第0話 【クリスマス・イヴ】



 少女は走っていた。延々と続く長い廊下をただひたすらに。
 まるで病院のそれように綺麗な廊下は、床、壁、天井――……全て真っ白に塗られて酷く殺風景だった。扉も一切見当た
らない。定期的に天井に取り付けられた蛍光灯の光はまだ続いている。出口など見えやせず、遠くに見えるのは水平線の
み。そもそも出口などあるのだろうか。いや、そもそもこんな空間がこの地球上に存在するのだろうか。山々をつなぐト
ンネルをはじめとする屋外ならまだしも、ここは屋内なのだ。都会の地下に何キロメートルも直線状の廊下が存在する事
など、とても信じられなかった。
 信じられなくとも、今少女が走っているのは紛れもなく事実。いくら走ったかは分からないが、両足と心臓が悲鳴を上
げている事から何分も全速力で駆けている事が分かる。少女は全速力で走らなければならなかった。少しでも足を止めれ
ば背後から迫ってくる化け物に玩ばれて殺されるだけだと、少女は知っていたからだ。
 苦しさ、怖さ、哀しさ、辛さ。それらが複雑に交じり合って目から涙と化して現れる。涙は頬を伝う事なく横に流れ
て少女の髪を濡らした。
 少女の親友は、彼女の目の前で化け物に殺された。初めて聞いた人間の断末魔は耳の鼓膜にこびり付いているかのよ
うに彼女の耳に幾度となく繰り返される。

 あっという間だった。二人で仲良くこの廊下を歩いていた時、突然頭上から降ってきた化け物が襲い掛かったのだ。
鬼のような姿をした化け物だ。体長は悠に三メートルはあっただろうか。それは少女の親友を背中から床に力強く押さ
えつけると、尋常ではない力で軽々と肩から両腕を捥ぎ取った。聞いた事のない親友の悲鳴と血飛沫に少女は、目の前
で何が起こっているのか理解できずに目を丸くし、がたがたと震える。化け物はそんな少女を嘲笑うように親友の頭を
持って身体を持ち上げた。両肩から血を噴水のように噴出しながらぶらぶらと揺れる姿は、まさに羽を捥がれた蝶のよ
うだった。
 化け物は絶え間なく涎が垂れ続けている口を開いた。そして親友の乳房に喰らい付いた。絶叫が響き渡る。次の瞬間
には豊かに膨らんだ二つの乳房は化け物の口の中だった。ぐちゃぐちゃと柔らかな肉を噛み潰す音がやけに大きく聞こ
えた。少女はただ声を失い、見ている事しかできなかった。
 親友の身体がぼたりと床に落とされる。乳房があった箇所は鮮血が溢れ、その奥には生々しい赤黒い肉が見える。親
友はこんな状態でもまだ息があった。それに気付いた少女は親友の名前を叫ぼうとする。だが、やはり声は出なかった。
代わりにチョロロ……と水が流れるような音を立てた。少女はあまりの恐ろしさと光景に失禁したのだ。床に黄金色の
液体が水溜りを形成していく。
 最期の瞬間、少女と親友は目が合った。親友の――否、かつて親友だった者の目から既に生気が消えていた。そう、彼
女はもう助からない。まだ化け物は彼女の身体の上に覆い被さっているのだから。
 化け物の口が親友だった者の頭を咥え込むと、高い位置からスイカを落としたような、鈍い音がした。床に突っ伏し
た親友の頭は、そこにある筈の頭はなかった。
 骨と血肉を噛み砕く音を盛大に立てながら、化け物は少女を睨んだ。その目が訴えている事は当然、決まっている。
 次ハオ前ノ番ダ――それに気付いた時、少女はようやく立ち上がると一目散に逃げ出した。濡れたパンツが足を動かす
度に擦れる感触が気持ち悪かったが、それを気にしている余裕などない。
 逃げなければ喰われる。逃げなければ殺される。だが、少女は分かっていなかった。
 逃げても逃げなくても、待ち受ける結末は無情にも変わりはしないという事実に。

