「世に七つの罪ありき!
 選り抜かれた大いなる一こそは傲慢。罪人の名は衛宮士郎
 ここは監獄の都市、恩讐の彼方なればこそ、お前のような魂はさぞ囚われやすかろう。
 あの地獄を乗り越え精練された鉄の精神。されど不道徳と悪逆が満ちながら君臨する現実という炎にあっては焚べられる薪と変わらん」


雷条を帯びたダークグリーンのロングコートが、夜を裂く爪牙の如くはためく。

第八の器。エクストラクラス。
復讐者(アヴェンジャー)と名乗った男は、電柱の上から見下ろしながら声を上げる。
瞳に宿らせた色は憎悪。
地獄から漏れ出た炎の如く、見るものを炙る炯眼が総身を射抜く。
……サーヴァントが相手でも、ここまで苛烈な意志を叩きつけられたことはない。
ただ敵である、というだけでは説明しきれない。じりじりと焦がすような感情が眼には映っている。

「どうして―――俺のことを知っている」

第五次聖杯戦争の経緯を、どういう理由かこいつは知っている。
始めから知っていたとは考えづらい。調べる時間があったとも思えない。誰かから聞いていたというのが妥当な結論。
そしてマスターの個人情報を詳細に知っている相手なんて、ごく一部に限られている。
この聖杯戦争の裁定を司る者、あのふざけたサーヴァントに違いない。

「おまえは、ルーラーの仲間なのか……!」
「アレは恩讐を持たぬ存在だ。怨念と憤怒によって動かぬ者に俺が手を貸してやる道理は無い。
 俺が此処に在るのは、強いて言えば義務か。この霊基の奥底に刻まれた昏き想念、渦巻く妄念。
 俺が復讐者(オレ)の形を成すことによって課せられた責務。英霊というこの世に陰を落とす呪いとして現界したが故に、お前達を殺すのだ」

言葉には知っている事自体は否定しない含みがあった。
やはりこいつはルーラーと関わりがある―――と聞き出す事を思案したと同時。

「……!」

男の腕から暗黒の炎が燃え上がる。
敵対者を殺す意志、それのみが凝縮されたような昏き陽炎が。

「どうした、武器を構えろ。魔術回路の存在に意識を傾け、力を出すがいい」
 それとも、そのまま棒立ちで我が炎を受けるのが望みか。ああそれも構わんぞ?
 サーヴァントを供につけず無様にも首を刈り取られる。騎士の誓いは脆く破れる。貴様にはお似合いの、いいや慣れた結末だろうさ!」

炎は男の腕を発射台にして、とうに俺を狙い定めている。
込められた魔力、装填された殺意は、この身を焼き尽くして余りあるだろう。

令呪を使う―――駄目だ。距離が近い。そんな素振りを見せれば即座に踏み込んでくる。
迂闊にも声を上げようとした瞬間、喉元を掴まれる―――――確信にも似たイメージが浮かぶ。

奴の嘲笑は正しい。
向こうの意志一つで容易く摘み取られる、いまや淡い命脈でしかない。
けれど、



『どうか、生きて―――』



思い起こされるのは誓約の言葉。
天使の叫びが頭蓋を反響する。

それだけで、自然と精神は統一に向かっていく。奴の炎に負けぬよう意志に火を灯す。
こいつが誰であれ、目的が何であれ。死ねば正体を知ることもできないし、目的を聞き出すこともできない。
死ぬわけにはいかない。なんとしてもこの場を切り抜け、バーサーカーが来るまで持ち堪えなければいけない。
戦うべき時は今。こんなところで誓いを無にしない為に。



「―――そうだ、それでいい。聖杯戦争で語り合いなど笑止。
 お前は正しい選択をしたぞ?ここで下らぬ言葉に訴えかけようとというなら、躊躇なくお前の魂を引き裂いていたところだ」

