「……、これは――どういうことですの」
口にした自分自身が驚くほど、底冷えした声だった。
少女期特有の甲高さを多分に残した声帯から発せられたその"一言目"に載せられた感情は――戸惑い、そして苛立ち。
見上げる空は夜。金色の満月が瞳を思わす荘厳さで輝いているのに、周りの星々の数は少女の故郷で見上げた時に比べて幾らか数が少なく見えた。
そして。少女の周囲を囲う景色は、見渡す限りのコンクリート・ジャングル。
高速建築物のひとつだってなかったあの見慣れた村ではありえない、異境の情景。
かつては人並みに憧憬を抱きもした、都会の繁栄と活気は、しかし。
今の少女にとっては、まこと無用の長物でしかなかった。
「(興宮……でも、ありませんわね。
いえ、それどころか鹿骨市内ですらない。
私の知らない場所――そして、この頭の中にある"知らない知識")」
初めて味わう、実に奇怪な感覚であった。
きっと人よりも空白が多いだろう頭の中の引き出しに、詰め込んだ覚えのない知識(どうぐ)が詰め込まれている。
曰く聖杯戦争。曰くサーヴァント、曰く万能の願望器"界聖杯"。
流行りの漫画の用語としか思えないそれが、どういうわけか今の少女の脳内には生きるために必要不可欠な知識という枠組でインプットされており。
そしてもうひとつ。
"自分は数年前に両親を亡くし、児童養護施設で集団生活を送っている"などという、同じくまるで覚えない身の上話が、劇の演者に台本を渡すみたいな白々しさで脳に収納されていた。
自分の持っている記憶とは明確に違う、もうひとつの記憶。
もちろんこれが偽物の記憶であり、後天的に植え付けられた産物であるということは分かっている。
されどそう理解したところで、少女がこの状況に対して求めている根本的な解答はいつになっても舞い降りない。
己の脳裏に問いかければ、大概の疑問には尤もらしい答えが返ってくるにも関わらず――である。
ここは何処か――界聖杯の内側。
万能の願望器を争奪するための儀式"聖杯戦争"を執り行うためのゲーム盤。
自分は何者か――マスター。
聖杯戦争に列席する資格を得てこの世界に招かれた内のひとり。
聖杯とは何か――万能の願望器。
異なる世界の因果を並列に接続することで生まれたエネルギーのすべてを、願望の成就という目的を果たすためだけに燃焼させる《界聖杯》。
聖杯に叶えられない願いは理論上、存在しない。
異なる世界の枝葉を飛び越えねば叶えられないような願いでさえも、世界の号を冠した杯は必ず叶える。
「傍迷惑な話ですわね。余計な世話を焼くのはやめていただきたいものですわ」
そこまで解を聞いたところで、少女――
北条沙都子は溜め息を吐いた。
心底面倒だ、とばかりにあどけない顔立ちに眉根を寄せて。
それからおもむろに立ち上がり、自分が今居る場所の縁へと立つ。
高層建築物の、屋上。
そこが、今の沙都子が居る場所だ。
この世界で自我を確立するなり、彼女は施設の児童であるという身分も顧みずここへやって来た。
「でも、お生憎様。私は今、ひとつの時間に縛られる身分ではございませんの」
そのまま重心を前へと傾ける。
誰が見ても危険と分かる、仮に転落すれば即死必至の高度だったが、それでも少女に躊躇いはなかった。
それはまるで、テレビのスイッチを切るように。
つまらない漫画をぱたんと閉じるように、返ってきた答案を丸めて捨てるように。
あっさりと自由落下への数センチの距離を縮め、指と指とを重ね合わせ、――ぱちん、と、鳴らしかけ。
「――おやめになるがよろしいかと。
此処は万象から隔絶された異界、辿り着いてしまった時点でお終いの行き止まりなれば」
そこで、声を聞いた。
男の声だ。
若々しくも老いたそれにも聞こえるような、何者かの諌言。
沙都子の足が、止まる。そして振り向けば、そこには――歪ななにかが、立っていた。