 ――走り出してから時計の分針が何回動いたのだろう。少女はまだ走る事をやめなかった。相変わらず前は無限回廊の
ように同じ景色が広がっているだけだ。背後から化け物が追ってくるような気配は感じられなかったが、少女は振り返
る勇気がなかった。彼女はただ信じる。この先にきっと出口があって、安全な場所へ逃げられるのだ、と。
 当然、それは適わなかった。カチリ、と何かスイッチが押されたような音がした瞬間、少女が走っていた床が落とし
穴のように開いたのだ。何もない廊下に掴めるような物は何一つない。少女は咄嗟に手を伸ばしたのだが、その手が握
る事ができたのは空気だけだった。

「――いやぁぁぁっ!!?」

 少女は、墜落死を覚悟した。死にたくないという強い気持ちの反面、それで死ねるのであればと心の何処かで安堵
した。親友のように長い激痛に苛まれて死ぬよりも、一瞬の激痛で死ぬ方が楽なのは明らかだったからだ。
 暗い闇に落ちて行く身体。遠ざかって行く蛍光灯の光。やがて落とし穴のように開いた床が閉じた時、少女の視界は
真っ暗に染まった。それに併せて、少女は生きる事を諦めて目を閉じた。
 その穴はさほど深くなかった。少女の身体は何か柔らかいクッションの上に落ちたため、痛みは殆どなかった。
 え……私、生きてるの――と少女はゆっくりと目を開いた。そこは薄暗い照明があったため、周りの景色を見る事がで
きた。床一面、緑一色だった。サッカーボール程の太さの、長い長い緑色の管。それらが複雑に絡まっているような床
だった。その床は何故か生暖かかった。そう、まるで生物のように。
 少女は立ち上がろうとした。だが立ち上がれなかった。立ち上がろうとして踏ん張った足が管に挟まれ、抜けなくな
ったからだ。足をそこから引き抜こうとしたところで、少女の目の前に赤い大きな花の蕾がぬっと姿を現した。まるで
生物のように動く蕾だった。そして気付いた。床の緑色の管は、この植物の茎だという事に。

「ひ、ぃ……っ!?」

 少女が金切り声を上げたのは他でもない、蕾が開いたからだ。赤い花弁が開いたその奥にあったのは雄蕊や雌蕊の類
ではなく、大きな人間の口だったのだ。その口から舌が伸び、少女の頬を舐め上げた。あまりの気持ち悪さにぞくりと
背中に悪寒が走る。全身の鳥肌が立つ。
 花は――否、食人花の動きが急に活発になる。少女を味見した後、彼女を取り囲むように多くの蕾が姿を現した。上
から、下から、横から――……四方全てからだ。それぞれ異臭を放つ口を開きながら、久しぶりの食事に喉を鳴らす。

「いっ、痛いっ! やめて、離してぇっ!」

 触手のような食人花のゴルフボールほどの小さな茎が何本も少女の身体に絡み付くと、易々と少女の身体を持ち上
げた。彼女は必死に身をよじってそれから逃れようとするのだが、それは徒労に終わる。首、両手、腰、両足と拘束さ
れると成す術がない。それでも彼女は身体が動く限り抵抗を続けようとしていた。身体が揺れる度に、古くなったロー
プを引っ張るかのようなギッ、ギィという音を立てる。

「ぎっ!? あ、が……がっ、ぁぐっ、か……っ!?」

 そんな少女を煩わしく思ったのか、食人花は彼女の首に巻き付けた茎に力を入れた。絞め上がる少女の細く華奢な首。
衝撃が直接脳に伝わり、頭の中で首の骨がミシミシと悲鳴を上げる音が響く。呼吸ができないと分かっていても、それ
でも少女の口は開閉を繰り返し空気を少しでも肺に送ろうとする。だが食人花は少女をそうして殺すつもりなどなかった。ただ少し弱らせるだけで良かったのだ。そう、抵抗する気力が失われる程に。

