が行われることとなっていたのだ。
 記念式典には北バレンヌ諸国に加え、近年になって皇帝ジェラールが平定した南バレンヌ地方からも多くの来賓があり、首都アバロンは非常に賑わっていた。
 この賑わいこそが、七英雄クジンシーを打倒し、更には魔物に占拠されていたヴィクトール運河を解放し南バレンヌまで平定せしめた皇帝ジェラールの覇を更に高め、後世まで語り継がれることになる偉大なる帝国史の1ページとなる。

「ついにこの日が来たわね・・・」

 だが、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの様子でそわそわした帝国兵が4人、式典準備ですっかり人が出払い無人状態の食堂隅にこそこそと集まっていた。

「例の手紙でライーザがライブラ君と会う約束をしたのは、術法研究所完成記念式典が開かれる直前みたい。となると場所は多分、式典会場の近くね」

 テレーズが胸の下で軽く腕を組みながらそう言うと、次にキャットが軽く頷きながら全員に目配せをする。

「場所は、シーフギルドの名にかけて必ずあたしが突き止める。既に雀たちを警備と称して方々に配置させたわ」
「スパロー・・・こき使われてんなぁ・・・」

 キャットと共にアバロンシーフギルドを仕切っている青年スパローを憐れみ、ヘクターがそっと目頭を押さえる。

「おそらくこれはアリエスのお節介だろうが、今回の式典警備はいつもみたいに軽装歩兵中心じゃなくて、傭兵部隊まで含めた各部隊の混成でって依頼がきてる。だから俺らが会場周りにいても不審じゃねえな」
「宮廷魔術士が主体の式典警備に傭兵部隊を用いるなんて、ほんとアリエスさん丸くなったわよね・・・」

 ヘクターの言葉に、今度はテレーズが感心するように呟く。

「アリエスさんマジグッジョブよね、お陰であたしも自由に動けるわ。こっちの網にホシが掛かったら例の信号弾の色で大体の場所を確認して。そこに速攻でうちの子たち走らせるから、テレーズとヘクターはそれまで所定の位置で待機ね」

 普段はシーフギルド精鋭数名で式典などを裏から見守るのがキャットの立ち位置だが、それもおそらく今回、他のメンバーに程よく押し付けたのだろう。俄然やる気満タン状態のようだ。
 そんな面々をよそに、一段と落ち着いた様子のジェイムズが一つ咳払いをして仕切り直し、ゆっくりと全員に視線を配った。

「普段ならばこういう式典の警備進行を仕切るのはライーザなんだが、俺が今日はそこを担う。つまりライーザは今日の編成には、加えていない。なので俺は今日はここまでしか協力出来ないが・・・テレーズ、キャット、ヘクター。ライーザのことを、どうか頼む」

 ジェイムズの言葉に三人がしっかりと頷く。
 最後にテレーズが、小さく、しかし力強く言葉を紡いだ。

「よし、それじゃあみんな頼むわね、帝国に勝利を!」
『帝国に勝利を!』

 やはり帝国兵のサガか、帝国式掛け声を無意識に皆が呟き合い、方々へと素早く散会していった。





 今日もまた、どんよりと暗い曇り空を窓辺から一人見上げる。
 ここ最近はなんだか、毎日ずっと同じような空を見上げているような気がする。
 そしていつもこんな朝、窓ガラスに映る自分の寝起き顔は、すこぶるイケてないのだ。
 近頃は年齢と共に肌髪の艶も落ちてきたような気がして、手入れ前の自分の姿を見ると少し憂鬱な気分になってしまう。
 いけない、いけない。
 しっかりと、気を保たねば。
 そう思考を切り替えたライーザは、先ずは顔を洗うべく足早に水場へ向かった。

 今日は帝国にとって、とても特別な日。
 これからの帝国にとって、なくてはならないものになる重要な施設の完成を祝う、大事な式典の日。そこには、アバロン内外から多くの人がそれを祝いに来る。
 それはそれは、盛大な祝祭の1日になるだろう。
 そして今日は、自分にとっても特別な日になるのだ。
 自分のとても大事な人が、その才覚に相応しい、輝かしい一歩を踏み出す日。
 それを、自分は間近で見届けることができる。
 これはとても、幸福なことだ。
 なにしろ兵士というものは、その任務を全うする中で望まぬ別れを経験することも多い。ろくな別れ方をしないことの方が多いくらいだ、といっても過言ではないだろう。
 そうした中で自分は、大切な人の新たなる一歩に五体満足で立ち会うことができる。
 それは兵士として、とても、とても幸福なことなのだ。

(そりゃあ誰だって・・・一度は1番幸福な想像をしなくは、ないんだろうけどさ・・・)

 1番幸福な自分。
 その下らない想像を、ライーザは井戸から汲み上げた水で眠気と共に洗い流す。
 2年前にアバロンの座する北バレンヌから七英雄クジンシーの脅威が去り、南バレンヌでは要衝ヴィクトール運河を奪還したことで周辺脅威の排除にも成功。
 これによりバレンヌ帝国はソーモンや南バレンヌといった地域で貿易を重ねながら、その国力を増大させるフェーズに移行したのだ。
 つまり今のバレンヌ帝国は、乗りに乗っている、ということなのである。
 自分ばかりでなく、国全体がこんなにも幸福な最中。
 その最中にこれ以上の幸福を望もうだなんて、流石にちょっと傲慢すぎるのではないだろうか。