復讐者は高らかに笑う。
呼応するように手の中の炎は昂り荒ぶって。

「ここに集うのはみな魂を絶望の牢獄に囚われた罪人。誰もがお前を殺そうとし、お前もまたその全てを殺さなければ生き残れない!
 戦え!殺せ!出来ることはそれのみだ!」

戦端の口火を切る審判(ジャッジ)が如く、振り下ろされる拳。
拳を離れた炎が軌跡を描いて飛来する。

「――――――っっ!」

即座、後ろに向けて走り出す。体は始めから避ける姿勢でいた。サーヴァント相手にとってはただの木刀など無手同然だ。
初動が功を奏して、炎は足元の一歩後に着弾し、コンクリートを叩き尽くし、蒸発させた。

一発目は牽制だ。始めから本気で狙う気でいたなら、こうも容易くかわせるはずがない。
炎は両手から上がっていた。おそらく連射だって効くだろう。
俺を動かし、体勢が崩れたところで本命の次弾が来る。

「同調、開始(トレース オン)―――――――――!」

だから後ろへ駆けた。逃げた方向には放り投げていた荷物がある。
鞄に手で触れ、魔力を流し込む。
間に合うのは外側のみ。『強化』で即席の盾にした鞄を抱えて炎弾に備える。

「ぐ―――あ、が……………っ!!」

瞬間、衝撃で不明になる感覚。
痛みや熱さの前に、全身の骨が砕けてしまうような振動でおかしくなりそうだ。
手を離すな。意識をずらすな。流す魔力を途切れさせるな。
それのみに専心し、破砕の責め苦に耐え続ける。

盾がついに耐久限界を超えて燃え尽きる。
俺自身の魔力が足りないのもあって中身の医薬品や道具までもが灰と化す。
引き換えに、この身に炎が届くことは免れ、流れた衝撃で地面を転げ回る。


「―――ッ!同調、開始(トレース オン)!!」


間髪入れず、次の詠唱。
鋼鉄並の硬さまで『強化』した木刀を、向かってくる「死」に振り下ろした。
なんら予測情報のない中での、出鱈目な一撃。
それは過たず、肉薄していたアヴェンジャーの黒炎を孕んだ拳を受け止めた。

見えていたわけじゃない。こちらへ疾走する挙動も音も捉えるには覚束ない。
根拠は、まだ覚えている体の実感。そう―――彼我の差からして、反応できる限界で動いて速すぎるということはない。
聖杯戦争を生き抜いた直感に生死を委ねる。自棄ではなく、これが選択した最善だ。

だが幸運はそれまで。
サーヴァントの拳を、いつまでも受け止めていられるわけがない。
拳の重さ。魔力の重さ。存在規律(かく)からして重みが違う。
受け止めた時点で獲物はひび割れて、補強しようにも侵食する炎がそれを許さない。
結果木刀は砕け、体は面白いように吹き飛ばされる。

「…………ッ!!は―――――――――」

背中が地面で跳ね上がり息を吐き出す。受け身が上手に取れなかった。未熟の証だ。
おかげで距離は稼げたが、これじゃあ即座に走り出せない。
どの道、あの速度と炎の前には距離など大して意味をなさないだろう。

……間近で見た黒炎は、視覚化された怨念そのものだった。
憎しみ、恨み、怒りが混じり合い、濁りきって出来た感情の果て。
人から生まれたものでありながら、もはや人が耐えられる圧ではなくなっている。
その熱量は火山から溢れる溶岩の波濤にも等しい。触れただけで毒される劇物だ。
我が毒を喰らえと、我が怒りを飲めと、声なき呪怨はそう喧伝している。

これがアヴェンジャーのサーヴァントの性質なのか。
地の底から滲み出てくるような、際限なく溢れ出てくる黒い思念。それらが凝り固まって出来た魔力。
この世に永劫に消えない染みを残していく、あってはならない存在。
こんなものを生み出すのが、人のままで在り続けていられるのか。
世を呪い、人に災いを起こすカタチ。そのように始めから設計された、根底からして狂った器。