「がはっ、はぁっ、がっ、はっ、はっ、げほっ、ひはっ!」

 首に巻き付いた茎が力を弱めると少女は息苦しさから解放される。激しい咳の合間合間に呼吸を繰り返す。そうして
いる間にも食人花は動きを止めない。少女の後ろ――お尻の方に徐に姿を表したのは小さな蕾。花弁を開くと他のそれと
同様に人間の口がある。それは再び花弁を閉じると、更に伸びて少女のスカートの中に潜り込んだ。濡れたパンツの上
から薄っすらと透けて見える割れ目に先端部を擦りつけ始める。

「やぁっ! やっ、やめて……っ、何する――……っ!!?」

 『何するつもり』と最後まで言い終える事なく、それ以降は絶叫に変わった。スカートの中の蕾はパンツを突き破っ
て少女の膣の中に侵入したのだ。

「あああああっ!! 痛いっ、痛いぃぃぃっ!!」

 じわりと蕾の茎を破瓜の血が伝う。初めての上、全く濡れていない少女の膣に無理矢理侵入したのだ。少女を襲うの
は激痛のみ。そこに快楽などある筈もなかった。膣の中で激しく暴れる蕾。少女は激しい苦痛を訴えて涙を流す。流れ
た涙はただ頬を伝い、やがて落ちて弾ける。
 処女喪失だけで終わるのであればまだ少女は救われただろう。だが、彼女を襲っているのは食人花なのだ。それだけ
で済む筈がなかった。
 生唾を呑んで待ち続けていた他の花達が一斉に動く。それぞれ大口を開けて、二の腕、脹脛、太股に噛み付いた。

「ぎゃあっ!!」

 花達は噛み付いた程度では終わらない。その顎の力は鮫や鰐を遥かに凌ぐのだろう。

 ――ブチッ、ミヂッ、ミヂヂ……ッ、グチャッ、バキッ。

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ!! ぎひぃっ、ひっ、ぅぁああっ、がぁぁあ゛あ゛あ゛っ!!!」

 半円状にぱっくりと穴が開いた脹脛、噛み千切られた右腕と左足。血が勢い良く吹き出した後は、心臓の鼓動に合わ
せて血が吹き出される。身体の付け根と花の口から飛び出たそれらの断面から白い骨が見えた。二匹の花はわざわざそ
れらを咥えたまま少女の目の前にやって来ると、彼女を嘲笑うかのようにバキボキと盛大に音を立てながら噛み砕き始
めた。かつて自分の物だったそれらが目の前で壊され、消えていく光景に少女は何を思ったのだろう。いや、そもそも
何も思えなかったかもしれない。
 右腕と左足が完全に口に食べられ、噛み砕かれたそれらが食人花の茎を通る頃、少女は激痛のあまり気を失っていた。
そのまま死ぬ事ができれば幸せだった。だが食人花はそうさせない。何しろ、まだ食べられる箇所はいくらでも残って
いるのだから。
 少女の膣内を貪っていた蕾がゆっくりと引き抜かれる。蕾は血で真っ赤に染まっていた。自己防衛のためだろうか、
血とは別のねっとりとした白い液体も付着している。少女の愛液に相違ないだろう。蕾は花弁を閉じたまま器用に長い
下を出すと、花弁の外面に付着したそれらを丁寧に舐め取った。少し綺麗になったその蕾が向かった先は、少女の腹部
だった。蕾は花弁を尖らせ、そして勢いを付けて彼女の腹部に襲い掛かった。

「――がふっ!!?」

 ドスッ、と鈍い音がした。そして少女もその音と別の激痛に失っていた意識を戻してしまった。
 蕾は、少女の腹部に深々と突き刺さっていた。外面は茎が直接突き刺さっているように見える。つまり、蕾の部分は
完全に身体の中に入っていたのだ。
 傷付いた臓器から血が溢れ、逃げ道のない血は胃や食道を逆流して少女の口から次々と飛び出す。