(流石にさ・・・帝国の未来を考えたら、これ以上は望んじゃダメだと思うんだよね)

 常に戦で最前線に立ってきたライーザは、ここぞという時に彼女を生き残らせてきた冷静な判断力を持っている。
 その判断基準が、如実に語りかけてくるのだ。帝国のことを考えた最善手は、このまま流れに身を任せることなのだ、と。
 顔を洗ったライーザは、食糧庫から朝食代わりにりんごを一つ取り出し、それを齧りながらドレッサーへと向かう。
 今日くらいは、少しお洒落をしたいなと思う。

(・・・この2年、楽しかったな。いやまぁ別に、その前が楽しくない生活だったとかじゃないけどさ・・・)

 パブリックな催しの際にと思い新調したまま、すっかりドレッサーの肥やしになっていたシルク製のワンピースを取り出す。
 こっそりバレンヌ帝国の紋章を胸元に同色で縫い込んだ、特注品だ。

(でも、ライブラと一緒に過ごしたこの2年はなんていうか・・・そう、ライブラと会う度に新しい何かがあった。いろんな事があったし、いつもと同じ場所も違うように見えたり・・・)

 ワンピースの上から何か羽織ろうと、さらにドレッサーの中を漁る。
 すぐに目についたのは、淡い桃色に染め上げられたストールだ。滑らかな白のシルクに合わせるには、色合いも良い。
 だが、ライーザの手は動かなかった。

(・・・ライブラと一緒に見かけたあの人、綺麗な銀髪だった。淡い藤色を基調に、鮮やかな・・・そう、鮮やかなピンクの差し色が可愛らしい服・・・)

 反射的に、ライーザの手は桃色のストールを避けていた。
 そしてそのまま、もう少し奥に伸びる。
 そこには、少し時期はずれなブラウンの女性用ジャケットが掛けられていた。
 腰より上の位置に裾があるカジュアル仕様なので、まぁワンピースに合わなくはない。

(これ・・・ライブラとソーモンに行った時に着たやつ・・・)

 そう思った時にはすでに、ライーザはそのジャケットを手にとっていた。

(・・・ふふ、なんか・・・自分の女々しさに笑えてくるな・・・)

 自嘲しながらジャケットに袖を通し、鏡台の前に移動して手早く髪へ櫛を通す。
 そしていつもの癖で鏡台の上に置いてある小綺麗な小箱の蓋を開け、中に入っている銀製の髪飾りを取り出した。
 だが、それを髪につけようとする手が、ふと止まる。
 ソーモンでこれをライブラから受け取った時のことは、今も鮮明に覚えている。その時のライブラの言葉も、表情も、もちろん覚えている。

(・・・僕にチャンスがあるうちは・・・か。ふふ、貴方には、チャンスしかないわ。この先もずっと・・・とても大きな、貴方の人生を豊かにするチャンスしかない。私には、そういうのはもうないかもだけど)

 髪飾りを小箱の中にそっと戻そうとするが、しかしそれもどこか躊躇われた。
 結局はジャケットのポケットにそっと忍ばせて残りの身支度を整え、部屋の出口に向かう。

(せめて今日は、ちゃーんと大人の余裕でライブラの新しい門出を祝わないとね。その後は、あとの私に託しておくわ・・・ごめんね、その後の私)





「今日という日を迎えられたことを、私はとても嬉しく思う。何故ならば、日夜国の発展に心血を注いできた帝国民諸君の力があってこそ、この日を訪えることが出来たからだ。諸君のような素晴らしい民を持った私は、間違い無くバレンヌいちの果報者だろう。故に、諸君に最大限の感謝を。そして今改めて、帝国の更なる飛躍を私から皆に約束しよう!」

『ワァァァァァァァァァァァ‼︎‼︎』

 高らかに鋼鉄の剣を掲げたジェラールの言葉を聞き、アバロン城の前に集まった帝国の民は熱狂した。
 曇天を吹き飛ばさんというほとの歓声を受けて、術法研究所完成式典が華々しく開会された頃。
 その術法研究所と市街地を繋ぐ道から別れた、小さな遊歩道の一画にて。

 木製の簡素なベンチに腰掛けていたライーザは、少し遠くから聞こえてくるその歓声にふと、空を仰いだ。
 空にはポンポンと、色とりどりにファイアボールの空砲が弾け、今日という祭典を彩っている。
 あれは、宮廷魔術士の中でも一風変わった魔術の研究を得意とするオニキスが発明したものだ。実戦での効果は期待できないものの、その華やかな見た目から催事に用いる案をエメラルドが提唱したらしい。
 有事向けには信号弾としての運用が検討されているそうだが、今はまだその段階にはないとかなんとか。
 とにかく今日という日を、アバロンにいる誰もが喜んでいるのだ。