「中々どうして粘るじゃあないか。単身サーヴァントに追い詰められながら、マスターの身で我が炎を前にして。
 過去の経験で学び、培われた貴様にも"窮地の智慧"は働くと見た」

歩いてくる死の足音。
動かなければ死ぬしかないと分かっているのに、立ち上がるだけで精一杯。

「だが脆い脆い!その肉体も、その信念も、鋼鉄の悪意を前にしては紙片一枚にも満たぬ!
 それがこの世界のルールだ。希望を食らう絶望の虜共の頤(おとがい)だ。
 マスターはサーヴァントには到底敵わない。過去の教訓を活かせぬようであれば――――――此処で朽ち果てるのみだ」

知っている。それは嫌というほどに思い知らされてる。
これは分かりきった結末だ。マスターとサーヴァントとの圧倒的な力の差。
人の臨界を極め、そして超えた究極の"一"。何らかの形でその域に至ったからこそ英霊と呼ばれ、昇華される。
こんなふうに一対一で挑むような事自体が、そもそも馬鹿げているのだ。


衛宮士郎では奴には勝てない。
戦う手段も、立ち向かう武器も持ち合わせていない。
当然の帰結であり、変えようのない事実。







ならば、造ればいい。
自身が勝てないのならば、勝てるモノを作り出せ。


「―――――――――投影、開始(トレース オン)」


詠唱(ことば)を紡ぐ。
難しい筈はない。不可能な事でもない。
たとえ自身が届かずとも、天に届く光を目にしているのならば。
その幻想を結びここにカタチと成す事こそが俺の戦い。


奴が拳を振るう。
一秒後の死、自らが焼け落ちるイメージも今は目に入らない。精神はひたすらに自己に埋没し、望む設計を引き摺り出す。
外敵との戦いではなく、自身を賭けた生と死の境界線で幻視する。

目指す形は剣。記憶を通して夢に見てきた美しい黄金の装飾。
……ある少女が独り誓いを立て、ひとりの王を生んだはじまりの選定。
あの日を美しいと思った心が覚えてる限り、この記憶も色褪せない。


「お―――――――おお!!」


そうして手の中に生まれた柄の感触を強く握り。
迫りくる現実に、描いた空想を叩きつける―――!




「ぐ――――――ッ!?」
「ぬ――――――――っ!」




驚愕の声はふたつ。
防げぬ筈の拳を止められたアヴェンジャーと、折れぬ筈の剣が砕け散った俺の声。
投影した剣は奴の拳の勢いと纏う炎をかき消したに留まり、その役目を十全に果たせずに消えてしまった。

完璧な投影であればあの剣が、セイバーの剣がこの程度で砕けるわけがない。
原因は明白。投影の読み込みの甘さ。時間の不足が焦りを生み精度を鈍らせた。
剣の存在強度への信仰が足りなければ即座にイメージは綻び崩壊する。
空想を現実に通用させるには微細なズレも許されない。あらゆる要素を再現しなければ真に模倣たりえない。

「―――なるほど。これが貴様の異能か。本来この場にあり得ざる物質をその手に産み出す。投影の術。
 己が想像力だけで空想を創造に至る―――などと。ははは、つくづく貴様は俺を苛立たせてくれるな、贋作者(フェイカー)」

アヴェンジャーに損傷は見られない。
腕をひと払いするだけで炎は元の勢いを取り戻す。
対してこちらは体が処理が追いついていない。久しぶりの宝具の『投影』に魔術回路が痙攣している。
先を取るのは完全にあちら。今度こそ免れようのない。

「!」

向かってくる死の形は、しかし、彼方から響いた銃撃音によって霧散された。
一斉に射出された銃弾は寸前まで男のいた場所に複数の点穴を穿つ。
軽やかに飛び上がり電柱に着地したアヴェンジャーも銃撃があった方角を見返した。

