泉州国際空港
泉州国際空港は、河泉府泉州市沖3キロに作られた完全24時間運用の国際空港である。元々は初代
畿内国際空港であった(後述)。
概要
1976年9月4日、3750m滑走路1本で開港。しかし開港当初から、予想を上回る地盤沈下や予算超過、都心部から遠いという利便性の低さ、同時期に徹底拡張された羽田空港同様の環境への悪影響が噴出し、それまで首都圏の玄関口としては非常に狭かった上に制限の多かった大阪国際(伊丹)空港を代替する目的で建設されたにもかかわらず、利用は低迷。結局超大型浮体構造物(いわゆるメガフロート)が実用化された後の1981年、新たに大阪市・神戸市からほぼ等距離の海上に、「畿内第三空港」の建設が行われ、1994年9月4日を以って初代畿内国際空港は泉州国際空港に改められ、畿内第三空港が新たに畿内国際空港を名乗るようになった。
空港所在地は河泉府泉州市。ちなみに2065年現在、当初の埋め立てで造成された部分は殆ど残っていない。
歴史
1960年代、既に処理能力の限界が見えつつあるにもかかわらず拡張余地に乏しい大阪国際空港以外に大型飛行場を持たない首都圏に於いて、海上埋め立てによる畿内第二空港の建設が1965年に決定された。
新空港開港までの暫定措置として、連合帝國近衛軍八尾禁軍基地を拡張し短距離路線専用の民間空港に専用化する案が決まったが、移転先となる飛行場も用地も首都圏には殆ど残っていなかった。そのため、防空能力低下を防ぐため、連合帝國近衛軍淡路禁軍基地と同海軍徳島航空基地を拡張し、八尾基地所属部隊を移駐する措置が取られた。
なお空港建設用地として淡路禁軍基地も候補に上げられていたが、明石海峡を挟むため交通容量の問題からトンネルあるいは橋を建設しなければならなくなる上、トンネルは地形的問題から、橋は国防上の理由から大型艦が通行できなくなるため大きなタイムロスとなり(当時太平洋側の近衛艦隊は港湾容量の問題で大阪港ではなく呉に間借りしていた)、国軍府が難色を示したため候補から外された(が、後に交通需要の問題から明石海峡大橋は建設され、明石海峡を軍艦が通過するのは不可能となったため、代わりに淡路島東岸に超大型浮体構造物で淡路鎮守府が建設され近衛艦隊が常駐するようになった)。
畿内第二空港の予定地には大阪南港沖・神戸沖・堺沖・泉州沖などの予定地が挙げられ(ちなみに琵琶湖を干拓する案もあったが、皇室から琵琶湖の環境を破壊することに対する強い圧力がかかり却下されている)、最終的に一旦泉州沖3kmが1967年に選定され1969年から埋め立て事業を開始。1976年、阪和線複々線化事業完成と歩調を合わせるようにして本空港が完成した。
しかしながら当初の予想を上回る地盤沈下が発生し追加工事が発生したり、漁業既得権への補償額が想定を大幅に上回り予算を超過した上、都心部から遠い(大阪市から南西に37kmほど)上に、同時期に徹底拡張された羽田空港の埋め立て事業共々、漁業資源に明確な影響を与えたことから、畿内国際空港建設事業や埋め立て事業そのものに対する世論の批難が噴出。3750m滑走路1本で開港した本空港は第二期工事の中止を余儀なくさせられた。
その後「畿内第三空港」が浮体構造物によって建設され、1994年9月4日を以って本空港は泉州国際空港と改称。本空港が担っていた国際線は全て畿内国際空港を名乗るようになった新空港へ移管され、大阪国際(伊丹)空港が担っていたの国内線の半数と、八尾空港が担っていた短距離路線が泉州国際空港へ移管された。
なお国際線が全て新空港へ移管されたにもかかわらず泉州国際空港が「国際空港」を名乗っている理由についてだが、より利便性の高い新空港に各航空会社が挙って新空港便を増発させようとし、かなり高い需要予測を立てた上で建設されたにもかかわらず新空港の貨物便枠を予想外に圧迫したため、国際航空貨物便の新空港取り扱い枠が一時的に縮小され、本空港へ割り振られたことによる。
結局、当初は新空港開設により船便・陸便・航空便の3つの流通を円滑化しようとしていた目論見は外れ、中・小型貨物便と中・近距離国内線が泉州、国際線と長距離国内線、大型貨物便が畿内国際空港という風に割り振られてしまう。
2001年の世界同時多発テロ、そして2005年の第三次世界大戦では航空需要の大幅な低下により減便が相次ぐが、2008年以降は復興景気などで離着陸数は復調し、2012年には再び2001年以前の離着陸数から増加に転じ、軍縮による復員兵の就職先確保も兼ね、畿内国際空港の旅客専従空港化と泉州国際空港拡張と貨物・短距離路線専従空港化が決定。各種不用設備の交換移築などが行われた。
これにより貨物取り扱い能力が向上され、浮体構造物による第2期拡張工事で貨物仕分けセンターや貨物列車取り扱いターミナルが新たに設けられた他、4000m並行滑走路が1本追加される。
2023年頃のアジア・ヨーロッパ通貨危機では軒並みアジア各国向けの便が減り、そこに東海・東南海・南海大地震が発生し、元々が脆弱な地盤の上に建っていた本空港は液状化現象により壊滅。連絡橋も液状化による土砂流出に巻き込まれ末端が崩壊したため業務不能に陥り、逆にほぼ無傷だった畿内国際空港は貨物取り扱いが漸増したためパンク寸前に陥る。