(私も・・・喜ぶべきだけどさ・・・)

 頭ではわかっていても、なかなか感情が追いついてこない。
 この場所は、建築途中の術法研究所をライブラと2人で眺めながら過ごした、2年間の思い出が詰まった場所だ。
 だから嫌でも、ここで彼と話した色んな言葉たちが、脳裏に浮かんでは消えていく。
 術法研究所の完成に向けいよいよ選抜試験がはじまるだの、搬入される魔術具が高性能の新品で早く使いたいだの、外部から招呼されるフリーメイジらが優秀で会うのが楽しみだの。
 熱が入ると夢中で話し続ける彼の直向きさが愛おしくて、正直内容は半分も理解できなかったけれど、笑って聞いていた。
 真っ直ぐ彼の人柄が好ましいのは勿論だけど、側から見ても才覚あふれる己に慢心することなく高みを目指すその姿勢に、人間的な魅力を感じていた。
 そして、なにより。
 一頻り熱く話した後に、ライブラは決まってこう言った。

『僕、もっと頑張りますから!』

 その頑張りが自分に向けられていることが、くすぐったくて、でも心地よくて。
 ずっと、こうしていたいと思ってしまう自分がいたのは、確かなことだ。

(・・・だけど、間もなくそれも終わる。最初から、わかっていたことだけどね・・・)

 魔術士としての才覚にあふれ、直向きな性格のライブラ。しかし同時に彼は、思春期真っ只中の青年であることにも変わりはない。
 一時の気持ちは、そのうちにまるで、一瞬の漣のように消えていくものだ。
 そうした変遷の時期を経て、彼にはより相応しい相手が、ちゃんと現れる。
 あんなにいい子なのだ、それは間違いないこと。
 帝国軽装歩兵部隊副長である自分が、太鼓判を押して保証しよう。

(私の役目はせいぜい、それまでに彼を一人前の男子に近づけてあげること。人間的には私が出る幕なんてなかったけど、そのほかのことなら少しは・・・教えられたんじゃないかな・・・)

 ちょっとした食事作法やお酒との付き合い方に始まり、困らない程度に世間の情報を収集しておく術や、アバロンという街のちょっとディープな過ごし方など。

(あれ・・・なんか私、遊び方しか教えてなくない?・・・)

 思い返すと楽しかった場面は多いのだが、どうもその行動そのものが彼の役に立ったのかと改めて問われると、なんだか今になって自信がなくなってきてしまった。

(・・・ま、まぁ・・・悪い年増女に捕まったとでも思ってもらおう・・・。これからは、もっとライブラに相応しい人が・・・側にいてくれるはずだから・・・)

 遠くに聞こえる歓声が未だ鳴り止まぬ中、ライーザは俯きながら細く長く息を吸い込み、一瞬息を止め、そして一気に吐き出した。
 待ち合わせの時間は、まだもう少しだけ先。
 でもライブラはいつも決まって、それより早く着くのだ。

「ライーザさん!」

 ほら、こんな風に。

「・・・ライブラ」

 何をそんなに急いでいるのか、駆け足で道を進んできたライブラは、ライーザの名前を呼びながら近くまで寄り、膝に手をついて息を整える。
 両膝を揃えてベンチに座っていたライーザは、彼女も膝の上に手を添えながら、ライブラの様子をじっと見つめた。
 普段よりも多めに装飾の入った宮廷魔術士の儀礼正装を着込んだ格好は初めて見るもので、とても新鮮な感覚だ。
 以前はどうしても宮廷魔術士の制服を「着させられている」感があったが、すっかり伸びた身長や広がった肩幅も相まって、今はちゃんと着こなしている。
 誰がどこから見たって、立派な宮廷魔術士だ。
 その姿を見るだけで、なんだか自分まで誇らしくなってくる。
 そして今回新たなステージに進もうとしている彼を1番近く・・・いや、2番目に近くで見守ることができることもまた、とても幸福なことなのだ。
 さっきまでくよくよとしていたのがまるで嘘のように、ライーザは自分にできる1番素敵な笑顔でライブラを見つめた。
 なによりも今は、彼の行く先を素直に祝いたい。

「ライーザさん・・・その・・・最近ずっと会えてなくて、すみませんでした」

 やっと呼吸が整ったのか、上半身を起こしたライブラは、どこか気まずそうに視線をライーザの足元に落としながらそう言った。

「何言ってるの。研究所完成間近の追い込みだってエメラルドからも聴いていたし、私は大丈夫よ」

 嘘だ。本当は、とても寂しかった。

「それに私も他部隊の警備指導に駆り出されていたから、どちらにせよ時間作れなかったかもだしね」

 これも、嘘だ。もしライブラが時間作れたらと考えて、なんとしてもいつもの時間はちゃんと空けていた。

「今日は運良く非番になったから、ライブラの晴れ舞台を間近で見れてとても嬉しいわ。これからもっと忙しくなるかもだけど、頑張ってよね」

 これは、本当に思っている。祭事の日に自分が非番になったのは多分、お節介な誰かさんたちの仕業だろう。
 ただ、そのお陰でこうして彼を近くで祝うことができるのは、素直に感謝すべきことだった。