「来たか。傲慢の罪人。全ての命を救おうとする者よ」 






「――――――あなた。いま、人の命を脅かそうとしましたね」






それは、聞き慣れているのに、ぞっとするほど冷ややかに射抜かれる声だった。



「この方は治療を必要とする患者です。それを害する者の一切を、私は赦しはしません」

静かな声は淑やかな貴人のそれ。
内に秘められた意志は、狂気にも等しい苛烈さが漏れ出している。
男の纏うのが無数の激情が混沌とした毒炎なら、彼女が備えるのは燃え盛る烈火の質だ。
淀む毒を焼き払う浄化の天使。たとえ彼女がその諱を厭おうとも、イメージがついて離れない。
恐らくは、彼女に看取られた患者達がその感想を同じくしていたように。
ナイチンゲールという英霊の一部、生涯にその呼称は刻まれているのだろう。あるいは呪いのように。


サーヴァント同士の対峙。
記憶に新しい、聖杯戦争本来の構図がここにようやく成立する。
バーサーカーは敵に後ろを向けたまま、無言でづかづかとこちらに近づいていき。

「バーサー―――、……!?」
「動かないで。あなたは傷ついています。まずは診察をしないといけません」

声を出そうとしたら、両腕をがっちりと拘束されてしまった。
近い。あまりにも近い。鼻孔をくすぐるのは花の匂いではなく染みるような刺激臭。
目の前でつぶさにこちらの体を観察する姿は真剣そのものであり、反論の隙を与えない。なすがままにされる。

「背中に擦過傷、そにれよる出血。ほか打撲傷を確認。そちらの治療を優先します」
「え―――――と、なに、を?」
「大人しくして。大丈夫、痛みは生命活動の証です。感じているのなら、死にはしません」
「ま、まって、待ってくれって!」
「待ちません。傷病者の手当てよりも大事など存在しません。致命傷でないとはいえ、放置しては悪化しやがて死に至ります。
 まったく、まだ自身の状態に自覚が足りないようですね」

有無を言わさず脱がされた事も、傷に直で注がれた事への文句も許されない、迅速かつ丁寧な処置であった。
手際よく上着を脱がされ、遠慮なく傷口に消毒液を塗布され、きれいに包帯を巻かれてしまう。

「それと、特異な神経系に異常反応を検知。こちらは筋肉痛のようなものでしょう。急速に負担を与えて痙攣状態にあります。
 しばらく安静にしておくこと。いいですね?」
「わかった、わかったからとにかく前を見ててくれ、危ないから……!」

治療してくれるのは有り難いのだが、こうして敵に背中を見せたまま処置する無防備さは、あまりに危なっかしくてたまらない。
戦闘の真っ最中でこんな隙を見せればいいようにされて――――――




「―――――――――」




……と。
晒した背を撃つ事もせず、ずっとこっちのやり取りを見ているだけだった男の含み笑いが聞こえた気がした。

「……何だよ」
「いいや。聞きしに勝る鋼の献身だな、バーサーカー。
 マスターとはいえ、敵サーヴァントに背を向けて治療に専念する英霊などお前ぐらいのものだろう。
 記憶と、貴様の根幹になっている信念を抜き取りでもしない限りは変わろう筈もないか」
「……誰ですかあなたは。私はあなたと会った記憶などありませんが」
「バーサーカー、こいつは俺たちの情報を始めから持ってる……ルーラーと繋がりがあるかもしれない」

そう言ったが、不思議な事に、アヴェンジャーの台詞は、ただ此方の素性を知っているからだとは思えなかった。
バーサーカーに語りかける声には―――本人すらも気づいてないところで―――どこか懐かしむ韻が含まれてる気がしたからだ。
刻み付いて生涯消えないだろう憤怒の顔からは、険が幾分か取れているように見える。
情報だけではない、もっと間近で直に触れ、言葉を交わしあった者同士の間でしか生まれないものを。


「……成る程。分かりました。この街の病を知りながら放置し、周囲にばらまいている感染者という事ですね。
 ならば一刻も早い抹消を。キャリアーの駆逐は病の根本を断つのに必要な措置です」