突貫工事が行われ第2期島のみで翌年に業務を再開し、減便の影響で滑走路1本でも何とか切り回していたが、大地震の際の迅速な対応と、アジア・ヨーロッパ通貨危機によるアジア各国のマイナス成長を単独で相殺し続ける日本連合帝國への評価が高まったお陰で、却って需要は増加に転じはじめたため、2029年に第3期工事が畿内国際空港共々提案され、2032年、両空港の拡張が決定。本空港は第1期島を放棄し、第2期島のさらに沖(泉州市から5キロ)に第3期島を浮体構造物により建設。この拡張事業により泉州国際空港はかつての4000m滑走路1本、3750m滑走路1本の体制から、3000m横風用滑走路1本、4000m滑走路2本となり、2065年現在の形が完成した。
なおこの拡張事業の横で、かつて埋め立て用土砂確保のため海底を浚った結果出来た空洞を埋める事業のため、第1期島の土砂が転用された。このため、第1期島は基礎を残して完全に海中に姿を消しており、今では資料でしかその姿を確かめられない。
アクセス
空港島には
全日本旅客鉄道会社と南海電気鉄道の双方が乗り入れる泉州国際空港駅があり、鉄道によるアクセスが主流である。しかし畿内国際空港(新)の開港後は泉州国際空港が貨物主体空港に再定義されたこともあり、有料特急が減便され(特に南海は難波発だった空港特急「ラピート」を全て和歌山発の御堂筋線・
ANR線経由の畿内国際空港行き空港特急に設定し直し、泉州国際空港便を全廃している)、空いた枠は貨物列車に転用されている。
鉄道
- 全日本旅客鉄道会社……泉州国際空港線:泉州国際空港駅、泉州国際空港線貨物支線:泉州国際空港貨物駅
- 南海電気鉄道……泉州空港線:泉州国際空港駅
逸話
- 本空港開港後最初に着陸を行ったのは、ダイヤ上予定されていたものではなく大阪国際(伊丹)を離陸後、堺市上空でエンジントラブルを起こした大阪国際空港発新京国際空港行マンチュリア航空003便で、通常南西側からアプローチするよう指定されているところを緊急事態(+当時の大阪国際(伊丹)空港は発着ラッシュ時)と南風につき北東側からアプローチさせ、緊急着陸させたものである。
- 開港当初2年ほどは、航空機の利用客より、日本発の24時間空港ということでわざわざ見物に来ただけの観光客の方が多かった。このため度々「利用客が居ない空港」と皮肉られた。
- 24時間空港と銘打ってはいたものの、滑走路が1本しかなかったため、保守点検のため定期的に閉鎖される時間帯が設けられていた。
- 紆余曲折の末、最終的には貨物取り扱い専従空港となったため、昭和三大無駄事業に当空港の用途の二転三転ぶりが挙げられることがある。ちなみに貨物取り扱い専従空港化後も、チャーター機やラッシュアワー時の離着陸枠の問題で当空港を発着地にする便も少なくはない。飽くまで貨物取り扱いを主体にする、と言っただけでけっして取り扱わないわけではない。
- 畿内第三空港開港後、それまで当空港への空港アクセス列車であった国鉄(後ANR)の「畿内国際空港快速」のダイヤはそのまま名を「泉空快速」に改めて運行された。しかし語感が微妙なためかすぐに「泉州快速」に改められた。
- 当空港開港時は、貨物輸送はトラックを用いることにしていた。しかし自動車の排ガス規制等でエネルギー効率に優れる列車輸送が注目され、当空港からの長距離輸送のために貨物列車が設定される運びとなり、新たに貨物ホームが設けられた。
- 前述の通り第1期島は2023年の東海・東南海・南海大地震により壊滅したが、丁度第1期島の3750m滑走路を貨物機(中島・アブロ製NAvro-LC2825F)が離陸滑走中に地震が発生した。当該機が滑走を開始した時点で地震が発生したが、当機は非常に優れたフルアクティブサスペンションを備えていたため、機長は初期微動の最中も離陸を継続。燃料満載且つ限界積載荷重の状態で滑走していたため加速は悪く、離陸決心速度にやっと達した時点で主要動が到達。機首は持ち上がっていたが、主脚は大きく揺さぶられた結果右側の主脚が脱輪して折損(後に、液状化して重量を支えきれなくなっていた滑走路が、当機の重量によって陥没したため足を取られたものと判明)。構造上強度確保のためフレームに直結されていたため、フレームそのものも歪んだ。バランスを崩した当機は右に傾き、右翼第4エンジンと下向きウィングレットを接触させながらも、辛うじて離陸に成功。バランスを崩したまま、空港連絡橋をかすめて海面を這うように低い右旋回を行い紀淡海峡を一旦越えた後、ゆっくりと高度を上げ燃料を投棄。再度右に180度旋回し、第1期島の火災で混乱する泉州国際空港をスルーし全島メガフロートで特に混乱のない畿内国際空港へ片輪着陸(NAvro-LC2825Fは前脚と主翼付け根に左右1本ずつの主脚以外に、主脚やや後方の胴体内に2脚の主脚を持っているため、前輪を除く主脚のうち1本が折れても着陸は可能)を成功させた。ちなみにこの着陸の際、離陸時に元々歪んでいた車軸がさらに歪み、さらに3本の車輪が脱落している。この事故以降、当機種を含む世界中の航空機に空港設置の震度計に連動した警告装置が導入され、コックピットに地震発生を伝えるシステムが導入された。なお当機は畿内国際空港で修理された後、運用に復帰している。
最終更新:2011年12月19日 17:40