「・・・はい、僕も今日という日をなんとか迎えられて、とても嬉しく思っています」

 ライブラはそう言って、うっすらと微笑んで見せる。
 ただ、その笑顔が普段の彼とは違って、どうも少し不自然だ。
 ライブラに限らず、人がそういう顔をするときに何を意味しているのか、ライーザはこれまでの経験から知っている。
 つまりそういう顔は、後ろに緊張が隠れている顔だ。

(・・・あー、これは・・・ここで言われるな。ほんとライブラ、そういうの隠すの下手なのは直らないわね・・・)

 でも、それがまた、彼のいいところだとライーザは思っている。
 そんな彼だから、自分もいつのまにか彼に惹かれてしまったのだ。まったく、年上の面目も何もあったものではないなと思う。

カツッ…カツッ…

 普段あまり聞きなれない少し高めのヒールが地面を蹴る音に、自然と2人の視線がそちらへ向かう。
 そこには、今日の曇り空にはあまり似つかわしくない純白の日傘を差した人物が、ライブラの後をゆっくりと追うようにして向かってきていた。
 ほっそりとしたシルエットをさっと彩るように、藤とピンクを基調とした衣装が映えるその人物は、ライーザが以前にうっすら見かけた女性のものに違いない。

(・・・あぁ、直接紹介するつもりなの・・・いや、それが筋だと思ったのかな。ま、その方が色々腑に落ちるかもね・・・)

 ライーザは内心でそんなことを思いながら、日傘で顔の見えないその人物を真っ直ぐ見つめる。
 嫉妬がないわけはない。
 なんなら今凄く、恨めしいのが正直な気持ちだ。
 それでも、ライブラが選んだ相手ならば笑顔で送り出すまで。それが、元より自分が自ら請け負った役目なのだから。
 今はその決意だけを胸に、ライーザはライブラの次なる言葉を待った。

「あ・・・来てくれたんですね。あの、ライーザさん。後でと思っていたんですが、丁度きてくださったので。実は、ライーザさんに紹介したい人がいるんです」
「ええ、分かっているわ」

 そう言って微笑んだライーザはすっと立ち上がり、両手を腰のあたりでゆるく組む。
 相手の顔は日傘で見えないが、ライブラの横で立ち止まったので、話す準備は良いということだろう。
 2人の肩の距離が近いことが、少し調子を狂わせる。
 ライーザは一つ息を吐いて冷静さを呼び覚まし、ゆっくりと口を開いた。

「初めまして。私は帝国軽装歩兵隊副長のライーザといいます。ライブラとは・・・仲良くさせてもらっています」

 そう言って軽く膝を曲げ、会釈をする。
 相手は微動だにする様子もないが、喋り出すような呼吸も見られないので、そのまま続けることにした。

「とはいえ、勘違いなさらないでください。私は単にライブラの・・・彼の、保護者のようなものです。ですからお二人の関係性について、どうこういう立場でもありません」

 少し、回りくどい言い方だっただろうか。
 いやでも、事実はしっかりと述べておいた方がいいだろう。
 それに、相手に何か言われ始めた途端にきっと、自分はもう何も言えなくなる。
 自分で、自分がそういう性格だと、分かっている。
 なら、先に言いたいことは全部言ってしまおう。
 それくらい、許されるはずだ。

「私がいうまでもなく、ライブラは将来有望な宮廷魔術士です。魔術棟の外にいる私にさえ、彼がどれだけ頑張っているのかが聞こえてくるほどでした。それに何より彼と会う度、いつも彼の頑張りが直に伝わってきました。だから、この先も輝かしい道を歩む彼の側に・・・共に歩める方が出来たこと、とても嬉しく思っています」
「ライーザさん・・・」

 ライーザの言葉にライブラが何か言おうとするが、ライーザは小さく首を振って制した。

「私も、彼のことをとても大切に思っています。保護者として・・・或いは、それ以上に。でも、私は魔術の面で彼の役に立つ事はできません。ですから貴女には私では及ばぬ所まで、お任せしたいと思っています」

 きゅっと、組んだ両手に力が籠る。
 悔しい。
 いや、悔しくはない。悲しい。
 いや、悲しくはない。口惜しい。
 いや、口惜しくはない。ただただ、願っている。
 そう、願っているのだ。
 ただただ彼の幸せな将来を、願っている。
 その願いの強さと大きさに比例して、自分が彼と共に歩めないことを受け入れたくない気持ちが大きくなる。
 あぁ、ライブラのこと、凄く好きになっちゃったな。
 いい年してほんともう、最悪だ。
 でももう、嘆いている時間はない。もう直ぐ、術法研究所で落成式が始まる。
 この2年間、いっぱい幸せをもらった。
 だから、未来ある彼の背中を最後に押すくらいは、しっかりとしてみせなければ。
 女々しく泣いたりなんて、柄じゃない。
 感情がぐちゃぐちゃに頭の中を駆け巡るけれど、そんな様子はおくびにも出してはならない。
 ライーザは再び真っ直ぐに、ライブラの隣に立つ日傘の女性を見つめた。

