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畿内国際空港


 畿内国際空港は、商都大阪市沖港区沖4キロ、港都神戸市中央区沖10キロの超大型浮体式構造物に作られた完全24時間運用の国際空港であり、日本連合帝國首都圏の空の玄関口である。初代と二代目の二つ存在し、前者は現在泉州国際空港となっている(後述)。

概要

 1994年9月4日午前0時開港。開港当初から4000m級滑走路4本、2500m級1本(2065年現在では4000m級滑走路4本、3000m級滑走路2本にも達している)の滑走路による世界的に見ても破格の離着陸能力を元手に、それまで首都圏の玄関口としては非常に狭かった上に制限の多かった大阪国際空港(伊丹空港)に代わり、国際・国内線を全て移管する形で運用を開始した。
 空港所在地は商都大阪市沖港区。なお空港施設の置かれる3島と同じく超大型浮体式構造物のみで構成される沖港区本島の面積で、大阪市24区とほぼ同面積を誇る。

歴史

 1960年代、既に処理能力の限界が見えつつあるにもかかわらず拡張余地に乏しい大阪国際空港以外に大型飛行場を持たない首都圏に於いて、海上埋め立てによる畿内第二空港の建設が1965年に決定された。
 新空港開港までの暫定措置として、連合帝國近衛軍八尾禁軍基地を拡張し短距離路線専用の民間空港に専用化する案が決まったが、移転先となる飛行場も用地も首都圏には殆ど残っていなかった。そのため、防空能力低下を防ぐため、連合帝國近衛軍淡路禁軍基地と同海軍徳島航空基地を拡張し、八尾基地所属部隊を移駐する措置が取られた。
 畿内第二空港の予定地には大阪港沖・神戸港沖・堺沖・泉州沖などの予定地が挙げられ(琵琶湖を干拓する案もあったが、皇室から琵琶湖の環境を破壊することに対する強い圧力がかかり却下されている)、最終的に一旦泉州沖3kmが1967年に選定され1969年から埋め立て事業を開始。1976年、阪和本線天王寺~和歌山間の複々線化事業完成と歩調を合わせ「畿内国際空港(現:泉州国際空港)」が完成する。しかしながら当初の予想を上回る地盤沈下が発生し追加工事が発生したり、漁業既得権への補償額が想定を大幅に上回り予算を超過した上、都心部から遠い(大阪市から南西に37kmほど)上に、同時期に徹底拡張された羽田空港の埋め立て事業共々、漁業資源に明確な影響を与えたことから、畿内国際空港建設事業や埋め立て事業そのものに対する世論の批難が噴出。3750m滑走路1本で開港した畿内国際空港は第二期工事の中止を余儀なくさせられた。
 この時点で既に首都圏航空網は今後10年以内に確実に需要が容量をオーバーすることが確実視されており、環境破壊に目をつぶってでも拡張工事または更なる新空港建設を断行せざるを得ないかと思われていた。
 しかし1981年、超大型浮体構造物(いわゆるメガフロート)が実用化され環境負荷調査も終了したことで、政府は新たに「畿内第三空港事業」を構想。土地不足と港湾容量不足、空港容量不足の3つを一気に解消するため、新たに現在の埋立地のさらに沖合いに環境負荷が埋め立てに比べてはるかに小さいメガフロートを浮かべ、その上に副都心、埠頭、空港を建設することが決定された。
 1982年、超大型浮体構造物案による畿内第三空港事業は、規格化された浮体構造物の量産効果によるコスト削減を得るため、冷戦の煽りを受けて首都圏防衛能力強化のためと称して拡張が決定された連合帝國近衛軍淡路禁軍鎮守府の分の費用も追加された上で議会を通過。翌1983年から建設が開始され、1989年に沖港区が開島。1991年には空港島の1期工事が完了し空港施設建設に着手。
 1994年9月4日、今まで畿内国際空港を名乗っていた初代畿内国際空港は泉州国際空港と改称され、新たに畿内第三空港事業で建設された、4000m級4本、2500m級(横風用)1本という破格の規模の新空港が、畿内国際空港と名付けられ開港した。同日を以って、それまで泉州国際空港と大阪国際(伊丹)空港が担っていた国際線は全て畿内国際空港へ移管され、大阪国際(伊丹)空港の国内線も半数は畿内国際空港、残る半数と八尾空港が担っていた短距離路線が泉州国際空港に移管された。大阪国際(伊丹)空港、八尾空港は冷戦の高まりを受けて強化が進められていた連合帝國近衛軍に接収され、それぞれ伊丹禁軍基地、八尾禁軍基地に改められた。
 なお国際線が全て新空港へ移管されたにもかかわらず泉州国際空港が「国際空港」を名乗っている理由についてだが、より利便性の高い新空港の開港と同時に各航空会社が挙って新空港便を増発させようとし、かなり高い需要予測を立てた上で建設されたにもかかわらず新空港の貨物便枠を予想外に圧迫したため、国際航空貨物便の新空港取り扱い枠が一時的に縮小され、泉州国際空港へ割り振られたことによる。結局、当初は新空港開設により船便・陸便・航空便の3つの流通を円滑化しようとしていた目論見が、予想以上の旅客枠に圧迫され、結果的に貨物便と中距離国内線が泉州、国際線と長距離国内線、大型貨物便が畿内国際空港という風に割り振られてしまう。
 1995年の阪神淡路大震災では、淡路鎮守府共々浮体構造物の強みを見せつけ、揺れている最中でも離着陸業務は継続するという離れ業を見せつけた。2001年の世界同時多発テロ、そして2005年の第三次世界大戦では航空需要の大幅な低下により減便が相次ぐが、2008年以降は復興景気などで離着陸数は復調し、2012年には再び2001年以前の離着陸数から増加に転じ、軍縮による復員兵の就職先確保も兼ね、畿内国際空港の旅客専従空港化と泉州国際空港の拡張と貨物・短距離路線専従空港化が決定。各種不用設備の交換移築などが行われた。
 2023年頃のアジア・ヨーロッパ通貨危機では軒並みアジア各国向けの便が減り、そこに東海・東南海・南海大地震が追い討ちをかけたものの、大地震の際の迅速な対応と、却ってアジア各国のマイナス成長を単独で相殺し続ける日本連合帝國への評価が高まったお陰で国際線枠はむしろ増便に転じたため、当初破格の容量で建設されたにもかかわらず余裕がなくなってきたことから、2029年に第2期工事が泉州国際空港共々(泉州国際空港は第3期だが)提案され、2032年、拡張が決定。まず新たに3000mの横風用滑走路が2本追加され、平時は離陸専用滑走路として運用開始。ターミナルも1棟追加され、横風用2500m滑走路は閉鎖され駐機スポットとターミナル1棟の用地へ転用され、2065年現在の形が完成した。