記憶にないのか、本当に知らないのか。判然としない関係性など意に介さずバーサーカーが男に向き直り、緋色の瞳をこちらに向ける。

「人の命を奪う者。彼という病原を、この場で徹底的に粛清します。宜しいですね、シロウ?」

その目は既にサーヴァントのそれに立ち返っていた。
方向性は違えど戦う事を決め、自分に指示を求めている戦士の姿だ。
例え彼女がどう思おうとも、戦う事を認めない、病人と扱われても。
この身はとうにマスターだ。戦うと決めたのは同じ。ならばその責務を果たさなければ。
告げる事は決まっている。あの時と同じように、信頼を込めて一声と共に送り出す。

「―――頼む、バーサーカー」
「了解」


声を合図に一気に駆け出した。
見た目からは想像だにしない運動力は、サーヴァントとして肉体が強化された賜物か。
弾倉と銃身が一体化して連続発砲を可能とする、所謂ペッパーボックスピストルの銃弾が抜き放たれる。

「戦うか、そうだろうな。お前はそのあり方故に足を止める術を持たぬ。あらゆる病、あらゆる害を癒やさんとする、その強固な信念。
 それがお前を狂戦士の器を持つサーヴァントとして構成した。
 そして俺も同じく。復讐者として固定された霊基はこの世の憎悪と怨嗟を一身に受け―――」
「黙りなさい」

無視して警告も無く銃撃した。言葉の時間はとっくに終わっているのだという、明白な意思表示。
一度の引き金で全弾が発射され標的目がけて飛んでいく。
しかし射貫いたのは飛翔した影の跡だけ。
言葉だけを置いて、コートの男の姿はかき消え、まったく別の方角に現れていた。

「ああそうだとも。もはや言葉は無用。ならばここからはマスターを持つサーヴァントの立場を通すとしよう」

再度、隠れていた男の殺意が膨れ上がる。
バーサーカーの激情に呑まれまいと燃え盛る炎に、空気がチリチリと音を鳴らす。
黒い魔力が濃度を増していき世界にひずみを生む。纏うコートすらもがその一部のようだ。

「慈悲の時間は終わりだ。朽ち果てるがいい、英雄の残滓」

自らを黒い影として、復讐鬼が電柱を蹴った。
その速度、瞬間の移動距離でいえばほぼ飛翔に等しい。
今までと比べものにならない。明らかに手加減されていたのだと思い知る。こちらの目にはもう線が走っているようにしか見えていない。

轟々たる炎。
自らに火を灯し、しかし延々と燃え続ける黒い流星が戦場を駆け巡る。
縦横無尽に高速で、時に鋭角にすら曲がる埒外の軌道は、中心に立つバーサーカーを逃がさぬと包囲網を敷いていた。

「ぜぇいッ!」

肉食獣の熟練の狩りの手並みでも見ているかのような容赦のなさ。
檻に閉じ込められた獲物に突き立てられる致死の爪牙。
四方八方から襲い来る驚異の嵐。



その中で、彼女は臆する事なく戦っている。
紅の服を血に染めるのを厭いもせず。
天使と形容される表情を修羅に変えてでも。
その姿から、美しさが翳りはしなかった。


今戦っているのは、ただの人間である筈だ。
剣を取り戦場を馳せる騎士ではない。魔術師でもない。
背中に天使の羽が生えているような、神秘とは程遠い。
表の世界で、武勲ではなく医療において功績を残した偉人。それが俺の知るナイチンゲールという人間であった。


「―――――殺菌っ!!」


猛獣が爪を振り下ろすかのような勢いの拳を、避けるのでも防ぐのでもない、敵を真っ向からの殴打で迎え撃つ。
ぶつかって起きる衝撃音、舞い散る残骸。セイバーの剣の斬り合いと大差がない。
本当に、鋼で出来ているのではないかと疑ってしまうほど、彼女の腕は炎を払いのける。