 ――ズズッ、ズズズズズッ。

 何かを吸うような音が響く。少女は恐る恐る腹部に突き刺さった茎を見た。茎が心臓のようにドクン、ドクンと脈
打ち、それに呼応して赤い液体や肉片が茎の中を流れているのが見えた。腹部の中の蕾が彼女の血と臓器を吸い上げ
ているのだ。
 言葉では決して表せない感覚に、少女の口からはもう悲鳴が出る事はなかった。漏れるのはただ、嗚咽のような掠れた声。

「あ……ぐ…………ぁ……ぅぁ……ぎ、ぁ……が……ぁぁ……っ!」

 拷問とはこのような事を指すのだろうか。少女はまさに生き地獄を味わわされていた。死ねるものなら早く死にた
かった。早く解放されたかった。何故身体がこんな事になって意識を保てているのか不思議で仕方がなかった。
 ――そして、少女が待ち望んだ終わりの時がやって来る。
 床に蠢いていた太い茎が動いた。道を開けているかのように一箇所に茎が来ないよう動いている。やがて茎の下から
姿を現したのは、ラフレシアよりも遥かに大きな蕾だった。蕾の大きさだけでも直径で一メートルはあるだろう。そう、
少女の身体を喰らった蕾よりも遥かに大きいそれは、花弁を開くと中も大きかった。花弁が徐に開かれたそこには、
まさに巨人の口があったのだ。
 茎に拘束された少女の身体が大口の真上へと移動させられる。これからどうなるのか、容易に察する事ができた。
 拘束から解き放たれた少女の身体。大口へと真っ逆さまに落ちて行く僅かな時間の中、少女は笑っていた。

 あはは、これ……夢だよね……目を覚ましたらベッドの上だよね。怖い夢を見たーってベッドの上でちょっとの間
震えてから、お洒落して出掛けないと……せっかくのデートなのに遅刻したらカレに怒られちゃうもん……
なんたって、今日は一年に一度の――……。





 ――ゴキン、バリ、バキ……ボキッ、グチャッ…………ゴクン。





 これは、クリスマスイヴの夜の出来事。
 七人の少女達がここに足を運ぶ二十五時間前の出来事だった。

プロローグ 【クリスマス】


 十二月二十五日――クリスマスの夜。水城ミナは初めての恋人と一夜を明かす筈だった。
 降り注ぐ雪が街灯の光に照らされて輝きを放ち、吹き荒れる風が街路樹の並木を揺らす。空は雲一つない快晴で、都
会の街中でも満月と星がはっきりと見る事ができた。街は一面クリスマスの雰囲気が漂い、様々な色のイルミネーショ
ンの光や、サンタクロースの衣装やトナカイのきぐるみを身に纏った者が道行く人に声を掛けている景色は、クリスマ
スならではだろう。そして、仲良く手をつないで歩く多くのカップルの姿も。
 ミナはそんなカップルの姿を見る度、知らず知らずに内に溜息を吐いていた。腰まで伸ばした長い髪に雪が付着して
は溶けて消えていく。今日という日のためにアルバイトで稼いだお金で購入した淡い青色のワンピースは彼女の今の心
情を表しているかのように見える。首に巻いている同じく青いマフラーは彼女の涙で濡れていた。
 ほんの一時間にも満たない電話口からの冷たい言葉の矢が、それらを見る度に心に突き刺さるのだ。子供のようにわ
んわんと大声で泣いた後もまだ、心の痛みは治まる気配がない。それどころかこうして街を歩くだけで酷くなっていく
気がした。
 別れよう、俺達――付き合っていた男はそれだけ言って電話を切った。本来であれば今日の十九時に馴染みのレストラ
ンで待ち合わせし、二人で会う筈だった。ミナがレストランで一人約束の時間から十分、二十分と待ちぼうけした後の
電話がそれだ。男が別れようとした理由は電話口から聞こえてきた別の女の声から容易に察する事ができた。男は浮気
していて、恐らくミナよりも浮気相手の方をとったのだろう、と。
 悔しかった。哀しかった。そんなミナの呼び掛けに集まったのが、彼女の二人の友人達だった。