アクセス

 泉州国際空港同様に、当空港にも空港アクセス列車が設定されており、これが主要な旅客輸送である。泉州国際空港と違うのは、当空港が神戸市と大阪市からほぼ等距離の沖にあり(但し市街中心部からの距離で言えば神戸の方が近いが)、当空港に設置されている駅はあくまで途中駅であるという点である。

鉄道

  • 畿内国際空港駅(島式6面6線、単式2面2線)
  1番線:大阪・難波・和歌山方面 特急ラピート
  2番線:大阪・京都・米原方面 畿内国際空港特急はるか
  3番線:大阪・京都・奈良方面 畿内国際空港快速・普通
  4番線:大阪・京都・奈良方面 普通
  5番線:神戸・明石・姫路方面 普通
  6番線:神戸・明石・姫路方面 畿内国際空港快速・普通
  7番線:神戸・明石・姫路方面 畿内国際空港特急はるか
  8番線:神戸・明石・姫路方面 特急ラピート

 畿内国際空港線が複線で敷設されているにもかかわらずホームが多いのは、利用客が基本的に荷物が多く乗降に時間がかかるものと想定されているからである。世界的に見ても有数の過密運転路線であり、3分間隔で列車の発着が行われている。また利用客が荷物を抱えていることが大前提として予想されるため、当駅で緩急接続を兼ねた停車時間を長めに取ってあり、3分間隔でどこかのホームから列車が発車していく。なお特例措置として大阪~畿内国際空港または神戸~畿内国際空港の運賃には、特急料金が加算されない。そのため、畿内空港で降りる(または畿内空港から乗り込んで神戸~大阪までの区間の全駅のいずれかで降りる)場合に限り、乗車券だけで優等列車に乗れる。但し、指定席については当然ながら別途料金を要する。