……信じがたい事に、単純な力の比べ合いでは、バーサーカーの方が勝っていた。
全身から魔力を放出している、というわけでもない、紛れもない素のままでこれだ。ではその力はいったい何を源にしているのか。
まるで、今まで救ってきた命が、人を救おうとする信念が、そのまま彼女に力を貸しているようだ。

けど、それはこちらの優位を意味していない。
一見対等に渡り合えてるようだが、実態は防戦一方だ。
力は勝っていても、それを相手に当てるだけの速さが足りなかった。

「フッ……ハハハハハハ!」

いや……そうじゃない。遅いのではない。敵が速すぎるのだ。
全てを吹き飛ばす暴風に、影すらもが置き去りにされる。
まさか、まだスピードが上がっているのか。加速の際限がないにも程がある。
アレはもう、空間に囚われていない。その壁すら超えている。
森羅万象に遍く降り注ぐ、物理法則の縛りからすらも、アヴェンジャーは脱しているのだ――――――

バーサーカーの対応が遅れてきている。炎を捌き切れていない。
助けに行こうにも、どうしようもない。サーヴァントの戦いに以降した時点で、マスターが出る幕ではないのだ。
そして、閃影がついに護りを抜けて頭部を捉えた。上半身が大きく仰け反られる。

「バ―――――――」

駆け出そうとした体が、直前で止まった。
肉眼ではっきりと捉えた光景に、言葉が見つからない。
動きの止まったアヴェンジャーも目を見張る。何が起きたかを一瞬理解出来なかっただろう。
頭を打たれ顎が上がったバーサーカーはその体勢から手を伸ばして、通り抜けようとしたアヴェンジャーの足首を掴み取っていたのだ。

超音速の疾速すら止めた握撃。五指は関節部分に食い込んでいる。それだけでも悶絶する痛みだろうに狂戦士(バーサーカー)は止まらない。
あろう事か大の男を掴んだままの細腕を、前後に勢いよく地面目がけて振り落とした。
自然、繋がれたままのアヴェンジャーも引きずられ――――――



「……………ッ!!」


響く怪音。
二度。
三度。
四度。
陥没し破片が吹き飛ぶコンクリートの惨状が威力を物語る。
本当に容赦なく何度でも叩きつける。動かなくなるまでとばかりに。
アヴェンジャーは脱出出来ない。手は完全に固定されている。足ごと切断しない限りは拘束は外れない。



だというのに。



「な―――――――――」

ヤツは何の躊躇いもなく、よりにもよって掴まれた足を軸にして(・・・・・・・・・・・)身を大きく捻った。
壁に打たれた釘をペンチで曲げるみたいに、あっけなく足首の骨が割れた。
それでも回転を止めない。スーツごと肉が雑巾絞りにされるのも構わずに、聞くだに恐ろしい破裂音を上げてなお回し続ける。
そうして可動域が上がった逆の足でバーサーカーを蹴りつけて指を強引に引き剥がした。


「一度掴んだら壊すまで離さない、などと。古代ギリシャでの格闘技でもあるまいに」

顔に玉の汗を流してこそいるが、アヴェンジャーからはまだ余裕を感じる。
捻れた足がぎゅるりと巻き戻り、元の足の構造に直る。傷まで元通りになってるわけではないだろうがいずれ治癒するだろう。
だとしても……正気ではない。いずれ治るからといって自分から手足を壊して拘束から外れる、なんて。

「あいつ………………痛みを感じないのか」
「笑止!肉体の痛覚が俺の足を止める枷とたり得ようか!
 そもそも貴様が言えた口ではあるまい。そこの女共々、立ち止まる理由を捨てている。
 自身の負傷を躊躇う可愛さなど灰になっていよう」

完治していない足で、力強く一歩を踏み出してくる。
虚勢でなくそれは痛みの制止を超克している証だ。

「ならば俺も止まるまいよ。根比べで負けるようではクラスの文字通りの名折れ。
 全てを忘れず、意志を折らず、憎悪により完遂する。それでこそ復讐鬼の偶像たる俺の――――――」