「・・・どうかライブラのこと、宜しくお願いします」

 肺の奥から声を押し出すようにして、ライーザは深々と頭を下げた。

「・・・・・・」

 上体の動きに合わせてライーザの金髪が、耳からさらりと頬に流れ落ちる。
 それを傘越しに見つめた日傘の人物が、いよいよ何かを語り出そうと身動ぎをした。
 だが、その時。
 頭を下げて地面を見つめていたライーザの視線の先に、僅かに不自然な光が映り込んだ。

キラッ

 地面に反射する、微かな光の揺らめき。
 この不自然な光りの差し方は、金属の反射光のそれだ。
 瞬時にライーザは陽の角度から、大凡の反射位置を脳内で弾き出す。
 自分はそもそも、金属を身に着けていない。ライブラとその隣の人物には装飾具があるだろうが、それらは今の陽の位置からしてこの角度で反射はしない。
 つまり、招かれざる何者かが視覚の外に居るということだ。

「・・・何者だ!!」

 微弱な術力が発生したことを察知したライブラと日傘の人物が身構えるよりも早く、ライーザは己の背後に向けて右手を振り抜いた。
 すると振り抜かれた軌道をなぞるように圧縮された空気が風の刃と化し、ライーザの後方に立っていた木の上へと一直線に疾る。
 ライーザには魔術の才はないが、ライブラから教えてもらい、このウインドカッターだけは習得していた。
 魔術の才、つまり効力とは、基本的に使用者の潜在魔力量に依存する。
 残念ながらライーザでは威力は期待できないが、間合い調整や牽制、不意打ちにはこれが非常に役立つのである。戦闘の一助として、とてもお気に入りの魔術だ。

「うわっ!?」

 見事に不意を突かれたのか、木の上にいたらしい曲者は間の抜けた声をあげて飛び退き、しかしそつなく地面に着地する。
 その曲者の声にはっきり覚えがあったライーザは、すでに呆れたような表情と共に警戒体勢を解き、ゆっくりと近づいていった。

「・・・ちょっと、何してんのよ」

 特徴的なブロンドのハネっ毛に、身のこなしを重視した布面積少なめの軽装。
 しなやかに着地した姿勢で居場所なさげに固まっていた曲者の正体は、キャットであった。

「あー・・・いやー・・・えっと、その・・・仕事中、的な?」
「へぇ・・・仕事中ね。すると、後ろの方々もお仕事中なのかしら。どういった任務なのか、確認しても?」

 額に分かりやすく青筋を立てながら、ライーザはにっこり笑顔でキャットの少し後方の草むらに視線を投げかける。
 そこにも別の何者かが複数潜んでいることを、すでにライーザは察知していた。キャットの落下に動揺したのか、押し殺していたであろう気配がダダ漏れだ。

「・・・あー・・・そりゃバレますよね・・・」

 観念したのかガサゴソと音を立てて出てきた人影は、二つ。
 非常に気まずそうな表情をしたテレーズと、どこか状況を楽しんでいそうな様子のヘクターであった。

「・・・テレーズはまぁ分かるけど、ヘクターまで? はぁ・・・別にあんた達に変な意図があるなんて思わないけど、流石に暇すぎない・・・?」

 こちとらこれから振られるんだぞ、という感情が大いに表情に乗った様子でライーザが呆れたようにいうと、キャットとテレーズは申し訳なさそうに縮こまり、一方でヘクターは何故かニヤニヤとしている。

「・・・ごめん、ライーザ。絶対迷惑だってのは分かってるんだけど、やっぱり私たちも納得いかなくて・・・」

 ぺこり、と頭を下げたテレーズは、顔を上げてライーザの背後にいるライブラに視線を投げかけた。
 急展開についてこれていない様子のライブラだったが、テレーズの視線に気付いて彼女に視線を合わせる。

「ライブラ君・・・私ね、二年間ずっと貴方達を見てて、とても幸せそうだなって思ってた。そりゃ、下世話なこと言う連中もいないわけではなかったけど・・・でも、そんなの二人の間には全然関係ないことだと思ってたわ」

 テレーズの言葉を引き継ぐように、キャットがむくりと顔を上げる。

「そうだよ!歳の差とか魔術の血筋とか、好きって気持ちには何の関係もない!もちろん好きってだけじゃ上手くいかないことも多いけど、あたしから見たって二人はお互いをリスペクトしてて、全然そういうの大丈夫だろうって思えて・・・だから・・・!」
「もういいわ、二人とも」

 しかし二人の言葉を遮ったのは、ライーザだった。
 しかしその表情には怒りの色はなく、どちらかといえば歯に噛んだ微笑みが浮かんでいる。
 その表情のまま、ライーザはライブラへと振り返った。

「ライブラ・・・私は貴方の選択を、一番尊重する。貴方はもう立派な、誰しもが認める実力を持った宮廷魔術士。だからあとは、貴方の望むように進んでほしい・・・本当に、それだけなの」