逸話

  • 本空港開港後、大阪国際(伊丹)空港は閉鎖され連合帝國近衛軍が接収し伊丹禁軍基地となり、伊丹飛行場ニ関スル特例航空法が制定され、商都大阪市内の伊丹飛行場による建物高さ制限は事実上撤廃された(八尾空港の制限表面は残っている)。この影響で伊丹禁軍基地へのアプローチに於いては、北東から東海道線の岸辺~吹田間の直線に沿って南西へ進み、吹田駅上空で国道479号線に沿って真西に直進するよう右へ旋回降下した後、府道606号線と内環状線の交差点の手前で再び右に急旋回してアプローチする必要があり、香港アプローチよりも遥かに性質の悪い(=難易度の高い)航空路になっている。このため、平時・有事・緊急時の如何にかかわらず国軍府認定機種と操縦免許取得者の組み合わせでなければ着陸を禁止されている。結果的に、伊丹禁軍基地には腕利き(別名:変態)のパイロットしか着陸が不可能な空港となっており、本空港開港による超高層建築物の解禁と弊害を端的に表している。ちなみに岸辺~吹田間の直線の延長線上には淀川(新大阪)副都心と臨海副都心があり、高層ビル群が真正面にあることでパイロットに精神的負荷を与える他、これらのビル群からは伊丹禁軍基地へアプローチする軍用機を真正面から捉えることが出来る。ちなみに万一コースを外れて市街地に突入する恐れを検知した場合、国軍府認定機種には自動復航プログラムと自爆装置が組み込まれており、また伊丹禁軍基地には衝突確実となってから15秒以内に3回撃墜する体制が整えられている。ちなみに2065年までにこの措置が実行された回数はゼロ。
  • 本空港にはVIP専用の乗降設備があり、外国要人は必ずこの乗降設備を利用し、当設備に備えられた駅から列車に乗り込み帝都へ向かう。警備するには鉄道が一番負担が少なく安全であり、旅客需要に影響を与えないのがその理由である。ちなみに当設備の駅は一般客が利用する畿内国際空港駅とは完全に分離されており、特別に見学の許可が与えられない限りは利用できない。
  • 前述した通り24時間空港であり、航空機が飛来しない時間帯というものが存在しない。その上メガフロートという立地条件故に地震の影響と言えば津波ぐらいなものなので、(陸地と直に接続している連絡橋を除けば)地震で空港本島の設備が破壊されたことがない。それどころか阪神淡路大震災の際には神戸市が震度6~7の揺れに襲われている最中も平気で航空機の離着陸が行われており、連絡橋の保安設備が揺れを検地して自動で線路と道路を閉鎖し始めて、初めて大きな地震があったことに空港側が気付いたほどだった。
  • 東海・東南海・南海大地震の際も、必要以上に過大な安全設計が行われた海底アンカーと巨体ゆえの自重、注排水による全自動揺動抑制装置により、津波が起きても微動だにせず、また島自体も殆ど歪まなかった。ちなみに泉州国際空港は第1期島が液状化現象によりあちこちで浸水し滑走路がダメになったため、メガフロートの第2期島に全機能を移転し取り扱い能力を縮小。後に第3期工事が行われ第1期島の土砂はかつて埋め立て用土砂確保のため海底を浚った結果出来た空洞を埋める事業に転用された。
  • ちなみにどちらの場合も港湾機能が空港に付与されているため、真っ先に災害救援拠点として機能し、いち早く各国の救援部隊を受け入れることが出来た。後の試算に拠れば仮に超大型浮体構造でなかった場合、死者が3000人、被害額が40億円(=史実のおよそ4000億円)ほど追加されていたと言われる。
  • 2009年、初めて本空港で事故(緊急着陸しようとした機体の胴体着陸)が発生し滑走路が一本閉鎖されたが、平行滑走路が2本ずつ2セットあるため、横風用の1本を臨時に運用することでダイヤは最大でも30分遅れ程度で済んだ。それどころか胴体着陸中も横の平行滑走路では平気で離着陸が行われていた。ちなみに並行する滑走路同士は最低でも1600mの距離が取られている。結局この事故では胴体着陸を行った滑走路が補修も入れて3日間閉鎖されることになったが、離着陸のダイヤは当日を除いて平常運転だった。
  • 2026年、前線の影響で待機が不安定な中突如発生した乱気流に揉まれ、滑走路の中程から既に上昇を始めていた機体が持ち上げられ、錐揉みしてその滑走路の端に機首から突っ込んで大穴を空け、爆発炎上した。乗員乗客は全員即死し、滑走路とその下の浮体構造物本体も当初は完全に抉られて大穴が水密区画に達しているものと思われたが、予想に反して滑走路の路盤と浮体構造物本体の強度設計が必要以上に過剰だったため、多少本体の表面が削られた程度で済んでいた。事故に遭った滑走路は2ヶ月閉鎖された後、運用に復帰した。ちなみにこの時もダイヤは最大30分程度の遅れで済んでいた上、翌日からは平常運転だった。


最終更新:2011年12月19日 17:41