「―――――――――――やはり」





何かの、硬い意志が決まったような声が、街を静寂に戻した。


「理解しました。ここまでの会話から予測していましたが、今では疑いようがありません」
「ンン―――?」
「意味が不明瞭な言動の繰り返し。患者への乱暴な傷害行為。時折呟く妄言は現実と虚構の区別がついていない兆候です。
 貴方は精神を負傷しています。適切な措置を受けなければなりません」
「――――――――――――」

言い放った言葉は、これ以上なく正気で、そしてこの上なく狂気的に聞こえた。

「な……何言ってんだバーサーカー、それってこいつを治すって事か?敵のサーヴァントだぞ!?」
「……そこの男と同じくするのは癪だが、同意見だ。俺はサーヴァントであり、この姿として現界している以上、治療など不要だ」
「二人共黙りなさい。貴方達はどちらも負傷者。病人です。
 大人しくすることこそが快復の兆しでありこれ以上の進行を防ぐ予防策となります」

叱られてしまった。それも一緒くたに病人扱いされて。
向こうの方も、なんとも渋い顔をしているのがわかってしまう。

「けれど貴方がこの街に巣食う病原の保菌者であるのも事実。ですので」

左手にメスを、右手に銃を構えて踏み出す。
後ろから見る姿は、今まで見てきたどんな相手とも異なる威圧がある。

「完全隔離。そののち徹底した治療と殺菌を。
 安心してください。どれだけ汚染された箇所を切除しても、残るのは人である貴方です。
 これは治療です。今の貴方を殺してでも、貴方を快癒させてみせる」

そんな、とんでもない宣言をぶちかましたのだ。
せめてメスは利き手に持ったほうがいい。でないと患部を上手く切り取れないのではないか。
いや、違う、そうじゃない。逸しすぎていて思考がひとりでに脱線してしまった。

バーサーカー―――狂戦士のクラスで彼女が召喚された意味を、改めて思い知らされる。
制御不能。ブレーキが利かない。傷病者の治療の一点に固定された思考行動。どんな障害も押し退け突き進む聖人(きょうじん)。
救いの手は敵味方の垣根を超える。それは敵になるマスター、サーヴァントにも及ぶのだと。

―――皮肉といえば、そうだろう。
他人の言葉に耳を貸さない強情さに引っ張られる苦労を、こうして実感してしまうのは。




暫く沈黙していたアヴェンジャーは、ただ一言を吐き捨てるように呟く。

「莫迦め。それこそ、俺にとっては死と同義だ」

一足で飛び跳ねて電柱の上に立つ。
その身体からは殺意が引っ込み、闘争の気配は薄れていた。

「聖杯戦争という舞台ですら、お前にとっては病める者が増える戦場でしかないのだな。
 その眩さ、真っ直ぐな在り方を知れただけでも収穫となるか。
 今宵はここまでとしようか」
「いいえ。逃しません。貴方はここで捉える。そして看護します」
「そうはいくまい、鋼の看護師。如何に激務をこなすのが習慣づいてるとはいえ、俺ひとりにかかずらってる暇があるのか?」

なおもにじり寄ろうとするバーサーカーから視線を外して、周囲に目線をやる。

「言ったろう。これは聖杯戦争。ありとあらゆる欲望の渦巻く監獄の街。罪の名を持つマスターとサーヴァントなぞ山ほどいる。
 各々の考えと行動で冬木という街を本物の地獄に作り変えていく。
 中には、他者の財産を掠め取る、強欲の竜が如き者も出てくるという事だ」

次第に、アヴェンジャーの姿が漆黒の靄に包まれていく。
最初に現われた時と同じだ。あのまま煙のように消えるというのか。
止める時間はない。バーサーカーでも間に合いはしない。
この街で起こる聖杯戦争の鍵を握る存在を、みすみす逃してしまうと分かっても、どうしようもない。