「我が主、マスターよ。
あなたは、神なるモノと契りを結んでおりますな。
いえ、或いは――似て非なるモノか。何れにせよ、ヒトである御身はそう認識しておられるのでは?」
「あら……よく分かりますわね。
ええ、確かに――私は、そういうモノと繋がっておりますわ」
「そこは、それ。何かと縁がありまして」
磨かれた黒曜石を思わせる両の瞳が、ネコ科の動物を思わせる形に細まる。
ろくなものではない、と沙都子は思った。
別段妖怪変化の類に詳しくなった覚えはないが――こうして見えれば一目で分かる。
妖しさ、艶やかさ。残酷なほどの、美しさ。
少なくとも真っ当な生き物であれば生涯有することのないだろう厭らしいきらめきを、その男は夜闇の中確かに放っていた。
「しかし残念。この聖杯戦争にあなたを招いたモノ――界聖杯の権能は、もはや神の領域にすら収まりませぬ。
仮に今此処で身を切り脱出を図ったとして、あなたの望む結果になる可能性は限りなく低いかと。思いまする」
「見透かしたようなことを言うんですのね。
私が何をしようとしたか、分かったと仰るんですの?」
「えぇ、えぇ。さしずめ"遡る"か"渡る"権能あたりと踏みましたが?」
「……、」
その回答には、閉口せざるを得ない。
それはまさしく、
北条沙都子が借り受けている力の全容を最も端的に言い表すものだったからだ。
繰り返す者。遡り、終わり、そしてまた遡る――運命の旅人。
それが、今の沙都子の本当の身分である。
「凄まじい力をお持ちなのですわね、サーヴァントというのは」
北条沙都子は、繰り返した。
幾度となく、幾度となく幾度となく。
もはや両手両足の数をすべて足しても足りないほど。
繰り返し、繰り返し繰り返し繰り返し――それでもまだ飽き足らない。
百年の旅路を終えた黒猫を再び籠の中に押し込めて、絶対の意思と共に時を繰り返す魔女。
あるいは。いつか、そう呼ばれるに至るだろうモノ。
「では、辞退は許されないと。そういうことでいいんですのね」
「恐らくは。実際に試してみれば案外上手く行くのやもしれませんが……お勧めはしませぬなァ」
「……はぁ。忠告感謝しますわ、サーヴァントさん。
危うく今までの努力を、全部水の泡にしてしまうところでしてよ」
幾重にも繰り返す、狂気に閉ざされたリフレイン。
その中から、どういうわけか少女は連れ出された。
愛する故郷でもなければ、天国や地獄でもない。
聖杯戦争なる儀式を行うためだけに用意された、正真正銘の"箱庭"に。
「ついでにもう一つ教えて下さいな、サーヴァントさん。
私は此処で、一体何をすればいいんですの?」
「それは、無論――」
「私、聖杯なんてものには然程興味ございませんの。
私のお願い事は、何も此処で殺し合いをしなくたって叶えられるんですのよ。
だから……元の世界に。私の故郷に帰れればそれで構いませんわ。
それを果たすために一番手っ取り早い方法は、何か思いつきませんこと?」
「尚のこと、愚問というやつですな」
ニヤリと、サーヴァントたる男は口角を釣り上げた。
沙都子の知る"神"によく似た、されどもっと分かりやすく悪辣な悪性の発露。
闇夜に溶けるような昏い存在感を、白衣に垂らした墨汁のようにじわじわと肥大させながら。
彼は言う――幼子に教授するような口振りで。
「勝者の資格を得れば宜しい。即ち、一切鏖殺。で、ございまする」
「……結局そうなるんですのね。
都合のいい抜け道があるのではないかと、少し期待しましたわ」
「そう腐りなさるな、マスター。
幸いにしてあなたが喚んだ英霊は――ンン。
鏖殺、虐殺。そうした諸々に長けております故」
口にされた、悍ましい言葉。
真っ当なマスターであればこの時点で、眼前の醜穢な魂に自害を命じていたかもしれない。