「ミンミン、元気出しなよー……」

 心配そうな眼差しでミナの顔を覗き込んだのは一番の親友である鳴海マオだ。とてもではないがミナと同じ高校三年
生とは思えない程の小柄な身体で、まだ幼さの残る顔立ちをしている。寒くないのだろうか、子供は風の子と言わんば
かりにスカートを短くし、上は制服以外コートも着ていない。冬の夜に出歩くには見るからに寒い格好だ。この集まり
の中で唯一学校の制服を着ているのは単純に、つい先程まで学校で部活動に励んでいたからだ。親友からの電話の涙声
を放っておけなかった彼女は、先に部活を抜け出して真っ直ぐに彼女の元へとやって来たのだ。
 『ミンミン』というのは水城ミナという名前からマオが彼女に付けたあだ名だ。マオは親しい友人は皆そうしてあだ
名で呼んでいる。例えば、ミナの後ろを歩いている眼鏡を掛けた大人しそうな少女――志摩シノは『しーちゃん』だ。最
初は『ミンミン』に倣うように志摩シノという名前から『シーシー』と呼んでいたが、シノが「おしっこみたいな呼び
方やめて」と懇願するものだから『しーちゃん』に落ち着いた。
 シノはこの中では一番物静かで心優しい少女だった。そして内気でもある。そのため目を真っ赤に腫らせたミナの姿
を見ても声を掛ける事さえできなかった。不用意な言葉は反って相手の心を傷付けてしまう事もある。それを知ってい
た彼女は結局良い言葉を見つけられないまま今に至っていた。時折何か声を掛けようとミナの後ろで口を開くものの、
喉まで出掛かってもそれが言葉になる事はなかった。


「ほらぁミンミン! そんな酷い男の子の事なんて忘れて、今日は女の子同士で楽しくはっちゃけよーよ! 女子会み
たいな感じでさ! 何たってクリスマスだもん! 無礼講だよ、ぶれーこー!」

 無礼講の意味を知ってか知らずか、マオは子供のように無邪気な笑顔を作る。

「……ん、そう……だね。うん……うん! 改めてゴメンね二人とも、急に呼び出したりしちゃって……」
「全然平気だよ。私の方こそゴメンね、気の利いた言葉の一つ掛けてあげられなくて……こんな時、どんな風に声を掛
ければいいのか分からないから……」

 ようやく暗い顔を上げたミナに、シノが申し訳なさそうに肩を竦める。このまま誰も喋れなければ再び空気が暗く淀
んでしまうのだが、そうさせないのがマオだ。彼女はシノの背後へ素早く移動すると背中を押し、ミナの隣へと押し
やった。二人の間からちょこんと顔を出したマオがシノの顔を見上げながらぷくっと頬を膨らませる。

「もー、しーちゃんも暗いよぉ! こっからしんみりさせるような発言はNGだかんね! 言った人はお尻ペンペン
の刑だよ!」

 ――パパンッ!

「ひゃあっ!?」
「きゃんっ!?」

 まるでゲーム開始の合図であるかのように、マオは二人のお尻を両手で強く叩く。街中の喧騒に混じって乾いた音が
響いた。二人は不意打ちに飛び上がって驚き、両手でお尻を押さえてマオを睨み付ける。二人から同時に痛みと恥ずか
しさを訴えるような冷たい視線を送られるとさすがの彼女も縮こまり、途端に子犬のように怯えた瞳になった。こうし
て見ると本当に小学生くらいの子供に見える。
 そんな姿が可笑しくて、ミナはプッと吹き出した。シノもクスクスと笑い始めると、マオもまた笑う。
 三人が集まってからミナが初めて笑顔を見せた。マオとシノは笑いながらもホッと胸を撫で下ろした。いつも元気一
杯な元のミナに戻った、と。無論、それはまだ上っ面だけかもしれない。誰しも失恋で生じた心の傷というのは、そう
簡単には癒されないものだ。だがそれでも二人は喜んでいた。自分達が来た事で少しでもその痛みを和らげる事ができ
たのなら、と。
 ミナが二人を呼び出したのは単純に一人でいる事が辛かったからだ。だから集まってから何処へ行くか、何をするか
など一切考えていなかった。それを知ったマオはとりあえず三人の中で先頭に立ち、あっちへこっちへと足を運ばせた。
街全体がイルミネーションに包まれているかのように、色取り取りの美しい光は彼女達の心を虜にさせる。同じ光でも
位置と角度を変えるだけでまた違った魅力になるものだ。丘の上の公園に行っては街を見下ろし、地元で最も高い木の
下に立っては木を見上げる。全てが目に焼き付く程の光景だった。いつも何気なく見ているのと、こうして見ようと思
って見ているのとでは全く違って見えた。まるで別物を見ているかのような感覚だった。