「――――――――――――待て」

―――――その前に。
最後にひとつだけ、聞かねばならない事があった。

「お前はいったい誰だ。どうしてそこまで、俺を憎む」

マスターというだけでない、衛宮士郎という個への並々ならぬ執着。
今までずっと疑問だった問いを、ここで投げかける。

「それについて俺から語る言葉は今はない。貴様自身がその手で探り当てるべき真実だ。
 故にその問いには、ただ一言をもって返すとしよう」

闇に溶けるコートを翻し、男は煌々と、高らかにこう言った。









「『待て、しかして希望せよ』―――――――――とな」









それで最後。
黒い炎も、大気を淀ませる怨念も薄れ去り、英霊の痕跡は完全に感じられなくなった。




「……逃げられてしまいましたか。せっかく病の感染源を突き止められたというのに」

表情は苦痛に歪んでいた。
救うべき命を守りきれていない自分への苛立ち。街に被害を生む存在を見逃さなければならない自分への怒り。
痛みではなく、誰かが傷を負う事に、彼女は何より傷つくのだ。

「彼を逃してはならない。彼を治療しなければいけない。それがこの街に張り巡らされた病の根絶に繋がると、そう私は規定します。
 ええ、そうですね。やるべき事は多い。あの様子では他の方々にも顔を見せていそうですし」

アヴェンジャー。復讐者。
世界の全てを憎む為に在るが如き男は、不釣り合いな言葉を残して消えた。
希望――――――暗黒の中に在って眩く輝くもの。
炎と廃墟に独り取り残されようと、手を伸ばせる空の星。
どうしてそんな言葉を、願いを籠めるように口にしたのか。


「シロウ、聞いていましたか?」
「えっああ――――――大丈夫だ、聞いてるよ。あのサーヴァントを追おうって話だろ?」
「……もしや傷を隠していませんか?頭部への障害は時間差で表れるといいますし、もう一度見せてください」
「いやほんとに何でもな――――――」

頭を問答無用で掴まれる直前、バーサーカーが背後に振り返る。
そこで、こちらに近づいてくる、無数の気配に気づいた。

「なんだ……?」

誰かが、近づいてきている。
数は多い。十や二十ではきかない。
ひょっとして近所の住人が集まってきたのかと思い―――現われた者の格好を見て予想は覆った。
ダークグリーンの軍服。
腕にかけられた腕章。
それらの特徴は、既存の知識からある存在を指し示していた。

「ドイツ軍……?」

この時代、この国には、決していてはいけない軍隊の名を零す。
かつて同盟国だったとはいえ、戦後から四十年経った日本にこれだけのドイツ兵がいる筈がない。
月明かりと電灯に照らされて全体の輪郭が見えてきて―――その異様さに絶句した。

一団が皆一様に軍服を身に纏っているのはいい。
一糸乱れぬ規律の取れた歩行も軍人なら当然だ。
だがその顔が全員、ブロンドヘアを両に分けた、まったく同じ骨格の男だけなのはどういうことなのか。

男達の表情は、どれも「無」だった。
感情がない。情緒がない。
画一的で、あれだけ数がいながら各々の個性がまるで見えない。

「標的を補足した。マスターとサーヴァントの一組。
 マスターは日本人。サーヴァントの方は軍服の女。軍人の可能性アリ。即座に情報の精査に回せ」

平坦な声もまた無機質。
機械、あるいは人形か。造形も合わせてそんな印象を決定付けた。

「マスターを優先して狙え。愚かな劣等人種一人を消せばサーヴァントも労せず自動で消滅する」
「了解(Jawohl)」

前列の兵士が揃えて手を前に出す。
指先からは淡く電光が表れ、たちまちに球状に収束される。
それが炸薬に着火し、銃口から発射される直前の弾丸そのものだと気づいた時。

「掃討、開始!」

一斉に打ち鳴らされる雷の砲火が、夜の静寂を揺らし、轟かせた。

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最終更新:2018年08月11日 16:33