だが、それは生憎と。神と出会い、大団円を踏み砕いて惨劇の輪廻をもう一度始めた少女にとっては――
「そう。だったら、その力を貸していただけますこと?」
実に都合が良く、お誂え向きの"悪"だった。
単に勝利を求めるのではなく、その過程に必要なあらゆる犠牲を容認する。
否それどころか自ら進んで求め、多くを狂わせ、惨劇の音色を奏でながら屍の山を築いて高みへ近付く魑魅魍魎。
手段に固執するなど愚の骨頂。
本当の戦いの中では真っ先にカモにされ、七転八倒した挙句に身包みを剥がされるものだと沙都子は知っている。
そう――本当に、よく知っていた。
「宜しいのですかな。死後の安息は保障致しませぬぞ?」
「あら。ダーティープレイは私の十八番ですのよ」
夜の帳、その下。
昏き空との、最短距離で。
紅く瞳を煌かせながら――少女は、「それに」と、幼年期という蛹から這い出た黒い情念を燻らせた。
「私は、どんな手段を使ってでも……"絶対"に、元の世界に帰らなければいけませんの。
そのために聖杯とやらが必要なら、もぎ取ってやるだけのことですわ」
「――ンン。左様で」
「やり方はあなたに任せますわ。
私、この悪い夢から早く醒めたいんですの」
怜悧な眼光に、妖獣はよりその笑みを深める。
そして、慇懃な動作で頭を下げた。
「委細承知」
それこそは、これが仮初の主を見定めたことの証。
昏い情念と絶対の意思が、呪わしき魂を呼び寄せた。
ならば、ああ。喚ばれたからには――応えて魅せなければなるまい。
どんな手を使ってでも。どんな地獄を、この箱庭に現出させてでも。
「それでは、不肖ながらこの拙僧が……"アルターエゴ・リンボ"が。あなたの望む地獄を顕現させてご覧に入れましょう」
◇◆
「――末永く。宜しくお願い致しますね?」
◆◇
「梨花」
それは、まるで愛する人の名を呼ぶように。
陶然とした響きさえ含ませながら、沙都子は紡いだ。
梨花、と。その名、その人物こそが――
北条沙都子の幼年期を終わらせた張本人。
継ぎ接ぎの心の奥底から、幼い動機を溢れ出させたすべての元凶。
「私、必ず帰りますわ。
だから――」
もはや彼女はヒトではない。
繰り返し、繰り返し、愛する日常を弄んでさえ、望む景色を追い求めたモノ。
天国のような優しさと地獄のような惨たらしさが壁一枚隔てて同居する歪な村で育ち、神に触れて羽化をした魔女の卵。
梨花、梨花、と。
名前を呼ぶ度、愛情を紡ぐ。
名前を呼ぶ度、呪詛を研ぐ。
光と闇を綯い交ぜにして、彼女自信がひとつの辺獄(リンボ)と成り果てて。
少女は――嗤うのだ。
「待っていてくださいまし、ね?」
◇◆
愉快、愉快――抱腹絶倒の極み。
よもや、よもや。
斯様に甘美な地獄に触れる僥倖が、再びこの身に舞い降りようとは。
あぁ、長生きとはするもの。歴史に名を刻むということは、世界を呪うことなのだと改めて理解する。
敗れ去り沈み、蠢くだけだった魂は今此処に浮上した。
殺し合い、奪い合うためだけに創造された箱庭の底から。
這い寄ってきたこれは獣、一目見れば魅入られる、美しき肉食獣。
二柱神を喰らい、取り込み、黒き太陽を視る悪の魂。
――さぞや多くの死を、超えてきたのだろう。
人の心に付け入り甘言を囁く魔性には、少女の内に燃える情念の根源の輪郭さえ掴めていた。
アレは執着、執心の類だ。
かつて眩くあったものが反転し、今は人の身に余るほど醜悪な妄執に成り果てている。
そしてその悪性を、これは祝福する。
祝福し、賞賛し、礼賛さえしながら、ならばそのようにとしたり顔で跳梁するのだ。
「既に異星の神との接続は切れている。
今やこの身、かつてとは比べ物にならぬほど矮小であるが……」
そんなことは――瑣末。
己は己、拙僧は拙僧。悪(リンボ)は悪(リンボ)。
この脳髄に辺獄の記憶があるならば、それだけで新たな地獄界を築くのには十二分!
