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日本ルリックィード


 日本ルリックィード(Nihon R'llyckweed)は日本に本社を置く多国籍航空機メーカー。日英系航空機メーカーとしては珍しく、米国圏にも(スーパー301条を無視して)有力販路を持つ。字面は「ルリックィード」だが、発音すると「ロリックィード」「ロックィード」が近く、「ロッキード」(ロッキード・マーティン)社との混同を避けるため、必ず「日本」を付けて呼称される。

概要

 ロールスロイスが1971年2月にRB221エンジン開発で膨らんだ負債により破綻し、その精算処理による混乱が長引いた結果、L-1011トライスターの納入が不履行になると見込んだ各ローンチカスタマーとなっていた航空会社は、次々にロッキードとの契約を破棄し、マグダネル・ダグラスDC-10の契約を締結。さらに何とか契約を取り戻そうと行った贈賄攻勢が露見しさらなる情勢悪化を誘発。C-5AとL-1011の納入により初めて経営危機を脱することが出来たはずのロッキードは、一転して経営危機に瀕した。
 一方、立川飛行機・愛知飛行機・九州飛行機は日本航空産業では弱小に分類され、企業淘汰が進む中生き残りを賭けて合併。日本航空機製造と社名を改め、YS-11での国内近距離航空路線網に切り込み、大成功を納める。しかし輸出型を開発するも、海外での販売は好調であるにも関わらず高コスト体質から、1968年以降、次第に赤字に陥る。さらにYS-11のジェット機型などの開発費が膨れ上がり、経営危機を招く。
 1972年、ロッキードは民間機事業の売却を決定。しかし完全な赤字事業と負債を抱える事業を購入したがる企業はなく、米国政府もビルマ介入での赤字国債に圧迫され、財政難に陥っていた。ましてや米国最大級の企業であることからその売却金額は高かったことは、売却をさらに困難にしていた。またロールスロイスも分割精算が決定されたが、こちらもまた赤字であることから、当時の英国の経済状況から購入に動く企業はなかった。
 だがここで、日本連合帝國に於いて田中角栄が帝國宰相に就任した。田中は日本改造論において「日本国内だけでやっていける時代は終わった。中小企業を連合させ世界にはばたけるようにしてやらなければならない」と唱え、企業合併による相対的な企業体力の増加を図ることを掲げた。一方で対米貿易摩擦が日米の懸案となっており、いたずらに事を荒立てたくない思惑から、田中は赤字減らしとして完璧な赤字事業の購入で決着を着けることを画策。内々の諮問の末、長いスパンで見れば採算が取れると見込んだことから、日航製・ロールスロイス・ロッキード民間機事業の合併を提案。オホーツク公国の旧ロシア貴族からの出資を連合帝國政府が担保する形で取り付け、米国でも体のいい厄介払いになるとして売却が決定された。
 1976年、日本航空機製造、ロールスロイス、ロッキードは、それぞれ合併と分割精算に合意。社名をロッキード社の商標権の問題から、日本ルリックウィード(Nippon R'llyckweed、発音すると「ニホンロックィード」が近い)として再出発(が、どこの国でも発音しにくいので本家ロッキードと区別するため「日本」を必ず付け、「日本ロッキード」と呼ばれるようになる)。
 1978年、改良したRB221-2エンジンと、日本技術陣が加わって再設計を加えたYSL-1011-22「トライスター22」を完成。当初の予定から6年遅れでローンチされたトライスター22は、合併当時の関係者の予想に反し、全日本航空が大々的に大量導入する順調な滑り出しを見せ、ブリティッシュ・エアウェイズ、キャセイ・パシフィック航空、NASDA、オホーツク航空、東亜航空、琉球航空、ハワイ航空、満州航空で次々に採用。原型の発展性の乏しさを解消し、徹底したコスト削減を行いつつも、原型機そのままの優れた操縦システム、長い航続距離、そして静粛性と燃費の良さを兼ね備えたトライスター22は「Whisperliner」と呼ばれ賞賛され、民需だけで実に494機を売り上げ、ついには日本連合帝國の政府・皇室専用機(計5機)にまで採用された。
 その後、トライスターの双発型機の販売、トライスターを元にした空中給油機開発などの事業も成功。この結果、日本ロッキードはそれぞれが抱えていた赤字の返済に成功。現在は毎年黒字を計上し、大方の予想に反し現在も堅実だが順調な業績を挙げている。なおフラッグシップモデルは常に3発機がポリシーである。

略称

 日本語での略称は「日本ロリ」であるが、割とアレな略称であるため、電子掲示板上ぐらいでしかまともに使われない。

イラン・イラク戦争

 当時日本連合帝國はペルシャ湾を航行する船舶の安全を図る為、艦隊を派遣していた。しかしながらアフガニスタンを巡るソ連との対立を深めていた当時の連合帝國は、イラン・イラク戦争による空域封鎖もあって、インド以西への航空便は殆ど飛ばしていない状態であり、ヨーロッパ方面行きも南アフリカで給油を行い、大西洋を北上するというルートで飛ばしていた。そのため、1985年に戦争が激化するとイラク側はイラン上空の航空機を無制限撃墜すると表明。イランに在留する邦人およそ500名、その他の外国人1000名が取り残される事態となった。
 国軍機の派遣が日米対立とイラク軍の通告によって極めて困難となり、主要航空各社も飛行を拒否する状況の中で、日本ルリックィードはインド航空とトルコ航空への売り込みのため、パーラム国際空港(現インディラ・ガンディー国際空港)とエセンボーア国際空港にそれぞれ飛来させていた自社デモ機(どちらもYSL-1011-22-200)を、急遽テヘランまで無償で飛ばした。
 この際、予定していた飛行デモを全て取り止めての民間人救出に動いた日本ルリックィード機に対し、インド航空、トルコ航空はそれぞれ自社機を多数随行させ(これも無償飛行)外国人救出に寄与し、またベテランパイロットらの前で極めて優れた飛行性能を見せつけたYSL-1011-22型機の導入を決定付けた。
 これを受け、外国人救出に対する『チャーター代』『危険手当』として、日本ルリックィードは2社のYSL-1011-22型機導入に事実上の割引(1機あたり凡そ19%引き)を実施している。

主な製品

固定翼機

  • YSL-1011-22「トライスター22 "Whisperliner"」-100、-150、-200、-300、-500、-700、-800、900
  • YSL-1011-22C「トライスター22C」※軍用輸送機
  • YSL-1011-22F「トライスター22F」※民用輸送機
  • YSL-1011-22G「トライスター22G」※政府専用機
  • YSL-1011-22I「トライスター22I」※皇室専用機
  • YSL-1011-22K「トライスター22K」※空中給油機
  • YSL-1011-23「ツインスター」-100、-200、-600、-700、-800、-900
  • YSL-1011-23F「ツインスターF」※民用輸送機
  • FAD-X801「TSR-3BMS」※試作迎撃機

誘導弾

  • ATBMM-101「ミーティア」※FAD-X801「TSR-3BMS」専用弾道弾迎撃誘導弾


出典

  • NUE-BC「Production Assist ~経営者たちの戦い~ 海を越えた大合併 瀕死の翼を飛ばせ」
  • NUE-BC「Production Assist ~経営者たちの戦い~ 危険なフライト 取り残された人々を救え」


最終更新:2010年03月09日 19:06