 ライーザは本心からそう想い、真っ直ぐにライブラを見つめて言った。
 その言葉にライブラの瞳が大きく見開かれ、彼はどこか高揚した様子で、いざ声を発しようとする。

「お待ち」

 しかしそこに、ライブラの行動を制するように凛としたアルト音域の声が響く。

「ライブラ。あんたも一端の魔術士を名乗るなら、もっと状況判断を的確に行いな。今はあんたの能天気な言動を飛ばすような状況じゃないよ」

 その声は、ライブラの隣で日傘を差した婦人から発せられているもののようだ。
 予想より少し、いや大分落ち着いた雰囲気を醸し出すその声に、ライーザたちは思わず目を丸くする。
 いや、ただ1人ヘクターだけは、ニヤついたままだ。

「名乗るのが遅れましたね、ミス・ライーザ。私の名はローズ。フリーで魔術の研究をしています。貴女のことは、ライブラからよく聞いていますよ」

 そう言いながら婦人は日傘を下ろし、静かに畳む。
 かくしてライーザの目に飛び込んできたのは、柔和に微笑む、老齢の婦人の表情であった。

「え・・・あ、はじめまして、サー・ローズ。お会いできて・・・光栄です・・・」

 ライーザは戸惑っていた。
 ライブラには年上趣味的なところがあるだろうなとは、自分に好意を向けている点からも理解はできていた。だが、まさかそれがここまでとは、流石の彼女にも予測がついていなかった。
 いやいや、とはいえライブラが選んだ相手であることに違いはない。
 先ほど自分で、ライブラの選択を尊重すると明言したばかりだ。その言葉を違えるつもりは、毛頭ないのである。
 ただ、そうすると非常に不躾な話題ではあるが、自分が身を引こうと思った理由の一つでもあるライブラに相応しい魔術血統を残していくという視点は、どうなるのだろう。
 いや、それもひょっとして魔術でどうにかなるのだろうか?
 だとしたら魔術、ちょっと万能すぎる。

「ライブラ。話に聞いていた通り・・・いや、それ以上の器量良しじゃないか。それでいて抜群に腕も立つ。よく鈍臭いあんたが捕まえたね」
「つかま・・・!? 変に言わないでくださいローズ師匠!」
「師匠・・・?」

 二人の掛け合いを聞きながら、ライーザが気になったワードをそのまま繰り返す。
 それに応えようとライーザに向き合ったのは、ライブラだ。

「改めて、僕からも紹介させてください。僕の魔術の先生、ローズ師匠です。僕が宮廷魔術士試験に受かったのは、ローズ師匠の教えがあったからです」
「・・・そういえばよく、先生がいたって言っていたわね。でもその先生については、あまり話したくなさそうだったけど・・・」

 ライーザがライブラとのデートの中で出てきた話題を思い返しながら呟くと、それに答えたのはローズだった。

「アバロンでは私のことは話すな、と言っておいたの。宮廷魔術士の中には、フリーの魔術士を毛嫌いする頭の硬い連中も混じっていますからね。そんなフリーメイジに教えられたなんて知れ渡ったら、変な噂が立つとも限りませんから」

 ライブラもその言葉に頷き、申し訳無さそうに少しうつむきながらライーザを見つめる。
 やめて、その表情にめっぽう弱いのよ私は、と思うライーザ。

「はい・・・ライーザさんには先に伝えたかったんですけれど、どうせなら然るべきタイミングでお伝えしたいなと思っていたんです」
「そう・・・だったの・・・」

 つまりこれはあれだろうか。師弟LOVEというやつなのだろうか。
 未だ思い悩むライーザ。

「ここ最近ライーザさんに会えなかったのはすべて、僕の未熟さゆえです・・・」

 そんなライーザの内心を知ってか知らずか、ライブラはぽつぽつと語り始めた。

「術法研究所創立にあたりフリーメイジの招呼を決定したのは、ジェラール様です。それでローズ師匠も来る事になって・・・それで舞い上がってしまった僕は、自分のすべきことを見誤ってしまいました・・・」

 聞けば、つまりはこういうことらしい。
 宮廷魔術士とフリーメイジという二種の魔術士の間には、昔から血統主義や文化背景などをベースにした確執が存在していた。
 それによる弊害を危惧したライブラは、ローズをはじめとしたフリーメイジらの理解と受け入れをしてもらおうと、魔術棟内で精力的に働きかけを行っていたのだそうだ。
 そんな折に先んじて合流したローズは、そのライブラの行動に激怒した。

「こんなはなたれ小僧に世話を焼かれるほど、落ちぶれちゃいませんよ。自分のことは、自分でどうにかします。ですからライブラには、そんな暇があるならば己の魔術理論を高めることに専念せよ、と叱りました」

 微笑みながらさらりと言いのけるローズだが、それを相当に畏まって聞いているライブラの怯えきった様子から察するに、師匠は怒るとめちゃくちゃ怖いタイプなのだろう。

「そもそもこの子自身、魔術に縁もゆかりも無い農家の子。たまたま私がこの子のいた村に滞在した時に研究ついでに魔術を教えたら、まぁその才能には驚きました。それで私自身、魔術の才と血筋の因果関係の曖昧さを確信したのです。魔術はそんなものに囚われず、もっと広く学ばれるべきだ、とも。その先駆けとして先ずこの子の才能と名声を伸ばすため、ここを目指すように仕向けたのです。でも、血筋という曖昧なものを未だに尊ぶ頭の硬い連中も多いのが、ここの残念なところ。物事の証明には順序がありますから、今日という日を迎えるまで自分の出自はあまり語るな、とも言い聞かせていました。この子に変な噂が立つのは、なるべく避けたかったのです」