「――あ、ミナちゃん! それにマオちゃん、シノちゃんも! おーい!」

 舞い落ちる雪の量が多くなった頃、適当な飲食店で時間を潰そうとうろうろしていた三人に突然声が掛かった。少し
離れたところからの声だ。ミナが周りを見回しても声の主は見当たらなかったが、それもその筈、声の主は歩道橋の上
にいたのだ。
 上を見上げたミナはその姿に気付く。歩道橋の上で大きく手を振る一人の少女――氷川レイカだ。彼女の背後にはあと
三人、ミナが知っている少女の姿もある。良くこの人込みの中、それも歩道橋の上からミナ達に気付いたものだ。
 レイカはすぐに歩道橋を降りてミナ達の所へやって来ると、そのままミナに抱き付いた。女というのは女同士であれ
ば周囲の視線も気にせずに恥ずかしい行動をとる事がある。素で女の子に抱き付く女の子など、見る人から見れば“そ
っちの人”に見えてしまうものだ。レイカの後から来た少女達も周りの視線を気にしている。

「やっほー、ミナちゃん! こんなところで奇遇だね!」
「ちょ、ちょっとレイカ先輩……恥ずかしいですって!」

 ミナは頬を赤く染めながら身体をよじって抵抗するが、それでもレイカは離れなかった。レイカの大きな胸が自分の
控え目な胸に密着すると比較されているようで何とも言えない気分になる。そして大きなマシュマロのような柔らかな
感触がミナの胸の鼓動を高鳴らせる。
 『先輩』から分かるように、レイカはミナ達よりも一つ年上ではあるものの、同じクラスのクラスメートだった。彼
女は優等生にも関わらず留年したのだ。さすがにその理由は面と向かって聞けるような代物ではないが、出席日数が足
りなかったから、という噂が可能性として濃厚だった。何故そんなに欠席したのか、というのもまた謎である。見るか
らに健康そうなレイカが病気や怪我をしている姿など想像できなかった。

「ミンミンからはーなーれーてぇぇぇーっ」
「お姉様から離れてください、水城さん……殺しますよ?」

 抱擁している二人の間に割って入ったのはマオと、レイカを実の姉以上に慕っている少女――柊ユリだ。長い髪をツイ
ンテールに束ねている。ミナはレイカに抱きつかれているだけにも関わらず、ユリの怒りの矛先は彼女に向けられて
いた。鋭い視線には言葉通り本当に殺気が混じっているかのようで、どれ程ユリがレイカを慕っているのか良く分かる。
否、慕っているどころの感情ではないのかもしれない。ユリはミナ達とはクラスが別だが、学校で休み時間になる度に
レイカに会いに顔を出すものだから、すっかり顔馴染みになっていた。

「んもう、分かったわよぉ……」

 渋々とレイカはミナを離すと、彼女はようやくミナの目が真っ赤に腫れている事に気付いた。

「ミナちゃん、どうしたの? その目は」
「い、いえ、ちょっと……」
「……そう。上手く言えないけど、元気出してね」

 目が腫れている理由など、病気を除けば一つしかない。そしてそれをわざわざ詮索する程、レイカは野暮ではなか
った。レイカの言葉はマオの言う“しんみりさせるような発言”に該当しているのだが、さすがにそんなルールを知ら
ない彼女のお尻を唐突に叩く事はできず、繰り出そうとした手を渋々と元の位置に戻した。ちなみにユリはそんなマオ
のちょっとした動きさえ見逃さない。レイカに手を出そうとするのであれば動いていたところだ。