幾度となく、果てもなく。
望まれた通りの地獄を、最上の音色で奏でてくれようと、妖獣は猛り昂り狂う。
ああ――それに。
「子女の怨嗟と絶望ほど甘いモノは、そうそう味わえぬからなァ――」
【クラス】アルターエゴ
【真名】
蘆屋道満
【出典】Fate/Grand Order
【性別】不明(本来は男性)
【属性】混沌・悪
【パラメーター】
筋力:C 耐久:E 敏捷:D 魔力:EX 幸運:B 宝具:B
【クラススキル】
陣地作成:B
キャスターのクラススキル。魔術師として自らに有利な陣地を作り上げる能力。
道具作成:A
魔力を帯びた器具を作成できる。
Aランクとなると、擬似的ながらも不死の薬さえ作りあげられる。
快楽主義:EX
読んで字の如く。彼の骨子であり存在意義。
一時の快楽のために手間を惜しまない、執拗なまでの悪辣さ。
ハイ・サーヴァント:A
複数の神話エッセンスを合成して作られた人工サーヴァントの証左。
闇の女神、黒き神、怨嗟に狂う左大臣。
暗黒の神核:B
完成した悪神であることを現す、神性スキルを含む複合スキル。
【保有スキル】
リディクールキャット:EX
嘲笑う獣。
その嘲笑は、敵も味方も白も黒も神も人も関係なく平等に降り注ぐ。
道満の呪:A++
道満が行使する、強力な呪術の数々。
彼の性格上、その秘術は悪辣を極めたものが多い。
黒き命:A
霊基の内側で燃え上がる、黒き命。
それはこの獣が喰らい己が物とした、神という名の炉心である。
【宝具】
『狂瀾怒濤・悪霊左府(きょうらんどとう・あくりょうさふ)』
ランク:B 種別:対都市宝具 レンジ:1~80 最大捕捉:400人
時の権力者・藤原道長を呪殺せんとして仕掛けた、都市そのものを殺すに等しい驚天動地なる大呪術の再現。
成し遂げられれば都はたちまち荒れ果て、人々を不幸が襲い、餓死者が往来を埋め尽くし、権力者は滅び去る。
宝具としての呪詛行使にあたり、アルターエゴとしての道満と融合した左大臣・藤原顕光の怨霊「悪霊左府」を一時的に召喚。これによって、術の成功確率を極めて大幅に上昇させている。
【人物背景】
蘆屋道満。平安期の法師陰陽師。
道摩法師、僧道満とも呼ばれ、平安最強の術者である安倍晴明の向こうを張った怪人。
人々を守る英雄ではなく、悪辣を以て人を害し、自らの死滅を以て世の平安を導くがゆえ反英雄として分類される。
見た目は美形ながら奇抜で、何処か歪な出で立ちをした男性。
長い髪は右が白く、左が黒いモノトーンになっている。また、ところどころ外ハネをした髪に鈴が括り付けられており、黒髪は薇のように複数のとぐろが巻かれている特徴的な髪型。
陰陽師らしく和服を基調としながらも、右肩から袖までが和服らしからぬ赤と白の縞模様であり、道化師、ピエロを彷彿とさせるデザインになっている。
【サーヴァントとしての願い】
ただ、内なる享楽のままに。
【マスターとしての願い】
元の世界に帰り、梨花を囚え続ける
【能力・技能】
トラップを仕掛けることに長ける。
仲間たちからは"トラップマスター"の異名で呼ばれ、その技術は子供の悪戯の範疇に収まらない。
防諜が専門とはいえ武装した特殊部隊を壊滅状態に追いやれるほどのトラップ使い。
【人物背景】
心に数多の傷を持つ少女。
絶望と怒りの末に神へと触れ、理想の世界を求めて永遠に惨劇を繰り返し続ける魔道に堕ちた。
今の彼女に、人を殺し、壊すことに対する躊躇いは一切存在しない。
たとえそれが、自分の大切な仲間だったとしても。
【方針】
サーヴァントを使って効率的に敵を減らしたい。
どれだけ殺してでも元の世界に帰り、"続き"をする。
最終更新:2021年05月27日 20:42