 ローズの言葉に、ライーザは少なくない衝撃を受けていた。
 ライブラがアバロンの生まれではないことは本人から話に聞いていたが、その家系などについては話してこなかったし、こちらからあまり詮索するのも憚られ聞かないでいた。

(ライブラが魔術とは関係ない血筋・・・魔術と血筋ってそんなに関係ない・・・え、ってことは、私が勝手に血筋がどうとか思い込んで悩んでただけってこと?・・・・・・えー・・・マジかー・・・)

「はい、だからめちゃくちゃ今回は叱られました・・・。それで僕、自分の芯がブレてしまっていることに気付きました。僕が一番恐れたのは、そうして芯がブレてしまい、自分が胸を張って貴女の・・・ライーザさんの隣に立てなくなってしまうことです」
「ライブラ・・・」

 師匠の召雷が落ちてから大いに反省したライブラは、術法研究所開設までの間、己の魔術研究で更なる成果を出すために必死に研究に取り組んだ。
 その鬼気迫る様子は周囲にも漏れ聞こえており、エメラルドを通じてライーザにも伝わっていた。

「ライーザさんに・・・すごく会いたかったです。でも、芯がブレた自分がライーザさんに会ったら、きっと見透かされる・・・それが恐ろしくて、この日を迎えるまで、自分を律しようと決めたんです」
「未熟な弟子ですけど、素質は十分ありますからね。私も研究所が完成するまでは暇を持て余していたものですから、今日までこの子の研究を手伝ってあげていたんです」

 突然の情報量に困惑しきりのライーザを尻目に、ローズは一頻り話して満足したのか、再度日傘を差してくるりと踵を返す。

「さてライブラ。話も終わったことだし、私は先に行っているよ。ほら、そこの野次馬たちも、空気読みな」

 そう言ってツカツカと来た道を戻っていくローズと、言われたのが自分たちだと気付きバタバタとその後を追うテレーズら。
 そうしてその場に残されたのは、呆気にとられたままのライーザと、顔を赤らめたライブラ。
 瞬く間に二人だけになってしまいライーザが困惑したままの表情でいるところに、ライブラが一歩前に、踏み出す。

「・・・あの、ライーザさん」

 腕を伸ばせば届きそうな位置で聞こえるライブラの声に反応し、ライーザは我に返って姿勢を正す。
 もう背筋を伸ばしたライーザよりも彼の顔は上にあって、近くに居ると、少し見上げる形になる。2年という時間は、恐ろしいものだ。

「あ・・・れ、ライーザさん、今日は、髪飾り・・・」
「え、あ・・・あぁ、ある、ちゃんとあるわ!」

 髪飾りは、ライブラと会うときのお決まりの飾り。
 でも、それ以上の意味を持っている。
 ライーザが彼を待ち、ライブラが彼女を追う、そのシンボルとしての意味。
 ライーザは慌ててポケットから髪飾りを取り出すと、慣れた手つきで左の髪を少し上げ、さっと髪飾りを付ける。
 その様子を見て安心したように微笑んだライブラは、懐から小さな小箱を取り出し、ゆっくりとライーザの前で跪いた。

「2年間・・・僕なりに頑張りました。もちろんまだまだ未熟ですが、こうして研究所にも入ることができ、それなりに成長できたと思っています」
「・・・うん」

 ライブラの言葉に、ライーザは短く頷く。

「2年前より、僕は貴女の隣に居るのに相応しい男になれたのか・・・どうか、聞かせてほしいです。ライーザさん、僕と・・・結婚してくれませんか」

 ライブラは小箱を開け、ライーザに差し出す。
 そこには、美しく煌めく宝石がはめ込まれた指輪。その色は、ライーザの瞳と同じ宝石だ。

「・・・・・・」

 それを見ながら口を真一文字に結んだライーザは、己の中から溢れ出す色んな感情をなんとか抑えることに必死だった。
 もはや大人の余裕も何も、あったものではない。
 さっきまで感じていたいろんな感情が全部一気に吹き飛び、今目の前にある現実を受け止めるほどの余裕なんて、彼女には全然ない。
 でも、やっぱりそれを相手に悟られるのは、恥ずかしい。
 だから、少し目尻に涙が浮かんでしまっているけれど、なんとか大人の意地で微笑みを作って、感情が溢れてしまわないように必要最低限の言葉だけを返すのが、精一杯だった。