「――ねぇねぇ、早く行かないと終わっちゃうよ?」

 二つの同じ声が同じタイミングで同じ台詞を発する。声を出したのはレイカとユリの後ろに立つ二人の少女――早瀬
サエと早瀬エミ――いつも仲良しの双子の姉妹だ。二人とも同じ容姿、髪型の上、服もお揃いで着ようとするものだか
ら、他人からすればどちらがどちらであるかなかなか見分けが付かない。今日はレイカ達と遊ぶ事もあって、さすがに
カチューシャの色を変えて区別ができるようにしてあった。サエは赤色のカチューシャ、エミは白色のカチューシャ
だ。それを覚えるのもまた一苦労でもある。いっその事、名札でも作って身に着けてくれればと周囲の人間が思う事も
あった。
 サエとエミに言われてレイカは腕時計を確認した。デジタルの液晶に四つの数字が並んでいる。時刻は既に二十時
四十五分、招待状によるとイベントの受付終了は二十一時までとなっているため、彼女達の言うように確かに時間が
なかった。

「そうね、急ぎましょうか。あ、ミナちゃん達も来る? この招待状一枚で何人でも参加OKだって。ただし二十歳
以下の女の子に限られてるんだけど、私達皆高校生だから問題ないしね」
「何かあるんですか?」

 レイカの言葉にシノが首を傾げる。二十歳以下の女の子限定、という部分に妙な違和感を覚えたものの、クリスマス
の夜に行われるイベントであればつまらないものではない筈だ。年頃の女の子が興味を持たないのは反っておかしいだ
ろう。シノだけでなく、ミナとマオもレイカの次の言葉を待ち望んでいた。マオは特に興味津々で大きな目をきらきら
と輝かせている。

「時間がないから会場に向かいながら説明するわね、ついて来て」

 レイカの手に握られた黒い封筒に包まれた一枚の招待状。見るからに怪しいその紙切れに書かれていた事を要約す
ると、参加費無料でちょっとしたゲームを行い、優勝者には夢のようなクリスマスプレゼントが贈られる、というも
のだ。ゲームにしろクリスマスプレゼントにしろ、具体的な事は何一つ書かれていなかった。
 この招待状を受け取ったのはユリだった。学校が終わり、帰路の途中だった彼女に声を掛けたのは“黒いサンタクロ
ース”。イメージのサンタクロースと全く同じ衣装ではあるものの、赤色の部分が全て黒色だったというのだ。当然、
ユリは無視しようとしたが無理矢理この招待状が入った封筒だけ渡された。帰宅してから中を読み、相談しようと思っ
てレイカに電話したのが始まりだった。
 とりあえず行ってみましょ――とレイカは笑いながら、ユリの他にサエとエミを呼び出した。もし怪しい勧誘やイベント
だった時、逃げるにしろ抗うにしろ人数はなるべく多い方が良いと判断したからだ。彼女がミナ達を誘ったのも同じ理由
だった。
 道中、ミナはレイカから話を聞きながら『行かない方が良い』と強く思った。何が何でも怪し過ぎるのだ。だがレイカ
はそれに聞く耳を持たず、会場へと迷う事なく足を進める。ユリ、サエ、エミも同じだった。ミナは一人何度足を止めよ
うと思った事だろう。だが、足が止まる事はなかった。レイカ達をこのまま放っておく訳にはいかなかったからだ。レイ
カの言う通り確かに何かあった時、一人でも人数は多い方が良い。

 行くべきか行かざるべきか、無理にでも止めるべきか止めざるべきか。
 心の中で繰り広げられる葛藤も虚しく、彼女達七人はやがて会場である建物に辿り着いてしまった。

 その先に待ち受ける惨劇を知る由もなく――……。

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最終更新:2012年11月28日 22:17