「・・・はい」







『はぁ!!?ヘクター知ってたの!!!???』

 ガヤガヤと煩い酒家の一角に、女二人の声が重なり響く。

「くっくっ・・・いやぁ、黙ってるのに苦労したぜぇ。アリエスから全部聞いていたんだけどよぉ、面白そうだから黙ってゥボァッッ!!?」

 傭兵隊隊長ヘクターが品のない笑い声とともにそう言い放った瞬間。
 繰り出された二つの拳が彼の顔面を真芯に捉え、ヘクターは成す術なく盛大に後方へ吹っ飛ぶ。

「今のは完全にお前が悪い・・・俺もうっかり手を上げそうになったぞ」

 ヘクターの隣に座っていたジェイムズが助ける素振りもなく呆れて肩を竦めるのを横目に、息の合ったパンチを披露した女二人はふんっと鼻息荒く、椅子に座り直した。
 アバロン城下町に数ある酒家の中でも宮殿に程近く、勤めを終えた兵士が立ち寄ることも多い、帝国兵も馴染みの酒家。
 今宵もまたこの酒場の一角に、ヘクター、ジェイムズ、テレーズ、キャットの四人が集まっていた。

「ったく頭にくるわね・・・まぁいいわ。で、ライーザたちどうだって?」

 エールジョッキを豪快に傾けながら、キャットが尋ねる。
 するとそれに答えるように同じくジョッキを傾けていたテレーズが、苦笑いを浮かべながら肩を竦めた。

「もうね、この間までのは一体なんだったのってくらい、すっかりいつものライーザよ」
「あぁ。訓練の様子も、全くテレーズの言う通りだ。むしろ以前よりも更に指導に熱が入って、隊員からは歓迎する声と悲鳴を挙げる声が聞こえているよ」

 ジェイムズはどこか可笑しそうにしながら、こちらも軽快にジョッキを傾けた。
 そこに、テレーズとキャットの二人に殴り倒されたヘクターがイテテテとボヤきながら、起こした椅子に座り直す。

「そういや、あの小僧が早速新しい研究所で術の合成だかに繋がる発見をしたーとかアリエスも言ってたな・・・。ま、お互い収まるところに収まったってんならいいじゃねぇか。アリエスも口じゃ色々言ってるけどよ、あの小僧のことはもちろん、ローズって婆さんのことも実力はしっかり認めていたぜ。あいつは出身がどうとか、そんな小せえことでガタガタ言わねぇよ」

 ヘクターがそう言いながら手元のジョッキを持ち上げるのを、他三人は黙って見守る。
 アリエスのことをこんな風にいえるのも帝国広しといえどもヘクターくらいなものだろうな、とは三人の一致した意見だが、当の本人には口が裂けても言えないだろう。

「あーぁ・・・でもいいなぁ、ライーザ。なんかライブラくんと今年中には婚礼の儀を行うとか、もうそんな話になってるみたいよ。なーんか、先を越されちゃったな」
「そうね・・・すごく嬉しいことなんだけど、自分のことを思うとちょっと複雑ね・・・」

 キャットの言葉に呼応するように、テレーズが酒家の天井を見上げるようにしながら呟く。
 ここでお互いに視線を合わせたジェイムズとヘクターは、示し合わせたように己のジョッキを手にとり、そろりとテーブルから距離を取り始めた。

「早くジェラール様、迎えに来てくれないかなー」
「いや、ジェラール様が迎えに来るのはこっちが先だから」
「は?いやそれはないから。先にくるのはあたしでしょ」
「何度も言うけど、それはないわ。これまでの経緯とか考えても、ジェラール様が最初に来てくださるのは私のほうよ」

 場の空気が、急激に険悪になっていく。
 ジェイムズとヘクターの動きを察知した彼らの周囲のテーブル客も、このあと起こるであろう恒例の惨事を予知したのか、そそくさと距離を取り始めた。

「言っとくけどね!!あたしまだそっちが最初に抜け駆けしたの許してないんだからね!!!」
「はぁ!!?あんたこそ何回もジェラール様のお部屋に屋根伝いに行ってるのを容認してあげてるのになんなの!!?」
「はぁぁ?容認んん??いつおばさんの許しが必要になったんだっつの!!」
「おば!!?・・・あんた、今日という今日は絶対許さないわ!!!」

 かくして本日も、戦いの火蓋は切って落とされた。
 もはやこの酒家の名物ともいえるジェラールの后候補二人のバトルは、今宵どんな展開を迎えるのか。
 遠巻きに静観を決め込んだヘクターらに見守られながら、熱い夜が更けていくのであった。





「お待たせ、ライブラ!」
「!、ライーザさっ・・・ライーザ!」

 今日も、いつもの場所で二人は落ち合う。
 もうライーザは、あの髪飾りをしていない。
 その代わりに、ライブラと会う時には、指輪をすることにした。
 駆け寄ると早速手を繋いで、少し気恥ずかしそうに頭を下げたライブラに、そっと口づけをする。
 すると分かりやすく赤面するライブラを、ライーザは愛おしそうに眺める。
 そうしてお互いが見つめ、微笑みあい、さて今日はどこに行こうか、などと囁く。

 アバロンはこの日、今年一番の快晴。まさにデート日和だ。
 バレンヌ帝国首都アバロンで新しい一歩を踏み出した二人は、今日も仲睦まじく、小道を歩んでいく。






最終更新:2025年02月25日 09:16